コンピュータネットワークの現状と将来


高 橋 寛 子 (情報処理部)

1. はじめに
 多くのユーザが端末を介して1台の計算機を共用する いわゆるTSSに次ぐ計算機利用形態として出現したコ ンピュータネットワークは,これからの情報処理システ ムの基本方向を示すものとして注目をあびている。情報 処理部では,現在衛星利用コンピュータネットワークの 研究を進めているが,今回はもう少し広い立場からコン ピュータネットワークの動向について述べてみたい。
2. コンピュータネットワークとは
 コンピュータネットワークとは,広い地域に分散して いる多数の異機種計算機を通信回線で結合し,それぞれ の計算機のもつ機能(ハードウェア・ソフトウェア,デ ータベース(共用可能なデータの集まり))を共用する システムである。コンピュータネットワークを築くこと により,次のような利点が生じる。
  a.資源の共用,負荷の分担
 特殊な処理は他センタの計算機を利用すればよいため, 各センタは無駄のないシステム構成を採用でき,またお 互いに空いた時間帯を使って計算機を利用し合えるため に,計算機の稼動率が向上する。小ユーザは端末を持つ だけで大きなセンタの機能を利用できることになる。ま た複数の計算機を使用して処理能力を上げることも可能 になる。
  b.信頼性の向上
 ある計算機が故障した時は,別の計算機を使用すれば よいため信頼性は向上する。またデータファイルを重複 して他システムに置くことにより,データの破壊からの 被害を防ぐことができる。
 今後情報の発生,利用の広域化,各種情報の利用の多 様化が進むと同時に,情報をより早く処理する必要が大 きくなると考えられるが,この傾向はコンピュータネッ トワークの必要性を強めるものである。
 広域に分散した計算機を共有して効率を上げたいとい う要望を支えるには,通信技術と情報処理技術の発展が 不可欠である。コンピュータ間通信には,メッセージを 一定長(例えば1000ビット)以下の長さに分割して,そ れに宛先や誤り検出ビットを付け加えて(これをパケッ トと呼ぶ)伝送するパケット交換方式を用いるのが回線 の利用効率やネットワークの処理効率上有利である。
 パケット交換方式では,メッセージのパケット化やパ ケットの通る径路の決定,誤り制御等を行う通信制御用 の計算機を必要とする。図は米国の例であり,平均距離 1200マイルの場合の情報伝送に必要な通信経費と計算機 処理経費を1メガビット当りについて求めたものである。 これによると,計算経費と通信経費の交点は1969年であ り,経済的に見合うパケット交換網出現の可能性はこの 時期にあるといえる。
 図が示しているように,計算機の価格は急速に低下し ており,小規模ユーザでもミニコンを設置して現場で情 報の処理が可能になってきている。しかし,ミニコンで はできないもの,すなわち大容量データの必要なもの, 高級ソフトウエアの必要なものの処理はセンタで行わな ければならず,このためにミニコンとセンタの結合が必 要となってくる。この場合通信回線の経費が問題になる が,これも図からわかるように衛星を利用することによ り格段に安くなる。以上のようにコンピュータネットワ ークは将来非常に有望な情報処理方式である。


図 通信経費及び計算経費の変化(米国の例)
(L.G.Robert IEEE Spectrum 1974による)

