このような非営利ネットワークは、本質的には利 害の対立がなく、しかも、学術、文化の交流に大き く寄与できるものである。しかし、衛星を確保する には、経費等の面で多くの困難があることを勘案す るとき、我が国としてこのようなネットワークの構 築に寄与していく必要があると考えられる。
汎太平洋情報ネットワークは、1987年の「アジア ・太平洋地域における宇宙通信の現状と将来」シン ポジウム(AP-SATCOM'87)において、東北大学の 野口正一教授によりその基本構想が発表されたもの で、太平洋地域を対象として遠隔教育、各種データ の収集・交換等を目的として構築される衛星利用 ネットワークである。その実現のフェーズとして、 @ポストATS-1ネットワーク、A小容量チャネル ・コンピュータネットワーク、Bマルチメディアコ ンピュータネットワーク、の段階的構築を想定して いる。
本ネットワークに対する国内の動きとして、ま ず、ボランティア的な活動に三つのグループがあ る。第1は、PEACESATに参加して実験を行った東 北大学のグループがある。第2は、太平洋学会太平 洋島しょ国通信の現状とその改善策(PIT)研究部 会である。この研究部会は、ATS-1代替システム確 立を目指して1985年より、情報交換及び広く太平洋 地域の通信関連の問題を討議するための研究会を毎 年6回程度開催している。第3に、汎太平洋情報 ネットワーク研究会(後述)がある。上記3グルー プには、同じ人もメンバーとして参加しており、お 互いに情報交換を密にしている。
一方、郵政省を中心とした関連する動きとして、 AP-SATCOM'87を開催した他に、昭和63年度宇宙 通信政策懇談会で「アジア・太平洋地域における宇 宙通信分野の国際協力の在り方」の審議が行われ た。さらに平成元年度には、「太平洋島しょ国等の 情報網形成に関する調査研究会」を組織し、報告書 で衛星の打上げ等を提言している。また、郵政省で はかねてよりODA(政府開発援助)を活用する「ア ジア太平洋衛星構想」を温めている。
太平洋地域の通信・情報については、ITUをはじ
め、UNESCO、太平洋経済協力会議(PECC)、南太
平洋フォーラムの電気通信開発プログラム(STPDP)、
アジア・太平洋電気通信共同体(APT)、等多く
の活動があるが、ここでは筆者が実際に携わったこ
こ約3年間の活動に絞って簡単に紹介する。
PEACESAT
PEACESATは、太平洋島しょ国等において、音声・
電話会議によって得られる利益を研究するととも
に、教育、保健、科学、コミュニティ開発等のため
の将来のネットワークモデルを見いだすことを目的
としている。PEACESATは、ハワイ大学により、
1971年にハワイで小規模に開始された。その後、
ニュージーランド、南太平洋大学、パプアニューギ
ニア、オーストラリア、日本等が参加し、30か国・
地域で100局以上の地球局が週100時間以上ATS-1
を使用していた。PEACESATの現状は既に述べた
が、1990年1月のPTC'90の中で開催された作業
班会議の一つで米国商務省通信情報局(NTIA)が
PEACESATの再構築に相当力を入れていることがうか
がえた(写真参照)。
写真 PEACESAT作業班会議の討議模様
(奥の左から2人目の女性がオブチョウスキーNTIA長官)
PEACESATが成功している理由としては、適切な 技術を用いて草の根的な運用が行われていること、 即ち、地球局が安価であるためユーザが所有でき、 かつ、ユーザ自身がネットワーク運用に携わってい るためであるといわれる。その成果としては、@世 界初の正規の衛星利用遠隔授業の実施、Aデング熱 流行に対する医療対策会議の実施などがある。
PEACESATのD.M.トッピング教授(ハワイ大学 社会科学研究所長)が1989年6月来日して PEACESAT-PIT合同会議を行 い、情報交換を行ってい くこととなった。
lSYハワイ会議
ISY(国際宇宙年)は、
ハワイ州選出のS.M.マ
ツナガ上院議員(1990年
4月故人となった)が、
1992年がアメリカ大陸発
見500周年、IGY35周年
であることから、同年を
ISYとする提案を上院外
交委員会に行い、1985年
に満場一致で承認された
ことに始まった。1987年
にISYプロジェクトを
討議するための最初の場
としてISYハワイ会議
が開催され、我が国から汎太平洋情報ネットワーク
・プロジェクトを提案し、日米双方が中心となって
今後具体的な検討を行っていくこととなった。本プ
ロジェクトは現在、ISY教育・普及専門家パネルの
中で議論されている。
汎太平洋情報ネットワーク・ワークショップ
ISYハワイ会議の宇宙通信グループが中心となっ
て、本ワークショップを1988年に開催した。その討
議結果は、@我が国は汎太平洋情報ネットワーク・
プロジェクトに対して貢献すべきである、Aアジア
・太平洋地域諸国のユーザの要望を明確にしていく
必要がある、B本ネットワークは先進国、途上国研
