ミリ波パルサーの高精度時系への応用

阿部ゆう子

1.パルサーとは

 きわめて規則正しく電磁波を放射する天体「パル サー」が初めて発見されたのは1967年であった。その バルス周期の規則性と極端な短さから、最初は異星 人からの通信ではないかと期待されたが、現在では パルサーの正体は中性子星であると言われている。

 中性子星とは、太陽の8〜30倍の質量を持つ星が寿 命の最後に爆発し、外層が吹き飛んだ後に残る半径 10q程度の「芯」であり、そのほとんどが中性子 でできている高密度星である。半径が小さくなるに もかかわらず元の巨星の角運動量を保持し磁場をひ きずりこむため、自転速度は非常に速く磁場も強い と思われる。中性子星のまわりにある荷電粒子はこ の磁場との相互作用により電磁波を発生し、磁極方 向からはビーム状の電磁波が外に向かって放射され る。このとき、自転軸と磁極とがずれているとビー ムが観測者の方向を向いた時のみ電磁波が観測され るので、自転周期に一致した周期のパルス信号が受 信されることになる(図1)。パルサーの物理的メ カニズムはまだ解明されていないが、以上が今のと ころ一般的なパルサーモデルと考えられている。

図1 パルサーモデル

2.ミリ秒パルサー

 回転する中性子星は、まわりの強磁場との「まさ つ」により電磁波や高エネルギー粒子を放射して工 ネルギーを失うため、その回転スピードは徐々に遅 くなる。その減速率は一般に回転の速い若い星ほど 大きい。だがこの原則に当てはまらないパルサーが 見つかった。1982年に発見されたパルサーPSR1937 +21は、パルス周期P(約1.6msec)が従来のも のに比べ1桁以上速い「ミリ秒パルサー」の第1号 であるが、発見以来数年にわたる観測により、その 減速率dP/dtが約10^-19(sec/sec)であることが 明らかとなった。これは従来のパルサーの1万分の 1以下の値である。周囲の磁場が弱ければ、回転速 度が減少せず長期間安定である可能性もありうる が、その場合通常の数10msec周期のパルサーは放 射が弱すぎて見えなくなるという。つまりミリ秒パ ルサーは従来のパルサーとは全く異なるタイプのも のと考えざるを得ない。その成因過程やメカニズム はまだ未解決の問題であり、天文学者により研究が 続けられている。

3. 時系への応用

 ミリ秒パルサーの特異な性質−パルス周期の長期 安定性−は理論家を悩ませたが、逆にこの性質を利 用した様々な研究の可能性を示唆している。パル スタイミングを新しい時刻・周波数の基準として利 用しようというのもその一つである。

 現在、時刻標準として用いられてい るセシウム原子時計は、30〜100万年 に1秒ずれる程度の高い安定度をも つ。PSR1937+21のパルスタイミン グの長期安定度は、長期観測の結果か らセシウム原子時計の安定度に匹敵す るかそれ以上であるといわれ、地上の 時計にとってかわる新しい時刻標準と しての応用が考えられている。また現 在までにこのようなミリ秒パルサーは 複数個発見されているが、いずれも非 常に安定なパルス周期を保っているこ とから、これらを相互比較することに より地上の時計に依存しない新しい時 系を確立することも可能と思われる。

 当所は、我国の周波数/時刻国家標準を維持・発 展させるための研究開発を行っている。またGPS (全世界測位システム)衛星による時刻比較や、関 東支所鹿島宇宙通信センターの34mアンテナによ る天体電波観測などの技術も有する。当所ではこれ らのポテンシャルを活かし、ミリ秒パルサーによる 高精度時系の確立をめざして、1989年よりパルスタ イミング高精度検出のための基礎研究を開始した。

