タイトル 世界最高速HEMT(高電子移動度トランジスタ)を開発
松井 敏明

はじめに
  機能的で快適な新しい高速無線ネットワークシステムを実現するためには、高機能デバイスの開発と、それに基づく新しい装置技術の開発が必要です。コインサイズのミリ波センサーやカードサイズのミリ波通信装置(図1)の実現は一つの重要な技術目標となっています。
図1 手のひらに乗るミリ波装置
 一方、パーソナルコンピュータによるインターネットや電子メールの普及は、職場での仕事に少なからず変化を与え、新しい通信や情報収集手段として一般化しています。最近では、インターネットに関連した話題が新聞・雑誌の中で頻繁に取り上げられ、単に新しい通信技術の発展としてではなく、社会生活に密着した新しい動きとして注目されています。さらに携帯電話やPHSでは、電子メール機能のサービスが開始され、手軽な通信手段として若者の間で急速に普及しています。見方を変えれば、無線通信技術が社会一般にこれほど身近な技術として利用されるようになったのは、歴史上、初めてのことです。


ミリ波帯通信装置
 ミリ波の研究開発は比較的早い時期に開始され、すでに30年ほど前には基本技術が確立されました。天文学の分野では宇宙観測に用いられ、分子化学や材料研究等の基礎科学の分野でも古くから利用されています。
 しかし、従来の技術が金属導波管技術を中心とする立体的な回路を基本とする装置構成であったため、ミリ波の波長が短い割に、装置は大きく、重く高価なものでした。そのため、一般へのミリ波の利用は進んでいませんでした。 しかし、将来の通信システムとして要求される超高速通信特性とコストの安いサービスを確保するためには、十分な周波数帯域を持つミリ波を有効利用することが重要です。
 ミリ波の普及には、ミリ波装置の高性能化と同時に、小型・軽量で、量産による低コスト化を可能とするミリ波装置に関する研究開発を行う必要があります。通信総合研究所では、装置の小型・軽量化と、実用的で低コスト化にも対応するために、ミリ波薄膜デバイスや、平面アンテナを含む薄膜回路部品の設計・試作、及び試験・評価を一環して進める事のできる施設を整備してきました。更に、薄膜集積回路技術に基づく実用的なミリ波装置の研究開発の鍵となるミリ波帯で働くトランジスタの研究開発を進めてきました。

ミリ波トランジスタ
  トランジスタの信号電流の増幅率は通常周波数の増加に反比例して低下するため、ミリ波の高い周波数で十分な増幅特性を持つトランジスタの実現には高度な薄膜プロセス技術が必要とされます。
図2 ミリ波トランジスタの役割
ミリ波のトランジスタは、微弱なミリ波の信号を増幅し、大きな振幅の信号にしたり(図2a)、直接ミリ波の発振を起こさせることができます。また、通信に必要な二つの異なる周波数を合成し、ミリ波帯の異なる信号を発生させたり(図2b)、さらに、受信したミリ波信号と近い周波数の信号(局部発振信号)を同時に混合し、周波数の差の成分を取り出すことで(図2c)、低い周波数への変換を行うこともできます。そのほかに、入力周波数の2倍波や3倍波を発生させるミリ波の逓倍器としても使える他、超高速のスイッチ素子として利用できるなど、ミリ波トランジスタはミリ波技術研究の鍵となる重要なデバイスです。
  また、ミリ波帯では、ミリ波の伝送路中での損失の他、伝送路の変換部、接続部での損失が大きく、アンテナ部とミリ波送受信回路との一体化技術は装置性能を左右する重要な技術であり、ミリ波の薄膜集積回路とアンテナの集積一体化技術は、新しいタイプのミリ波装置の基本構成として最も重要な技術課題の一つとなっています。

世界最高速HEMTの開発
 HEMT(High Electron Mobility Transistor)(高電子移動度トランジスタ)は、ミリ波周波数帯の実用化と将来の超高速通信システムの実現には、欠くことのできない重要な半導体素子です。
図3 HEMT(高電子移動度トランジスタ)の構造
前述のように、ミリ波周波数帯を有効に利用するためには高い周波数のミリ波で働くトランジスタは重要なキーデバイスですが、実際には十分な技術開発が進んでいませんでした。当研究室では、98年4月以来、富士通株式会社LSI事業本部の三村高志本部長付、及び大阪大学大学院基礎工学研究科の冷水佐壽教授らの研究グループとの共同研究により、ミリ波周波数帯全域で実用できるHEMTの開発を進めてきましたが、昨年末、増幅限界周波数が362GHzの世界最高速の実用トランジスタの開発に成功しました。

図4 電流利得の周波数特性
 今回開発したHEMTは、半導体材料として光素子及び高速素子への適用に優れているインジウム・リン基板を用い、電子が高速走行する層にはインジウム・ガリウム・ヒ素を用いています。また、高速性を支配する微細ゲート形成には、電子ビーム露光技術を用い、図3に示す様な、低抵抗T型ゲート構造を最適化することで寄生容量を小さくし、素子の高速性能を向上させました。これにより、増幅限界周波数(遷移周波数)として“fT=362GHz”の実用HEMTとして世界最高速の値(図4)を得ることができました。 最高速記録は、92年に米国ヒューズ社から発表された50nmゲート長素子による340GHzから、一昨年(98年)、NTTの30nmゲート長素子による350GHzと塗り替えられてきましたが、今回、よりシンプルな工程により実用レベルの50nmゲートを用いたにもかかわらず、これらを上回る良好な値を得ることができ、また、安定した性能が得られる様になっています。

今後の発展
 今後は、より高速のHEMTの実現を目指すほか、ミリ波帯の新機能デバイス研究を進める予定です。また、このたびのHEMT技術の成果である優れた高周波特性を生かし、60〜200GHz帯の新しいミリ波通信デバイス技術研究を行い、超広帯域のミリ波増幅器や、カードサイズのミリ波通信装置など、各種の実用的なミリ波技術の開発を進める予定です。さらに、ミリ波・サブミリ波天文学や地球環境のリモートセンシング分野をはじめ、多くの基礎科学技術分野への応用が期待されます。

注)HEMTは、1980年、富士通研究所の三村高志、冷水佐壽(現大阪大学大学院教授)らによって開発された高速のトランジスタであり、現在までに、BSやCS等の衛星放送受信機等に実用化されています。

(横須賀無線通信研究センター通信デバイス研究室長)



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