衛星利用パイロット計画


通信衛星実験実施本部

  

計画の背景
 1968年12月に米国ではいわゆるロストウ報告書が提出 された。この中で衛星通信政策に対してパイロット計 画の実施を勧告するとともに,その理由として将来の衛 星利用者,運用者,政策決定者が衛星を試験的に使用す れば,衛星システムの技術上,経済上,運営上の貴重な データを得ることが期待されるとしている。
 しかしながら,ロストウ報告の合理的な考え方は大統 領交代に伴い中止を余儀なくされた。その後,1972年に 至ってFCC(連邦通信委員会)がオープンスカイポリシ イを決定し,衛星通信分野にも自由競争政策が導入され ることになったが,現在全ての利用が必ずしも順調に行 われているとは言えないようである。待に企業活動の中 に初めて衛星通信を導入したときに多くの困難や問題点 があったことが最近の日本側の調査で指摘されている。 このことにかんがみ,日本では急激な自由化政策をとら ずに,パイロット計画を実施し実験的にでも衛星通信を 体験する機会を与え,ユーザ自身にも利用の便宜さを認 識させ,行政としてその新しい分野の利用を育ててゆく と言う政策をたてることにした。我が国においては第二 世代の実用通信衛星CS-3の利用の在り方を検討するため に昭和55年6月電波監理局長の私的諮問機関である電波 利用開発調査研究会の下に実用衛星部会が設置され,昭 和56年6月に報告書が提出された。この中で,衛星利用 の促進を図ための方策として,(1)自営通信の範囲の 拡大等の利用制度の改善(2)潜在需要を掘り起すために CS-3の利用に先立って,CS-2を用いて衛星利用の効果 を利用者が十分認識できる機会が与えられること等が必 要であるとしている。またこのために衛星利用に関心を もつ企業,通信事業者,関係行政機関等の協議のもとに, 「衛星利用パイロット計画」が策定され実施されることが 望ましいと提言している。
  

推進,実施体制
 上記の提言の実現に向けて,CS-3の利用促進及び利用 制度に反映するための政策として,郵政省は,「衛星利用 パイロット計画」を昭和58年度から5ヵカ年計画で実施す ることになった。この計画の立案には宇宙通信企画課が, また実施面での主導的立場には当所が当ることになった。 さらに関係者の意見を反映させるために郵政省内に「衛 星利用パイロット計画に関する調査研究会」(主査富永英 義早稲田大学教授)が設置された。この調査研究会は学 識経験者,利用関係者がらなり,パイロット計画の基本 方針の策定,実験項目の選定,実験結果の評価等につい て審議する役目をもっている。
 パイロット計画に用いる衛星は電波研が使用するCS -2の準ミリ波帯の1/5中継器を利用することとし,実験 項目は,必要性,実現性,将来性の高いものから選択し て,年度毎に定めるものとした。実験に必要な地上設備, 経費,要員等は原則として参加機関において負担するこ とになっている。
  実験項日については次の項日が選定された。
(1)コンピュータネットワーク実験
(2)新聞紙面等伝送実験
(3)CATVへの番組分配等画像伝送実験
なお,項日(3)については,実施計画の策定が遅れてお り,現在その計画について検討中である。
 第1図にCS-2の中継器の周波数配列とユーザを,第1 表に参加機関名等を示す。調査研究会の中には実験項目 ごとに作業班があり,参加機関から提案された実験計画 案を検討して策定し,また実験結果の取りまとめを行う。 実験実施上の中心的役割を果たすものとして実施打合せ 会があり,これは定例的に当所で主催する。この他,国 の機関を除く全参加機関で結成された運用実験参加者協 会があり,これが,地上の無線局の免許主体となってい る。即ち参加機関の地球局は全てこの参加者協会に所属 する実験局であり,一方宇宙局のF6,Ub5は当所が免許 人になっている。したがって参加機関の場合は当所との 異免許人間通信になる。


図1 CS-2準ミリ波帯中継器の周波数配列とユーザ


表1 58,59年度パイロット計画参加機関

 参加機関による実験は当所との共同実験を原則として いる。一つの実験グループは,地球局を自ら用意する実 験実施責任機関と,同じ実験に協力する実験参加機関と から成っている。グループ内のつながりは同一資本系列 であったり,電子計算機のメーカとユーザの関係であっ たりしている。新聞,通信社は全て他の機関の地球局を 借用するが独自の実験を行うのでこれもやはり責任機関 となっている。
 実験のために製作された地球局の数は59年度末までに 電波研を除き23(内車載4)局であり,設置場所として は関東15(3),関西が6(1),北陸,東北が各1局となって いる。実験形態としては,多くは関東関西間の対向実験 を行うため2局ずつ用意するが,1局のみ作ってもう1 局は他の局を借用するとか,3局を用意するところもあ る。地球局の規模としては5mφのアンテナで20Wの送信 機能をもつものが多い。これは,30GHz帯を使うため降 雨減衰補償も含めて,かなりの稼動率で運用できること を意図したものである。各参加機関が地球局,端局装置 の経費を負担してまでも参加する意図は,この先電気通 信事業が自由化されて自営通信業者の道が開かれ,自ら衛 星を使用できることになることを期待してのことと推察 される。一方で,地球局メーカとしては,機器の販売の 面においても参加することにメリットがあると考えられる。
 写真1に車載型地球局の一例を示す。これは,オフセ ットタイプのアンテナを使用しており,走行時には,ア ンテナを前倒して,中へ格納できるようになっている。


