水素メーザ周波数標準器


周波数標準部

 はじめに
 先に電波時報('80 No.1)掲載の「原子時計の研究 30年とその現状」につき,現通信・放送衛星機構の網島 毅理事長から原子標準研究事始めの経緯についてご懇篤 なご教示をいただいた。昭和24年当時電波庁長官であっ た網島氏が米国標準局(NBS)の研究所を訪れたとき, 世界初のアンモニア原子時計の開発を目のあたりにして 原子周波数標準器の必要性と将来性を深く感じ,帰国後 直ちに当時の松本喜十郎標準課長に原子時計の開発を指 示し,大学(京大加藤,岡両教授,東大霜田教授),メー カなどの賛同を得て原子時計研究の国内委員会の設立と なった由である。
 この先覚者たちにより始められた当所の原子時計開発 の歴史30年目に当たる本年の逓信記念日に奇しくも原子 標準研究室が水素メーザの精度向上により所長表彰を受 け,室員一同光栄に感ずると共に先人の培った足跡に恥 じないよう今後一層の発展を期したい。
 電波研究所におげる原子標準器の研究の変遷をふり返 るとき,大まかに前期と後期とに分かれる。アンモニア 分子を用いた吸収型,メーザ型を開発していた前期は, 戦後の荒廃の中から文献を頼りに米軍放出品のクライス トロン,ダイオードを用い,手作りと手探りで実験を始 めた時から,日本の復興も緒につき,ようやく国産の電 子管式150kHzカウンタが現われ始めた頃までである。 上田元所長と佐分利部長との将来性についての検討のあ と昭和40年から開発が始まった水素メーザはその後のル ビジウムとセシウムの標準器の研究と共に,現在も広く 使われている原子時計開発の研究所の後期の歴史の始ま りを飾るばかりでなく,日本の工業の目ざましい発展を 背景に,水素メーザのほとんどの部品を国産品で構成し たという点でも画期的であった。
 この水素メーザの設計は,当時水素ビームに関する経 験がなく,すべて文献頼りであった。しかし,昼夜をわ かたぬ努力により,装置搬入後3か月目の昭和41年6月 に米国,スイスにつぎ世界第3番目の水素メーザ発振に 成功し,続いての整備の結果,秋からそれまでのアンモ ニア・メーザに代わり,この水素メーザを電波研究所の 一次原子周波数標準器に設定した。その後も水素メーザ の周波数安定度の改善のため整備を続けると共にメーザ 周波数の絶対値の決定の研究を進め,昭和30年にその値 を発表した。
 1967年の国際度量衡総会で時間の定義が天文時から原 子時に改訂され,それに伴い各国とも一次原子標準器を 周波数の原器としてばかりでなく,時間の標準として連 続運転する必要を生じた。しかしこの水素メーザは長時 間の連続使用には不向きであったため,昭和50年に当研 究室が緑町から現在の国分寺本所に移転する際に,長期 にわたる周波数安定度の高い連続運転のできる改造型水 素メーザの開発にかかり昨年から原子時発生のための実 用化試行運転と最後の整備を行っている。
 当所ではこの水素メーザにより高安定原子時の発生を 行うと共に,現在開発中のセシウム標準器と組み合わせ て,高確度でかつ高安定な原子時を構成する計画であ る。また,水素メーザは原子標準器の中で最も周波数安 定度が高いことから,深宇宙人工衛星追跡や超長基線電 波干渉計(VLBDなどに利用される。当研究室でも1983 年の日米間VLBI共同実験に向け,昨年度から移動型水 素メーザ実用器の開発に着手した。


新設水素メーザ

  電波研究所における水素メーザの研究
 昭和40年から始まった当所の水素メーザの研究の主な 成果と新設メーザの現状を述べる。
  短期周波数安定度
 1) 磁気シールドの改善
 旧メーザは当初3重の磁気シールドであったが,真空 排気管から外部磁場の漏れがあり中央線電車の電流など が周波数安定度に影響した。このため真空用ベルジャー 内にもう一層のシールドを行った。これによりこのシー ルドにはビーム通過の小さい孔を開けるだけですみ,外 部磁場を1,000分の1以下に減ずることができた。 ま た,シールドの消磁は従来ベルジャーに約1,000Aの大 電流を流していたが,シールド自体に約50Aの小電流を 通すだけで同じ効果が得られることがわかり,この方法 でベルジャー内のシールドの消磁も可能となった。
 2) 共振器温度制御の改善
 旧メーザはベルジャー外の磁気シールドの最内層と中 層にヒータを巻き,温度検出器をベルジャーに置いて温 度制御を行ったが,加熱点と検出点の位置が異なること や排気管からベルジャーヘの温度伝導のため期待した温 度制御が得られなかった。新設メーザではべルジャーを 直接加熱する連続発振加熱方式を用い,ヒータは温度検 出も兼ねた。また排気管を石英製としてベルジャーヘの 熱伝導を減じた。その他共振器への熱伝導を減じた結果 100分の1度以上の温度制御を得た。
 3) 短期周波数安定度
 新設メーザは上で述べた改善により現在図1に示す周 波数安定度を得ている。共振器自動同調なしの最も高い 周波数安定度は測定時間約40秒から100秒の間で,約7 ×10^-15である。測定時間がこれより長いと図のように 共振器の温度ドリフトで周波数安定度が低下する。


