SIR-B計画への参加


畚野 信義

 今年8月末に打上げが予定されているSTS(Space Transportation System)-17の主ミッションとしてS IR(Shuttle Imaging Radar)-Bの実験が行われる。 NASAはこの実験への参加を公募したが,応じた二百数 十件の提案の中から約40件の採用を決定した。我が国か らは当所の提案がただひとつ採用された。
 NASAはこのような提案の評価に際しては,@提案 内容の優秀さ,A提案者(Proposing Scientist)の信頼 度,B提案機関(Sponsoring Agency)の信頼度に重き をおいていることはよく知られている。今回我々の提案 が採用されたのは,提案した実験内容の優れていること が評価されたばかりでなく,シンコムによる東京オリン ピック中継から,ATS(Advanced Technology Satellite)を経て最近のVLBIまで二十余年にわたる NASA/RRLの協力の実績が大きくものを言ったものと 受けとめている。
 我々にとって今回この提案が採用されたことは,単に NASAとの共同実験に参加できるということ以上に大 きな意味を持つ朗報である。計測は通信と並ぶ電波の主 な利用分野であって,電波による計測に関する研究につ いては,当所においても様々な形で以前から行われて来 ていた。しかし今後この分野での主要なテーマになると 見られるリモートセンシングについてまとまった形で研 究が始まったのが約5年前の衛星計測部発足前後である。 1972年のERTS(Earth Resource Technology Satellite :後のLANDSAT)の成功を契機としてリモートセ ンシングの研究は世界的に広く始まったが,当所は世界 の大勢にかなり遅れてスタートしたのが実情であった。 しかし発足に先立ち,将来衛星から降雨の観測を行う目 的の機器の基礎開発の経費が認められ,これを航空機搭 載用2周波散乱計/放射計という世界的にみてもユニー クな装置として実現していたことは幸いであった。以後 これを用いた様々な実験,合成開口レーダ映像作成 処理装置とソフトウェアの開発等Catch upのため の懸命の努力を続けて来た。今回の参加は,その努 力がみのり,限られた範囲ながら世界のトップレベ ルに並ぶまでに至ったことのひとつの証明であると いえる。
 合成開口レーダは航空機や人工衛星に搭載し,その運 動を利用し観測される一連のデータを処理することによ って高い分解能の映像を得ることができるリモートセン サーであり,別名映像レーダとも呼ばれる。2次元映 像の形で使われることの多いリモートセンシングの手段 として,従来分解能の点で光学系のセンサーに大きく劣 っていた電波センサーの弱点を解決したものである。昼 衣・天候に関係なく観測が可能であること,可視光・赤 外領域によるものとは異なった情報が得られること,能 動型センサーであること等の特徴を生かし,今後光学系 のセンサーの補助(Supplement)としてではなく相補う もの(Complement)として発展してゆくことが期待され る。
 STS-17は軌道傾斜角57度で第1日目高度350q, 2〜3日目235q,4〜10日目の7日間225qの軌道を とることが最終的に決まった。実験は従来の予定より1 日増えて10日間行われる。最後の7日間では軌道は1日 に約100q西へずれてゆく。これを利用して同じ場所を 異なった電波照射角で観測(マルチアングルモード)し たり,隣り合った場所を順次観測(マッピングモード) するなど特定の範囲を詳しく観測することができる。こ れら特定の地域の間にできた隙間を粗く埋めるような軌 道が第1〜3日目に選ばれている。
 衛星軌道から合成開口レーダで地球を観測するのはこ れで3度目である。最初のSEASATは1978年打上げら れたが,電源系の故障で約3ヶ月の短い寿命であった。 また,リアルタイムのデータ伝送のみであったので,受 信局のあった米国,カナダ,ヨーロッパ(英国)の近傍 のデータしか得られていない。しかしこのときのデータ から得られた映像は,我々が予想もしない程鮮明なもの であった。またその衛星の名からわかるように主に海に ついての観測を目的としたものであったが,陸について も期待をはるかに越える多くの情報を含んでいることが わかった。次のSIR-Aは1981年秋スペースシャトル の第2回フライトに搭載された。軌道傾斜角は38度で日 本の南半分が入っていたが,運用上の問題等で日本の映 像は得られていない。このSIR-Aではサハラ砂漠の 下に現在のナイル川に匹敵する大規模な河川,渓谷,湖等 の跡が発見され大きな話題となった。1GHz帯の電波が 数mも地下にもぐって反射され,検出されるほど乾燥し た場所が地球上にあったこと,もし昔そのあたりに大量 の水があったとすれば,先史時代の人類の祖先の何らか の遺跡が発見される可能性が大きいこと等様々な意味で 興味深い。今回のSIR-Bの実験に我々が参加するこ とによって初めて衛星からの日本の合成開口レーダ映像 が得られることになる。


