オ ー ロ ラ レ ー ダ


電 波 部

  はじめに
 南極昭和基地におけるレーダによるオーロラの観測は, 1966年に開始され,当所の電離層観測の一環として現在 も観測が続けられている。
 最初は,周波数112.2MHzのレーダを用い,アンテナ を回転し360度全方向のレーダエコ一情報を表示する観 測に主眼がおかれ,レーダエコーの方位特性が測定され た。その結果,図1に示すようにエコー出現頻度は磁南 方向が最も高く,しかもバタフライ状に広がることがわ かった。そこで,1970年からは,磁南方向に八木アンテ ナを固定して,地磁気やオーロラとの相関を調べる観測 を行ったところ,地磁気が乱れた時のレーダエコーの出 現率は非常に高いがオーロラの出現とは必ずしも一致し ないことがわかった。1974年からは,レーダエコーの出 現頻度の周波数による違いを調べるため,50,65,80, 112MHzの4周波レーダを製作し実験を行った。その結果, 周波数による顕著な差異は認められなかった。


図1 オーロラレーダの映像

 1978年には,4周波レーダにドップラー装置を付け, 散乱エコーのスペクトルを調べる基礎実験を行った。そ の結果,レーダエコーのスペクトルから求めた散乱体の ドリフト速度とロケットによる直接測定結果を比較した ところ良い対応が得られた。これらの基礎実験の成果を もとにして,1981年には,ミニコンによるレーダ制御と 散乱エコーのドップラー解析をリアルタイムで実行する VHFオーロラレーダを開発した。このレーダは,23次 越冬隊により1982年2月に昭和基地に設置され,現在も 順調にデータを取得中である。今年の4月に,この方法 による最初のデータを観測船ふじて持ち帰り,当所の 大型計算機を用いて2次処理を行っており,新しい成果 が得られつつある。
  オーロラを探る
 昭和基地は,オーロラ活動の最も活発な所にあるが, そのオーロラの観測手段も多岐にわたり,光や電波を利 用したもののほか,衛星テレメトリーやロケットによる 直接測定も行われており,世界有数のオーロラ観測所と いえる。
 オーロラ現象は,発生する場所が南極や北極地域に限 られているため,わざわざ前人未踏の極寒の地まで出か けていくわけである。
 オーロラは,地球周辺の磁気圏や惑星間空間で起きて いる太陽に起因する乱れ現象の1つの現われであること が知られている。しかし,その全過程が解明されてはお らず,今後衛星による観測と地上観測を総合的に組み合 わせて研究をすすめることが必要と思われる。
 オーロラが爆発的に光る時は,非常に激しい動きを示 し,このような複雑な現象を簡単に説明することはとて もできないだろうという心境になる程である。そこで, オーロラを一度見てしまうと研究ができなくなるという 短絡した冗談が語られることもある。
 オーロラの構造は,荷電粒子が磁力線にからまって動 く性質があるため磁力線に沿ってきれいな面ができる。 これが見る場所と角度により千変万化に見えることにな る。
 筆者が,1978年に昭和基地で越冬観測をした時に,初 めて見たオーロラは白い静かなオーロラだったが,地上 100q以上の高度で光っているものとは信じがたい程近 くに見え,音もなく動いて形を変えていく姿に深い感動 をおぼえた。オーロラは,地球上で私達が見ることので きる自然現象の中で,恐らく最も美しくかつダイナミッ クな魅力をそなえた現象ではないかと思う。
  オーロラレーダの原理
 オーロラレーダは,オーロラ現象を調べるためのリモ ートセンシング技術の一種である。このレーダは, VHFからUHF帯の電波を用い,電離層にパルス状の電波 を発射すると,オーロラ現象が激しく地磁気活動が活発 な時には散乱エコーが得られる。
 電離層は,通常は短波帯の波を反射し通信等に利用さ れているが,それ以上の周波数の電波は通過してしまう。 ところが,極域の高度約100qのE層領域には,オーロ ラ現象が活発になると,大規模な電子密度の粗密ができ, この粗密の空間的な波長の2倍の波長を持った電波をぶ つけると効率良く電波が散乱される。この現象は,目で 見える光るオーロラとは区別され,電波オーロラ (Radio Aurora)と呼ばれ,その観測機は,オーロラレーダと一 般に言われている。
 オーロラレーダの受信エコーは,VHF帯の電波を用 いると送信時の周波数から最大数百Hz程度のずれを起 こす。このため,野球で投手の投げるボールのスピード を測る方法と同じ原理で,散乱体のドリフト速度を求め ることができる。この散乱体は電子の集まりであるため 流れると電流となり地球周辺の磁場を乱す。この電流は オーロラジェット電流とよばれている。オーロラジェッ ト電流を流す力は,電場により与えられるので,レーダ で求めたジェット電流の速度から逆に物理量である電場 を知ることができる。
  VHFオーロラドップラーレーダ
 国際協同観測として実施されているMAP(中層大気 総合観測)計画に参加するため,新しく開発した50MHz のVHFオーロラドップラーレーダが1982年に昭和基地 に設置された。1983年には,112MHzの送信機も設置さ れ2周波オーロラレーダとして連続観測を行っている。
 このオーロラレーダは,2つのアンテナを 交互に切換えて観測する2ビーム方式のレー ダである。図2に観測可能範囲,磁南方向を 観測するGMSビームと南極点の方向を観測 するGGSビームの指向性を示す。アンテナ は,全長約90mのコリニアアンテナを用い, ビーム幅約4度の水平面内指向性を実現した。 レーダは,ミニコン(MELCOM70/25) により制御され,独立した3つの運用モード (スペクトルモード,ダブルパルスモード, 流星モード)を持ち,フロッピィディスクを さしかえることによりオペレータは任意のモ ードを選択し,任意の期間観測を続けること ができる。


