鹿島からみた最近の電波天文とその周辺


川 尻  矗 大 (鹿島支所)

   はじめに
 電波天文という言葉がさほど耳新しい言葉でなくなっ てから久しいように思うが如何であろうか。筆者にとっ ては、今はなき30mアンテナの完成の頃(1963年)聞き始 めた言葉ではあるが、時と共にその意味する内容が広が り、この拙文を書く所以もまたそこにあるのかもしれな い。ここでは、この言葉のよってきたる過程を若干ふり かえり、他の電磁波領域での観測との関係、はたまた最 近の電波天文に関する情報やそれらと鹿島における電波 天文観測との関連等について筆を走らせてみたい。
 電波の歴史をひもとくと、すでに御承知の如く、マク スウェルによる電磁波の存在の理論的予言(1864年)や光 の電磁波説(1871年)、ヘルツの電気火花による電磁波の 実験的証明(1888年)、そしてマルコニーによる無線通信 への応用(1895年)と進んできた電波の研究が、宇宙から くる銀河電波に行きついたのは1932年アメリカのジャン スキーによってであった。彼は短波無線通信の邪魔にな る空電の到来方向を見つける実験中に、天空にはりつい た特定の方向から来る雑音源を発見し、後に銀河中心か らの電波とわかったのである。その後数年にして太陽電波 の存在にも気付くようになるのだが、このような天空か らくる自然の電波が天文学と結びつくのは、第二次大戦 も終って数年してからのことである。電波天文では外来 電波は観測対象により大まかにSolar(太陽電波)とNon- Solar(宇宙電波)に分けられるが、鹿島の電波天文は日 本における大型アンテナの希少価値から、主としてNon- Solarの方をやってきたので、以後の記述は主として、 Non-Solarを対象とする。
   おいたち
 天文学といえば、つい40年程前までは光の天文学の全 くの独壇場であった。これはあたり前のことではあるが、 人間の目の感度に由来している。人間の目は幸か不幸か 全電磁波領域のうちいわゆる光にのみ感じることから、 人類が夜空を見上げ、光を目に受けた時から光の天文学 が始まったといっても過言ではないであろう。そしてこ の光の天文学を助けるレンズや反射鏡の元になるガラス の原料が地球上にほぼ無尽蔵ともいえる程存在し、その 加工技術が他の電気・機械技術より早く開発されたこと もあって光の天文学の発達を促したのであろう。しかし 先に挙げた銀河電波・太陽電波の発見(1930年代)とそれ に続く戦後の電波天文の進歩、そしてここ10年余りの期 間におけるX線・赤外線天文学の急激な発達により、天 文学はほぼ全電磁波領域で研究されるようになった。特 に後者のX線や赤外線は地球大気層での吸収が多く、ロ ケット・気球・人工衛星等の飛翔体の発達に負うところ 大である。

   観測システムの発達
 電波天文でとり扱う電磁波領域は、多分に使用するア ンテナとその受信システムの発達に影響されている。い わゆる“電波”と名のつく電磁波領域は、周波数の低い 方からELF(極超長波)、VLF(超長波)、LF(長波)、 MF(中波)、HF(短波)、VHF(超短波)、UHF(極超 短波)、SHF(マイクロ波)、EHF(ミリ波)、サブミリ 波、遠赤外へと亘っているが、第二次大戦後の電波天文 学の発達は主にVHF・UHF・マイクロ波・ミリ波…と その時々のアンテナ系や受信システムの発達と期を同じ くして短波長へ向っている。すなわち、面精度のよいア ンテナを作る技術とそれぞれの周波数に応じたシステム 雑音温度の低い受信システムを構成する技術が重要な因 子となる。前者については、一般にアンテナの面精度 (R. M. S. )の15ないし20倍の波長まで使用可能である。鹿 島を例にとれば旧30mアンテナでは面精度5oであった が、13年後の今日では、直径が小さいとはいえ10m級の アンテナで0.2〜0.3oとなるまで進歩した。しかもアン テナ鏡面は、ミリ波のアンテナであっても回転による削 り出しではなく、パネルの組合せで構成されるほど簡単 化されている。後者のシステム雑音温度は殆ど前置増幅 器のよしあしで決ってしまう。戦後に使われた前置増幅 器は、真空管、進行波管、パラメトリック素子、トラン ジスタ、トンネルダイオードと発達し、最近のマイクロ 波、準ミリ波ではパラメトリック増幅器(冷却及び非冷 却)を中心にトンネルダイオード増幅器やトランジスタ 増幅器を併用し、ミリ波では低雑音ダイオードミキサー を使っている。しかし現在アメリカのNRAO(国立電 波天文台)や日本の一部研究機関ではジョセフソン効果 を使った検出器が開発されている。この種の検出器は、 感度がよく、応答時間が早く(10^-9秒)、速い現象まで観 測出来る、背景となる光及び近赤外には感じない、とい った利点がある。他方、極低温状態を作り、超伝導現象 を起す手段もあるが、これを使ったジョセフソンミキサ ーは非常に高い周波数の信号を効率よく低い周波数に変 換出来るので今後十分実用に供されることが期待される。 そうすれば、マイクロ波からミリ波にかけ、上記の一連 の増幅器にとって替るであろう。