SEASATによるNASAゴールドストーン地球局の 28mφアンテナとコーナーレフレクタの映像(電波研作成)

 SIR-B計画で電波研究所が行う実験は次の3項目 からなっている。
1 合成開口レーダセンサーの較正実験
2 稲の作況調査のための実験
3 海洋の油汚染監視のための実験
 合成開口レーダ画像が分解能のよい鮮明なものである ことはよく知られているが,これをリモートセンシング のデータとして用いようとすると定量的な解析に耐える ものであることが求められる。大きくわけて信号強度 (画像の濃淡)の定量性と,二次元画像として(画像の分 解能や歪み)の定量性である。前者はターゲットの電波 反射率と画像上での信号強度の関係,後者ではターゲッ トの位置とその映像上での位置の 関係を知ることであるといえる。 そのため,秋田旧空港滑走路上, 稚内の原生花園,山川の埋立地と それぞれ異なったバックグラウンド 上に大小数種類の標準電波反射体 (コーナーレフレクタ)を多数配置 する。合成開口レーダアンテナは 或る種のアレーアンテナであり, データ処理を行うとき特種なサイ ドロープ特性を持つとみられる。 ターゲットとして強い電波反射体 (大口径アンテナ等)を用いると普 通の光学写真で強い光源を撮った と同じような十字状のハレーショ ンが画像上に現われる。このハレ ーション特性を詳しく調べるとア ンテナのサイドロープ特性が得ら れると期待される。
 リモートセンシングデータから 穀物の作況調査を行うことがかな り効果的であることはよく知られ ており,LANDSATデータの 主な利用分野のひとつとなっている。しかし,小麦やと うもろこしにくらべ米については研究もデータの利用も 皆無に近い。その理由は,米が主に多雨地帯で作られる ため光学センサーで見えないことが多い。品種や耕作の 情況が多様でデータの利用が難かしい等いろいろあると 見られる。しかし三大主食のひとつであり,主にアジア, アフリカ等人口が多く,また今後の増加も著しいと予測 される地域の食糧であることから,その作況を正確に把 握することはますます重要になってくる。今回の実験で は広くて,平坦で,規則正しい等この種の実験のために 望ましい条件からみて,我が国最良というより唯一の場所 といえる秋田県大潟村を主実験サイトとした。ここには 秋田県立農業短大とその試験農場があるので,同短大の 協力を得て我々には経験のない稲の作況等について信頼 性のあるデータ(グランドトルース)を得る計画である。 また稲作の様々な段階での資料を得るため,農林省が毎 年行っている詳細な作況調査のデータを利用し,全国の 主な米作地について解析を行う予定である。シャトルの 軌道の条件から,石狩平野,越後平野,豊橋平野,水郷 地帯が選ばれている。