写真1 車載型地球局の一例(アンテナ1mφ相当)

 

コンピュータネットワーク実験
 第1表でわかるように,色々な業種の企業がさまざま の目的を持ってこの計画に参加している。その中で代表 的なものについて紹介する。
 現在,数多くの企業が大量のファイルを持っており, 1日のファイル更新量は1ギガバイトに達する企業もあ ると言われている。これらファイルのバックアップ施設 を遠隔地に持っているために,その間のファイル転送を 衛星を用いて行うことをねらいとしている機関も多い。 また広域に分散している交換局を衛星を介して結び,衛 星パケットネットワークを構築するとか,あるいはLAN 相互間を衛星によって結んでその広域化を図りたいとこ ろもある。これらのねらいを実現するためには,衛星通 信に適したプロトコル(通信規約)の開発や,機密保持 の問題が重要な課題であり,実験項目として多くの機関 が取り上げている。次に小型車載局を用いて,音声,小 切手や印鑑証明のようなイメージデータ等を伝送し,警 備情報や保安情報をセンタに送信したり,災害時の回線 の確保や臨時通信のために衛星を利用することをねらい とするものもある。このため,小型車載局の開発とその 運用件や機動性の評価が課題として取り上げられている。 また,衛星通信の特長である同報性を生かして,3局以 上が参加できるTV会議を実現するためにそのシステムの 開発を行い,運用評価実験を行っている機関もある。
 このように広範囲の目的をもって実験を実施している が,大部分の企業で衛星通信の経験がなく,また開始後 日も浅いため,現在までの実験は,衛星回線の品質の把 握や,既存プロトコルをそのまま遅延時間がある衛星回 線に適用した場合の性能評価に関するものが主となって いる。実験の結果,降雨時の回線品質については,今後 引き続いてデータ収集が必要であるが,晴天時について は回線品質は良好であること,9.6kbps〜4.8kbpsの伝送 速度ではパラメータを適当に設定することによりHDLC(*1) 手順が適用できること等が確認されている。
 当所のコンピュータネットワーク実験としては,東北大学 と共同で,簡易な時分割多元接続方式を用いたデータの パケット伝送について,そのプロトコルの研究を行っている。
  

新聞紙画等伝送実験
 報道機関の衛星通信に対する関心は高く,既にCS応 用実験において紙面伝送,写真伝送,データ伝送等の実 験を行い衛星利用の一歩を踏み出している。
 パイロット計画での実験は紙面の伝送に関するものと, ニュース素材の伝送に関するものがあり,前者はBER(*2) が10^-10以下という高品質回線を安定的に確保することが ねらいであり,後者は10^-6以下でよいが同報的に多数の地 点で受信できることを目的としている。現在,回線特性 の把握を終了し,実際の紙面を伝送してFEC(*3)やARQ(*4) の効果を調査している。ある新聞社ではパイロット計画 に参加して基礎的実験を行い,次に筑波の科学万博会場 において東京本社からの記事をNTTの衛星回線を使用 して受信し会場内新聞を発行するという半実用的な試み も計画している。また別の社では地上システムのディジ タル化に伴い,これを衛星線に接続してみる実験を行 っている。新聞,通信社は通信技術の面でも時代の流れ に敏感であるが,コンピュータ実験用の地球局を某社か ら借りているのは,経済性等に対してもかなり厳しい見 方をしているためである。
 一方当所の場合は,高品質回線を目指して30/20GHz 帯で問題となる降雨減衰に対する諸対策,例えば上り同 線送信電力制御,さらに,紙面伝送に要求される低誤り率 (BERl0^-10以下)等の研究を中心に進めている。
  