   光天文と電波天文の比較
 先に電波天文学の発達に触れたが、それまでの独占的な 光の天文に比べ、どのような特徴を持っているのであろ うか。以下に筆者の推測も織りまぜながら光天文学と電 波天文学を対比してみよう。
 電波天文にとって光より優位と思われる事は、まずそ の透過性である。広大な宇宙空間には、近くは地球周辺、 惑星間空間から星間空間、銀河間空間へと無数の塵あく たが存在しており(通常の原子、分子、電子は勿論だが)、 その密度は非常に薄くても、長い伝搬の道のりの途中で ばったり(?)出あうことになると、どうしても反射、吸 収(励起)、散乱等の相互作用が起りその強度は弱められ てしまう。そしてこれらの相互作用は一般的にはいわゆ る電波領域よりも圧倒的に光領域の方で起っている。そ のようなわけで目には見えない、或いは光学天体の発見 されないところから電波が来る例は多い(もっともいわ ゆる電波の二つ目玉があってその中心に光学天体がある という例もあるが)。代表的例として、電離水素領域 (HU領域、明るければ散光星雲となってみえる)W43やW 51、X線星の白鳥座X-3、それに暗黒星雲がある。電離水 素領域といえば、旧30mアンテナでまず実行されたのは その電波強度分布図の作成であった。1966年より68年に かけて20個程のHU領域が観測された。筆者らは上記の 事実を利用して、散光星雲各部の光の強度と電波の強度 とを比較し、電波は吸収されないものとして視線方向の 吸収物質の分布を導出した。それによれば光の強度が自 由空間伝搬の場合に比べて数百分の一に減光するのもま れでないことがわかった。
 白鳥座X-3などのX線星については後述するとして暗 黒星雲に少し触れよう。星の間の塵の集ったものが暗黒 星雲であるが、オリオンB(電波星名で、横の三つ星の 東端近くにある)付近の馬頭星雲は特に有名である。昔 から天体の中でも暗黒雲は特に神秘的な暗示を与え、イ ギリスの著名な天文学者ホイルは暗黒星雲に生命を授け て地球に接近させる、というフィクションを書いている 程である。現実にも最近はやりの星間分子線の多くはこ れら銀河系内星雲から発見されており(既に30種類以上)、 まさに宇宙電波分光学の宝庫といえる。それらはまたミ リ波領域の有機分子からのものが多いので、最初の宇宙 人からのメッセ-ジも案外このような暗黒星雲からくる かもしれない。
 次に天体を観測する場合、光の天文では天候に左右さ れやすく曇ったり霧が現われるだけでもう観測不能にな る。日本の大文台や光学観測所では“お天気打率”(観測 可能日数/全日数)などという涙ぐましい統計をとって いるが、その点電波天文では雨でなければ少々雲や霧が 出ていても観測出来ないことはない(ペルーやチリでは この打率100%というところもあるそうである)。
 その他、光の天文では夜が主な舞台であるが、電波天 文では太陽及びその近傍を除いて昼夜殆ど差がない。人 によってはこの事実が電波天文最大の功績であるという。


電波天文に使用している直径26mパラボラアンテナ
(左奥は旧30mアンテナで現在は撤去されている)

