中 国 を 訪 問 し て


田尾 一彦 ・ 栗原 芳高

 昨年9月,中国第四機械工業部電子技術研究院に所属 する中国電波伝搬研究所の斬鳳栄所長を団長とする中国 電子学会電波伝搬視察団が電波研究所を訪問した際,斬 所長から1980年の適当な時期に中国電波伝搬研究所を訪 問し,あわせて中国の電波研究の現状を視察してほしい 旨要請があった。視察団が帰国後中国電波技術院外事処 付処長陳国炉氏との問で訪問についての連絡が行われ, 昨年12月15日付で中国電子技術研究院より,また本年1 月20日付で中国電波伝搬研究所の新所長から正式な招待 状が届いた。更に本年2月1日付で斬所長から訪中に際 し次のような分野について講演をしてほしい旨要請があ った。
 1. 電波擾乱の理論的研究と警報業務
 2. 降雨による効果を含めたミリ波伝搬と衛星通信へ の応用
 3. 電波研究所における宇宙及び大気物理に関する研 究
 更にその後の双方の連絡によって当所からは所長と企 画部長が,時期としては5月7日から5月16日までの10 日間,昨年来日した際の斬所長の示唆に従っていくつか の電波関係の研究機関を訪問したい旨連絡し,日程の関 係上具体的なスケジュールは先方にまかせることにし た。出発前には具体的なスケジュールは分かっていなか ったし,宿泊するホテル等についても情報が入っていな かったので,正直なところ多少の不安があった。


