VLBIと岩石磁気


日置 幸介

  

1.はじめに
 ある自然現象を説明する物理法則が提唱され,立 証されたとき,そもそもの法則が成立つ時間的空間 的な範囲がどのくらいの広がりを持つかは別問題 である。古典的なニュートン力学は極微の世界では その支配力を量子力学にとってかわられ,また地球 のマントルは短い時間スケールで見ると(地震波の 伝搬等)まさしく弾性体として振る舞うのに何百万 年という地質学的な時間スケールで見ると流体とし て対流するといった具合である。従ってある自然現 象を説明する物理法則が見いだされたとき,その成 り立つ範囲を確かめようというのは自然な研究の流 れであろう。

 さて地球科学は最近の30年間に大変な発展をとげ たが,なかでも固体地球に関してはプレート・テク トニクスという地球の表層における造構作用(地球 上における地質構造を造り出す作用,テクトニクス) を統一的に説明する新しい概念が成立した。この理 論は,地球の表面が厚させいぜい百キロ程度の数枚 の大きな板(プレート)にわかれており,個々の板 は内部変形することなく独自の運動をしているとい うものである。地表でみられる多くの地学現象はこ れら板の相対的な運動を鍵として総合的に理解でき るというわけである。二枚の板が収束する(ぶつか る)境界線ではどちらかの板がもう一方の下に沈み 込み(海洋プレートと大陸プレートなら前者が後者 の下に沈み込む),その結果日本に見られるような深 発地震や島弧型の火山活動等が起こり,沈み込み口 では日本海溝のような細長い溝ができる。二枚の板 が発散する(離れてゆく)境界では湧き出した物質 が新しい板を造り,そこでは大西洋中央海嶺のよう な長大な海底山脈ができる。二枚の板がすれちがう 境界では有名なカリフォルニアのサンアンドレアス 断層のような巨大な横ずれ断層ができる。大陸プレ ート同志がぶつかれば,うまく沈み込みが行えずに その勢いでヒマラヤ山脈のような大山脈ができたり する。たかだか年間数センチに過ぎないプレート同 志の相対運動が生み出す現象はこのようにバラエテ ィーに富んでいる。
  

2.プレート運動の時間分解能
 さてここで最初の議論にもどると,プレート・テ クトニクスは空間的には全地球表面で行われている と考えられているが,時間的にはいったいどれくら い短い時間スケールで成り立つものなのであろうか。 プレート運動も地質現象の例に漏れず極めてゆっく りした動きであり,人間が何らかの方法で感知し得 る程度の変動量が積算されるのには文字どおり百万 年千万年,という地質学的な時間が必要である。たと えばユーラシアプレートに乗ったヨーロッパと北米 プレートに乗ったアメリカは大西洋の拡大によって 百万年間に何キロメートルずつ離れつつあるという ことはわかっても,我々に身近な単位の一年間や一 か月に何センチあるいは何ミリ離れたかというのは 今までわからなかった。

 従来プレート運動の百万年単位の時間分解能を与 えてきたのは古地磁気や海洋底の磁気異常などの岩 石磁気学の応用分野である。それに対してそれとは 違った新しい技術の応用でこの時間分解能を上げて 例えば一年毎のプレート運動を測定しようとしてい るのが超長基線電波干渉計(VLBI)である。長い 目でプレート運動を測る古地磁気/海洋磁気異常と 一瞬を測るVLBIという対照的な二つの方法につ いて詳しく見てみよう。


 プレート・テクトニクスにおける収束境界(海溝)と発散境界(海嶺)。 プレートの速度を求めるには海底の磁気異常の縦模様を読む方法とVLBI を用いる方法とがある。

  

