静止衛星及び周回衛星の共用管制システム


鹿 島 支 所

  はじめに
 昭和52年,実験用静止通信衛星(ECS)の打上げに備 えて管制施設を鹿島支所に新たに製作することになった。 ECS管制施設は,建設経費の削減を期待して既に稼働し ている電離層観測衛星(ISS)の管制施設を最大限に利用 して製作することになった。システムを考えるに当たっ て,鹿島支所には既にISS,BS,CSの管制施設があり, 今度更にECSの施設を製作するのであるから,これから 製作するシステムは既設のものに比べて何か特徴を持っ たシステムにしたいと思った。検討の結果,次のような システムにすることになった。つまり,単に建設経費の 削減のためにハードウェアを共用とした共用管制システ ムとするのではなく,更に労力の軽減を目指して,シス テム全体を有機的に結合,統轄するソフトウェアを備え た共用管制システムとすることであった。このためには システムの自動化が不可欠であり,本システムは自動化 した共用管制システムという特徴を有したものになった。
 さて,実際のシステムの構成に際して次の様な問題点 があった。周回衛星であるISSの管制システムはかなり 自動化され,実績がある。しかし,静止衛星管制の自動 化については経験がないので,どのような意味の自動化 を指向するのかが第1の問題点であった。また,ISS及 びECSの二つの管制システムを組み合わせ,かつ既設装 置とのインターフェイスを考えでどのように共用管制シ ステムを構成するかが第2の問題点であった。
 以下に,まずISS管制システムの自動化の概略を述べ た後,本システム誕生までの問題点の克服の過程及び期 待される効果について述べる。
  ISS管制システム
 ISS管制システムは,衛星軌道予報を計算するための 軌道要素とコマンド番号及び実行予定時刻,テープレコ ーダの起動,停止時刻を含む管制計画とを入力とし,テ レメトリデータが記録されたアナログ磁気テープと実際 のコマンド実行時刻を含む管制報告とを出力とするもの で,次の2つの自動化目標を達成するように製作された ものである。
〔目標A〕1週間に一度必要なデータを本システムに入 力すれば,少なくとも1週間は機器が故障しない限り, 人手を下すことなく,必要な出力が得られること。
〔目標B〕オペレータは到来するパス(衛星が地上局の 上空を通過すること。ここではそのうち管制を行うもの を指す。)に気遣うことなく,いつでも本システムにデー タの入力ができること。目標Aは次の機能により満足さ れた。(1)まず最初に,入力される軌道要素及び管制計画 から,1週間分のパスの実時間での管制に必要なデータ (a)軌道予報,(b)管制装置に対するパラメータ(テレメ トリ受信機の周波数,帯域幅など),(c)コマンド符号器に 適合するように変換したコマンド符号を求める。(2)次 にパス15分前から,管制装置のパラメータ設定,電源の オン,アンテナの信号初期捕捉位置での待機などを自動 的に行いパスの準備をする。(3)実際にパスが始まると次 のことを行う。(a)軌道予報に基づいたアンテナの指向制 御による衛星追尾。(b)テープレコーダの起動。(c)コマン ドの実行。(d)テレメトリデータのCRTディスプレイ装置 への表示と必要なデータの記憶。(e)テープレコーダの停 止。(4)パスが終了したら,アンテナを天頂に向けて固定, 電源をオフとし,次のパスを待つ。(5)最後に管制報告を 作成する。(1)と(5)では実時間処理の必要は無いのでオフ ライン処理とし,プログラム実行の優先順位を下位とし て目標Bを達成した。本システムは,最大60パス及び最 大20個の衛星の管制を行い得るファイルの容量を有して いる。
 一般に,衛星管制システムのように複雑なシステムを 手動で定常的に運用すると,データの品質には直接影響 しないまでも,ミスオペレーションは避けられないもの である。本システムについて実際に運用したデータに基 づいて調べたところ自動化によりミスオペレーションが 非常に減少し,システム運用の信頼性が向上したことが 明らかとなった。本システムを用いて,ISS-b(うめ2号) の定常運用が開始された昭和53年4月24日の900周回 から昭和54年4月14日の5669周回までの期間に同衛星の 運用を1116パス行い,そのうちデータを取得したもの1092 パス,衛星または地上施設の障害による欠測のものが24 パスであり,データは非常に良好に取得されている。
