ポイント

  • 複雑な運動を行う際の脳内の階層的な運動情報表現を可視化することに世界で初めて成功
  • 従来の説と異なり、運動前野・頭頂連合野では複数の階層の運動情報が重なって表現されていた
  • 運動を再現するBMI技術において、より効率的な運動推定手法の開発などへの応用に期待
NICT脳情報通信融合研究センター(CiNet)とウェスタンオンタリオ大学は共同で、ヒトがピアノ演奏のような複雑な指運動をする際の脳活動を、fMRIを用いて測定し、広い脳部位において運動情報が階層的に表現されている様子を示しました。従来の説では、表現の階層が異なれば対応する脳部位も異なるとされていましたが、今回、研究チームは、大脳皮質領域の運動前野頭頂連合野などでは、異なる階層の運動が同時に表現されていることを明らかにしました。
この成果は、事故などで身体を動かすことのできない方々の意図を読み取ってロボットなどで運動を再現するためのBMI技術において、どの脳部位からの信号が有効かという問題への手掛かりや、階層の異なる運動情報を同時に利用した効率的な運動推定手法の開発に役立つと考えられます。なお、本研究成果は、2019年7月23日(火)に米国科学雑誌『Neuron』にオンライン掲載されました。誌面は9月25日(水)に発行予定です。

背景

一流の音楽家の演奏を聴くたびに、「どうしてあんなに長くて難しい曲を間違えずに演奏できるのだろう?」と不思議に思うことは、誰しも経験のあることでしょう。このようなことを可能にしている脳の情報処理の仕組みの一つが、階層的情報表現です。長くて複雑な運動でも、単純な部分の組合せに分割することを繰り返すことで、効率良く覚えたり実行できたりするようになります(もちろん練習も必要ですが)。このような階層的な運動の情報が、我々ヒトの脳でどのように表現されているのかは、これまで明らかではありませんでした。

今回の成果

図1 脳は階層的に系列運動を表現・実行する
図1 脳は階層的に系列運動を表現・実行する
今回、NICTの横井惇研究員とウェスタンオンタリオ大学のJörn Diedrichsen教授(当時、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)らの研究チームは、fMRIを用いて、複雑な運動を行う際の脳内の階層的な運動情報表現を可視化することに世界で初めて成功しました。本成果の鍵は、綿密にデザインされた行動実験によって、まず、運動の階層的情報表現の証拠を得て、それに基づいて最新の手法を用いた脳活動データ解析を行うという全体の研究デザインにあります。
実験では、健康な成人被験者に5日間かけて、11けたの数字(1~5: 各指に対応)から成る8種類の異なるキー押しの系列を暗記・練習してもらいました。11けたの数字を8種類暗記することはかなり困難な課題であるため、被験者は階層的運動情報表現を行う必要があります。
被験者は、まず、11けたの数字を4つのチャンク(2~3けたのキー押しのまとまり)に分けて、個別に練習します。次に、これらのチャンクを4個つなげたセットとして11けたの数字を練習・暗記しました(補足資料中図5参照)。このようにして、11けたの数字のキー押しを階層的に学習した後、MRI装置の中で、暗記した8種類の11けたの数字のキー押しの系列を実行している際の脳活動を測定しました。
この脳活動データに、多変量fMRI解析の一種であるRSA法と呼ばれる機械学習手法を用いて解析することで、被験者の各脳部位の微細な活動パターンを、①個々の指運動②連続した2~3個の指運動のまとまり(チャンク)、及び③4個のチャンクのまとまり(系列全体)という階層ごとの表現に分類し、“脳内運動情報地図”として可視化しました(図1、2参照)。
その結果、個々の指運動の表現(①)は一次運動野付近に集中しているのに対し、チャンク(②)や系列全体(③)といった、個々の運動と比べて階層の高い運動の表現は、一次運動野以外の脳領域(運動前野・頭頂連合野)に空間的に重なって表現されていることを明らかにしました。従来の説では、「機能的階層性(運動の表現のされ方)と解剖学的階層性(脳での表現のされ方)は対応する」という考え方が主流でしたが、本研究の結果は、むしろ、「機能的階層性と解剖学的階層性は必ずしも対応しない」、つまり、「脳は部分的に階層的(①とそれ以外の関係)でもあり、かつ、フラット(②と③の関係)でもある」という見方を示唆しており、従来説の再考を促すものといえます。
図2 系列運動の脳内運動情報地図
図2 系列運動の脳内運動情報地図
A:8種類の系列それぞれに対応する局所脳活動パターンの間の「平均距離」(非類似度)を脳表面に図示した(下側は脳表面を平面に展開した表示法)。距離が大きい(より黄色に近い)領域では、異なる系列同士が異なる活動パターンとして表現されている(=その脳領域では系列同士が何らかの意味で区別されて表現されている)ことを意味する。
白の点線は、主要な脳溝(脳のシワ)の一部(CS: 中心溝、PoCS: 中心後溝、IPS: 頭頂間溝、SFS: 上前頭溝、CinS: 帯状溝)を表し、黒の破線で囲った領域は、各脳部位(M1: 一次運動野、 S1: 一次体性感覚野、 PM: 運動前野、 PC: 頭頂連合野)を表す。
B:Aの図で、一定閾値以上の距離を示した領域内で、RSA法を用いた詳細な解析を行い、それぞれの領域でどの階層の情報が強く表現されているかを図示した。脳領域は白の破線で表示した。表示領域は、Aの赤色破線で囲まれた領域に対応している。
シアン: 個々の指運動(①)、マゼンタ: チャンク(②)、山吹色: 系列全体(③)

