相関関数を利用した音声処理方式SPAC
−周波数スペクトルの変換とSN比の改善−


通信機器部

   はじめに
 音声波形を伝送するためには,一般に3kHzの周波数 帯域と20dB以上のSN比が必要とされる。ところが, 情報理論の立場からみると,必要な量の何十倍かの冗長 な信号を伝送していることになる。換言すると,波形を 忠実に伝送するのではなく,音声としての情報だけを伝 送すると,狭帯域伝送が可能になり,回線や周波数帯域 を効率的に使用できる。
 1950年代には,通信理論や電子工学の発達に支えられ, 音声の周波数スペクトルを圧縮して伝送し,受信側でこ れを拡大する狭帯域伝送方式,音声信号をパラメータ化 して伝送した後に合成する分析・合成方式などが数多く 提案され,実験が行われた。最近では,ディジタル処理 の理論,技術を基にした伝送方式が提案されている。し かし,これらの中で,実用に供されたものは殆どないと いえよう。その原因としては,装置の複雑さ,価格,品 質に難点があることなどがあげられる。また,このよう なシステムは,入力音声のSN比が低いときに,正常に 動作しないことが多いこともその一因である。
 一方,短波やVHF,UHF帯の移動無線通信などで は,雑音,混信,フェージングなどの影響を受けて,SN 比が低下し通話品質が劣化することが多い。もし,受信 した音声のSN比を改善できるならば,回線の品質を改 善するだけでなく,送信電力の節減や,サービス領域の 拡大にも役立てることができる。しかし,このような観 点の研究は殆ど行われていない。
   SPACと自己相関関数
 音声の狭帯域伝送と,SN比の改善は,音声通信回線 の効率を高めるという点では共通の目標である。ところ で,音声研究室は,1975年に,音声周波数スペクトルの 圧縮・拡大と,入力信号のSN比を改善を行う音声処理 方式,SPAC(Speech:Processing system by use of AutoCorrelation function) を開発した。SPACは自 己相関関数ψ(τ)の性質を利用した新しい概念の方式で ある。SPACに関係するψ(τ)の性質には,次のものが あげられる。
 音声波形f(t)が周期波のとき,
 (1) f(t)のψ(τ)は,f(t)と同じ周波数成分からなる,
 (2) ψ(τ)はf(t)の位相の影響を受けない,
 (3) ψ(τ)によるとf(t)よりも周期の検出が容易,
f(t)がランダムな波形のとき,
 (4) ψ(τ)のエネルギは,τ=0の附近に集中する。
 音声のように,時間的に変化する信号に対しては,積 分時間を限定した短時間自己相関関数ρ(τ)を用いるが, ρ(τ)にもψ(τ)と同じ性質があるとみなせる。
 ρ(τ)は,従来,周期性信号の検出,計測,スペクトル を求める手法などに用いられてきた。SPACでは視点 を変えて,ρ(τ)を波形信号として扱う。SPACの処理 過程を図1に示す。波形信号f(t)を,一時,メモリに記 憶した後に読み出し,短時間自己相関関数ρ(τ)を計算す る。ρ(τ)から1周期Tを決定し,1周期Tの波形を切り 出し,CTの時間に出力波形g(t)としてとり出す。次 のρ(τ)は,f(t)をKTだけシフトした時刻につい て計算し,1周期Tの波形の切り出しを行う。この処理 を反復すると,連続的な出力波形g(t)が得られる。こ のとき,C=K>1とすると,実時間で周波数スペクト ルの1/Kの圧縮が,C=K<1とするとK倍の拡大が行 われる。一方,C=1とし,K>1ならば時間軸の短縮 が,K<1では伸長ができるが,これは実時間では実行 できない。また,ρ(τ)から波形を切り出すとき,ρ(0) 附近を避けることにより,SN比の改善されたg(t)を 得ることができる。