3.コンピュータネットワークの現状
 (1) 米国における現状
 米国はコンピュータネットワーク発生の地であり,既 に研究期から実用期へと足をふみ入れている。ネットワ ークの種類もいろいろあるが,その中のいくつかを取り 上げてみる。
  a. ARPANET
 ARPANETは地理的に離れた場所にある大学,研究所 等の種々の計算機を接続するネットワークである。アメ リカ国防省の高等研究所(Advanced Research Projects Agency) が全国的な規模での計算機の相互接続をプロジ ェクトとして取り上げ,1969年末4つのノード(通信制 御機能をもつ計算機)の構成で運用を開始した。 ARPANETはその後急速に発展し,1975年6月にはノードの数 57,結合されている計算機数73に達し,衛星回線によりハ ワイおよびノルウェイ経由で英国にまで伸びている。 ARPANETの利用度調査によれば,ARPANETで要した 計算経費は年間200万ドルであるのに対し,もしARPA NETが存在せず同じ仕事を計算センタないしコンピュー タ増設により行うとした場合には600万ドルが必要であ る。ARPANETの通信経費はノード用計算機の償却も含 めて年間約350万ドルであり,ARPANETにより年間約 50万ドルの経費が節減されている。この時点での ARPANETはネットワークの20%の能力しか利用していないた め,もし100%稼動すれば更に大きな節減となるだろう。 これはネットワークの有用性を示す一例である。
  b. ALOHAシステム
 ALOHAシステムはUHF 2チャンネル(端末から中 央計算機へ407.350MHz,中央計算機から端末へ413.475 MHz)を使い,ハワイ群島内に分散しているハワイ大 学の分校や研究室にオンラインで中央計算機を利用さ せることを目的に1968年に開始されたパケット交換無線 ネットワークである。このシステムは,多くのユーザが 同一チャネルを共用してパケットを送信し,受信する際 にはパケット内のユーザアドレスにより選択受信する方 式を初めて採用した点で注目されている。1972年には, INTELSAT-Wを介してARPANETと結合し,衛星を利 用した最初のノードとなった。ALOHAシステムはまた ATS-1を介してVHFを使用しNASA/AMES,アラス カ大学,東北大学,シドニー大学と結合し,実用化を目 指して実験を行っているが,これは太平洋沿岸の計算機 を結合するPACNET(Pacific Education Computer Network) 構想と結びつくものである。
  c. TELENET
 Telenet社は伝送路を既存通信業者から借りて公衆パ ケット網のサービスを行う付加価値業者の一つで,1975 年8月からパケット交換網TELENETのサービスを開始 している。これに接続されている計算機は毎月10台の割 でふえており,1976年11月にはカナダ,メキシコにもサ ービスを延長している。TELENETに接続されている計 算機(1977年末には300を超すといわれている)により 提供される言語,応用プログラムはそれぞれ約50種あり, データとしては各種文献情報,議会議事録,新聞要約, 特許情報等100を超えている。今後の計画として,1.5 Mbpsの衛星回線を4地上局(ニューヨーク,シカゴ,ダ ラス,ロスアンジェルス)と共に借用し運用することを 考えている。
 (2) ヨーロッパにおける現状
  a. CYCLADES
 CYCLADESはフランスの政府研究機関IRlAが中心に なり進めているプロジェクトで,1972年に開始された政 府,PTT(フランス郵電省),軍,情報産業界,大学のた めのネットワークである。CYCLADESは分散型データ べースの実現,ネットワーク試作実験,標準化およびネ ットワーク相互結合の実現を目的としており,現在まで の成果として国際標準化案の提案や商用化されたシステ ム(CYCLADES bis)の実現がある。CYCLADES は1974年8月に英国NPL(国立物理研究所)ネットワー クと結合され,また国際間ネットワークEINとの結合も 行われている。
  b. 国際間ネットワークEINとEURONET
 EIN(European Information Network)はEECの COST11委員会において1971年に計画された科学技術分 野の実験的情報ネットワークで,英,仏,独,供を結んで コンピュータ間通信の標準の確立等を目的とした実験が 開始されている。
 ECでは科学技術分野の欧州情報ネットワーク EURONETの建設を計画している(1980年目標)。参加者は英, 仏,独,スウェーデン,スイス,伊の郵政省,公社であ り,CEPT(欧州郵便電気通信主管庁会議)が中心とな っている。最初は科学技術関係データの交換を行うが, 将来は事務処理も含めた各種情報処理分野に発展すると いわれている。
 その他英国にはNPLで研究開発を進めているNPLネッ トワークが1973年から稼動している。また各国共にコン ピュータネットワークに使えるパケット交換網の建設が 行われている。
 (3) 日本における現状
 計算機間を専用線で結びデータ転送集配信を目的とす る全国銀行データ通信システム,日本情報処理開発協会 が開発した実験用ネットワークJIPNET,京都大学と東 京大学の大型計算機を結ぶ実験,旭化成のACT-K等大 学,研究機関等での実験的ネットワーク,企業内でのネ ットワークが存在するが,本格的大規模ネットワークは まだ存在しない。しかし電電公社の新データ綱計画,国 際電電鰍フ国際公衆データ通信サービス計画および昨年 末からの各メーカの相次ぐネットワーク構想の発表もあ り,今後コンピュータネットワークは急速に発展すると 思われる。
4. コンピュータネットワークの今後の課題
 コンピュータネットワークに関しては,既にかなりの 経験を積み,問題点も明確になっている。今後の問題と して主なものに次のようなものがある。
 (1) 仮想ネットワークの実現
 現在のネットワークでは,ユーザがまず自分の使いた い計算機やデータの存在場所を知り,それを呼び出すた めにその計算機固有のコマンドを使用する必要があるが, これはユーザにとって実に不便なことである。要求した 処理は自動的に最適の計算機で処理され結果が得られる という自動的な資源割当機能を持ったネットワークの実 現が望ましい。
 (2) 計算機結合のための各レベルの通信規約(プロト コル)の標準化
 計算機ネットワークはその規模が大きいほど価値が大 である。プロトコルの標準化は異機種間接続を自由にし, ネットワークの規模の拡大と計算機の利用分野の発展 をうながすものである。これらの標準化は国際的な合意 が必要であり,1976年パケット交換網とパケット端末間 の通信規約がCCITT SGZ(国際電信電話諮問委員会, 第7研究委員会)で合意された意義は大きい。このような交 換網の通信規約からユーザが最終的に利用する段階にい たるまでのプロトコルの標準化に対する努力が望まれる。
 (3) 無線パケットネットワークや衛星利用ネットワー クのような方式の開発
 無線パケットネットワークについては既にALOHAシ ステムが存在する。またARPAによる実験も1975年から 開始されている。この方式はローカルネットワークとし て有効であろう。
 衛星利用ネットワークは地上回線を用いたネットワー クとは異なる特徴を持つために注目されている。主な特 徴として次のものがある。
 a. 1つのチャネルを多数のユーザが共用してランダムに, 或はあらかじめ予約してデータの送信を行い,受信した ものの中から自局宛ての情報を取り出す方式を採用する ことにより,衛星回線は伝送と交換の役目を果たすこと ができる。コンピュータ間通信のようにデータの発生が バースト的(ピークのデータ発生率の最大値が平均デー タ発生率に比べて大きい)であり,またデータの発生が 非対称なものにとってこの方式はチャネルの有効利用を 可能にするものであると同時に,ユーザはどこからでも ネットワークにアクセスできるため,僻地,離島や船舶 等の移動体からのネットワークヘの参加を可能にするも のである。
  b. 衛星は広域をカバーし,高速データ伝送を低価格 で提供し得るため,大量のデータ伝送を必要とするネッ トワークの幹線として,また国際間ネットワークとして 利用される。
 衛星利用ネットワークには,ハワイ大学を中心とした 実験等が存在するが,衛星利用ネットワークの特徴を生 かした実験としては不十分であり,伝搬時間おくれの大 きい衛星回線を使った場合の効率のよいネットワーク方 式の開発が望まれる。
 衛星利用ネットワークについては,TELENETやIBM も計画を持っており,地上回線と衛星回線を組み合せ て両者の特徴を生かした効率のよいネットワークの出現 もそれほど先の話ではないであろう。
 (4) その他の問題点
 コンピュータネットワークの普及のためには,特にデ ータの共有が重要であるが,日本の特殊な問題として日 本語情報処理の問題がある。またプライバシーの保護の ような技術のみでは解決できない重要な問題も生じてく る。
5. コンピュータネットワークの将来
 情報化時代の名のもとに,コンピュータの利用分野は 限りなく広がっている。情報のもつ意味が重要になり, 情報量の拡大とその発生源,利用地域の広域化が進む一 方で,処理および判断時間の短縮が要求される。しかも 情報の記憶の主体は計算機ということになり,コンピュ ータネットワークは今後飛躍的に広まるだろう。
 表は英国のT. Johnson氏が1985年の米国に於けるパケ ット交換網利用形態の予測を行ったものである。この表 から社会生活に及ぼす影響を読み取ることができる。我 我の知識源として種々の情報センタのもつデータ(文献 情報,百科辞典型情報等)が重要な役目を果たし,印刷 情報が現在もっている重要度の低下もおこり得るだろう。 どの時点で1つの端末からどの計算機にも接続でき, 1つの端末が多目的に利用されるようになるか,即ち異 機種間接続が自由に行えるように接続のための規約の標 準化が行われるかを予測することは困難であるが,その 時点を境にコンピュータネットワークの利用は急速に拡 大するだろう。利用形態についても,使用経験が新しい 利用形態を生むこともあるであろう。