図1 新設水素メーザの周波数安定度

  長期周波数安定度
 1) 長期連続運転
 旧メーザは長期連続運転には向かなかったから新設メ 一ザは,高安定連続運転の原子時計を目標に,上述の共 振器温度制御などの改善,水素放電管やバラジウム管 (水素分子のみ通過)など水素ビーム系の改良により長 期連続運転(現在2年以上)が可能となった。
 共振器自動同調新設メーザでは2段マグネットの間に ビームシャッターを置き,水素のビーム量を増減して共 振器の自動同調を行っている(圧力クエンチング法)。 2台の水素メーザを対としてこの自動同調を行い,2台 とも発振周波数を水素固有周波数にロックしている。
 3) 長期周波数安定度
 新設メーザの共振器を自動同調し長期連 続運転したときの周波数安定度を図1に示 す。測定した期間(100秒から10日まで) の周波数安定度は2×10^-14以上と旧メーザ に比し約1桁の向上になった。
  周波数絶対値
 1) テフロン壁による周波数シフト  水素メーザ標準器の周波数の絶対値は上 で述べた外部磁場,相対性理論の効果,水 素原子の衝突などによる原子の共鳴周波数 のシフト量を補正して求める。このなかで 水素原子の蓄積球のテフロン壁との衝突に よるシフト量の推定は最も厄介で,この補 正誤差が水素メーザの周波数確度を決定し ている。
 当所では水素メーザの周波数確度を上げるため水素蓄 積球の形状,テフロン被膜方法の改善などを行った。こ のテフロン壁による周波数シフト量は水素蓄積球の直径 に反比例するから図2に示すように直径の異なる蓄積球 につき周波数を測定し,直径が無限大のときの周波数を 外挿すれば水素原子がテフロン壁と全く衝突しないとき の周波数値が得られる。図2は2種類のテフロン膜につ いての実験で,図2より電波研水素メーザの周波数絶対 値はすべてのシフト補正を行ない,
  1,420,405,751.773±0.005Hz
と発表した。この値は世界の水素メーザの発表値のほぼ 中間にあり,その決定精度も各国似た値であった。


