新 春 放 談


所長 畚野 信義

 新年あけましておめでとうございます。

 昨年末に神戸ポートアイランドの国際会議場メイ ンホールで開かれた関西支所発足記念シンポジウム は私の期待を遥かに越える大成功で、大変気分よく 新年を迎えることができました。

 本号の短信欄にその概要が紹介されているよう に、地方自治体をはじめ多数の機関、団体等の御支 援を戴いて、超一流の会場と超一流の講師の方々で 開くことができましたが、当日迄あれだけの立派な 会場に充分な参加者があるだろうか等と大変心配し ました。しかし蓋を開けると600人を大きく越える 参加者、スムーズな進行と申し分ありませんでした。 そして中身もまた素晴らしいものでした。貝原知事 の主催者挨拶では、関西支所が今から根を張ってい こうとする地域の希望に溢れる展望が紹介されまし た。熊谷先生の祝辞では、先世紀末に出現し発展し てきた電気通信が、今世紀末に質的な転換をするで あろとき、当所、関西支所の果たすべき役割への期 待について過分のお言葉を戴きました。第一部の池 上先生の基調講演、第二部の長尾、原島、福島各先 生の特別講演では、それぞれ最先端研究に興味深い 内容、現状、問題点、将来展望と密度の濃いお話を 戴きました。そして第三部のパネル討論は、失礼な 言い方かもしれませんが私の予想外に素晴らしいも のでした。実はこの企画ができたとき、私はこの第 三部に危惧を感じていました。私の知る多くのパネ ル討論は、司会者はパネリストを順番に指名するだ け、パネリストはそれぞれ勝手なことを言い、まと め様もないままに時間がきておしまいというパター ンでした。しかし今度は違いました。第三部が始ま るとシンポジウム参加者は皆壇上の討論に惹き込ま れました。司会の森永先生の問題への鋭い切り込み、 その切り口を適切なパネリストに突きつける、パネ リストは正面から受け止めて本音で話す。シンポジ ウムの最後が引き締まりました。私のパネル討論に 対する考え方を改めさせると共に、司会者の重要さ を再認識させるものでした。平行して行われた展示、 デモンストレーションも大変評判がよく、内容の豊 富さ、研究内容の幅広さ、熱意と自信に溢れた説明 は、当所の実力を関西の方々に充分知っていただけ たと思います。特に私は何人かの方々から“自分の 研究をできるだけよく知ってもらおうと一生懸命説 明してくれた”、“自分の研究に熱意と自信をもって いるのが感じられた”といったおほめの言葉を戴い たとき「CRLの将来は明るいな」と思いました。

 シンポジウム終了後開かれた交流会は、これまた 最後まで身動きができないほどの満員の盛況で、隣 の人の話しも聞きとり難いほど熱気に溢れていまし た。CRL、関西支所への期待の強さとムードの盛り 上がりを見ました。このシンポジウム実現に御支 援、御協力戴いた方々に深く感謝すると共に、支所 発足直後の不便や困難の中で、短い間にここ迄持っ て来た関西支所の諸君の努力、苦労を大いに評価し たいと思います。

 関西支所はスムーズに幸先良い出発をしました。 四千数百平方米の広さの新研究棟の設計もほぼ固ま り、近く着工となります。平成3年度初頭の本格発 足に向かって、今年は建設の年でもあり、既に移転 を終了した情報系の研究室にとっては、研究の地固 めをする年であります。また、組織としても既に発 足していた4研究室に加えて平成2年度から電磁波 分光研究室、知的機能研究室が増え計6研究室にな ります。もう少し先へ目を向けると、当面の8〜10 研究室55名はもとより、中期的には関東支所に匹敵 する(100名)規模、更に長期的には新研究所の誕 生を目標に、研究環境と組織の整備に力をゆるめず 努力していきたいと考えています。