今後の展望

階層的運動情報表現は、運動エキスパートだけのものではなく、文章を書いたりコーヒーを入れたりといった私達の日常動作も支えています。本研究で得られた結果は、事故や病気などで身体が麻痺してしまった患者の方々の意図を読み取って、ロボットなどで運動を再構成するためのBMI技術の開発において、効率的に運動情報の信号を得るための脳部位の同定や、異なる階層の運動情報を統合した効果的な運動推定アルゴリズムの開発などにも貢献すると期待されます。

掲載論文

掲載誌:Neuron
掲載論文名:Neural Organization of Hierarchical Motor Sequence Representations in the Human Neocortex
著者名:Atsushi Yokoi, Jörn Diedrichsen

共同研究グループ

  • 横井 惇 研究員(国立研究開発法人情報通信研究機構 脳情報通信融合研究センター)
    (研究開始時の所属: 英国・ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)
  • Jörn Diedrichsen 教授(カナダ・ウェスタンオンタリオ大学)
    (研究開始時の所属: 英国・ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)

研究サポート

本研究は以下の研究費のサポートを受けて実施されました。
JSPS (#15J03233) / NSERC (RGPIN-2016-04890) / James McDonnell Foundation (Scholar Award) / 
Canada First Research Excellence Fund (BrainsCAN)

補足資料

今回行った実験方法

fMRI実験: 12名の被験者は、右手指でキーボード上の5つのキーを素早く正確に押さえる系列運動課題を行いました(図5A参照)。5日間の練習で、段階的に、それぞれ11けたの数字(1~5: 各指に対応)から成る合計8種類の複雑な系列運動を学習しました(図5B、C参照)。5日間の練習の後、被験者はMRIスキャナーの中で手掛かり刺激だけを提示されて8種類の系列を実行し、その際の脳活動を測定しました。
 
行動実験: 以下に示す方法で、個々の指運動(①)<指運動のチャンク(②)<チャンクの組合せとしての系列(③)という階層関係を被験者が獲得していることを行動データから確認しました。実験参加者にfMRI実験後にもう一度実験室に来てもらい、練習した8種類の系列に加えて、練習したチャンクが含まれているものとそうでないものから成る40種類の新しい系列を含む課題を行ってもらいました。なお、このフォローアップ実験では、どの系列も11けた全てのキーの番号は画面に表示されているので、40種類の新しい系列を覚える必要はありません。練習したキー押しの系列(チャンク)が部分的にでも含まれていれば、全く含まれない場合よりも早く実行できると予想されます。
 
