新年のごあいさつ


所長 若井 登

 明けましておめでとうございます。昭和60年は我が国 の電気通信界にとって大きな変革の年であるとともに, 当電波研究所にとっても,これからの進むべき方向を左 右する重要な年になります。といいますのは,旧臘29日 に決定をみた,昭和60年度予算政府案において,当所の 組織改正が認められたからです。
 御存知の通り,昭和27年に発足以来,国内公衆電気通 信を独占してきた日本電信電話公社は,本年4月から株 式会社になります。その意味するところは誠に大きく, これを契機に我が国の電気通信事業は,21世紀に向けて, 競争原理を導入した,より活力のある形に変貌を遂げて ゆくと思われます。

 電波とその利用に関して,先導的研究を行うことを使 命とする当所も,無線通信研究を介して電気通信事業に 参画しているのですから,上述の公社民営化や,昨年頃 から急激に熱気を帯びてきた情報通信技術の展開と無縁 である訳はありません。その上,国として有線通信の研 究を行う機関が,皆無になるとなれば,最も近いところ にいる当所がこれを負うのは当然のことでしよう。すな わち当所としては,有線・無線を統合した,いわゆる総 合電気通信をも包含して,より間口の広い研究所に発展 すべきであることは自明の理です。
 電波の利用分野は通信だけではありません。電波を用 いて,物やその状態を測る,いわゆる電波計測とか電波 リモートセンシングの分野にも,電波の利用が高まって います。従って当所はこの分野の技術開発も,今までよ り以上の力を注いで行かなければなりません。

 このように今後ますます増大する社会の要請にこたえ るためには,当所としては大きな脱皮が必要です。
 そこで昨年4月に所内に機構改革検討委員会を発足さ せ,郵政省設置法に定める所掌から始って,研究課題, それを遂行するための機構などを,長期的視野に立って, 根本的に見直す作業を開始しました。この委員会には, 次の世代を担う若い研究者が多数参加して,積極的な討 議を展開し,予定通り12月末に答申案が完成しました。
 一方その作業と並行して,昭和60年度からの実施を目 指して,総務庁および大蔵省ヘ,研究室と研究課題の新 設を含む組織改正を要求したのです。要求資科作成の段 階では,現に当所が行っている日本標準時を定める業務 や電波の利用に関する研究を行うことなどを,所掌とし て明文化することも検討したのですが,他省庁とのから みなど諸般の事情により,果たすことができませんでし た。この点誠に残念ですが,近い将来必ず実現させたい ものと思っています。それには当所の役割ならびに実績 がひろく世に認識され,当所に対する評価が確立される よう努力するしか方法がないのでありまして,所を挙げ ての一層の奮起が望まれる所以です。

 当初の構想に比べれば不満足なものですが,本年4月 からの組織の改正は認められました。人員配置を含めた 具体的な姿は後日に譲り,今回は新組織の一端を,その 狙い,現組織との相違点などを中心として,御紹介いた します。(但し変更のない総務部,特別研究室,支所, 観測所については割愛します)。
 電波研究所の新研究部は,企画調査部,情報管理部, 総合通信部,宇宙通信部,通信技術部,電波部,電波応 用部、標準測定部の8部です。

 先ず研究テーマを発足させるための第一段階である調 査と,現実のテーマを機能させるための企画とを一体と して,企画調査部とします。この中には現在の企画部の 中の研究支援部門が除かれていますから,新しい部はよ り純粋な形といえます。研究を支援する大型電子計算機 の役割は今後ますます大きくなるので,現在の情報処理 部から計算機研究室を取り出し,これに電離層観測と電 波予報の業務,更に前述の企画部内の支援部門を加えて, 情報管理部とします。

 当所を有線・無線を問わず,総合的な電気通信の研究 所として特徴づけるのが,総合通信部であって,この部 では,放送を含め,今後の発展が予想される多様な通信 形態,および電波の利用が高まれば高まる程重要になっ てくる,電波同志または人と電波のかかわり合いの問題, すなわち電磁環境などを所掌とします。電波通信の中で, 技術開発課題の最も多いのは宇宙通信の分野です。これ を所掌する宇宙通信部は,固定衛星通信と衛星放送を担 当する研究室と現海洋研究室で生れたEMSS計画を推 進しながらさらに衛星による総合的移動体通信技術の開 発を行う研究室と,宇宙通信に特有な基盤技術を研究す る研究室とで構成されます。

