「きく6号」を用いた日米共同光通信実験


有本 好徳



1.はじめに

 通信総合研究所(CRL)及び米国ジェット推進研究所(JPL)は、宇宙開発事業団(NASDA)を始めとする関係機関の協力を得て、技術試験衛星VI型「ETS-VI:きく6号」に搭載された光通信基礎実験装置(LCE)とJPLの地上局との間で日米共同光通信実験を実施した。

 実験は、1995年10月30日から1996年1月13日までのおよそ2ヶ月半にわたって3日おきに行われた。最初に双方向の光リンクの設定が成功したのは1995年11月8日である。JPLの光学地上局の口径0.6mの送信望遠鏡よりビーム幅0.001度のレーザ光をETS-VIに向けて送信した。送信レーザ光は、日本時間の21時43分(JPLでは同日の早朝)に衛星で正常に受信され、衛星に搭載されたLCEの光受信機により精密な追尾が行われた。この追尾角をもとに衛星からも地球局に向けてビーム幅0.002度のレーザ光を送信し、送信望遠鏡の近くにある口径1.2mの望遠鏡で受信することができた。地上から送信したレーザ光は40,000km離れた衛星の位置でも800m程度の広がりしかない。このためレーザ通信を行うためには、東京から富士山頂にある直径2mの円板にレーザ光を当てるのと同等以上の精度が必要である。

 本実験の成功は、ETS-VIを用いたCRLとJPLとの共同実験の第1段階に当たるものである。CRL単独での実験に続いて実施されたこの日米共同実験により、ETS-VIを用いた光通信の実験機会が増加し、多くの有効なデータが得られたほか、宇宙通信分野における国際的な協力を進めることができ、将来の衛星間あるいは衛星と地上間のレーザ通信の実現に大きく一歩を踏み出すことができた。


JPLのテーブルマウンテン (TMF) にあるレーザ送信望遠鏡(口径 60cm)



2.実験実施までの経緯

 ETS-VIは平成6年(1994年)8月28日に打ち上げ後、アポジエンジンの不具合のため静止軌道投入までには至らなかったものの、現在も3日回帰の長楕円軌道を周回しており、3日おきに約3時間程度の通信実験が行われてきた。CRLでも平成6年12月7日に東京都小金井市にある地上光学局との間で世界最初の双方向光伝送実験に成功するなど、搭載機器の基本性能の確認や通信実験等により種々の実験成果をあげている。今回の日米共同実験は、衛星が周回軌道に投入されたことに伴い、日本のみならず米国からも衛星搭載中継器を用いた通信実験が可能となったため実現できたものである。

 本共同実験の発端は平成6年12月1日に開かれた日本およびNASA間の「宇宙協力活動計画会合」(SSLG計画会合)であり、CRL側から全体会議において日米協力による光通信実験の提案を行った。米国には光宇宙通信の研究を行っている研究機関が数多く存在する。例えば、JPL、MIT及びNASAでは20年以上にわたって研究を行っており、地上と衛星との間でレーザ光を用いた通信実験が可能な施設を有している。特にJPLは、深宇宙探査機からの光通信信号の受信に、地上の大型望遠鏡を用いることを計画しており、ETS-VIを用いた実験により地上受信システムに関する貴重なデータが得られると期待された。また、CRLではAdaptive Optics (AO)の光通信に対する応用についての研究を進めているが、米国はAOに関して技術的に最も進んた技術を保有しており、共同実験によりAOの光通信への予備実験が早期に可能となると考えられた。
以上の提案に対して、 NASAのDr. Wesley Huntress宇宙科学技術局長より、「非常に興味深い提案であり米国としても積極的に検討したい」とのコメントが、科学技術庁の沖村研究開発局長より「CRL及びJPLの担当者間で実験の可能性について検討を進めるように」との発言があり、双方の担当者間で実験の具体化についての検討を行うことが合意された。

