宇宙基地計画と大型アンテナ組立技術


飯田尚志

 宇宙基地計画
 宇宙基地計画は,米国航空宇宙局(NASA)のジョ ンソン宇宙センターとマーシャル宇宙飛行センターで, それぞれの構想として研究されていた。NASAは,ス ペースシャトル実用化後の中心となる宇宙開発計画の案 として、両センターの構想を一本化して,恒久的有人施 設である宇宙基地計画を具体化するために,NASA本 部に1982年5月新たにスペースステーションタスクフォ ースを設置し,研究を開始した。
 この研究では,まず宇宙基地で行うミッションを検討 し,その要求条件の整理を行って,ミッション達成のた めの宇宙基地の機能,構造,開発手段などを検計し, 宇宙基地構想をまとめていくことにしている。
 タスクフォースは,ミッション解析研究に当って,米 国企業8社との契約により約8か月間の調査を行い, 1983年7月米国航空宇宙学会(AIAA)とNASA の共催で宇宙基地シンポジウムを開催するとともに,科 学応用,商業技術,技術開発の3分野にわたる107件の ミッションをまとめた。その後,タスクフォースのミッ ション要求作業グループによりミッション解析が続けら れ,また同時に概念検討グループにより宇宙基地の機能 要求の研究が行われている。
 NASAは,このような研究段階からの国際協力を呼 びかけた。欧州宇宙機関(ESA),フランス,西ドイツ, イタリア,カナダはこの呼びかけに応じて研究を行っ ている。我が国への協力の呼びかけに対して,1982年6 月当時の中川科学技術庁長官が,NASAのベックス 長官に宇宙基地構想への研究段階からの積極的参加を 表明した。
 以上のような経緯で,遂に本年1月大統領年頭教書 により宇宙基地開発計画にゴーがかかったことは周知 のとおりである。
  我が国の推進体制と所内の対応
 宇宙開発委員会は,宇宙基地計画に対する我が国の対 応についての検討に資するため,1982年8月宇宙基地 計画特別部会(部会長久松敬弘東大名誉教授の他,専門 委員22名により構成)を設置し,この計画に参加する場 合の基本構想に関する調査審議を行うことにした。当所 からは,塚本企画部長が専門委員として任命されてい る。
 同特別部会は,まず宇宙基地参加テーマの調査を行っ た。その結果集った187件にのぼるテーマについて検討 を加え,1983年6月「米国宇宙基地計画への参加に関す る検討(中間報告)」としてまとめている。
 当所では,宇宙開発計画検討委員会の下に,1982年9 月宇宙基地計画小委員会を発足させ,同小委員会を中 心に種々の検討を行い,宇宙基地計画特別部会に対して 6件のテーマを提案した。
  研究者の活動
 以上のような公式な動きよりも早く,宇宙科学研究所, 航空宇宙技術研究所などの研究者を中心として検討グ ループが構成され,1982年6月前後より宇宙基地計画へ の取り組みを開始し,関係方面に働きかけると同時に, 良い提案を集めるためにシンポジウムを開催する計画 が立てられた。何回かの会合の後,1982年10月スペー スステーションシンポジウムが航空宇宙技術研究所で 開催され,91件の発表が行われた。
 その後,概ねこの研究者のグループは宇宙基地タスク チームと呼ばれ,次のような作業を行ってきた。まず, 特別部会の調査テーマとシンポジウムの発表をもとにし て,「Mission Model Study for Space Station」(文書番号 SS-01)を作成した。SS-01は,ミッション項目を 学問,技術などの分野によって分類,整理することを目 的として,ミッション項目について何をどうやりたいか をよりはっきりさせ,第3者に分かるように作文したり, 作図をしたりしたものである。
 次に,SS-01の研究よりやや遅れて, 「Preliminary Concepts of Space Station Missions」(文書番 号SS-02)を作成した。SS-02では,SS-01に 取り上げたミッションを出来るだけ効率良く実行できる ような計画の構想を立て,これを装置の概念,計画実行 方法,運用など全ての面から案として説明できることを 目指して作成された。SS-02では,初期に行うことを 想定したミッション,いわゆるストローマンミッション (Strawman Mission)を中心にして,天文及び天体物 理学,地球観測,材料製造,生命と農業,理工学,エネ ルギーの各実験ミッションを取りあげている。これらの 内容は,1983年6月日本航空宇宙学会主催のスペース ステーション講演会で発表されている。
  大型宇宙アンテナ組立技術
 (1)テーマの選定
 SS-02の作成に当って,タスクチームではSS-01 の理工学実験分野に分類される数十件のテーマに関して 次のような論議が行われた。すなわち,理工学実験は, 早期に実験を行うことにより他の分野にその成果を反 映させていくことを目的としている。しかし,宇宙 基地を使用する以上,その進捗状況に依存することは やむを得ないので,宇宙基地計画の初期段階に実験がで きるようなテーマを考える必要がある。また,技術進歩 の速度を考慮し,以下のような技術開発が要求される実 験については,宇宙基地計画の後期段階まで延期するも のとする。@極低温技術を必要とする推薬貯蔵庫,A極 めて大きい軌道傾斜角,高い軌道高度,B高度な機能を 有するテレオペレータ,C時期尚早あるいは計画上問題 を有する諸技術,D極端に大きな作業エリア,大容量・ 大質量のために,過度のシャトル飛行同数を要求するも の。以上のような制限条件の下で,なおかつ,将来のキ ーテクノロジーであり,応用の広い技術であることが選 定条件として必要である,というのがその内容である。
 ここにおいて,大型宇宙アンテナの組立についての実 験が取り上げられた。宇宙空間における大型アンテナの 建設は,将来の宇宙通信,リモートセンシング等に不可 欠な基幹技術である。特に,展開型に比ベ,組立型の大 型宇宙アンテナは本質的に高い鏡面精度が得られるので 通常は相反する大口径と高周波数の両要求を同時に満た すことが期待できる。その上,軽量にできること,打上 げのショックに耐える強度が小さくてよいこと,形状が 自由にできることなど,多くの長所を有すると考えられ る。
 このように大型宇宙アンテナは,各種の応用に対す るキーデバイスなので,本実験をアンテナ自体の組立 実験にとどまらず,応用実験まで含むものととらえ,そ の上大型宇宙構造物技術としても興味あるものとして 取り上げることにした。
 (2)ミッションの概要
 この実験では,大型アンテナを宇宙基地において組立 て,宇宙空間における組立技術を確認することを目的と している。同時二次に示すようなアンテナの組立,測定 運用試験の過程で発生すると思われる種々の問題点を 明らかにすることも目的としている。
 ここでは,直径10mのパラボラアンテナを想定して計 画の概念を説明する。まず,このアンテナを試料片に分 解して,試験装置及び運用試験に使用する付加装置とと もに,地上においてコンテナに収容しておく。このコン テナをシャトルで宇宙基地に運搬し,図1に示すように, テレオペレータにより,多関節アームの一つに固定する。 次に,マニピユレータ(紺立てロボット)により,コン テナから試料片を取り出し,パラボラアンテナに組み立 てていく。