3.古地磁気と海洋磁気異常

 古地磁気学というのは火成岩や堆積岩の持ってい る弱い残留磁化をもとに,その岩石の形成時の地球 磁場の様子を知ろうという学問である。火成岩が冷 えて固まり常温に近づく途中でその温度は岩石中の 磁性鉱物のキュリー温度を通過する。それらの磁性 鉱物はその自発磁化がよみがえる際に各磁性粒子の ポテンシャル、エネルギーが最小になるように当時 の地球磁場の方向に磁化し,岩石全体として当時の 地球磁場の方向に磁化する(熱残留磁化)。堆積岩も, 岩石の材料となる粒子が水中で積もっていく際にや はり磁性粒子が当時の地球磁場の方向に機械的に向 くために全体としてその方向に磁化する(堆積残留磁 化)。地球磁場はゆっくりと永年変化をしながらもあ る時間で平均すればその水平成分は地理的な極の方 向に一致し(地球磁場は反転を繰り返しているので 北極か南極のどちらかに一致する),また磁場方向が 水平面と成す角度(伏角)は極からの距離すなわち 緯度の関数になる。従ってある地質時代の岩石の残 留磁化方向からその時代の極の位置がわかる。極位 置は極自体の移動等でゆっくりと変化するので,求 められた極を時代順に並べていくと極移動曲線が得 られる。

 1950年代にはいると無定位磁力計という高感度の 磁力計の普及に伴って種々な大陸の様々な時代の極 位置が求められた。もしここで極移動が極自体の移 動のみの結果なら,地球上のどこの大陸から見た極 移動曲線も一致しなければいけない。ところが測定 データが増えてゆくにつれて違った大陸から求め られた曲線が古い時代でお互いに一致しないことが わかってきた。又これらの一致しない極移動曲線は, ある操作を施せば,例えば北米の極移動曲線とヨー ロッパの極移動曲線は大西洋を閉じて両大陸をぴっ たりくっつけるときれいに重なることがわかった。 これは元来一つの大陸であった北米とヨーロッパが のちに分離して現在の状態になったことを意味し, 大陸は地質学的な時間スケールで見れば何千キロと いった距離を水平移動する証拠となった。大陸の大 規模な水平移動という事実の解明は垂直変動のみを 考えていた従来の固体地球科学の大革命につながる。 その後海洋底地球科学における発展を経て1960年代 に登場し,新しい地球観として成功したのがプレー ト・テクトニクスである。

 新理論のきっかけをつくったのは古地磁気である が,実際のプレート理論の成立発展には海洋におけ る地球物理学的観測から得られたデータ(水深,地 磁気,重力,地震,熱流量)が重要な役割を果たし てきた。なかでも海面上で測られた地磁気異常は, その場所の海底の生成年代や過去のプレート運動な どを解明するための最も基礎的なデータになった。地 球表面における磁場は地球の流体核がつくる主磁場 と地殻岩石の誘導磁化や残留磁化に起因する短波長 成分とから成るが,後者は前者に対する磁気異常と 呼ばれる。プレートの発散境界である海嶺ではプレー ト間のすきまを埋めるために境界に沿って出てきた マグマが冷えて新しいプレートとなり海嶺から遠ざ かってゆく。これらの岩石は冷えて固まる時に1時 の磁場方向に熱残留磁化を獲得する。海洋底の岩石 を実際に海に潜って試料を採取するには一般に困難 だが,これらの岩石の残留磁化は海上における磁気 異常として比較的容易に検出できる。地球磁場は数 万年から数百万年の時間スケールで反転を繰り返し ているので(69万年前から現在までは正磁極期,そ れ以前の20万年間は逆磁極期という具合),新しいプ レートとなる岩石の熱残留磁化はその噴出時の磁場 の極性に応じて北向きや南向きになったりする。そ の結果海上において海嶺に平行な磁気異常の縞模様 ができる。地磁気逆転の歴史は陸上の岩石の古地磁 気調査とそれらの岩石の放射年代(岩石中に含まれ るある種の元素の放射性壊変を用いた岩石の絶対年 代)の測定によってある程度わかっているので,こ の縞模様のパターンを調べることによってあたかも バーコードリーダーで読むように海底の年齢がわか る。1960年代にはいると地磁気強度を手軽に測れる プロトン磁力計が普及し,船や飛行機で盛んに磁気 測量が行われ海底の年齢が次々に明らかにされた。 海嶺からの距離を,その場所の海底の年齢で割れば 平均的な海洋底の拡大速度が求められ,これが年間 何センチというプレートの運動速度のデータとなる わけである。
  