おわりに
 以上述べてきたパイロット計画の動きと関連して,(1) 衛星通信用プロトコル研究会(2)衛星.通信用中継器の利 用効率向上に関する研究会(3)新聞紙面等研究会(4)降 雨減衰に関する共同実験(5)CATVへの番組分配等映像 伝送実験に関する研究会等があり,ポストパイロット計 画関連の動きとして,(6)衛星マルチチャンネルアクセス システムに関する研究会(7)衛星通信の高度利用システ ムに関する研究会等がある。このほか新しい動きとし て,テレメディスン(遠隔医療情報通信)に関する共同 実験もある。これらは本省と相互に協力して行っている もので,(2),(5)については現在準備段階にあるが,残り は既に始動している。また郵政省の特別会計(郵便,貯 金,保険)部門からのパイロット計画への参画が本格的 に決まり,当所としても今までの経験を生かして,装置 の製作,実験内容等に協力してゆくつもりである。
 参加機関による実験や上記の各種研究会はまだ始まっ たばかりであるが,次第に活発になりかつ企業も熱意を もって取り組んでいるので,今後の成果が大いに期待さ れるところである。また,このパイロット計画は官,産, 学の共同研究であり,さらに米国で企画されて日の目を 見なかったものが日本で成功するかどうかという意味で もその結果は大いに注目される。
 最後に関係各位の一層の御理解と御支援をお願いしたい。
*1 HDLC(High Level Data Link Control)
*2 BER(Bit Error Rate符号誤り率)
*3 FEC(Forward Error Correctionl)
*4 ARQ(Automatic Repeat Request)




太陽地球間物理


松浦 延夫

  

まえがき
 標題が少しいかめしいが,平たくいえば,地球の自然 環境に太陽がかかわっている仕組みということになろう。
 地球は約46億年の昔原始太陽星雲から誕生したと考え られているが,それ以来地球とその周辺環境は太陽の影 響のもとで進化と変遷を遂げながら現在に至っている。 地球は現在でも地震,火山,温泉などの活動を通して, 内部の工ネルギーを表面に放出しているが,このエネル ギーは地球の誕生期に太陽から与えられ内部に貯えられ たものである。現在の地球大気成分の約20%を占める気 体酸素(O2)は,現在地球上に生息する生物にとって不可 欠であるが,誕生当時の地球大気には存在せず,太陽紫 外線による水蒸気の光分解や太陽光による植物の光合成 によって地球の周辺に徐々に蓄積されてきたのである。
 この気の遠くなるような永い歴史を理解することは, 地球とその環境の将来を予測するうえで重要な資料を提 供してくれるものであり,太陽地球間物理の対象となる ものであるが,本稿ではこの部分は割愛させていただく ことにして,現代における太陽と地球の関係について述 べさせていただく。
  

太陽からの放射線
 太陽が地球とかかわりをもつ因子は,潮汐の原因とな る太陽の引力を除けば,すべて太陽が放射する電磁波(可 視先線など)と粒子である。
 太陽放射線の源は,太陽中心部で水素の原子核がへり ウム原子核につくりかえられるときに発生する工ネルギ ー,すなわち天然の核融合炉の工ネルギーである。ここ で発生したエネルギーは輻射や対流によって太陽表面(光 球とよんでいる)まで運ばれ,温度約6000度の光球から その大部分が赤外線,可視先線,紫外線の工ネルギーと なって外部に放出される(第1図参照)。残りのエネルギ ーは光球の外側にある彩層とかコロナといった太陽の大 気に伝えられる。コロナは高温の電離した気体(プラズ マ)からなっており,そこからは電波や波長の短い紫外 線(極端紫外線),X線などが放射されている。コロナの 高温プラズマは惑星間空間に向って絶えず流れ出してお、 り,これを太陽風とよんでいる。太陽風はコロナ中の太 陽磁場の磁力線も一緒に運び出してくるので,太陽風の 中にはプラズマと磁場が存在する。太陽風の磁場は遠くから やってくる銀河宇宙線の侵入を抑制するはたらきをもつので, 太陽風の状態に応じて地球大気に降ってくる銀河宇宙線の強 度が変化する。また,太陽風は地球の磁場に吹きつけ,地球 の磁場を磁気圏とよばれる領域の中に閉じこめてしまう。