4. CRLにおける研究

 研究の第一段階として、基礎観測システムを現在 開発中である。ミリ秒パルサーのパルスは非常に強 度が弱いため大型の受信アンテナが必要とされる が、鹿島34mアンテナはミリ秒パルサー観測用と しては小型なので、受信能力においては世界各地の 観測局に比べて不利である。このハンディを補うた め、受信装置の最適化やデータ処理技術により検出 精度向上を図らなければならない。具体的には、受 信周波数帯域幅を広げ、多数回パルスを加算する ことによりS/Nを上げノイズに埋もれたパルス を検出する、といった手法を取り入れた。図2にシ ステムの構成を示す。信号検出部を多チャンネル化 することにより受信周波数の広帯域化を実現し、デ ータ処理装置によりハード的に加算処理を行うこと で、大容量のデータを高速に処理することができる。

図2 ミリ秒パルサー基礎観測システム

5.基礎システムによる観測結果

 本年1月に基礎観測システムの1チャンネル分が 完成したので、チェックもかねて目的のミリ秒パル サーPSR1937+21の試験観測を1.5GHz帯で行 い、パルス検出に成功した。

 図3にその受信波形を示す。これは約600万個の パルスを重ね合わせたあとの波形である。パルス信 号は本来シャープなのだが、宇宙空間を伝わる間に プラズマの影響を受け、観測されるパルス波形はや や広がってしまっている。パルスタイミングを高精 度に検出するためには、このプラズマの影響を除去 してできるだけシャープなパルスを得られるように しなければならない。図2の観測システムはこの点 も考慮して設計されており、多チャンネル系が完成 すればプラズマの影響を取り除いた観測結果が得ら れる予定である。

図3 PSR 1937+21の検出パルス波形

 現状の1チャンネル系による観測結果から見積 もったパルス到着時刻の決定精度は約4μsecであ るが、全系が完成すれば、数時間の積分により決定 精度を約300nsecにまで向上させることが可能で ある。これはアレシボ天文台(プエルトリコ)の直 径305mアンテナにおける数分間の積分で得られる 決定精度(現在最も高精度と思われる)と同等の値で あり、口径のハンディを観測時間で補うことにより 時計として利用可能な性能 を実現することができる。

6.今後の計画と 将来の応用

 将来的にはGPSを用い てUTC(協定世界時)と絶 対時刻比較することにより 地上の時系とのリンクを図 る。さらに、より短時間で 高精度なデータを得られる ようにするため現在開発中 の基礎受信装置を発展さ せ、受信帯域幅を10倍(300 MHz)程度にまで広げるこ とも計画している。また現 在は1種類の偏波しか受信 できないので、右旋・左旋両偏波を同時に受信し2 倍の情報量を得ることができるよう、受信系を改造 する予定である。

 高精度のタイミングデータが得られれば、時計と しての利用の他にも様々な成果が期待される。例え ばパルスタイミング自身を高安定なプローブと考え そのゆらぎを解析することにより、伝搬路の星間物 質の情報や、地球とパルサーの相対位置に関わる太 陽系ダイナミクスの情報などを高精度に引き出すこ とができる。また背景重力波のかすかな影響を反映 しうるプローブとしても注目を集めている。長期間 のデータはパルサーの物理的性質の解明にももちろ ん有効である。ただ長期にわたり安定した観測結果 を得られるようになるまでにはまだ様々な問題があ り、今はやっと足がかりをつかんだ段階に過ぎない。

 タイミング測定の他にも、VLBIによるミリ秒パ ルサーの位置・固有運動観測、未発見ミリ秒パルサ ーの探索など、ミリ秒パルサーに関する研究テーマ は多い。今後は他機関との共同実験なども含めて研 究を続けていく予定である。

 なお本研究は、科学技術庁振興調整費の重点基礎 研究課題経費により、平成元年度から3年間の予定 で基礎研究を実施しているものである。

(関東支所 宇宙電波応用研究室 技官)


秋田電波観測所の閉鎖に当たって

所長 畚野信義

 秋田をとうとう閉じることになりました。たいへ ん残念であります。四十一年半もの歴史を持つ観測 所を廃止することは当所にとって非常につらい選択 でありました。しかし、これは長年にわたって所内 で行われて来た様々な検討の結果、この決定に至っ たものであります。