SIR-Bの軌道と実験サイトの概要

 人類の文明が発達すると共に地球は様々な種類の汚染 に侵されているが,その中でも規模が大きく,しかも状 況を把握しにくいのが海洋の汚染である。ヨーロッパに おいては,陸上からの汚染物質の流入と拡散・移動の状 態の把握,事故,投棄,海底油田からのリーク等による 油汚染の監視がリモートセンシングの2大目的を占めて いる。我が国周辺では主に不法投棄による油汚染が深刻 な問題になっている。この監視のためには電波によるり モートセンシング,特に映像レーダが最も有効であると 期待されるいる。今回の実験ではオレイールアルコール と呼ばれる動物性の油(太陽紫外線で分解され汚染の原 因とならない)を散布して凝似汚染海域を作る。実験海 域に船舶を出して波や風の状態についてのデータ(シー トルース)をとるほか,当所所有の航空機搭載2周波散 乱計/放射計で並行して観測を行う。この実験でも国立 鳥羽商船高等専門学校,東大海洋研究所等多くの機関か ら船舶,シートルースデータ取得等で協力を得ることに なっている。実験海域は浜松沖,紀伊半島沖を予定して いる。
 NASAはSIR-Aに始まり,SIR-B, SIR-C(1987年打上げ予定),SIR-D(1989年予定)等ス ペースシャトルによる一連の合成開口レーダ実験を計画 に基づき進めている。これらのシリーズでは次々と機能 が追加される予定である。SIR-Bでは電波照射角が 可変になり,機上でデータがディジタル化されることに なった。SIR-Cでは周波数がLバンドの他にCバン ドが追加され2周波となると共に垂直,水平,左旋,右 旋の各偏波そ、の運用と逆旋偏波成分の受信機能が付加さ れる。機器の回収と改修が可能で,ほぼ2年間隔で次の 実験が行なえるスペースシャトルを用いることによって, 通常計画から打上げまで7年かかる人工衛星によるより ずっと能率よく多様な実験を経済的に行うことができる。
 実験により得られた成果はPreliminary Report(1985 年5月),Spaceborne Imaging Radar Symposium(1985 年11月),Final Report(1986年5月)で報告の義務が あるが,Preliminary Report提出後の成果発表は自由 である。またNASAから提供されたSIR-B映像デー タはNASAに認められたSIR-B実験参加者以外に複 製配布してはならないことになっている。実験参加者以 外が唯一の窓口である世界データセンタA(WDC-A) から映像データを得るごとができるのは技術的にみてか なり先になると考えられる。これは実験参加者の権利を 優先する点で非常にアメリカ的であるが,研究の面から 見ても,しっかりした地上データと宇宙からの映像信号 データを用いて解析を行うことは実験に参加して始めて 可能である。この実験を基に今後のSIR実験にも参加 できるようがんばりたいと考えている。

(衛星計測部長)




ロー管レコードから再生した音声のSN比改善


鈴木 誠史

 短波放送やアマチュア無線を受信しているとき,雑音 が多いとノイズリミッタを入れる。すると雑音は消え, 音声だけが浮き上ってくる。このような情景を思い浮か べることはできるが,現在使われているノイズリミッタ にそれ程の効果はなく,パルス状の雑音の振幅を制限す るだけである。ところで,当所では,1977年に“自己相 関関数を利用する音声処理方式SPAC”を開発した。S PACは音声の1周期ごとに短時間自己相関関数を計算 し,その相関関数の1周期の波形を接続して出力信号と している。原理は簡単だが,音声に加わったランダム雑 音のレベルをSPACは,10dB以上も低減することがで きる。従って,短波受信機にSPACを接続すれば,最初 に述べたような情景も夢ではない。しかし,SPACは実 験装置を試作して,音声のSN比改善の実験,ホイッス ラや警急信号などの周期性信号の検出実験に使用したが, 実用に供するまでには至っていない。ところが, SPACには当初は予想しなかった用途があった。
 昨年10月に開かれた日本音響学会の研究発表会で,北 海道大学応用電気研究所の伊福部助教授から,ピウスツ キのロー管レコードから再生した音声のSN比が低いこ とから,そのSN比改善に関して協力を求められた。現 在,このような目的に使用できる装置が当所以外にはな いこと,またSPACの効果を実用の場で評価するよい機 会であることから協力することとした。
 B. ピウスツキ(1866〜1918)は,ポーランドの人類 学者である。ペテルブルグ大学在学中に,アレグサンド ル3世の暗殺事件に連座し,15年の刑でカラフトに流さ れた。ところが,ピウスツキは,刑期満了後もカラフト 原住民の調査,研究を続けたのである。その間の1903年 の前後に,彼はカラフトや北海道の各地でアイヌの民話 や民俗音楽をロー管に収録したが,それが近年ポーラン ドで発見され,そのうちの64本が,昨年の夏に日本に貸 与された。このロー管は,アイヌが日本化するより前の 状態の歌と音声を記録したものであり,民族学,言語学 の立場からも極めて貴重な資料である。そこで,民族学, 言語学,文化人類学,工学などからなる研究グループが 組織され,学際的プロジェクトとして研究が始まった。