図2 異なる直径の蓄積球による壁シフトの推定

 2) メーザ周波数の国際比較
 水素メーザ周波数の国際比較は1967年に商用セシウム 標準器を仲介として行われ,各国の中でも日本,アメリ カ,カナダは3〜4×10^-12以内で一致した。しかし,こ の各国の周波数差は主として水素蓄積球によると推論さ れるので,1970年に当所が提案し,日本とカナダの間で 同一蓄積球による水素メーザの国際比較を行った。その 結果当所製蓄積球は,カナダでの測定値とその前後の日 本での値とが,測定精度(約1.6×10^-12)以内で一致し た。
  現在の研究
 1) 実用化長期連続運転
 新設メーザは現在高安定原子時発生のため商用セシウ ム時計群と時計比較をしながら長期連続運転を行ってい る。その結果,
 (1) 水素メーザ時計は約10時間から1週間の測定期間 では商用高性能セシウム時計よう約1桁精度が高い。
 (2) 長期(6か月間)連続運転中磁気シールドの帯 磁,蓄積球テフロン膜の変化,共振器制御温度のドリフ トを経験した。磁気シールドの帯磁はメーザ周波数の変 化を伴うから,これを小さくするため静磁場の動作値を 1ミリガウス程度に下げる必要がある。共振器の温度制 御系は連続発振加熱方式を用いた交流ブリッジ回路であ るが,制御の差電圧増幅器が直流増幅のために半導体の 経年変化で温度ドリフトを起こした。これは現在交流増 幅器に改造中である。テフロン膜の経年変化は近年大き な問題となっている。これは水素原子の衝突によりテフ ロン膜が破損するためと言われている。新設メーザの1 台は周波数ドリフトが大きく,ついには発振電力が低下 した。実際にこのメーザの水素蓄積球を調べたら,最も 水素の衝突する頂上部のテフロン膜は剥げるまでに破損 していた。今後この対策としてテフロン膜の厚さを増す 予定である。
 さらに現在,短期安定度の最もよい領域(図1)を 1000秒以上まで広げ,この安定度も向上させるため,空 胴共振器部の改造を行っている。
 2) Majorana効果
 水素メーザの準位選別用6極マグネット内の磁場は径 方向であり,共振器を囲む静磁場は軸方向である。この ように方向の変化する磁場を通る水素原子はゼーマン副 準位間で原子が遷移することがある(Majorana効果)。 この現象はセシウム標準器に悪い影響を与えるのでこれ を除くことを試み,成功した。水素メーザでは逆にこの 効果を用い, 1段目のマグネットで集束される原子のう ち,メーザ発振に邪魔な準位の原子を除くことを試み, 満足する結果(約75%除去)を得た。これによりメーザ の発振電力が約50%増し,共鳴スペクトル幅も減じ,不 要な原子による周波数シフトの除去も期待できる。当所 で開発したこの方法を新設メーザに応用し,より高精度 とするよう現在進めている。
 3) 超長基線電波干渉計(VLBI)用水素メーザの開 発
 1983年に予定している日米間VLBI共同実験には高安 定水素メーザを欠くことができない。VLBI用メーザは 高精度時計及びシステムの高安定局部発振器として用い られ,この周波数安定度がVLBI全システムの性能を決 定する。
 VLBI用水素メーザは,常時精密空調した当研究室に 固定の現用メーザと異なり,小型軽量で移動でき,振動 や温度変化などによる周波数変動が小さく,その上維持 ,取り扱いが容易のタイプでなければならない。新設水 素メーザの周波数安定度は現在でもVLBTの必要とする 値を充分満足しているが,上の条件を満たすには大幅な モデル・チェンジが必要である。たとえば新設メーザで は,イオンポンプ2台とマグネット2本を使用している が,VLBI用メーザでは小型軽量化のためポンプ1台, マグネット1本の簡単な構成となる。実用機の製作には このような構成での真空度とメーザ発振のテストを行 い,最適ビーム系の設計をする必要がある。このため昨 年10月から予備実験装置の製作にかかり,現在真空度と 水素ビームの収束テストを行っている。
  まとめ
 昭和40年から始まった当所の水素メーザの研究も既に 15年に及ぶ。この間周波数安定度は約2桁も向上し,現 在Majorana効果を利用した高精度水素メーザの研究 やVLBI用水素メーザの開発へと大きく発展しようと している。
 おわりに今日の当所の水素メーザの端緒を開かれた上 田元所長,佐分利周波数標準部長をはじめ情報処理部原 田計算機研究室長,鹿島支所吉村第一宇宙通信研究室長 に深く感謝する。また,原子標準器研究の性格から長い 年月にわたり改造と実験を行う必要があり,今後とも多 くの方々のご理解とご協力をお願いしたい。

(原子標準研究室長 小林 正紀)




GAMETAG PHASE Tに参加して


浅井 和弘

 ジョージア工科大学のDouglas D.Davis教授を責 任者とする総額100万ドルのGAMETAGプロジェクト はレーザを用いるリモートセンシングのエキスパートの 公募を行っていた。筆者がその公募に応じたところ,幸 いにも参加承諾が得られたので,昭和54年1月2日よ り,55年4月23日まで,米国南東部のジョージア州アト ランタ市にあるDavis教授の研究室で過ごす機会を得 た。
  GAMETAG
 GAMETAGは, Global Atmospheric Measurements Experiment on Tropospheric Aerosols and Gases (対流圏中のェアロゾルとガスに関する全地球的 大気観測)の略称である。 このプロジェクトは,NSF (米国科学財団)の援助のもとに1976年に始まり,大学 8,国立研究機関2,民間1が参加し,研究者総数は約 90人である。主に対流圏中の03,OH,H2O,NO, HNO3,N2O等の濃度や微小浮遊粒子の密度,粒径分布 の定量測定方式の研究開発および開発した装置を用いて 得たデータの解析を目的とし,過去3か年の間に,北は アラスカから,南はニュージーランドまで,NOAAの 4発ターボプロップジェット機を使用して実験を行って いる。
 筆者は,最初,航空機搭載型オゾン測定用リモート・ センシング方式について検討を命ぜられ,電波研究所で のデータをもとに,紫外,可視,赤外にわたり各種方式 の比較検討を行う仕事をしていた。
 よく知られている様に,大気中のオゾンは,太陽から の紫外線を受け,酸素分子02と活性な酸素原子O(1D) に解離される。そして,このO(1D)と大気中の水蒸気 H2Oが反応を起こし,OHラディカルを生成する。
        H2O+O(1D)→2OH
このOHラディカルは,とても反応速度の速い活性気 体で,大気中の炭酸ガス(CO2),窒素酸化物(NO, NO2),硫黄酸化物(SO2),アンモニア(NH3)等と相 互に,または複雑な光化学反応を通して,より複雑な化 合物を作り上げる。そのうちの1つが,H2SO4・H2O工 アロゾルで雨が降った時に目がちかちかする日本でもお なじみの「酸性雨」の原因と考えられている。この様 に,大気中のO3,OHを全地球的に観測,監視すること は,我々の尊い地球環境を保護するために重要な役割を 担っていると言える。それ故,このGAMETAGにお いては,オゾン,OHラディカルの定量測定を主テーマ にしていた。
 次に,窒素酸化物(NO)測定用のレーザ・センサー の研究開発を行った。現在のところ,NOを測定する方 法は,化学発光法がもっとも感度が良いとされている。 我々は, 色素レーザ励起の螢光方式によるNO測定法 の方がより高感度であると確信し,11月にNASAの飛 行機を使用する実験に間に合わせるよう研究にとりかか った。しかし,肝腎のYAGレーザ励起の色素レーザが うまく働かず,メーカに送り返して,別のメーカに発注 することになり,手元に届くのが12月下旬になった。レ ーザ入手が遅れたため,飛行機実験は2月下旬にフロリ ダ半島のマイアミ付近をベースに,メキシコ半島および メキシコ湾上空で2週間行う事に変更された。我々は, 再びレーザと闘いつつ,大体,基礎実験のできるところ まで装置を組み上げ,飛行機実験に向け装置の較正,再 現性等のチェックを行った。しかし,今度はNASA本 部の都合で,飛行機実験は5月下旬に延期となった。筆 者の帰国日は,4月23日であったのでとうとう飛行機実 験には参加することができず非常に残念であった。やは り,何処でも実験は予定どおりに行かず延び延びになる のが常の様である。これが世に言うMurphy's Law(マ ーフィーの法則)とか。
 なお,筆者の参加したのはGAMETAG Phase Tで あり,1981年よりGAMETAG Phase Uが,5年計画 で始まる予定である。そして,1984年には,アリューシ ャン列島を経由して,中国,日本,グァム付近上空での 実験が計画されている。


