周波数標準部
はじめに
表1 衛星による時刻比較
図1 電離層と大気による伝搬遅延
これに対して,往復方式では,信号の伝搬遅延時間が
両方向でほとんど等しいので,時刻比較の確度はこれの
影響をほとんど受けず,表1のような高確度が得られる
が,一般に高価なマイクロ波帯の送受信施設が必要であ
るため,利用者は,片道方式とは対照的に,特定の専門
機関に限定される。表2に最近までの主要な衛星利用国
際時刻比較実験を示す。
表2 主要な衛星利用国際時刻比較実験
当所における最近の成果
(1)ATS-1による実験
1975年8月,当所は米国航空宇宙局(NASA)と米国
海軍天文台(USNO)の協力のもとに,静止衛星
ATS-1を用い,当所の鹿島局とNASAのロスマン局間で,往
復方式による高精度の時刻比較実験を行った。両局で高
性能のセシウム原子時計を使用し,これらから発生する
高精度の秒信号の伝送には,これらに同期した約16メガ
ビット/秒の擬似雑音(PN)符号で搬送波を位相変調
する,いわゆるスペクトラム拡散変調方式を用い,1ns
という従来にない時刻比較精度を得た。また,時刻信号
が送信及び受信系を通過する際に生ずる遅延時間の精密
測定を両局で実施し,さらに,後述のサニヤク効果の補
正を行うことにより,確度についても10nsという世界最
高の結果を得た。今世紀初期から,回転円板や地球上で
光干渉計を用いた光の伝搬実験により,回転座標系で測
定される二点問の光の伝搬時間は,その伝搬の向きで異
なることが確かめられていた。これがサニヤク効果で,
往復方式を使った日米間のこの実験では,電波の伝搬時
間は往路と復路で異なることになる。また,その値は地
球の自転角速度と,地球の中心,日米の両局及びATS-1
が作るループ(赤道面上への投影)の面積の積に比例し,
この場合数百nsである。上述の高確度は,このような補
正の結果得られたもので,日米間のセシウム時計運搬に
よる測定で確認された。この実験は高精度と高確度はい
うまでもなく,サニヤク効果が最初に検出できた電波
による衛星実験として,国際的にも非常に高く評価され
た。
(2)航行技術衛星1号(NTS-1)による実験
米国海軍は,海軍航行衛星システム(NNSS)という
現用の衛星航法システムの運用開始後,次の段階として
TIMATION(Time Navigationから作った単語)1号
を1967年に打上げた。NTS-1は1974年、TIMATIONシ
リーズの三番目の衛星として打ち上げられたが,これら
の衛星は,後述の世界測位システム(GPS)の一つ前の
段階の衛星として位置付けられる。NTS-1の諸特性を
表3に示す。当所におけるNTS-1の実験は1978年10月
に開始された。図2は実験の概念図である。図において,
時計Aと時計Bの時刻差はNTSを仲介にして,次のよう
に求められる。先ず,A地点で,時計Aと衛星の時計S
の時間差を測る。この値から,軌道計算で求めたSA間
の距離(時間の単位で表すことにする)を引けば時計A
の時計Sに対する偏差がわかる。衛星が地点Bの上に来
たとき,同様にして時計BのSに対する偏差を求める。
この間,時計Sが全く遅れ進みなく動いたと仮定すれば,
二つの偏差の差が時計AとBの時刻差となる。以上は理
想的な場合で、実際のデータには,図1に示したような
伝搬遅延の変動,軌道決定における誤差,さらに衛星の
時計の変動などが含まれる。軌道決定は米国海軍研究所
(NRL)が数か所の専門の局からの測定値を用いて行う。
また,NRLは,自局をはじめ,当所など各受信者からの
測定データを集め,USNOと各受信者との時刻差の暫定
値及び最終値をそれぞれ,毎週及び数か月ごとに受信者
に知らせる。この最終値によれば,USNOと当所との時
刻比較精度及び確度は,いづれも数百ns程度である。図
3(a)はその一例である。図には原子時計運搬による比
較値も示してある。NTS-1による時刻比較の確度は
前に述べたような諸要素で決まるが,この場合,電離層
による335MHz電波の伝搬遅延とその変動の影響がこの
データのばらつきにも出ている筈である。このデータは
335MHz 1周波送信のものであるから,2周波利用の場
合のように,測定時における電離層遅延を実測値から補
正することができない。電離層遅延は伝搬通路上の全電
子数で決まる。当所では,任意の地点での全電子数の日
周変化の月平均値を,地方時の関数として,昼間は正の
余弦関数で,夜間は常数項で表した,いわゆるBentモデ
ルを使って,当所とNRLの両受信点で適用すべき遅延時
問の補正値を計算した。図3(b)は同図(a)にこの補正値
を適用した結果で,これにより,データの標準偏差は
0.53μsから0.34μsに減少していると共に,原子時計運搬によ
る時刻比較値(USNO PC:Portable Clock)との一致
の度合いも改善された。このような簡単な補正でも相当
有効なことがわかる。なお,右下りの直線傾向は当所と
USNOの時計の周波数差(レート差)によるものである。