 しかしながら、ETS-VIの通信実験開始当初は、衛星の太陽電池の劣化による寿命が1995年の秋頃までと予測されていたこと、NASAの緊縮予算等のため、平成7年3月の時点ではJPLの担当者からの共同実験は難しいとの情報もあったが、衛星の寿命予測が1996年の1月ごろまでと好転したこと、および、JPLの実験担当者をCRLに招聘する等のCRL側の積極的な働きかけにより、JPL(NASA)も実験に対して積極的な態度を示しはじめた。平成7年7月に、NASAはJPLの地上光学施設にETS-VIの実験に必要な改修を行うための費用を認め、共同光通信実験が可能となった。これを受けて、NASDAとの日米共同実験についての調整、NASAとの合意文書の交換等の手続きを経て、10月30日から実験を開始するに至った。



3.実験実施状況

 実験に参加したJPLの地上光学局は、カリフォルニア州ライトウッド(Wrightwood)近郊の標高2300mの山頂にあり、テーブルマウンテン地上局(TMF:Table Mountain Facility)と呼ばれている。ここにある望遠鏡は、1967年に行われた月探査機サーベイヤ7号へのレーザ伝送や、1992年12月に行われたガリレオ探査機への6,000,000kmにわたるレーザ伝送等の歴史的な実験に用いられてきた。地上局の標高が高いため、CRLの地球局に比べて大気ゆらぎによるアップリンクのレーザ光のレベル変動が少なく、CRLよりも良好な環境の下で光通信実験が実施できる。地上局の位置と平成7年11月末における衛星軌道の地表面軌跡を図1に示す。




図1.ETS-VIの地表面軌跡と共同実験が可能な領域


平成7年11月26日から3日間の予測を示す。1時間おきにマーカを表示している。

*1=JPLの地上局
*2=JPL地球局から光通信実験ができる領域


 共同実験を進めるためには、 ETS-VIに搭載されているLCEの光アンテナの方向を米国カリフォルニアにあるJPL地上局に向けることが必要となる。このため衛星姿勢バイアスを実時間で制御する特別な姿勢運用を行う。図2にETS-VIからTMFを見たときの指向角の変化を示す。衛星の姿勢オフセットは±2度まで可能であり、図の正方形の領域内であれば衛星の姿勢を傾けることにより光アンテナをTMFに向けることができる。ところが、事前検討の結果、予想していたよりも指向方向のオフセットが大きく、LCEの指向角を限界に近い±1.0度振ったとしても、十分な実験時間が確保できないことがわかった。実験を開始した10月下旬には実験時間は約3時間であり時間と共に減少しつつあったが、11月末にJPLの実験時間を増加させるための軌道制御をNASDAに依頼し、12月8日からは4〜5時間の実験時間を確保することができた。






図2.ETS-VIから地上局を見たときの指向角の変化


The area of satellite attitude biasing control

*1= Attitude Control System (ACS) of ETS-VI
*2= LCE's gimbal + ACS

Satellite pass :
1995 November 26
10:28~13:30 (UT)

Marker: 1 hour


 以上に述べた衛星の姿勢バイアス運用を含む米国上空における搭載機器のテレメトリコマンド運用は、JPLとCRL及びNASDAの密接な連携の下に実施された。実験実施体 制を図3に示す。ETS-VIが米国上空にさしかかったときに、NASDAが、筑波宇宙センターから米国カリフォルニアにあるNASAゴールドストーン局を経由して衛星の管制運用を行い、一方、CRLの小金井にある地上施設からは筑波宇宙センター、ゴールドストーン局を経由してLCEの実験運用を行った。また、TMFにおける実験モニタのため、CRLで工学値変換されたLCEのテレメトリ情報を国際ISDN回線を用いてJPLに伝送した。






図3.日米共同実験の実施体制


 平成7年10月30日から平成8年1月13日までの実験期間で実際に実験を実施したのは15回、このうち光リンクの確立に成功したのは13回であった。また、この間のLCEの運用時間は68時間40分であった。平成7年11月8日に初めて光リンクの初期捕捉に成功した。その後は、地上局の調整や衛星の運用方法の最適化を行ったことにより、天候による実験中止を除けばすべての実験で短時間での初期捕捉に成功している。ただし、実験の後半に当たる12月末から1月にかけては、JPLの実験時間中にLCEの急激な温度上昇が見られ、実験を一時中断する場合もあり、テレメトリの警告を見ながら搭載機器の無事を祈りつつ実験を行わざるを得なかった事もあった。