図1 SPACの処理過程

   SPACの特徴と機能
 音声波形を直接処理する周波数スペクトル変換方式と 比較すると,SPACには音声の基本周期と変換比の非 同期に起因するひずみがない。また,分析・合成による 狭帯域伝送方式と比べると,処理系が簡単で基本周期抽 出誤差による品質の劣化が少ない。また,従来の音声処 理方式では,雑音のため動作が不確実になることが多か ったが,SPACはSN比が低くても正常に働くだけで なく,SN比を改善する能力がある。これらは,実用上 の大きな利点である。
 理論的解析や,計算機シミュレーションによる実験で 調べたSPACの基本的機能の概要を,以下に示す。
 A. 周波数スペクトルの圧縮・拡大:1/3〜数倍,
 B. 時間軸の短縮・伸長:1/3〜数倍,
 C. 雑音レベルの低下:SN比0dB(ランダム雑音) のとき,13dB程度,
 D. 振幅量子化レベルの節減:3ビットまで減らして も品質は殆ど変らない。
   SPACの応用
 SPACには前述のような種々の機能があるので,こ れを利用した多くの用途が考えられる。主な用途と 機能を対応させて表に示す。

表 SPACの機能と期待される用途

 いわゆる通信だけでなく,民生,放送,福祉,海 洋などの各分野で使用できる可能性がある。
 現在,通信に利用する場合を中心に評価検討をす すめているので,その概要を紹介する。
 (1) SN比の改善:騒音環境で発声されたために 聞き取り難い音声,回線の状態が悪くてSN比が低 下した音声に共通して適用できる。SPACを適用 した場合,極めてきき易くなり,疲労が少なくなる。し かし,SN比が低くても,人間のききとりの能力は意外 に大きく,SPACを適用しても音節明りょう度を改善 する程の効果は得られていない。SN比改善の例を図2 (スペクトログラム)で示す。


図2 SPACによるSN比改善の例
(a)入力音声:SN比は約0dB
(b)SPACで処理した音声(C=K=1)

 (2) ヘリウム音声の了解性の改善:ヘリウム空気の音 速の上昇に起因するヘリウム音声のひずみをSPACで 修正したところ,音節明りょう度は26%から45%に上昇 し,自然性も大幅に改善された。
 (3) 低ビット率伝送(Low Bit Rate Transmission): 振幅量子化のビット数を減じても,SPACの場合は品 質劣化の度合が少なく,3ビットで70%以上の音節明り ょう度が得られる。また,1ビットの波形(零交差波, 10kbps)は,そのままでは了解性はよくても雑音やひず みが多く,許容できる通話品質ではない。しかし,零交 差波をSPACで処理すると,雑音やひずみが減少して 非常に聞き易くなる。なお,70%以上の音節明りょう度 が得られるので,専用回線などでは使用できるものと考 えられる。
 ADM(Adaptive Delta Modulation:適合デルタ変調) を用いると,20〜30kbpsで音声を伝送することができる。 ADMとSPACを組み合わせると,より低ビット率伝 送が可能になる。10kbpsのとき,零交差波とSPACの 組み合せよりも,より自然な音声を得ることができた。
 (4) 圧縮・拡大による狭帯域伝送:圧縮率は1/3程度 が限界で,これ以上大きくとると品質の劣化が大きい。 定量的評価は,未着手である。
 (5) その他:振幅情報を伝送しないリンコンペックス (本ニュースNo.20参照)の受信信号の処理を試みている。 その他,種々の伝送方式と組み合わせて情報伝送速度を 小さくしたり,ひずみを軽減することが考えられる。
   今後の課題
 SPACは,音声処理方式としては実用的方式と考え られるが,まだ検討しなければならないことがある。特 に,処理された音声は,原音声に比較するとやや不自然 な感を受ける。これは,相関関数の波形を直接きくこと に起因し,前処理(ダイナミック・レンジの圧縮)により 軽減されている。しかし,まだ不十分で,現段階では放 送用のような高品質の音声を得ることには難点がある。
 通信に関連する諸問題では,最適パラメータの設定, 定量的評価が一部に残されている。また,実用化の可能 性の検討には,システムとしての総合評価,回線試験な どを行わなければならず,そのためのハードウェアの製 作を進めている。
 民生,福祉などの用途で,SPACを利用するために は,ハードウェアの価格が最大の要因になると考えられ る。SPACの演算は自己相関関数の計算だけであるが, これは積和計算に帰着し非常に簡単である。しかし,高 速の計算回路やメモリ,制御回路などを必要とするので, 大規模集積回路(LSI)による低廉化が望まれる。
   おわりに
 音声波形を自己相関関数に変換して波形信号とするこ とにより,音声の周波数スペクトルの圧縮・拡大,時間 軸の伸縮,音声信号に重じょうした雑音レベルの減少等 に役立つ音声処理方式SPACの概要を紹介した。SP ACの機能は,音声通信・音声処理に新生面を開くもの であり,実用化の可能性は高いものと期待している。

