関西支所 コヒーレンス技術研究室
はじめに
レーザー(LASER---Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation)の光の波としての優れた性質は、その発明以来、多くの研究者を魅了し続けてきた。だが、最先端分野に携わる研究者達を満足させるには、あまり「きれいな波」とは言えない時代が続いた。ある著名な物理学者は、Light And Signal Emitted Randomly---LASERと言って嘆いたという話もある。幸いにも最近では、レーザー装置及び関連した制御安定化技術等の急速な発展に伴い、非常に安定で雑音の少ないレーザー光を発生させることが可能となってきている。そして最先端の科学技術分野では、より安定で雑音の少ないレーザーへの需要が着実に高まっている。しかし、理論家が言うコヒーレント状態の光、すなわち理想的に「きれいな波」の光を発生するようなレーザー装置が完成したとしてもそこには量子雑音と呼ばれる不可避な雑音が存在し、最先端の光通信や高精度な光計測の分野で量子限界として一つの妨げになってくる。量子雑音は量子力学の不確定性原理に起因するものであるが、この原理の範囲内で雑音を再分配して量子雑音を抑圧すること(スクイージング)が可能である。このような光はスクイーズド光と呼ばれており、21世紀の光を用いた科学技術分野の発展へのブレークスルーとなる要素技術の一つと考えられる。コヒーレンス技術研究室では以前に連続波の真空場スクイーズド光の発生に成功していたが、今回、仏国Kastler-Brossel研究所との共同でカスケーディング非線形効果と呼ばれる新しい物理過程を初めて量子雑音の世界に適用し、連続波ブライトスクイーズド光を発生させることに成功した。
ブライトスクイーズド光
図1 位相空間 (q, p) における量子雑音
真空場のスクイーズド光はそれ自身パワー成分を持たない光であったが、ブライトスクイーズド光はパワー成分を持ち且つ量子雑音が抑圧された光である。図1はスクイーズド光の説明によく使われる位相空間における量子雑音の描写である。光の電場を正弦および余弦関数を用いて直交位相表示した時の各成分が (q, p) となる。量子力学の不確定性原理は光の世界において、位相空間上の各座標軸成分の揺らぎの積の広がりとして表現されるのである。コヒーレント状態では各成分の揺らぎが等しく、揺らぎの広がりは位相空間上で丸くなる。真空場はコヒーレント状態の一種でパワーすなわち振幅成分を持たない自然に存在する場であり、原点上の丸い揺らぎとして描写されることになる。そして、スクイーズド状態では揺らぎが歪んで楕円状に広がった揺らぎとなる。さて、ブライトスクイーズド光は強烈なパルスレーザー光を用いて三次の非線形光学効果χ
(3)
による光カー効果を用いて発生させることができる。光カー媒質に入射されたコヒーレント光は、図1(b)に示すように光の強度に応じた非線形位相シフトを受けるため、揺らぎの状態が歪み、ブライトスクイーズド状態になる。
カスケーディング非線形効果によるスクイージング
従来のχ
(3)
は非線形光学定数が小さいために、連続波(CW)のレーザー光で用いるには不向きであった。我々の研究グループは二次の非線形光学効果χ
(2)
による二つの過程を一つの非線形結晶内で同時に発生させてカスケーディングさせるχ
(2)
:χ
(2)
過程により等価的に三次の非線形光学効果χ
(3)
を得ることができることに着目し、この効果を用いて量子雑音を歪ませ抑圧することができた。すなわち、量子雑音の世界で、
図2 三波共鳴型セミモノリシック光パラメトリック発振器内の
実験では、図2に示すように光パラメトリック発振器内でχ
(2)
パラメトリック過程とχ
(2)
ミキシング過程をカスケーディングさせた。光パラメトリック発振器に入射したレーザー光(励起光)からパラメトリック過程を経てシグナル光とアイドラ光が発生する。この発生した二つの光のモードは光共振器内に閉じ込められたままミキシングを起こし、ポンプ光モードへ入射パワーに依存した位相シフトを与えるため、χ
(3)
と等価な効果が得られる。効率良いカスケーディング過程を作り出すために、超低発振しきい値の光パラメトリック発振器を開発するところからスタートした。KTPと呼ばれるχ
(2)