GAMETAGプロジェクト参加機関

  アトランタの印象
 「風と共に去りぬ」の舞台として有名なジョ-ジア州 の州都アトランタは,1830年代頃までは南部の1つの開 拓部落にすぎなかった。しかし,その後,鉄道ブームの 波がこの一寒村におしよせ,南部有数の鉄道の要所とな り,1850〜60年代には,北部と南部を結ぶ重要な中継地 として栄えた。南北戦争中の1864年9月2日,北軍はこ の南部の要所アトランタをついに陥落させ,11月には占 領軍指令官シャーマン将軍は,南軍の主要商港サパナ進 軍に先だち,このアトランタの街並に火をつけて全市を 焼土に化した。このアトランタの戦災は,スカーレット ・オハラがレッド・バトラーに助けられ,炎上する街を 荷馬車で逃げる場面として,映画ファンの脳裡に焼付い ている筈である。
 現在のアトランタは,周囲の衛星都市を含め,メトロ ポリタン・アトランタと呼ばれ,総人口170万人の,南 部はもちろん,米国でも有数な大都市である。そして北 部の厳冬に比べ,少々田舎的ではあるが,温暖な気候の ためか,北部からの人口移入が激しく,ほとんどの会社 の南部支社がここアトランタに進出し,南東部の経済文 化の中心となっている。しかし人口170万人のうち,黒 人が約45%を占め,市内には「公民権運動」の最中,凶 弾に倒れたマーチン・L・キング牧師の墓や彼の出身校 であるアトランタ大学,そしてその他黒人のための大学 が数校ある。これら黒人専用の大学は人種差別のために あるのではなく,アメリカ黒人の“ルーツ”すなわちア フリカからの黒人留学生のための受入校になっている。 従って,アトランタは,黒人文化の中心としても栄え, 筆者が滞在中には,市長,教育長,警察長官が全て黒人 であり,また義務教育の小中学校や一般の保育園でも教 師の多くが黒人であった、この様に社会活動の要職に携 わる黒人も多かった反面,ビルディングや道路の工事現 場,掃除,雑役等の肉体労働や単純作業に従事している 人の99.9%が黒人であったのが強く印象に残っている。
 高層ビルディングが立ち並ぶ市の中心街をはずれる と,高い建物はなく,住宅はうっそうとした林の中に建 っていて,とにかく,170万人の多くが,リスをはじめ として数多くの野鳥とともに森の中で生活しているよう な感じである。そして,道路がとても広いので車の数が 多くても気にならなかった。しかし,市の中心街に行く 程,道路は狭く薄汚なく,日中からボケッと道路に座り 込んでいる人達,たむろしている人達,特に黒人密集地 帯では,アスファルト道路に大きな穴がたくさんあいて いたり,赤土(ジョージア州の土は黒色ではなく赤土で ある)の上に今にもくずれ落ちそうな小さな家がひしめ いていた。筆者は,たまたま道路に迷ってこの様な黒人 住宅地に入り込んでしまった事があり,とても恐い思い をした。
 筆者の滞在中,アトランタが全米第1位の犯罪都市に なったとかで(通常は,ポストン,シカゴ,ロスアンジ ェルスに次いで第4位),市の警察力だけでは足りない ため州警察を導入し,パトロール警察官が皆それぞれ散 弾銃を手にして警戒していた。新聞やテレビは連日, 「今日の犯罪数は……」と放送したり,特集番組を流し ていた。私達家族は旧市街地の近くのアパートにいた が,新聞の特集記事によると,その地区は白人街と黒人 街の間のため,犯罪が多く,「多くの住民は夜間,車庫か ら家に入るまではポケットの中でピストルを握りながら 歩く」とあった。それから夜が恐しくなり,他の理由も あって郊外の住宅街に引越をした。もっとも引越した先 のアパートでは,火事に出会い,家族全員で避難すると いう目に会った。とにかく,日本では想像もつかない貧 富差,人種差別の断面をちょっとかいま見た様である。