   角度分解能と干渉計
 ここで従来電波天文の、光の天文に比較して劣ってい た角度分解能について干渉計の話をまじえながら少し触 れてみよう。干渉計を用いない場合、光の方では空気の ゆらぎなどのため1秒角が限度であるが、電波天文で用 いる1個のアンテナでは1分角程度が限度でとてもたち 打ちできない。そこで戦後の一時期イギリスやオースト ラリアを中心に干渉計電波天文学が栄え、光の分解能に 肉迫したのであった。その後1967年に至り、電波干渉計 の発達は遂に超長基線干渉計(VLBI: Very Long Baseline Interferometer)の技術を生み出し、電波のビーム の分解能を一挙に千分の一ないし一万分の一秒角といっ た細かさにまで狭めてしまった。この干渉計は従来のケ ーブルやマイクロ波回線でつなぐ干渉計と異なり、各ア ンテナに独立に周波数と時間の原子標準を備え、信号と 共にテープレコーダに記録し、あとで一ヶ所に集め、相 関(干渉)動作を行なう。この電波ビームの細かさを武器 に、準星(数億ないし数十億光年程度の遠方にあり、高 エネルギーの光の電波を放射する銀河系外天体)やラジ オ銀河の分解、或いは散光星雲中の水の分子線源の位置 決定など天文学に与えた影響は非常に大きなものがある。
 このVLBI技術を使った観測で最近の話題を一つ紹介 しよう。先にも触れたように銀河系外電波源の中には特 定の向きにお互いに離れつつある二つ目玉のあるものが 多いが、3C279、3C345といった準星と考えられる電 波源を年月を隔てて観測してみると、どうもお互いの離 れ方が光速を超えているというのである。これは明らか にアインシュタインの相対論に対する挑戦であり、目下 のところ明快な説明がなされていないのが実情である。 原因としては、みかけ上そう見えるだけ?、距離が実際 にはもっと近いのでは?、タキオン(相対論の拡張から 考えられる超光速粒子)のような超光速粒子からなる? 等々いろいろ考えられている。
 VLBI技術は応用範囲が広く、単に電波天文的応用に とどまらず、人工衛星の位置決定、測地、極運動、UT 1の決定、時刻同期等と多方面に亘る。太平洋をまたぐ 2つのアンテナでVLBI実験が行なえれば大地震の原因 といわれるプレートテクトニクスの理論(地球表面を十 数個のプレートに分け、それらの接合領域で大地震が発 生するという理論)の証明にもなるであろう。ここでは これらVLBI技術及びその応用について詳述する余裕は とてもないので、現在電波研究所で、この技術を開発中 であると言うにとどめよう。
 上記は電波による干渉計であるが、これに対応する光 の干渉計についてはマイケルソン干渉計とハンフリー・ ブラウンの強度干渉計がある。前者は光を直接干渉させ る光干渉計で、光学天体の位置決定とそれを基にした基 本座標系、極運動、UT1への応用が考えられる。ハン フリー・ブラウンの強度干渉計は光の信号を電気信号に 変えてから干渉させる干渉計で、オーストラリアのナラ ブライにおいて星の視直径を決定するのに用いられてい る。これらの光干渉計の角度分解能はVLBI並みの千分 の一秒角程度ではあるが、光の性質上基線間をあまり長 くすることが出来ず応用範囲も限られている。天文への 応用も、電波干渉計程広くなく、それ程使われていない ようである。