図2 昭和基地オーロラレーダの観測可能範囲

 スペクトルモードにより,散乱エコーのド ップラー速度スペクトルとエコー強度を求め ることができる。このスペクトル構造から, レーダ散乱体の生成機構や運動を研究する。スペクトル をリアルタイムで求めるため,処理装置(アレイプロヤ ッサ)にミニコンを接続した。その解析結果の1例を図 3に示す。これは,磁南方向のアンテナを用いた結果で ある。図3の左側に示すのは散乱エコー強度で,各距離 における散乱波のスペクトルを右側に示す。スペクトル のピークが散乱体のドップラー速度に対応しており,遠 方に行くにつれてドップラー速度が速くなっていく様子 がわかる。


図3 散乱エコーのスペクトルとエコー強度

 新しく開発したレーダは,オーロラレーダの機能の他 に流星レーダの機能も持っている。流星モードを用いる と,流星飛跡からの散乱波のドップラー速度を求めるこ とができる。このドップラー速度から高度80から110q の大気の風速を推定することが可能である。過去におい て,南極圏での流星レーダによる観測例は少なく,その 結果は興味深い。
 南極や北極の中層大気の上部(90〜120q)へのエネル ギー流入として,太陽からの輻射エネルギーのほかに, 極域特有のオーロラ現象に伴うオーロラジェット電流に よる電離層加熱がある。その大きさは決して小さくなく, 中層大気の上部では太陽の紫外線放射エネルギーとほぼ 同程度のものと考えられている。そこで,これらのエネ ルギー流入により中層大気の運動が乱される可能性があ る。VHFオーロラドップラーレーダは,オーロラジェ ット電流の速度や中層大気上部の風速を測定できるため, 極域の超高層擾乱に伴って中層大気にどのような影響を 与えるか研究するための有力な観測手段になるものと思 われる。
  各国のオーロラレーダ
 南半球では,ニュージーランドの50MHz帯のオーロラ レーダと昭和基地のレーダが連続観測を行っている。ま た,南極のサイプル基地(アメリカ)にも50MHz帯の2 ビーム方式のレーダがあったが,現在は運用を停止して いる。
 北半球では,NOAAがアラスカでオーロラレーダを 用いた実験を精力的に続けている。最近は,西ドイツ, フィンランド,ノルウェーの共同研究として,スカンジ ナビア半島でSTARE(Scandinavian Twin Aurora Radar Experiment) システムという離れた2地点に2 台のレーダを設置し,マルチビームアンテナを用いてビ ームをクロスさせ,水平面内の2次元ドップラー速度を 一度に求める150MHz帯のツインレーダが目ざましい成果 をあげている。
  おわりに
 ドップラー機能を持ったオーロラレーダは,極域の超 高層物理研究に有力な観測手段となることを示した。昭 和基地のオーロラレーダは2ビーム方式であるため,2 次元ドップラー速度を直接求められない欠点はあるが, さらに距離分解能を上げ,アンテナビームを方位角方向 に可変とすることは可能である。
 来年度には,みずほ基地につぐ日本の第3の基地が, 昭和基地の西約600qのセルロンダーネ地域に建設され ようとしている。ここに,オーロラレーダを設置し,昭 和基地レーダーと組み合わせれば,ツインレーダが構成 でき,2次元ドップラー速度を求めることが可能となる。
 昭和基地の地磁気共役点は,アイスランド付近にある ので,北欧との共同研究として共役点ツインレーダを作 ることにより,オーロラ粒子の降下に伴う超高層物理現 象の南北共役性の研究に寄与することができる。
 以上のような将来計画も考えられ,オーロラレー ダは長時間連続して地磁気擾乱時の超高層プラズマ運動 をモニターできるという重要な特徴があるため,今後と もレーダの最新技術をとりいれながら発展していく分野 であると期待される。