 今年の新年が気持ち良く迎えられたのはもう一つ の理由があります。昨年7月号のCRLニュースで、 私は所長就任にあたって研究所の組織の見直しと体 質の改善をお約束しました。その努力の一つとして、 主に企画、総務、支援部門の業務を対象に所内に六 つの部会を持つ業務改善検討委員会を設け業務の徹 底的な洗い出し改善のための検討、提案を求めまし た。すべての文書、手続きについて廃止、統合の可 能性を含む簡素化の検討、天文学的といって良いほ ど多種・多数の物品の管理方法の見直しと簡素化の 検討、共通物品制度と運用方法の見直し、これらに関 わるOA化システムの検討、研究者から希望の強い 物品や書籍等の入手期間の短縮や我が国第2の望遠 鏡を備え夜間の研究が増えた事等により必要となっ てきた図書室の24時間利用等サービスの向上の実現 の方策の検討、業務係一人体制の可能性への対策の 検討といったものを含み広範な要求を出したので特 に実務的な面で膨大な量の作業が必要でした。

 これの中間報告案が12月中旬提出されました。い ずれも真面目に検討したことがうかがえました。特 に会計、業務、庶務の総務系部会の報告案は大変よ くできたものでした。なかでも会計部会のものは一 見して大変な量の作業を行ったことがわかりまし た。そして結果を要領よく整理し、いくつもの思い 切った改善方策が提案されていました。これらは私 の予想と期待を上回るものでした。業務部会の報告 も研究者の支援を第一義に置くことを明確にした前 向きの提案が多くなされていました。いずれも研究 者に充分な支援を与え、研究をやり易くする環境を 作ることが、よい研究成果を生み、研究所の発展に つながることをはっきりと認識して作業がなされた ことがわかります。

 私は長らくビッグプロジェクトに係わり、企画に も通算5年近く所属し、研究者としては比較的総務 部門と深く付き合い、よく理解しているつもりでい ました。それでも「研究者は自分の都合だけを考え た無理な要求を出し、総務側はそれによる困難な事 態や迷惑をできるだけ避けるためガードを固くす る」というのが一般的なバターンであるとみていま した。しかし今回の中間答申案をみて私の理解が不 足していたことを恥じると共に、ややおおげさな表現 をすれば両者は危機感をも含め研究所の将来に対し 認識を共有できる、いや既にしていると思いまし た。支援側が少々泥をかぶっても充分に受けて立と うとしている今、研究者側は必要以上の無理難題を ふきかけないこと、決めた約束はキチンと実行する ことが良い協力関係を維持していくために不可欠で あることを指摘しておきたいと思います。

 今回の中間報告案では充分な成果が得られなかっ た図書・情報サービスシステムの抜本的改善につい ては別途総合研究官をリーダとするグループに調 査、検討、提案を特命しました。従来から、計算業 務サービス以上に、図書・文献情報サービスの支 所、観測所と本所間の格差について改善の要望が強 く出されていました。両支所における研究の比重は 今後ますます高まると予想されます。また、観測所 も従来の観測データ取得以上に独自の特徴のある研 究をすすめ成果を上げることが求められ、それに必 要な要員配置がされることになります。支所、観測 所への本所と同質のこれらのサービスを可能とする 方策が必要であります。これに要する費用も今回の 他の検討結果に関連して必要となるOA化等の経費 と共に優先的に考慮していきたいと考えています。

 7月のCRLニュースで組織の見直しと体質の改 善として述べましたいくつかの具体的な改革を含 み、私の考え方の全体を最近流行の言葉でいえば、 CRLの研究所としてのインフラストラクチャーの整 備であります。今、日本の科学研究社会での流行語 は、基礎研究、国際化、地球環境であります。そし てこれらの呪文を唱えるだけで安心し、充分な効果 を得られると誤解しているかのような現象がかなり 多くみられます。国際化の努力にしても、そのため 多くの外国人研究者を招待することが始まっていま す。そしてその人達のためにいかにも日本的なきめ の細かいサービスが提供されています。一方、国際 的な知識の不足からの行き違いについてクレームが 付くと、あれだけしてやっているのにとつい感じて しまいます。「あっちであれだけしてくれているか らこれは少々目をつむろう」というのはいかにも日 本的な考え方であるということを知ることこそが今 我々に求められている国際化であるわけです。基礎 研究についても同じようなことが言えます。「キソ キソ」と騒ぐだけというのは論外としても、基礎的 研究テーマを発掘し、それに金や人や組織を付ける だけでは不十分なのです。7月のCRLニュースで 述べたように、今我が国の国立研究機関は二つの大 きな役割の一方(行政ニーズの支援と関連研究…… 発展途上国型)からもう一方(先端研究……先進国 型)ヘ重心を移そうとしているのです。従って研究 所の骨組み、運営の仕組み、研究者を始めとする職 員の考え方すべて(インフラストラクチャー)を変 えていく必要があるのです。