典型的ピウツスキのロー管(右)とメモのあるケース(左)

 ロー管からの音声再生は,応用電気研究所の研究グル ープが当ったが,最初に歯学部の協力に依り,ロー管の 精密な複製が作られた。ところで,80年を経たロー管の 保存状態は悪く,表面に変質した析出物があり,傷のあ るもの,割れているものもある。また,素人の録音であ ること,音圧で直接音溝を刻む方式であることから,溝 の深さは10μm程度であるなど,再生のための条件は厳 しく,再生には大変な注意と努力が払われた。
 ロー管は,ブラジル産のヤシから作られたローとして はもっとも硬いカルバーローを主成分とし,メーカーに より異なった添加物を加えている。管の直径は55o,長 さは105oで,約400本の溝が刻まれ,約2分問の資料 が録音されている。録音方式は,高低録音で,溝の深さ が音圧の変化に比例している。
 本来,このロー管から高いSN比の信号の再生は期待 し難い上に,析出物や傷が雑音を生成する。これを当時 の蓄音器(針圧20g)で再生すると,ロー管を損傷する 恐れがあり,また良好な再生音も期待できない。そこで, 最新の技術を使った幾つかの方法が試みられた。針を用 いる方式としては,A:表面粗さ計測センサの利用(針 圧は0.07gで,低速でトラッキングするので,ロー管1本 の再生に,4〜8時間もかかる),B:加速度振動ピック アップの利用(実時間の再生は可能であるが,大きな傷 があるロー管には適用できない)を試みている。
 非接触式の方法としては,C:表面粗さ計用光切断法 (スリットビームを照射し,反射先の画像処理によって溝 の深さを検出する),D:レーザビームの反射先を利用す る方法(照射したレーザビームの反射光を,位置検出セ ンサで実時間計測する)が実験された。
 非接触方式のDは傷の影響も小さく,割れたロー管( 接着して使用)にも適用でき,実時間で比較的に良質の 信号を得ることができる。今後は,Dを改良して使用す るとのことである。なお,この段階に至る間の実験は苦 闘の連続であり,応用電気研究所を訪れて,これに取り 組む研究者の熱意と創意工夫の跡に,感銘を受けた。
 ロー管から再生した音声は,SPACで処理した上,原 音声とともにアイヌ語学者やカラフトアイヌ語を解する 老人などに提示された。処理の効果に対しては,雑音が 減少してきき易いと感じた人と,少し異質な雑音を生じ たのが気になったり,無音声のレベルが減少したためわ かり難いと感じる人など,賛否両論があったとのことで ある。


ロー管から再生した音声(左)とSPACによって処理された音声(右)

 ロー管から再生した音声の質,その内容(歌か民話か), SN比,雑音の種類,また話者や間き手によってその効 果は異なる。一般に,雑音の中から音声を聴き取る人間 の能力は大きく,何回も聞き直すと,最初はわからなか った音も聞きとれるようになる。この場合,原情報が失 われていない未処理の音声の方が有利と考えられる。 SPACで処理すると,SN比は向上して聞き易くなって いるが,その効果は聞く人の疲労を軽減する方に向けら れ,了解度の向上に寄与していない。また,よく知って いる言語とそれ程でない言語では,雑音の中から聴き取 る能力,雑音レベル低減の効果も違うように考えられる。
 このプロジェクトでは,現在,いろいろな角度から, ロー管から再生した資料の分析が行われている。一方, ロー管からの再生方法についても改良が進められている。 多くの分野の研究グループが参加し,それぞれが十分に 機能する理想的な形態でプロジェクトは進んでおり,そ の成果は,アイヌ文化の解明に寄与するものと期待され る。


音溝の例,右はかなり変質している

 音声信号処理の立場からは,雑音レベル低減方式は, 雑音レベル低減と同時に,明りょう性も改善できる。ま た無音声も再現できる品質のよい方式の開発が必要なこ とを痛感した。しかし,これは二つの矛盾する機能を同 時に満足させることであり,実現できるとしてもやや時 間を要するであろう。
 ピウスツキとロー管が日本に来るまでの経緯は,“自 然”の1983年10月号に,ロー管から信号を再生する方法 は,“日本音響学会誌”の1984年3月号に述べられてい る。また,SPACについては,本ニュースの23号 (1978年2月)を参照されたい。なお,ロー管と音溝の写真 は応用電気研究所から提供されたものである。