(電波部 主任研究官 五十嵐喜良)




所内共通使用電子計算機


情報処理部

 電子計算機の歴史は,初期の真空管式のものから数え てもたかだか30年程度のものである。しかし,今日では, 計算機の人間社会に対する浸透ぶりは目を見張らせるも のがあり,その貢献についても誰も異論のないところで あろう。計算機の歴史とともに育ってきた若い人にとっ て,計算機は何の抵抗も無く受入れられるようである。 電波研究所では,毎年の新規採用者に対し計算機講習会 を行っているが,プログラム作成の初歩から教えなけれ ばならない人は年々少くなっている。当所は,一般から みてもかなり早い時期に共用計算機を導入し,所内の多 くのユーザに育てられて今日に至った。まずその跡をた どってみよう。
  電波研究所における計算機の変遷
 最初に計算機が導入されたのは昭和36年3月で,機種 は第2世代の計算機といわれ,トランジスタ式として 初めて商品化されたNEAC-2203である。この計算機 は,演算速度,メモリ容量とも,現在の関数付電卓にも 太刀打ちできるかどうかという程度のものであったが, それまで数値計算を手回しのタイガー計算機か,電動計 算機に頼っていた研究者は大きな期待をもって懸命に面 倒くさいマシン語に取り組んだものである。ちなみに, この機械でのジョブ処理件数は,月間150件であった。 しかし,この初号機は,買取り機であったこともあり, 途中遭遇した水害事故にもかかわらず,熱心な愛好者(?) のおかげで昭和50年まで生き永らえた。
 38年には2号機NEAC-2206が導入された。2号機 時代に特筆すべきことは,本所−鹿島支所間に2206をホ スト計算機とする,マイクロ回線のオンラインデータ伝 送システムが完成されたことである。これは我が国では 最初の試みといってよく,小規模ながら今日のデータ伝 送システムの基礎的手順がすでに取入れられていた。以 後このシステムは,宇宙通信を始め鹿島のプロジェクト に大いに貢献することになる。2206で開始された業務の 一つに給与計算がある。これまた,官公庁の中では1, 2を争う早期に開始されたもので,マシン語でプログラ ム開発を行った担当者の苦労は大変なものであった。し かし,間もなくフォートラン・コンパイラ,アセンブラ の使用が可能になり,利用者の負担は軽減された。
 昭和42年には,2206の10倍以上の性能を持つIC採用 の3号機NEAC-2200/500が導入された。この3号機 から,始めて運用ソフトウェアの元締めともいえるOS (オペレーテング・システム)が整備され,処理の効率化 のための制御,管理をつかさどることになった。しかし, OSは利用上の効率化の反面,制約もあり,ユーザの中に は,システム性能の範囲で全く自由な使い方が可能であ った1,2号機をなつかしむ声も無かったわけではない。 3号機からはIBMカードによるジョブ投入(2号機ま では紙テープ入力による)やプロッタの使用が開始され た。この期間のジョブ件数は月間800件である。
 次期のTOSBAC-5600/160(50年2月から)はハ ード,ソフト面とも現在(近い将来も含めて)の計算機 システムの基本的条件をほぼ全て備えたシステムである。 さらに幸運なことに,前年の3号館建設の際に,計算機 室が始めて設計の段階から計画され,耐震,防火,防音 の完備した環境の中で運用を開始することができた。所 内各棟,支所,観測所のTSSやリモートバッチの運用を 開始したのもこの4号機からである。ジョブ処理件数も 当所の衛星計画等の本格化もあって導入と同時に急速に 増加し,月間5000件を越えることが多かった。5600で行 われた業務で最大のものは,ISS(電離層観測衛星) のデータ処理であろう。鹿島支所で受信された信号は, 鹿島と本所データ解析研究室でMTに収録された。この 際,先に述べた鹿島−本所間のデータ伝送回線が活躍す ることになる。ただし,ISSの多量のデータのために, 回線は大幅に改修された。この5600は途中,CPU,デ ィスク,端末装置などが増強されたこともあって,56年 3月まで丸6年間使用された。しかし,需要が次第にシ ステムの限界に近づくに従い,より高速処理を望む声も 高まった。
 現在使用中のACOS-800K(56年4月から)は一般 に3.5世代の計算機といわれる多次元処理,仮想記憶 OS等の設計思想を持つ,LSI素子の計算機である。従 来の機種切替えの動機が,1,2の大プロジェクトの発生 によるものであったのに対し,この切替えは全所的な利 用の増加によるものであったためか,切替えに際し,大 蔵省,行政管理庁の理解を得るために関係者の非常な努 力が必要であった。このACOS-800KはTOSBAC-5600/160 に比較し,演算速度,主記憶容量とも約4 倍の能力を持っている。新システムのもうひとつの特徴 は,端末装置が質量ともに大幅に向上したことであろう。 このことは計算機を身近なものとして扱うユーザの端末 指向を大いに助長した。