中国電波伝搬研究所にて

 5月7日午前10時30分成田出発が約30分程遅れて現地 時間の午後2時40分頃北京空港に到着した。日本と中国 では1時間の時差がある。北京空港には在中日本大使館 の鍋倉一等書記官(郵政省から出向),中国電子技術院 の陳外事処付処長,通訳の季さん,それに昨年視察団の 女性の通訳として来日した韓さん等が出迎えてくれた。 早速挨拶のため日本大使館に行ったが大使は旅行中とい うことで加藤公使にお会いした。その晩は中国電子技術 院唐副院長主催の歓迎晩餐会が北京コウ鴨店で行われ,中 国電子技術院の幹部の方々と懇談する機会を得た。晩餐 会終了後ホテルヘ行き陳氏から訪中についての全体的な スケジュールについて説明を受けた。訪問先の研究所と の連絡も十分にとれているようで出発前に持っていた不 安は一掃された。
 8日は午前中,中国科学院に所属する地球物理研究所 を訪問した。この研究所は歴史的にはかなり古く1927年 に気象も含んだ地球物理の全般的な研究所として設立さ れたが,その後専門別に分離して空間物理関係は西安 に,対流圏関係は大気物理研究所として北京に独立し, ここでは主に地磁気,重力,地殻構造,地震といった分 野の研究が行われていた。人員は約300名で七つの研究 室に分けられていた。新郷の電波伝搬研究所とも密接な 関連を持っているようで磁気嵐に関する予報や,脈動の 研究,ホイスラーとVLFの研究等が行われているよう である。どちらかといえば大学の研究室のような印象を 受けた。説明並びに案内をしてくれた朱所長は昨年日本 で開催されたIMSシンポジウムに出席しその折電波研 究所へも訪問された方である。そのあと北京大学の構内 にある電離層観測所を見学した。この観測所は新郷の研 究所が持っている八つ即ち満洲里,長春,北京,蘭州, 重慶,広州,海口,青島にある電波観測所のうちの一つ であり北京大学との共同利用になっているとのことであ った。1時間に4回観測が行われており,時計部分には 半導体が使用されていたが,その他は真空管方式であり 受信エコーにも雑音がかなり目についた。北京大学構内 にはかなり大きな池があり池畔の柳の新緑が陽光に美し く輝いていた。
 北京滞在は一日半という日程しかとれず,今回訪中の 主目的地である新郷へは飛行機が使用出来ないため,8 日の夜8時24分北京発西安行きの夜行列車に乗り,翌9 日の早朝5時40分頃新郷駅に着いた。寝台車は仲々快適 であった。新郷は河南省にあり北京から南々西600q位 の距離にある人口40方位の地方都市である。駅には早朝 にもかかわらず電波伝搬研究所の沙副所長を始め数名の 所員の人達が出迎えてくれた。早速ホテルへ直行して朝 食を取った。一休みして8時に迎えの車に乗って研究所 へ行き,斬所長と9か月ぶりの再会を喜び合った。新郷 滞在中の3日間のスケジュールが示され,9日(金)は研 究所施設見学,10日(土)は講演会と討論会,11日(日)は人 民公社見学と討論会ということであった。沙副所長から 研究所の概要についての説明が行われた。中国科学院, 郵電部,第四機械工業部にあった電波伝搬部門を一つに まとめて1956年に第四機械工業部に所属する中国電波 伝搬研究所として設立され,現在人員は1050名,そのう ち技術者が516名で大学卒が344名とのことであった。 年間予算は300方元(日本円で約4億5千万円)である が,人件費を1人年間1000元と考えると約1/3が人件費 に相当する。10の研究室を持っており各研究室には40〜 50名程度の人員がいるようで,試作工場も二つあり250 名位の職員が働いている。一般説明の終了後各研究室の 研究施設見学を午前と牛後に分けて行った。
 対流圏関係では対流圏散乱実験が最近終了したようで 周波数2GHz帯で最長距離は800qで実験が行われた由 である。屈折率計を使用した電波気象的な研究も実施さ れている。特に注目すべきは日本のBSの受信が行われ ていることであった。直径5mのパラボラアンテナが使 用されていた。少し前迄青島で受信していたようで,最 近新郷の方へアンテナ及び測定器を移動し受信してい た。青島に比べて7dB電界が低いとのことで,鹿島送 信のカラーバーや人物の顔の輪郭が不鮮明ではあるが写 っていた。降雨による電波減衰の測定を行う予定のよう である。2.2m径のアンテナで3p電波による天空雑音 温度を測定し大気の屈折と吸収の研究も行われていた。
 電離層伝搬関係では短波通信に対する電波予報並びに 警報に力を入れている様であった。短波に対する需要が 先進国である日本とは大分異なるようで,郵電部,交通 部,放送局,遠洋船舶,辺境地域への通信等需要はかな り多く,そのためには的確な警報が必要であることが強 調された。Transit衛星からの400MHz,150MHz電波 による全電子密度の測定も行われていた。VLF関係で は世界8か所にあるオメガ送信所からの電波を受信し位 相変動の研究が行われており,特に本年2月16日に中国 大陸で起きた日食時に日食による位相変動が顕著に現わ れており,解析の結果D層が19q高くなったことが判 明した。北京の電波観測所で見た電離層観測機はいささ か古い型のように見えたが,新郷で見た最新型の観測機 はすべて固体素子で作られており,日本の最新型に比較 してそれ程見劣りするものでなく,エコーの分離度もき れいであった。最後に測定計器関係の研究室を見学した が,計器の管理が集中的に行われており,共通用に用い られる約3000台の測定器が整然と並べられてあり,必要 に応じて各研究室へ貸し出す仕組みになっていた。この 方式の利害得失は別として管理体制のしっかりしている のには感心した。
 翌10日(土)は朝8時30分から講演会が開催された。午 前中2件,午後1件ということになって午前中は“太陽 地球間擾乱現象と電波警報”及び“ミリ波伝搬と衛星通 信への利用”について講演し,午後からは“ISS-bの観 測結果について”と題して電離層観測衛星と観測結果の 概要について1時間半程講演を行った。講演終了後別室 で研究室長並びに主だった研究者が集まり講演について 質疑応答の形式で午後6時頃迄討論会が行われた。
 11日は日曜日であったが,午前中新郷から自動車で40 分位の所にある人民公社の愚公泉という灌演工事現場を 見学した。解放前はその辺は草木のない禿山であった が,解放後人民公社が組織され岩盤を地下45mまで人力 によって堀削し,地下水をポンプで汲み上げて灌漑工事 を行ったため農作物が作れるようになったことを説明し てくれた。愚公泉へ行く車の中で沙副所長から昨日討論 会を行ったが未だ種々おききしたいことがあるので本日 午後次の14項目について討論したいということで英文で 書かれた質問状をみせられた。人民公社の見学を終わり 新郷の研究所へ戻った後,午後2時から6時迄14項目の 質問に関し討論会が行われた。新郷滞在は3日間であっ たが,夜も歓迎会や曲劇という地方劇へ案内してくれた りして土曜も日曜もなくびっしりとつまった日程であっ た。