図1 大型アンテナ組立の概要

 次に,組み立てたアンテナに対して,各種 の機械的および電気的性能を試験装置を用 いて測定する。さらに,組み立てたアンテナ を用いて,運用試験として応用実験(後述) を行う。
 以上の試験が終了した後,マニピュレータ でアンテナを分解し,試験装置および付加装 置とともにコンテナに収容する。最後に,こ のコンテナを,地上に回収すること等が考え られる。
 (3)実験装置のパラメータ
 もっと具体的にどのようにして実験が行わ れるかを考えると,全く未経験な実験で,分 からないことが一杯ある。このようなとき,タスクチー ムでの議論で多くの有益な助言が得られた。その一つ が「分からないことは,他人を頼らないで,自分で考え て,絵を書いてしまえ」というものである。このような 訳で,とにかく図に描かねばならぬと,短時間で智恵を 絞って描いた図も何枚かある。
 詳細は文献(第65回当所研究発表会予稿,昭和58年11 月16日)に譲るるとして,ここでは実現の可能性を考慮して 検討したいくつかのパラメータ及び構成図を示す。ま ず,アンテナの形状は,センタフィード形式で直径が 10mのパラボラアンテナ,鏡面精度は35GHz帯でも使 用できるよう0.5o(rms)以下と設定した。本実験装置の コンテナヘの収容状況図に描いたのが図2である。初期 段階の検討では,大きさの見積りが,検討項目の一つで あるが,この場合,図2よりシャトルの荷物室の約1/3 で済むことが分かる。