 通信は人間同志の情報の交換ですから,情報を通信路 にのせるまでの処理が非常に重要です。いわば通信の基 礎技術とでもいうべき分野を,現在の情報処理部と通信 機器部とから抜き出し,さらに通信媒体として今後ます ます重要になろ光の技術と,マイクロエレクトニクスの 分野を統合したのが通信技術部です。今回の組織改正に あたって,現在と名称の変らない研究部は電波部だけで す。しかし電波予報と地球環境の計測に関する研究室が 他の部に移るので,最も基礎的な電波の伝わり方と媒質 に関する分野が残った形になっています。

 現在の衛星計測部は,かっての衛星研究部が母体であ ったので,衛星という字がついていますが,発足の当初 から電波計測全般を所掌する部としてその発展が期待さ れていました。それが現実のものとなったのが電波応用 部です。電波に限らず光領域の計測に関しても,また地 球近傍から宇宙規模までのリモートセンシングに関して も担当することになっています。今回の改正にあたって 強化された部の一つです。

 当所は,研究だけを行っている一般の国立研究所と違 って,電波予警報,標準電波発射,無線機器の型式検定 と較正などの,いわゆるサービス業務を持っています。 昨今の電気通信の発達により,検定対象機器の種類と数, および周波数・電圧などの較正要求は日に日に増えてい ます。これらのサービスを改善するために,国家標準の 維持と改善を行う研究室と,業務を行う課とを一体にし て,有機的に機能させるのが標準測定部です。

 この他,平磯支所では超高層研究室から通信障害予報 研究室への名称変更が行われます。
 以上が組織改正のあらましです。当所としては,仏作 って魂いれずのたとえにならないよう,この新しい組織 に適材を配するのは勿論のこと,これを機能させるよう 万全の努力を尽さなければなりません。その次には,今 回の組織改正に盛り込めなかった複合システム研究室の 増設や,機構改革検討委員会の答中に記載されている懸 案事項を一つ一つ解決してゆく仕事が待っています。
 次に昭和60年度予算の内示の状況について中し上げま す。ここ数年続いているシーリングは今回も重くのしか かって,60年度は要求の段階ですでに前年成立額より1 億7千万円も少い,約43億円という額で要求資料を作ら ざるを得ませんでした。そして結果的にはこの金額の約 2%が減額されて内示されました。すでに今年度から人 件費は総経費の50%を超えています。残額も大半は電力 料等の経常経費に占められているのですから,残された 研究費は極めて窮屈なものとなっています。その上定員 の削減がかかるので,研究者の確保にも大きな制約を受 けています。このような状況は当所だけではありません。 国立試験研究機関共通の窮状です。早急な対策または解 決が望まれるところです。

 当所を取巻く情勢はこのように厳しいものではありま すが,我々としてはそれでも研究成果を挙げ,社会の要 請に応えなければなりません。
 思い起こしますと,昭和20年代の中頃は,電気通信界 にとって戦後の秩序を確立した画期的な時期でした。そ して30年余を経た今,電気通信行政の改革,日本電信電 話公社の民営化,多様なニューメディア登場に代表され る情報通信技術の急展開など,日本の電気通信界に大き な変貌が起っています。
 自分が時の流れの中のどこにいるかを自覚することは 非常に重要なことです。我々電気通信の一角を担うもの としては,昭和60年という年の意味と重さを再確認して, 全所員力を合わせて研究に精進する所存です。関係各位 の相変らぬ御支援と御鞭撻をおねがいして年頭の御挨拶 とします。




雪国秋田のお正月


秋田電波観測所

 新年おめでとうございます。雪国秋田では,この時期, 昔ならさしずめ冬ごもりの真最中といった所ですが,昔 と違って今はスキーにスケートに,結構活動的な冬を過 ごしています。秋田は日本海に面した多雪地帯に在り, 他の観測所の所在地とは少し異なった趣を持っています。 それと同時に中央からの交通の便が悪い事から陸の孤島 と言われるのも特色の一つです。もっとも,こう言われ る様になったのは近年になってからです。
  

秋田の歴史と風土
 縄文時代には既に秋田は日本海における海上交通の要 衝となっていたとの事です。南方からの海路は勿論,特 に北方からの海路の拠点として津軽と共に栄えた事は多 くの遺跡が物語るところです。例えば鹿角市にある,発 見当時宇宙入が造ったのではと思われたストーンサーク ルと呼ばれる直径40〜50mにも及ぶ壮大な円形の組石は, 古代の祭祀場とも日時計とも言われて,日本の縄文時代 を代表する遺跡の一つです。また秋田犬の血液型は北海 道犬と同じA型で,ヨーロッバ犬に通ずるものであり, 日本の他の地方の犬がG型であるのと好対称をしていま す。太古の昔から人間の良き伴侶であった犬が北の海路 を通って西欧から運ばれてきた事は秋田の馬のルーツと 共にほぼ間違いないでしょう。そして当然の事ながら, 人の交流もあったと考えられ,秋田美人の持つ白い肌は, 長い冬がそうしたのでも,はたまた佐竹の殿様が水戸か ら美人狩をして連れて来たものでもなくて,西欧の血を 引いているからだと解されています。