図5 行動実験課題
図5 行動実験課題
A:被験者は画面に表示される手掛かり刺激を基に、11けたの数字から成る8種類の異なるキー押しの系列を実行した。
B:11けたの数字から成る8種類の系列(I~VIII)は、2~3けたの数字から成る8種類のチャンク(A~H)4個として表示される。
C:被験者は、まず実験初日に3(又は2)けたから成るチャンク8種類を、それぞれ手掛かり刺激となるアルファベット(A~H)と対応させて学習し、手掛かりだけで正しくこれらを実行できるようになった(A=13、B=524、C=232、…)。2日目以降は、さらに、8種類の系列を、それぞれ手掛かり刺激となるローマ数字(I~VIII)と対応させ、チャンクの組合せとして、学習した(I=ABCD、 II= DCBA、…)。このような段階的トレーニングによって、被験者は、個々の指運動(①)<指運動のチャンク(②)<チャンクの組合せとしての系列(③)という階層関係を獲得した(下図)。

今回の実験結果

図6 被験者のキー押しの平均時間間隔
図6 被験者のキー押しの平均時間間隔
行動実験: もし、チャンクの表現(チャンク素子)が学習されているとすれば、新しい系列に既に学習したチャンクが含まれていた場合、その部分は学習したチャンクの知識を使うことで、ほかより早く実行できる(チャンク内のキー押し間隔が短くなる)と予想できます。さらに、もし、より上の階層の素子(系列素子)も獲得されているとすれば、既に学習した8種類の系列に関しては、学習したチャンクでできた新しい系列と比べて、チャンクとチャンクの間の実行速度も速くなっている(チャンク間のキー押し間隔が短くなる)ことが予想されます。
 
実験では実際に、被験者のキー押しの時間間隔はこれらの予想どおりのパターンを示すことが確認されました(図6参照)。
 
・連続するキー押しが、学習したチャンク内に含まれる場合(青色)は、2つのチャンク間(切り替わり部分)に当たる場合(赤色)と比べて時間間隔は短くなる。
・連続するキー押しが、チャンク間(切り替わり部分)に当たる場合(赤色)に注目すると、練習した系列に含まれるチャンク間(切り替わり部分)キー押し間隔は、新しい系列に含まれるチャンク間(切り替わり部分)キー押し間隔よりも速く実行された。
***: p<0.005 (対応のある両側t検定)(統計的有意差があることを示す。)
 
このように、行動データから被験者が実際に系列運動を階層的に学習していることが確認されました。
 
fMRI実験: まず、大脳皮質のどの領域から系列に関する情報が読み出せるのかを調べたところ、左半球の一次感覚運動野や左右の半球の運動前野や頭頂連合野を含む広い領域が、8種類の運動系列に関する何らかの情報を保持していることがわかりました(図2A参照)。
 さらに、これらの領域で表現されている情報がどの階層(図5C参照)に属するのか、RSA法と呼ばれる脳活動パターンの類似度の持つ構造に着目した解析手法を使って詳細に調べたところ、左半球の一次感覚運動野において個々の指運動(①)が強く表現されていることを示す結果を得ました(図2B参照)。これ自体は、従来の知見の再確認ともいえる結果です。
 一方で、より上の階層[チャンク(②)、系列全体(③)]の情報は運動前野と頭頂連合野において重なって表現されていることが示されました(図2B参照)。従来の説では、階層の異なる運動情報は異なった脳領域で表現されているはずと考えられていましたが、本実験の結果はそれに反するものといえます。
 
図2 系列運動の脳内運動情報地図(再掲)
図2 系列運動の脳内運動情報地図(再掲)

用語解説

fMRI(functional Magnetic Resonance Imaging)
機能的磁気共鳴法。核磁気共鳴現象を利用して神経活動に伴う脳の血流(酸素化・脱酸素化ヘモグロビン濃度)変化を測定する手法のことを指す。被験者を傷つけることなく非侵襲的に脳活動度を調べることができる。
階層的運動情報表現
このような階層的表現(図3参照)では、例えば、チャンクの表現(あるいは素子)は、複数の指運動の素子に特定の順番で司令を送ることで、自動的に指運動の小系列を生み出す。同様に、更に上の階層の系列素子は、複数のチャンク素子に特定の順番で司令を送ることで、自動的にチャンクの系列を生み出す。
このような“自動化”によって、認知的負荷(ワーキングメモリへの負荷、図3の赤色矢印の本数で表現)が小さくなり、より正確で素早い実行が可能になると考えられる。
 