図2 コンテナ収容状況

 このようなアンテナの場合,組立技術もさることなが ら,測定に相当高度な技術が要求されることが想定され る。このため,細部については未検討の部分も多いが, 機械的測定,電気的測定の方法を検討した。特に,電気 的測定の中で,アンテナパターンの測定については,将 来,アンテナパターンが複雑化することを考慮し,宇宙 空間を一つの無反射室と見なして,近傍界測定の方法を 提案してみた。実現するには,種々解決しなければなら ない問題点が多く,マニピュレータを用いて行う方法を 考えている。
 このアンテナの運用試験としての応用実験については, 降雨レーダ開発実験,大開口マイクロ波ラジオメータ開 発実験,宇宙空間VLBI(超長基線電波干渉計)実験 が考えられている。また,当然通信実験も考えられるが, 低軌道の宇宙基地においては実験がやりにくいため, 将来,このようなアンテナを静止軌道に運搬したとき, 多くの実験を行うことができると思われる。
 (4)問題点
 これまでの検討により,今後の検討課題及び問題点と して,次のような項目にまとめることができる。@アン テナの仕様(形式,組立方法など),Aアンテナ基本部・ 付属装置の構成方法(回転機構,送受信機の設置方法な ど),B共通系とのインタフェース(電源,データ伝送速 度など),C組立作業(運搬・収納,接続方法など),Dア ンテナ反射鏡面の機械的性能測定法,Eアンテナの電気 的性能測定法,F宇宙基地本体との干渉(作業エリア, 動的干渉など)。
 研究グループの構成
 以上述べたように,大型宇宙アンテナは,応用の広い 基礎技術なので,現在,関係機関(航空宇宙技術研究所, 気象研究所,東大東京、天文台野辺山宇宙電波観測所,電 電公社横須賀電気通信研究所,NHK総合技術研究所, KDD研究所,リモートセンシング技術センター及び当 所)の研究者と関連会社の方々による宇宙基地大型アン テナ研究会(Space Station Large Antenna Meeting: SLAM)が発足した。そしてほぼ月1回会合が開催さ れ,問題点の検討を中心とした第2段階の検討が行われ ている。
 担当者としては,SLAMの輪が拡がり本実験が実 現されることを望むものである。

(衛星通信部 第一衛星通信研究室 主任研究官)