 12日は新郷から西安へ行く移動日であったが,新郷に は空港がないため朝7時に新郷から自動車3台をつらね て剣州の空港まで約2時間余り沙副所長ほか数名の所員 が見送ってくれた。その途中で黄河を渡った。河南省あ たりは黄河中流と思われるが鉄橋の長さが6qもあり 車窓からのぞいた黄河はその名の通り濁って渦をまいて 流れていた。剣州から西安迄飛行機で約1時間,眼下に山 々を見ながら昼頃西安の空港に到着した。空港には陝西 省電子局科学技術処の張処長が出迎えてくれた。西安に はホテルが三つしかなく何れも外国の観光客(大部分が アメリカ人と日本人)で一杯で取れなかったということ で西北電気通信大学の外人講師専用のゲストハウスに案 内された。そこで昼食をとった後郵電部所属の第四研究 所の見学に出かけた。この研究所は1958年に設立され, 研究者数は約300名で七つの研究室に分けられておりマ イクロ波通信に必要な送,受信装置や測定器関係の研究 を行っており, この研究所で開発されたものが4GHz及 び6GHz帯での実用通信に用いられているとのことであ った。日本でいうと電々公社の電気通信研究所に対応す るが規模,内容とも通研とは比較にならない。
 翌日午前中は空間技術研究院に所属する無線技術研究 所へ行った。1968年に設立され職員は800名,そのうち 研究者は350名ということであった。10の研究室があり 衛星搭載用送信機の周波数安定化,地上及び衛星搭載用 のアンテナの研究等が行われており,またリモートセン シング用の映像処理の研究も行われ始めたばかりのよう であった。特に注目すべきは1981年乃至82年に中国が打 上げを予定しているSTW-1という実験用の静止通信 衛星のためのトランスポンダ及び衛星搭載用アンテナの 研究が進められていた。中国で訪問した各研究機関の中 でこの研究所だけは写真をとることを禁止された。空間 技術研究院所属の研究所なので昨年訪中した永野治氏を 団長とした経団連宇宙科学技術視察団もこの研究所を訪 問されたようで,サイン帳の中に視察団の一人として参 加された上田元所長のサインもあった。
 午後からは西安航法研究所へ行き副所長から概要説明 をきいた。この研究所は中国電子技術研究院に所属し, 1960年に設立され,研究者900名,エンジニア350名, 10の研究室に分けられている。各種航法システムに対す る装置の研究開発が行われていた。飛行機に用いられる 近距離用の航法システムとしてはTACANを60年代の 初めから研究開発し,現在は第二世代のTACAN装置 の研究が行われている。衛星航法に用いられる受信アン テナの研究等も行われていた。その中で一つ変わった研 究が行われていた。それはVLFの水中伝搬の研究で波 や導電率の違いによる不均一性によってVLFの位相遅 れを予測し,実験と理論を比較していたが,何の目的の ための研究か分からなかった。また世界8か所からのオ メガ電波が時分割方式で受信されていた。
 西安に2泊し飛行機の遅れのため14日の夕方西安を出 発して夜8時30分頃上海に到着した。翌15日午前中,中 国科学院所属の上海天文台を訪問した。女性の副台長か ら概要説明が行われたが,歴史的にはかなり古く1873年 に設立されたというから既に100年の歴史を持ってい る。東京天文台も一昨年100周年を迎えたと記憶してい る。解放前は気象,地球物理等を一緒にやっていたが解 放後はそれらを他にゆずり天文だけ,特に報時関係が主 体で中国の標準電波の担当機関である。しかし上海は中 国の東側に位置するので中国全土に標準電波によるサー ビスを行うには不適当であるとの理由から近い将来陝西 省に新しく天文台をつくりそこで時刻標準を行う計画で あるという説明があった。その他私達が初めて得た情報 としては電波天文の一環としてVLBIの研究が6mφの アンテナを用いて小規模ながら行われていることであっ た。概要説明終了後,VLBI研究施設,標準電波管制 室,水素メーザ,ルビジュウム標準器等を見学した。標 準電波は5,10,15MHzが発射されており送信出力は 15kWということであった。日本のJJYとこの上海の BPV との混信問題が九州地域で問題になっているとい うことは以前からきいていた。水素メーザは1972年以来 持っているようで短時間安定度は1秒間に7×10^-13程度 である。1978年から連続運転をしているとのことであっ た。実用標準は8個のルビジュームによって行われてお りすべて中国産で水素メーザと毎日比較が行われてい る。副台長から電波研究所では近い将来米国とVLBIの 共同実験を行う計画だと聞いているが,中国とも是非共 同研究をしてほしいという話が幾度か会話の中に出てき た。VLBIに関しては当所の季報のVLBI特集を勉強 しており色々と熱心な質問があった。
 以上簡単に訪問した研究所を中心に印象を述べた。短 いかなりきつい日程ではあったが,研究所訪問の合間 に,北京あるいは西安といった古い都市にある歴史的な 名所,旧蹟にも案内してくれた。北京では1日半という 短い日程のため万里の長城は見ることが出来なかった が,昔の宮殿である故宮を見せてくれた。私達よりも彼 等の方が万里の長城を見せることの出来ないことを残念 がっていた。西安では西遊記で有名な唐僧玄奨三蔵法師 が設計,建立したと伝えられる大雁塔や,書道家にとっ ては大変貴重な陝西省博物館の碑林,ここは玄宗皇帝の 直筆の碑を始め王義之,顔真郷,欧陽詞らの名筆の刻ま れた碑石が集められている。また西安郊外にある秦の始 皇陵,玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスにつながる華清池等 に案内され古代中国のすばらしい文化遺産に接すること が出来た。僅か10日間の短い中国訪問で一般庶民の生活 の実態まで見ることは出来なかったが,人の多いことと 通勤時における自転車の多いのには驚いた。自動車は警 笛を鳴らしながら自転車の群の間を縫って走るという状 況であった。北京あたりでは4〜5階のアパートが続々 建設されていたが,煉瓦と土でかためた住宅は依然とし て多く,一般庶民の生活水準は未だかなり低いのではな いかという印象を受けた。各研究機関の視察においても 多くは10年ないし15年前の日本の状態ではないかという 気がした。しかしどこの研究所でも200人ないし300人 の職員を持つ試作工場を持って機械の組立作業もすべて 自分の所で行っており,それも文献を基として製作して いるということであった。学術雑誌等も手に入るものは すべて入手してコピーを取っており,訪問した研究所の 一つで案内された図書室ではデモンストレーションとは 思ったが当所の電波研究所季報や電波時報を読んでいる 職員を見かけた。中国が旗印としてかかげている四つの 近代化の一つである科学技術を促進するため,あらゆる 知識を吸収し先進国の水準に追いつこうとする気力と熱 心さには感心した。
 短い出張期間であったため十分詳細なことは知ること が出来なかったが,中国の電波研究の現状の概要は理解 出来たように思う。所長間の書簡交換によって電離層デ ータの交換も実現した。これを機会に両国間で研究者の 交流が盛んになることを期待したい。今回の出張に際し ては中国側の電子技術研究院,新郷の中国電波伝搬研究 所を始め各研究機関では大変親切に歓迎していただき, 特に電子技術研究院外事処の陳さん,通訳の季さんには 10日間私達と一緒に旅行して下さり大変助かった。駐中 日本大使館鍋倉一等書記官には北京滞在中大変お世話に なり,また中国訪問実現には本所を始め本省の総務,経 理,技術調査,国際協力の各課の関係官に大変お世話に なったことを厚く感謝する次第である。