図3 系列運動の階層的表現
図3 系列運動の階層的表現

左:学習前は全ての運動(図中1~5)を意識的に行う必要があるため、系列を記憶・実行するための認知的負荷(赤色矢印)が大きく、間違う確率も高い。

中:複数の要素運動を一まとまりとした表現(チャンク)が獲得されると、個々の運動の代わりにチャンク単位で意識すればよいので、記憶・実行のための認知的負荷がより少なくて済み、正確性も向上する。

右:さらに、複数のチャンクを一まとまりとした系列全体の表現が獲得されると、複数のチャンクの実行も効率化される。

脳部位の名称について(図4参照)
図4 脳領域の略図
図4 脳領域の略図
一次感覚運動野(一次運動野・一次体性感覚野): 中心溝の前方に位置するのが一次運動野で、末梢の筋群へ脳幹・脊髄を介して司令を送ることで運動の実行を担っていると考えられている。
中心溝の後方に位置するのが一次体性感覚野で、末梢の感覚受容器群から感覚情報を受け取って感覚情報の処理を行っていると考えられている。
 
運動前野: 一次運動野の更に前方に位置し、主に、運動の計画・準備を担う領域といわれている。一次運動野に司令を送っている。
 
頭頂連合野: 一次体性感覚野の後方・後頭葉の視覚野群の前方に位置し、体性感覚情報と視覚情報を統合して、運動や注意の制御など高次の処理を行う領域と考えられている。
 
参考文献: 
石田 裕昭、星 英司 一次運動野 脳科学辞典 https://bsd.neuroinf.jp/wiki/一次運動野 (2015)
田岡三希 一次体性感覚野 脳科学辞典 https://bsd.neuroinf.jp/wiki/一次体性感覚野 (2018)
中山 義久、星 英司 運動前野 脳科学辞典 https://bsd.neuroinf.jp/wiki/運動前野 (2015)
田岡三希 頭頂連合野 脳科学辞典 https://bsd.neuroinf.jp/wiki/頭頂連合野 (2013)
BMI(Brain Machine Interface)
ブレイン・マシーン・インターフェース。何らかの方法によって脳活動を測定し、その情報を解読し直接コンピュータ・機械への入力として用いることで、身体を使った入力作業を省略して直接機械(機械義手など)を操作する技術を指す。
応用例として、意図を読み取ってロボットなどで運動を再現することで、事故や病気などで身体が麻痺してしまった患者の方々がもう一度外界とのインタラクションを取り戻すという神経機能代替(neuroprosthetics)などが挙げられ、米国などでは応用に向けた研究が行われている。
RSA法(RSA: Representational Similarity Analysis)
様々な課題条件における脳活動パターン間の類似度を比較することで、ある特定の脳領域でどのように情報が表現されているかを調べる手法を指す。例えば、細部の特徴は無視して顔か顔以外かのみを判別するカテゴリ選択的な領域では、様々な顔の画像を見ている際の脳活動パターン同士は互いの類似度が高く(距離が近く)、顔画像とそれ以外の画像を見ている際のパターン同士は互いにあまり似ていない(距離が大きい)と考えられる。一方で、その顔が誰の顔かという情報を表現する領域では、パターン同士は互いの類似度が低いと考えられる。
同様に、例えば、チャンクを表現する領域があるとすると、同じチャンクから構成される系列のペアでは、そうでない系列のペアと比べて類似度が高くなることが予想される。
機能的階層性と解剖学的階層性
機能的階層性とは、個々の運動、チャンク、系列全体という情報処理の上での階層関係を指し、解剖学的階層性とは、一次運動野と高次運動野、更に高次の領域、・・・といった脳の解剖学的な(場所的な)意味での階層関係を指している。
本文中、特に脳への言及がないときは、「階層的」は、「機能的階層性」の意味で使っている(例: 行動実験など)。

本件に関する問い合わせ先

脳情報通信融合研究センター
脳情報通信融合研究室

横井 惇

Tel: 080-9098-3280

E-mail: ayokoiアットマークnict.go.jp

広報

広報部 報道室

廣田 幸子

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