平磯時代の思い出


羽倉 幸雄

 はじめに
 「平磯の全盛時代」という題名で原稿を依頼された。 確かに私が平磯に在籍した9年間は,電波警報業務が平 磯に定着し,国際地球観測年(IGY,1957−58)に際 しては世界日警報的中率の高さで国際的評価を受け,ま た大林辰蔵,新野賢爾氏など錚々たる人材を擁して太陽 地球間物理学(STP)に関する研究成果が大いに上が った時代ではあった。しかし考えて見ると,1915年に電 気試験所の出張所として発足以来約70年の間に,平磯に は実に数多くの人材が輩出して,それぞれの時代にふさ わしい独創的な業績を残してきた。とてもこの題名を頂 く訳にはゆかない。しかし,折角newsではなくて1/4 世紀前の olds を書く機会を与えられたのであるから, 私が在籍していた当時の平磯の研究事情と私が平磯で学 んだSTPについて述べることとする。
 赴任当時
 現在の平磯支所の体制は2研究室,2係であるが,私 が平磯に赴任した1955年当時は観測所長の下に庶務,伝 ぱん,警報、施設の4係があった。また現在の鉄筋の庁 舎が完成したのは1968年3月であるから,私の想い出に ある平磯は無線資料館や大洗分室などに僅かに名残りを とどめている古い木造庁舎である。海岸道路から正面玄 関へ通じる立派な道もなければ,境界を示す塀もなかっ たので,湊鉄道平磯駅からハイヤーに乗って芋畑の中を 走っていると何時の間にか観測所本館玄関前に到着,即 刻尾上所長以下全所員と御対面ということになった。新 調の白い背広に,白い靴,そして緑の蝶ネクタイの赴任 であった。
 先日の前田憲一先生の当所における御講演(昭和58年 7月4日)によると,先生も決して喜び勇んで平磯に行 かれた訳ではなかったらしい。しかし,第2回国際極年 (1932−33)で短波電測に参加して電離層観測機を自作 し,色々な観測を行われたことが,将来電離層研究で大 成される糧となったとか。
 シャノンやウイーナーなどの情報理論に心酔していた 当時の私にとって,フィールドの違う平磯への転勤は全 く不本意であり,当時上田所長を恨んだものである。
しかし平磯は不思議な所である。独り観濤台に立って太 平洋の荒波の彼方のアメリカ大陸を思い,太陽観測を行 い,世界各地の電離層変動を集約した短波電界強度の変 化,地球上昇大気の変動を示す地磁気のデータを眺めて いるうちに,STPに関するイメージが次第に私の中に 育っていった。環境科学を志す者は机上で理屈をこね回 す前に地方観測所に行って自然現象に肌で触れるべきで ある。
 私が平磯に行って感心したのは,○○さんと呼ばれる 流れ者と××やんなどの愛称を持つ土地の人との構成が うまく行っており,このチームワークが仕事にも,遊び にも効果を挙げていることであった。所内どこでも下駄 履きで歩ける自由な雰囲気も忘れ難い。各研究室は勿論 であるが,合宿(食堂),宿直室などが社交界であった。 合宿のバッパさんが食事の合図に打ち鳴らした古びた鐘 は今でも歴代所長の額と一緒に無線史料館に保存されて いる。
  IGYのころ
 1957−58年に実施されたIGYは主として国内の短波 利用者のために行われていた電波警報業務に質的変化を もたらした。太陽フレアとこれによって発生する一連の 地球上層大気擾乱の発生を予想し,全世界的な強化観測 を行う特別世界日SWI警報が新しい任務として追加さ れたからである。このために整備された国際世界日業務 IWDS(現在のIUWDS)ネットワークを通じて, 世界各地で観測されたSTPデータが続々と入って来た し,これらのデータを分析して,アメリカ,ソ連,ヨー ロッパ諸国と擾乱予報の力比べをするのであるから担当 者の張り切りようは大変なものであった。1950年電波警 報のセンタとして発足以来集積された基礎研究が脚先を 浴びることになった。1952年平磯に導入された200MHz 太陽電波観測は威力があった。フレアが太陽の中心付近 で発生し,巨大電波バーストを伴うときには平均約40時 間後に地磁気嵐が発生することがわかっていたので,平 磯の発令するSWI警報は面白いように的中した。1957 年9月13日,1958年2月11日など歴史的な大擾乱を見事 に予報してIGYの成功に貢献したものである。予報的 中を祝った乾杯の味が忘れられない。
 太陽現象,超高層現象が刻々と変化して行く様子を自 分の目で直接見ることができるのは幸せである。勤務時 間中は,何か大擾乱が起りはしないかと何回もモニタ室 に足を運ぶ。夜の中に何か巨大現象が発生していないが と胸をときめかして出勤する。警報グループの全員がこ んな気持ちであった。
 太陽宇宙線とPCA
 平磯といえばどうしてもPCA(極冠電離層吸収)の ことを書きたくなる。IGYもなかばを過ぎた頃,国分 寺のWDC-C2(世界資料センターC2)に大分デー タが集まったので,先に述べた1957年9月とか1958年2 月の大擾乱の際の電離層嵐の汎世界的な発達過程を調べ て見ようということになった。F層だけでなく,E,D 層嵐も一緒にやろうと思い立ったのが幸運であった。世 界地図の上にD,E層の吸収を示すΔfminデータをプロ ットして行くうちに,電離層の異常電離による電波吸収 領域は地磁気嵐急始のはるか以前から南北極冠域で発生 しており,嵐の進行に従って極光帯,亜極光帯へと拡が ってゆくことが判明した。PCAとの出会いである。こ の異常吸収領域の発達過程は学会でも大変好評であった が,或る時国分寺のトイレで故青野雄一郎氏と並んで用 を足している時,「あの2例だけでは一般性がねーぞ」 と強い御批判を頂いたものである。
 丁度その頃,太陽電波バーストと地球嵐との関係を調 べており,日本,オランダ,米国のデータを集めて,電 波バーストの一覧表を作っていた。特に第W種と呼ばれ る巨大バーストは太陽大気中での粒子加速を示している ので,その際発生した10−100MeVのプロトン群(太陽 宇宙線)が地球極冠に侵入しPCAを発生するのではな いかと考えた。巨大な第W種アウトバーストは1年に10 個位発生するので,PCAの数も同じ位あるはずである。 この予測を実証するため,北半球極座標に主要観測所の 位置を書き込んだ用紙を多数用意して国分寺に出張した。 人海戦術が必要だったので各課,各研究室に頼み込んで l0人位の女性に5日間程支援を得て,電離層データのプ ロットを行った。結果は思った通りで,第W種のアウト バーストの後には必ずといって良い程PCAが発生して おり,その数は一気に十数個になった。
 赴任直後,平磯で宇宙線の観測をやろうと勉強はした が結局不発に終った。しかしその頃から心ひかれていた 宇宙線異常増加(10GeVオーダの太陽宇宙線)がPCA と結びついたわけである。
 来訪客のこと
 IGY前後は外人の訪問者が多かった。警報関係では 現在の米国NOAAのA. H. ShapleyとJ. V. Lincolnが 待に印象に残っている。ShapleyはIWDSネットワー クを構築するために世界中を駆け歩いていた。Lincoln は私の米国留学の受入れ者ということで東京まで迎えに 行った。平磯本館に急きょ外人女性用のトイレを用意し たが,このトイレは結局日の目を見ることはなかった。 来客のピークは何といっても1963年9月に東京で開催さ れた第14回URSI総会のエクスカーションの時であろ う。到着した大型バスから,英国のJ. A. Ratcliffe, R. L. Smith-Rose,インドのK. R. Ramanathan,カナダの J. H. Chapman,イタリアのC. Egidi,スウェーデンの S. Gejer,米国の松下,K. L. Bowles,S.A.Bowhill, O. K. Gariott,J. W. Herbstreit,J. R. Waitなど国際的に 著名な研究者が続々と降りてきた。河野哲夫氏夫人がコ ンパニオンをしておられた。