   X線星の電波観測
 先に天文学はほぼ全電磁波領域で研究されるようにな ったと書いたが、このように一つの天体を色々な波長域 で観測できる例としてX線星がある。天体の中で太陽以 外のX線源が最初に発見されたのは1962年のことであっ た。アメリカのロッシ、ジャッコニー等が、太陽輻射に よって生ずる月からの螢光X線を計る目的で打ち上げた ロケットで検出されたのが最初である。この時さそり座 中に特定のX線源を発見したが、これが後にさそり座X- 1と名付けられるもので、X線の他光・電波も放射して いる天体である。このX線源の光学的同定は、1966年6 月東京天文台岡山天体物理観測所が最初に行い、それは 赤よりも青紫がかった色の星であった。一般にX線を出 す星は活発なものが多く、この星の場合特に電波領域で 活動的である。発見当初全電磁波領域の強度を統一的に 説明するのに苦労したようであるが、現在では輻射のメ カニズムの相異、プラズマや星間物質による吸収等でう まく説明されているようである。鹿島支所においても東 京大学宇宙航空研究所(X線)や東京天文台(光)と協力し てこのX線星を4.2GHzで数回観測し、光と電波の強度の 逆相関性といった事実を確かめている。
 X線星でもう一つ触れなければならないものに白鳥座 X-3がある。これは白鳥座にあるX線星で白鳥座X-1と 共に活動の激しい天体である。白鳥座X-3が特に注目さ れたのは、1972年9月電波強度がその直前の千倍にもフ レアアップしたからである。このような激しいフレアア ップは太陽電波のバーストやフレアスター(光及び電 波の強度が数十分間程度異常に高くなる恒星)以外観測 されたことがなかったのだが、その後の時折のモニター の結果、このX線星は年に平均2回程度大きくフレアア ップしていることがわかった。特に1973年暮のバースト を鹿島支所の26mアンテナで世界最初に検出し、正月を はさんで一週間後に二つ目の山があることも確認出来た。 また昨年8月にも最初に検出し、再びスミソニアン天文 台へ打電することとなった。
 X線星の輻射のメカニズムについて最近かなりつっこ んだ議論がなされるようになった。前記のさそり座X-1 の場合、星のまわりの数千万度以上の熱いガスからX線 が放出されていると考えられる。白鳥座X-3の場合、こ の星は3万光年程度も離れた遠方にもあるためか、対応 する光学天体は見つかっていない。しかしX線でも赤外 線でも約4.8時間の周期性をもっているので、何か連星 系(主星と伴星が互に軌道運動をしている星のシステム) に付随してそれらの放射がなされているのであろうと想 像される。電波の方では観測の時間分解能が悪いためか、 4.8時間の周期は検出されていないが、どういうわけかそ の丁度5倍の24時間弱の周期が検出されており、鹿島で もほぼ確認した。白鳥座X-1の場合は連星系の特殊な場 合であり、今はやりのブラックホールが片側を占め、そ れに他の星から吸いよせられる高温のガスからX線が放 出されるのであろう。X線星のように物理的に特異な天 体では、電磁波領域の出来るだけ多くのスペクトルで同 時観測することが望ましい。
 赤外線源と電波の関係についてはX 線星の場合と大分趣きを異にする。赤 外線源は通常電離水素領域(オリオン 星雲などの散光星雲)の一部で比較的 温度の低いところから放射され、星の 誕生の原型であるプロトタイプスター と呼ばれるものと関係があるのではな いかと言われている。今後、水酸基 (OH)、ホルムアルデヒド(H2CO)、シ アン(HCN)といった分子線を観測 することにより、星の誕生しそうな場 所での温度、密度と星間塵、赤外線源 との関係が明らかにされるであろう。
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26mアンテナによるX線星白鳥座X-3電波バーストの観測例

   あとがき
 以上鹿島の電波天文に関係あると思われることを記述 してきた。いささか天体物理的側面に偏ったかもしれな いが、現在の宇宙観測は色々な電磁波領域で行なう必要 があることがおわかり預けたと思う。鹿島ではここ十年 程の間に上には述べなかったが、天の川の電波的サーベ イ、変動電波源の強度及び直線偏波の観測、かに星雲偏 波面の太陽コロナによるファラデー回転、コンパクト銀 河の電波強度と位置決定等の観測を行ってきている。
 “夢のある一般向けの話”との要望で書き始めたが、 少しでも応えることが出来ていれば幸いである。




フランス留学印象記


吉 谷 清 澄(通信機器部)