の大きな非線形光学結晶を用いて3波共鳴型セミモノリシック構造の光パラメトリック発振器を試作し、発振しきい値として世界で最も低い400μW(CW)が得られた。この光パラメトリック発振器内のカスケーディング過程で得られるブライトスクイーズド光について、量子力学的な量子雑音入出力モデルを導入して解析シミュレーションした結果、光パラメトリック発振器の光双安定現象が生じる近傍で、効率的なカスケーディング過程による大きなスクイージングが得られることが分かった。
スクイージングの観測
シミュレーションで得られた結果をもとに実験装置の改良を重ねて、光パラメトリック発振器を光双安定領域で安定化したところ、予測通りに連続波ブライトスクイーズド光を発生させることができた。波長532nmのレーザ光を6mWで入射してカスケーディング過程の後に得られる光を取り出したところ、同一波長で3mWの連続波ブライトスクイーズド光が得られた。スクイーズド光を検出するには、光バランスドホモダイン検出と呼ばれるテクニックを用いる。入射したレーザー光の一部をローカル光として、過剰雑音を避けながら量子雑音のみを位相検波するのである。図3は実験によるスクイージングの観測結果である。ローカル光の位相を変化させた時に、量子雑音(図の縦軸はコヒーレント状態の量子雑音で正規化している)が量子限界の上下に変動している。これは、図1で示しているように量子雑音が位相平面上で楕円形に分布して、その揺らぎの大きさが位相によって異なっていることに対応している。検出系の量子効率・光損失等を考慮すると、48%のスクイージングが得られていたことになる。
図3 観測されたスクイージング
おわりに
カスケーディング非線形効果を用いて実効的に大きなχ
(3)
を作り出すことにより、僅か数ミリワットのレーザ光での連続波ブライトスクイーズド光の発生が可能なことを理論解析と実験の両面で示し、一致した結果が得られた。解析によれば、非線形結晶の光損失と検出時の効率等の改善により、より大きなスクイージングが得られるものと期待できる。従来の非線形光学効果を用いた連続波スクイーズド光の発生では入射するレーザー光と発生するスクイーズド光の間に必ず光の波長変換を生じていたが、本方式では波長変換を伴わない自己励起方式となっている。よって、従来の方式のように波長の違う励起光源を別に用意する必要もないため、装置の構成がコンパクトになっている。また、入出力が同一波長なのでデバイスとしても使いやすいことから、将来の応用に有利と考えられる。
<用語の解説>
不確定性原理:
χ
(2)
過程とχ
(3)
過程:
光パラメトリック過程:
光カー効果:
KTP結晶:
光技術部長 光エレクトロニクス研究室
アスベスト問題の基礎知識
アスベストは天然産の繊維状鉱石であり、スレートなどの建築材、耐火材、ブレーキライニングなどの摩擦材等に用いられています。日本石綿協会の資料によると、現在も年間20万トン(1994年)が輸入されており、今後も引き続き使用されていくものと考えられます。しかし、アスベストの吸入によって、石綿肺、肺癌、中皮腫などの疾病を引き起こすため、その使用に対し厳しく管理、規制が行われています。
特に、最近は建築物の解体や改修時、老朽化した建築物、自動車のブレーキなどからの一般大気環境へのアスベスト粒子の飛散が心配されています。まだ、記憶に新しい阪神淡路大震災(1995年)では、損壊した建物からの飛散による大気中のアスベスト粒子濃度の増加が問題となりました。
現在、大気中のアスベスト粒子数濃度計測は、空気をろ過して粒子を捕集したフィルタを位相差顕微鏡で見て数える方法(PCM法)により主に行われていますが、この方法は計数を行う作業者によって測定結果にばらつきが生じ、また結果を出すまでに日数を要するため、正確で実時間計測が可能な手段の実現が期待されていました。
アスベスト粒子検出の原理
大気中の粒子(エアロゾル)をリアルタイムに検出する方法として、空気を吸引して管中を浮遊させて流したところにレーザ光を照射し、その散乱光を検出する方法があります。しかし、それだけでは、アスベスト粒子と他の粒子を識別することができません。
当所で今回開発した方法は、後方散乱に近い散乱角170度での散乱光の偏光がアスベストのような円柱状粒子と他の球状粒子で大きく異なるという、私達が光散乱理論より導いた原理に基づいています。即ち、アスベストのような円柱粒子では粒子の長軸方向に平行な偏光成分が強くなり、偏光が他の球粒子と逆の傾向を示すため粒子の識別が可能になります(図1)。この方法を実現するため、次節に述べる装置を開発しました。
浮遊アスベストのリアルタイム計測装置