(所 長,企画部長)




米国VLBI調査旅行を終えて


川尻 矗大

  はじめに
 筆者は今年1月14日〜2月15日の約1か月間,“日米 間VLBI実験の打合せ及びシステム機器の調査”の目 的で科学技術庁の「二国間協力に伴う専門家派遣」のプ ログラムにより米国内の主要なVLBI施設を訪問し調 査する機会を得た。最初の日米間VLBI実験は1983年 と未だ多少時間があるので実験そのものの具体的打合せ は少なくむしろ米側使用のMarkVVLBIシステムと両 立性を保ったシステムを電波研究所で製作すべくハード 面の調査が主となった。以下に訪問した各機関での打合 せ,調査内容等について記述する。
  米国航空宇宙局本部(NASA Headquarters)
 ワシソトンD.C.の中心部の白いNASAビルディン グの1階北東端にCrustal Dynamics関係の人々がい る。こちらは研究管理専門であり,各プロジェクトのマ ネジャー連中と秘書が居るのみで狭い廊下の両側にドア の開け放された個室が並んでいた。既に日米合同調査計 画及びUJNR地震予知技術専門部会で顔なじみのE.A. フリン氏及び上司のT.フィシェテイ氏の2人と前後2 回にわたり話し合った。1回目は1月21日で,鹿島支所 の現状をスライドを用いて紹介すると共に54年度から始 った電波研究所VLBI5か年計画の進捗情況,日米共同 実験に対する考え方等につき意見交換を行った。
 2回目(2月1日)は,後に述べるゴダード宇宙飛行 センターやヘイスタック観測所を訪問し,実際のMark Vの活動情況を見学した後,東部を離れる前に会った。 この時は渡米前に想像していた事柄と,実際のMarkV システムやそれを用いた観測法との相違点,及びそれに 対する電波研究所側の対応の仕方の可能性について話し 合った。
  ゴダード宇宙飛行センター(GSFC.)
 ワシントンD.C.の中心部から車で約40分の場所にあ り,訪問したVLBIグループはGSFC内の建物の2階 の一角を占め,6〜7人で作業していた。ここでは VLBI観測データの相関処理を行った後,実際に基線ベク トルや極運動,地球回転等に応用するためのデータ解析 と,計算機利用を促進するためのハードウェア,ソフト ウェアの開発を行っていた。 Crustal Dynamics Project ManagerのR.コーツ氏立会いのもとにリーダーの T.クラーク氏からMarkVシステムの全体像の説明を受 け,データ解析の実際についてHP1000F計算機端末を 用いての実演を見学した。こちらから用意した技術的質 問についてもほぼ解答を得た。
  マサチューセッツ工科大学(MIT)
 MITではVLBIの応用についての理論的研究が, Dept.of Earth & Planetary Scienceで行われており, I.I.シャピーロ教授やC.C.カンセルマンV教授が中心 になっている。カンセルマン教授からは比較的近距離 (200q以内)の精密測距にGPS(Global Positioning System) を利用するシステムについてその原理, 進捗 情況の説明を受けた。
  へイスタック観測所
 運営はNorth-East Radio Observatory Corporation (NEROC)であるが実際の管理はMITが行ってい る。ボストンから40マイルも離れた丘の上の施設は,ヘ イスタック自身のもののほか,Lincoln Lab.のインコヒ ーレソトスキャター用アンテナ(78mφ,34mφ,25mφ), レーザードーム,NASA,Air Forceの移動可能施設(レ ーダ等)も近くにあった。VLBI施設としては, NEROCが運営している37mφと18mφのドームを被りたア ンテナのほか,MarkV用データ取得装置,デ-タ処理 装置がある。後者には相関プロセッサ,ハニウェルM- 96データレコーダ5台のほか,HP1000シリーズ計算機 (中央処理装置,テープデッキ,ディスプレイ3台,ディ スク,テープリーダ,プロセス入出力装置等)が用意さ れている。現在データ取得装置を方々の観測所に配るた め4〜5台の生産を引き受けているとのこと。MarkV 用相関プロセッサは今のところ世界中でここだけなので MarkVを用いた測地的応用のVLBTについては中心 的役割をはたしている。訪問中はリーダ-のA.E.E. ロジャーズ氏から施設の説明を受け,資料を得る一方, A.R.ホイットニイ氏及びH.F.ヒンテレガー氏からそ れぞれ相関プロセッサ及びデータレコーダにつき一部説 明を受けた。
  米国国立電波天文台(NRAO)