(音声研究室長 鈴木 誠史)




オメガ航法に影響を及ぼす地球物理諸現象


犬吠電波観測所

   はじめに
 電波航法の最終版として登場したオメガ航法は,周波 数10〜14kHzの超長波(VLF)電波の非常に安定した 伝搬を基礎としている。その伝搬は,数千qから1万q の長距離に及び,各種電離層擾乱時においても,短波帯 電波に見られるような信号の消滅はなく,大洋上での船 位決定に非常に都合の良い電波である。VLF電波の位 相を連続記録させると,電波が反射される下部電離層の 高度が,太陽天頂角と共に変化するのに対応して,規則 的な位相日変化が見られる。太陽活動が比較的静かな時に は,記録紙上で規則正しい台形状の日変化がくりかえさ れ、この規則性が、誤差1q以内といわれる高い航法精 度を可能にしてくれる。しかし,ひとたび太陽活動が活 発になると,X線や高エネルギー粒子が放出され,直接, 間接に,下部電離層を異常電離する。これにより,VLF 電波位相は大きく変化し,船位測定の誤差となる。大 規模な太陽フレアが起こった場合には,この誤差は10q 以上にも達し,船舶関係者の頭を悩ませるわけである。 また,数qの誤差を生ずる小規模の擾乱は,頻繁に起き ており,オメガ航法そのものの信頼性を低下させる原因 となっている。
 航法誤差を引き起こす最大の原因は,太陽フレアによ り放出される各種電磁波,高エネルギー粒子,プラズマ 等であるが,地球磁気圏を含む地球近傍に直接の原因(例 えば,極光粒子による異常電離など)がある場合も少な くない。これらの地球物理現象による航法誤差を,今, ただちに取り除くことはできないが,将来完備されるで あろう電波警報システムのために,また,現在の運用の 中で,誤差をもたらす現象にどのようなものがあり,誤 差の程度が如何程のものであるかを知ることは,有益で あると考える。


犬吠で観測された太陽X線による急始位相異常の1例(1978年1月8日)