 振り返って見ますと、IGY(国際地球観測年)を 経て発展してきた電波観測所の将来の在り方につい て初めて問題を投げかけたのは、ISS(電離層観測 衛星)の計画でありました。もし、このようなシス テムが導入され、機能するならば電波観測所の役割 に決定的な影響を与えることになります。幸か不幸 かそれは実現されませんでしたが、通信衛星の実用 化に象徴される技術の急速な進歩に伴う、短波通信 をとりまく状況の大きな変化は、以来電波の予・警 報とそのための観測のありかたを当所の最大の懸案 事項のひとつとしてきました。

 何度か全所的な検討が行われ、報告書が出されま した。その中で最後の委員会(通称新野・松浦委 員会)の報告は、電離層定常観測を従来の緯度5度 間隔から10度間隔への変更を提案するなど、かなり 思い切った内容を持つものでありました。以後、い ろいろの状況を勘案した結果、ほぼこの報告に沿っ て進める事が妥当との結論に達しております。

 短波通信の重要性の変化の他、通信の自由化に伴 い電気通信・情報分野において我国唯一の国の研究 機関となった当所の役割の変化、我国の国力の向上 に伴う科学技術分野における世界への貢献の必要性 と国立研究機関の役割の変化などの中で、21世紀に 向かっての通信総合研究所の在り方、すなわち拡大 する新しい分野への限りある要員・予算のバランス の良い配分、稚内から沖縄まで広がる当所組織の将 来の在り方を考慮し、そのための改革のひとつとし て今回秋田を平磯宇宙環境センターに統合して宇宙 天気予報の研究を強化することにしました。

 しかし新しい研究を進める為とは言え、長年続い たものを閉鎖までする最大の要因は要員の不足であ ります。7次にわたる定員の計画削減により、かつて 500人近くいた当所の定員は現在約430人を割るとこ ろまで減少しており、その中で更に上記の新たな 状況に対処する必要に迫られている訳であります。

 我国の国立研究機関の研究職定員約1万人、米国 のそれが約6万人、我国よりずっと人口が少ないヨ ーロッパ先進国でも約3〜4万人いるとされていま す。「科学技術の不均衡」「基礎研究ただ乗り論」で 非難される我国では最近科学技術の振興、基礎研究 での世界への貢献の必要性が声高に述べられるよう になりましたが、実質はまだまだ伴っていないこと を痛感させられます。

 公式の閉所は6月1日でしたが、6月6日にはい ろいろお世話になった方々、関係官公署、報道機 関、元職員夫妻、その他関係の深い方々を招き、閉 所のご挨拶とお礼の会を持ちましたが、多数の方々 においで頂くことができました。また前日の6月5 日の夕方から秋田の元職員と家族の方々のために、 慰労の会を観測所の中で開きました。糟谷、野村両 元所長御夫妻をはじめ東京はむろん、九州からも駆 けつけていただき、多くの方が秋田で久しぶりに再 会できたと喜んで頂きました。食事が一段落した後、 昔のスライドや8ミリを楽しんで頂きました。古く なったスライドはフレームから外れ、8ミリフィル ムはもろくなって折れるというような状態でした が、昔は構内の官舎に一緒に住んでおられた方が多 かっただけに、皆自分や同僚、その家族の若かった ころ、あるいは幼かった子供達の映像に思いもひと しおのようでした。このように多くの方たちが一杯 の思い出を持っておられる観測所を閉じることの責 任の重大さを改めてずしりと感じました。

 実は私自身も秋田には忘れられない思い出を持っ ています。ちょうど30年前の昭和36年電波研究所に 入所してすぐ、当時秋田の道川海岸で行われていた ロケット実験に参加しました。夏の海岸で蛤を一杯 拾ったこと、雪のクリスマスを過ごしたこと、ロ ケットの爆発で危うく命拾いしたことなどが走馬燈 のように思い出されます。まさか30年後に私が秋田 を閉じる役目を負うことになるとは夢にも思いませ んでした。