 時代が下るにつれて南方から稲作が伝わり,広大な未 開の地は奈良,平安時代を通じて開拓されやがて現在の 様な水田王国となるのですが,それに連れて中央の権力 も北上し,708年越後国出羽郷が現在の山形県庄内に建 てられました。それが拡張されて現在の秋田県をも含む 様になると共に国府としての出羽柵も秋田に移されたの です。その後この出羽柵は次第に整備されやがて秋田城 となったとされています。この頃の秋田城は現在千秋公 園となっている城跡とは異なり,ここから西方数kmの海 岸に近い現在の土崎神明社境内にあって湊城と呼ばれて いました。この湊城は中世を通じて数百年にわたって多 くの領主がこの地を治める為,又海運の利便の為に居城 としましたが,佐竹義宣が手狭である事と海運の必要性 を認めなかった為,1604年現在の地へ移したものです。 佐竹氏は水戸城主でしたが彼の律義さが却って家康に不 安を与え,1602年ついに榊原,花房両上使から石高を示 されないまま出羽へ国替を命ぜられたのです。石高が確 定する迄の62年間は,大名の家格と藩財政に不安定さを 伴うものでしたが,この当時からすでに国の宝として育 成されてきた秋田杉は秋田に在る多くの鉱山から産出す る金銀等と共に藩の安定に重要な役割を果していました。 一方で民衆を治める事も藩の安定に必要な事ですが,為 政者は庶民と共に尊崇できる神社を建て年二度,夏と正 月に祭を行なって無礼講を許し庶民のうっぷんを発散さ せたのです。秋田市の北東にある大平山三吉神社は佐竹 氏と関係が深く,今でも毎年1月17日に行われる「ぼん でん」は有名な正月行事の一つです。また8月5〜7日 に行われる「竿灯」は商人町に発生した祭ですが佐竹義 宜が賞賛した事から盛んになり現在でも東北三大夏祭の 一つとして有名です。これらの祭に欠かせないのが酒です。 秋田は飲酒王国であることは今も変らない周知の事実で す。これは同時に酒造王国をも意味していて「東北の灘」 等と言われる酒産地であることは確かです。酒造が盛ん になったのは元禄以後とされ,当時の藩主は酒造を禁止 する事はせずに「・・・侍にも米作りの百姓にも,酒を多く 作って酒米が多量に消費されるほど良く・・・」と言ってむ しろ酒造りの妥当性と その経済効果を指摘し ているのです。酒造り が盛んになったのは秋 田が良質米を安定に産 する事にもよりますが, これが為に「一米の沢 山なるままに,平生遊 び暮しにてすむ事なり」 とも「・・・だから娯楽的 芸能などが発達することになる」とも言われて,のんび り屋で華やか好きな秋田人気質を生む原因になったので しよう。また秋田は民謡の宝庫でもあり,その旋律は同 じ東北の他の地方と比べても比較にならない程明かるく 軽快である事もこの様な理由によるものでしよう。


男鹿のなまはげ

  

お正月と行事
 師走も押し迫って来ると,家々では餅をつき,しめ飾 りとお正月科理を作る等お正月を迎える準備に忙がしく なってきます。農家ではお供え用の鏡餅とオカノ餅と呼 ばれるくの字に曲げる等の独特な形をした餅を家族数だ け作ります。オカノ餅は神に供えた後,他人に食わせる と土地が他人に渡ると言って家族だけで雑煮等にして食 べます。しめ飾りも済ませて大晦日には「すしハタハタ」 と呼ばれる丸ごと麹漬したハタハタ(鱈)を食べます。 これを食ぺないと年越をした気がしないと秋田の人達は 言いますが,「秋田名物八森ハタハタ…」と歌われた鱈は 近年極端な不漁で地物は非常な高値を呼んでいて年越も まゝならなくなっています。もっとも,味が悪いと言わ れる韓国産ハタハタは多く出回っていますが。

 大晦日の夜,男鹿ではナマハゲの行事が行われます。 男鹿火山中腹にある赤神神社五社堂に若者が集まり,悪 鬼の面を付け海草で編んだ蓑を着て手には出刃包丁,手 樋等を持ち,神主の祝詞を受けた後,数人が組となって 一斉に山を下るのです。そして吹雷の中を「ウォーウォ −」と叫びながら雪に埋れた家々を回り居間へ上って子 供や若い嫁に「エダガー(居たかの意味),泣くガキエダ ガー(泣く子は居るかの意味)」等と言ってあばれ回るの です。家の主人は子供をかばい,酒,餅などを用意して 鬼達を宥め丁重にもてなして帰すのです。この行事の起 源については諸説ありますが,一説に怠けて火にばかり あたっていると火形が付くので,火形の付いた怠者を探 し出して皮を剥ぎ取る「生身剥」に由来するとの説,ま たその昔,鬼の様な怪物(西欧人だと言われる)が海か ら上陸して来たとする説等があります。前にも述べた様 に北方との交流があった事からしてうなずける説でもあ ります。