4.VLBI
 海洋磁気異常はプレートの相対運動速度を見積も るのに便利だが,もともと地磁気反転のパターンの みに基づいているので原理的にその周期以下の運動 に対する時間分解能はない。つまり百万年の間にプ レートが何キロメートル動いたかはわかってもそれ 以上細かい議論,例えばプレートは毎年着実に動く のか数年あるいは数十年数百年分まとめて一度に動 くのかということまではわからなかった。そこで我 々の生活レベルである数年の単位でプレートの相対 運動を測る新世代の技術として登場したのが VLBIである。VLBIの原理についてはここでは繰り 返さないが,星の電波を遠く離れた二点で同時に観 測することによって何千キロメートルと離れた二点 間の距離を数センチメートル以下の精度で測ること ができる。従ってVLBIで大陸が一年の間に何セ ンチメートル動いたかが実測できるわけである。こ れによって今まで地質学的な時間単位でしか見るこ とが出来なかったプレート運動を,100万倍の時間 分解能を持った目で眺められるわけであり,プレー ト運動の原動力やプレート自体の物性等の解明のみ ならず,地震の長期的予知などに強力な武器となる であろう。VLBIは1980,1990年代の新しい大地 の動きを測る道具として世界中の地球科学者の期待 を担っている。プレート運動の測定を目的とした国 際VLBI実験は昨年度から始まったが,うまくゆ くと本年度の実験のデータ解析が終わればこの一年 のプレート運動が検出されるはずである。

(鹿島支所 第三宇宙通信研究室 研究官)




新 札 雑 感


中橋 信弘

 昨年出た新札の肖像三人は,これまでとひと味違 った感じがする。そこで三人の足跡をとりとめもな くたどってみたい。

 今年は福沢諭吉の誕生150年である。前島密も同 じだそうだ。また一昨年は慶応義塾創立125年だっ たとのことである。周知のように諭吉は幕末から維 新への転換期の中で,漢学から蘭学,英語へと欧米 の文化・思想をむさぼるように吸収するとともに, 塾を開き,多数の著書を書いて在野の啓蒙思想家と して活動した。と ころでその活動の ばねとなったのは 少年時代の経験と いわれる。諭吉は 中津藩士の子とし て大阪に生まれる が,少年時代を中 津で過ごした。 当時そこの封建的 空気が反面教師と なって諭吉に志を 立てさせたようだ。 現在,中津には福 沢記念館があり, 20数年前に見る機 会があったが,大 変質素だったように思う。


 漱石といえば「坊っちゃん」が最もポピュラーで あろう。その中にお金にからむ話がいくつか出てく る。主人公の家に奉公していた婆さん(お手伝い) から小遣いをもらうが,がま口ごとトイレに落とし てしまうこと。主人公が赴任した四国の中学で,同 僚の英語教師(うらなり)が月給のことで校長に陳 情したところ,転勤させられるはめにあい,主人公 がいたく同情し,かつ義憤を感ずることなど。「坊っ ちゃん」は漱石39歳(1906年)の作品で,その翌年 旧制一高と東大の教師をやめて朝日新聞社に入り, 小説に専念することとなる。そして49歳で早世する までの約10年間に数々の名作を出したのである。

 新渡戸稲造(1862−1933)については,読みかけ の「矢内原忠雄全集」を通じて初めて知った。札幌 農学校(今の北大)に入学し,クラークの残したキ リスト教道徳に基 づく教育を受けた。 このことがその生 涯に決定的影響を 与え,“太平洋の橋 になりたい”との 志を抱かせ,実際 その志を貫いた。


 農学校を卒業後, 更に欧米に学んだのち,母校や京大,東大等で教鞭 をとり,一高校長を務める。その間,英文「武士道」 を出版し海外から注目される。晩年には,国際連盟 事務次長としてジュネーブに滞在した。