   太陽フレア
 太陽面上の黒点領域で,エネルギーが突発的に放出さ れる現象をフレ アと呼んでいる が,この際,X 線が放出され, 日照半球の下部 電離層を異常電 離する。これに より,VLF電 波の反射高が下 がり,一般に電 波位相の進みと なって現われる。 例えば,最近起 こった大規模な フレアでは、赤 道を斜めに横切るREUNION-13.6kHz(マダガスカル東 方の仏領ラ・レユニオン島)が犬吠では89cec(100cec =1cycle)の位相進みを示し,極光帯を通ってくる ALDRA-13.6kHz(ノルウェー)は11cecの進みを示した。 前頁の図はその位相進みの様子を示したもので,縦軸の 全幅は100cecに対応し,時刻(UT)は右から左へ経過す る。擾乱は,1時間程度の短時間で回復しているが,こ の間,最大10q程度、の船位誤差を生じる。フレアX線の 影響を受けるのは日照半球であるが,この例に見る通り, 太陽天頂角の小さい赤道領域を通過する回線が,最も大 きな影響を受ける。フレアを避けるためには,夜半球や 高緯度を通る回線を用いれば良いということになるが, これらの領域では,以下に見る通り,別の誤差要因が待 ち受けている。
   太陽陽子
 フレアの中には,高エネルギーの陽子を放出するもの があり,フレア程頻繁に起こるものではないが(1976年 中5個),高緯度回線が,数日から10日間にわたって影響 を受ける。荷電粒子は磁力線沿いに運動しやすい性質を 持つために,陽子は極冠域へ降りそそぎ,補正地磁気緯 度65°以上を通過する回線が影響を受ける。大きな現象の 場合,100cecに達する位相進みを示す場合があるが,通 常,50cec程度である。したがって,5q以上の航法誤 差を受けることになる。
   地磁気嵐
(a) フレアに伴う地磁気嵐 太陽からプラズマのかたま りが放出され,地球磁気圏に衝突することにより,地球 磁場が大きく乱される。補正地磁気緯度で60〜70°の極 光帯を通過するALDRA,NORTHDAKOTA(米国)回 線に顕著な位相進みが見られる。60°以下の亜極光帯を通 過する回線も,亜極光帯が夜側に位置する時,位相進み が見られる。継続時間は,数日から10日間に及び,30cec 程度の位相擾乱がある。数日間にわたって下部電離層を 電離しつづける高エネルギー粒子は,静穏時・地球磁力 線に捕捉されていた放射線帯粒子と考えられ,地磁気嵐 時,磁気圏がゆさふられることにより,これらの粒子が 電離層に降りそそぐわけである。
(b) 回帰性磁気風 太陽面の特定領域からは,常時,高 速のプラズマ流が惑星間空間へ吹き出しており,これが 地球磁気圏に衝突することにより,磁気擾乱が起こる。 この擾乱は,フレア性の突発的なものと異なり,太陽の 自転周期27日毎にめぐってくる性質を持つ。極光帯を通 る回線は,この影響を受けて,位相レベルが“回帰性” 変動を示している。位相変動量は,フレア性磁気擾乱の 場合と同程度か,それ以上に及び,27日を周期とするた め,約13日間に,40cecくらい進む。
(c) 極磁気嵐(オーロラ嵐) 磁気圏後部から高エネル ギー粒子が,磁力線沿いに電離層に降り込むことにより, 極光を発生させると共に,局地的に激しい地磁気擾乱を 起こし,また,下部電離層を異常電離する。時間規模は 数時間程度で,太陽X線による位相進みと似ているが, 高緯度夜側に起こるのが特徴である。影響を受けるのは, 犬吠の例では極光帯の比較的高緯度部分を通るALDRA 回線であり,低緯度部分を通るNORTH DAKOTA回線 はあまり影響を受けない。極光粒子は比較的エネルギー が小さく,1000γという大きな極磁気嵐が起こった場合 でも,位相変化は15cec程度で,船位誤差はたかだか 2qである。
 以上述べた各現象とオメガ航法誤差の関係を一覧表に すると,表1のようになる。また,犬吠電波観測所で受 信しているオメガ電波回線と,上記現象との関係を示し たのが,表2である。