  ECS管制システム
 ECSは実験用の静止衛星であるので,衛星状態の監視 を実時間で常時行うことにより,衛星状態の異常または 管制計画以外のコマンド要求に対して素早く対応できる ことを前提とした運用が行われる。このような運用のた めに,オペレータが常時緊張して管制用の制御卓に座っ ていることを必要とするならば,共用管制としては効率 が悪く労力の軽減はできない。そこで,長時間の運用に おいてオペレータから緊張を取り除くような自動化がで きるならば,同一のオペレータが両衛星に共用の管制作 業を行うことができると考えられる。そこで,自動化を 図るに際して,衛星管制の作業とは何かを最初から考え たところ,次のようなことと思われた。(1)衛星状態監視 に当たり,オペレータは前もって衛星の正常な状態(搭 載機器のスイッチの状態や電流の値など)を知っている。 (2)実際の監視はテレメトリデータに対して雑音成分を除 き,値の変化の傾向をある程度予測しながら,あらかじ め分かっている衛星の正常な状態と比較する。(3)比較の 結果,ある程度以上の差があれば,異常として何らかの 措置を取る。(4)コマンドを打つときには,現在の衛星状 態を考慮して,そのコマンドが安全かどうか調べてから 打つ。従って,自動化をする場合,上記の行為を計算機 にやらせることを考え,前述した第1の問題点の解決の ために次の目標を設定した。
〔目標C〕ECS管制に対して,次のことが自動的に行え ること。(1)実時間で衛星状態を把握すること。(2)衛星状 態の異常に対して警報を出すと共に,許されたコマンド を自動的に実行すること。(3)管制計画以外のコマンド要 求に対して,そのコマンド実行の安全性をチェックする こと。
 この目標を達成する機能として次のものを考えた。 (a)衛星状態の正常値の設定:衛星の運用形態を運用モード と定義し,定常状態での衛星の運用を運用モードで規定 する。そして運用モードごとに衛星状態の正常値をあら かじめ設定してファイルに格納しておく。(b)運用モード の検定:テレメトリデータより予測フィルタを用いて衛 星状態の予測値を求め,あらかじめ設定してある衛星状 態の正常値と比較して現在の運用モードが正しく行われ ているかどうか検定する。(c)衛星状態の異常に対する警 報と表示:(b)の検定の結果,検定不合格が出ればオペレ ータに警報を発し,かつどのような異常かをCRTディ スプレイ装置に表示する。(d)コマンドの助言と許容され たコマンドの自動的実行:異常となったとき,オペレー タに必要な措置のコマンドを助言する。もし,自動的に 行うことが許されているコマンドの場合はそれを実行す る。(e)運用モード遷移図の作成:(a)により運用モードが 定義されると,コマンドを実行して異なった運用モード に遷移する場合の遷移図を作ることができる。これは許 容される遷移と許容されない遷移の識別を容易にするた めである。(f)コマンド実行の安全性のチェック:コマン ドを実行する前に,そのコマンドにより生ずる運用モー ドの遷移が許容されるものであるかどうかチェックし, 許容されない遷移であればそのコマンド実行は危険とし て警報を発する。機能(a)〜(f)を結合して動作させると 図1のようになる。図1よりECSの管制自動化は,まず, 運用モードとそれに対応する衛星状態の正常値,異常時 に助言するコマンドと自動的な実行を許容されたコマン ド,及び運用モード遷移図をファイルに記憶しておき, 次に,実時間で必要な情報をファイルより抽出するだけ のオンライン処理に適した比較的簡単な処理で実現でき る。実際のソフトウェアは,データベースでシステムの パラメータ(運用モード,衛星状態の正常値,予測フィ ルタの初期値,異常時のコマンドなど)を与えるように して運用に柔軟性を持たせ,いつでも最適なパラメータ でシステムを運用できるように設計されている。