表 1985年米国におけるパッケット網利用予測
(T.Johnson,Data Communications 1976による)

 氾濫する情報の中から人が必要な情報を選ぶのではな く,必要時に人が必要な情報をひき出すには,重要な知 識は全て蓄積されていること及び必要な情報を能率よく 確実に選択する手法が確立されることが必要である。米 国の情報処理業者が日本に上陸して情報サービスを行お うとしている折から,今後日本が情報処理分野で伸びる ことを考えるならば,ネットワーク構築,世界各国にと っても魅力あるデータベースの完備の問題は無視できな いと考えられる。




降 雨 レ ー ダ
−降雨強度分布測定装置−


通信,放送衛星計画推進本部

1. はじめに
 真白に化粧したレドームを頂くレーダ塔は,鹿島地方 特有の背の低い松林の緑と鮮明なコントラストを呈して 軽快にそびえている(写真)。このレーダには,今年5月 9日から本格的に開始されたETS-Kミリ波伝搬実験, およびCS,BS,ECS伝搬実験において,欠くことので きない重要な任務がゆだねられている。ここで言う降雨 レーダは,気象用レーダという呼び方が一般的であるが, 降雨強度の測定を主目的としているため降雨レーダと呼 ぶことにする。
 電波の波長が雨滴の大きさに近づいてくると,雨域を 通過する電波の減衰を無視できなくなる。したがって, ミリ波や準ミリ波の伝搬実験の主目的は,電波の減衰係 数(dB/q)と降雨強度(o/h)との関係を量的に知る ことにある。降雨強度測定には従来地上に設置された雨 量計が主流を占めていた。雨量計は降雨強度を直接測定 する方式で,その意味では非常に信頼性のある測定器で ある。だがこの高い測定信頼性の裏には,測定区域の限 定性という問題がある。雨量計で測定している降雨強度 は,衛星電波の伝搬路上のそれではないのである。
 電波の降雨減衰解明法として,降雨レーダは新しい手 段であり,遠隔探査装置のカテゴリーに属している。降 雨レーダで受信するのは雨滴によって反射された電力で あり,反射因子(Z因子とも呼ぶ)が厳密に算出されるに はレーダ方程式の中に不確定要素が残っていてはならな い。Z因子から降雨強度を求めるには,両者の間に一義 的な関係(Z-R関係)が成りたつ必要がある。しかし 現実には,降雨のタイプでZ-R関係が異なってくる。 このように降雨レーダを使って降雨強度を求める場合, レーダ方程式とZ-R関係の二段階にわたる不確定要素 を注意深く検討しておかねばならない。このような理由 で,降雨レーダは,雨量計にかわっていまだ主流の座を 占めるには至らないが,研究開発の対象として豊富な研 究内容を含んでいる。
 ここでは鹿島支所に建設された降雨レーダを紹介する。
2. 鹿島降雨レーダの特長
 集中豪雨や台風などの時,気象用レーダはわれわれの 生活に身近かな存在となっている。テレビの天気予報に も気象用レーダで観測した雨域の分布図がしばしば現わ れる。気象庁では日本全土をカバーするレーダ網をすで に完成している。気象用レーダの原理はいたって簡単で, アンテナから発射されたパルス電波の雨域からの後方散 乱波を同じアンテナで受信して,その受信強度からZ因 子(あるいは降雨強度)を,また,その時間差から雨域 までの距離を求めることである。使用される電波の周波 数は,日本ではCバンドと呼ばれる5GHz帯が主流であ る。周波数をどんどん高くすれば雲粒のような微粒子ま で観測可能になるが,途中の減衰も増加してくる。アン テナの仰角をほぼ水平にした状態で回転すれば,一定の 半径をもつ円の内部の降雨状況を観測できる。 もちろん 送信電力が増加すれば観測範囲も拡大する。通常の気象 用レーダでは,その映像をCRT(カソードレイチューブ :テレビの画面に似た表示管)に表示している。このよ うな比較的単純な方式は,設置場所の立地条件をよほど 吟味してからでないと,地面反射雑音(グランド・クラ ッタ)のため,せっかくの雨域情報が消されてしまうこ とがある。