表1 地球物理現象とオメガ航法誤差の関係の一覧表

表2 犬吠とオメガ電波回線と地球物理諸現象との関係

   その他の位相異常
 太陽地球間現象を原因とする上記の位相擾乱の他に, 原因はよく分からないが,無視できない位相異常がいく つか存在する。極光帯を通過する回線で,1時間程度の 時間規模を持つ位相遅れが,主に昼間側に見られる。高 緯度特有の現象ではあるが,原因はまったく不明である。 また,中高緯度を通る回線では,恐らく中性大気中の現 象と関係があると思われるが,冬季,数日以上にわたっ て位相進みが見られる。更に,回線が低緯度に位置し, 比較的安定な伝搬をするはずのHAIKU(ハワイ)回線で, 夜間の位相レベルが日々大きな変動を示し,その量は30 〜50cecにも達している。
   むすび
 オメガ航法は双曲線航法であるため,最低三つの回線 を同時に利用しなければならない。したがって,それぞ れに問題点をかかえた低緯度から高緯度にわたる回線を 用いなければならないわけであるが,航法が位相差を利 用していることから,同種の現象が現われる回線を対と して選べば,ある程度誤差を相殺することができる。し かし,数千qにわたる範囲に,同一現象が同程度に出現 することはまず考えられず,擾乱発生時には必ず航法誤 差が生ずると考えなければならない。これまでの研究で 明らかにされたように,各回線には,その通過緯度,太 陽との位置関係などによって,それぞれに特徴的な擾乱 がある。したがって,陸上の1点で各回線を監視するこ とにより,現在何が起こっているか,また,どの回線が どの程度の擾乱を受けているか,を知ることは可能であ る。これを各船舶に通報するシステムが完備されれば, 航法精度は大きく改善され,オメガ航法が,看板どおり, 電波航法の最終版と呼ばれるにふさわしいものとなるで あろう。最近,領海200カイリを宣言する国が増えてい るが,太陽に爆発が起こったために,領海を犯したとい うようなことが起こらないためにも,こうした通報シス テムの完成が望まれる。言うまでもなく,太陽地球間物 理学の研究がこれらの基礎をなしており,まだまだ解決 すべき重要な問題が山積している。VLF電波の伝搬機 構の研究と共に,更に発展させていく必要がある。

(研究官 菊池 崇)




ヨーク大学に滞在して


猪股 英行(企画部)

 昭和51年度科学技術庁長期在外研究員として,51年の 9月から1年間カナダのトロント市郊外にあるヨーク大 学(York University)に滞在し,大気汚染ガス検出用レー ザ・レーダ・システムの研究に従事する機会を得た。雑 感を交えてその概要を報告する。
 ヨーク大学の歴史は浅く,1959年にトロント大学の分 校として発足し,1965年にオンタリオ州立の総合大学を 目差して独立した,今なお発展中の大学である。夜間部 に学ぶ者も含めて2万人以上の学生が,カナダ全土はも とより世界中の国々から集まって来ている。開学以来100 年以上の歴史を有するトロント大学は,市の繁華街にあ って,校舎等の建築物には中世の城を想起させる豪壮な ものが多いのに対して,ヨーク大学では1マイル四方の 広い敷地の中に,近代的な建物が芝生に囲まれて点在し ているといった具合に両者は対照的である。