 名前の示す通り,米国の電波天文分野の中心地であっ たが,近年VLBIの測地的応用についても重要な役割 を果たしている。本部のあるシャーロッテビル(Va.)と アンテナサイトのグリーンバンク (W.Va.ほかにVLA(Very Large Array)のあるソッコロN.Mex.,チュ ーソンAriz.もある。)に分かれ,今回多く接触したエ レクトロニクス部は,シャーロッテビルでは本部の建物 から独立し,Ivy RoadのDynamicsビルの1階半を 占めていた。このビル内ではドイツ移民のB.レイハー 氏よりMarkVデータ取得装置につき説明を受けた。 その日の午後本部ビル内のVLBI MarkV施設,計算機 施設を見学した。翌朝車で3時間半のグリーンパンクア ンテナサイトを見学,製作中のMarkVデータ取得装 置の一部の説明をR.ラカッシ氏より受けた後,実際の データ取得の際の操作の実演を見た。その後アンテナ, 給電系を見てまわり,MarkVでのデータ取得法などに つき討論を行った。 MarkVシステムは43mφアソテ ナにデータ取得装置が一式あるほか,グリーンバンク及 びシャーロッテビルのDynamicsビルで同じものを製 作中であった。今後もMarkV改良について他の機関 と共に進むものと思われる。
  ジェット推進研究所(JPL)
 パサデナとゴールドストーン(いずれもCalif.)を訪 問した。パサデナでは264号ビル7階の Tracking Systems and Applications Sectionの人々に主として会 った。2月11日J.L.ファンセロウ氏からJPLのVLBI 活動の全般について説明を受けた。時刻・周波数同期,極 運動・地球回転の速報的データ取得のための Deep Space Network独自のVLBIシステムも週1回2時間ゴール ドストーン−マドリッド,ゴールドストーン−キャンベラ 間で今年初めからルーチン観測に入ったことを知った。 続いてG.M.レッシュ氏より対流圏エクセスバス補正 用の水蒸気線観測用ラジオメータについて,調整中の 20.7/31.4GHzの測定装置の説明を受けた。この装置は 電波星の方向を追尾可能でありエクセスパスの補正の精 度は2p以下と世界の最先端をいくものである。その 後ARIES(Astronomical Radio Interfefometric Earth Surveying)計画で用いている4mφ及び9mφ の移動可能な観測装置を見学した。これには現在Mark Uシステムがついているが,今年夏にはMarkVシステ ムが装着されるとのことである。データ処理は Cal Tech内の天文関係の建物の地下3階にあるプロセッサ を使用している。
 翌日ゴールドストーンのアンテナサイトヘ飛行機で運 んでもらった。ゴールドストーンはモハビ砂漠の中にあ り,四つばかりのアンテナが数マイル位離れて点在して いる。今回はMars 64mφ,Venus 26mφ,Echo 34mφ の3か所を訪れた。Mars stationはマドリッド,キャ ンべラと協同で惑星探査衛星の軌道決定を助けるVXLBI ルーチン観測に入っており,またパイオニア10,11号, Voyager,Viking等の追尾のため,その電子計算機群, 受信施設等の規模の大きいのには圧倒された。Echo− Venus間に検問所が1か所あった。JPL,ゴールドス トーンは外部からの訪問者にはNASA本部,GSFCに 比較し,遥かに厳重なチェックをしている。但しカメラ (面会される人のサインが必要)は登録すれば自由に撮 影できた。
 JPLとCalTechは共同で2年後を目指し,MarkK, MarkV共にデータ処理出来るBlockKシステム を開発予定とのことであった。
  おわりに
 MarkVシステム全体としては大きく,イ)データ取得 (Data Acquisition),ロ)データ処理(Data Reduction), ハ)データ解析(Data Analysis)に分けられる が,このシステム開発をヘイスタック:イ)・ロ),ゴダ ード:ハ),NRAO:イ),MIT:VLBIの応用の理論 的研究, NASA本部:スポンサ&ユーザ,等が見事 な連係プレーで共同開発し,また共同観測している様子 は非常に印象的であった。
 JPL,Cal Techの西部グループは上記の東部グルー プに対しやや対抗意識があるように思われた。水蒸気線 観測用ラジオメータや位相遅延較正装置については西部 グループの方が一歩進んでいる。
 MarkVのハード面は4〜5年前からの製作なので, 現在我々がシステムを製作する際,その後のエレクトロ ニクスの進歩をとり入れることが可能であり,また電波 天文と測地の両方を目的としているので冗長な部分を省 くことも出来る。しかし米側は10年以上にわたる経験と 資力,人材を投入しており,融通性,自動化といった点 でも遜色のないものにするには,日本側もそれに見合っ た資力,人材を投入すべきであろう。当分はMarkVシ ステムを踏み台にして我々にふさわしいシステムの発展 を期したい。
 拙文を終えるにあたり貴重な機会を与えて下さった科 学技術庁,郵政省,電波研究所当局,調査旅行に種々の 御協力を頂いたアメリカの関係者の方々に深甚の謝意を 表します。