降雨レーダの外観(鹿島支所)

 鹿島支所に降雨レーダを設置するにあたって,使用す る電波の周波数は問題なくCバンドに決まったが,グラ ンド・クラッタに関しては多くの配慮を払わなければな らなかった。まず,レーダ塔(約15m)を建設し,その 上にアンテナを置いて見通しを良くした。それとともに, 通常の水平走査方式をやめて,CAPPI (Constant Altitude Plan Position Indicator)と呼ばれる方式を 採用することにした。これは一定速度(6rpm)で回転 しているアンテナの仰角をほぼ水平に近い状態から徐々 に上げてゆき,ほとんど全天をカバーして,その間のデ ータを蓄積し,その中から任意の等高度面内のデータを 抽出する方式である。この方式を使えば,単に等高度面 内のデータばかりでなく,任意の方向の鉛直面内のデー タ(RHI:Range Height Indlicator)や地上の任意の地 点と衛星を結ぶ通路上のデータなども同時に取得できる 便利さがある。実際にはこれら3種類のデータをとるた めに7分間が必 要である。好都 合なことに,7 分間という時間 内に起る気象現 象の中規模擾乱 の変化は無視で きる。
CAPPI方式は 計算機とレーダ 機構が有機的に 結合してはじめ て可能になるこ とである。小さ な子供は眼で見 た事物をそのま ま口に出して表 現することがあ る。従来の気象用レーダはまさにこれと同じであって, 探知したエコーをそのまま次々と表示してゆくものであ った。大人になると眼で見た事物を記憶しておいて,必 要に応じて頭の中で整理して表現するようになる。鹿島 の降雨レーダは眼と口だけでなく,頭脳をもつレーダと いってもよい。このように計算機と連動したディジタル 処理方式を採用することによって鹿島のような立地条件 の良くない場所でも,最初予想していたよりは格段にク ラッタの少ないデータを得ることに成功した。
 降雨レーダのデータと衛星電波の伝搬データとを関連 づけるうえで重要なことは,衛星電波の伝搬路上の降雨 強度を測定することである。ETS-Uの実験期問には 1個の衛星だけを対象にすればよいが,最盛時にはCS, BSおよびECSの3個の衛星が同時に電波を発射し,その 期間は少なくとも1年間続く。このような場合,一定速 度で回転しているアンテナの仰角を変えながら,これ ら全ての衛星に1分間に1回の割合で均等にビームを向 けなければならない。鹿島の降雨レーダは,このように して各伝搬路上250m毎の降雨強度を測定することがで きる。雨量計による降雨測定域と衛星電波の伝搬路は異 なるが,降雨レーダの場合は両者がほぼ一致しているの で,当然のことながら,降雨レーダを使う方が良いと考 えられる。しかし降雨レーダから降雨強度を厳密に求め る方法がいまだ確立されてないという困難な問題がある。
 降雨レーダで測定される受信電力から降雨強度に換算 する努力はひきつづき鹿島支所で行なわれている。レー ダ方程式に含まれる各種不確定パラメータの実測および 雨量計との比較測定がきめ細かく実行されてきた。レー ダ系の導波管損失はカイツーン(係留気球)に反射球を 吊して実測された。鹿島支所構内に設置されている即応 型雨量計で測定された降雨強度とその真上にある降雨レ ーダのビーム内の降雨強度とを比較して(図参照),不確 定のままで残されていたパラメータを補正した。ただ, 2つの測定器の降雨測定対象域が異なるため,一様に降 っている降雨の場合には両者の測定値は良く一致するが, 変動の激しい降雨の場合は部分的に一致しないところも ある。