図1 太陽地球環境

 太陽から放射される電磁波のうちで,地球大気を透過 して地表に到達できるのは,太陽光と電波である。太陽 光は地上に熱と光を与え生物の生存に不可失であること から,人類は古くからその存在を知っていたが,太陽電 波の存在が知られるようになったのは比較的最近(1943 年)である。太陽電波は太陽の表面やコロナのようすを 知る重要な手がかりを与えてくれるので,種々の地上観 測が行われている。地表に到達する太陽光は波長にして 0.3μm(ミクロン)から4μmの範囲に分布する可視光線 と赤外線の一部であり,これらは太陽電磁波のスペクト ル全体のエネルギーの98%を占めている。1年間にわが国 全土に降り注ぐ太陽光のエネルギー量は,わが国で1年 間に消費するエネルギー総量(1979年の統計)の約200倍 である。
 太陽電磁波のうちで,紫外線,極端紫外線,X線は地 表に到達するまえに地球の大気に吸収されてしまうため, 地表に達することはできない。紫外線のうち波長0.2μm から0.3μmの成分は,成層圏(高度20km〜50km)のオゾン (03)によって吸収されてしまう。したがって,オゾンは, 生物にとって有害な紫外線をしゃへいして,生物を保護 する役目をしていることになる。最初に述べた地球の歴 史に戻るが,地球大気中の気体酸素が増えてオゾンがつ くられはじめたのは約4億年前であり,そのころから海 中植物に加えて陸上植物が出現しており,その後陸上動 物も出現している。すなわち,地上の環境が安全になっ たので,地上の生物が繁栄しはじめたのである。波長0.13 μmから0.2μmの紫外線は熱圏大気(高度80km〜700km) の酸素分子を光分解して酸素原子(0)をつくり,これか らオゾンがつくられる。波長0.13μm以下の極端紫外線 およびX線は,大気の分子や原子を電離してイオンや自 由電子をつくり,高度60kmから1000km付近の領域に電離 圏をつくる。電離圏には,イオンや電子が層状に分布す るE層,F1層,F2層などの電離層が形成される。電離 源となる極端紫外線やX線が変化に富む太陽コロナから 放射されるため,その強度も変化に富み,それにつれて 電離圏のイオンや電子の密度も変化する。
 電離層は電子のはたらきによって電波を反射する性質 をもっており,今世紀初頭におけるマルコニーの大西洋 横断無線通信実験を成功に導いたわけである。勿論当時 の人々は電離層の存在を知らなかったので,いろいろと 論議の的となった。1925年に電離層の存在が電波を用い た実験で確認されたことによって,電離暦物理,電波伝 搬の研究が盛んになるとともに,電離層反射を利用した 無線通信が実用化され,社会生活に採り入れられるよう になった。第二次大戦中,国内の電離層および電波の研 究体制の統一化を図るため設立された電波物理研究所の 流れは,当電波研究所に受け継がれ,現在でもわが国に おけるこの分野の研究の中心的な役割を果たしている。
  

太陽活動と地球超高層大気
 太陽の光球に出没する黒点は,太陽面上の特異現象を 代表するものであり,静かな太陽に比較して,強い放射 線を出すなど,太陽活動の中心的な領域である。
 黒点に関する記録は中国の古書などにみられるが,近 代的な黒点の観測は1610年にガリレオが望遠鏡を用いて 観測したことにはじまる。1843年,黒点の出現に約11年 の周期性があることが発見され,それが契機となって, 1851年には地球の磁気が激しく変動する地磁気嵐の発生 頻度がやはり黒点と類似の周期性をもって消長すること が見出された。当時は太陽の黒点と地磁気嵐を結びつけ るものが何であるかは勿論理解できなかったが,現在で はそれが太陽黒点周期にしたがって変化する太陽風が原 因であることがわかっている。太陽黒点と地 磁気嵐の結びつきは,太陽地球間物理の第一 歩といえるであろう。
 黒点の中心部の温度は周囲の光球よりも約 2000度程度低くなっており,明るさも周囲の 光球の約30%であるので黒く見えるわけであ る。太陽の光球下でつくられる極めて強い磁 場の磁力線が光球面上に浮き上がったときに 黒点ができる。太陽黒点を中心とする活動領 域上空のコロナは特に高温となっており,そ こでは先に述べた電波や地球大気の電離源と なる極端紫外線やX線の放射強度も強くなっ ている。したがって,電離圏のイオンや電子 の密度も黒点の消長につれて変化することに なる。最近,太陽コロナの一部に比較的低温 の領域があることが発見されており,これを コロナの穴(コロナホール)とよんでいる。 コロナホールの磁力線は黒点の磁力線と違っ て光球から外側に向って吹き抜けているので, 常時高速の太陽風が吹き出していることが知 られるようになった。太陽は黒点やコロナホ ールとともに約27日の周期で自転しているの で,地球の電離圏や地磁気嵐にも27日周期の 変化が現われることになる。
 黒点を中心とする活動領域でもっとも顕著 な活動現象が爆発的に発生する太陽フレアで ある。彩層からの赤色の放射線(Hα線)の明 るさが急激に増加し約1時間ぐらいで終わる 爆発現象を太陽フレアとよんでいる。太陽フ レアに伴って,コロナから放射される極端紫外線,X線, 太陽電波の強度が異常に増加し,またコロナで急激に加 速されて発生する高エネルギー粒子(太陽プロトン)が 放射され,コロナから普段より高速の太陽風が流出する。 太陽フレアに伴うこれら一連の太陽放射異常は地球側に 種々のじょう乱を起こすことになる(第2図参照)。