 今年3月、観測所を閉じることを県、市をはじめ 関係のところへ報告し、御理解を得るため秋田へ来 たとき、道川海岸に行ってみました。強い吹雪の中 とはいえ内之浦へ移って30年近く経った海岸には、 かつての実験場を思い出させるものは影も形もあり ませんでした。ずっと離れた全く別の場所にロケッ ト発祥の地と記した石碑が立っていました。6月5 日には新発田よりも元の様子が残っているという深 浦に行きました。町の背後のかなり高く立ち上が る大地上の旧海軍送信所があった場所と言われる 跡地は以外に広く、畑になっておりトラクターで耕 したばかりの様でした。深浦で採用され、秋田に長 く勤務し、数年前退職して故郷の深浦に住んでおら れる森さんに案内していただき、「あの蔦の絡んだ 松の前の方に入口があって……」という説明を聞き ながら月日がたつ速さと自然のしたたかさを思いま した。2年後には観測所の建物もなくなります。そ の後も、秋田で苦労された多くの先輩たちのことが 忘れられることがないよう何かを考えたいと思いま す。

 最後に、この永い年月の間に秋田電波観測所に勤 務され、電波の観測と研究にその人生の多くを捧げ られた元職員とその家族の方々の御苦労に対し、心 よりの敬意と感謝の意を表すとともに、秋田の閉所 を無駄にすることなく、通信総合研究所を発展させ るため一生懸命努力することを所員一同と共に誓い ます。

(通信総合研究所 所長)


秋田電波観測所 −41年余の歴史を閉じる-

田中正利

 

はじめに

 東北地方の日本海側に面した一角に、米と酒とお ばこで名高いみちのく秋田がある。その中心となる 秋田市は、その昔佐竹氏20万石の城下町として栄 え、市内には、昔ながらの落ち着いた街並みがとこ ろどころで見られる。このような閑静な家並みのあ る住宅地と大学に囲まれた場所に秋田電波観測所が 位置していた。

秋田電波観測所

 同観測所は、昭和24年12月に新潟県と青森県に あった二つの電波観測所を統合して設立され、開設 以来、電離層観測を主体とした業務を継続してきた。

 また、太陽活動が電離層に及ぼす諸現象(デリン ジャー現象、磁気嵐等)の調査や短波帯電波の伝わ り方に関する基礎的な調査、さらには、衛星放送波 を利用した周波数標準に関する調査・実験等、地域 性を生かした研究も行ってきた。

 これらの業務では、常に変動する電離層の状態を 観測し、短波通信を行うユーザに対して周波数や時 間帯を適切に判断する情報を提供した。

 同観測所は、平成3年6月に所属する通信総合研 究所の機構改正の一環として、開設以来41年余の歴 史に幕が引かれ閉所となった。

 この半世紀にも近い歴史を持つ同観測所の閉所に 際し、図らずも最後の観測所長を務めた筆者が、同観 測所の足跡についてその概要を述べることにする。

 

秋田電波観測所の沿革

 同観測所は、当初昭和24年11月5日に組織の上で 電波庁電波部電離層課秋田分室として発足したが、 実際には、電気通信省電気通信研究所所管の新発田 電波観測所(当時、新潟県北蒲原郡聖籠村、昭和21 年3月25日文部省電波物理研究所により設立)と同 所管の深浦電波観測所(当時、青森県西津軽郡深浦 町、昭和21年7月20日文部省物理研究所により設 立)との統合があり、昭和24年12月1日付で開設さ れたものである。

 その後の所属は、行政機構の改正と共に幾度か変 遷し、昭和27年8月1日に郵政省電波研究所(現通 信総合研究所)の所属となった。

 職員数は、開設当時に初代観測所長糟谷氏ほか16 名、郵政省に所属となった昭和27年当時には14名で あったが、閉所間際には観測所長ほかわずか2名で あった。

 