図 降雨強度比較測定の概略

 自然現象は一般に複雑な構造をしており,降雨現象の 場合も必ずしも単純ではない。降雨のタイプは大きく分 けて,積乱雲(入道雲)からの対流性降雨と乱層雲(雨 雲)からの層状性降雨および両者の共存的な降雨がある。 対流性降雨では瞬時的な降雨強度の値は大きいが,長続 きしない。一方,層状性降雨では瞬時的な降雨強度の値 はそれほど大きくはないが,長く降り続く場合が多い。 大気の温度は上空ほど低くなるため,地上温度が0℃以 上でも,どこか上空には氷点下の領域が必ず存在する。 中緯度地方の雨は,一般に,この氷点下の領域に発生す る氷晶から始まる。微細な氷晶が周囲の水蒸気を昇華し たり,氷晶どうしが合併したりすることによってしだい に大きく成長して雪となり,落下して0℃以上の領域に 入ると,周囲から融けて水の膜で覆われる。このような 内側が氷で,周囲が水で覆われている状態にレーダ電波 が入射すると異常に大きな後方散乱波が観測される。雪 が完全に水滴になるまでに落下する高度差は数100mほ どであるが,その間だけZ因子が6dBほど強くなる。水 と氷が同じ粒子の中に混在する領域を融解層あるいはブ ライト・バンドと呼んでいる。対象が雪の場合,Z因子 と降雨強度の関係は雨の場合以上に不確定要素が大きい。 その原因として雪片の形状が多種多様であることが考え られる。このような理由でブライト・バンドの中におけ る降雨強度を求めることは困難である。
 ブライトバンドが明瞭に観測できるのは層状性降雨の 場合である。対流性降雨の場合には強い上昇流による混 合効果のために層状構造を呈しない。降雨レーダのデー タから降雨タイプを分類する際の大きな目安はブライト バンドが存在するか否かである。衛星電波も層状性の降 雨域を通過してくれば,水滴だけから一様に構成される 降雨域の場合と違った振舞を示すはずである。特に,交 差偏波識別度に関しては,上層の氷晶や雪片などもかな り影響しているという説が有力である。これらの研究は, 雨量計だけからでは不可能であり,降雨レーダの有効性 が大きく発揮される分野である。
3. 鹿島降雨レーダの運用とデータ解析
 多くの機能を有する鹿島支所の降雨レーダは,計算機 と連動しているので,人手がほとんどかからない。等高 度面内(CAPPIモード)や鉛直面内(RHIモード)の 雨域のパターンを観測するモードと衛星電波の伝搬路上 の降雨強度を測定するモード(Pmモード)とは時間的 には順番になっている。ちょうど列車の機関車にあたる 部分で雨域パターンを観測し,それにつながる客車の部 分で伝搬路上の降雨強度を測定している。1つの客車は 1分間で通過するが,それぞれは最大定員5個の衛星指 定席が用意されている。しかし将来とも多くて3個の指 定席(CS,BS,ECS)しか埋まることはないが,現在 はETS-Uだけという状態で走っている。何個の客車が 連結されるかはソフトウェアで任意に選択できる。
 雨域パターンのデータは降雨強度に関して10段階に分 類して磁気テープに収録されると同時に,NHKテレビで 紹介されたようにカラーのグラフィック・ディスプレイ 装置にも表示される。伝搬路上の降雨強度は生データと して250m毎の受信電力がそのまま磁気テープに収録さ れる。この受信電力の値から,レーダ方程式とZ-R関 係を使って降雨強度を算出する。
 得られた降雨レーダのデータは衛星電波の各種データ と関連づけて解析されなければならない。データ量は膨 大であり,片手間仕事での解析など思いもよらない。現在, ETS-Uの伝搬実験データに関して解析作業が進行中 であり,やがて結果がでてくるであろう。解析項目は多 岐にわたり,降雨レーダが関係するものだけでも相当の ものになる。中でも特筆に値するものは,降雨のタイプ を対流性と層状性に分類して,それぞれの場合について 降雨減衰特性や交差偏波特性の詳細な解析をすることで ある。
4. 今後の問題点
 気象用レーダの建設は電波研究所にとって未経験のこ とであり,仕様書作成の段階では暗中模索の状態であっ た。鹿島のようななだらかな丘陵地帯で,グランド・ク ラックに埋没することなく解析に値するデータが取得で きるであろうかという不安をねぐい去ることはできなか った。しかしすでに運用されている状態を見るとき,ほ っと胸をなでおろしたい気持になる。
 降雨レーダに関するいくつかの不確定要素は最近行な われた「TR(送受切換)管立下り」の測定を最後に何 とか目途がつく段階にまできた。Pmモードのデータにも 若干のクラッタが重畳していたが,除去することに成功 した。鹿島支所の努力で雨量計との比較が精力的に行わ れ,両者の差から不確定要素を決定することができた。
 しかし依然として問題点が全て氷解したわけではない。 最大の問題はやはり降雨レーダと雨量計との比較に集約 される。これまでは図のように高度差にして600mほど 離れた領域の降雨強度を比較してきた。もちろん雨滴が その間を落下するのに必要な時間だけずらして比較して いる。とはいえ雨滴の大きさは幅広く分布しているので, 落下速度も一様でなく,落下中に水平風によって流され てしまうことも考えられる。したがって,できるかぎり 比較する領域を接近させることが望ましいが,逆にあま りにレーダ・ビームの仰角を小さくするとクラッタが増 加するという矛盾に直面する。これらのことを考慮に入 れて,比較測定を行なっており,やがてその結論も得ら れるだろう。
 電波の降雨減衰は基本的には雨滴粒度分布によって決 定される。ビーム中の水の量が同じでも,雨滴の大きさ の分布の形によって減衰係数は違ってくる。レーダを使 って雨滴粒度分布を遠隔測定することが,今後に残され た大きな課題である。現在,鹿島降雨レーダに雨滴粒度 分布測定機能を付加することが検討されている。
5. おわりに
 ミり波帯電波の有効利用が叫ばれて久しいが,これに は降雨減衰についての知識を蓄積する地道な努力が必要 である。
 現在,わが国初の静止衛星ETS-Uから送信されてく る32.5GHz,11.5GHz,1.7GHzの3波を使った降雨減 衰実験が続けられており,降雨に関する種々のデータを 蓄積しつつある。今後の長い期間の実験の無事を希望し てやまない。

