ポイント

  • 磁性薄膜を用いたNICT独自の超伝導ホットエレクトロンボロメータミキサ(HEBM)構造を開発
  • 2 THz帯ミキサとして世界トップレベル、量子雑音限界の6倍の低雑音性能と広IF帯域幅を達成
  • 高性能受信機、高安定発振器を実現するテラヘルツ帯基盤技術の確立に貢献
国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT、理事長: 徳田 英幸)は、磁性材料を用いた独自の超伝導ホットエレクトロンボロメータミキサ(HEBM)を開発し、2 THz帯ヘテロダイン受信機の低雑音化と広IF帯域化を実現しました。これは、本技術が、従来困難であったHEBMの極微細化を可能にしたことにより、実現したものです。今回作製した2 THz帯HEBMは、量子雑音限界の6倍程度である約570 K(DSB)の低雑音性能と、従来構造のHEBMと比べ約3 GHz拡大した約6.9 GHzの広IF帯域特性を達成しました。これらは共に世界トップレベルの性能です。
本技術は、未開拓周波数領域であるTHz周波数領域における基盤技術として、高速無線通信、非破壊検査、地球環境計測、電波天文などの新たな周波数資源開発に資するものと期待されています。なお、本成果は、2020年9月3日(木)〜4日(金)の国際フロンティア産業メッセ2020にて、発表・展示されます。

背景

図1
図1 HEBMの構造と顕微鏡写真
テラヘルツ周波数領域は、十分な開発や利用が進んでいない未開拓周波数領域であり、高速無線通信、非破壊検査、セキュリティ、医療、地球環境計測・電波天文などへの応用が期待されています。しかし、その実現には、基盤技術である発振・検出技術の開発が重要です。
これまで、1 THzまでの周波数領域においては、超伝導SISミキサが最も低雑音、広IF帯域の優れたヘテロダイン受信機性能を報告しています。しかし、その動作の上限周波数は1.5 THz程度と考えられており、1.5 THzを超える周波数領域での低雑音ミキサ素子として、現在、HEBMの研究・開発が進められています。
1.5 THzを超える周波数領域において、HEBMが量子雑音限界の10倍を切る低雑音受信機動作を示すことは、既に報告されています。しかし、HEBMには、一度に観測できる情報量を意味するIF帯域幅が狭いという、応用に向けて解決すべき課題がありました。IF帯域幅として20 GHz以上を確保できる超伝導SISミキサに対し、HEBMでは、その4分の1未満の3~5 GHzでした。IF帯域幅の拡大は、応用上メリットが大きく、HEBMの広IF帯域化が求められていました。

今回の成果

図2
図2 従来型及び磁性薄膜を用いたHEBMの概略図
NICTは、テラヘルツ研究センターにおける未来ICT研究所及び電磁波研究所の研究連携の下、テラヘルツ波での基盤技術である検出技術として、磁性材料を用いた新構造の超伝導ホットエレクトロンボロメータミキサ(HEBM)を開発、2 THz帯ヘテロダイン受信機の低雑音性能と広IF帯域幅を実現しました。
HEBMは、二つの金属電極間に、微小超伝導薄膜片(超伝導ストリップ)を配置した構造で、超伝導-常伝導転移間で生じる強いインピーダンス非線形性を利用したミキサ素子です(図1(a)参照)。今回、超伝導-金属電極薄膜間に磁性材料であるニッケル(Ni)薄膜を挿入することにより、電極間の超伝導ストリップにのみ超伝導性を残す、NICT独自の新たなHEBM構造を考案・開発しました(図2(b)参照)。この構造によってHEBMの更なる微細化が可能となり、検出器の低雑音化と共にIF帯域の広帯域化を実現しました。
今回、超伝導ストリップ長0.1 μmの微小HEBMを作製、測定周波数2 THzにおいて、入力光学系の損失を補正したミキサ雑音温度としてTrx=570 K(DSB)が得られました。これは、量子雑音限界の約6倍の極低雑音動作です。また、IF帯域幅は、従来構造のHEBMと比べて約3 GHz拡大した約6.9 GHzが得られ、磁性材料を用いた新HEBM構造が、受信機性能向上に有効であることを確認しました(補足資料 図4参照)。これらの結果は、実際の動作温度である4 Kで評価した結果であり、テラヘルツ帯HEBMとしては、共に世界トップレベルの性能にあると考えています。

今後の展望

NICTは2 THz帯HEBMの実用化を目指し、これまで採用していた平面アンテナを用いた準光学型と呼ばれるHEBMから、よりきれいなアンテナ指向性を有する導波管型HEBMの開発に取り組んでいます。同受信機技術を基に、THz周波数領域における基盤技術を確立し、さらに、地球環境計測、電波天文などのリモートセンシング技術への応用展開を目指します。