 元旦の朝は雪をキュウキュウ踏締めながら初詣をした 後,家族揃ってトソを項き雑煮と魚を多く使った正月料 理を食べ団らんの一時を過ごします。
 2日には男鹿市で国の無形文化財に指定されている大 日堂舞楽が古式に則て舞われ新年の幸を祝います。その 他15日を中心にした小正月には各地で色々な正月行事が 行われます。

 秋田市,三吉神社の「ぼんでん」は各町内で作ったぼん でんを一番乗りで奉納するとその年に幸運が授かるとい う言い伝えから,ほら貝を吹き道行唄を歌って先陣を競 います。ぼんでんとは神社に奉納される飾り付けで色紙, 布等で飾り付けをした「まとい」の様な物です。

 六郷町,諏訪神社の「竹打ち合戦」はカマクラの一種 で,松の内を過ぎて下された門松等を神社前に集めて焼 いてから,数百本の青竹を用意して全町が南北二手に分 れて打合いその年の豊凶を占うものです。

 横手の「カマクラ」は子供達が道端に高さ2m位のド ーム状の雪室を作り内に水神様を祭ってローソクをつけ 甘酒,餅等を食べて,通行人にも「オシズのカミサンに キシンしてタンセ」と呼び掛け甘酒等をご馳走してくれ る習わしです。昭和11年ドイツ人ブルーノ・タウト氏が この幻想的な噺の世界を見て「こんな美しい物は見た事 がない」と激賞して以来,全国的に有名になりました。

 この他にも本荘,新山神社の裸祭り,大曲,郷社諏訪 神社の綱引等多くの正月行事があります。これらの行事 が終ると人々はひたすら遅い春を待つのです。

 本文を書くにあたり,次の文献を参考にしました。
「秋田の歴史」,「秋田美人の謎」,「梅津思宴日記」,「東 遊雑記」,「郷土人物事典」,「餅」,「みちのく秋田の風土 とくらし」,「秋田の味」,「秋田の祭」

(観測所長 一之瀬 優)




時刻コードの話


小林 三郎

  

はじめに
 時刻コードは,1950年頃から地球物理,宇宙,軍事等 各種の科学分野で,観測データに日・時データをつけて 記録するため,また,共通の時刻情報を分散している観 測点に分配するために,それぞれのグループごとに独自 の形式が考案され,使用され始めた。これらが1960年初 めには約40種類にも達し,米国内ではこれらユーザグル ープの間で,コード形式の標準化が進められ,その結果 現在あるような,SD(Serial Decimal:直列10進)時 刻コード,BCD(Binary Cord Decimal:二進化10進) 時刻コード及びPB(Parallel Grouped Binary)時刻コ ードの3系統におおよそ整理された。これらの代表的な ものとして,ミサイル開発グループのIRIG (Interrange Instrumentation Group)コード,アメリカ航空 宇宙局のNASAコード等の直列BCDコードと,両グ ループで標準化を提案しているPBコードがよく知られ ている。これらコードの形式と利用の概要を述べてみたい。
  

直列コード
 各分野で最も多く利用されているのがこの直列コード で,磁気テープヘの記録とそのデータ検索,ペンレコー ダヘの記録,時刻のデジタル表示,通信システムヘの利 用等応用面も多様である。この系列にも数種の形式があ るが,これらの構成にはほとんど共通の特徴がある。直 列コードの代表例として図1にIRIG-Hコードを示 す。


図1 IRIG・H直列時刻コード

 まず,一つの時刻情報は一定の長さのタイムフレーム に収められ,これの繰り返しであることで,その長さは 0.01秒から1時間まであり,0.1秒から1分までがよく使 われている。これらのフレームの初めの特徴のあるパル スが,フレーム内のコードの示す時刻の位置となってい る。
 次に,各フレームは,時刻の細かい目盛ともなる index period又はindex count intervalと呼ばれる等間隔 のパルス列で構成され,10パルス毎にP(position)マー クと呼ばれる幅の広いバルパがあり,これら がコード読出し時の同期に用いられる。フレ ーム内のPマーク以外のパルスが日・時の各 桁ごとに10進又はBCDコードでグループ化 され,1,0の情報はパルス幅の変化で重み 付けられる。各形式の追いは,各桁グループ の間隔や,フレーム内に収容されている付加 情報の内容によるものである。
  