 今私たちはそのための改革に着手したところであ ります。厳密にいうと適切な分類ではないかもしれ ませんが、目で見えるものをハード、つかみどころ のないものをソフトと定義づけると、CRLのインフ ラストラクチャーの整備では、今回の業務の改善は ハード部分であり、ソフトに相当するのは所員の意 識であると考えています。今ハードの主要部分の一 つについてはかなりの見通しが得られたと感じてい ます。それが私がこの新年を気持ちよく迎えられた もうひとつの理由であるわけです。今年はこのハー ド部分を着実に整備していきたいと考えています。 それと並行してソフトの部分、特に研究者の研究に 対する意欲と気力の問題について気長に努力してい きたいと考えています。そのため各研究室を1か所 半日位をかけてまわりたいと思います。もちろんそ んなことで私が研究者の意識に直接影響を与えるこ とができるなどとは考えていません。自由に、話題 も出たとこ勝負で言いたいことを話し合い、お互い の考え方をよく知り合うことから始められればと 思っています。私は就任の日のあいさつで、所員は 誰でも、今年入所した人でも直接所長室へ話しに、 あるいはどなり込みに来て良いと言いましたが、今 迄6か月の間に特定の数人が電話も含め何回か話し に来ただけでした。それではこちらから押しかけて 行こうということです。

 CRLはその歴史や研究分野等からいって基礎研究 志向が大きな部分を占めていました。従って私は当 所の研究者の研究に対する認識についてはそれほど 問題があるとは思っていません。しかし研究者とし ての意識、意欲、気力といった点では不満がありま す。甘さも目につきます。最近管理社会になり、精 神的に追いつめられた「微笑うつ病」等といったも のが流行っていると言われています。よい研究は管 理社会では育ちません。研究所は楽しく、余裕のあ る自由度の高い場所でなければなりません。私は研 究者ができるだけ自由に泳ぎ廻れるような環境にな るように努力しています。一方、研究は自分のため にするものであり、成果はすべて自分のものになる だけに、その結果についての責任もすべて自分が負 わねばならぬ厳しさがあることを自覚してほしいと 願っています。




50周年を迎えた標準電波


佐藤 得男

  

はじめに
 標準電波JJYが開局して今年で満50年になる。
 これは、先輩諸兄が、周波数や時刻の国家標準の 確立と供給の重要性を認識され、優れた見識と並々 ならぬ努力によって、世界に誇れる標準電波関連施 設を完成されたことによって築かれた金字塔に他な らない。
 何事も“無”から“有”を生み出すことは大変で ある。今日の無線通信の発展を予測し、電波の周波 数標準の必要性を力説され、開局に尊びかれた優れ た洞察力と実行力に改めて敬服させられる。
 この創設期と発展期に活躍され、標準電波JJY を世界のトップレベルに押し上げた先輩諸兄は次々 と退官され、当時をうかがいしるものが誰もいなく なってしまった現在、業務に携わる現役のひとり が、50年の歴史を語るなど恐れ多いが、先輩の残さ れた文献を引用させて頂き、標準電波の足跡をたど り、先輩諸兄の偉業をしのぶとともに、周波数・時 刻標準の供給業務の近況を述べてみたい。


写真1 昭和52年までJJYを送信していた小金井電波極準局

  

