RESEARCH
ダイニン分子の優雅なダンス
大岩 和弘(おおいわ かずひろ)
生体物性グループ
グループリーダー

1983年 東京大学理学部卒業、1988年 同大学院理学系研究科動物学専攻博士課程修了(理学博士)。 同年、帝京大学医学部助手、講師を経て1993年CRLに入所。以来タンパク質モーターの単一分子計測研究に従事。1993年−1994年、英国国立医学研究所客員研究員。2000年-現在、姫路工業大学客員教授。
大岩 和弘氏
繊毛・鞭毛
図1 繊毛・鞭毛の構造
図1
繊毛・鞭毛の構造

 繊毛・鞭毛は様々な細胞が持っている細胞小器官の一つで、美しい波打ち運動をすることでよく知られています。人体においても様々な機能に関わり、生命の維持には欠くことができないものです。この繊毛・鞭毛は、割り箸を束ねたような構造を持っています。中央に2本の微小管(中心対微小管)、9本の微小管(周辺微小管)がそれを取り囲むように並んで、鞭毛全長に伸びています。この構造は“9+2構造”と呼ばれ、ほとんどの生物の繊毛・鞭毛に共通してみられます。ナノメートルサイズの構成要素(タンパク質)からできあがったマイクロメートルサイズの精密機械が繊毛・鞭毛です。周辺微小管から隣の微小管に突き出しているのがダイニン腕と呼ばれる構造で、内と外の2列が微小管の上に規則的に配列しています(図1)。このダイニン腕はダイニンというタンパク質が複数集まってできた複合体で、隣の周辺微小管との間で滑りを生じて鞭毛の屈曲を作り出します。私たちのグループでは、このダイニンを対象に、これが持つ情報処理機構を明らかにしてバイオナノ情報素子として利用するための技術基盤を創ろうとしています。

首振りモデル
 ダイニンは、生物の運動を作り出す一群のタンパク質「タンパク質モーター」の一つです。筋肉で活躍するミオシンや、細胞内の運び屋・キネシンなどがこの仲間です。タンパク質モーターは大きさ数十ナノメートルの「エネルギー変換器」であり、生物共通のエネルギー通貨である化学物質「ATP」を加水分解することによって得られる化学エネルギーを、タンパク質フィラメント(アクチンや微小管)との滑りという力学エネルギーに直接変換します。このエネルギー変換は、ATP加水分解に伴うタンパク質分子の構造変化で行なわれるとされており、理論モデルがいくつか提唱されています。骨格筋ミオシンで提唱された「首振りモデル」が特に有名です(図2)。ミオシンやキネシンでは機能・構造解析は大変良く進んでいます。このため、ATP加水分解に伴う構造変化の具体的なモデルができあがり、上述の「首振りモデル」が支持されています。
図2 タンパク質モーターにおけるATP加水分解とタンパク質フィラメントの滑り運動との共役モデル
図2
タンパク質モーターにおけるATP加水分解とタンパク質フィラメントの滑り運動との共役モデル
加水分解産物を放出後、フィラメントとモーターは強い結合状態にある(A)。このモーターにATPが結合するとフィラメントから解離する(B)。ATPはモーター上で加水分解され、モーターは構造変化を起こして、パワーストローク前の状態に入る(C)。モーターはフィラメントの新しい結合部位に再結合する(D)。加水分解産物の放出が、フィラメントとの結合によって加速され、この放出に伴って、モーターは大きな構造変化(パワーストローク)を行ない、フィラメントはこれに伴って滑り運動する(D-A)。

 一方、ダイニンはミオシンやキネシンに比べて巨大な分子であり複雑な分子構築を持つことから、運動に関係した構造変化は明らかになっていません。数年前、私たちを含めていくつかの日本の研究グループが、わずか1つのダイニン分子を光学顕微鏡の下で捕まえて、その力や運動の様子を詳細に測定することに成功しました。この測定によって、ダイニンがナノメートルという微小なサイズにもかかわらず、外界からの力学的な負荷を感知し、発生する力や移動距離を自ら調整するインテリジェンスな機能を一分子の中に持つこと、ダイニンがキネシンやミオシンとは異なる運動特性を持つことが明らかになっていますが、ダイニンの分子構造に関する情報は明らかに不足していました。
 タンパク質の分子構造変化を調べる際の最も強力な方法の一つが電子顕微鏡です。タンパク質溶液を用いた生化学的手法が、多数の分子の平均化された特性を主に扱うのに対して、電子顕微鏡観察ではタンパク質分子一つ一つを観察できるので、分子構造の詳細や不均一性を議論することができます。この利点を生かして、私たちと英国・リーズ大学のグループは共同で、植物プランクトン・クラミドモナスの鞭毛から精製したダイニンの分子形態を電子顕微鏡で詳細に観察・解析することにしました。

電子顕微鏡によるダイニン分子の観察
図3 ダイニン分子の示す様々な分子形態
図3
ダイニン分子の示す様々な分子形態
ドーナッツ状の頭部と2本の突起が観察される。
 タンパク質は主に水素・炭素・窒素・酸素原子からできあがっているので、電子密度は金属原子ほど高くありません。このため、タンパク質だけではコントラストの高い電子顕微鏡像を得ることはできません。そこで、砂浜に足跡をつけるのに似た手法を用いて像のコントラストを向上させます。まず、酢酸ウランなどを使って重金属原子の砂浜を作ります。そこにダイニン分子を押し付けると、ダイニン分子表面の凸凹が砂の上に残ります。この凸凹跡を電子顕微鏡で観察するのです。私たちは、この手法に加えて詳細な画像解析を行なうことで、世界ではじめてダイニン分子の構造を2ナノメートルの精度で明らかにすることができました(図3)。
 ダイニンは全長40-45ナノメートルの巨大な分子で、ドーナツ状の頭部を持っていました。ダイニンの顔つきは複雑で、裏と表との2つの顔を持っていました。また、頭部からは2つの突起が出ていて、それぞれが柔軟にさまざまな程度にたわんでいました。観察されたダイニン分子を一つずつ並べてみると、まるで優雅にダンスを踊っているように見えます(図3)。
図4 ダイニンのパワーストロークモデル
図4
ダイニンのパワーストロークモデル

 さて、「首振りモデル」が示すような運動に関係する構造変化は果たして、ダイニンで観察できるのでしょうか。ATPの加水分解前後にダイニンに生じる構造変化を電子顕微鏡で観察すると、その答えが得られるはずです。そこで、パワーストロークを行なう前の状態(図2D)とパワーストローク後の状態(図2A)を実験的に作り出して、それぞれの状態の分子像を詳細に比較検討しました。その結果、分子全体で約15nmにも及ぶ大きな構造変化がダイニン分子内に生じることが明らかになりました(図4)。この構造変化は、これまで予想されていた小さな領域(ドメイン)での構造変化ではなく、複数のドメイン間の相互作用が大きく変化して生じるものと考えられます。私たちは、この結果を基に作業仮説としての「ダイニンのパワーストロークモデル」を提唱してNatureに論文発表しました。
 この成果はダイニンの運動機構解明という生物物理学上の大きな研究課題にとって重要な知見を含んでいます。これまでに私たちが明らかにしたダイニンの力学特性に加えて、ダイニンの構造変化を詳細に記載したことで、生体ナノマシン・ダイニンの運動機構の解明が一気に進むものと期待されます。




Web <独立行政法人 通信総合研究所ホームページ「生体物性グループ>
http://www-karc.crl.go.jp/d331/index.html
<英国 リーズ大学>
http://www.leeds.ac.uk/bms/research/muscle/dynein/