 狭帯域音声通信の研究のため、フランス政府給費留学 生として1975年7月から1976年6月迄の1年間、渡仏し た。この給費留学制度はフランス政府が諸外国に対して 毎年、留学生を募集するもので、日本からは自然科学部 門の場合、毎年50人程度が留学している模様である。渡 仏後、始めの3ヶ月間はパりから南東へ約250qのとこ ろにある、もの静かな中都市ブザンソン(Besancon)の同 大学・応用語学教室で、語学研修が行われた。この教室 は、後述するグルノーブル(Grenoble)の語学教室と共に、 仏語研修機関として世界的に有名であり、日本からも夏 期講座には毎度100人内外が参加している。我々のクラ スは、視聴覚方式を主体にしたもので、週25時間の授業 であった。研修生は多いときで20人位で、その国籍も実 に多様であった。
 語学研修後、ブザンソンから南に約250qにある、目 的地グルノーブルに移った。ここは、人口約20万人の大 都市であり、1968年の冬季オリンピック開催で、世界的 に有名になった。このときの素晴しい記録映画“白い恋 人達”を、あのセンチメンタルなメロディーと共に御記 憶の方も居られるかも知れない。四方を2,000〜3,000m 級の南アルプスに囲まれ、10月にもなるとそれらが雪化 粧をし、それは素晴しい眺めである。スキーは、11月頃 から4月頃まで出来、オリンピック・コースのあるシャンル ース(Chamrousse)ヘは、車で1時間程で行ける。筆者も 研究室の同僚の御好意で、思う存分楽しむことが出来た。
 筆者が滞在したEcole Nationale Superieure d'Elec- tronique et de Radioelectricite de GRENOBLE (E.N.S.E.R.G.:グルノーブル国立電子電波高等専門学校)は、 日本の単科大学に類似するもので、大学院を含んでおり、 Instiut National Polytechnique de GRENOBLE (I.N.P.G.:グルノーブル国立理工科大学)の1組織である。 I.N.P.G.には、この他次の国立高等専門学校(E.N.S.) が含まれている。
 E.N.S.D'Electrochimie et D'Electrometallurgie
 (電気化学、電気治金学関係)
 E.N.S.D'ELectrotechnique et de Genie Physique
 (電気工学、物理工学関係)
 E.N.S.D'Informatique et de Mathematiques
  Appliquees(情報学,応用数学関係)
 E.N.S.E.R.G.は、3研究室で構成され、各々の研究 テーマを表に示す。職員数は約70名であり、その内訳は 教授3人、研究者(講師、助手を含む)約35人、研究補助 者および事務関係者約30人である。筆者は“音声通信・ 測定装置研究室”に所属し、研究テーマとしては、線形予 測符号化(Linear Prediction Coding:LPC)に関する ものを選んだ。LPCは現在、音声の分析合成あるいは 狭帯域音声通信の1手段として、重要な役割を果しつつ ある。LPCの音声分析法としての最大の特徴は、従来 の分析法が音声パラメータ(例えば、ホルマント周波数) を抽出する際、フーリエ変換等による周波数領域への 変換を必要とするのに対し、LPCはその必要がなく、 すべてのパラメータを時間領域で直接求めることが出来 るという点にある。次にLPCの狭帯域通信における役割 であるが、PCM方式の伝送速度が通常64kb/secである のに対し、この場合その10分の1程度に圧縮できる。L PCを音声通信に用いる場合、(@)予測フィルタの安定性、 (A)伝送パラメータの量子化特性、(B)耐雑音性、およ び(C)伝送パラメータの高速抽出等の問題点が考えられ る。筆者は、この中(@)および(A)について検討したが、そ の詳細は本年9月の第184回研究談話会において報告済 みなので、ここでは省略させて頂く。