電離層観測業務

 同観測所は、東経140度、北緯40度付近に位置し て国内の稚内、国分寺(東京)、山川、沖縄の各電 波観測所と共に緯度に対し約5度間隔の電離層観測 網を形作っていた。

 電離層観測は、短波帯での周波数を変化させなが らパルス状電波を地上から垂直に発射して、それが 電離層反射により・再び地上に戻るまでを時間計測 し、見かけの高さとその変化を観測するものであ る。世界中には、約130か所の電離層観測所があり、 地球規模の観測が行われている。

 国内の各観測所では、取得した観測結果を解析す るために、従来の人手を介した読み取り作業に替わ り、現在、パーソナル・コンピュータにデータを符 号化して記憶し、電話回線を通じて本所(東京)の 大型電子計算機へこれを伝送し、処理を自動的に行 うシステムを運用している。これらの解析データ は、短波通信回線に関する電波予報・警報等の基礎 資料となっている。

電離層観測装置

 同観測所が設立された当時は、観測機が手動式で あったため、いわゆる「タコ踊り」と称する忙しい 観測作業が行われていた。その後自動化が進み昭和 27年秋頃からは、定常の観測に自動観測機が使われ るようになった。

 昭和32年に始まったIGY(国際地球観測年:1957−1958) とそれに続くIGC(国際地球観測協力年: 1959)では、更に改良された自動直視式観測機(現 用観測機の骨子となったもの)を使って観測が行わ れた。

 この頃は、観測データを解析する作業等で人員が アルバイトを含めて十数人と多く、同観測所にとっ て内容の濃い華やかな時代であったようだ。

 この昭和30年代前半には、秋田市近くの道川(みち かわ)海岸でロケット実験が行われ、カッパー型ロ ケットが高度約200qに達し、電離層の直接観測に 初めて成功した。これに伴って同観測所では、直視式 観測機を用い、ロケット観測と同時の観測を行った。

 現在、実験場近くには「日本ロケット発祥記念の 碑」が建てられている。

ロケット発祥記念の碑

 ところで近年、電離層観測機に斜め伝搬観測用の 付加装置が整備され、垂直と斜めの観測が同時に行 えるようになった。この斜め観測によって短期の電 波予報・警報の精度向 上が期待されるばかり ではなく、一つの観測 所でカバーできる範囲 が広がり、これまでに 緯度に対して5度おき で行われてきた国内の 電離層観測は、10度お きに移行することも可 能となった。このこと は、同観測所が閉所す る背景の一つでもあっ た。

 

秋田で実施された調査研究

 一般に十年一昔と言われるが、同観測所で行われ てきた主な調査・研究は、その時代を反映してお り、その概要を約十年間隔で述べることにする。

 設立当時は、電離層観測機の改良や観測結果の解 析等による調査・研究が主体であったが、昭和30年代 になると標準電波(JJY2.5及び5MHz)を受信する 短波電界強度測定が開始され、また昭和33年頃に秋 田地域で見られた、赤色のオーロラとそれに伴う電 離層擾乱現象の調査では、貴重なデータが得られた。

 昭和40年代では、標準電波(長波40kHz)の受信 による電離層(D領域)の冬季異常吸収とSID(急 始電離層擾乱)等、太陽活動に伴う諸現象の調査が 開始された。

 昭和50年代前半では、流星レーダ観測が新たな計 画として加わり、秋田市郊外の木曽石(きそいし) という場所に観測棟が設けられた。観測は、昭和55 年1月まで続けられた。さらに同年代後半では、降 雪時の伝搬を目的として行われた光・ミリ波の実験 や、NASA(米国航空宇宙局)との共同によるSIR-B (シャトル映像レーダ)の実験等が行われた。