図2 太陽フレアに伴って発生する諸現象の地球における出現時期

 太陽フレアによって発生した極端紫外線やX線の異常 増加の影響は約8分遅れで地球に現れ,昼側の地球の下 部電離圏(高度約60km〜150km)での電離作用を突発的に 増大するため,イオンや電子の密度が異常に増加する。 この現象は急始電離圏じょう乱(SID)とよばれ,電離 圏を伝わる電波にいろいろの影響を及ぼし,超長波から 超短波にわたる周波数帯の無線通信回線に障害や異常変 化が発生する。太陽フレアに伴って放射される太陽宇宙 線(主にプロトン)は地球の極域に侵入して下部電離圏 を異常電離するので,無線通信回線に障害や異常変化が 生ずる。高速の太陽風は地球の磁気圏に吹きつけ,磁気 圏を乱すとともにオーロラや地磁気嵐さらに熱圏嵐や電 離圏嵐など一連の地球嵐現象を引き起こす結果,無線通 信回線に障害や異常変化が生ずる。
 太陽活動周期に伴う電離圏の変化,太陽フレアに伴う 電離圏じょう乱など,太陽に関連する地球現境の変化を 予知し,関係者に警告するための電波予報警報業務を電 波研究所では国内・国外の関係機関との協力のもとに実 施している。
 黒点で代表される太陽活動は11年周期でいつも同じよ うに繰り返されるのかというと,決してそうではない。 第3図に過去5000年間における太陽活動状況の推移と気 象条件の推移を示してある。第3図で曲線Cは古木およ び老樹の各年輪から摘出した炭素の同位体C^14の量の変 化を示している(Cの異常増加を下向きにとってある)。 銀河宇宙線が大気粒子に衝突するときにC^14がつくられ るが,その量は銀河宇宙線の強度に関係している。地球 に降り込む銀河宇宙線の強度は,先にも述べたように太 陽風の磁場に影響されるため,黒点で代表される太陽活 動と逆相関で変化することが観測結果がらわかっている。 銀河宇宙線によってつくられたC^14は大気中に降下して 10乃至50年の時間遅れで地上の植物に吸収される。した がって,樹木の年輪中のC^14は太陽活動の化石として過 去の記録を現在に残しているわけである。第3図の曲線 Sは曲線Cから推論した太陽黒点周期変化の振幅を示す もので,黒点数の増加を上向きにとってある。これから 比較的最近に黒点数が極端に少ない期間が2度あったこ とがわかるが,それらはスペラー極小期(1460年〜1550 年)お、よびマウンダ極小期(1645年〜1715年)として知 られている。第3図の曲線Gはアルプス氷河の前進・後 退の時期,曲線Tは英国における年平均気温,曲線Wは ヨーロッパにおける冬の厳しさの指数を,それぞれ示し たものである。これら,G,T,Wの3曲線はいずれも 太陽活動の低下と低温気候とが対応していることを示し ている。太陽活動と気候とが何故関孫するのか現在のと ころわからない。


図3 過去5000年間の太陽活動状況と気象状況の推移

  

あとがき
 太陽地球間物理の極くあらましを述べたが,太陽と地 球との結びつきは雄大,深遠であり,未だ理解されてい ない事象が沢山残されている感が強い。自然環境と人類 活動の調和のとれた未来を切望するとともに,自然環境 の長期の観測記録が後の世代の人々にとっていかに貴重 な遺産であるかを痛感するところである。

(電波部長)




ナンシー第1大学に滞在して


大内 智晴

 昭和58年7月26日より昭和59年8月3日まで,フラン ス政府給費留学生としてフランスに滞在し,テレビジョ ン(TV)信号の処理について研究する機会を与えられた ので,その概要を報告する。

 ロレーヌ地方の中心都市ナンシーは,フランス北東部 に位置し,パリからはほぼ真東に350kmほどである。ち なみに,東へ100km,北へは50kmも行けば,そこはもう フランスではない。この地方は鉱物資源が豊富で,フラ ンスで最も早く近代工業が起った所である。現在も,フ ランスの鉄,石炭,岩塩の80〜90%を産出している。
 人口人20万人ほどのナンシーには,2つの大学の他にも 多くの高等教育機関や研究所がある。5月革命(1968年) 以降の教育制度は複雑であるが,産業界を含めて各種組 織の連携が活発に行われていた。