(第二特別研究室 主任研究官 田 中  浩)




第20回宇宙空間研究委員会総会及びシンポジウム等に出席して


大 塩 光 夫(企画部)

 宇宙空間研究委員会(COmmittee on SPAce Research, COSPAR)は国際学術連合に設けられた研究委員 会の一つであって,宇宙飛翔体を用いて宇宙空間(惑星 間空間・磁気圏・電離圏・大気圏),惑星,月等の科学研 究を国際的規模において推進し,その情報を交換するた めの国際研究機構である。当該委員会の開催も今年で20 回目を迎えた。今回は東西両洋の文化的接点であり,ヘ ブライイズムの発祥地イスラエル共和国の近代的都市テ ル・アビブ(Tel Aviv)で,6月8日から18日迄開催さ れた。
 COSPARのシンポジウムは,表1に示すように4部か ら成り,夫々6,8,4,及び6分科から成り立ってい た。

表1 COSPARシンポジウムの構成

 COSPAR作業月上及びその分冊(Panel)による公開会議 は表2に示す構成となっていた(表2に於いてW. G. は Open Meeting of Working Groupの略)。これらが数 分科会に分かれ,並行して開催されたので,勿論全貌を 把握する事は出来ないし,筆者の理解を超える。第[分 科会は今回新設されたようであり,無重力下工業の崩芽 は将来性のある分野となるであろう。

表2 COSPAR 作業班及び分班(panel)の公開会議の構成と内容
   (W.G.はOpenn Meeting of Working Grooupの略)