アトランタ旧市街

  ジョージア工科大学
(Georgia Institute of Teohnologyr)  Georgia Techまたは,GA Techと呼ばれており, ジョージア人に言わせるとMIT(マサチューセッツ工 科大),Cal.Tech(カリフォルニア工科大)と並んで三 工科大学の1つと自慢していた。筆者は本当かなと思い 「入学難易度大学別ランキング」なる本で調べた結果, MIT最難関,Cal.Tech最難関,そしてGA Tech中 程度の難関とあった。やはり,自分のところのものは全 て良い様に見えるようで,「なんとかびいき」なるもの がアメリカ人にもあるようだ。(もっとも,1979年度の 研究開発予算はMITを抜き工科大学中では全米第1位 となった,とキャンパス新聞は報じていた。)また,現 アメリカ合衆国大統領ジミー・カーターもこの大学で原 子物理工学関係の修士号を取得したことから,より米国 内でも有名になったそうで,筆者が滞在中にもカーター 大統領が母校を訪れ,講演を行った。
 現在,ジョージア工科大学のメインビッグプロジェク トは,カーター大統領の後押しもあって石油に代わる工 ネルギー源の開発であり,特に,太陽エネルギーを利用 する太陽発電施設はフランスとならんで世界でも一,二 位の規模を誇り,その他,風力発電にも精力的に取り組 んでいた。
 筆者は,地球科学科大気科学系 (Division Of Atmospheric Sciences,School of Geophysical Sciences) に席を置き,立派な個室とテーブル,電話をもらい,そ こで1年3ヶ月を過した。私の部屋の回りは,大学院生 の部屋やコンピュータの端末,そしてアメリカ人にとっ て切っても切れないコーヒーとコーラの販売機が置いて あるため,多くの人々と会話する機会があり,毎日色々 な話題について楽しく談笑した。
 アメリカの大学院は,院生に対し何らかの形でスカラ ーシップを与え,学生たちの生活費を援助している。多 くの学生は,担当教授の研究の手伝い(主にデータ整理 や簡単な解析)なるバイトをしていた。これは,働くこ とと自分の学位取得の為の勉強とが利害一致している良 いシステムの様に感じられた。また,1/4期制(春夏秋 冬,驚いたことに夏にも授業がある。また,卒業式も年 に4回,1/4期ごとにある)のためか,1/4期は大学に いて勉強をし,次の1/4期は街に出てどこかの会社で働 いて学費をかせぎ,また次の1/4期に大学に戻ってくる 院生もかなりいた。筆者の囲りの修士コースの学生は, 平均年齢27歳位の高年齢であった。多くの人は,学部を 出て会社で4〜5年間働き,その後大学院に入学してき ている。日本の様にストレートで学部から大学院に入っ てきた院生は,1人しかいなかった。要するに,働きつ つ学べるシステムや,働いた後に学べるシステムが完備 した,柔軟性を持つアメリカ社会といえよう。
 大学にいて疑問を1つだけ抱いた。それは,黒人の街 アトランタにある大学にもかかわらず,黒人学生は全学 生のうち数%しか在学していなかったことである。電気 工学科,化学科,地球科学系などでは皆無であった,そ れは何故なのか?
  おわりに
 今回の長期外国出張の機会を与えて下さった元電波研 究所長糟谷績氏,前電波研究所長田尾一彦氏,そして通 信機器部長宮島貞光氏に深く感謝するとともに,関係各 位の御援助に対しても謝意を表する。

(通信機器部 物性応用研究室 主任研究官)