ヨーク大学のキャンパス

 ヨーク大学では物理学科と化学科の,主に実験と観測 を専門とする職員でCRESS (Center for Research in Experimental Space Science) を組織し,互に密接な連 絡を取りながら大気物理学の諸問題を研究している。そ このプロジェクトの一つに「レーザによる大気診断 (Laser Diagnostics of the Atmnosphere)」があり,専用 の車に搭載したレーザ・レーダを用いて,ユニークな観測 を行っている。通常の,ミー散乱を受信するレーザ・レ ーダでは,浮遊粒子からの散乱光電力のみを問題にして いるのに対して,ここのシステムは純度の高い直線偏波 のレーザを送信し,受信部にはそれと平行な偏波成分を 検出するチャンネルと,その偏波に直交した成分を検出 するチャンネルとを備えている。即ち,散乱体の性質で 決まる偏光解消度が測定できる。霧等における密度の高 い微小粒子による散乱の場合には,多重散乱の過程が偏 光解消度に寄与し,氷晶を伴う雲等による散乱の場合に は,氷晶の球形からのずれが偏光解消度をもたらし,こ の寄与は多重散乱過程による寄与よりも大きいことを見 出している。従って,雲による散乱の偏光解消度を観測す れば,その雲が水滴で構成されているのか氷晶体で構成さ れているのかの識別が容易につき,数層にもわたって雲 ができている場合に,或る層の雲だけが氷晶体を含んで いることを検出した例は,非常に優れた観測結果である。
 カナダは日本の27倍の国土を有し,人口はその5分の 1であることからか,大気汚染が社会問題になったこと は殆ど無いようであるが,ヒューロン湖の北東部にある サドベリー(Sudbury)の精錬工場からは,世界中で全地 球上に放出される亜硫酸ガス(SO2)の,約3分の1に相当 する量が放出されている。この事実を踏まえて,Carswell 教授と相談し,SO2を測定するための差分吸収方式レー ザ・レーダの製作に取りかかることになった。
 差分吸収方式レーザ・レーダでは,対象とする汚染ガス の種類に固有な吸収スペクトルの,吸収の強いところと 弱いところの二つの波長でレーザ光を送信し,大気中の 浮遊粒子によって 散乱された光をそ れぞれの波長で受 信し,その電力の 比から対象とした 汚染ガスの濃度を 求める。例えば, 0.1ppmの濃度で100mにわたってSO2が存在する場合に, 上述の比の値は1.01(即ち,SO2が全く存在しない場合 に較べて1%しか変化しない)程度にしかならないので, 測定装置のシステム全体としての精度を,如何にして向 上させるかの研究が重要である。
 さて,通常の差分吸収方式のシステムでは,SN比を 上げるためとその簡便さから,所要2波長のうちの一方 での測定を,数回から1000回程度繰り返した後に,波長 を他方に切り換えて,同様の測定を行う方法が採られて いる。この方法の利点は,システムの構成が簡単であり, 信号処理回路が1チャンネルで済むことである。しかし, レーザが伝搬する大気の状態に目を向けて見ると,そこ には様々な原因から生ずる運動があり,時間的に一定で あると見做せるのは,地表近くの大気で100μsec〜1m sec以内である。つまり,2波長での測定が時間を置い て行われるこの方法には,その間の大気状態の変動が, そのまま測定誤差となって現われるという欠点がある。
 この欠点を解消する方法として,2波長同時発振の光 源部と2チャンネルの信号処理回路を用いて,所要2波 長での測定を同時に行うシステムが考えられている。当 然のことながらシステムの構成が複雑になり,特に波長 差の小さい二つの信号成分を完全に分離することは容易 ではない。
 滞在期間中に,上述した二つの方法の中間に位置する 方法を提案し,そのシステムを試作した。光源部には, 前述の偏光解消度測定用レーザ・レーダに使われている, ルビー・レーザの第2高調波で励起する色素レーザ(所要 2波長のいずれかを任意に発振できる)を用い,この励 起光の一部を参照光として,各色素レーザのパルスとと もに,同時に大気中に送信するのが特徴である。つまり, 容易に得られる第3の波長の光で,パルス射出時の大気 状態を監視しようという考え方である。この場合,信号 処理回路は2チャンネル必要であるが,所要2波長と第 3の波長との差は大きいので,それらの信号成分の分離 は容易である。滞在期間中にこのシステムを,野外実験 に使えるまでに整備することはできなかったが,現在こ の仕事は継続されている。
 カナダは人種のモザイクであると言われているが,そ のことを裏付ける行事を堪能した思い出がある。それは 毎年6月に10日間に亘って行われるCaravanという催し で,トロントに住んでいる各民族がそのお国自慢を,そ れぞれの大使館を中心とするパビリオンで発表するもの である。美しい民俗衣装を身に付けてダイナミックなコ ザック・ダンスを披露するソ連邦からの男女,神秘的な 踊りのインドからのグループ,抑圧の歴史を語るカナダ ・インディアン等が印象に残っている。各地の特産物と ともに提供される民俗酒と民俗料理を味わいながら,50 にも達するパビリオンを訪ねてまわるのは非常に楽しく, 多くの民族が,それもかなり大勢で,祖国を忘れること なく住んでいるからこそ計画できる行事であろう。
 ケベック独立党がケベック州議会で多数を占めて以来, 英語系住民が州を離れていくといった事態が生じ,カナ ダの国情はかなり不安になっている。また,高い失業率 の問題があるが,福祉行政が進んでいるので高額の失業 保険が手に入ることから,安い給料でつまらない仕事を するくらいなら休んでいた方がましだとする,カナダ国 民の勤労意欲の低下の方がより大きな問題であろう。
 それにしても,良く整備された多くの公共施設を利用 できる生活の快適さは,今の日本では比べようがない。 2ドルの駐車料金を払えば朝から晩まで釣ができ,泳げ, 散策できる幾つもの広大なConservation Areaに,焼肉 用のHibachiを持って何度も出かけた。もっとも,この ような楽しみ方をするのは低所得者層の人々で,高給取 りは自分のキャンピング・カーやボートを車に牽いて, 別荘ヘ,湖へ,川へと遠出する。冬が特に厳しいからか, 人々の夏を待つ願いは強く,暖かくなってからの彼等の 遊び振りには目を見張るものがある。
 滞在先の多くの方々の理解と好意に恵まれて,非常に 有意義な生活を送ることができた。Carswell教授の経済 的な援助を受けて出席したフィラデルフィアの国際会議 では,電波研から依頼された2件の代理講演をも含めて3 度も登壇し,拙い英語で奮闘したために,委員長のCooney 教授から労いの言葉をかけられたことも,忘れ得ぬ思い 出の一こまである。トロントを去る直前に,“Thank You Sake Party” を開いてお世話になった方々に感謝した。
 終わりに,在外研究員としてヨーク大学に滞在する機 会を与えて下さった科学技術庁振興局および電波研究所 の関係各位に,心から感謝いたします。