究者双方の利益になるなどである。
このワークショップでは、神戸大学を中心とする 団体である汎太平洋フォーラムとの連携を図る意味 で、同フォーラム常務理事の神戸大学 村上温夫教 授にも出席して頂いた。本ワークショップの出力と して、汎太平洋情報ネットワーク研究会を作ること が承認された。
ヒッチハイク・ペイロードの検討
本ネットワーク構築のために具体的にハードウェ
アの価格を明らかにしておくことは、今後の検討に
有用である。そこで、次の提案を前提として検討を
行った。@専用トランスポンダを将来の適当な衛星
にヒッチハイクする(ヒッチハイク・ペイロードと
呼ぶ)。A地球局の整備は、当所のような機関の技
術的支援の下に、ボランティアが行う。
衛星通信システムとしては太平洋地域全体をサー ビス範囲とするものを考え、以下の検討結果を得 た。@ヒッチハイク・ペイロードは、Sバンド、2 チャネルの場合、重量3s程度、消費電力50W程 度で実現可能で、価格は3億円程度である。A地球 局は、直径3mアンテナ、送信電力1W程度のもの で、64kb/sの情報伝送が期待でき、価格はアマチュ ア無線機器の流用により100万円程度と推定される。
本ペイロードを将来の静止衛星に搭載できれば、 第2フェーズの汎太平洋情報ネットワークが構築で きるものと期待される。本検討はPTC'90で発表 し、おおむね好評であった。
本ネットワークに関連して、@中曽根・レーガン 会談合意を下にハワイに設立されたPICHTR (Pacific International Center for High Technology Research)、 AISYハワイ会議を踏まえてハワイ大学 に設立されたPACSPACE(Pacific Space Center)、 B日加科学技術協力において関連プロジェクトを提 案しているカナダ通信省等と接触があり、今後協力 していくこととなっている。また、兵庫県がその施 策の一環として本ネットワーク構想を後押ししたい という意向を持っており、今後に期待している。
汎太平洋情報ネットワークの構築は、技術を知っ ていさえすれば可能というものではなく、途上国に 対する援助のあり方、異文化の人々の考え方、国内 にあっては政治的動きなど多面にわたる検討や配慮 が求められる分野であろう。研究を一途に進めるこ とも大切ではあるが、このようなテーマに目を向け て、それまでの研究成果を途上国の人々のために役 立てるという度量を持つことも研究のブレ−クスル ーにとって必要ではないだろうか。それでもなお、 工学研究者が興味を持って本ネットワーク構築に参 加できるためには、工学的研究テーマがあること も必要であろう。地球局の廉価化技術、同報プロト コル等がそのようなテーマとして挙げられるが、今 後、使用可能な衛星を用いてのネットワーク実験、 及びヒッチハイク・ペイロードの衛星搭載実現を図 りながら研究テーマを発掘していきたいと考えてい る。
いずれにしても、情報ネットワーク構築には、 “Human Network”が大切である。そのネットワーク を通じて、国内における活動、国外での動きのお互 いの刺激が有効に作用して本ネットワークの構築が 進むことが望まれる。
最後に、本ネットワークに関する研究について は、平成元年度の大川情報通信基金より研究助成を 受けた。また、本活動に際しては非常に多くの方々 にお世話になっている。ここに深謝するとともに、 今後もご支援をお願いする次第である。
(宇宙通信部長)
ここでは30次越冬の様子の一部をご紹介したいと 思います。我々の越冬は波乱に満ちた幕開けとなり ました。まだ記憶に新しいクレバス転落事故、50m/s を越える強風(時速にすると200q/h程)、これ らは自然の恐ろしさを知るには十分過ぎるものでし た。また、夏隊のピックアップが3月3日になりま したが、これも大変珍しいことです(通常の最終便 は2月1日)。この頃から、我々は自分達のことを “嵐を呼ぶ30次”と言うようになりました。一方 11mφパラボラアンテナの完成という明るい話題もあ ります。アンテナの詳細については別に譲るとし て、ここでは建設時の話をしましょう。このアンテ ナは素人が作り易く、しかも第一級の性能が出せる ように設計されており、本体は僅か1週間程で完成 しました。大きなプラモデルといった感じです。こ の建設作業には私達を含む7名程の隊員が当りまし たが、本職の鳶は一人だけで、残りは格好だけは一 人前のにわか鳶でした。パイプや工具が落ちてくる のは日常茶飯事、何時も棟梁の怒鳴り声が絶えない 建設現場でした。合言葉「アンテナ壊すな!人間の 代わりは居るが、アンテナの代わりは無い」、「人 間、怪我しても時間が経てば治るが、アンテナは治 らない」。しかし、17mの高さに組まれた足場の上 で風に煽られながらレドームのパネルを運ぶ時は、 皆へっぴり腰で顔は引きつっていたようです(手摺 等はありません)。今日落ちるか、明日落ちるかと 考える毎日でした。アンテナが完成したときは、完 成した喜びより、もう高い所で作業しなくてすむ安 堵感のほうが大きかったのが本音です。