並列コード
 並列コードは,計算機世代に入って高速自 動データ処理の必要に伴って発展してきた。 計算機には,10進化システムよりも,計算機 が直接取込める二進化システムが適している。 現在標準化が提案されているPBコードは, 慣習的な暦や時刻の単位ではなく,2進数グ ループで構成されている。その例を図2に示 す。コードは4バイトから,時刻情報の分解 能により8バイトまでの並列ビット構成とな っている。1日の時刻は,24時間(86,400秒) をr秒を単位とする2進数17ピットから,最 小1ns単位の2進数構成まで選択することが できる。また,日付は,1日単位の2進数14ピットで, その暦の基準にはユリウス日(JDN:Julian Day Number) を用い,その上位3桁を省略したTJD(Truncated Julian Day)である。ユリウス日は,太陽や月などに関 する周期から,紀元前4,713年の1月1日を起点と定め, これから数えた通算日で,改暦に関係なく年代の日付を 統一することができ,長時間のデータを扱う天文観測や 時刻標準関係では,多少これを修正したMJD(Modified Julian Day)が国際的に統一使用されている。JDNで 1985年1月1日は2,446,067日であるが,TJDでは 6,067日となり,約27.4年の不確さを持つ。しかし通年 日の1年よりは十分長いので,一般科学の長期データに は便利である。


図2 並列二進時刻コード(PB5)

  

時刻コード発生器、読取器
 時刻コードの発生器としては,内蔵した水晶時計又は 電源周波数に同期して指定された時刻コードを発生し, また,デジタル時刻表示器を有するもの各種が商品化さ れている。コードはほとんどがIRIGかNASAの直 列コードが標準仕様となっており,その出力はDCコー ドと,これを100Hzか1kHzで変調したもの及び並列BCD コードが同時に得られるものが多い。変調されたコ ードは磁気テープ記録等で広く利用されている。
 時刻コード読取器は,入力した時刻コードで日・時を ディジタル表示し,並列BCDコード,設定時刻との一致 信号などの出力を有し,磁気テープの内容を,記録され た時刻コードで検索するために,テープの正,逆両方向 で,また標準速度以外でも読み取れ,更にテープコント ロール機能を持つものもある。
  

標準電波と時刻コード
 標準電波は,標準周波数と報時信号を分配するための 専用電波であるから,ほとんどの国際的な機関の局が時 刻コードも供給していると思われようが,現在時刻コー ドを送出していろ局は全局数の1/5以下で,10局に満た ない。
 短波局ではWWV(米)が1960年から送出を開始し,W WVH(ハワイ),CHU(カナダ)がこれに続いてサービ スを行っていろ。WWV及ぴWWVHのコード形式は, 100Hzで変調ざれたタイムフレームが1分,index period 1秒のIRIGコードによく似た直列BCDコード で,標準報時信号と同時に変調され常時送信されている。 このコードを受信利用できるように,WWV又はWWV H局の受信機を内蔵したコード読取器も商品化されてい る。
 CHU局は,毎分31秒から39秒の間に300ボーのFS K(Frequency Shift Keying)変調方式で時刻コードを そう入している。
 長波の局では,DCF77(西独),MSF(英)及びWW VB(米)がよく知られており,いずれも1分フレーム, 1秒間隔のスローコードで送出している。これらの方式 は送信レートが遅く占有帯域幅が少いため,雑音に強い 簡易な受信機で利用でき,特に遠隔地での無人記録装置 で有効に利用されている。
  

衛星と時刻コード
 現在使用されている標準時は国際的に管理された協定 世界時(UTC)であり,いづれの国のUTCも1ミリ秒 以内で同期している。将来は,衛星による全地球的時刻 サービスが,地上系に代り主システムになるものと思わ れる。
 現在,米国のNNSS(Navy Navigation Satellite System),GPS(Global Positioning System),GOE S(静止気象衛星)などの衛星から時刻コードのサービス が受けられる。NNSSは米海軍が開発した航行衛星で あるが,1967年から一般に開放され,時刻コード専用受 信機が市販されている。また,GPSはNNSSの次の 測位システムとして開発されたもので,NNSSよりも 飛躍的に測位,時刻精度が高くなった。まだ完全にその 情報は公開されていないが,一部開放された機能を使う 受信機の商業的開発が米国をはじめ,日本でも進められ ている。当所でも,独自に開発した受信機により昨年 (1984年)から原子時計の国際比較を行えるようになった。 これらに使用されているコードは,いずれも専用の特種 コードで,衛星の軌道,時刻の補正などのデータが含ま れている。
 GOESは,地上の気象データ収集局への指令回繰(U HF帯)のメッセージの一定周期のすき間を利用して, 時刻BCDコードと軌道情報を時分割で割り込ませ,30 分で1フレームを構成しており,専用受信機も市販され ている。
 当所では実験用静止衛星BS又はCSを使って,テレ ビジョン信号に時刻コードを重畳する実験を行い,高精 度高安定な受信結果を得ている。これもBCDではある が特種なコード形式を用いている。時刻コードは,前述 のように一部標準化が進められてきたが,今後の高度情 報社会の二ーズに従い,更に新しい形式が開発,標準化 されて行くものと思われる。