(鹿島支所 第三宇宙通信研究室長)




カナダ・UBCに滞在して


渡辺 成昭

  はじめに
 筆者は,昭和53年12月から55年1月まで,1年2か月カ ナダのブリティッシュコロンビア大学(The University of British Columbia以下UBCと略称する)に Research Associateとして滞在したのでその報告をする。
  バンクーバーについて
 バンクーバーはカナダ西海岸の中心地である。北米大 陸西海岸は冬が雨期で,大きな森林地帯があり気候も温 和である。プリティッシュコロンビア州(BC州)は雄 大な森林と冬でも枯れぬ芝生があり,町全体がきわめて 美しく,おとぎ話の様な家々が立ちならび,百万の人口 をかかえているとは思えない程清潔である。公共交通機 関であるバスは,ほとんどがトロリーバスであり,水力 による電力資源の豊富さを物語っている。また,自動車 で南に走ると30分程で米国に入る。
 Jack Deightonは1830年英国に生まれ,長じて船乗り となり世界中を航行したが,おしやべりでホラふきであ ったため,Gassy(ホラふき)Jackと呼ばれた。1858年 BC州で金が発見されるや一獲千金を夢みてBC州に来 た。金の発見には失敗したがサロンの経営に成功し,その 界隈はGassyの町と呼ばれた。ガスタウン,グランビル 町として大きく発展し,やがて北米大陸の西海岸を探検 した英国のキャプテンバンクーバーに因んで1886年か らパンクーバー市として栄えるようになった。現在も Gassy Jack の銅像が,ダウンタウンに立っており, 観光の名所ともなっている。
  ブリティッシュコロンビア大学
 UBCはバンクーバーの南を流れるフレーザー河と, 北のフィヨルドの入江にはさまれ,半島の如くつき出て いる地形の西端に広大な敷地を占有している。町から1 マイル程,森林の中を走ると大学の建物が見えて来る。 教職員及び学生合わせて3万人余が研究,勉学にはげん でいる。筆者は地球物理及び天文学科の渡辺富也教授の もとでELF多点観測網で得られたデータをディジタル 解析法を使って研究を行った。
 カナダは磁北極を国内に有するため,地磁気緯度が地 理緯度に比して高い。宇宙空間の電磁現象は磁力線に沿 って伝わりやすい。UBCは電磁現象で重要な位置を占 めるプラズマポーズ(静止衛星軌道の少し内側)の磁力 線の根元にあり,居ながらにして興味あるデータを観測 できる有利な位置にある。研究室はカナダ中部にあるマ ニトバ州,BC州等に1000〜2000マイルにわたって張っ た観測網を保有し,最近サスカチュワン州等に設置した 極域観測共同計画にも参加している。BC観測網の設営 に私も参加し,UBCより100マイル程離れたペンバー トンと言う田舎に行き,森林警備隊の近くの原始林に観 測点を設置した。
 私は,アナログデータをA/Dコンバータによりディ ジタル量とし,各観測点間の時刻同期を高精度で行い, UBCの大型コンピュータを用い,各種のソフトウエア を作成解析した。初報は1979年6月に開かれたカナダ物 理学会(CAP)で発表した。
 大型計算機はIBM370-168'相当の能力を持ちMTS システム及び人員配置等が極めて効率良く運営されてい るため,各地からの見学者が絶える事がないという事で あった。
 尚,超高層研究室では人工建造物(送電線)と地磁気 の係わりあいにも興味を持ち,送電線によるVLF放射, Solar Induced Currentと地磁気との極めて良い相関が 得られることを示していた。同学科のプロジェクトは, 地震学及び予知,氷河学,地球年代学,地球電気磁気 学,同位元素と地球化学及び天文学である。
 滞加中の大半を大学のしょうしやな宿舎で暮らし,長 屋的雰囲気で,隣近所の子供達が出入りし,どこが自分 の家かわからない程であった。また,金曜には職員クラ ブより立派に見える大学院クラブで院生等と共に,ビー ルを飲んだりビリヤードに興じたり,夏期にはバレーボ ールで遊んだり自由で好意的雰囲気であった。


私の家で学生と共に開いたパーティ。枠中は渡辺教授

  おわりに
 常に親切であったカナダの人達,及び日本の関係者に あつく御礼致します。

(電波部 宇宙空間研究室 主任研究官)




第20次南極越冬観測に参加して


小宮 紀旦 小島 世臣

  はじめに
 第20次南極地域観測隊越冬観測に参加したのでその概 略を報告する。
 第20次隊の重点観測は地学及び気水圏部門である。地 学部門においては鉱物資源に関する基礎調査第1期3か 年計画の初年度にあたり,気水圏部門においては国際的 な南極地域気水圏観測計画(POLEX-SOUTH)の初年 度であった。南極観測の概要を紹介する意味で第20次隊 の主要な観測項目を次に示す。
 越冬観測は定常と研究に分かれる。
1)定常観測では ア)極光・夜光 イ)地磁気 ウ)電離層 エ)気象 オ)地震 カ)側地 キ)検潮の各観測が行われた が,これらの観測は隊次によって大きく変わることはない。
2)研究観測では ア)超高層物理 イ)気水圏 ウ)地学 エ) 環境科学の観測が行われた。越冬観測のほかに「ふじ」 船上及び夏季観測があり,
1)定常観測では ア)海洋物理・化学 イ)海洋生物 ウ) 中波電界強度測定 エ)測地の観測が行われている。
2)研究観測では ア)生物 イ)地学(人工地震) ウ)環境 科学の観測が行われた。
 以上の中で電波研究所が関係している観測は越冬では 電離層定常(イオノゾンデ,ラジオオーロラ,電離層吸 収,短波電界強度測定の各観測)と超高層物理研究(テ レメトリーによる人工衛星観測,昭和基地の電磁環境測 定)である。
 以上のように南極観測内容は多彩であり,これらの観 測を首尾良く行うには国内からの周到の準備を必要とす る。以下準備から帰国までの越冬生活について概説する。
  準備
 昭和53年6月に第20次隊の観測項目と隊員が南極地域 観測統合推進本部によって公式決定されると本格的準備 が始まる。7月の菅平の夏期訓練で隊の計画,オペレー ション,船上生活,越冬生活,物資調達,梱包輸送の手 続が教えられる。3月の冬期訓練とこの訓練で隊員相互 の面識も深まり,越冬生活で活躍するであろう宴会屋な どがおのずと浮かび上がってくる。この訓練のあと各分 野ごとの訓練,準備が11月まで行われる。これと並行し て器材の調達,梱包,積荷作業などが進められていく が,電波研究所は南極観測に関して第1次から連続して 参加している20年の実績を持つ老舗である。このもっと も大切で煩雑な作業がきわめて効率的に行われるのは若 井登電波部長を本部長とする電波研究所南極本部と南極 観測参加8回の大瀬正美主任研究官の存在に因る。
 昭和53年11月25日,砕氷艦「ふじ」は晴海を出港し, 途中物資補給のためにオーストラリアのフリーマントル に寄りて昭和基地に向かうが,この頃から夏季オペレー ション体制作りや越冬体制作りが行われる。
 世界に先駆げて行われる昭和基地からのテレビ衛星中 継のスタッフ11名も準備に余念がない。
 53年12月31日定着氷縁の「ふじ」から昭和基地に向け て19次越冬隊員への便りを乗せたヘリコプターの第1便 が飛んだ。いよいよ20次隊の夏季オペレーションの開始 である。
  