図1 ECS管制自動化の機能の流れ

  ECS,ISS共用管制システム
 共用管制システムでは,建設経費を削減するためにで きる限り管制装置を共用することが望ましい。しかし, ここで次の問題がある。もし,ISSのような周回衛星の みを管制対象とするならば,パスは通常短時間(15〜30 分間)であるので,時分割により多数の周回衛星の管制 を行うことができる。しかし,ECSを管制する場合には, 前述したように衛星状態を常時監視する必要がある。従 って,管制システムは常時ECSに占有されてしまい,他 の衛星を管制することは不可能になってしまう。このた め,ISSとECSの管制に対して全部の管制装置を共用す ることはできない。それでもなお,共用できる装置を探 すことになるが,ISSとECSでは管制に対する要求が次 のように異なっている。つまり,ISSでは可視時間が短 いので,管制計画を予定時刻どおりに確実に実行するこ とが要求される。一方,ECSでは,管制計画の実行予定 時刻には比較的自由度があるが,異常時や管制計画以外 のコマンドを任意の時刻に実行したいという要求がある。 そこで,前述した第2の問題点を解決するため,共用管 制システムとしての目標を次のものとした。
〔目標D〕(1)静止,周回衛星の管制に対して,可能な限 り管制装置を共用すること。(2)両衛星をできるだけ同時 に管制できること。
 目標Dの(1)を達成するために,共用できるものとして 次の装置をピックアップした。(a)コマンドアンテナ,(b) コマンド送信機,(c)追尾用計算機。そして,共用管制シ ステムとして図2に示す構成とした。図2で左側がISS 用,右側がECS用,中央が共用する装置である。また, 管制室の模様を写真に示す。手前右がECS用管制卓,奥 がISS用及び共用部分の管制卓である。共用機能である コマンドは次のように行われる。コマンド要求が発生し たときは,図2のデータ処理用計算機No.1及びNo.2の情 報交換により,コマンドアンテナが衛星の方向に向けら れ,コマンド送信機が制御される。ここで問題になった のはコマンドの優先順位である。すなわち,本システム ではコマンドの種類がいくつかあるので,2種類以上の コマンド要求が同時に起ったとき,どれを先に実行する かという問題である。実現したコマンドの種類は,優先 順位の順番に示すと次のようである。(1)ISS計画コマン ド(自動モード:完全に自動的にコマンドが実行される モード),(2)ECS手動コマンド(手動モード:オペレー タがコマンドを実行するモード),(3)ECS計画コマンド (半自動モード:コマンド予定時刻にオペレータに打つべ きコマンドの指示のみ行い,実行はオペレータが行うモ ード),(4)ECS計画コマンド(自動モード),(5)ECS許 容コマンド(自動モード),(6)ECS助言コマンド(手動モ ード)。また,目標D(2)はISSのパス中でも,ECSに対し てコマンドが可能であるようにすることにより実現して いる。


図2 静止衛星及び周回衛星の共用管制システムの構成

 ここで,本システムに期待された建設経費の削減と労 力の軽減の効果について,ISSとECSとで各々独立の地 上局にした場合と比較すると次のようになる。まず建設 経費に関しては,製作の仕方によるが,ここでは非常に 粗く見積ることにし,簡単のために図2で長方形の枠で、 囲まれた装置の建設経費を等しいとすると,1地上局で は図2の左側(または右側)と中央の部分が必要である から8装置あり,2地上局では16装置必要である。これ に対して,図2では13装置であるから建設経費(または 装置数)は約20%削減されることになる。この削減率は 一見根拠の無い数字のように思える。しかし,管制装置 では,精密でしかも大きな構造物を必要とするアンテナ やコマンド送信機のようなアナログ機器の値段は他の装 置に比べて相当高価なものであるので,この削減率は最 小限の安全側の数値と理解すべきである。次に労力に関 しては,要員(熟練者)の数を対象とする。ISS管制シ ステムでは,システム制御の進行状況,テレメトリによ る衛星状態及びコマンド実行の監視のために1〜2名の オペレータを必要としている。また,ECS管制について はまだ経験はないが,衛星状態の監視と,コマンドの実 行のために1〜2名のオペレータを必要とすると思われ る。従って,独立した2つの地上局の場合には,2〜4 名のオペレータが必要となろう。これに対して,本シス テムのように共用管制システムを構成し,かつ両衛星に 対する管制の自動化が達成されだとすると,両衛星の管 制作業を同一場所で集中して行うことができ,システム と衛星状態が安定である限り,同一のオペレータによる 両衛星の管制が可能になることが期待できる。従って, 本システムでは,2名程度のオペレータで済むことにな ると期待される。また,保守要員についても,システム がまとまって製作設置され,保守作業が集中してできる こと,装置数が減少したことにより,前述の建設経費又 は装置数の削減率と同程度の保守要員の減少が期待でき ると思われる。