第14回URSI総合エクスカーション電波警報司令室
前列右からRamanathan,筆者,Egidi,Ratcliffe

  おわりに
 平磯のことを書き出すときりがない。僅か9年間では あったが,良い指導者,優秀な共同研究者に恵まれて思 う存分仕事ができた。独り身で赴任して現在の4人家族 ができ上ったのも平磯である。私はヒレーソを第2の故 郷だと思っている。
 なお最新の電波警報,STP情報については丸橋克英 氏がRRLニュースNo.9,41,63に,小川忠彦氏が No.89に詳しく紹介しているので参照されたい。

(電波部長)




アーニャン(韓国)滞在記


古関 照男

 昭和47年11月に,日・韓両電波研究所長の間において 電波科学技術に関する研究協力の覚書が交換されてから 当研究所には,韓国より15名の所員が来所し,各部門に おいて技術研修を主とする研究交流を行って来た。
 私は,科学技術庁の“二国間協力に伴う専門家派遣” による出張で,昭和58年7月3日より1ヶ月間,ソウル の南方,約50qにある安養(アーニャン)市に滞在し, 電離層観測に関する技術指導を行った。
 韓国電波研究所は,街の中心部からバスで約10分のと ころにあり,設立された昭和41年当時は畑に囲まれてい て研究に好適な立地条件であったというが,今は人家が 密集している。標準科と電波科及び管理科があり,それ ぞれ2係を持ち総員60余名であるが,宇宙開発の研究が 増えるので近いうちに100名位に増員する計画があると いう。