(周波数標準部 標準電波課長)




祝 成 人


  

成人の日を祝して
 何れも58年度に入所され,この度成人式を迎えるこ とになられた庶務係の石沢勉君,一企係の高橋晃君, 試作係の中村賢司君の3名の方々に,心からお祝いを 申し上げる。成人式は満20才になった 若者が大人への仲間入りを果たしたと いう自覚の下に,自らの力で生きてゆ くことを誓う式であり,1月15日を国 の祝日として毎年全国的に祝い上げる ものである。男子の元服,女子の留袖 という形で11才乃至16才の時点で大人への転機を祝う 風習が古くからあったが,現在は選挙権獲得の20才を もって成人への年としている。成人式は各人にとり, 人生の大きな節目として極めて意義深き行事である。 私の長女も,今年成人式を迎えることとなり,親の立 場からも感慨深いものがある。電波研 究所の3人の若者達ヘ,更に大きく逞 しく成長し,21世紀へ向けての豊かな 社会作りの担い手として,夢と希望を もって雄々しく生き抜いてゆかれるこ とを念願する次第である。

企画部長 塚本賢一




石沢 勉

 成人式と聞くと大人の仲間入りをするわけです が,成人式が終わったからといって,急に大人にな るわけではありません。自分は3才の時に父親をな くしたせいか子供の頃から家族に迷惑をかけな いように,早く大人になろうと努力しなが ら今までやってきました。そのおかげ で高校生になった頃から自分で行動 したことに責任をとれるよ うな感じになってきたと思います。 (実際は,親に責任があるのですが精神 的な面だけ)。そして,成人式を迎えこれか らすべて自分の責任になるわけです。少しこわ いような気もしますが,成人式を起点として,人間 的に大きくなりたいと思っていますので,みなさん のご支援のほどよろしくお願いします。



高橋 晃

 成人式といってもあまりピンと来ない。自分の 知らない間に学校を卒業し,電波研究所に入って20 歳になってしまったという感じである。ここで,今 までの20年間を振り返って反省点をいくつか考えて みると,物事を考えてから行動を起こすまでの間が 長く,多少優柔不断ぎみな所があったこと等が上げ られる。なるほどこれでは人より一歩遅れているわ けで,“成人式なんてピンと来ないのもあたりまえ だ!”と言われそうな気がする。しかし,行動だけ が早いのも問題である。後悔の山を苦い思いをして 食べるのもいやである。それならばどうしたら良い だろうか。まず物事をすばやく判断出来る力をつけ なければならないと思う。20歳といってもまだ“青 二才”の部類である。もっと人の意見を聞くなどし て知識や経験を身に付けなければならないと思う。 僕もこの成人式を機会に自分の反省点を改めもっと がんばっていきたいと思う。



中村 賢司

 私も今年で20回目の1月15日というわけで,今度は 自分が成人式を迎えることになりました。 20歳になったからといって,急に子供から大人へと 変わるわけでもないので,成人となっての改まった抱 負というものは,特にありませんが,とにかく,やり たいことは沢山あって,できればどんなことでもやっ て行きたいと思っています。
 それから20歳を過ぎると一年たつのが,だんだんと 早くなって行くという話しをよく聞くので,ただ悪 戯には年を取って行きたくありませんし,何歳にな っても十代の時の若さを忘れずにいられたらと思って います。
 どこからみても,まだまだ 一人前の大人とはいえません が,成人ということなので, どうぞよろしくお願いします。







》職場めぐり≪

太陽電波研究室の近況


平磯支所太陽電波研究室

 太陽は,地上の生命にとってかけがえのない存在であ り,太陽が休むことなく光や熱や電波を放射し,そのエ ネルギーが地球上の生命現象の源泉になっていることは いうまでもない。太陽電波は光と並んで地上で直接観測 でき,しかも光と違って気象条件に左右されずに,太陽 面現象に敏感に対応して有用な情報を提供してくれるの で,太陽物理の研究はもとより,電波警報や宇宙環境予 報・警報にとっても重要な観測対象である。