 昭和54年正月おせちとおとそで正月気分を味わうと隊 員は昭和基地に飛び夏季オペレーションに入る。「ふじ」 からも荷送り,基地での建設は新隊が,基地での荷受け は旧隊が受け持つのが慣例となっている。昭和基地への 空輸総量は473トン,人工地震・みずほ関連物資の大陸 上のS16への空輸が22トンである。
 昭和基地の主な夏季作業は車両組立・整備,自家発電 機・ケーブル交換,燃料タンク組立,冷凍庫整備,地学 棟配線,暖房機交換,水タンク清掃,夏宿舎建設,地学 棟内装,通信CD卓取替,給電線同軸化工事,通信機取 付,航空機運搬・組立等々である。これらの作業を「ふ じ」乗組員の協力を得て1か月間で行う。NHK関連作 業は19・20次隊の一部と「ふじ」乗組員の支援を受けて 最優先で行われ,天候にも恵まれて生中継が成功した事 は記憶に新しい所である。
 夏はまた夏隊及び夏野外調査の活躍する時期でもあ る。大陸・昭和基地周辺の海氷はゆるみ,雷上車を用い ることはできず, もっぱらヘリコプターにたよる。
 昭和54年2月1日,19次隊は朝食を最後に基地施設を 20次隊に委ねる。実質的新旧隊の交替だ。20次隊は楽し かった飯場暮しから近代設備の整った施設での科学的な 香りの高い生活にうつる。
 基地生活の内規,運営体制も整う。隊の行動は,各部 門責任者などで構成されるオペレーション会議によって その方針が定められ,全体会議によって承認を受け実施 される。
 国内で十分に検討され準備された仕事は着実に実行に うつされていく。
 1月末から太陽が沈み始め2月に入ると気温も下がり 始め,残る19次隊員の数も減り, 2月211日「ふじ」ヘの ヘリコプター最終便が出て基地は越冬隊員だけになると うら寂しい気分になり,南極の秋を感じる。
  
 3月に入るとブリザードの日が増え,全員共同作業も 少なくなり,自分をとりもどしていく。4月にはオーロ ラの写真を撮る人も出てくる。
 4月1日,新たに搬入された電離層観測機9-B型が 従来のPIR-10型に代わって現用機となる。
 4月2日,始めての氷山氷取り作業が行われた。夏は 雪融水を上水に用いるが,ダムも凍結しタンクには非 常用水を残してこの時から氷山氷を融かして上水とす る。
 海氷も安定に凍結し,雪上車を用いた野外観測活動が 活発に行われる。そしていよいよ太陽も沈み冬となる。
  
 6月始めに太陽が昇らなくなり7月中ごろまで約40日 間太陽を見ることはできない。
 6月22日は南極中がミッドウィンター祭を楽しむ。お 祭はゲームや演芸会のほか,隊員各自の専門分野の講義 のある南極大学が開かれる。
 寒さは8月まで低下しつづける。(夏の平均気温0℃, 冬は-20℃)
 南極初体験者はミッドウィンターの折り返し点をすぎ るころから南極生活様式にも慣れ,今までえらそうにし ていた先輩達をしりめに活躍しはじめる。
 太陽が出はじめるとともに越冬後半の観測に力が入 る。秋はオーロラの活動が活発でなく,冬明けに期待を 掛けるエセカメラマンが夜な夜な基地内のそこここに出 没する。がフレックスタイムをとれる観測者達はそれで 良いが,設営部門の人達はそうはいかない。機械,通 信,調理の人達の朝から晩まで黙然と働く姿は美しい。 機械の不調が発見されれば夜中でも修理に当たる。
 8月は最も寒い月だが,日に日に明るさを増して春の 近いことを思わせる。
  
 9月には連日のように盛んなオーロラ活動があった。 夜がますます短くなり10月に入るとオーロラの写真撮影 が出来なくなる。9月から11月にかけて気温が急上昇し ていく。帰国準備を始める人もいる。
 春は野外観測の季節である。沿岸,みづほへの調査旅 行に出る。やまと,ベルジカ調査旅行隊も10月13日に出 発し,昭和基地に帰るまで115日間の大旅行をすること になる。約3000個の隕石採取の成果をおさめ8名全員無 事に帰る。
 春 野外観測活動の活発な時は基地は閑散となる。半 数の15名の時もあった。
 春はまたスキーシーズンでもある。運動不足解消には もってこいだ。はだかでスキーをする人も出て,雪がく さりはじめると夏である。
  そしてまた夏
 この春は天候も良く雪融も早い。が建物についた下り フトは高い所で5mはあろうか。自然のなりゆきにまか せるわけにはいかない。12月3日に始めての砂まきが行 われた。これは主要道路全域,ヘリポート,物資集積所 の雪融けを促進する。ブルドーザーも活躍し,細部は人 力にたよる。特にヘリポートの除雪,掃除は入念に行わ れる。ヘリコプターが降りてくれないとこまるからだ。 基地全域の大掃除も行われ美しい基地になる。
 昭和54年12月31日,家族の便りを乗せて第1便が飛ん できた。
 荷受,持帰り物品の荷送り,観測の引継をすませ,う しろ髪を引かれるようにして「ふじ」にもどり,モーリ シャスから空路,成田に到着したのは55年3月20日,1 年4か月ぶりの日本であった。