(情報処理部長)




目黒あれこれ


金田 秀夫

 私は数年前から目黒区の一画に住んでいる。目黒とい うと“目黒のさんま”の落語とか,“種まき権兵衛”の 俗謡などでそれなりに人々に知られているが,目黒とい う地名の起源については種々の説があるようだ。
 昭和36年発行の目黒区史によると,馬畔説といわれる 次のような説が妥当ではないかということのようだ。 「めぐろの“め”は駿馬という場合の“め”で馬を意味し, “くろ”は畔であぜ道を意味する。つまり馬畔というのは 馬とあぜ道を意味するところから生れたという説である。 この説は鎌倉時代に目黒地域から興ったであろう武士目 黒氏と密接なかかわりがある。……関東地方には律令時 代に多くの牧場が設けられ,この管理者を武蔵国では別 当といい現地の豪族がこの任に当っていた。これらの別 当は11世紀ごろになると牧場を荘園と同じように私有化 して有力な武士団を形成していったのである。牧場の管 理者はあぜ道を通って馬を見回り,そのあぜ道のなかを 自分の縄張りとしていた。こんなところから馬畔という 言葉が生まれ,めぐろが地名とも氏名ともなり,これを 目黒と書き表すようになったらしい。一般に豪族は,そ の居住地か本拠地の地名を氏名としている。……」
 目黒の地には石器時代から人が住んでいたようで,貝 塚や古墳などの遺跡があちこちから発見されているとの ことである。また目黒にはその開基が8世紀とも伝えら れている目黒不動で知られる滝泉寺や現在東横線の駅 名ともなっている祐天寺などのほか,やはり8世紀に創 建されたと伝えられている大鳥神社や桜の名所で知られ ている碑文谷八幡宮など,数多くの旧跡が散在している。
 時代の流れと押しよせる都市構造の近代化の波などの なかで,これら旧跡も,あるものは幾多の変遷を余儀な くされたようであるが,それぞれに長い伝統と歴史のあ とを内に秘めながら街のなかに佇み,今に息ずいている。
 そんな一つに,目黒不動の滝泉寺に接した所に,羅漢 寺という寺があることを目黒区の広報紙で知り,ある日 曜日のひるさがりこの寺を訪ねて見た。
 羅漢寺の起源は元禄8年(1696年)にさかのぼるとの ことである。はじめ本所五ツ目通り(今の墨田区)に創 建され六千坪ほどの境内地を有していたが,天災などの ため明治20年本所緑町に移り,さらに同42年目黒の現在 地に移ったということである。ここには創建者の松雲禅 師という坊さんによって作られた五百羅漢の木彫がある。
 羅漢及び五百羅漢については,平凡社の国民百科事典 に次のように書かれている。
 「サンスクリット語のアルハンarhanの音字である阿 羅漢の略,……仏教で悟を得た仏弟子の尊称で仏陀の異 名としても用いられるが,小乗では仏陀以外で理想の境 地に達したものを阿羅漢といい,……また釈迦の没後経 典編集に加わった500人の弟子の数から五百羅漢の称が 生れたという。……五百羅漢の像を安置して著名なもの に羅漢寺がある。」
 松雲禅師は京都の仏師であったが,九州耶馬渓にある 羅漢像をみて一念発起し,江戸に出て托鉢をしながら資 金を集め,自力で五百羅漢を彫り上げたとのことである。
 しかし年月を経る間に一部は散逸して,現在残ってい るのは287体とのことである。287体は羅漢寺のなかに 静かに座り,また立っている。彫刻後の長い年月が木肌 を傷めてはいるが,約300年近い歳月の重みがどっしり と各羅漢像を包んでいる。ある羅漢は笑い,ある羅漢は 叫び,またある羅漢は冥想している。その表情や姿態を 一つ一つ変えながら,それぞれが人の喜怒哀楽をリアル に表現し,見る者に何かを語りかけているようである。
 松雲禅師という人がこれだけのものを,しかも10数年 という長い年月にわたって精根を傾けながら自力で彫り 上げたということには,全く驚かされる。このような大 きなエネルギーは一体どこから湧いてきたのだろうか。
 古いものは時代の進展とともに次第に忘れ去られがち になっていくなかで,目黒の街の身近な一隅にも先人が 1つの事業にかけた執念と,時代をこえて現在の人々を も強くひきつけ,また人々にうったえてくる偉大な足跡 があることをいまさらながら深く身に感じながら,夕暮 れ近いなか,私は寺をあとにしたのであった。

