今年度の研究計画は,昨年度と同様に宇宙開発が最も
重要な柱となっている。すなわちCS,BS及びISS-b
による実験研究である。そして,もしECS「あやめ」
が成功していれば,当所は空前の活況を呈していたはず
である。「あやめ」の予備衛星ECS-bの早期打上げを
要望しており,当所の実験準備は整っている(下表の中
のJ-135,55181,67603,68601等参照)。このほかの宇宙
開発関係の重要研究については,航空・海上技術衛星
(AMES)の先行研究となるべき「衛星を利用した海上通
信技術の研究開発」を今年度から本格的に推進するとと
もに(56622),昨年度からの継続として衛星搭載用アク
ティブマイクロ波センサーの研究開発を進める(55241)。
なお,毎年行われる「宇宙開発計画の見直し要望」に
備えて,昨年所内に設置した「電波研究所宇宙開発計画
検討委員会」が組織的に活動しており(J-133),また,
宇宙開発委員会により決められた宇宙開発計画のうち,
当所に係るもの(CS,BS,ISS-b等)を実施する
に際して必要となる総合調整役として「電波研究所宇宙
開発研究調整委員会」を本年3月設置し,当所の宇宙開
発が適正かつ円滑に推進するよう図っている(J-136)。
周波数資源の開発は,本省と協力して昭和52年度から
推進してきており,今年度の研究課題としては(1)40GHz
以上の周波数帯の開発(54421),(2)VHF帯及びUHF
帯における狭帯域化通信方式(リンコンペックス)の開
発(56320),(3)スペクトラム拡散地上通信方式の開発
(56320)があり,特に最後の項目は今年度から本格的に
取り組むものである。
超長基線干渉計(VLBI)については,これまでも
鹿島支所と電電公社横須賀電気通信研究所との間で
ATS-1を利用して実験を行い一応の成果を得たが,より
高精度のVLBIシステムの開発を,昭和54年度を初年
度とする五か年計画により推進することにしている
(67320)。なお,VLBIについては,宇宙分野における日
米専門家会議において積極的に検討されており,当所と
してもその動向に十分留意している。
上記の重要研究計画にも関連するが,本省から研究調
査を協力依頼されている新規事項3件((1)CS-2及び
BS-2に係わる協力,(2)CS実験に係わる協力,(3)衛星
を用いた捜索救助システムに係わる研究,調査)及び継
続事項6件についても,当所の研究計画に取り入れ協力
していくことにしている。
以下に本年度研究計画の一覧を示す。
(企画部第一課)
研究計画一覧表1
研究計画一覧表2
研究計画一覧表3
研究計画一覧表4
周波数標準部
はじめに
図1 現用原子標準器の周波数安定度
原子時の採用により各国とも連続運転ので
きる商用セシウム時計群による原子時の発生
を行い,国際報時局(BIH)は各国標準研
究所でのこれら時計群による原子時の国際相
互比較に基づき約1×10^-13/年の高い一様さ
をもつ国際原子時を構成してきた。しかしこ
の国際原子時の“秒”がドイツ(PTB),カナ
ダ(NRC),アメリカ(NBS)の大形セシウ
ム一次標準器からみて時計の歩度が約
1×10^-12高いことが確認され,一昨年1月1日に
その周波数ステップを行い,以来この大形標
準器により国際原子時の微小補正を行ってそ
の絶対値を維持している。
現在この国際原子時を精密較正できる確度の高い標準
器は上記3研究所にしかなく,国際原子時の高確度維持
には数が足りないため,秒に関する諮問委員会(CCDS)
では,今後各国において大形セシウム標準器の開発研究
の推進と,国際原子時補正への参加を望むことを決議し
た。
これらを契機として各国とも大形セシウム標準器の開
発と周波数確度向上の研究が盛んとなり,上記3研究所
に加えてソ連,日本(計量研究所,電波研究所),英国(NPL),
中国が開発を進めている。また前記3研究所の一次標準
についても現在10^-14台の確度達成を目指した研究が続け
られており,さらにアメリカ,カナダでは商用セシウム
標準器の代わりに大形実用セシウム標準器の連続運転を