 新渡戸稲造は米国との関係が深い。米国への留学, 米国での「武士道」出版,夫人が米国人,日米交換 教授等である。特に満洲事変以後,対日感情が悪化 しつつあった米国に出かけ,日米関係改善のため努 力した。

 以上,新札の三人に共通しているのは,自由な心, 国際感覚,変革への積極性,体制とのスタンス等で あり,これらは今も新鮮であり続けていると思う。

(宇宙通信部長)




≫職場めぐり≪

考 舗 の 稼 業


情報管理部電波観測管理室

 組織改正で,新たに電波観測管理室となった我々 の職場は,どんなことをしているところなのか,和 名からはすぐにぴーんとこないのではないかと思わ れますが,英語ではIonospheric Observation Sectionと呼ばれるところ,というとこれは余り説 明しなくても中身がおわかり頂けそうに思われます。

 電離層観測は,電波研究所発足以前から行われて いる業務であり,連綿として継続している老舗の稼 業とでもいうべき仕事です。

 人工衛星などが情報伝達手段として発達してきて いる現在,短波通信の占める相対的な重要性が低下 し,従って電離層情報を必要とする社会的なニーズ も比較的少なくなってはきています。しかし短波通 信は,信頼件に問題はあるものの,手軽で経済的で あるなどの理由で今でも広く利用されています。

 我が宇宙船地球号は,母なる太陽の惑星として永 遠の航行を続けている。電離層の観測は,その大切 な環境の一部を常に監視していることであり,太陽 地球間の物理を主題とする一大ロマンを書きあげる 壮挙の1端を担うことでもあるので,国立研究機関 に課せられた大事な仕事と密かに自負しています。

 そんな訳で,武蔵野の面影を残す雑木林に囲まれ た閑静な建物で、昼夜の別なく毎日15分間隔で電離 層の観測を行ってきています。観測は自動的に行わ れ,結果は35oのフィルムに記録されます。

 このフィルムから電離層を代表する特性値を読取 り,Ionspheric Data in Japan(電離層月報)に まとめあげることも稼業の一部ですが,読取り作業 が可成り大変なので,電子計算機で自動的に読取ら せるシステムを完成させるための努力を,通信技術 部信号処理研究室と一緒になってすすめています。 これが目出度く完成しますと,国分寺はもちろん, 稚内,秋田,山川,沖縄のデータも電話回線で送ら れてきて自動処理されることになります。

 電波研究所は,東南アジアで観測された電離層デ ータを集積し,学術研究に供する電離層世界資料セ ンターC2を設置していますが,この運用も当室の “なりわい”になっています。

 さらに電波観測管理室は,これまでの電波予報研 究室の業務を引継いでいますので,3か月先の“電 波予報”を発行するための資料作成も毎月行ってい ますが,来年度には1冊で短波回線の電波予報のわ かる“新版電波予報”に切替える計画が策定された ので,そのための準備も行っています。

 老舗の“のれん”を守る面々は,合歓垣(ただの 巨人ファン),小泉(昔は名?キャッチャー),吹留 (植木・焼物相談承り所),栗城(ダサイ奥多摩ハィ カー),竹内(長持ち唄の真打),安藤(三段を窺う碁 キチ),永山(多趣味・特別釣キチ),野崎(南極の次 はスペースコロニー?),猪木(フランスワインなら 本場仕込み)の9人と作業契約会社の永井(習字・ 民謡がおはこ)です。

(栗城 功)


