タイトル 通信総合研究所の恩人を偲んで
飯田 尚志

 通信総合研究所の前身である電波研究所は、昭和27年8月1日に設立されましたが、そのルーツは古く、明治24年に設置された電気試験所(所管が度々変更されています)と昭和17年4月に電波伝搬に関する研究を統一的に推進するため文部省に設置された電波物理研究所の流れを汲むものです。こうした流れの中で電波物理研究所にとって存亡をかけた重大な事件が起きました。それは昭和20年8月の第二次世界大戦の終結でした。
 当時電波物理研究所は電波伝搬の研究を通じて軍に協力していたという理由で、連合国軍総司令部(GHQ)から研究所の閉鎖を命ぜられるものと誰もが思っていました。GHQから1945年10月2日に臨検官として研究所を訪れたのは、同通信部に所属するDr. D. K. Bailey陸軍少佐でした。研究所の所長代理である前田研究官をはじめとする職員は緊張して準備をしていましたが、彼の臨検に臨む態度はお互い科学者として相手の研究を尊重するという謙虚なもので、戦勝国の臨検官という態度はなく、むしろ連合国に見られてはならない書類の焼却を文部省から命ぜられていたことに反して、それまで研究所が営々として蓄積してきた貴重なデータを焼却せずにいたことを賞賛しました。さらに研究所が電離層の研究を行う意志があるならばその手続きを行うという意志を表明したため、前田研究官より電離層の研究を今後も行いたい旨申し出ました。これにより、1945年10月10日付けの日本における電離層観測及びに関係研究の継続に関するGHQの覚書の中で、日本全土にわたる電離層の組織的観測並びに電波伝搬に関する研究を継続して行うこと、電波物理研究所は日本の電離層観測ならびにこれに関連する研究の中核となることや、従来の研究設備及び職員を転用してよいことなどが述べられ、研究所の存続が決定されました。
 このように敗戦処理において電波物理研究所が存続することができたのは、当時の職員の努力はもちろん、Bailey少佐の多大な理解と尽力があったからに他なりません。これにより、今日の通信総合研究所が情報通信に関する唯一の国立研究機関としての発展を遂げているのです。
 そのBailey少佐は1999年8月27日、享年82歳で他界されました。
 ここに慎んでDr. Baileyのご冥福を心よりお祈りいたします。

参考文献:電波研究所沿革史 昭和36年3月出版

(所長)




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