共用管制システムの管制卓

  おわりに
 本システムは,既設のISS管制システムと複雑に交錯 せざるを得ず,またISSの運用を中断しないようにシス テムの拡張を行ったので,既設装置とのインターフェイ ス等を我々がアレンジしなければならないところが多く, 建設工事には苦労が多かった。今回,不幸にもECSの打 上げが不成功に終ったので,共用管制システムとしての 本来の実力はまだ発揮できないでいる。しかし,本シス テムは,十分にISSとECSの共用管制ができる能力を備 えているものと確信している。
 最後に,本システム製作に関係された各位に深く謝意 を表する。

衛星研究部 衛星管制研究室 主任研究官 飯田尚志




極 地 の 空 に 20 年
−第19次南極観測越冬報告−


黒葛原 栄彦 ・ 五十嵐 喜良

  JAREパック南極
 (Japanese Antarctic Research Expedition)
 もう20歳。早いものである,南極探険と呼ばれ戦後の 日本に活力を与えるかの如く開始された南極観測も現在 越冬中の隊で20次を数える。
 晴海埠頭の秋の風物詩とも言えるふじの出発も今では すっかりおなじみのものとなった。
 太平洋を南下して十数日後にその姿をオーストラリア 西部のフリーマントル港に見せると忙しそうに越冬用食 糧の積み込みが行われる。
 真夏のクリスマスを迎えようとする,オーストラリア での休養?を終えるとふじは更に南下を始める。
 次第に空が黒くなり前後左右不規則にしかも激しく揺 れ始める。怒り狂う海の神と言った感じの日が続き,船 に弱い者にとってはまるで地獄図でも見ている様な,恐 怖の暴風圏通過,南極行きの関所である。
 揺れの治まりと同時に外気の冷たさが気になり始まる。 いよいよ南極圏への突入である。
 大きく不気味な氷山がどっしりと腰を据え我々の動向 を見張っている。行く手を厚い定着氷が阻み始める。
 これからが砕氷船ふじの檜舞台である。50m程バック しては全速前進で砕氷する,この作業を繰り返し行う, これがチャージング航行と呼ばれるものである。
 昭和基地を107マイルの地点に望む1月4日,第1便が 家族からの便りを満載して18次隊の元へと飛び立った。 皆,待ちくたびれていることだろう。
  夏期オペレーション
 我々が基地に降り立ったのは,それから数日後,初め て見る南極の素晴らしさに見とれている暇はない,早速 土方仕事の開始である。今年は電離層棟の移転という大 仕事をかかえて来たために連日深夜までの作業が続く, スパットアーズの埋設,大型八木アンテナ,オーロラレ ーダ用コーリニアアンテナ,給電柱の建設,大型観測 機の移設,搬入と目白押しである。
 アース工事では触った事もない削岩機を手に持ち厚い 岩盤に立ち向う,食事時になると箸も持てない程のしび れが残る。39個もの穴を掘り1m弱のアース棒をそこに 埋めてゆく。これで冬場,良好なアース抵抗値が得られ ればいいのだが。外に置かれた観測機も早目に暖めてお かなければならない,動作不良にでも見舞われたら大変 だ。正確に結線し,イサ火を入れてみてもなかなか言う 事を聞いてくれるものではない。正常な観測を始めた時 のうれしさはたとえ様もない。
 1月17日,所々傷ついたオレンジ色のふじが基地のす ぐ目前(1668m)に現れた。これが接岸というものなの か,8年ぶりとのことである。
 雪上車など大型物資の搬出も順調に進み,総てを吐き 出したふじは駆け足で北上を開始する。
 18次隊からの引継ぎを終え,新しく昭和基地の主とな った19次隊員全員がヘリポートに姿を見せた。油に,泥 にまみれた顔は1機のヘリに向けられている,最終便, これが大空に舞い上がると1年間は帰ってこない,次第 に時は迫る,ちぎれるばかりに振られる手に見送られへ リは北の空に姿を消して行った。
 シーンと静まり返った基地内,南極の静寂があたり一 面を包み込んで他人の鼓動さえも聞こえて来る様であっ た。長い冬の旅の始まりを知らせるかの様に冷たい風が 吹き渡り,砂塵が舞った。
 厳しい冬は駆け足でやって来た,30mの強烈な風に雪 が運ばれ視界が数mに落ちる(これがブリザードだと知 らされる。)時には自分の足元さえ見えなくなる,一斉に 外出禁止令が出される。電離層棟でも五十嵐隊員が何度 もろう城のうき目に会った。
 太陽も冷たい冬におびえ,姿を見せようとせず,いよ いよ50日間の暗夜の到来である。