コスタリカへ出張して
−第14回環境のリモートセンシング国際シンボジウム−

畚野 信義

 この会議は一名ERIMシンポジウムとも呼ばれ, Environmental Research Institute of Michiganが中 心となって開催しているものである。5大潮の汚染に悩 むミシガン州により,ミシガン大の付属研究機関として 設立されたERIMが成長し,リモートセンシングの世 界のメッカとなった今日,このシンポジウムも世界で最 も歴史が古く,最大のものとなっている。最近は米国と それ以外の国で交互に開かれている。これはリモートセ ンシングの特殊性に着目し,特に開発途上国におけるリ モートセンシング(ランドサットの利用)の振興を目的 としているもので,一昨年はアジアを対象にフィリピン で,今回はラテンアメリカを対象にコスタリカで開かれ た。来年は米国,明後年はイタリアの予定である。
 シンポジウムヘの参加は世界数十か国から約700名, コスタリカの政府関係機関の参加者を含め約1,000名を 数えた。我が国からは同伴者,滞在中の外国からの参 加,会期の一部分の参加者も含め9名であった。
 シンポジウムの各セッションの構成,発表論文件数は 下表の通りであるが,各セッションは41〜5件のレビュ ー又は招待講演と約20のポスターセッションからなって いる。我が国からの発表はポスターセッションヘ5件で そのうち1件はタイ国との共同発表である。国別発表件 数では米国が113,ブラジル13,カナダ12,フィリピ ン11と続くが,普通の国際シンポジウムではあまり発 表のない中南米(エクアドル,ボリビアほか),東南ア ジア(バングラデシュ,スリランカほか)の国々が活躍 しているのが特徴である。


各セッションの発表数

 全体的傾向として,リモートセンシングは測り方の研 究から,利用の仕方の研究に重点が移って来ているとい える。このことは利用の研究が遅れていること,データ が十分に利用されていないことを示している。リモート センシングは衛星通信のように1対1で明確にペイする ものではなく,環境のモニター,資源の探査及び管理か ら国際協力,更にはスパイ的要素まで含め国全体として メリットを判断し,政策的に計画をすすめるといった性 格のものである。このような性格から講演もセッション 7あたりまでは国連でやるような大演説が多く,開会式 で基調演説を大統領がやるような小国の舞台と相まって 今年の学会は妙に政治的な色あいが強かった。その中で 米国は開発途上国への受信施設の供与等を通し,世界中 にランドサットのシステムを定着させて確固たる地歩を 築きつつある。今回の発表論文の8割以上がランドサッ トデ-タの利用,又は何らかの関係のあるもので,まだ まだリモートセンシングイコールランドサットという のが現状である。今後マイクロ波リモートセンシング特 に合成開口レーダが可視赤外系センサーに対抗し得る強 力な測定手段となって来ることが感じられた。ただ,デ ータの利用の面ではまだ手さぐりの状態で,基礎的な知 識と理解のための研究が不足のまま手当り次第にいろい ろやってみている感じのものが多く,たとえば合成開口 レーダとマルチスペクトルスキャナーの映像を様々に処 理して重ね合せてみる等が目についた。
 話はやや変わるが今回の学会では中国からの多人数の 出席者の活発な活躍(特に資料集め)が人目をひいてい た。
 コスタリカはパナマの北隣りで,熱帯にあるが首都の サンホセは標高約1,200mで気候は常春のようで,ちょ うど雨期に入ろうとする4月末は,赤や黄のあざやかな 様々な花が一斉に開き,高所特有の澄んだ空気や突き抜 げるような青空で訪れるのに最もよい季節だったのでは ないかと思われた。面積約5万q2(四国と九州を合わ せた位),人口約200万人,首都サンホセの人口は約76万 人,大統領と国会議員の任期は4年で再選禁止,常備軍 を持たないという平和で民主的な国で,最近の中南米と いう言葉から受ける第一印象とは全く異なっている。主 要産業はコーヒーとバナナの農業国で,美しい海岸線と 多数の火山を持ち観光にも力を入れている。言語はスペ イン語で,住民はほとんど全部が白人及び白人を主体と する混血で,原住民は極くわずか,黒人は東海岸を中心 に数万,中国人が約2万で,全体的には貧しいが貧富の 差が少なく悲惨な生活はあまり見られない。また人種構 成,医療の国営等の社会福祉政策等で人心,政治が安定 し,日常生活も安全である。町には経済大国日本の影は 大きく,けたたましく走る車のほとんど全部は日本車 で,カメラ,時計,電気製品から楽器に至るまで日本製 品がはんらんしている。通貨はコロンといい,1コロン 100センチモスの単位がある。1ドル約8.54コロンとほ ぼ固定レートであるので,日本を出たとき1ドル250円 を越えていたため物価は日本と同程度と感じたが1ドル 200円に近づけば割安感が出るであろう。
 日本からは最も知られていない国の一つであるコスタ リカはいろんな意味ですばらしい国であるが,一言だけ でその特徴を言うとすれば「美人の国」である。スペイ ン系を主体とする白人とその混血で,町にはびっくりす るような美人がウヨウヨしており,その割には男は貧相 なのが多い。しかし到着して二,三日たつとあまり美人 に感激しなくなった。よく考えてみると美人ばかりなの で美人が目立たないのである。やはり美人も不美人がい てこその美人である。
 電波研究所はリモートセンシングの研究を始めたばか りであり,西と東の区別のつきにくい私自身にとっても リモートセンシングの全分野におげる世界のすう勢を一 度に知ることが出来た今回のシンポジウムへの出席は貴 重な体験であり,この短かい報告には書き切れない多く の収穫を得た。様々な意味で考えさせられることも多く それらは今後我々が電波研究所においてリモートセンシ ングの研究をすすめて行くうえで大いに役立つであろ う。我々は現在ややスタートが遅れているが,着実に, 精力的に研究を進めてゆくことにより近い将来世界の水 準を抜いた成果をあげることができると確信している。
 今回の出席の機会を与えて頂いた電波研究所,郵政省 の各位に感謝致します。