 6月8日に羽田を発った筆者が出席したシンポジウム B. 第7分科会,STIP(表1参照)期間T及びU(地 上観測報告)及び第8分科会,STIP期間J及びU(宇 宙飛翔体観測結果)を略述する。STIPとは地球大気圏 に影響を及ぼす太陽面現象がその飛来空間である惑星間 空間に於いて,そこに存在する惑星間磁場及び稀薄密度 の荷電粒子との相互作用及びその機構の認識を深めよう とする研究である。STIP期間Jは1975年9月から11月, Kは1976年3月15日から5月15日迄で,西独・米両国が 協同で打ち上げ,観測した人工惑星Helios1及び2の軌 道に於いて,研究対象に好都合な位置に対する期間を設 定したものと,聞き及んでいる。第7分科会に於いて,岩 手大高橋教授等の宇宙線に関する研究の発表が取り消し になったのは,残念であった。名大・空電研の柿沼教授 は報告者(取り纏め役)として活躍された。第8分科会 では7件の研究発表があったが,その内訳は西独5,米 ・ソ各1件ずつであって,太陽風の流れ構造,境界,衝 撃波,太陽面異常現象中のα粒子・陽子,コロナの伝搬, 低エネルギー太陽宇宙線組成,コロナ射出のX線等に関 する熱気に満ちた討論が繰り返された。
 筆者が出席したW. A,V. B,及びYの各作業班で は,新事実の紹介というよりは,一つの図面で横軸が10 年間を表わす様な長期間の永々たる努力と,それに基く 熱圏の模型作りの紹介が米国のJacchia教授・西独の Priester教授の座長の下に数多くなされ,熱気のある討 論が繰り返された。ここ10年間位の遠紫外線輻射強度の 長期観測が披露されたのは,筆者に息を呑ませたし,こ の分野で我が国の欠落をまざまざと見せられ残念に思っ た。
 会場広場に置かれた火星探測機の複製と,衛星船から 見た火星の四囲の地表環境の円筒写真は,米国からわざ わざ運搬されて来たものであり,衆目を浴びていた。各 分野の権威者に数多く会えたのも懐しい限りであり,研 究者ならではの味を異国で噛み締めたのであった。
 筆者は国際ウルシグラム世界日警報業務専門家会議へ も出席することになっていた。後述の会議と共に,日本 人一人,しかもこの種の会議に初参加という事で,事の 様子・成り行きが未知なため緊張した。当該会議は6月 13日の華やかなCOSPAR開会式の直後に行われた。今 回の会議には,座長のP. A. Simon(仏),B. D. Bucknam (米,Boulder),J. I. Vette (米,GSFC), A. D. Danilov(ソ連) 各氏,及び筆者が参加した。予め手渡し てあった東京(西太平洋地域電波警報本部,電波研究所 内にある)の報告書を,Simon博士は会議場で「非常に 出来がよい」と披露して呉れたので,気をよくした。こ の出来栄えの良さは,滝口同本部秘書及び丸橋同本部警 報発令責任者の努力に負う処大であり,感謝した。
 筆者はまた人工衛星世界警報センタ会議へも出席した。 6月14日にJ. I. Vette博士の座長の下,10名が各国から 参集して,人工衛星の打ち上げ予定通告時期の変更や人 工衛星観測項目・テレメトリー周波数の告知に関する要 望の採択の可否が討論された。前日の会議に出席してい たVette博士も日本の報告書は「非常に出来がよい」と 披露して呉れた。
 会議場のパル(Pal)ホテルは地中海に面したテルアビ ブ−ヨホ(Yofo)市にある。同市と言えば,昭和47年に日 本人青年某が空港で乱射事件を起こした事を想起される 方も多いであろう。1948年5月14日に英国の桎梏を排除 して高らかにイスラエル共和国の独立宣言が行なわれた のはテルアビブであり,翌年12月4日にイェルサレムに 移る迄同市が首都であった。同市は20世紀になってから 開けたので,近代的な米国式都市であり,古来港町であ った南隣のヨホ市と1950年に合併した。「春の丘」とい う意味を持つテルアビブは市全体として40万人を超す人 口を擁し,同国最大の都会として商工業の色彩に満ちて いる。
 北海道本島よりやや大きい程度の肥沃豊饒でもない小 国イスラエル共和国が,約3500年前より古代エジプト, アッシリア,バビロニア,ペルシア,ローマ,ギリシヤ, アラビア,十字軍,オスマントルコ,英国などに蹂躙さ れ,殺戮され,駆逐され,惨劇の長年月を繰り返して来 たのも,地中海より東へ約55q,標高約700mの灌木地 帯にある旧都イェルサレムの旧市街(約1q四方)にユ ダヤ教・回教・キリスト教の三つの異なる宗教が文字通 り隣接し又は近接し,宗教に根ざした民族の反目と憎悪 に由来している,と筆者は考える。各々の宗徒にとって の聖地であるイェルサレムで,古来如何程の民族のエネ ルギーが結集され,侵略と反撃の攻防がなされた事であ ろう。旧市街を画する城壁に佇む時,古来からのおびた だしい流血と殺戮,阿鼻叫喚と凱歌が,全く異民族の筆 者の脳裡を過ぎるのであった。
 1967年の中東戦争以来小康を保っている現在のイェル サレムは平和で偉大な世界的宗教都市であった。金色の 円蓋のオマール・モスク(回教),嘆きの壁(ユダヤ教),キ リストが十字架を背負って磔刑に処せられる迄歩いた受 難の道(キリスト教),聖墓教会(キリスト教),旧市街南隣 のシオンの山にあるダビデの墓(ユダヤ教),最後の晩餐 の室(キリスト教),聖母昇天教会(キリスト教),旧市街 東隣のオリーブの山にあるゲッセマネの園(キリスト教), 聖母の墓(キリスト教)等,世界的に重要な宗教的史跡 に満ちたイェルサレムは,筆者の胸に深く刻まれた。イ スラエル最初の統一者ダビデ王の生誕地であり,キリス トのそれでもあるベトゥレヘム(パンの家の意味)は, イェルサレム南方8qにある世界最古の宗教都市の一つ と言われる。両聖地に居住するユダヤ人とアラブ人,巡 礼者と兵士は共にこの国の複雑さの象徴であろう。
 祖国の悠久の平和を願うイスラエル人なればこそ,人 人の交わす挨拶が「Shalom(平和)」であり,あの入国 時の完膚なき迄の身体・所持品検査の厳しさを理解出来 るというものである。