大韓民国電波研究所組織図

 李 英漢所長は,英語,フランス語,日本語の上手な 国際人で,11時のお茶の時間に,たびたび所長室へ私を 招き,日本の事情について話を聞いていた。
 ここには,かって来日した人が5人残って居り,私は この人達にいろいろ面倒をみて頂いた。
 係長以上は旧庁舎に勤務しているが,2年 前に新築した実験庁舎では,1階にレーダ等の型式検定 業務を担当している検定係があって,測定器類がガラス 棚に整然と収まっている。
 2階は電離層観測関係で,昭和46年に長野日本無線 が製作した真空管式のNRZ-502電離層観測機と IONO-FAXを併用して観測している。保守状況はおおむ ね良好であるが,ソウルの大電力中波放送局の影響を受 け,特に低い周波数では混変調のため反射波が記録され ないので,除去するために高域フィルタを製作する事に なったが,所内を探しても適当な材料がなく,設計法, 調整法を指導し取付けたら連絡して貰うことにした。
 本年度に設置されるオーストラリア製のIPS-42観 測機は未到着で見る事が出来なかったのは残念であった。
 勤務時間は,朝9時から夕方6時(日本の東経135度 標準時を採用しているので,東経127度にある現地では, 感覚的に1時間遅く,日没は8時半頃となる。)までであ り,退庁前の1時間を長く感じたが慣れて来ると当日の 資料整理に好適な時間帯として活用した。
 韓国の朝は早い。朝6時になると街の掃除が始まり前 の晩のゴミが全部片づけられる。7時頃になると,山ほ ど野菜を積んだリヤカーの前で料理店のおかみさんが品 定めをし,買った野菜は店の前でアガシ(女性のお手伝 い)がきれいに水洗いをする。
 この頃になると,ソウルに通勤する人達が足早に駅へ 急ぎ,バスの停留場には長い列が出来る。
 韓国の通貨はW(ウオン)で換算レイトは約320W/ 100円であり,食料品は日本に比べて安い。
 街の食堂のメニューは,すべてハングル文字で表示さ れているので指で示すと何の料理が出て来るか,わから ないが400円〜1,000円と安く,量も充分にあり美味であ る。但し,韓国科理の基本調味料は唐がらしなので,始 めは“唐がらしの少ない料理”と書いた紙片を持ち歩い ていた。
 平日のソウルは人の波で埋まり,地下鉄は常に混雑し て暑い日は蒸風呂のようになり,1回でこりごりした。
 閑散としているのは百貨店の免税売店だけ,ここは日 本語でも通じるし,日本円,ドル,ウオンの通価が使え るが,日本人の団体が入って来ると騒がしくなる。
 特産物の朝鮮人参は別格として,お土産に好適なもの は海の幸(するめ,のり,貝柱,魚の干物等),山の幸( 乾なつめ,乾栗,松の実等)が南大門の市場で安く買え るが,案内なしでは無理かも知れない。

(通信機器部 機器課 主任研究官)




》職場めぐり《

衛星通信用アンテナの開発をめざして


衛星通信部 第三衛星通信研究室

 昭和54年7月14日,衛星部門の二部制発足と共に当 研究室が誕生した。55年度から,新たに予算が認められ た「衛星用マルチビームアンテナ(以下MBA)の研究開 発」と世界的に必要性が叫ばれていた「衛星利用捜索救 難通信システムの研究」の2プロジェクトを実施するこ とになり,後者を当時の高橋室長,前者を第一衛星通信 研究室から移った手代木が担当,総員2名で研究を開始 した。
 その後徐々に人員も増え体制も整うようになった。捜 索救難通信に関しては,CCIRの調整の下に進められた インマルサット衛星利用の国際実験に参加し,周波数拡 散技術を用いたシステムに関する貴重なデータを取得し CCIRに報告することができた。その他,周回衛星を利 用するシステムに関しては,ドップラ偏移からブイの位 置を決定する計算機プログラムの開発を計画してきたが これは昨年10月通信・放送衛星機構から戻った川瀬主任 研究官が担当している。最適の人を得て,この研究も順 調に進みつつある。