開発した装置は、浮遊粒子を空気と共に吸引し、高電界によって配向させた粒子がレーザ光を横切るときに出す散乱光パルスの二つの偏光成分を、同時に測定することにより、アスベスト粒子を識別、計数するものです。浮遊アスベスト粒子を用いた実験で得られた散乱光パルスの二つの偏光成分の例を図2に示します。この図より、理論から期待される通り、粒子の長軸方向に平行な成分の強度が強くなっていることが分かります。また、この装置によってリアルタイムで測定された浮遊アスベスト粒子濃度は、従来のPCM法による測定結果とよく一致します(図3)。
浮遊アスベストリアルタイム計測の実用化に向けて
私達の開発した浮遊アスベストのリアルタイム計測法は非常に有効であることが確かめられましたので、現場でアスベスト汚染の監視に応用できるようなポータブル型の装置を試作しました(図4)。
アスベスト粒子のリアルタイム計測に用いることのできる装置としては、これまで米国で開発されたものが1種類あるだけでしたので、今回の開発によって、今後リアルタイム計測の実用化が進むことが期待できます。現在、進められている空気中の繊維状粒子測定法のJIS規格にも本方法を盛り込むことが検討されています。
図4 試作したポータブル型アスベストリアルタイムモニタ装置
おわりに
浮遊アスベストのリアルタイム計測装置の開発は、東洋大学工学部伊藤繁夫教授とエスコム株式会社と共同で行いましたので、その貢献に対して本年6月「電波の日」所長表彰が両者に贈られました。また、本研究に際しては地球環境計測部光計測研究室の協力も得ました。
光学的性質、形状やサイズの異なる粒子は、光散乱においてそれぞれ特有の性質を示すので、本装置で開発した手法は、レーザの波長や測定する散乱角、識別方法を変えることによって、アスベスト以外の微粒子の検出にも応用することが可能であると考えています。これらの研究は光エレクトロニクス技術の新しい応用を切り開くものです。
トム・ヘリング
KSPのVLBIシステムはリアルタイムで処理される唯一のものであります。SLRシステムがVLBI、GPSとあわせて近接して設置されていることも特徴的です。こうしたシステムは、これまで問題となってきた多くの地球科学の問題解決に向けた可能性を持っています。私は、地球の「安定性」を非常に重要な問題と考えています。地表の観測点の動きを我々は、リニアな動きと、時折発生する変位および地震後の動きとして理解していますが、GPSの観測からは地球の振る舞いはもっと複雑なものであると見られます。永年変動からの変位は一般に数百kmの広い領域で発生しているように見受けられます。しかし、これまでは2つの異なった測地システムで全く同じ変位を観察するということがほとんどできませんでした。こうした点で、KSPは活動的な地殻変動発生領域における貴重なシステムといえましょう。
KSPは、我々の測地システムおよび地球自身の理解を大いに深めるであろうと考えます。まず、このシステムを用い、それぞれの宇宙測地技術の結果からmmの確度で結果を得ることができます。そして、相互の詳細な比較により、システムおよび地球に関する多くのことが明らかとなるでしょう。また、VLBIにおいては、位相遅延を用いた手法を検討すべきでしょう。これにより遅延決定は10倍改善します。これによって観測局位置の推定精 度がどれほど改善するかを見るのは大変おもしろいと思います。GPSにおいては、VLBI、SLRの位置推定結果との比較や位相残差の詳細検討からアンテナの位相中心モデルを改善する事ができるでしょう。GPS計測の大きな問題として、GPSアンテナの位相中心の問題があげられます。SLRの場合、原理的にGPSとVLBIに対し、大気中の水蒸気による寄与が少ないことから優位性があります。また、GPSやVLBIのような間接的な計測に比べ、直接的な距離計測を行っている点も有利です。SLRにおける挑戦はこうした優位性にあります。今のところ、SLRの生み出す測地成果は内在する能力からして、GPSやVLBIの成果に比べて十分でないのが残念です。その理由を理解し、SLRの性能を高めることがまず第1です。繰り返しますが、KSPのシステムはこうした問題を解決できる他にはない特長を持っているのです。