無線通信に関するIECハーグ会議に出席して


村主 行康(情報処理部長)

   はじめに
 IEC(国際電気標準会議)については,日本電子機械 工業会の岡修一郎氏が「国際電気通信連合と日本」の 1977年9月号に詳しく述べられているので割愛するが,各 国の電気及び電子技術に関する標準について,調整と統 一をはかることを目的としており,
 1) 用語等表現法の共通化,
 2) 標準試験法,及び性能の標準表示法,
 3) 同意が得られた場合には,品質,性能の水準,
 4) 互換性のための要素の統一,及び生産性のための 品種制限,
 5) 人命安全
の分野に於て作業が進められている。
 IECの中には専門委員会(TC)が78あり,その他 CISPR(国際無線障害特別委),CMT(電気鉄道国際 混合委),ACET(電子通信諮問委),ACOS(安全性諮 問委)の4委員会がある。今回ハーグで開催された委員 会はTC12(無線通信),及びその分科委員会(SC)で ある。
 TC12の分科委員会としてはSC12A(受信機), SC12B(安全),SC12C(送信機),SC12D(アン テナ),SC12E(マイクロ波システム),SC12F(移 動用無線装置),及びSC12G(共同受信システム)があ るが,今回のハーグ会議ではTC12の他にSC12C,SC12D, SC12E,及びSC12Fが開催された。
 IECの,戦後における日本の,国内委員会としては, 通産省工業技術院の附属機関である日本工業標準調査会 (JISC)がその任に当っている。CISPRは,JISCよ り電波監理局にその審議が委託され,電波技術審議会で 審議されている。TC12は電子通信学会に委託されてい るが,その専門委員長には代々電波関係者が任命され, 二条弼基,藤木栄,平野正雄,大村保,鈴木一雄の諸氏 が昭和33年よりその任を果してきており,現在は筆者が その任に当っている。
 日本国内に於けるTC12の活動は,昭和50年頃迄は特 に活発というほどのものではなかったが,日本製のテレ ビ,ラジオが欧米を席巻していたので,国際的に強い反 発を受け,種々の経緯もあったが,SC12Aの幹事国を 引き受けざるを得なくなった時から事情が変り,否が応 でも活発な活動をせざるを得なくなった。現在SC12A の幹事には尾佐竹徇氏が任命されており,1976年11月の ベオグラード会議よりその任を果している。