我々の越冬中は太陽活動の最盛期を迎え、大きな 磁気嵐が数回発生し、このため短波通信が1週間も 途絶えることが度々ありましたが、反面、素晴らし いオーロラを沢山観測することができました。その 中には30年ぶりに観測された赤いオーロラもありま した。全天に広がったオーロラは、標準レンズのカ メラではその全てを捉えることは不可能で、その場 に居合わせた者だけが見ることを許される華麗かつ 超豪華な天体ショーでした。
南極の一年はとても短く、日本に居るときの半分 にも感じます。それは毎日、仕事や雑用に追われて 過ごしているからだと思いますが、充実した日々で あったことも事実です。皆さんは極地での生活は厳 しくて大変だろう、と思われているでしょう。しか し、寒さや気象条件の苦労はそれほどではありませ ん。現実には、年々高度複雑化する観測装置や測定 器を上手く使えて、良い結果を得ることができるだ ろうか、故障したときは修理できるだろうか、と いったストレスやプレッシャーのほうが遥かに大き いのです。幸にも今回の観測は順調に終えることが できました。現在31次隊員が、日夜故障や動作不良 の発生に恐れながら観測を続けていることでしょ う。
このような貴重な機会を与えてくださいました関 係各位に感謝致します。
アンテナレドーム建設風景
≪随筆≫
釣果もさることながら、一日、自然相手にゆった りとした時間が持てることが好きになった。せっか ちな私は、初めは魚を捕る事、それを食べる楽しみ が目当で、魚を追っていた。名人は私とは違う態度 であった。回数を重ねる内に、それが判ってきた。 離れて糸を垂れている名人を見ると、その周りを、 私とは違う雰囲気が包んでいる。釣れても釣れなく ても、同じものがそこにはあった。自然の中に、溶 け込んでいるようなものがある。「ヘぼは釣果を競 い、名人は釣りを楽しむ」であろうと後になって 悟った次第。釣り人一人ひとり、またその時々、そ の場所場所で考え方を少し変えると色々な楽しみ方 が出来るものである。
通算すると鹿島に5年程赴任していた経験がある が、この間地元名人に、海釣り、フナ釣りも随分と 手ほどきを受けた。貴重な道具を名人から頂き、今 でも私の宝物、時々使用させてもらっている。単身 赴任中、真夜中まで一人、人気のない堤防で、月の 光の中ぽつんとしていて、親しい同僚に心配をかけ たり、つかの間の雨の合間の十五夜を、釣り仲間と 一緒に眺めたりしたことも、また、ジリジリとした 白く広い夏の砂浜で一人じっと釣竿を見つめていた ところへ思いがけなく、釣り仲間の差し入れが喜ば しかったことが懐かしい。フナ釣りでは地元の老人 と世間話をしながら糸を垂れる楽しみもあった。フ ナの釣り人は、一般に話好き、誰とでも仲間になれ るようである。“フナに始まり、フナに終る”も多 少実感した。
海のそばで、波の音を子守歌に育ったが、やは り、私は山奥の清流に入る渓流釣りが気に入ってい る。今でも時々、人気のない山奥に出かける。新緑 の頃、生き生きとした自然の営みを感じ、山が色付 き始めた頃、自然の恵みを感じるなど、自然に溶け 込める釣りも少しは会得したような気がする。
釣三昧二十五年としてみると、今さらながら自分 の半生になるのかと、自分でビックリしている。他 人に威張れるものではないが、仕事以外で何々狂と なって見るのも、一興であり、役立つものなのだ と、自己弁護のために、他人には言うことにしてい る。
本稿を書きながら、色々な懐かしい事が思い出さ れ、また、仕事の合間を作って、出かけたいとの思 いが湧いてきたところである。
(企画調査部長)
湯原仁夫元電波研究所長の死を悼む
平成2年度科学技術庁長官賞受賞
平成2年度研究功績者として 小宮山牧兒 関西支所超
電導研究室長が、また、職域における創意工夫功労者と
しで、当所職員8名がそれぞれ科学技術庁長官賞を受賞
した。さらに、宇宙通信部移動体衛星通信研究室浜本直
和 主任研究官の「周波数適応型トランスバーサルフィ
ルタ」が注目発明に選定された。
研究功績者表彰は16回目に当たり、実用に供される可
能性の高い研究に対して贈られる。今回の授賞は「超電
導空洞安定化発振器の研究」の功績による。超電導空洞
安定化発振器は、現在、周波数安定度の最も高い水素メ
ーザ原子発振器よりもさらに高い安定度が期待されてい
る。本研究では、この発振器の周波数変動要因を解明
し、周波数安定化技術を大幅に向上させると共に、簡便
な電圧周波数制御方法を考案した。この成果は時間(周
波数)標準の精度向上に大きく寄与できる。
また、職域における創意工夫功労者として、
小池国正、篠塚隆、今村國康、小園晋一、瀬端好一、
松本晴久、高橋靖宏、満留博人
の8名がそれぞれの分野で創意工夫をこらした研究成果
によって表彰された。
さらに、注目発明に選定された「周波数適応型トラン
スバーサルフィルタ」は衛星通信回線のような周波数変
動の大きな回線に適したフィルタであり、衛星通信回線
の高度化に寄与するものと期待されている。