(衛星計測部 第一衛星計測研究室長)




1980 IEFB/MTT-S国際マイクロウエーブ
シンポジウムに出席して


山本  稔

  はじめに
 1980年5月28日〜5月30日の3日間,標記のシンポジ ウムが米国ワシントンD.C.で開催された。筆者はこの シンポジウムに出席して, Satellite Broadcasting in Japanと題されるセッションで,BS実験の成果を二件 発表(内一件は代読)する機会を得た。以下に会の様子 を簡単に報告する。
  MTT-Sと国際マイクロウエーブシンポジウム
 MTT-Sは Micrwave Theory and Techniques Societyの略称で,30あるIEEEのSocietyの一つで ある。国際マイクロウエーブシンポジウムは, MTT-Sが毎年1回米国内で開催する唯一のシンポジウムで, 他には,米国内のいくつかの地域で,地域単位の小さな 会が催される程度,とのことである。
 今年の会のテーマは“Technology Growth for the 80's” である。会への出席登録者は約1,200名,発表論文 件数は200弱である。会全体で約20のセッションが用意 されており,ほとんどの発表が4つの会場で並行に行わ れた。また,シンポジウムの全期間に渡って多数のマイ クロウェーブ関連会社の製品が展示された。
 発表論文の大部分は,MTT-Sの専門分野としてう たわれている,素子,回路,デバイス及びシステムに関 するマイクロウェーブ理論及び技術とその応用に関する もので,特に素子とデバイスに関する発表が多かった。
  Satellite Broadcasting in Japanのセッション
 このセッションで表に示すようにBS実験に関連する 9件の論文が発表された。筆者はP-1の代読とP-9 の発表を行った。最初の4件はBS実験の地上施設に関 するものを連続して発表し,まとめて質問を受けた。発 表後の個人的な質問も含めて,質問の内容は次の通りで ある。(@) 簡易受信システムの降雨マージンと戸外にお ける耐蝕性について,(A) 受信専門局の局部発振器の周 波数安定度について,(B) 降雨時の偏波特性の測定と BS主局以外の受信局が偏波追尾機能を有するかどう か。残りの5件は通常の方法で発表されたが,半日で9 件のスケジュールは時間的に余裕がなく,最後の2件に ついて,質問は割愛された。
 前にも述べた様に,参会者の多くは素子やデバイスの 関係者であるため,付表P-5のNHK小西氏の簡易受 信システムに関する発表を除くと,それ程活発な質疑は なかった。
 セッションの議長は,MTT-S東京支部の議長でも ある東工大の末武教授で,ユーモアの溢れるプログラム の紹介で会場は度々爆笑に包まれた。筆者にとって,発 表前の緊張をときほぐす上で非常に有益であった。


BSに関する発表論文

  雑感
 日本からの論文発表は合計27件あり,米国を除くと一 番多く,次いで西独からの発表が多く約10件あった。
 どのセッションにおいても,10GHz以上の周波数帯 のFETアンプ,受信システム,フィルタおよびこれ らに関連する発表には高い関心が払われ,出席者も多く 活発な質疑がなされていた。 その背景には,今後の衛星放 送等の発達によって,この方 面に広大な市場が予測されて いるのではないかと感じた。
 ヨーロッパにおける衛星通 信と題されるセッションで は,英,仏,独等のヨーロッ パ六ヶ国からそれぞれ一件の 発表があった。ヨーロッパの 衛星通信の現状,将来の計画 及び関連システムの開発状況 が主であった。衛星放送の簡 易受信システム,搭載中継器 の開発状況など興味深いもの もあった。これらの機器の開 発が衛星計画とよく整合して おり,系統的に進められてい るようである。これらの国で は,国境が地続きであるた め,衛星計画には必ず干渉や ビームの照射エリアの問題が深刻につきまとっているよ うであり,この点に関しては日本の衛星計画は非常に楽 であると感じた。
  おわりに
 滞在日数3日間の短い外国出張であったが,外国語に よる論文の口頭発表は筆者にとって始めての事であり, 大変貴重な体験であった。本発表の機会を与えて下さっ た生島前鹿島支所長を始め関係各位に,また,BS実験 の関係各位に深く感謝致します。また,発表に先立って より効果的な発表のための数々の御指導を戴いた東工大 の末武教授に深謝致します。