前列左から竹内、吹留、栗崎、小泉、合歓垣
後列左から安藤、永山、野崎、猪木、永井




外国出張報告


ICCC'84国際会議参加報告


ICCC'84(8th International Conference on Computer Communication)は1984年10月30日から11月2 日までオーストラリアのシドニーで開催された。会議の 内容は計算機間通信とはいっても,広く情報通信の分野 について,プロトコル,アプリケーション,ポリシー等, 通信回線の使われ方のあらゆる面にわたっている。近年 VAN,LAN,INS(ISDN)等の言葉で世間を騒 がせているように,この分野の繁栄を反映して参加者も 2000名を超えるマンモス会議であった。筆者はSatellite のセッションにお、いて「多元接続型衛星パケットネット ワークの構成法」として当所で開発中のコンピュータ・ ネットワークシステムの紹介を行った。
 筆者にとっては始めての外国出張であったが,領事ほ か現地の方々に大変お世話になり,楽しいシドニーを過 ごすことができたのは,なによりであった。

(総合通信部 情報通信研究室 主任研究官 伊藤 昭)



IEC/TC12会議に出席して


 IEC/TC12(国際電気標準会議無線通信専門委 員会)は,無線通信・放送技術に関する国際標準測定法 を審議している。本年は第49回IEC大会の一環として 昭和60年5月20日から25日,カナダ,モントリオール市 で開催され,TC12及びSC12F(移動無線分科委員会) に出席した。TC12は傘下のSCの活動報告が主な仕事 であり,最近次々に新設されたTC83,84等との所掌の 線引きがやっかいな問題となりつつある。今回カナダか らの提案でSpecial-WGを作りSCの所掌の見直しを委 ねた。SC12Fでは,データ受信機測定法及び隣接チャ ンネルヘの漏えい電力測定法を中心に,日本寄書3件等 をめぐりかなり厳しい議論を行った。前者では測定法が 現行とかなり変わるため,具体的問題点を明らかにし, 来年の会議に備える必要がある。国内対策委員会では近 々当所を中心に実験を実施するよう準備中である。なお, 今回中国の若い代表の活躍が印象的であった。

(企画調査部 国際協力調査室 主任研究官 久保田 文人)



氷のリモートセンシング in CANADA


 日加科学技術協議の協力分野に「氷害検出システム」 に関する共同研究があり,科技庁の二国間協力に伴う専 門家派遣費により,3月9日から17日にかけてカナダ国 内の関連する5か所の研究機関等の担当者と意見交換を 行った。(1)氷山の運動予測プログラムの入力に用いるこ とを目的とする,短波ドップラーレーダによる海洋表面 流及び氷山自身の運動のリモートセンシングについての 研究,(2)オタワのインテラ社が開発した,航空機搭載の Xバンド合成開口レーダ(STAR1)による氷海の鮮 明な映像−そこには氷の島から落下して氷海を連なって 漂う氷山の群が手に取るように見える一等が印象的であ った。
 短波ドップラーレーダも航空機搭載SARも我が国 では手が付けられておらず,北の氷海での商業活動とい うカナダの有する強いニーズが我が国との実力の差を生 んでいると感じた。

(電波応用部 電波計測研究室長 猪股 英行)



中国関係機関を訪問して


 日中科学技術協力協定に基づく,VLBI及び周波数 標準に関する技術協力,及び1985年日中共同VLBI実 験詳細打合せのため,昭和60年3月17日〜26日の10日間 にわたって上海天文台など4機関を訪問する機会を得た。 VLBI実験については,本年9月に鹿島26m及び上海 天文台6mアンテナの間で行うこととし,このためにK -3バックエンドの一つと6mアンテナ装置用フロント エンドを上海に運搬して使用する。また,実験時には 鹿島より2名の担当者を中国に派遣する。1986年以降 は,中国側の購入するMKVシステム及び新設される25 mアンテナを用いて,鹿島との間でVLBI共同実験を 進めて行くことを確認した。この外,上海標準計量局, 国立計量研究所(北京),北京天文台も訪問し,各機関で 周波数標準及びVLBIに関する当所の最近の多くの成 果を紹介して非常に感謝された。隣国中国の人と生活の 一端に直接接する機会を得,非常に有益な体験をするこ とができた。

(標準測定部 周波数・時刻比較研究室長 吉村 和幸)