 平磯での太陽電波の定常ベースによる観測は,昭和27 年3月,当時の伝ぱん係によって始められた。この装置 は4×6素子の通称「餅網」と呼ばれた赤道儀式自動追 尾空中線により200MHzにおける太陽電波強度を観測 するものであり,これによって,太陽活動を日中常時モ ニターできるようになった。その後,順次観測周波数や 施設が拡充,整備され,広い周波数帯で太陽をモニター することができるようになった。

 昭和41年4月に平磯電波観測所から平磯支所へ組織改 正が行われ,太陽電波,太陽黒点,リオメータ観測等が 太陽電波研究室に引き継がれ,今日に至っている。

 当研究室では以下に述べる2つのプロジェクトを進め ている。
(1)太陽電波定常観測:大小3基のパラボラアンテナ を用いて,100MHz,200MHz,500MHz及び9,500MHz の4周波数帯について定常観測を行っている。これは, 太陽面爆発(太陽フレア)に伴って活動領域から突発的 に強い電波が放射きれる(電波バースト)ので太陽フレ アの発生を探知し,その後に現われる地磁気嵐,電離層 嵐の原因となる太陽高速粒子の異常放射の有無を電波バ ーストのスペクトルの型で判断することができるためで ある。
 電波の観測のほかに,口径10.2cmの望遠鏡を用いて白 色光による太陽面観測(黒点スケッチ)も併せて行って いる。

(2)太陽及び衛星の電波に関する研究:ミリ波による 太陽フレアの研究は「ECS副局」の施設を使用して, 昭和55年4月以来32GHzの周波数で太陽観測を行ってき た。この間約3年半の貴重なデータを取得した。これま での結果から,ミリ波で見た太陽表面の特徴やミリ波電 波の放射機構,更に太陽フレアとミリ波強度の対応関係 等を調べることができた。詳しい内容は,熊谷が本ニュ ースのNo99(59年6月号)で紹介しているので参照された い。なお,ミリ波太陽電波観測は現在中断しているが, 鹿島支所のアンテナを使用した観測再開のため,室の総 力を挙げて取組んでいる。このほかに,衛星電波のシン チレーションの多点同時観測も行っている。

 現在の当研究室の陣容は室長,主任研2人,研究官2 入,技官1人の計6人である。平均年齢「ウン拾1歳」 とやや高齢化しつつあるが,当所のレクレーション行事 のスポーツ大会,ハイキング等には積極的に参加し,老 化は大敵と足腰の鍛練に励んでいる。昨年,異動によっ て転入され古巣に戻って張切っている磯崎主任研は,ハ ードに強く,博学で,若い頃から通称「ハカセ」の称号 を所員からたまわっている人。若い人も顔負けの馬力の 持主で,レク行事やスポーツ大会の幹事役を引受けて, 所員の健康増進に貢献している大部主任研は,太陽電波 観測データを取りまとめ,STE研究会で発表報告を担 当。物静かで口数は少ないが,運動神経は抜群。ハード, ソフトに強く装置の修理,製作,実験を担当している磯 辺研究官は,英文タイプの特技を生かし,内外研究機関 とのデータ交換も担当。当室の最若手で今後の活躍が大 いに期待されている熊谷研究官は,最近第一子「篤」君 の誕生で研究面でも一層油が乗ってきている。「ミリ波 と太陽フレアの研究」を担当。経験豊かで,この人に相 談すると難問も解決してくれる持主の大内(栄)技官は, アンテナ施設の維持に欠かせない存在,装置の補修,製 作を担当。

(大内長七)


前列左から大内(栄)、大部、大内(長)
後列左から熊谷、磯辺、磯崎


短   信


上田弘之氏(喜寿),中田美明氏
(叙勲・古稀)を祝う会開催


 上田弘之氏(元所長)の喜寿並びに中田美明氏(元第二 特別研究室長)の勲四等瑞宝章叙勲と古稀を祝う会が, 上田氏と中田氏御夫妻をお招きし,去る12月21日午後6 時から電波研究所講堂において開催された。
 師走の公私共に多忙の折にもかかわらず,OB48名, 現職員50名の有志が参加し祝う会は盛会を極めた。
 会は松浦電波部長の司会で進められ,発起人を代表し て先づ若井所長が挨拶し,両氏の長寿に対する祝いのこ とばと,在職時の電波技術の研究開発並びに電波行政へ の貢献などの大きな功績とその間のエピソードがユーモ アを交じえて披露された。引き続き御二人に記念品贈呈, 上田次長の発声で乾杯が行われ歓談に移った。宴もたけ なわの頃,参加者を代表して河野哲夫元所長から祝辞が あり,続いて司会者から祝電の披露,そして御両氏から 御挨拶が行われた。
 上田さんは,最近電波の勉強の他に「人類の進化と滅 亡」という論文を書きあげられたことなどを紹介され, 相変らず意気盛んなところを吐露された。また,中田さ んは人工衛星電波の受信や電離層特殊観測の苦労話しの 他に,和枝夫人をいかに射止められたかなども披露され ると,期せずして参加者から御二人に対するやんやの喝 釆となった。
 盛り沢山な料理に舌鼓を打ちながら,飲むほどに酔う ほどに話がはずんだが,8時新野総合研究官の音頭で乾 杯し無事会を終了した。