  研究所における計算機利用
 現在の主計算機は,規模による分類に従えば,汎用大 型計算機の上位(2,3位くらいか)に属するものであ ろう。最近のように企業,官公庁,学校等ほとんどあら ゆる所で計算機が使用されるようになると,同一機種で あっても使われ方は様々である。ここで研究所の特徴的 な使われ方について2,3述べてみる。
 計算機はハードが大型化すると,当然のことながらソ フトも大型化し,メーカは,あれもできますこれもでき ますということで盛んに性能を強調する。しかし,よく いわれるようにソフトウェアは最も生産性の低い産物で あり,大勢の人々の分業で組上げられたソフトは,完成 初期にはかなりの誤り(むしという)を含むのが当然視 されている。勿論,メーカはユーザに出す場合,極力む し退治を行っており,比較的に標準的な使い方をするユ ーザではむしはほとんど問題にならない。しかし,研究 所のようにジョブが多彩であり,マニュアルに記載され たあらゆる使い方を試みるようなジョブに遭遇すると, むしが度々顔を出し,メーカのSE(システム・エンジ ニヤ)が奔走することになる。マニュアルは説明書でな く仕様書であると割切る人もいるくらいで,このことは, 現在のところ研究機関や大学の計算機では,残念ながら そう珍しいことではない。
 ハードウエアの信頼性が向上した現在では,計算機利 用の優劣はほとんどがソフトウェアにかかっており,所 内ユーザヘの対応も,また運用上の様々な苦労も大部分, ソフト関連の事柄につきるといってよいだろう。
 また,独自のソフト開発の能力が高く活発なのも研究 所の特長であろうか。多数の開発プログラムが所内外で 使用され,評価の高いものが少くない。ただ折角のすぐ れたプログラムも公開を面倒がる人々が多いのは残念で ある。一方,ユーザや運用者の強い要望が,メーカの開 発を促すことも多い。その例として,今日では一般化し ているけれども,当時の先駆的機能であったシステムの 自動立上げやMTスプーラなどがあげられる。
 前述のような機種の変遷を経て,利用形態は現在のよ うなオープンバッチ,リモートバッチ,センターバッチ, TSSに落着いたが,最近の利用上の大きな変化は,端 末装置の利用が急増したことである。バッチ処理件数は ここ数年殆ど横ばい(ただし,大型ジョブのため処理時 間の総計は増加している)なのに対し,TSS件数は年 々増加している。このことは,LP用紙やIBMカード 等消耗品の使用量の減少という経済効果も上げている。 グラフィックデスプレイで計算試行を行い,必要な部分 のみをハードコピーで出力するという使い方が増加し, 昔のようにLP用紙を山のように積み上げる人は少なく なった。ジョブの性格によって適切な使い分けをする, いわば使い上手なユーザが着実に増えているようである。
 最近デスクトップコンピュータなどが各研究室に普 及したためか,センターに持込まれるジョブには大型な ものが多い。中にはCPU処理時間が数十時間を超える ジョブもある。しかし,同一ユーザが大型ジョブを長期 間持ち込むということではなく,適当な期間で選手交代 が行われている。選手交代が何となくうまく行われてい るうちは無事であるが,ある時期,大型ジョブが幾つか 重なると,運用側は仲々大変になる。端末のユーザへの レスポンスが非常に遅くなり,折角の仕事をあきらめる 人も出てくる。しかし,これらの大型ジョブは,前のシ ステムでできなかった計算が,今度の計算機で漸くでき るようになったとの声もあるように,システムの機能向 上によって自然と生じてくるもので,これらが研究所の 成果に果す役割りを認識することが大切であろう。
 過去,電波研究所の主計算機は,利用面,運用面とも 一応国内のトップグループの中を歩んできたと思う。今 後の運用に際して,当面必要な課題をあげてみる。
1) 日本語処理 科学計算には直ちに必要ではないかも 知れないが,汎用機の今後の傾向としても対処してお く必要がある。
2) 記憶媒体 MTのメンテナンスが問題となっている 時期でもあり,MSS(マス・ストレージ・システム) の導入が考えられる。
3) 端末装置の充実 端末指向,分散処理の方向に対処 する必要がある。
 最近の計算機やその周辺のシステム技術の進歩に関す る情報の多さは,応対にとまどうほどである。従って, 需要予測の難しさとも重なって,研究所の主計算機や運用 体制の将来を見通すことは仲々困難であるが,上記の課 題について言えば,2)の記憶媒体には,いずれ光ディスク の導入が取上げられようし,3)の将来は,LAN(ローカ ル・エリヤ・ネットワーク),LA(ラボラトリ・オート メーション)の方向に対応した変化が求められるのは当 然であるが,これまで築いてきた技術の先取り的精神は 忘れない様にしたいものである。