表3 NTS-1の特性
図2 NTSによる時刻比較
図3 NTS-1による日米間時計比較における電離層遅延補正の効果
(a)生データ (b)電離層遅延補正つき
今後の国際比較システム
以上主として衛星による国際時刻比較技術の現状につ
き述べた。一方,比較システムのニーズでは,先ず周波
数標準の国際比較がある。個々の標準の確度は既に
1×10^-13に達しているが,現在のロランCによる比較精度
(1日平均で1×10^-12程度)は不十分で,さらに高精度な比
較システムの早期確立が必要である。また,精密電子航
法や測位システム,さらに高速度のディジタル通信綱な
どでも,今後ますます高精度の時刻と周波数が必要にな
り得る。このような事情から,国際無線通信諮問委員会
(CCIR)は1978年の京都総会で,衛星による世界的時刻
供給に関する中間作業班IWP7/4を設立し,日本(当
所)を含む西側先進諸国,ユーゴ,中国など10か国のほ
か,国際報時局,ESAなどの国際機関もこれに参加した。
現在,活動目標(時刻供給システムの単なる概観報告に
するか,または,推奨システムを選んで公式の勧告をす
るかなど),システムの在り方などの議論を回章で始めよ
うとしているが,1980年6月のCCIR中間会議には,も
う少し明確な見解が出されよう。
このような世界的供給システムを現行又は計画中のシ
ステムから選ふとすれば,システムの性能(確度,サー
ビス地域など),価格のほか,システムの永続性や信頼性
も考慮する必要がある。その点では,公共性の高いイン
テルサットや気象衛星は有利である。インテルサットは
往復方式が使えるので,数10nsの確度が可能であるが,
設備のほか運用費が問題である。米国は二つの気象衛星
の約470MHzの信号に時刻符号と衛星位置情報を重畳さ
せている。確度は10μs程度であるが,低価格の受信機か
開発されている。
NASAが計画中の追跡及びデータ中継衛星システム
(TDRSS)は,NASAの地上施設と低高度周回衛星間でテ
ータのやりとりをするための静止衛星システムで,198。
〜1981年に運用開始予定である。静止位置は41°Wと171°W
が予定されており,日本,オ
ーストラリア,北米,ヨーロ
ッパが時刻比較可能範囲に入
る。PN符号による時刻信号
を往復方式で送れるので,
10ns程度の高確度が可能である
が,利用者設備は相当高価に
なることが予想される。なお,
少くとも10年は運用するとい
われている。
次に,静止衛星に適用でき
るシステムとして,静止軌道
利用のレーザ同期(LASSO)
システムがある。これは,二
局の利用者がレーザ・パルス
の静止衛星折り返し測定を,
ほぼ同時に行い,衛星上では
両方のパルスの到来時刻差を
測定するもので,1nsの高確
度が可能といわれている。1981年4月打上げ予定の
SIRIO-2衛星(気象衛星)を使って実験が予定されている。
測定が気象条件に左右されるほか,設備が非常に高価
(100〜200万ドル)なことが欠点であるが,将来性のある
方法と言える。
最後に,周回衛星による片道方式の例として,世界測
位システム(GPS)につき述べる。これは米国国防総省
が開発中の,常時利用可能な高精度の航行・測位システ
ムで,運用時(1980年代半ば)には軌道半径約26,500q,
軌道傾斜角63°の三つのほぼ円軌道に8個ずつ,合計24個
の衛星が配置され(現在4個),各衛星には原子時計が搭
載される。最低6個は常時何処でも利用可能であるが,
利用者はそのうちの適当な4個を選び,それらからの時
刻信号を受信して,それぞれの距離を測定する。4個の
衛星の位置はわかっているから,これらの測定から利用
者の3次元の位置と時計の時刻偏差がわかる。
衛星からの送信周波数は1,575MHzと1,228MHzで,こ
の2周波数で電離層遅延の補正をする。また,これらの
送信周波数は二つのPN符号でスペクトラム拡散変調さ
れている。一つはC/A(Clear/Access)符号で,ビッ
トレートは1.023メガビット/秒,他方はP(precision)符
号と呼ばれ10.23メガビット/秒のビットレートを持つ。
GPSによる時刻比較の確度は数10nsといわれているが,
P符号の一般利用は当分不可能であろう。精度の低いC/A
符号を使用した場合でも確度は100〜200nsになるようで
ある。受信機は未だ開発段階ということもあり,相当高
価である。
以上,現用及び計画中のシステム中から五つを選んで
述べた。TDRSS,LASSO,GPSなど簡単に優劣はつ
け難いが,将来は別として,現状ではGPSが最も手近か
なところにあるように思われる。
おわりに
衛星を利用した時刻比較方法,国際比較実験のレビュー
と当所での成果及び今後のシステムにつき述べた。とく
に航行技術衛星による日米間の時刻比較実験は当所にと
って貴重な経験であり,将来のさらに高確度の長期的実
験実施への機縁となれば幸いである。
(周波数標準値研究室長 安田 嘉之)
横 山 光 雄
はじめに(通信機器部 通信系研究室 主任研究官)