動き始めた新電離棟

  観測繁盛記
 オーロラのシーズンとなると超高層関係の観測も大忙 し,夜勤になるので他の隊員とは生活が全く逆になる。 電離層棟でも今回持ち込んだオーロラ・レーダのドップ ラー観測がスタンバイされる。イオノグラムやリオメー タなどをにらみオーロラの出現を根気強く待つ,一晩 無駄骨を折る事もまれではない。ロケット観測も同様で ある。いつ現れるとも分からないオーロラをめがけて打 つ訳だから1週間だって待ちぼうけをくう事もある。気 まぐれなオー口ラ姫には,なうての色男も歯がたたない。 オーロラ・レーダも今回は9月から約1か月間(地磁気 共役点観測時) (地磁気共役点観測:地磁気共役点とは 地球の磁力線により結ばれる南北両 半球の地点で昭和基地と結ばれているのは,アイスラン ドのレイキャビックである。太陽から飛来する荷電粒子 群(オーロラ発生の源)は,磁力線に沿って南北両半球 に降りそそぎ,各種の現象を発生させるために,この様 な点における同時観測が重要となる。) 50MHzに固定し磁南の空をにらんだ,ち ょうどその方向,300qにはみずほ基地があり,冬期そこ では黒葛原隊員がフォトメータを持ち込み天頂に現れ るオーロラを観測していた。レーダのデータと合わせれ ば何かがあるんでは……,と言う事で始めたものであり, 持ち帰ったデータを早速整理したところ関係のありそう なものが数例見出されている。
 ここで当所の手で行われている観測をあげてみると, 電離層棟での電離層定常観測,パルスレーダ方式オー ロラ観測(今回はドップラ観測装置を附加),宇宙電波 雑音受信のリオメータ(これはみずほ基地においても 実施),日本から来る短波の電界強度測定,低域電離層観 測のためのオメガ電波受信,観測棟でのVLF標準電波位相 強度測定,それにロケットによる電離層の電子密度,温 度の測定,電子密度のゆらぎ測定と超高層観測なら何で も取り揃えてある。
 これらの観測で得られたデータはフィルム,記録紙,磁気 テープに収められ,日本に持ち帰った後,解析される。 ちなみにフィルムを例にとって消費量を表わすと1週間 で約1000フィート(300m),24枚撮りのフィルムに換算 するとなんと300本にも及ぶのである。
 我々の隊はIMS(国際磁気圏観測計画)の最終年度に 当たり,超高層観測に重点が置かれた。これは地上100q 以上の電離圏から磁気圏にかけての広大な領域で起こる オーロラやVLF-ULF波動等の超高層現象の総合的な観 測を目的としたものであり,昭和基地においてもアイス ランドのレイキャビックとの地磁気共役点観測が実施さ れた。もちろん,超高層だけでなく他の気象・エアロゾ ル・生物・医学等の観測・研究もそれぞれ実施されてい く。また,日本第2の基地として昨年3月に発表された みずほ基地でも4名の隊員が大雪原の大陸の中で観測を 行っている。