 ナンシー第1大学は,理学・医学系の学部で構成され ている。郊外の山の斜面に円や楕円形の建物が並んでい て美しい。だが作るのは大変であろう。筆者が滞在した 電子工学研究室は,Tosser教授以下4名の助手(日本の 助教授,講師に相当する)と4名の技術者で構成されて いる。学生は20名ほどであった。研究分野はTVの他に, 超音波を利用した計測及び医療への応用,金属物性など であったが,研究の重点はTV信号の実時間デジタル処 理とその応用に置かれていた。
 ここで使われていた画像入力装置は全て技術者と大学 院生による手作りであった。量子化する前のアナログ処 理で,ポジ−ネガの反転や差分演算などをしたり,デジ タル部では任意の階調の切り出しや白ぬき,ぬりつぶし が可能であるなど,オリジナリティを強調していた。
 筆者が到者して間もなく,医学部との共同研究が始ま り,顕微鏡写真の解析処理装置の開発を行うことになっ た。これは蛋白質のグラス分けを目的としている。また, 製材した本材の表面の状態を赤外線で計測する手法の研 究も開始され,筆者はその両方を担当することになった。 いずれも照明光の不均一性の影響を除き,画像の強調, 特徴抽出を行うことがその内容である。アナログ処理を 活用する方法と,コンピュータ上でのデジタルフィルタ による方法を試み,いずれも成果を得ることが出来た。
 研究室の面々の働きぶりは意外なほどで,朝8時から 夕方7時頃まで,かなり密度の高いものであった。もっ とも,フランス南部では,仕事は日本人と北の人間にま かせて,俺たちは人生を楽しむんだと言っているそうだ から,この地方の人たちは特によく働くのかもしれない。

 フランスのTVは全て国営で,VHF帯で2ch.UHF 帯で3ch.の放送が行われている。VHFの1ch.はE方式 (走査線が、819本)のモノクロで,UHFの第1ch.と同じ 内容である。VHFの他の1ch.が新しく始まった第4ch. である。これは勿論カラーであるが,画像がスクランブ ルされていて,専用のデコーダを必要とする。文字放送 はすでに実用化されていて,垂直帰線期間の2〜3ライ ンを使って放送されている。ただし日中は全画面を使っ ても放送していた。通常の番組は,休日以外は昼休みと 午後4時以降である。番組の内容には各局それぞれ特徴 があるが,夜は映画を放送している事が多かった。国営 ではあるが,CMを流している。ちなみにラジオでは, 多数の民放FM局が放送を行っているがCMは禁じられ ている。現在TVの民間放送が議論されていて,いずれ 認められるように感じた。

 ナンシーは,今世紀初頭のアールヌーポー発祥の地の 1つであり,その中心人物の作品には日本的なものを感 じさせるものがある。しかし,日本人と出合うことは極 めてまれであった。それどころか東洋人全体が珍しい位 で,町ではよく話しかけられた。ところが,“中国人?;’ “ノン”“ベトナム?;“ノン”以下カンボジア,タイ… でようやく“もしや日本人?”今もフランスから見て最も 遠い国であることをつくづく実感した。
 フランスで一番美しく,一番寒い所と言われるナンシ ー。冬の寒さの方は事実その通りであったが,筆者の滞 在中は数十年ぶりという暖冬で,近くを流れる大河モー ゼルを歩いて渡る夢はかなえられなかった。それでも, 昼間もヘッドライトをつけて走るほどの,どんより曇っ た陰うつな毎日であった。帰国した今,あの長く厳しい 冬の中にこそフランス人の生活があったと思い出される。

 今回,この様な留学の機会を与えて下さったフランス 政府,科学技術庁,郵政省の関係各位に深く感謝いたし ます。

(通信機器部 標準測定研究室 主任研究官)




エレクトロサイエンス研究所滞在記


大森 慎吾

 深い闇から溶け出した鈍く青白い光に機影が浮かぷ。 何を体験すべきか。何が体験できるか。何を体験させて くれるか。数時間後に迫る未知の世界に思いを巡らす間 にも湧きあがる朝日に視界が広がってゆく。サンフラン シスコで国内線へ乗り継ぐ。時間の流れを上り下りして コロンバスヘ到着。午後8時30分,成田発同日午後3時 30分。文字通り凝縮された時間を通過してアメリカでの 生活は始まった。
  

オハイオ州立大学とエレクトロサイエンス研究所
 科学技術庁長期在外研究員として1983年10月1日から 翌年9月30日まで,州都コロンバスの中心部に位置する 州立大学附属のElectro Science Laboratory(ESL)に 在籍した。大学は全米屈指の広大なキャンパスを誇り, 学生数5万人の大規模な総合大学である。州内は勿論, 全米50州すべて,国外は80か国から学生・研究者が訪れ ている。1873年創立と歴史も古く,美しい樹々と芝生に つつまれ,緑豊かな葉蔭から洩れる日射しに戯れるリス の姿が印象的だった。ESLは電気工学部に属し,1942 年にアンテナ研究所として設立され,改称の後現在に至 る。研究分野はGeometrical Theory of Diffraction(GT D:幾何光学的回折理論),アンテナ,アンダーグラウン ドレーダ(地中探査レーダ),衛星通信(ミリ波伝搬)が 主だがGTDを筆頭に高い研究水準にある。83年度の研 究予算は3300万ドル(80億円)。100%外部のスポンサー に依存している。予算の内,55%が国防省関係,22%が 電気・ガス関連会社と文字通り産学軍共同の研究システ ムである。構成員は教授15,研究員20,職員15,学生70 の計120名である。教授以外の研究員はスポンサーから の研究資金を給料として受けており正規の大学職員では ない。多くの大学院生も月額17〜25万円を“研究報酬” として受けている。
  