標準電波の誕生と50年の概要
 昭和の初め、無線通信回線の増加とともに混信障 害が問題となり、無線局の周波数を規正するため標 準電波の発射が必要となった。このため当時逓信省 工務局に籍をおかれていた松前、網島、米山、松本 氏らの大先輩の努力によって、我が国最初の標準電 波が、昭和15年1月30日逓信省検見川分室から正式 に発射された。専用業務としては米国のWWV局に 次いで世界で2番目のことであった。

 周波数は4,7,9,13MHzの4波で岩槻受信所の水 晶発振器から有線で送られる10kHzを基準とし、 確度は±1×10^-6で、当時の電波を規正するために は十分とされたものの、次々と開発される無線通信 機や電波技術の進歩に対して必ずしも十分とは言え ず、昭和16年から新しく電波標準局と標準電波発射 所の設立が計画された。

 当時、時間の単位“秒”は天文観測から決定され、 周波数の標準を決めるには東京天文台(三鷹)と連 絡を密にする必要から近くの小金井町(現在の都立 小金井北高校のあるところ)に電波標準局を設立し、 ここに周波数標準装置を、これとは別に千葉市幕張 町に電波発射所を建設することになった。途中太平 洋戦争の影響で計画の大幅な遅延を余儀なくされた が、昭和19年6月、幕張に標準電波発射所が発足 し、岩槻から標準器の移設や、検見川との間に同軸 ケーブルの設置などの整備が行われ終戦を迎えた。

 第二次世界大戦を契機に飛躍的発展を遂げた無線 通信は、標準電波の必要性を増大すると同時に、国 際的視野にたった運営が必要となり、第5回国際無 線通信諮問委員会(CCIR)は標準電波について初の 勧告を行った。その内容は、『周波数確度±2×10^-8 以内、秒信号はUTにできるだけ近く』で、JJYに とってはかなり厳しい内容であった。これに対処す るため、電波標準局の建設と施設の整備が戦後の物 資の乏しい中、創意工夫をこらして懸命な努力が続 けられた。その努力が実り、昭和24年12月、地下13 メートルの原器室や周波数標準装置、水晶発振器、 時計装置などの施設が完成し、幕張、検見川に代 わって標準電波の発射が行われるようになった。

 この時の周波数確度は±1×10^-7であったが昭和 29年、標準電波の国際的周波数である、5Mシリー ズヘの変更時には勧告を満足するところまで向上さ れた。この間、全員一丸となって努力された様子 が、歴代課長のクリスタルクラブ(標準課職員の親 睦会)での挨拶の中に伺える。

 標準電波は常に研究と密着して運営されるものと する観点から、昭和27年、電波研究所の発足に伴い、 その一員となり、研究体制の一層の強化が図られた。 その後のあゆみは研究所20年史に細述されているよ うに、周波数標準や精密計測の研究が進み、31年に は原子周波数標準が開発され、34年から実用化され たことは標準電波史上に大きな革新をもたらした。

 更に、昭和42年に秒の定義が改訂され、47年から は新協定世界時が採用され、“うるう秒”が導入さ れるに至り、標準電波で通報する周波数と時刻は全 面的に当所で責任を持つようになったのである。

  

名崎送信所への移転

 建設当初は農地に囲まれていた標準課周辺も次第 に都市化が進み、電波公害が問題化してきた。ま た、本所と離れているため、計算機や図書などの共 同施設の利用に難があるなど、幾つか問題があり、 標準電波の発射施設の移転と、標準課の本所への統 合が検討されるようになった。

 時を同じくして、日本電信電話公社(現NTT)で も送信所の移転統合が検討されており、これに合わ せて標準電波の本質に関わる業務は当所が運用し、 発射業務のみをNTTに委託する計画が昭和47年に 開始された。この計画は、送信所の完全無人化と遠 隔制御で運用し、大幅な省力化を実現しようとする もので、当時としては世界でも例がなく画期的なも のであった。このため、標準電波の質に直接関係す る装置は送信所に設置し、比較的低速の制御で間に あう信号は本所から電話回線を介して制御する方式 が採用されている。