論文情報

論文名: Broadening the IF Band of a THz Hot-Electron Bolometer Mixer by Using a Magnetic Thin Film
掲載誌: IEEE Transactions on Terahertz Science and Technology, Vol. 8, No. 6, November 2018
DOI: 10.1109/TTHZ.2018.2874355
著者: Akira Kawakami, Yoshihisa Irimajiri, Taro Yamashita, Satoshi Ochiai, Yoshinori Uzawa
 
なお、本研究の一部は、大学共同利用機関法人自然科学研究機構国立天文台との資金受入型共同研究契約「ミリ波からテラヘルツ帯での超高感度・高速受信技術の基盤研究」の助成を受けて行われました。

補足資料

今回開発した超伝導ホットエレクトロンボロメータミキサ(HEBM)

図2
図2 従来型及び磁性薄膜を用いたHEBMの概略図(再掲)
テラヘルツ周波数領域での電磁波検出器として期待されている超伝導ホットエレクトロンボロメータミキサ(HEBM)は、アンテナの給電点に相当する二つの金属電極間に、長さ・幅共に数百nmで膜厚が5 nm程度の微小超伝導薄膜片(超伝導ストリップ)を配置した構造をしています。この超伝導ストリップが、入射電磁波のエネルギーにより、電気抵抗ゼロの超伝導状態と、有限の抵抗を持つ常伝導状態の二つの状態間を遷移し、その際に生じる大きな抵抗変化(インピーダンスの非線形性)を利用したミキサ素子がHEBMです。
このHEBMに電磁波を照射した場合、照射電力で超伝導ストリップ内の電子温度が上昇し、超伝導転移温度(Tc)を越えた超伝導ストリップ内の一部の領域に、常伝導領域(ホットスポット)が形成されます(図1(a), (b)参照)。照射電磁波として信号源(Sig)と共に局部発振源(LO)を照射した場合、その差周波数(IF)の振動でホットスポットサイズが増減することで、インピーダンスが変化し、IF信号出力が生成されます。HEBMの動作上限周波数はその構造・寸法にのみ制限を受け、数十THzまでのミキサ動作も可能であると考えられています。
通常、HEBMを含むボロメータの微細化は、検出器の高感度化と共にIF帯域の広帯域化に有効です。しかし、HEBMの微細化には、解決すべき課題がありました。超伝導ストリップと両電極とは、確実な電気的接触を確保するために、金属電極が超伝導ストリップ上に重なっています(図1(a)、図2(a)参照)。しかし、この重なり領域の下部にある超伝導ストリップは、通常ミキサ動作温度においても超伝導状態にあります。そのため、この領域からの超伝導近接効果が、ホットスポット形成に対して抑制に働き、ミキサ性能を低下させ、さらにはHEBMの微細化を阻害していると考えました(図2(a)参照)。そこで、我々は、重なり領域に存在する超伝導性の抑圧を目指し、超伝導-金属電極薄膜間に磁性材料であるニッケル(Ni)薄膜を挿入、これにより同領域の常伝導化に成功し、電極間の超伝導ストリップにのみ超伝導性を残す、NICT独自の新たなHEBM構造を考案・開発しました(図2(b)参照)。この新構造により、HEBMの更なる微細化が可能となりました。
今回、超伝導ストリップ長0.1 μmの微小HEBMを作製し、測定周波数2 THzにおいて、入力光学系の損失を補正したミキサ雑音温度としてTrx=570 K(DSB)が得られました。これは、量子雑音限界の約6倍の極低雑音動作です。また、IF帯域幅評価では、実際の動作周波数である2 THzを用いたIF帯域評価系を構築し(図3参照)、測定されたIF帯域幅は、従来構造のHEBMと比べて約3 GHz拡大した約6.9 GHzを示し、磁性材料を用いた新HEBM構造が、性能向上に有効であることを確認しました(図4参照)。これらの結果は、実際の動作温度である4 Kで評価した結果であり、テラヘルツ帯HEBMとしては、共に世界トップレベルの性能にあります。
図3
図3 2 THz帯HEBMのIF帯域評価系
図4
図4 Ni-HEBMのIF帯域評価