行いこれを基として高い確度の原子時を構成している。
電波研究所では周波数安定度の点から水素メーザを開
発し,その周波数の絶対値の決定を行ってきたが,この
間,セシウム標準の確度向上とこの大形標準器開発の世
界的すう勢に応じ,昭和50年度より大形セシウム標準の
開発に着手した。これは商用セシウム標準の確度不足と
日本が地理的に離れていることから生ずる時計の国際比
較精度の低いことを補い,正確な時刻と周波数の標準電
波を供給するとともにアジア地域の中心国として国際的
にも寄与することを目的にしている。現在“確度の高い
実用標準器”の開発を目標に実験装置を試作中で,この
間に得られた成果は昨年の精密電磁気測定国際集会(C
PEM)で発表され,IEEEにも掲載された。またこ
の試作実験装置は計量研究所の装置とともに世界のセシ
ウム一次標準器のリストに載り,今後の周波数確度の発
表が期待され,国際原子時の調整作業グループヘの参加
招請も受けるようになった。電波研究所ではこの大形セ
シウム標準器を完成し,新設の水素メーザと組み合わせ,
“一様で正確な原子時”を発生し国際的寄与をも図る計画
である。
セシウム標準器の原理と構成
セシウム標準器はセシウム原子固有の共鳴スペクトル
を利用したもので,1955年イギリス(NPL)で初めて
標準器の実験に成功して以来,現用の原子標準器の中で
最も長い歴史をもっている。この標準器の構成を図2に
示す。標準器は図のように水晶発振器の周波数を逓倍し,
共振器を励振するマイクロ波をつくる。この励振周波数
を掃引し,セシウム原子に共鳴したときの検出信号で水
晶発振器をロックする。この原子の共鳴は,原子固有の
高いエネルギー状態と低いエネルギー状態間で原子が移
るときに起る。マイクロ波の共鳴ではこの高いエネルギ
ー状態と低い状態とにある原子数差比は約0.1%と極め
て小さいので,共鳴信号のS/N比を上げるため,セシ
ウム標準器に6極(または2極)マグネットを使ってエ
ネルギーの高い(または低い)原子を選び出す。図では
セシウム炉から出た原子ビームを最初のマグネットによ
り原子のエネルギー状態で選別し,この選んだ原子を共
振器内で励振し,共鳴遷移した原子を再び次のマグネッ
トで選別し,検出器でイオン電流として取り出している。
次に標準器に必要な条件は,共鳴スペクトル幅が狭い
ことである。共鳴線幅を広げる要因としては先づドップ
ラ効果があるが,セシウム標準器では図のようにマイク
ロ波を原子ビームに直角に当てこの効果を減じている。
図2 セシウム標準器の構成
また不確定性原理によるスペクトル幅の広がりがある。
これはマイクロ波で原子を励振する時間と観測したエネ
ルギーの不確かさ(共鳴線幅)との間の関係である。セシ
ウム標準器では図のように2箇所で原子を励振する干渉
計に似たラムゼ形と呼ばれる共振器を用い,共鳴スペク
トル幅を狭くしている。この共鳴線幅は原子が共振器を
通過する時間に逆比例することから,共振器の長さは,
商用セシウム管で10数pであるのに対し,研究所形の
一次標準器では50pから3m以上にも達する。
最後に標準器に最も重要なことはその周波数安定度と
正確さである。これには標準器本体系の共鳴周波数変動
と制御回路系の誤差がある。完全に自由な原子の共鳴周
波数は一定不変であるが,この共鳴を観測する手段は原
子の自由な状態をわずかに乱し,原子の共鳴周波数をシ
フトすることになる。このシフトの主な要因は以下に述
べるように,(1)磁界,(2)ドップラ効果,(3)ラムゼ共振器
の位相差,などがある。標準器ではこれら要因の変動を
減じ周波数安定度の向上を行うほか,一次標準器ではこ
の共鳴周波数シフト量を推定し,周波数の絶対値の評価
を行う必要がある。この周波数シフト量を求める精度が
一次標準器の確度とも呼ばれる正確さを示す。大形セシ
ウム標準器はこれら周波数シフトを精度高く求められる
ように設計されており,商用セシウム標準器が連続運転
により一様な原子時を保つのに対し,一次標準器はとき
どき周波数の絶対値の評価を行って高い確度をもつこと
が使命である。