飲料水用の氷の切り出し作業

  星さえ凍るみずほ基地
 前述の如く,このみずほ基地は昭和基地から磁南へ 300q大陸へ入った南緯70°41′53″東経44°19′54″の標高 2230mのみずほ高原に存在する。
 大きさは昭和基地のほぼ1/50,建物はすべて雪面下にあ り,もぐら同様の暮しを強いられる。気圧が700mbと低 いので激しい労働をしようものなら息苦しくなり,顔を 出して深呼吸していると今度は凍傷に見舞れるはめにな る,少しの油断も許されないつこの様な環境の中で観測 を行うのも並大抵のものではない。先づ電源の発電機が 昭和基地ほど立派でないために周波数や電圧値が安定せ ず,電源同期の時計やレコーダはあまり好ましくない。 また,斜面下降風領域の中に基地があるため,常時10m 位の風が吹いているが,冬期-40℃以下で15m/s以上の 風が吹き地吹雪が舞い始めると屋外のアンテナから引き 込んだケーブル端子で青白くパチパチと音をたて放電が 起り始める。これは雪粒どおしとか,又は雪粒と他の物 体との衝突や摩擦で帯電しブラッシュ放電を起している ものと考えられており,この様な現象がひんぱんに起る と観測どころではなく連日修理に追いまくられることに なる。ここ,みずほ基地での観測であるが超高層関係の 地磁気3成分,地磁気脈動,VLF自然電波,電離層吸収 (リオメータ),フォトメータの他に,雪氷部門の氷 震,雪温,積雪量,それに国際的に認められて行うとこ ろの地上気象観測である。少人数で観測,生活のあらゆ ることをやらなければならないために一人が何役もの仕 事を仰せ付かる事になる。
 6月22日と言う日は北半球の夏至,南極では冬至であ るがこの日はミッドウィンタと呼ばれ南極にある各国の 基地がこの日を祝う。祝電が交換され,それぞれ趣向を 凝らしたお祭りで暗夜の一日を過ごしていくのである。
  白い大陸・真赤な太陽
 長い休暇をとった太陽が帰って来ると,基地周辺が急 ににぎやかになってくる。表には腹をすかした盗賊カモ メが飛びかい,海氷には寝ぼけ眼のペンギンがヨタヨタ と歩き回る。大きい体で日光浴を楽しむのは子連れのウ ェッデルアザラシ,我々の訪問を横目で見ながら邪魔者 が来たなといいたげな顔つきだ。
 近くにオングルカルベン島があり,ここにはアデリー ペンギンのルッカリー(営巣地)がある。
 10月の末,ここを訪ねるとまだ一羽しか来ていない。 聞いてみると偵察として先ず単独でやって来て,その後 から残りの仲間が大勢ついて来るのだそうである。
 小石を敷いたベッドの上に産卵し,雌雄が交代で卵を 温める。そして,可愛い赤ちゃんが誕生するのは1か月 後,1月の初旬だそうである。