用語解説

ヘテロダイン受信機
ヘテロダイン受信機の動作概要
ヘテロダイン受信機の動作概要
[画像クリックで拡大表示]
ダイオードなど非線形特性を有する素子(ミキサ)に、測定対象である信号電磁波(Sig)と、周波数が既知で安定した参照電磁波(LO)を同時に照射することで、SigとLOの差の周波数である中間周波数(IF)の電気信号(IF信号)に周波数変換する受信機である。このIF信号には、元の信号電磁波の振幅・位相など情報が保持されている。THz帯周波数領域のように周波数が高く、増幅など直接取扱いが困難な信号情報を、マイクロ波帯など取扱いが容易な周波数帯の信号に変換する同受信機は、THz帯電磁波の利活用において重要な技術である。
IF帯域
ヘテロダイン受信機において、高い周波数の信号電磁波を、低い周波数のIF信号に変換した際、元の信号情報を保持しているIF信号の周波数領域をIF帯域という。このIF帯域の周波数幅は、一度に観測・処理できる情報量を意味し、そのため、IF帯域幅の拡大は、応用上メリットが大きい。
量子雑音限界
ヘテロダイン受信機は、信号電磁波の位相と振幅を同時に測定する。しかし、不確定性原理の制約から、それぞれの測定精度をいくらでも高くすることができず、信号電磁波の光子1個程度の揺らぎ(hf)に対応する雑音は不可避である(hはプランク定数、fは周波数)。これを量子雑音限界と呼び、その雑音温度はT=hf/kで表される(kはボルツマン定数)。ヘテロダイン受信機の雑音温度が量子雑音限界の数倍程度の場合、極めて低雑音であると考えられている。
未開拓周波数領域
電磁波の利活用と未開拓周波数領域
電磁波の利活用と未開拓周波数領域
[画像クリックで拡大表示]
光と電波の境界領域にある0.1~10 THzのテラヘルツ周波数領域は、他の周波数領域と比べ、発振源(光源)や検出器など基盤技術の開発が困難であったため、今日、産業的にあまり利用されていない周波数領域である。そのため“未開拓周波数領域”と呼ばれていた。今後、超高速通信やリモートセンシングなど様々な産業応用を実現する新たな周波数資源として、研究・開発が積極的に進められている周波数領域である。
超伝導SISミキサ
二つの超伝導薄膜で、極薄の絶縁体を挟んだ超伝導(Superconductor)/絶縁体(Insulator)/超伝導(Superconductor)積層構造の二端子素子を超伝導SIS接合と呼ぶ。この超伝導SIS接合に流れる電流は、極めて強い非線形性を示すことが知られており、この非線形性を電磁波検出に利用したミキサ素子が超伝導SISミキサである。現在、同ミキサは、1 THzまでの周波数領域において、最も低雑音で広IF帯域の優れた特性を報告している。しかし、その構造に起因する比較的大きな接合容量から、動作周波数帯での同調回路が不可欠であった。この同調回路には極低損失導体特性が必要で、主に超伝導薄膜材料が用いられてきた。しかし、超伝導には、超伝導転移温度に起因し、極低損失特性の上限を決めるギャップ周波数が存在するため、このギャップ周波数が超伝導SISミキサの上限周波数を決定し、現状では1.5 THz以上の超伝導SISミキサの実現は困難であると考えられている。
ボロメータ
電気抵抗の温度依存性が高い材料で入射電磁波を受け、その入射エネルギーがボロメータ温度を上昇、抵抗の変化として入射電磁波を計測する電磁波検出器である。ボロメータの微細化は、直接熱容量を減少させ、応答速度の向上(広IF帯域化)につながる。同時に、温度変化に対する必要なエネルギーが減少することで、検出器の高感度化にも働く。
超伝導近接効果
超伝導体と金属など常伝導体とを接合した場合、超伝導電流のキャリアである超伝導電子対が常伝導体側に浸み出し、常伝導体が超伝導性を示す現象のこと。HEBMに電磁波を照射した場合、照射電力により超伝導ストリップ内の電子温度が上昇し、超伝導転移温度(Tc)を越えた領域が常伝導領域(ホットスポット)になる(図1(a)参照)。
このホットスポットは、超伝導ストリップ内にあっても“常伝導体”とみなすことができる。そのため、接触している周囲の超伝導領域から、ホットスポットは超伝導近接効果による超伝導電子対の浸出しを受ける。ここで、金属電極下の重なり領域に存在する超伝導領域は、金属によるシールド効果により電磁波照射による抑圧を直接受けないため、結果としてこの領域からの超伝導近接効果は、安定してホットスポット形成に対して抑制に働くと考えている。このことは、ミキサ感度の低下を招き、また、HEBMの微細化に伴って、その影響は増大すると予想している。

本件に関する問合せ先

未来ICT研究所
フロンティア創造総合研究室

川上 彰

Tel: 078-969-2193

E-mail: kawakamiアットマークnict.go.jp

広報(取材受付)

広報部 報道室

廣田 幸子

Tel: 042-327-6923

E-mail: publicityアットマークnict.go.jp