(1)セシウム原子の数多くの共鳴スペクトルから周波数
標準に利用する共鳴線を分離するため,標準器では図2
に示すように均一磁場を加え,また標準器の外部磁場に
よる擾乱を除くための磁気シールドを行う。この加えた
均一磁場により共鳴周波数のシフトを生ずる。このシフ
ト量は磁場の大きさの測定値から計算で求める。
(2)ドップラ効果には通常の一次ドップラと,運動して
いる原子の共鳴周波数を静止系から観測するために生ず
る二次ドップラと呼ばれる相対論効果がある。この二次
ドップラによる周波数シフト量は後で述べる原子ビーム
の推定速度分布から求める。
(3)先に述べたようにセシウム標準器では共鳴線幅を狭
くするためにラムゼ形共振器を用いるが,この共振器の
2個所で原子を励振するマイクロ波に位相差があると共
鳴周波数のシフトを生ずる。このシフトと一次ドップラ
シフトの和は標準器のビーム系を完全対称とし,原子ビ
ームの方向を反転したときの共鳴周波数差から求
まる。
電波研究所セシウム標準実験装置
上で述べたように,電波研究所では確度の高い
実用標準器の実現を目標に,現在セシウム標準実
験装置を開発中である。この装置の開発に際して
は,確度の点から世界各国のセシウム標準器を検
討した結果,ドイツ(PTB)の装置に近い形を
採用した。現在一次標準器の確度上の問題となっ
ている各要因の研究を行っている。各国のセシウ
ム標準器のマグネットは,ドイツの6極を除きす
べて2極であるが,6極マグネットはセシウム管
の中心軸を走る断面の小さい原子ビームを形成で
き,ビーム方向の反転やドップラシフトの点で有
利である。しかしPTB形でも共振器などに問題
があるからこれらを補った改良形を目標としており,原
子時の発生は異った方式の多くの標準器に基づくことが
望ましいとの国際会議の決議にも沿っている。
試作実験装置の写真を図3に示す。装置は,約50p長
の共振器,6極マグネット,ソレノイドコイルによる静
磁場,3重の磁気シールド,ディジタル・サーボ系,く
形波周波数変調を使用したものである。現在までにこの
装置により,ビーム・オプティックス系(ビーム強度),
磁場(マジョラナ効果,均一磁場の発生),空洞共振器
(Hベンド共振器,位相調整法),ディジタル制御系(制御安
定度),速度分布の推定(解析法,パルス法)などの改造
実験と検討を行ってきた。これらには今までの世界の研
究に電波研究所独自の改良の試みが加えられており,一
応の成果を得ている。
図3 セシウム原子共鳴特性
この実験装置で測定した原子の共鳴パターンを図4に
示す。この共鳴信号はS/N比が非常によいことから装
置の優れた周波数安定度が期待できる。
図4 セシウム・ビームの速度分布
速度分布の推定には図4のような共鳴パターンの解析
から求める方法と,共振器をマイクロ波パルスで励振し
この周期を変え,これに対応する原子の速度分布を直接
測定するパルス法とがある。図5には,上に述べた速度
分布を求める二つの方法を改善し,商用セシウム管に適
用した実験の結果を示した。図よりこれら異なった推定
による速度分布がよく一致することがわかる。これから
電波研究所の実験装置の2次ドップラシフトも10^-14台
のよい値で評価できよう。
実験装置ではサーボ系の周波数ドリフトを除いたディ
ジタル制御を試みており,現在その組立を一応終り標準
器の周波数安定度を測定中である。まだ共振器などに不
十分な点もあり,今後改造しながら実験を進め,周波数
の確度評価もできるだけ早く10^-13台で行いたい。なお
この装置で高確度実用器の開発研究を行い,それに基づ
いて将来実用器の設定を計画している。
現在原子標準器の確度は他の標準器例えば長さなどに
比べ約5桁も高く,多くの精密な科学測定の基準となり,
この確度向上とともに新たな科学研究と技術開発が可能
となっている。このように精度の高い標準器の開発は総合
技術を必要とし,長い年月にわたり改造と実験を行ってい
かなければならない。この点今後とも皆さんのご理解と
ご協力を期待したい。
電波研セシウム標準実験装置
(原子標準研究室長 小林正紀)
カラッサ教授一行