写真1 「嘆きの像」の前の筆者


写真2 印度国立物理学研究所のA.P.Mitra副所長(左)と筆者

 ダビデの星はためく日没海岸,焦熱地底の塩の湖たる 死海(湖面海抜下392m,最深793m,塩分23〜25%), 紅海の穏やかな入江エラート湾に身を委ねた感懐,灼熱 の裸山上旧要塞マサダ(西暦73年にローマ軍に占領され た),夕暮れに佇む羊の群を番するアラブの少女,淡い薔 薇色の石造建築物に満ちた端正なイェルサレムの新市街 の絵の様な数々も脳裡を離れまい。
 おおイスラエルよ Shalom !
 イスラエルからパキスタン迄3000qに及ぶ荒涼たる無 毛の中の大都会テヘラン(人口約400万人)で一息入れ, 金曜日に遭遇したためペルシャ文化の一端やペルシャの 市場を訪れる事もなく,沃地印度の首都ニュー・デリー へ向かった。ここには国立物理学研究所があり,その中 に印度地区電波警報準本部がある。正・準西本部の中で最 低緯度(約28度)を占めるニューデリに於いては,赤道 地方特有の超高層大気物理学・太陽地球間物理学的現象 が顕著に生起し,現在入手されていない彼の地に於ける 情報は必ずや我が西太平洋地区電波警報本部の発令に益 するであろうから,情報入手のための先方の意向を打診 する目的を以て筆者は彼の地を訪れた。イスラエルとは 違って,緑樹豊かな同研究所(所内にはキジやリスさえ 遊んでいる)には,副所長兼電波科学部長のA. P. Mitra博士 が居り,筆者のこれ迄の研究生活で論文を通 して種々教えを賜った,いわば論文を通じての師であり, 数年前当所電波部を訪れた事のある懐旧の念いや増す相 手であった。
 3日目の6月20日には同準本部発令責任者B. M. Reddy 博士と前記の件に就いて談合した。この日には請われる ままに電波研究所の現状紹介を準備なしで行ない,その 後詳論となって多くの知人を得た。宇宙空間研究室長の Y. V. Somayajulu博士を論文を通して筆者は知っていた が初めて会った。2年前迄東独のHeinrid Hertz研究所へ 行っていたC. V. Subrahmanyam博士に対しても事情は同じ で懐しかった。我が研究所滞在希望のSaksena博士とも 会った。超高層大気物理学研究室のK. K. Mahajan及び B. C. N. Rao両博士の最近の仕事を聴いた。A. B. Ghosh博士 は「きく2号」ヘの関心を示した。対流圏研究センタの S. P. Singal及びG. S. Uppal両博士は夫々SODAR (Sound Detection And Ranging)の実験結果及び18?GHz電波 の導波管実験装置を見せて呉れた。色々な場面で我が電 波研究所の,佐分利,松浦(延夫),恩藤,新野,福島,小口( 知宏),畚野の諸兄の名前が出て来たのは心強い事であっ た。しかしながら電離層・太陽地球間物理学に関する限 り,我が方より彼の地の方がどうやら活動的である,と 筆者には映った。負けてはなるまい。
 同研究所を訪問して,我が方も大いに考えなければな らないと思った事は,あの低所得額の印度でさえ,所内 に訪問客用の宿泊施設4室を有している事であった。副 所長兼部長が旧式の扇風機を廻しているのに,この施設 は個室用冷房器を以て遇しているのであった。経済大国 日本に於いては,外国との学術・技術の交流をより活発 に円滑に行なうために,研究所内にせめて2室程の訪問 者用宿泊施設を是非設けて貰いたい,と考える。
 2日目の6月19日には,ニュー・デリー南方約200q にある過去の栄光を物語る美の町アグラを観光した。印 度国鉄自慢のタージ急行で約3時間。車窓の風光は,ガ ンジス河流域に広がるヒンドスタン平原上の農耕地であ り,牧草地であり,印度の肥沃さをその田園的・牧歌的 風光の中に見出したのであった。
 アグラではファテプール・シクリ,アグラ城を観光し たが,世界最大の大理石建築物タージ・マハールは,白雲の 幾何学的均整美の故に,猛暑に少々思考力の弱っていた 筆者を一撃するに値した。タージ・マハールはシャハ・ジ ャハン帝が熱愛の妃アルシュマンド・バヌーの死を悼ん で建てた大理石造りの廟で,タージとはこの39才で世を 去った妃の愛称とのことであった。妃の死後1年後の 1631年に着工し,その完成迄に22年の本月と2万人の名匠 ・職人がペルシャ,トルコ等の全回教圏から動員され, 1654年に完成したという。廟の中央円蓋の高さは65m, 台座の一辺は94mあり,円蓋の真下に帝と妃の棺が安 置されている。円蓋に向かって声を発すると実にたおや かな反響があり,この帝と妃の夫婦愛を讃美するかの如 くであった。前庭の人工池及び噴水は涼味を加えて呉れ たが,台座を吹き抜ける俄雨上がりの一陣の風に身を曝 した涼味は忘れられない。眼下の川がガンガ(英名ガン ジス)河だと教えられて,筆者はタージ・マハールに一 層の親しみを覚え,立ち去り難かった。
 深夜の出迎えから日中丸三日間世話をして呉れた B. M. Reddy博士の配下の青年研究者P. K. Pasricha氏及び印度 滞在最後の夜を世話して呉れた青年科学者A. B. Ghosh博 士,並びに往復共深夜の空港−研究所間を運搬して呉れ た運転手氏,更に滞印中宿舎の提供を始め一切の国際的 厚遇を与えて下さったA. P. Mitra博士に深く感謝する。
 ニュー・デリーの夕方は活気があり,交通は輻輳する。 歩行者,純白の水牛,騎馬,自転車,自動二輪車,モー ター・リキシャ,乗用車,タクシー,一階建及び二階建乗 合自動車等である。研究所から市中央部迄は専ら二人乗 りモーター・リキシャを利用した。多い人口による貧困 の様相はインド共和国の名誉のために筆を折ろう。そし て1600年以来350年間英国の抑圧・搾取・蹂躙に苦しん だ結果勝ち取った独立,今や一兵の英軍もいないインド 共和国のアジアの一員としての国家的発展を祈りつつ, 6月21日深夜離印した。
 イスラエル共和国,イラン帝国,及びインド共和国共 にアジア大陸の南辺にある少くとも2600年以上の古さを 誇る固有の文化を持った国々である。アジア州の東端か ら西端迄一万軒に及ぶ海外出張の機会を与えられた糟谷 所長に深謝する。
 紙面の都合で会議の模様及び旅行記は寸描・寸断なら ざるを得なかった事をお断りする。両者に関する若干の 資料は筆者の手元にあるので,御希望の方は問い合わせ られたい。