タイトル コンパクトで高性能なSQUID−脳磁界計測装置を開発 高温超伝導体磁気シールドと超伝導電子波素子を用いて
太田  浩
写真 高温超伝導体磁気シールドを
用いたSQUID-脳磁界計測装置
 商用周波数の電気配線、エレベータ、近くの道路を走行中の自動車、数キロメートル離れた駅で発着する電車などからの磁気雑音に脳磁界計測用のSQUIDセンサーは反応する。これらの環境磁気雑音の中で、地磁気の1億分の一の大きさの脳からの磁場を測定することは、ガードレールの下で蚊の羽音を聞く例にたとえられる。従って、脳磁場の測定には、環境磁気雑音を遮蔽する磁気シールド装置が必須となる。なお、SQUIDは、Superconducting Quantum Interference Device(超伝導量子干渉計)の略で、脳の神経電流が発生する磁場を検出でき、X線CT、MRIに次ぐ第3のCT スキャナーとして期待されている高感度磁束計である。
 この度、通信総合研究所(CRL)は、高温超伝導体磁気シールドを用いた全頭型SQUID脳磁界計測装置を理化学研究所及び東京電機大学と共同で開発した。
 なお、本装置の冷凍機、SQUID、高温超伝導体の製作にあたっては、住友重機械工業、島津製作所、日本計器製作所、三井金属鉱業の協力をいただいた。この装置は、直径65cm長さ160cmの全身が入る高温超伝導体シリンダーで環境磁気雑音を遮蔽しており、パーマロイ(強磁性体)でできた備え付けの専用シールド室を必要としない。この意味でコンパクトな可搬式のシステムといえる。検診車で運ぶことによって、心のケアのための移動診療所(mobile clinic for mental care)への応用も射程内に入ってきた。
 この実験に用いられている高温超伝導体磁気シールドは、シールド材として従来使われてきたパーマロイと異なるマイスナー効果を用いており、0.1ヘルツ以下の低い周波数でも磁気遮蔽率が落ちない。道路を走る自動車は1ヘルツ以下の超低周波で強い磁気雑音を発生することが知られている。その他、数キロメートル離れた電車の発着による環境磁気雑音も大部分は低周波であるので、パーマロイによる十分な磁気遮蔽は困難である。
 今回のシステムのもう一つの特徴はSQUIDセンサーとして用いられているジョセフソン接合にある。頭全体を同時に測る全頭型のSQUID装置(64チャンネル)にSNS(超伝導体/常伝導体金属/超伝導体)接合を用いるのは、世界でも、我々のグループのみである。輸入品の SQUID脳磁界計測装置はすべて SIS(超伝導体/絶縁体/超伝導体)トンネルジョセフソン接合を用いている。SNS接合には、SISトンネルジョセフソン接合や FETトランジスターなど絶縁層を用いるデバイスに共通するテレグラフ雑音と呼ばれる低周波雑音がない。SNS接合には、そこに電子が捕獲されたり解放されたりする絶縁層がないためである。
 このSNS接合のSQUID装置は、電子が粒子ではなく波として動作する超伝導電子波素子の最初の実用化例としても注目される。半導体デバイスを小さくしていけば、ドゥブロイ波長のサイズ域で、電子は粒子としてではなく波動として動作する。電子波素子としてのメゾスコピックSNS接合によって、そのような先にどのようなエレクトロニクスが開花するのかを垣間みることもできる。マックスウェルの式が電波と光とX線を波長の差で統一的に説明したように、最近のSNS接合の理論が全てのジョセフソン接合を電極間の透過係数の差で統一的に説明した経過が、CRLシンポジウム・プロシーディング「メゾスコピック・ジョセフソン接合の物理と応用」(太田浩、石井力編、日本物理学会 1999)に記載されている。我々は、この一般論に従って任意パラメータである透過係数を変化させ、テレグラフ雑音と呼ばれる低周波雑音が最も小さくなる透過係数を実験的に見つけた。テレグラフ雑音は1/f 雑音の一種で、ジョセフソン雑音のように理論的には予測できない。
 高温超伝導体磁気シールドによる低周波の環境磁気雑音の効果的な遮蔽と、SNS接合が、SIS接合のようなテレグラフ雑音と呼ばれる低周波雑音を持っていないこととの幸運な一致によって、図1のような低雑音のデータが得られている。
図1 高温超伝導体磁気シールド装置を用いた64チャンネル
全頭型SQUID脳磁界計測装置からのデータ

 高温超伝導体磁気シールドと SNS接合のSQUIDの組み合わせによって、エレベータや、変電施設から10メートル程度離れた環境磁気雑音の多い実験室で、5 femto teslaの感度が実現していて、図2のような美しい脳磁界分布図が得られている。図3の赤と青の等高線は脳内の神経電流が発生している磁場の等高線である。SQUID脳磁界計測装置によって検出された脳磁場の等高線図から脳内の活動部位(右図の赤い矢印)がわかる。図3では、この脳内の活動部位がMRIのデータから抽出された脳の中心溝(ローランド溝)に一致している。右手の手首の正中神経を刺激しているので正しい位置である。また、等価電流ダイポール(図の赤い矢印)の中心で脳を輪切りにした図が示されており、ダイポールが動けば断面の位置も変化する。このような動画を見ていると脳の溝の立体構造がよくわかる。
 テレグラフ雑音のないSNS(超伝導体/常伝導金属/超伝導体)接合と低周波で高性能な高温超伝導体磁気シールド装置の組み合わせによるSQUID脳磁界計測装置の性能改善の程度は、約30人の開発メンバーの誰もの予想を遥かに越えるところに位置していた。今回の実験データの質に一番驚いているのは、開発に携わった我々自身かもしれない。
図2 SQUID脳磁界データの正中神経刺激後36msにおける等高線図
赤はN極、青はS極
図3 SQUID脳磁界データから決められた脳の活動部位(赤い矢印)が
MRIのデータの中心溝に一致している

 人間の脳は神が作った神経ネットワークであり、リスク管理を含む通信ネットワークをどう構築するのがよいかを学ぶ最適の教科書でもあり、SNS接合のSQUIDによる脳磁界のデータは、この方面の研究に対しても大きな寄与が期待される。
 SNSのSQUID以外の応用も大切である。高温超伝導体のSISトンネル接合よりもSNS接合の方が高性能に作りやすいことはよく知られた事実である。また、磁束量子型論理回路の動作周波数を上げるためにジョセフソン接合の電流密度を上げる努力がなされているが、高電流密度のSIS接合では透過係数がゼロに近いという近似が成り立たず、前述の SNS接合の一般論が必須となってくる。磁束量子型論理回路は、現在最も高速に動作する論理回路であり、超高速の通信にも利用できる。SNS接合のSQUIDは、既にシステムとして動いているが、SNS接合を用いた磁束量子型論理回路を使って超高速通信システムが持つ技術的ネックを取り去ってみせることが、次世代の超高速通信用デバイスとして有望なSNS接合に課せられた次の任務と言えるであろう。
(横須賀無線通信研究センター)




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