 送信所は昭和52年11月、茨城県三和町にNTT名 崎送信所として完成し、12月1日から28年間続いた 小金井からの送信に代わって業務を開始した。これ を機に、発射形式を変更し、時刻アナウンスの送出 回数を増やすなどサービスの向上を図り、現在に 至っている。

 このとき整備された施設は、大幅なIC化が導入 され、最新の技術とアイデアが盛りこまれ、世界的 にも注目された施設であったが、十数年の連続使用 で次第に旧式化し、老朽化による信頼性の低下も あって、施設の更新整備を行い、昭和63年10月から は新しい装置で運用されている。制御方式はこれま での考え方を継承し、監視機能の増強と“うるう秒” 調整の自動化、時刻アナウンスのROM化など機能 アップと省力化、信頼性の向上が図られている。


写真2 現在のJJY送信所(茨城県三和町)

  

標準供給法の現状と将来の展望

 周波数や時刻標準に対する要求は、原子時計の普 及とともに高精度化し、その利用形態も複雑化して きた。このため、これら標準を供給する業務も幅広 い要求に応えるため多様化せざるを得ない。

 欧米諸国では標準電波やラジオ・データシステム にタイムコードを重畳したり、電話回線を使って高 度情報社会に対応するタイムサービスを実施してい る。また、他の目的に運用されている電波を仲介に 周波数や時刻の情報を供給する方法も実用化されて いる。現在当所で行っているJJY以外の供給法は 次の通りである。 

(1) 長波標準電波

 高精度周波数比較用として、昭和41年1月から長 波標準電波(40kHz)の発射を開始した。この電波 は防衛庁の海岸局JJF2局と周波数を共有し、海岸 局の通信の空き時間のみ標準周波数実験局として運 用している。しかし、防衛庁の通信の時間帯も周波 数は安定化されているので、周波数標準として利用 でき、ルビジウム原子発振器や高安定水晶発振器の 較正に幅広く利用されている。

 時刻信号は、秒位相に同期して0.5秒間電波を断 続して通報していたが、昭和63年12月からはこれに タイムコードの重畳を試験的に開始した。これは、 自動制御機器や時計メーカーなどからの要望に応 え、時刻管理の自動化が目的であるが、将来は工業 用のみならず家庭用のAV機器やタイマーに利用さ れることも期待される。


写真3 最新の標準電波遠隔制御装置

(2) テレビ信号仲介による供給

 新しい放送技術が導入され、放送局でも高安定な 周波数源が必要となり、ルビジウム原子発振器が用 いられるようになった。この周波数を当所の周波数 標準と比較し、その値を公表すればテレビ信号仲介 で国家標準と結ぶことも可能となる。時刻について も同様で、特定の信号が東京タワーから発射された 時刻を公表すれば、利用者がその信号と自分の時計 と比較し東京タワーからの遅れ時間を補正すれば標 準時が得られる。

 この方法は簡単でしかも高精度が得られることか ら国内関係機関との相互比較に利用されている外、 大学の研究室や計測器メーカーなどでも必要とする 確度が高まるにつれ普及しつつある。最近は公表値 の早期入手の声も聞かれるようになり、電話回線を 用いてリアルタイムで供給する実験を放送局との間 で行っている。

(3) ロランC、GPS衛星仲介による供給

 これらの電波はいずれも測位用の電波で、運用は 米国が行っている。従って、時刻信号は米国の標準 時と同期されており、日本標準時と結ぶには当所の 公表値が必要となる。

 精度は10〜100ナノ秒が得られ、標準研究機関相 互の国際比較やVLBIのような最先端科学技術に とっては重要な存在になっている。


写真4 最新の実用標準計測システム

  

おわりに

 周波数や時間は、最も基本的な物理量の一つであ り、他の標準に比べ桁違いに高確度化が達成されて いる。

 現在、当所の周波数標準の確度は10^-13〜10^‐14の 桁に達し、世界のトップレベルを保ちつつ更に改良 の努力が続けられている。また、この周波数を積算 して得られる標準時も、国際度量衡局が決定する国 際原子時と1〜2マイクロ秒で同期がとられ、その 値はナノ秒オーダで把握されている。