(計算機研究室長 入間田 惇)




フランス地球惑星環境物理研究センタに滞在して


猪木 誠二

  はじめに
 昭和57年8月から1年間,フランス政府給費留学生と してフランスに滞在し,研究の機会を与えられたので, その概要を報告する。
 最初の2か月間は,フランスのほぼ中央部にあるビシ ー(Vichy)で語学研修を受けた。ここは親ナチスのペタ ン元帥の政権(1940〜41)で有名なところである。残り の10か月はパリ郊外イシ・レ・ムリヌにある地球惑星環 境物理研究センタ(CRPE; Centre de Recherches en Physique del Environnement terrestre et planetaire) に滞在し,ESAの衛星GEOS (Geostationary Satellite for Magnetospheric Studies)のデータ解析に 参加した。
  CRPEの組織とその概要
 CRPEは国立通信研究センタ(CNET)と国立科 学研究センタ(CNRS)の両者に属する研究所で,表 に示すように6つの部門より構成されている。所員の数 は約150名,その他外国の研究者,大学の博士課程の学 生等もかなり受け入れている。
 CRPEの研究対象は,地球表面から電離圏,磁気圏, 太陽圏にまで及び,さらに最近では木星磁気圏,ハレー すい星の領域まで拡がりつつある。手段としては,主に 電磁波を用いたリモートセンシング, または直接観測に よっている。
 私の属していた自然プラズマ波研究部(OPN)は R. Gendrin博士をリーダとし,GEOS,ISEEのデータを用 いて磁気圏,太陽風中の波動実験及びその理論的研究を 行っている。パッシブなデータを用いて,自然プラズマ 波発生の統計的研究,その発生メカニズム等が,また自 分自身が電波を出して波動を励起するアクティブな relaxation sounder(プラズマ波励起実験)によって,周辺 プラズマの密度,プラズマポーズの位置等の研究がなさ れている。このアクティブな実験により実際に解析する のは,レゾナンス・スパイクと呼ばれる現象であるが, ぼう大なデータのなかから各種のレゾナンス・スパイク を認識する事が最初の問題となる。筆者はこれを計算機 を用いて自動的におこなわせる問題をテーマに選んだ。 しかし,GEOS-2の運用は1982年6月で終了したの で,OPNはGEOSデータの解析から将来の衛星計画 にその仕事の中心を移しつつあった。
 電離圏研究部(EMI)はM. Blanc博士をリーダとし, 主に非干渉性散乱レーダを用いて地球電離圏のダイナミ クスを研究している。中緯度電離圏についてはフランス 中部にあるサン・サンタンのレーダ,高緯度電離圏につ いてはノルウェー,スウェーデン,フィンランドに作ら れているEISCAT(European Incoherent Scatter Radar System) によって研究が進められている。
 CRPEはこのように大型プロジェクトを多くかかえ ているが,これらのほとんどの仕事をヨーロッパ各国お よび米国と共同で進めている。また,ソ連と共同で Arcad-3衛星で電離圏の観測を行っているのは,いかにも 米国と一線を画するフランスらしいプロジェクトである。