表 E.N.S.E.R.Gの研究室と研究テーマ

 音声通信・測定装置研究室の責任者は、R.LANCIA 教授で、自動制御を専門とし、ユーモアに富んだ、誠実 温厚な方である。筆者の指導責任者であった、主任研究 員のR.CARRE博士は、フランスにおける音声研究のト ップレベルにいる人で、当研究室の実質的リーダであり、 長身のいかにもフランス人らしい方である。彼は1968年 の国際音響学会(ICA)の際来日したことがあり、余暇 を利用して夫人と共に安産祈願で有名な塩釜神社にお参 りし、帰国後生れた女の子に“みつ”という名を付けら れたそうである。彼女は、色白で大変可愛い。研究室に は、この他、主任助手1人、助手7人、大学院生4人、 研究補助者3人、総勢17人という大世帯である。室員の 年令は、教授(50才前後)と主任(37才)を除くと、30 才前後が多く、活気に参れている。
 勤務時間は、午前8時から午後5時半迄で、昼休みが 2時間ある。仕事振りは、特にガリガリやるというふう でもなく、普段の我々とそれほど変らないものであった。 いつか同僚に「お前のいる研究室では、もっと猛烈にや っているのだろう?」と聞かれて、返答に困ったことを 憶えている。彼等は、日本という国に対して、マスコミ で、よく指摘されている通り、不可解な国という印象を持 っているようである。それに関係するのかどうか分から ないが、筆者の在仏中、一番大きく扱われたニュースは、 例のセスナ機による児玉邸突込み事件であり、この時に はル・モンド紙には勿論のこと、グルノーブルの地方紙 にも“Kami-kaze”という言葉と共に、大々的に報道され た。さて、研究室では毎朝10時がコーヒー・タイムで、 コーヒー(豆を挽いて作る本格的なもの)を飲みながら、 投げ矢を楽しむ習慣があった。このゲームは、意外に難 しく、面白い。このコーヒー・タイムで、いつか日本製 のけん玉を見せたところ、非常な人気を博し、それ以後 コーヒー・タイムの主役はこれに移った。実はフランス にもけん玉はあるのだが、あちらのは横のお皿がない単 純なもので、従って遊び方の変化に乏しい。
 研究打合せは、原則として週1回あり、活発な議論が なされる。これには、研究的な内容のものに限らず、行 政的(?)な問題も採り上げられる。彼等は、思ったこと は遠慮なしに言う。いつか、研究補助者達に対して「君 達は自分自身の仕事に興味を持っているか?」と教授が 聞いたところ、彼等は即座に“Non!”と答えた、あちら では、たとえ貧富の差、職業の差があっても、各自自分 の仕事に誇りを感じている、という先入観を持っていた 筆者にとって、この答は意外であった、とは言え、研究 室員の日頃の様子を見ていると、ユーモアと親切心に富 み、各自が皆自分自身の生活を楽しんでいるという印象 を強く受けた。これは、人生を楽しむ為に働くという、 彼等の基本的姿勢によるものであろう。ところで、フラ ンス語には第2人称の呼び方に“vous”(貴方)と“tu” (君)の2種類があり、この点は日本語に似ている。研究 室では、教授以外に対しては、皆“tu”を使っていたが、 語学研修で“vous”ばかりを使っていた筆者にとって、始 めの中は何となく使い辛かった。しかし、一度馴れてし まうと、この方がずっと親しみをこめて使えることが分 かった。


     研究室にて
(左端は主任研究員のDr.R.Carre)

 失敗談は山程あるが、今春ニース(Nice)で開かれた会 議(IEC)に村主部長が出席されたとき、案内役を引き 受け、数人である高級レストランに入って“季節のサラ ダ”を注文したところ、出てきたのは何と山盛りの“油 妙め風トウモロコシ”であった。これで皆様を大変がっ かりさせてしまい、申し訳ないこと大であった。実は、 あちらで言うサラダは、レタス山盛りというふうに1品 式であること、従って注文するときには、“何のサラダ” かを聞くべきことを、その時にすっかり忘れていたので あった。旅行といえば、シャモニ・モンブラン山群の圧 倒的景観、コート・ダジュールの海の色、南仏アルルの 田園風景等々、深く脳裡に焼き付いている。以上、まと まりのない話になってしまったが、大変有意義で楽しか った留学生活の印象記としたい。
 終りに、本留学の機会を与えて下さった、フランス政 府、科学技術庁、郵政本省並びに電波研究所の関係者各 位に深甚なる謝意を表する。また、私事で恐縮であるが、 渡仏前の科学技術庁における仏語講座で大変お世話にな ったDUPUIS夫人(駐日仏国大使館・科学参事官 M. DUPUIS博士夫人)、および我々受講生に叱咤激励を下 さった日本科学技術情報センター企画室長の鴫原氏(前 科技庁国際課長)にも厚く御礼申し上げる。