 これら標準を分配供給する業務としては、研究室 との連絡を密にし、実用標準の質的向上を図ると同 時に、標準電波にタイムコードの重畳や電話回線に よる供給法を確立し、更に、宇宙技術を使った供給 法など、時代の要求にマッチした供給法を開発して いかなければならないと考えている。

 これまで以上に関係各位のご理解とご協力をお願 いする次第である。

(標準測定部 周波数標準課 課長)



新年の抱負




新年の抱負


上敷領 昭五

 今年は午年で還暦を迎える年になり、第2の人生 の大きな節目である。体力に自信をつけるため、今 年は朝6時から7時までの間に歩きながら、袋を 持ってチリ、空き缶を拾いながら体の鍛練に心がけ ていきたいと思う此項である。山川は、豊かな自然 と温暖な気候に恵まれている。休みの日は、花を栽 培して鉢植えをし、植物を観賞しながら楽しみたい と思っている。また、老化した植物に対して若返ら せたくなるのが人情でなんとかふやせないだろうか と考えている。何をするにも健康が第一であり。楽 しい鉢植えをしながら気分転換し、社会のために一 生調命働きたい。



新年の抱負


安藤 利周

 毎年のことであるが、正月になってから昨年中に すべきことをしていなかったことを悔いるので、私 には正月は楽しい月でない。
 今年は私にとっては研究所を去る年である。第二 の人生の旅立ちなのだが、現時点ではこれとしたあ てもない。時間をかけてゆっくり考えることとした い。再就職ロが決まるまでは、ヒマはタップリあり そうなので、新しくパソコン・ワープロ等にでも挑 戦しようと考えている。



新年の抱負


市野 芳明

 最近、一応の抱負を持って気分を新た にしてスタートしたつもりが、「1年」 というものに対するスピード感が年々速 くなってきたためか、1年を665日位に しないと抱負を実行できない、などと他 に責任を預けたりしている状況である。
 生まれたのは戦争突入(巳年)の翌年 であるが、終戦の年(酉年)の夜、曾祖 父に抱かれて地下の防空壕に入ったこ と、垣間見た空が真っ赤だったことが忘 れられない。従って今年も平和な生活を 願うことを抱負1、趣味を深め、アルコ ールは半減することを抱負2とし、365 日が1年であることを実感したいと思 う。また豊富な生活実現も抱負である。




人間を練り、人格の完成を目指す


廣本 宣久

 明けましておめでとうございます。
僕が生まれたのは、1954年であり今年で十二支を 三周りしたことになる。
 新年の始めに、取り分けて目標を立てたことはな いが、常々心に懸けていることは、一生を掛けて人 間を練り、人格を完成させて行くことである。人間 の幅が広い、包容力、穏和さ、謙虚さ、動じない胆 カ、独自性等の人格に加え、高い教養性、広い視 野、自由・民主・人道主義への深い理解などの見識 の高さを合わせ持つことである。大き過ぎる目標で あるが、人生の目標はこれしか無いと思う。また、 毎年目標を考えなくても良いという便利さもある。



競争に勝つぞ


蒔田 好行

 昭和41年生まれの私は、午は午でも丙午である。 昔から丙午は敬遠されがちだったそうなので、第二 次ベビーブームの最中であったにもかかわらず、非 常に人数の少ない年であった。小中学校の時も、他 の学年よりはるかに少なかった。しかし、高校や大 学の大半試験は、定員を大幅に減らしていたので 思ったより楽ではなかった。
 職場では、年齢に関係なく全員が競争相手で、単 生時代と違って競争する機会が今まで以上に増加し ている。今後は、仕事面でも私生活面でも、「他人 をけ落としても競争に競い勝つぞ」という考えを持 ち、心の気を引き締めて仕事に望んでいきたい。