ハーグ会議の行われた会場

   ハーグ会議の主要論議
 会議は,ハーグ市のホテル・ベルエアーで,昭和52年 11月14日より19日までの間開催された。日本からは,小 山薫(日電:12,12E),三国良彦(東芝:12D),森山 節二(NHK技 研:12,12C), 村主行康(電波 研:12,12E, 12F),鈴木祥生 (東芝:12,12E) の5名が出席し た。なお,登録 者リストによると参加国は13ヶ国,2オブザバー(CCIR, IEC中央事務局)であり,参加人員は69名であった。意 外だったのは,主催国オランダの参加者が10名であった のに対し,英国からは17名の代表が参加したことであり, オランダ国またはフィリップス社の政策に,何か大きな 変動があったのではないかと考えさせられた。
 放送用送信機関係で注目すべきことは, non-ionizinig radiation hazardに関する報告書が作られたことである。 最近EMC(環境電磁工学)とか電波の人体への影響と かが話題に上っているが,この報告書は各国及び国際機 関での規制の現状をまとめる意図で作られたものである。 今後,各国からのコメントにより集大成されるものであ るが,現状の報告書としては他に類がないので有用と思 われ,IEC中央事務局を通じてCCIRにも送付され る筈である。
 移動業務用機器の関係では,日本が念願していた干渉 妨害の測定法の統一化は賛成多数で採択になり,今後正 式に各国内委員会の意向を確かめることになるが,非参 加国の態度をも含め,今後も注意しておく必要がある。自 動車雑音及びそのimmunity(免疫性)の問題については CISPRとの協調が必要であるが,それぞれの立場から 原則を主張しており,結論として,12Fだけで先行する おそれもある。また測定法の決定迄に時間がかかり,そ の間電子技術が急速に進歩するため,今迄見出せなかっ た誤りが発見された時の措置についての話が出たが,こ れは担当当事者間及び中央事務局とで別途に打ち合わせ, 処置することとなった。
 過去10年間TC12の議長をしていた仏のMr. Dumatが, 規定により,このハーグ会議を最後に退任し,その後任 に仏のMr. Baudinが任命された。
   英,仏における計算機ネットワーク
 衛星利用の計算機ネットワークについては欧州でも研 究が行われている筈であるが,今回訪問したIRIA(仏 ・情報及びオートメーション研究所)及びUKPO(英・ 郵便庁)での討議の印象では,未だ研究に着手していな いように感じられた。欧州での計算機ネットワークの研 究は,主としてオンライン情報検索的なものであり,こ れについては各種の研究開発が行われている。仏は,パ ケット交換技術を利用したRCP網等の開発(1972年) に着手し,その後TRANSPAC計画として広く商用に 用いられる通信網の建設を行っている。この新しいデー タ通信網を利用し,計算機間の通信技術として開発され たCYCLADES計画が推進されている。UKPOでは, データ通信網としてのDATELサービスに主体を置い ており,パケット交換サービスは各種の研究所を中心と する約30のユーザ間で実験的に行われている程度である。 なお欧州では,データ通信網としてはEURONET等が, 計算機ネットワークとしてはEIN,ESA等が主要なも のであろう。
   おわりに
 TC12では無線通信機器の測定法を審議しているが, 郵政省はこれらの測定法については,JESでの審議に 参加し,貢献している。JESはIECと同じにするこ とが好ましいとされているので,以上の点を考慮し,国 内的にも国際的にも高い評価を得られるように努力すべ きであろう。また計算機ネットワークについても世界の 大勢を見ながら研究を進めて行く必要がある。
 最後に,今回の会議出席ならびに視察の機会を与えて いただいた関係各位に対し深く感謝致します。