研究所生活
 客員研究員として一部屋を与えられる厚遇であったが 私にとっては不幸であった。積極的に机に向かわない努 力をした。閉じこもっていては何も得られないと感じた からである。着任後すぐゼミで電波研と自分の研究を紹 介。各種ゼミへの参加,毎週昼休みに行われていた有志 によるバイブル学習会等,可能な限りあちこちに顔を出 した。学生・教授の別なく議論をした。議論というより 雑談に近い。研究の話がきっかけになるが,多くの場合 話題がそれたし,それを好んだ。“議論”は研究の情報交 換から国民性,風俗習慣,宗教と多岐におよび,かつ国 際色豊かであった。学生の半数は外国人であり,上下関 係の稀薄な社会なので相手を選ばず自由に行動できた。 GTDの権威であるKouyoumjan教授やアンテナの研究で は世界的に知られるKraus教授らとの気楽な雑談は議論 以上の価値があった。当初学生と教授の区別がつかず困 ったが,これは外見上の問題にとどまらない事も知った。 学生といえども“給料”をもらっている研究員であり, 極言すれば師弟関係と言うより契約雇用関係に近い。「教 授を首にした。」と言って指導教官を換えた学生がいた。 常に学生の評価を受ける教授。金をもらい責任を負って 研究する学生。研究成果と引きかえに研究の糧を得る研 究所。家族的な雰囲気の研究所にも競争原理の社会シス テムは生きている。
  

生活雑感
 国内線で出た機内食のあまりのまずさに,これからの 一年間の生活に不安を抱いたのを思い出す。食品のみな らず衣料品,工業製品の質の悪さには驚いた。電球はす ぐ切れ,靴下は一日で穴があく。ザラ紙のようなレポー ト用紙に石のような消ゴムでは字が消える前に紙が破れ る。米国製の大型車に憧れて79年式を購入したが度重な る故障と,完全な修理が期待できない整備士の質の低さ には泣かされた。これでよくスペースシャトルが無事生 還するものだと真剣に思った。進歩的で新しい物を求め る反面,旧態依然とした物を使っている意外な保守性。 膨大な資金を注げば世界最高の技術力を発揮する能力が どこにあるのか。貧富の差同様,あらゆる面で格差が大 きく多面性のある国。それだげにあらゆる物を受け入れ, あらゆる物を生み出す能力を秘めているのかも知れない。 許容量が大きく,開放的な風土・糟神構造。研究所を去 るとき秘書のConnieさんが大柄な体で抱きついて別れを 惜しんでくれた。その豊かな抱擁力が鮮烈に印象に残る。
 最後に科学技術庁をはじめ関係諸氏へ深く感謝致しま す。

(通信機器部 海洋通信研究室 主任研究官)




≫職場めぐり≪

CCIRとのつきあい


調査部

 調査部は4研究室,業務係,部主任研究宮及び部長と いう構成で総勢8名である。電波観測所並みの小人数な のでひとまとめにして部の紹介をする。現在の当部につ いては熟年集団の感じを持たれようが,言いかえれば知 識経験豊かな分別あるグループなのである。

 さて調査部と言えば直ちにCCIR,と皆さんが連想す るほどCCIRとは因縁が深いが,こうなるまでに至る には先輩諸氏の並々ならぬ努力があった。
 CCIR(国際無線通信諮問委員会)への日本の対応は 主管庁である郵政省の電波技術審議会(電技審と略す) の第一部会を通して国としての寄与を行うが,電波研究 所からは所内のCCIR等対策委員会で検討して当所の寄 与文書に仕上げ,これを当所の部内専門委員を通じて電 技審の審議にかけることで寄与・文書が提出される。この 対策委員会は所を挙げて多くの職員が参加しており,こ れまでの寄与文書提出も多数に及ぶ。その活動の推進と 運営の事務局の作業を始めとし,CCIR関連事項の調査 研究等は国際技術研究室の仕事である。当所からの寄与 文書と共に,CCIR会議へ専門家を常に送り出して会議 への貢献もしたいというのがこの室の夢である。

 周波数利用研究室の周波数資源開発と有効利用は,技 術,行政両面での重要な,しかも古くて新しい課題であ り,技術の発展と共に推移して行くものである。かつて 未利用帯の開拓のために40GHz以上の電波伝搬の調査研 究を行った時期があり,調査が終った実験段階では電波 部に移り,この研究は実を結んだ。一つのテーマに取り 組むに当っての調査部の在り方を示す好例であったと思 う。現在では行政側の要望もあって周波数資源開発部会 等に参加し,既利用マイクロ波,未利用ミリ波帯での利 用形態の動向調査等を行っている。