CRPEの組織

  研究の周辺
 研究所は8時半より始まり5時に終る。しかし大部分 の人は9時過ぎから10時頃までに出勤する。ひと仕事済 ませ12時半頃になると所内の食堂に出かける。食事はボ リュームがあっておいしい。ワインを飲む事もできるが, 研究者はあまり飲んでいないようだ。おしゃべりをしな がらの長い食事が終ると,所内のカフェで一杯の濃いコ ーヒー。2時である。また居室に戻って再び仕事を始め る。つまり彼らにとっての昼休みとは,食事とおしゃベ りなのである。帰る時間は6時過ぎであるが,一般のフ ランス人と違って研究者達は実によく働く。
 所内にはやたらと女性が多い。私の属したグループの 3分の1は女性であった。論文でのみ名前を知っていた 有名な人が紹介されてみると女性であったので驚いたこ ともある。与えられた居室は3人部屋で他の2人はマダ ムであった。女性がおしゃべりなのは全世界共通のよう である。彼女達の長電話など,最初は全然聞取れないの で私にとっては単なる雑音であり気にならなかったが, 耳が慣れて意味がわかるようになると閉口した。しかし, 所内の女性達は,それぞれが責任ある仕事を持ち,有能 にそれをこなしているように思えた。
 内外の研究者の交流が研究所の力量をさらに高めているよ うに思えた。いろいろな機関の人が訪れセミナーを開き, お互いに議論をする。大学との交流も多く,アカデミッ クな雰囲気も持込まれる。ひとつは,大学の教授,助手 等で研究所の職員を兼任している人達がおり,講義の時 だけ大学へ出かけ,研究は所内でやるというシステムに ある。他方では,フランスの学位システムにもあるよう だ。フランスの学位は,コースで取る「第3群博士」と, その取得後4年以上たって論文を出す「国家博士」があ るが,研究所は前者の学生を受入れ指導し,後者の取得 を目ざす職員はちょうど働き盛りの30代で猛烈に仕事を し,30代後半で学位論文を提出するようだった。
  生活雑音
 ビシーでの語学研修が終り,パリでの生活が始ったの は10月半ばであった。寒く,日は短く,空はどんよりく もり,うっとうしい気分である。彼らが,なぜ夏の間あ れほど太陽にあこがれ,日光浴をむさぼるのか,冬を迎 えて初めて理解できた。しかし,冬でも花の都パリであ る。休みになると,ルーブル美術館,ロダン美術館…… とかけまわったが,見るものに尽きることがない。教科 書でのみ知っている美術品を目の前で見ることができる し,美しいゴシックの教会にも目を輝かせた。冬は演劇, コンサートの季節でもある。留学生受入機関が安く券を 斡旋してくれるのでできるだけ出かけた。昼の仕事に加 え,昔は特権階級だけのものだった夜の生活が加わるの だから,フランス人はかなりタフである。しかし、彼ら の食事のボリュームを見るとその活力源が納得できた。
 半年に及ぶ長い冬から解放されると,草木がいっせい に芽をふきだし,その喜びはまたひとしおである。この ころ見た,イル・ド・フランスと呼ばれるパリ周辺に散 在するルイ王朝,ナポレオン時代のお城も忘れることは できない。6月に入ると急に暑くなった。同時に,フラ ンス人達は急にそわそわし始めた。既に彼らはバカンス 気分である。そろそろ私の帰国も近づいてきたようだ。
 最後に日本とフランスの関係について述べよう。「フ ランス病」がいわれて久しいが,彼らの豊かな生活,そ の受継がれてきた文化的遺産には改めて驚嘆の思いであ った。しかし,フラン価値の下落,物価の値上りは激し く,日本製品のはんらんには驚かされた。職場では日本 製VTR,車等のこともよく話題になった。10月末にフ ランス政府はVTRの輸入業務を港から内陸部にあるポ ワチエへ移すことを決定した。ある日本企業はこれに対 して「我々はサラセン人ではない……。」という広告を出 した。732年トゥール・ポワティエの戦いで,フランス 人がサラセン人を撃退した故事にならって皮肉ったもの である。「なぜ,日本人はそんなに働くのか,共におい しいものを食べ,バカンスを取り,人生を楽しめばよい ではないか。」とよく言われた。我々も彼等の言葉に耳を 傾けなければならないが,彼らの頭の中にある日本像も かなりゆがんでいるように思える。理解し合うには長い 時間が必要なようだ。
  おわりに
 渡仏以前の延長線上にある仕事に戻ってみれば,途中 ぽっかりと一年間の夢を見ていたようである。しかし, 毎日が驚きの連続であり,日本での3年分ぐらいの経験 をしてきた感じである。もちろん,ワインの量も含めて。
 最後に,このような機会を与えて頂いた,フランス政 府,科学技術庁,郵政本省,電波研究所の関係各位に深 く感謝致します。