 20次隊を乗せたふじの東京出港が知らされると,誰も が第1便の到着を指折り数え始める。この頃から受入れ 準備のため,連日の全員作業も開始される。昨年は新へ リポートの建設,放送のため?の基地内の整備等で土方 仕事の繰り返し,そんなクリスマスイブの早朝,午前1 時,基地の上空を飛び回る双発機が一機。時ならぬ騒ぎ にたたき起こされ寝ぼけた眼をこすりながら冷たい白夜 の空をながむれば銀翼に赤い星のマーク,あれよあれよ と言う間に海氷上に着氷,黒い皮ジャンを着込んだ熊の 様な男が13人もゾロゾロと降りて来た。お近くのソ連マ ラジョージナヤ基地とノボラザレフスカヤ基地からの訪 問者であった。とんだサンタクロースである。プレゼン トはウォッカと生花,皆が声をあげて喜んだのは,なん と一年振りに見るかぐわしく美しい生花であった。それ から1か月後,日本経由で悲報が我々の耳に入った,マ ラジョージナヤ基地にて航空機事故あり十数名が死傷, 日付けは1月2日とあった,我々と別れたわずか1週間 後に起った痛ましい事故であった。
  目ざめる里心
『第1便,ただ今ふじを発艦』の知らせは大晦日の16時 頃入ってきた。日本ではちょうど紅白の真最中,全員が 一目散にヘリポートに駆けつける。頭上を旋回するへリ が我々をじらしているかの様に気がはやる。
 待ちに待った家族等からの便りはたちまちのうちに開 封され,皆な喜色満面。愛妻の便りに涙する人,大きく なった子供の写真を食い入る様に見つめる人,可愛い恋 人からのプレゼントを自慢気に公開する人,今まで見せ た事のない笑顔がそこら中にあふれていた。
 不安定な天候の中,観測史上始まって以来の遠距離(67q) からの空輸が開始され,20次隊の観測物資,NHKの 30トンにも及ぶ大量の放送機材が次々と到着する。今回, 呼び物であった南極からの世界初の衛星中継もNHK勝部 キャスターを始めとした素晴らしいスタッフと19・20次 隊の三文役者の協力によって無事成功した。そして, 2月1日に行われた越冬交替式を境にすべての施設・業務 が20次隊の手に移された。
 名残りを惜しむ声もヘリの騒音に消され,我々は想い 出深い昭和基地を後にジャーレパック南極の旅を終わら なければならなかった。
  むすび
 男30人だけの閉鎖社会で生活してみて,一番印象強く 残る事と言えば,やはり他人との付き合い方であろう。 専門,所属,年令,趣味と全く違う個性を持った集団の 中においては他部門の隊員の仕事を理解するのが難しい がために,ついつい不満が口に出る。
 物を1つ移動するにしても,ひとりで出来る作業には 限度があり,必ず他の隊員の協力を仰がなければならな い。仕事が円滑に行くのも,日常生活を楽しく過せるの も,すべて日頃の協調性が基本となるのである。
 日本での暮らし方とは若干異なる点が存在する南極も 昔と比べれば生活環境がはるかに充実し,過ごしやすく なった。しかし,自然の驚異は昔となんら変わる事なく, 厳しい様相をくずさない。激しいブリザードは所かまわ ず吹き荒れ,恐ろしいクレバスは大きな口を開け獲物を待 つ。安易な気持ちで行こうものなら悲劇の主役になりか ねない。
 大自然の神秘が色濃く残る南極で1年を過ごす事も決し て損ではなかったと思う。殺伐とした現代だからこそ余 計に極地が,魅力的に見えたのかも知れない。