 大小様々の送信機からの電波に人間も機器もさらされ ている今日,電磁波被曝の影響や許容限界などが問題と なってくる。これらの,いわゆる電磁環境問題について の調査を長年にわたり続けて来たのが電波技術研究室で あり扱うテーマも多様である。最近では誘導式通信につ いて電技審答申案のまとめなども行った。

 今どき短波というと時代遅れと言われようが,ことが 放送となると米,ソ連をはじめ世界各国が競って波をと ろうとする効率のよい電波である。この周波数割当てに 必要な技術的基盤として電界強度計算が重要であること から,通信調査研究室の最近の仕事は電界強度計算法に ついてのCCIRや世界無線通信主管庁会議への寄与を主 とした伝搬問題を扱っている。

 一方,当所の研究の方向を考えるために長期展望をす べきだということからこの様な課題について調査検討を 行っており,主任研究官の担当である。現在の如く技術 の激動期にあっての展望は至難の業と考えられるが,周 囲をよく見つめて自然体で行くのも一つの方法かと思う。 業務孫は対策委員会用庶務を担当し運営の支援もする。

 次に当部の職員をご紹介する。記事の順に,高杉敏男 室長,テニスは女性のみに教えるというほど達者,国際 人を目指す。山田勝啓室長,サービス精神旺盛なまとめ 役,電波研親睦会庶務幹事もつとめる。村上昭室長,音 楽やパソコンが好きな温厚な人,遠距離通勤者。竹之下 裕五郎室長,食物をよく噛むことを旨とし,休日は愛車 を駆って神出鬼没。中島政雄主任研究官,多趣味である けれど,今は専ら自身の健康管理を心がける。大内国男 業務係長,何でも叶えてくれ,特別打合せには趣向をこ らす。菊池セツ子事務宮,ラケットを持てば手強い球を 打ち,ギターの練習に励む紅一点。何年やっても下手の 横笛に性こりもない,部長,山下不二夫。

(山下不二夫)


後列左から 大内、村上、高杉、菊池
前列左から 山下、山田、中島、竹之下


短   信


カービィCCIR委員長の来所


 カービィCCIR委員長はNHK放送センターで開かれ たIWP11/6(高精細度TV標準,HDTV)に出席のため 1月8日から13日まで来日した。同委員長は会議に出席 の外,通信政策局長への表敬訪問並びにCCIRの研究活 動への支援要請,KDD研究所及び検査検定協会大井試 験所見学,NHK会長及び技師長とのHDTVに関する意 見交換並びに技術的支援要請等忙しい日程の中で,11日 午後来所した。当所では所長以下幹部の歓迎を受け,C CIR全般にわたる意見交換をすました後,電離層斜め観 測,CS-2車載局,電波リモートセンシング,移動体技術 衛星システム,スペクトル拡散方式通信,マルチビーム アンテナ及びミリ波伝搬に関する施設を3時間にわたり 見学し,関係者と意見を交換した。特に,電離層斜め観 測システムのSG3又は6への寄与の可能件について検討 する様依頼があった。その他,NHK主催の箱根ツアー にIWP参加者と同行したり,日本での多数の友人,知人 と旧交を温め,13日夜ジュネーブに向けあわただしく離 日した。


▲カービィCCIR委員長(左から3人目)



通信政策局・電波研究所連絡会議開催さる


 宇宙開発に関する標記の会議が本年1月23日に通信政 策局で開催された。この会議は宇宙開発計画やこれに関 連するプロジェクトの現状や今後の課題について通信政 策局と電波研究所の間で意見交換を行うことを目的とし ている。1年に1〜2回開催されており,略して「局研 連」と呼ばれている。
 今回の会議では,CS-2パイロット計画,ETS-V/EMSS 計画,マルチビームアンテナの開発に加えて,リモー トセンシングやVLBI等の現在進行中の宇宙関連プロジ ェクトの他,放送衛星利用実験,宇宙基地計画と静止プ ラットフォームの研究,将来の通信・放送衛星技術の研 究等の将来の計画についても活発な意見交換を行った。 また,当所の組織改革の概略,受託研究や民間企業との 共同研究に関する考え方,基盤技術研究促進センターな どの一般的な事項についても議論した。なお,当会議に は通信政策局から中津川宇宙通信開発課長以下13名が, 当所からは塚本企画部長以下13名が出席した。



電波研究所「最近十年間の歩み」近く発刊


 当所は去る57年8月1日で設立満30年を迎え,その記 念事業の一つとして,20年史に続く30年史の発行が計画 された。57年4月から次長を委員長とする年史編集委員 会を発足させ,全所的に取組んできたが,後々まで記録 に残るものとあって,一言一句に慎重な校正が行われ, 過密スケジュールの中で関係者は全編に目を通し,清書, 校正の作業を繰返して,12月に業者発注が完了した。印 刷の初校校正も山を越し漸く発刊の見通しが得られ,近 く発刊の予定である。