4.実験結果の概要

 共同実験においてJPLが設定した実験の目的は、次のようなものであった。

・ 衛星との間で双方向の光リンクが設定できることを実証すること。
・ 片方向あるいは双方向の光データ伝送を行いビット誤り率(BER)特性を取得すること。
・ 光リンクの設計手法を確立し、TMFにある大気透過率測定システム(AVM)との比較を行うこと。
・ 10m精度の光測距を行うこと。

以上のうち、最後にあげられている光測距実験を除けば、すべての項目についてのデータが第1期の実験で取得できた。






図4.JPL地上局からのアップリンクレーザ光の強度変化


 図4にLCEの粗追尾用CCDセンサ及び精追尾用4象限検出器で受信したJPL地上局からのレーザ光の強度変化を示す。縦軸はレーザ光の強度、横軸は時間を表しており、受光レベルの変動は残っているものの、CRL実験よりも受信レベルは安定している。これによってLCEの追尾系の長時間にわたる安定な動作が可能となり、衛星からのダウンリンク光を正確に地上局へ向けることができた。実際にJPL地上局でもダウンリンクのレーザ光が確認された。

 さらに、ダウンリンク光に1.024Mbpsの強度変調を加えて、LCEの受信光強度、追尾誤差信号等の内部情報を伝送する(E2データ伝送)実験も行われた。








図5.光ダウンリンクによるLCEのテレメトリデータ(E2データ)

 図5はJPL地上局で受信・復調したE2データの一例である。LCEの内部情報は2ms毎に1ビット当たり8個の光信号の繰り返しに変換されて地上に伝送されるので、図でも8個ずつ1あるいは0が現れている。この情報をもとにダウンリンクのビット誤り率の評価や、LCEの内部動作状態の詳細な解析評価を行うことができる。例えば、図の中央下に1ビットの誤りが1個所だけ現れているが、図には1710ビットが表示されているので、この場合の誤り率は6×10-4以下であったことがわかる。E2データにはアップリンクの誤り率も含まれているので、解析が進めば0.1秒間隔の誤り率変動データが得られる。なお、既にアップリンクについては短時間であれば10-3以下の誤り率が得られることがわかっている。

 本実験は、初めて光衛星通信 リンクを実用的に使用したものであり、衛星に用意されているSバンドを用いたテレメトリコマンド回線ではできなかった高速データ伝送を光リンクを用いて実現した最初の成果である。


4. おわりに

 第1期の実験は平成8年1月13日に終了したが、幸いにも筆者はその日にテーブルマウンテンに出向き、最後の実験に参加することができた。JPLでは10人以上の体制で3日毎の実験を実施してきたが、当日は実験スタッフ及びその家族の慰労をかねて実験成功を祝うパーティが催された。席上、各担当に感謝状が授与されたが、日本側についても筆者とCRL側の実験実施の主担当である荒木室長に感謝状が用意されていた。写真1は、その際のJPLの実験推進に当たった主要メンバーである。左が実施担当のKeith Wilson、中央が総括担当のJim Lesh、右が企画担当のChad Edwardsである。

 現在、第2期の実験に向けての検討・調整をすすめており、本ニュースが印刷されるころには実験が開始できているかもしれない。第2期はCRL単独実験に引き続いて主に昼間でも上記の実験が可能であることを実証したいと考えている。

 本実験はETS-VIの運用管制を担当している宇宙開発事業団の協力により達成できたものであり、 ETS-VIグループ、中央追跡管制所の関係各位の努力に深く感謝する。
また、実験を進めるに当たり所内の関係者にも大変お世話になった。特に、COEプロジェクトの有賀第一特別研究室長には外国旅費のサポートを頂いた。これらの方々の努力によって本実験が成功したといえよう。


写真1.JPLの主要実験メンバー(左からKeith Wilson, Jim Lesh, Chad Edwards)




(宇宙通信部 衛星間通信研究室)