SIR-B実験初期成果報告会に出席


 昨年l0月5日打土げられたシャトル映像レーダB (SIR-B)実験の初期成果報告会が5月13〜17日米国カ リフォルニア州パサデナ市のジェット推進研究所で行わ れた。NASA/JPLから行われた実験経過の説明で は,女性で初めて宇宙遊泳をしたサリバン飛行士もシャ トル上の状況を説明した。次いで各PIから20分の実験成 果報告が行われた。当所の較正実験は他にくらべ詳しい 結果が得られており,JPLの担当者の報告にも引用さ れた。また海洋油汚染の実験はヨーロッパでも行われた が,シャトルから汚染域を確認できたのは当所の実験の みであった。初めての経験で,少ない予算と研究者でか なり無理をして行った実験であったが報われた思いがし た。SIR-B実験はデータ伝送系の不具合で全体とし ては20%程度のデータ取得率であったので再飛行につい て検討されていたが,1987年2〜3月,極軌道と決定さ れた。実験チームとテーマはそのまま引継がれる。

(電波応用部長 畚野 信義)



第39回年次周波数制御シンポ
ジウム(FCS)に出席して


 標記シンポジウム(Annual Symposium on Frequency Control)が昭和60年5月29日から31日の間米国フ ィラデルフィアで開催され出席した。FCSは周波数標 準分野では最も関連の深い学会の一つで,発表内容は水 晶振動子及び水晶振動子以外による周波数精密制御の二 つに大別でき,二つの並列セッションで行われた。今回 は15か国から446名(米国336名)参加し,88件の発表が あった。周波数・時刻標準関係の発表は26件(日本から 4件)あり,筆者は超伝導空胴安定化発振器とGPSに よる時刻比較の2件を発表(後者は代読)した。原子標 準器関係では従来型は改良・小型化等の発表が主で,光 励起セシウム標準器等の新方式標準器でも顕著な進展は 見られず,技術的に難しい時期にあるという印象を受け た。GPS受信機では商用利用のための開発報告が外に 1件あった。学会出席途中,米国海軍天文台に立寄り時 刻標準施設を見学し,大変有意義な体験を得た。

(標準測定部 測定技術研究室 主任研究官 小宮山 牧兒)



1985年北米電波科学連合/国際IEEEア
ンテナ伝搬(AP)合同会議に出席して


 昭和60年6月17日から21日の5日間,カナダ・バンク ーバ市で開催された北米URSI/IEEE-AP・S合 同会議に出席した。この会議には米・加を中心に約28か 国500名を超える出席者があり13か所の会場でAPの外 URSIのA〜Jの8分科会が並行して開かれた。今回 の参加目的から主にURSI-H(プラズマ中の波動)と G(電離圏内電波と伝搬)に出席した。20日はG/H合 同のAlouette/ISIS計画待別セッションがあり,午前に 6編,午後に7編の論文が発表され,ここで当所からの 同計画における日本の活動のレビューに関する招待論文 と3編の寄与論文(内2編は代読)を講演した。今回, 同計画の関係者と初めて面識をもちISISの現状を話 合ってみて彼等の同衛星に対する深い愛着と運用を引継い だ当所への期待を強く感じた。帰途にバンクーバー発の カナダ太平洋航空機で爆発物と一緒に成田に到着,帰宅 して事実を知り慄然。二人の犠牲者の冥福をお祈りする。

(電波部 電波媒質研究室長 相京 和弘)



PTC'85(太平洋電気通信協議会)へ出席


 PTCは,広く太平洋地域の学会,電気通信事業体, メーカ,ユーザ等が,同地域における電気通信協力の促 進等を目的として,独立,非営利の法人として1980年に 設立された国際組織である。今回,ハワイ州ホノルル市 で開催された第7回定期大会に,科学技術庁国際研究集 会派遣研究員として初めて参加する機会を得,アジア・ オセアニア地域の衛星放送サービスシステム検討の論文 を発表した。論文は発表セッションにおいて興味を引い たようであった。本大会では,通信技術者のみでなく, 郵政省から小山事務次官が出席して基調報告を行ったこ とからもわかるとおり,行政,経済,政治等の分野の関 係者約500名が,通信という問題について討議を行った。
 通信の内容には立ち入らないという技術者の姿勢を越 えて,通信の内容,すなわち,通信の用い方に伴なう文 化,経済等への影響に触れることは,技術者にとっても 極めて有益であると感じた。最後に,お世話になった関 係各位に感謝します。