研究メンバー(左から田中,中條,伊藤,川瀬,手代木,小室)

 MBAは地上端末の簡易・経済化と周波数再利用を可 能にするため,将来の衛星通信・放送に不可欠なデバイ スである。当所ではこれまで移動体通信や衛星間データ 中継に適したアレー形MBAの研究を進めてきたが,近 いうちに4号館屋上に,19ビームという我が国初の本格 的MBAが完成する予定である。
 一連の研究を通じて多くの独創的な考案や技術開発が 行われたことも当室の誇りとする所である。国内特許8 件,うち2件は米国へも特許出願している。特に,シー ケンシャルアレーは広帯域,広角度にわたりきれいな円 偏波を放射できるアンテナである。現在これを移動体ア ンテナとして応用することを研究中で,この成果を ETS-X/AMES(航空・海上技術衛星システム)実験に も反映させたいと考えている。又,MBAについては開 発したアンテナを用いて通信実験を行う他,今後の衛星 構想に対応すべく,多機能・高性能を実現する重複開口 アレー給電の反射鏡形MBAの研究を始めている。
 今年新たに開始する研究にアンテナ特性解析装置の開 発がある。これは近傍界測定法に基づくアンテナの試験 ・解析システムである。小さな電波無反射室の中でも大 きなアンテナの測定を可能にする新しい装置である。こ れを2年がかりで開発するが,近傍界測定システムはア ンテナの試験だけでなく,いろいろな電波の実験研究に 使用できるので,今後の当所における研究の広い分野に, その効果をいかんなく発揮するものと期待している。
 現在の当室の人員は6名,ユニークで面白い人間が多 いが,皆「よく学びよく遊ぶ」の実践者である。
 EPIRB担当の川瀬主任研究官。柔軟なセンスの持ち 主で,アンテナの研究にも示唆を与えてくれる。ナイー ブな性格で音楽を愛するロマンチスト。新婚ホヤホヤで ある。実験や装置の製作,電波免許申請担当の小室主任研 究官。この人の作ったものは商品価値があると言われる。 テニスや音楽等趣味多彩。「小室英雄とリオアイランダ ース」のバンドリーダでもある。中條技官。理論と実験 は何でもこなすバイタリティ溢れる若手のホープ。新し いMBAの研究に取組んでいる。趣味スポーツ全般。独 身,花嫁募集中。シーケンシャルアレーの研究は田中技 官。入所2年目,これからエンジン全開。趣味は車,ス ケート等。花嫁は間に合っていると今の所豪語している 花の独身。周波数標準部から転入の伊藤技官は反射鏡ア ンテナの解析と実験担当。昨年第一子「梓ちゃん」誕生。 名前から想像できるように趣味は登山と将棋。手代木は 全般的な研究の指導,とりまとめ,外部との連絡調整等 を担当。テニスをこよなく愛す。最近、小二の次男に手 ほどきを始めた。末はボルグかコナーズか,さすれば親 は左うちわということになるのだが,思うようにはいか ないもので息子は「キャプテン翼」に夢中である。

(手代木 扶)


短   信


昭和59年度予算案の概要

 昭和59年度の予算は,年明けの1月20日からの内示・ 復活作業を経て,25日に政府案として決定されたが,政 治情勢がらみで6日間という短い予算編成期間であった。
 当電波研究所の予算予定額は,44億6,548万1千円で, 前年度当初予算額に対し,1億3,449万円(3.1%)の増と なっている。内訳の概要は,
 重要事項分として,10億6,885万円(航空・海上衛星技 術の研究開発及び宇宙電波による高精度測位技術の研究 開発等),
 皆減皆増分として,2億289万2千円(中層大気国際協同 観測計画期間強化観測等),
 標準予算系統分として,31億9,373万9千円(人件費等) である。
 なお,この予算予定額には,国庫債務負担行為の歳出 化分3億7,052万円が含まれており,結果として相当厳し い予算となっている。