特許関係事務・本省より研究所に移管


 昭和51年8月26日付けで電波研究所職務発明規程(所達3-1)、 電波研究所長の管理に係る国有特許権の実施規程(所達3-2)、電 波研究所共同出願規程(所達3-3)の3規程が制定された。
 従来、職務発明があると所長決裁の後郵政本省へ提出し、本省の 決裁が終ってから特許出願していたが、今後は所長決裁後直ちに特 許出願ができるので、競合が懸念される出願や拒絶理由通知があっ た場合の対策等短期間に処理を必要とするものの取扱いが容易にな った。実施許諾についても従来本省において契約の締結が行れてい たが、今後は当所限りで実施契約が結べることになった。また、職 員が部外者と共同して職務発明をした場合、従来は本省において覚 書の締結が行れていたため、手続きに時間と労力がかかっていたが、 これも当所限りで処理できるようになり、出願の迅速化が計られる ことになった。現在これらの規程の解説書を準備中であり、今後規 程の運用の万全を期すつもりである。

(企画部第二課)


短   信


  海中レーザ通信装置の野外実験
通信機器部海洋通信研究室では、10月18日より28日まで、沼津市野 口の伊豆埠頭岸壁において、昭和50年度に完成した海中レーザ通信 装置を実際の海において動作させる野外実験を実施した。


  「ふじ」訓練航海で船上観測訓練
第18次日本南極地域観測隊の出発を前に、南極観測船「ふじ」によ る日本一周の訓練航海が実施されたが、当所の大瀬正美、西山 昇、 坂本純一の三氏は、10月3日新潟で乗船してから10月9日仙台で下 船するまでの期間、船上観測(中波電界強度測定)に必要な機器調 整及び訓練を行った。


  気温逆転層とUHF異常伝搬に関する観測実験
第二特別研究室では、10月26日から11月25日にかけて、千葉市柏井 町の柏井浄水場構内に同室の開発した大気汚染監視用音波レーダを 設置し上空の気温逆転層を観測すると同時に、NHK銚子局より送 信されるUHF・TV(49チャンネル)の音声電波の電界強度連続 測定を本所において実施している。なお、柏井浄水場は銚子局と本 所のほぼ中間点にあたる。


  外 国 出 張
今井信男(情報処理部)・塚本賢一(衛星研究部)
通信衛星、放送衛星の調整会議出席及び国際航空宇宙会議出席並び に通信技術実験衛星の実験状況調査のため米国及びカナダへ出張(昭 和51年10月8日から同23日)。


  CCIR対策委員会・委員
委員長 鈴木一雄  副委員長 羽倉幸雄  総幹事 石川三郎
小委員会:主査・幹事…………… 伝  搬:小林常人・竹岡亀雄
宇宙通信:山下不二夫・小嶋 弘 電波天文:中橋信弘・
放  送:今井信男・井上良助  通  信:角川靖夫・村上 昭
標準報時:安田嘉之・加藤清治  スペクトル利用:山岡 誠
委 員<企画部>田尾一彦、中島一二*、中津井護*
<調査部>山岡 誠、村上 昭、中橋信弘、井上良助、竹岡亀雄
<情報処理部>村主行康、今井信男、松浦延夫、原田喜久男
<電波部>若井 登、小林常人、恩藤忠典、栗城 功、竹之下裕  五郎、乙津祐一 前田力雄*、上滝 実*
<衛星研究部>石田 亨、山下不二夫、塚本賢一、高橋耕三、  宮崎 茂*、畚野信義*、吉村和幸*
<通信機器部>宮島貞光、今野清恒、鈴木誠史、角川靖夫、  高橋 剛、入間田惇、五十嵐隆*、三浦秀一*
<周波数標準部>佐分利義和、安田嘉之、小林正紀、加藤清治、  高橋 達*、小林三郎*、赤塚耕輔*
<特別研究室>新野賢爾 福島 圓、小口知宏
<支所>生島広三郎、沢路和明、川尻矗大、横山光雄、林理三雄*
 桜沢 晃、 村永孝次

(*新規委員)



  来 訪
10月12日 陸 在林、余 晟圭(韓国・逓信部・電波研究所)
     研修のため11月19日まで滞在。
10月16日 中国電子学会光電技術訪日視察団
                  (団長 梅 遂生 他7名)
10月27日 Dr. D. Esteban(フランスIBM・中央研究所)