短 信


関西支所発足記念シンポジウム開催さる


 12月5日、神戸市国際会議場において「21世紀の情報 通信と電波科学」をテーマに、関西支所発足記念シンポ ジウムが開催された。主催は、当所、兵庫県、神戸市、 明石市、テレコム先端技術研究支援センター、高度情報 化推進協議会、後援、協賛は電子情報通信学会、情報処 理学会、関西地域の経済団体等である。シンポジウムで は、表のプログラムのとおり貝原兵庫県知事の挨拶、熊 谷阪大総長の祝辞の後、池上電子情報通信学会々長(拓 殖大教授)の基調講演、羽根田神戸大教授の司会で、三 つの講演、更に、大学、企業、自治体等からのパネリス ト、森永阪大教授の司会による「関西の地域協力による 情報通信先端研究と開発」と題するパネル討議が行われ た。これと並行して、当所の研究を紹介する展示と移動 体衛星通信等のデモンストレーションが行われた。
 シンポジウムの参加者は、大学、企業、行政関係者等 を合せ約630名にも及び、講演終了後の交流会も会場が 満員になるほど熱気にあふれ、盛会のうちに終了した。

プログラム
1.講演会

主催者挨拶 開催委員長 兵庫県知事 貝原俊民
祝辞 大阪大学総長 熊谷信昭

第1部 基調講演
「情報通信発展の方向と関西の研究開発への期待」
電子情報通信学会会長 拓殖大学教授 池上文夫

第2部 情報通信技術の最先端を探る
司会 神戸大学工学部教授 羽根田博正
「機械翻訳と通信」 京都大学工学部教授 長尾真
「知的コミュニケーションと符号化」 東京大学工学部助教授 原島博
「神経回路と情報処理」 大阪大学基礎工学部教授 福島邦彦

第3部 パネル討議
関西の地域協力による情報通信先端研究と開発
司会 大阪大学工学部教授 森永規彦
パネリスト
大阪大学基礎工学部教授 宮原秀夫
京都大学工学部助教授 吉田進
松下電器産業中央研究所次長 福井徹
東芝総合研究所次長 下村尚久
兵庫県企画部長 小滝敏之
通信総合研究所関西支所長 猪股英行

閉会挨拶
通信総合研究所所長 畚野信義

2.情報・通信・電波の先端研究
…通信総合研究所研究紹介…

・通信総合研究所のあらまし
・関西支所の研究計画
・未来の情報通信ネットワーク −有無線高度統合網−
・音声の深い意味理解 −高次知的機能の解明−
・生物と情報 −生きている情報に学ぶ−
・画像符号化 −画像情報の高能率伝送−
・超伝導を利用した短ミリ波検出器及びアンテナ
・準マイクロ波帯移動伝搬実験 −移動通信用の新しい電波を求めて−
・衛星を用いた移動体通信(ETS-V)
・衛星間の通信(ETS−VI)
・宇宙で組み立てる大型アンテナ
・宇宙天気予報 −住みよい宇宙をめざして−
・レーザヘテロダイン分光計 −大気環境の計測−
・航空機搭載映像レーダ(SLAR) −全日性・全天候型地表観測センサー−
・大陸の動きを計る −超長基線電波干渉計(VLBI)
・日本の標準時はこうして決める



稚内電波観測所人事院総裁賞受賞


 稚内電波観測所は平成元年12月4日人事院総裁賞を受 賞した。本賞は、生活の不便な地において多年にわたり 地道な職務を遂行する等、公務の信頼の確保に寄与した 個人または職域グループに贈られるものである。
 北緯45度の本邦最北端に位置している稚内電波観測所 では、定常業務の主体である電離層垂直観測を約40年間 昼夜を分かたず継続している。電離層諸現象は磁気緯度 の依存性が大きいため、稚内での電離層観測データは、 現象の全体像を解明するのに不可欠で極めて重要なもの である。また、太陽活動が電離層に及ぼす影響や短波・ 超短波・マイクロ波等幅広い周波数帯にわたる電波の伝 わり方について研究観測を行っている。更に、時代の要 請に応じ、稚内の地理的特殊性を生かした様々な新しい 実験・研究も職員が一丸となって手掛けてきている。
 このように、多年にわたり最北端の寒冷降雪地におい て、貴重な観測データ取得に尽力し、太陽地球間物理学 等の研究分野の発展に寄与した功績が認められたもので ある。