(鹿島支所 第二宇宙通信研究室 主任研究官)


短   信


研究施設一般公開の実施

 当所の創立を記念して, 8月1日10時〜16時の間,本 所並びに地方機関の施設を一般公開した。
 当日は例年にない涼しい気候に恵まれたこともあっ て,どの研究室も熱心な見学者で埋まり,内容について も極めて好評で,盛況裡に終った。
 見学者数は次のとおりである。
   本 所   :549    観測所 稚内: 33
   支 所 平磯:129        秋田:  9
       鹿島:707        犬吠: 43
                    山川:172
                    沖縄: 53



CCIR 中間会議開催さる

 CCIR中間会議Aブロック会議が昭和55年6月2日か ら7月8日にかけて,ジュネーブで開催された。日本は 総勢13名の代表団を結成し,合計37件の寄与文書をもっ てこれに臨んだ。当所からは若井(SG2,6,7担当)と 古浜(SG1,5担当)の両代表が参加した。参加主管庁 は35か国であり,認められた私企業,国際機関等を合せ て345名が会議に参加した。
 Aブロック会議は,主として基礎技術を扱う研究委員 会である,SG1(スペクトラムの有効利用,電波監視), SG2(宇宙研究及び電波天文),SG5(非電離媒質内伝 搬),SG6(電離媒質内伝搬), SG7(標準周波数と報 時信号)及びCMV(用語と定義)から成立っている。
 今中間会議の特徴としては,(1) 通常の寄与文書だげ でなく,1978年の特別準備会合(SPM)及び1979年の 世界無線主管庁会議(WARC-79)の成果をも加味し て審議を進めなければならなかったこと,(2) いくつか の重要なIWP(暫定作業班)が新設された(IWP1/3, IWP2/1,IWP5/4,IWP6/12,詳細は後日発表され る報告書又は復命書を参照されたい)こと,(3) SG2, 5,7の議長及び副議長の異動があったこと等,が挙げら れる。
 日本の寄与文書はすべて採択され,外国寄与文書に対 する日本の意見も充分審議結果に反映されたことに加 え,日本の各代表が審議の過程において主導的役割を果 したことを併せ考えると,今中間会議において我が国は 大きな成果を収めたということができよう。



雨域散乱計の航空機実験

 当所衛星計測部第一衛星計測研究室では,昭和53〜54 年度に開発したマイクロ波雨域散乱計/放射計の航空機 搭載実験を本年6月30日から7月15日にかけて,大阪の 八尾空港を基地とし,セスナ404を用いて行った。今回 が本装置の初めての航空機実験であったが機器はほぼ順 調に動作した。なお紀伊半島,四国,九州北東部の地域 で連日降雨があり,14回の計54時間にわたるフライトで 多量の興味あるデータが取得された。観測データは,航 空機の位置,姿勢,速度等の各種参考データと合わせて 全て磁気テープに収録されており,現在,本所の大型計 算機を用いて解析が進められている。9月中旬には,第 2回の航空機実験を予定しており,これらの観測を通し て雨域上部の構造,降雨の生成過程,ブライトバンドな どの解明に寄与すると同時に,雨域散乱計の人工衛星搭 載の可能性についての検討を進める。
 写真は,クイックルック用のAスコープで,上のトレ ースはXバンド(10.0GHz),下はKaバンド(34.5 GHz)の受信信号である。横軸は1目盛10μ秒である。 両バンドでパルス発射後40μ秒付近に見られる強い信 号は,地表面からの反射で,Xバンドにはパルス発射後 約10μ秒(高度約4.5qに相当)のところにブライ トバンドによると思われる信号があり,それに続いて降 雨による散乱波が受信されている。


雨域散乱計観測例(Aスコープ)



ClSPlB会議,東京で開催

 国際無線障害特別委員会(CISPR)は7月14日より 25日まで,千代田区大手町の経団連会館で開かれ,総 会,運営委員会及び6つの技術小委員会において審議が 行われた。このCISPR会議が開催されるのは,アジア ではわが国が最初である。
 CISPRは国際電気標準会議(IEC)の下部組織では あるが,IECの中の多くの技術委員会(TC)とは別 に,独立して無線障害低減に関する国際的審議を行い, その合意によって決定された事項を勧告して,国際貿易 を促進することを目的としている。これに対するわが国 の国内委員会は,実質的には電波技術審議会であり,今 までにも多くの技術的寄与を行って来ている。
 今回の会議には世界15か国及びCCIRなどの国際3 機関から計104名の代表が参加し,このうちわが国から は電波技術審議会の委員,専門委員を主体とする25名の 代表団(当所からは2名)と49名のオブザーバ(同前2 名)が出席した。