(宇宙通信部 宇宙技術研究室長 飯山 尚志)



短 信



電気通信技術審議会の発足
と所内対策委員会の改組


 郵政省は,昭和60年4月1日従来の電波技術審議会と 電気通信審議会技術部会を統合した形で「電気通信技術 審議会」を発足させ,4月26日に第1回会合を開催した。 審議会には,諮問に対応して23の委員会が設置されたが, 6月24日の第3日11会合で諮問第14号「文字放送に利用可 能な垂直帰線消去期間中の水平走査期間」に対する答中 が行われ当該委員会の任務が終了した。審議会は,毎月 1回定例的に開催される。当所から所長及び次長が省側 メンバーとして出席しているほか,13名の専門委貝と多 数の職員が委員会等の審議に積極的に貢献している。

 電波研究所には,これまでCCIRへの寄与事項等に ついて当所の方針を取りまとめるために「CCIR等対 策委員会」が設置されていて,重要な役割を果たしてき たが,上記審議会の全諮問事項に対して「積極的に寄与し, 電気通信行政の展開に資するために,このほど所内対策 委員会の全面的な改組を行った。7月11日に新たに発足 した「電気通信技術審議会等対策委員会(委員長:上田 次長)」は,第1回会合を7月19日に開催し,小委員会の 設置等の審議体制や運営方法を決定した。多くの研究成 果が,この対策委員会で寄与文書や答申案として取りま とめられ,審議会等に反映されることが期待されている。



第11回RRL/NASDA共同研究委員会開催


 標記委員会が6月27日,当所で開催された。当所から は若井所長ほか22名,宇宙開発事業団(NASDA)か らは園山副理事長ほか21名が出席した。委員会は,若井 所長,園山副理事長の挨拶の後,昭和59年度共同研究の 成果報告及び昭和60年度共同研究等の計画案について審 議を行った。

 今年度は共同研究として水蒸気・雲水量等によるマイ クロ波放射計のラジオメトリック性能評価に関する研究 が,またNASDAからの技術協力としてETS-Uに よる電波伝搬特性の研究が承認された。なお,(1)測地実 験機能部追跡データの収得,(2)プラズマ測定装置の研究, (3)紫外線測定装置の研究の3項目は,更に内容を検討し て(1)はNASDAへの技術援助,(2),(3)は共同研究の方 向で協議を進めることになった。

 引続き,NASDAからETS-Yのシステム構想に ついて説明があり,若干の意見交換を行って閉会した。



所内ソフトボール大会終る
−−会計課チームV2達成−−


 例年秋のスポ一ツ行事の一つとして実施していたソフ トボール大会を,今年は機構改革後の新組織の親睦を深 めるために時期を早め,6月4日から7月12日まで梅雨 の合間をぬい,当所のグランドにおいて昼休み時間を利 用して開催された。各部から精鋭12チームが参加,熱戦 が展開された。決勝戦は7月12日に行われ,V-2達成に 意気込む会計課Aチームと,戦力アップした企画調査部 の対戦となった。会計課は,例年のごとく応援旗を振り, 加えて調子っぱずれのラッパ吹きも登場,対する企画調 査部も必勝のプラカードが掲げられるなど決勝戦にぶさ わしい盛り上がりとなった。試合は,初回会計課チーム が,企画調査部チームの守備の乱れをつき7点,更に着 々と追加得点を重ねていった。企画調査部チームも負け じと奮戦したが,会計課チームの堅陣破れずホームをつ くことができず,結局会計課チームは18対0の大差で念 願のV2を達成した。また,第三位には情報管理部と総 合通信部が入り,1か月にわたった熱戦の幕を閉じた。