(次長)



短   信


第24次南極観測隊帰国

 第24次南極観測隊(前晋爾隊長以下35名)は3月24日 空路帰国した。一方,新南極観測船「しらせ」は4月19 日東京港へ帰ってきた。
 当所から参加した田中,山崎両隊員が担当した電離 層部門では電離層観測用の30mデルタアンテナ,レーダ 用コリニアアンテナの建設をはじめ,オーロラレーダ, 112MHzの新観測装置の設置など観測設備の充実を図っ た。研究観測ではMAP計画の一環であるVHFドップ ラレーダ観測はほぼ順調に行われ,各モード合せて108 巻のMTデータを取得した。
 1983年5月には昭和基地周辺の海氷が基地開設以来初 めて全て流れるなど自然環境の変化に悩まされたが,24 次隊の主な観測であったMAP観測,バイオマス観測, 東クインモーランド地域調査等の計画はほぼ順調に行わ れた。みずほ基地では氷床ポーリングで目標を大きく上 まわる411mを記録した。又,帰路は25次隊に協力をし セルロンゲーネ山脈に第3の基地候補地を選定した。


▲30mデルタアンテナ建設作業



マルチビームアンテナ完成

 当所では55年度から衛星用マルチビームアンテナの研 究開発を続けてきたが,このたび19ビームマルチビーム アレーアンテナが完成,4号館屋上に設置された。アレ ー形式の採用も,19という多数ビームを持つ本格的マル チビームアンテナの開発も我が国では初めてである。
 マルチビームアレーは多数ビームの形式や隣接ビーム の接近が容易で,又反射鏡のようなスピルオーバがなく 移動体衛星通信や衛星間データ中継等に適している。
 これまでに,マイクロストリップアンテナを用いた新 しい素子アンテナやこのアンテナシステムの心臓部とも 言えるビーム形成回路の簡易化と高性能化の研究を行っ てきた。今回,開発したこれらの構成デバイスを用いて 組立て,総合調整を行いマルチビームアレーアンテナが 完成したものである。



新計算機システムの導入

 当所の共通使用計算機システムは,59年度から新シス テムACOS-850/10で運用することになり,去る4月23 日,若井所長のスイッチ投入による始動式が行われた。
 新システム導入の動機は,所内の大形ジョブの増加や 衛星実験関連の大量の磁気テープの保管問題等に対し, 旧システムでは対処が困難になってきたことによる。
 システム変更の主な点は,メインフレーム(アレープ ロセッサ付加)の更新のほか.MSS(マスストレージ システム),ページプリンタ,フロッピィディスク入出力 装置の新設等である。これらの新機能により,ジョブの 処理速度の向上,記憶容量の増大のほか,記憶媒体の多 様化,日本語処理,図形出力処理等が可能となり今後当 所の業務の推進に一層貢献することが期待されている。


▲若井所長による始動式



昭和59年度 本省協力依頼研究調査事項決まる

 標記協力依頼事項の実施について,本省技術調査課と 企画部間で調整してきたが,4月24日の所議において決 定された。今年度は継続課題として「国内航空海上通信 衛星システムの研究開発にかかわる協力」ほか11課題, 新規課題として「微弱機器の測定法に関する調査研究」 ほか5課題の計18課題を実施することになった。なお, 「実用衛星(CS-2,BS-2)の開発にかかわる協 力」ほか4課題は前年度で終了した。



創立記念施設一般公開の御案内

 当所では8月1日の創立記念日にちなみ,施設の一般 公開を実施する計画でおります。
 一般の方々にもわかり易い内容になるよう全所を挙げ て行う予定ですので,多数御来所いただきたく御案内申 し上げます。
 公開日時  昭和59年8月1日(水)10時〜16時
 公開場所  本所,支所(鹿島,平磯)及び電波観測所
       (稚内,秋田,犬吠,山川,沖縄)