地上−静止衛星ひまわり間のレーザ光伝送に成功

 通信機器部物性応用研究室では,衛星等の飛翔体の姿 勢をレーザを利用して高精度に決定する方法について研 究を行っているが,このたび,気象庁気象衛星センタの 協力を得て,地上からレーザ光を送信し,赤道上空約 36,000qの静止軌道上にある気象衛星“ひまわり”で検出 する実験に成功した。
“ひまわり”は可視及び赤外で地球を観測し,特に雲の 写真を撮っていることで国民に親しまれている衛星であ る。この衛星に搭載されているラジオメータ(VISSR) の可視のチャンネルを利用して,レーザ光伝送実験を行 った。静止衛星は地上から遠く,特に気象衛星は暗く見 えるので,世界最大級の数mの望遠鏡でも観測は容易で はない。当所の構内にある衛星追尾光学装置の口径50 pのカセグレン型反射望遠鏡と超高感度テレビカメラを 組合せた特殊なシステムにより,快晴時の夜間,“ひま わり”がぎりぎりに観測できることが確認された。光学 観測により1/1,000度の高精度で“ひまわり”の方向がわ かるので,電波レンジングによる軌道予報値を補正して 本衛星を追尾した。狭いビーム幅(0.1mradと0.2mrad で実験)のレーザ光を送信し,“ひまわり”の画像の中 にはっきりとレーザ光送信点のスポット像を確認するこ とができた。昭和58年12月1日に初めてこの実験に成功 して以来,現在も実験は続けられている。
 地上−静止衛星間のレーザ先の伝送/スポット像の検 出実験の成功は世界初であるばかりか,光学応用分野 の研究でも画期的な成果であり,将来多方面への応用 や波及効果が期待される。地上−静止衛星間のように 遠距離の光伝搬については研究すべき問題が多く,今後 も基礎的な研究を続けてゆく計画である。


図1 ひまわりで撮った可視の地球画像及びレーザ光 スポットの現れている領域(図中の正方形内)
   1983年12月13日午後5時30分


図2 拡大されたレーザ光スポット像(中央の輝点)   画面は地表100q四方の領域を示す。



航空機搭載マイクロ波散乱計/放射計による降雪観 測及び降雪時の海上風測定の検証実験

 当所は科学技術振興調整費「豪雪地帯における雪害対 策技術の開発に関する研究」の一環として,標記の実験 を昭和59年1月26日から30日まで金沢市周辺とその沖合 を中心に実施した。今回の主な実験目的は,降雪に関し ては,降雪の3次元空間分布の把握,海域及び陸域での 降雪構造の違いの観測,筋状雲構造と降雪分布の関係調 査、また,海上風測定に関しては,降雪時の海上風広域 測定の可能件の検証及び上層風と海上風との関係調査等 である。実験期間は気象庁が実施している北陸地方の特 別気象観測に合わせて設定し,実験場所も測定データを 福井気象台Cバンドレーダ,津幡気象研究所のXバンド ドップラレーダのデータと比較するために考慮された。
 実験は順調に進み,1月26日,28日の2回の飛行によ り計6時間45分のデータが取得された。このデータは大 陸からの季節風が海域上で対流することによって生じる 積乱雪雲の観測と降雪の状態を含んでおり,定説となっ ている北陸地方の豪雪機構に,より新たな解明が加えら れるものと鋭意解析を進めている。



平磯ミリ波アンテナの撤去

 平磯支所では,実験用静止通信衛星(ECS)の副局施 設を用いて,ミリ波(32GHz)による太陽電波観測を昭 和55年度より行ってきた。しかしながら,昭和58年11月 末に本施設が撤去されることになり,太陽電波観測は11 月22日をもって,やむなく中止された。
 この間,3年以上にわたり,本システムは太陽活動の 監視を行い,短波通信,衛星通信などに重大な影響を与 える太陽フレアや電離層嵐の発生予報,警報業務に威力 を発揮してきた。更に,ミリ波による太陽面二次元地図 の重要性が国際的に認められ,世界警報局および地域警 報センタへ通報することを要請されていた。
 ミリ波による太陽電波観測の重要性に鑑み,今後の観 測の継続方法について検討が行われている。