電波部 電波予報研究室(第19次越冬隊員)


短   信


ECS-bの打上げ54年度冬期に

 宇宙開発事業団は,5月22日科学技術庁に対して,宇 宙開発委員会の指示によって行った実験用静止通信衛 星(ECS,「あやめ」)の予備衛星(ECS‐b)打上げに必要 な事項についての検討結果を提出した。それによると, ECS-bの打上げのために講ずる対策として,(1)第3段ロ ケットモータと衛星との接触防止のための改善措置及び (2)Nロケット6号機(F)のシステム全体の品質保証をよ り一層確実にするための措置を取り上げ,それぞれにつ いての実施事項を明らかにしている。また,ECS-bの打 上げ時期については,上記の措置を確実に実施した後の 昭和54年度冬期としている。宇宙開発委員会は,宇宙開 発事業団が取りまとめた上記の計画は適当であると考え る旨を5月23日付の宇宙開発委員会了解として発表して いる。なお,郵政省は「あやめ」失敗の直後にECS-bの 早期打上げを宇宙開発委員会に要望していたものである。



昭和54年度丹羽高柳賞の受賞

 5月26日に開催されたテレビジョン学会第25回通常総 会で昭和54年度丹羽高柳賞の表彰が行われた。当所から 機関代表として衛星研究部今井主任研究官が業績賞を受 賞し,表彰状と記念品を受けたので,以下に紹介する。
−実験用放送衛星システムの研究開発−
 今井信男(郵政省電波研究所 衛星研究部主任研究官)
 小川 修(NHK技術本部 担当部長)
 市川 洋(宇宙開発事業団 総括開発部員)
 @実験用中型放送衛星(ゆり)計画に参画し,衛星放 送システムの技術開発に携わり,上記計画を成功に導い た。
 A我が国に適した放送衛星の設計,新技術の研究開発 を行い,53年4月の打上げの性能確認においても総て順 調に作動している等,今後の衛星放送技術に貢献すると ころが大きく,世界に誇る成果である。



宇宙開発事業団との共同研究委員会の開催について

 第3回の電波研究所と宇宙開発事業団(NASDA)と の共同研究委員会は6月9日,当所に於いてNASDAか ら平木理事化18名,当所から田尾所長他20名の参加を得 て開催された。
 会では,田尾所長及び石川理事(副理事長代理)のあ いさつの後,昭和53年度の共同研究等の成果確認,昭和 54年度の研究テーマの審議,両機関の昭和54年度宇宙開 発計画見直し要望の紹介及び電離層観測衛星(ISS-b) の日加協力観測の経緯説明が行われた。
 昭和54年度のテーマとして、“衛星間通信技術を用いた 追跡管制及びデータ中継衛星(TDRS)の調査研究”,“レ ーザを用いた衛星姿勢検出法に関する研究”,“衛星搭載 用能動型電波リモート・センサの高出力電子管に関する 研究”及び“アクティブ・センサに関する研究”の4件を前 年度から継続させることで了承された。また,当所から“電 離層観測装置の機能向上に関する研究”と“ETS-U及 びECSのVHF電波初期偏波角度の決定”の2件の新規提 案を行ったが,後者については技術的な難点が指摘され, 引き続き担当者レベルで検討することとし,前者のみ が採択された。



上田元所長期二等瑞宝章を受く

 当所の第3代所長を務めた上田弘之氏が去る4月29日 の天皇誕生日に勲二等瑞宝章を授与された。
 同氏は,電波研究所の前身である文部省電波物理研究 所に昭和17年に入所以来,昭和44年当所所長を最後に退 官するまで,多くの要職を歴任した。その間,電離 層と短波通信の研究,宇宙通信及び人工衛星の研究など 多方面の研究に従事し,多大の功績を残した。また, 電波監理局長として電波行政の発展に尽くした。
 さらに,退官後は東京芝浦電気株式会社に入社し, 電気通信設備の研究開発に携わるかたわら,電波技術審 議会の委員として電波行政の円滑な推進に今も元気で活 躍されている。



第56回研究発表会

 6月6日,当所講堂において第56回研究発表会が開催 され,外部から148名の来聴者を迎え,午前3件,午後4 件の発表(プログラムは本ニュースNo.37に掲載)が行われ た。特に,降雨タイプとミリ波・準ミリ波斜め伝搬特性 −ETS-K伝搬実験-や,衛星を利用した海上通信 システムについて活発な討論が行われた。また,来聴者 の内訳は次のとおりである。
  官 庁  48名       報 道  4名
  公 社  22名       その他  4名
  学 校  16名       合 計 148名
  会 社  54名



施設一般公開の御案内

 昨年と同様,電波研究所創立記念日に,施設を一般に 公開いたします。御多忙中とは存じますが,多数御来所 くださるよう御案内申し上げます。
 公開は,本所,支所(鹿島,平磯)及び電波観測所(稚 内,秋田,犬吠,山川,沖縄)とも8月1日(水),午前 10時から午後4時までの予定です。
 なお,本所では,本年3月に完成した映画「宇宙通信 の研究−郵政省電波研究所の記録−」を上映いたします。