(電波部 衛星データ解析研究室 研究官)


CNET正門




≫職場めぐり≪

光領域周波数帯の開発をめざして


通信機器部 物性応用研究室

 当研究室は,昭和42年6月に当所の機構改革で原子振 動研究室から,現物性応用研究室へと名称が変わり研究分 野も広がった。その後研究スタッフも大幅に入れ替った。 一貫して,電波と物性,物性を応用した超高周波電磁波 等に関する研究を行ってきている。具体的には,パラメ トリック増幅器,固体メーザ,レーザ(固体,液体,気 体)等の基礎研究,周波数帯で言えばセンチ波からミリ 波帯へ,ミリ波帯から光周波数帯へと研究対象を移して 来た。応用研究範囲もさらに拡大しつつある。とりわけ 58年度からは,通信への利用を睨んで,周波数資源の 開発の一環として,300GHz〜3000THzまでの周波数帯 の研究開発を開始することになった。CCIRでは, 1979年に,無線周波として3000GHz以下の電磁波を,これ にあてることとしていたが,1982年には,3000GHz以上 についても諸研究を進めようとしている。最も開発の遅 れているミリ波と光(可視付近)との間の周波数帯の研 究も,これからの研究テーマとして取り上げられている。
 考えて見れば,従来主に無線周波として使用されてき た周波数が100GHz以下としても,光領域周波数帯は,こ れの何千倍も呑み込む程,広大な周波数資源である。技 術的に難しい領域であるにしても,あまり利用されてい ない現状自体,本来の姿ではないのかもしれない。又, 我々が持つ技術の未熟さを感じざるを得ない。これから 上記周波数領域の研究開発を,諸先輩の業績を土台にし 更に進めようと努力している所である。その為には,電 磁波と物性のかかわり合いをうまく利用する技術及びその ための装置,材料,部品,測定技術等,盛り沢山の課題を 一つづつ解決して行かなければならない,と心新たにし ている次第である。
 室員は現在7名で,三つのプロジェクトを進めている。 各プロジェクトとも大小はあるが,電波研としては,比 較的豊かな予算を得ているのもめずらしい。これは先代 室長の先端技術の研究開発に対する博識と先見の明及び 手腕による所大と言うべきであろう。また,それを精力 的にこなして行く,優秀なスタッフが居ると言う事であ ろう。以下に現在進めているプロジェクトと併せて,担 当室員の横顔を紹介しよう。
 (1) レーザを利用した飛翔体の高精度姿勢決定に関す る研究:一芸に秀出る者は,二芸,三会でも同じなの でしょうか。毎日の練習も欠かさないが,ゴルフをや らせたら,シングルプレヤー並み,何事にも瓢々とし ている有賀規主任研,またテニス部からのさそいを振り 切って,今,囲碁五段と仕事以外でも頑張っている荒木 賢一研究官,この二人が担当している。
(2) 地球環境計測へのレーザ応用の研究:明るい性格 と人付き合いの良さで,難題も坦々と片付けて行く浅 井和弘主任研,酒好き仕事好きで,顔も,体も,心も 丸い,板部敏和主任研,良き共同研究者の二人が担当 している。又忘れてならないのが,メッポウ,ハード に強い助っ人の石津美津雄研究官(原子標準研究室) がいる。
(3) 光領域周波数帯の研究開発:58年度からスタート したプロジェクトで,室員一同総がかりであるが,前 記紹介者以外の主担当者を紹介しよう。58年7月に異 動により転入してきた藤間克典主任研,理論派で曲っ たことのできない性格は,電波研内でも得難い人材。 又58年9月に米国生まれの赤ちゃんと共に帰国し,仕 事にも油の乗っている松井敏明主任研,この二人が, サブミリ波,赤外等の素子開発を主に担当する。この プロジェクトは,関連する他の研究室の協力も得て進 みつつある。

(林 理三雄)


研究室メンバー(前列左から有賀,荒木,藤間,
松井,後列左から浅井,板部,石津,林)