南極昭和基地のオーロラ

  おわりに
 昭和基地は南極地域の中でも沿岸弱風地区に位置しお だやかな気象条件の中にある。おおむね富士山頂の気候 であろう。居住区や観測室は暖房機によって15℃前後に 保たれており,屋外作業時にはそれなりの防寒具があ り,むしろ関東地方の冬より住み易いように思われる。 が,生命の危険は日常的にあるといってもいいすぎでは ないであろう。火災は隊の存続にかかわる。室内や雪上 車内での一酸化炭素中毒,ブリザード,凍傷,海氷域では タイドクラックが,また氷の大陸ではクレバスが雪上車 を待ち受げている。夏季作業中ではブルドーザー,クレ ーン車,ダンプなどの大型車輌の運転,大型工具の使用, ヘリコプターによる荷送り受け作業等,不慣れな土木・ 建設作業など,これらの危険の中で無事越冬観測を果た せたのは吉田栄夫第20次観測隊長,山崎道夫第20次越冬 隊長の御指導のたまものでありここに感謝いたします。 また南極体験の貴重な機会を与えて下さった国立極地研 究所・電波研究所の関係各位に感謝いたします。

(電波部 電波予報研究室 主任研究官,研究官)


短   信


研究施設一般公開の御実内

 昨年と同様,当所の研究施設を一般に公開いたしま す。御多忙中とは存じますが,多数御来所くださるよう 御案内申し上げます。
 公開日時 昭和55年8月1日 10時〜16時
 公開場所 本所,支所(鹿島,平磯)及び電波観側所
      (稚内,秋田,犬吠,山川,沖縄)
 なお,本所では,映画「宇宙通信の研究−郵政省電波 研究所の記録−」を上映いたします。



ミリ波通信衛星小委員会の発足

 標記の小委員会が電波研究所宇宙開発計画検討委員会 の下に5月10日発足した。先の実験用静止通信衛星(E CS-b)の静止軌道投入の失敗に」より,ミリ波帯の実用 化を目指した実験計画は大幅な変更を余儀なくされた が,将来の増大する通信需要に対処するために,ミリ波 帯の通信技術を開発する必要がある。このような情況に おいて,同小委員会は,ミリ波帯通信衛星計画の策定を 技術面からサポートするために設けられたものである。 同計画では,将来の多様化する通信需要を考慮して長期 的展望に立った計画の策定が特に重要であり,単にミリ 波帯を開拓するだけでなく,通信システム全体につい て,利用形態も含めたマルチビーム,通信制御,トラン スポンダの設計及び衛星管制等の諸技術について検討を 行うことが予定されている。
 構成メンバーは下記の通りである。
 林 理三雄(主査),甲藤 隆弘,手代木 扶,猿渡 岱爾,飯田 尚志,古浜 洋治・畚野 信義,吉村 和幸,乙津 祐一,藤田 正晴,小坂 克彦。



CS・BS応用実験始まる

 郵政省ではかねてからCS・BS両衛星計画において, 実験期間の後半に,基本実験と並行して幅広い応用実験 を実施すべく諸準備を進めてきたが,今般その機が熟し 本年6月からCSの公共業務用衛星通信システムに関す る実験,BSの衛星放送の受信評価に関する実験を皮切 りに各種応用実験が開始される運びとなった。応用実験 は,従来からの実験実施機関以外の機関の参加も得て, 衛星通信・放送の種々の利用形態に対する衛星通信・放 送システムの適用性に関し,その技術・運用要件を明確 にするために行う実験であり,上記実験項目の外,CS については,コンピュータ・ネットワークに関する実 験,災害対策用衛星通信システムに関する実験,衛星通 信回線の品質評価に関する実験,ネットワークの接続制 御に関する実験等が,またBSについては,離島・辺地 などからの番組送出に関する実験,衛星放送システムの 運用に関する実験,時刻と周波数標準の供給方式に関す る実験,新伝送方式に関する実験等が予定されている。 当所はコンピュータ・ネットワークに関する実験,時刻 と周波数標準の供給方式に関する実験のほか,これらす べての実験項目に参画し,関係機関との密接な協力の下 に目的を達成すべく主導的役割を担うこととなってい る。



FCSの代書実験計画決まる

 郵政省は,かねてから現用周波数帯域の過密化を解消 すべく,ミリ波帯電波利用技術の開発を積極的に推進し てきた。その一環として,当所では,実験用静止通信衛 星ECSによる,ミリ波利用衛星通信技術の確立を目指 して準備を進めてきたが,不幸にして,ECSが再度,打 上げに失敗し,世界に先駆げたこの実験は所期の目的を 達成することが困難になった。
 このような状況を踏まえて,当面55,56年度は,CS 実験の一層の充実と,将来ミリ波衛星通信実用化に関す る基礎資料を得るために,ECS施設を有効に活用して, 次の3項目を主体とした実験研究を実施することにし た。
 (1) CS利用サイトダイバーシチ通信実験
 (2) ミリ波降雨散乱実験
 (3) ミリ波太陽電波観測
これ等に関する予算凍結解除の折衝は,ECS-b失敗直 後から開始され,55年度分として約1.5億円が認められ た。56年度は,(1)及び(3)項の実験研究を継続して行うと 共に,これ等の成果とECS開発成果を踏まえて,昭和 61年度打上げを目標として,次期ミリ波通信用衛星搭載 ミッションの開発研究を開始する計画である。



第58回研究発表会

 6月4日,当所講堂において第58回研究発表会が開催 され,外部から92名の来聴者を迎え,午前3件,午後4 件の発表(プログラムは本ニュースNo.49に掲載)が行わ れた。特にミリ波太陽電波の観測については大きな関心 がよせられ,またCSによるコンピュータ・ネットワー ク実験計画や,BSによる標準時刻及び周波数供給シス テムの実験計画では活発な討論が行われた。