どのシステムに対しても、日本の気象庁の10km分解能の大気データセットは宇宙測地技術における大気遅延の効果を研究するために有効です。もし、VLBI、SLR、GPSの答えがサイト間で一致しないなら、CRLはこの問題を理解し、そして解決する最も近道にいることになります。また、システム同士が1mmレベルで同じ結果をだしたなら、KSPはこれらのシステムで1mmよりさらに良い確度を追求できるかもしれません。 結局は、システムの運用と計測システムの冗長性が、地震発生の前後に起こると思われる現象を理解するのに役立つのだと思います。3種類の独立の手法による、地震前兆の検出ができれば、地震研究においてきわめて重要性を持ちます。もちろん、これらの信号は現在、小さすぎて検出できていませんが、KSPは複数の手段を持つことによりこの問題に挑むことができる特別な位置にいるのです。
最後に、今回のすばらしい貴所訪問に感謝するとともに、KSPから生み出される今後の偉大な成果を期待しています。
(註)原文は英語、和訳 吉野(第六研究チーム)
トム・ヘリング氏
アメリカMIT教授。
KSP:首都圏広域地殻変動観測計画
笠井 克幸
[χ
(2)
]2 = χ
(3)
となる方程式を実現できたのである。この方法を用いれば、非線形光学定数の大きなχ
(2)
材料を使って実効的に大きなχ
(3)
を作り出すことが可能であるため、パワーの小さいCWレーザー光でも量子雑音を歪ませてブライトスクイーズド光を発生させることが可能となる。
カスケーディング過程
量子力学の世界では位置と運動量を同時に完全に確定することはできず、各々の不確定さの積をある一定の値より小さくすることはできない。これは自然界で普遍的に成立している原理であり、光の世界では、その電場を直交位相表示した時(図1参照)の各成分を同時に確定することができないことに対応する。各々の成分の不確定さ(揺らぎ)の積には避けられない最小値が存在し、量子雑音の起源となっている。真空場は我々の周囲の自然界に普遍的に存在する最小不確定状態の場である。
物質に光を照射すると、原子または分子中の電子が光の電場により変位して分極が生じる。強いレーザ光を照射した場合、この分極が非線形な応答を示し光の電場の二乗、三乗に比例する二次、三次の非線形分極を引き起こす。その結果、光の第二高調波や第三高調波の発生等の過程が生じる。前者をχ
(2)
過程、後者をχ
(3)
過程と呼ぶ。χ
(2)
過程は非線形光学結晶などを用いることにより、CW(連続波)のレーザ光に対して比較的に大きな効果として得られる。χ
(3)
過程を得るには気体や光ファイバーなどが用いられるが、その効果は小さいめ、強いパルスレーザ光を必要とする。
χ
(2)
過程の一種で、非線形光学結晶にポンプ光(励起光)を入射した時に、ポンプ光周波数を分割した周波数のシグナル光とアイドラ光と呼ばれる二つの光が得られる過程である。この過程を利用した光パラメトリック発振器はチューナブルなコヒーレント光源としてパルスの領域で実用化されている。CW(連続波)での発振は、極めて難しい。
χ
(3)
過程の一種で、入射した光の強度に応じて屈折率が変化する効果。この効果により、光カー媒質を透過したレーザ光は光強度に依存した非線形位相シフトを受ける。
Potassium Titanyl Phosphate: KTiOPO4の単結晶で、代表的な非線形光学結晶の一つである。
廣本 宣久
光エレクトロニクス技術の研究は光を用いた通信・計測の基礎となるもので、その応用は多様で広範な分野に亘ります。ここに紹介する浮遊アスベストのリアルタイム計測装置の開発に関する研究は、当所の高い光エレクトロニクス技術を公 害防止技術の開発に適用したものです。この研究についての論文を米国光学会のApplied Optics誌に投稿した際には、査読者の個人的意見として、光技術の応用の非常に良い例であるというコメントをもらいました。
図1
アスベストのような円柱粒子と他の球粒子による散乱角 170度での散乱光の偏光度の違い(粒子の屈折率1.55、光の波長0.488μmとしたときの理論計算)
図2
レーザ光(波長633nm)の浮遊アスベスト粒子による散乱光パルスの2つの偏光成分の例。5個の例について示す。
図3
浮遊アスベスト粒子濃度の測定結果(環境庁による作業場敷地境界での規制基準は0.01個/cc、労働衛生管理のための管理濃度は2個/cc以下である)
(ARM1型機)
まず、今回のCRL訪問に感謝します。また、CRLの施設を見学し大変感銘を受けました。KSPは世界的にも稀なものであり、地球科学、近代測地学の大きな進展を担う可能性を持っています。
宇宙測地技術の第1人者であり、科学技術庁の交流
育成制度にて97年9月29日〜10月9日まで日本に滞在。
VLBI:超長基線電波干渉計
SLR:衛星レーザー測距