短   信


第65回研究発表会開催さる

 第65回研究発表会は,11月16日,外部から121名の来 聴者を迎え,当所4号館大会議室において,午前中4件, 午後6件の研究成果発表(プログラムは本ニュースNo.90 に掲載)を行った。最初の講演“PCM符号誤り雑音抑 圧方式(SUNDER)”から活発な質問,討論が続き,午 前中の終了時間が予定より遅くなったため,昼休みを利 用しての見学“斜入射による電離層観測”と“レーザに よる衛星の高精度姿勢決定実験”の施設公開は15時まで 延長する一幕もあった。来夏に予定されている“スペー ス・シャトル映像レーダ(SIR-B)実験への参加計画”の講 演で発表会は成功裏に終了した。会場での活発な討論に 加えて外部からの来聴者の約半数の方々からアンケート に答える形で貴重なご意見をいただいたが,そのほとん どが,心暖まる励ましの言葉であった。これに気をゆる すことなく,次回も一層充実した成果発表会となるよう 努力したい。



日米VLBI試験観測に成功

 当所鹿島支所において開発が進められてきた超長基線 電波干渉計(VLBI)は,12月には予定通り完成しよう としている。そのため,システムが計画通り動作し,ま た米国のMark-Vシステムと適合性を有していることを 確認する目的で,11月5日米国のVLBI局2局(西海岸 のモハービ局及びオウエンズバレー局)との間で試験観 測を実施した。
 観測は,同日早朝5時より7時34分まで約2時間半に わたって行われ,3C273B,3C345,4C39.25の3個の 電波星からの電波を各12分間づつ交互に繰返しながら受 信し記録した。そして,米国側から輸送されてきた記録 データとの相関処理を行った所,いずれも明確な相関ピ ークを検出した(図1)。現在は到達時間差を精度0.1ns で決定するために帯域幅合成を行っているところである。 このように,日米間で初めて太平洋を挟んで,約8,100 qの基線長のもとに行われたVLBI観測は見事に成功し たわけであり,その意義は極めて大きい。これによって, 来年1月下旬に予定されているシステムの総合精度の評 価と日米大陸間測距を目的とする日米システムレベル実 験,及び夏頃に行われる第1回本実験(5か国,10局参 加)の成功に向って着実に前進した。


▲相関パターン(3C273B、Xバンド1ch)



処女航海の「しらせ」南極へ出港

 昭和58年11月14日午前11時,第25次南極地域観測隊47 名は秋晴れの東京・晴海ふ頭から南極へ向けて出港した。 南極観測船「しらせ」は初代「宗谷」,今春現役を退い た「ふじ」に次ぐ三代目の砕氷船。「ふじ」に比べ砕氷 能力,物資輸送力も2倍にアップされている。このため 「しらせ」には南極観測の新しい期待が寄せられており, 今回の処女航海では,南極での第3の日本基地(セール ロンダーネ)建設のため,出発もこれまでの11月25日か ら14日に早められた。第25次隊には当所から電離層定常観 測及び超高層研究観測に山本伸一,通信に野馬尚の2名 が参加した。南極MAP(中層大気国際協同観測)計画 の一環として引続きXHFドップラーレーダ観測を実施, さらに衛星航法装置に与える電離層の影響を調査する計 画である。昭和基地には12月下旬に到着する予定。また, 船上観測では従来の中波電界強度測定,オメガ電波受信 に加え,HF(80MHz)の電界強度測定を行っている。


▲”しらせ”で出発する第25次隊薮馬・山本両隊員



所内ソフトボール大会開かる

 昭和58年度秋季レクリエーション行事の一環として, ソフトボール大会が,当所グランドで11月7日から昼の 休憩時間帯に行なわれた。各部から選出の13チームがト -ナメント方式で対戦,連日好ゲ一ムが展開され22日庶 務課Aチーム対会計課Bチームによって,決勝戦が行わ れた。当日は絶好のソフトボール日和となり,前夜から 両チ-ム極秘で作り上げた応援旗をひるがえし,選手も 応援団もハチマキ姿で出場,優勝への気概をむきだしに 笛,太鼓の鳴り物入り,併せて即席のチアガールも飛び 出す応援合戦から熱戦の火ぶたが切られた。初回は両チ ーム一歩も譲らず無得点で終ったが2回に庶務課チーム が7点を先取すれば,会計課チームも負けじと4点を返 すなど好プレ一が続売出,決勝戦にふさわしい試合となった。 結果は,打撃・守備に堅実な庶務課Aチームが優勝,昨 年に引き続き2連観を達成し, 2週間余にわたった大会 の熱戦の幕を閉じた。


▲V2達成の庶務謀チ-ム