中田御夫妻(左)と上田氏(右)



経緯度研究会,鹿島支所において開催


 昭和59年度経緯度研究会(宇宙新技術および相対論位 置天文学シンポジウムと併催)が12月12日から15日まで 鹿島支所において開かれた。この経緯度研究会は1950年 に第1回が開かれ,34年の伝統をもつ会合である。本年 の研究会には約百名が出席し,最新の研究成果の講演と活 発な討論がなされた。この研究会では1.相対論・天体 力学・暦,2.観測機器・データ処理,3.極運動・自 転運動,4.月・衛星レーザ5.VLBI,6.地球 物理のセッションがもたれ,当所からは10件の発表があ った。また昼食時の休憩を利用した鹿島支所のVLBI 施設の見学には多数の参加者があり,大好評であった。 当所がすすめているVLBI技術の測地・位置天文学ヘ の応用に対する関係者の強い関心と成果への期待が感じ られた研究会であった。



ETS‐V/EMSS計画の模擬実験実施


 通信機器部海洋通信研究室では,ETS‐V/EMSS計画 (技術試験衛星V型による移動体衛星通信実験計画)に資 するため,昭和55,56,57年度に引き続き,海上移動デ ィジタル通信実験を,11月28日から12月13日まで,福井 県三方郡美浜町早瀬海岸において実施した。今回の実験 は,低仰角(約4.5度)に於ける伝搬特性の測定,フェー ジング除去技術の検証,ディジタル変調(MSK,24kbps 及び32kbps)方式による通信実験(誤り率,誤りパター ンの測定等)及びXバンド波の海上伝搬特性の測定等を 行うため,早瀬海岸に船舶地球局,海を隔てた天王山( 高度約250m)に模擬衛星局(水平距離約3.8km),海上 に波高測定用ブイ局を設置して行い,移動体衛星通信技 術の確立に必要な多くの貴重なデータを取得する事が出 来た。なお,現地実験所に,NHK社会部より,ETS- V/EMSS計画の紹介のための取材撮影があった。



電波研究所機構改革検討委員会の審議終る


 当所は,昭和42年6月に宇宙通信の研究開発の推進と 電波行政への積極的寄与を大きな柱とした大幅な組織改 正を行った。しかし最近における電波・電気通信分野の 目覚ましい変化・発展に対処し,総合電気通信と多様な 電波利用技術の研究開発及びその基盤的基礎研究の効率 的推進を図るため,当所の研究体制について全面的な見 直しを行う標記委員会(委員長:上田次長)が,昭和59 年5月8日に設置された。委員会は,内外の研究開発動 向と当所の役割,将来研究テーマ案,各部の連携方策, 組織改正要求案等について審議し,7月25日に昭和60年 度組織改正要求に関する中間答申,12月18日に研究の柱, 当面検討が急がれている研究・業務のあり方,将来研究 テーマ案等に関する最終答申をとりまとめ,所長に提出 した。
 昭和60年度組織改正要求の一部は,総務庁,大蔵省に 認められなかったが,昭和60年4月1日から本所の部構 成を総務部,企画調査部,情報管理部,総合通信部,宇 宙通信部,通信技術部,電波部,電波応用部及び標準測 定部とすることについては認められた。



周波数穂準器等の受託較正はじまる


 当所では,郵政省設置法第5条第22号の12の規定に基 づいて委託による無線設備の機器の性能試験及び較正を 実施している。較正は電界強度測定器をはじめ8機種の 受託を行ってきたが,かねてから指定検定機関や通信機 器メーカ等から強く要望されていた周波数標準器,電界 強度測定器較正装置,標準磁界発生器,高周波減衰器, 標準電圧電流発生器,直流電圧電流計,交流電圧電流計 の7機種について受け入れ体制が整備されたので郵政省 告示第952号(昭和59年12月14日)により正式に較正機 種として追加し受託を開始した。このうち周波数標準器 は,これまで標準電波等で間接的に較正していたものが, 当所が設定維持する国家標準により直接較正できること となり周波数の高確度利用に大いに役立つものと期待さ れている。