 SIR-Bの実験では、県内大潟村周辺の映像と稲作 観測が地元の新聞等をにぎわした。

 そのほか、ズポラディックE層伝搬によるVHF 帯の混信問題を究明するために、FM放送波の受信 測定が行われた。また、短波帯周波数のドップラ 観測も実施された。

 昭和60年代から閉所までの間、特に昭和63年から は、時刻と周波数に関する調査・実験が行われた。

 この時は、同観測所内で正確な信号を各観測機器 に送っていたRb原子標準器を対象にして、国家標 準との精密同期を図る実験や、衛星放送波を利用し た周波数の精密比較に関する調査・実験を実施し、 地域的な基準時刻・周波数の精度向上に貢献した。

 

むすび

 秋田電波観測所は、所属する通信総合研究所の機 構改正に伴い、平成3年6月1日に組織の上で、関 東支所平磯宇宙環境センターに統合され、閉所した。

 開設時から41年余もの歴史の中で、初期の木造平 屋建庁舎時代には、IGY、IGCに伴う大規模な国際 共同観測の活気あるイベントがあった。また、昭和 44年に建て替えられた鉄筋二階建庁舎時代には、流 星レーダによる観測を始め、光・ミリ波の伝搬及び SIR-Bの実験等がイベントとしてあった。

 同観測所にとって、最近の出来事の一つに、昭和 58年5月に起きた「日本海中部地震」があった。こ の時は、秋田沖に発生したマグニチュード7.7の大 地震によって県内では多くの犠牲者がでたが、同観 測所では各部屋の戸棚類や机、観測機器が定位置か ら移動したり、また、庁舎の一部に亀裂が入って部 分的な破損崩壊の被害があった。幸いなことに職員 とその家族には、何の事故もなかった。

 そのほかに、昭和61年夏に開催された秋田博覧会 への参加も最近の話題の一つであった。

 これは、地域的な規模の博覧会であったが、ミリ 波の無線装置やパソコン通信装置を出展し、地元関 係者等に好評を博した。

 現在「秋田電波観測所」の看板は外されたが、そ の敷地(11,655u)と建物は、大蔵省の「特定国有 財産整備特別会計」に組み入れられており、平成3 年度から暫定的に2年間、電離層観測業務が続けら れている。

 終わりに当たり、同観測所が閉所するまでの長い 歴史に、数々の業績を残された諸先輩方、並びに同 観測業務にご支援、ご指導を頂いた皆様方に厚く感 謝致します。

(情報管理部 電波観測管理室 主任研究官)


短 信

「電波の日」表彰について

 第41回電波の日にあたり、当所の研究業績に貢献した 次の団体に対し、6月3日所長から感謝状が贈呈され た。

宇宙開発事業団追跡管制部

 衛星電波の利用に関する研究の重要性に深い理解を 寄せ、当所が行った技術試験衛星U型伝搬実験に際し 多年にわたり衛星の運用管理と電波の発射を継続し、 電波伝搬特性の研究推進に多大な貢献をした。

(財)移動無線センター準マイクロ波帯研究開発グループ

 陸上移動通信に関する研究の重要性に高い理解を寄 せ、当所の準マイクロ波帯陸上移動伝搬の解明実験に 当たり無線基地局設営のための空中線設置及び必要機 材の提供など、新周波数帯の研究開発に多大な貢献を した。

福田特許事務所

 電波、情報通信に関する研究の重要性に深い理解を 寄せ、当所の長年にわたる外国特許出願代行業務に当 たり多くの困難を克服し、高い特許登録率を得るなど 当所の研究業績を広く世界に紹介するために多大な貢 献をした。

第80回研究発表会開催される

 平成3年春季研究発表会(第80回)が去る5月29日に 当所大会議室で開催された。

 畚野所長の挨拶に続いて午前中は陸上移動通信の高度 化に向けての研究として「準マイクロ波帯マイクロセル 内陸上移動伝搬特性」と移動体衛星通信実験(ETS-X/ EMSS)の成果報告である「2機の衛星を用いた通信・測 位複合実験」そして「ETS-Xを用いた汎太平洋情報ネッ トワーク実験」の発表を行った。午後からは計算機を使 う時の利用者の支援を行うシステムである「人と計算機 の対話によるユーザ支援」、高臨場感通信のための中核 技術の一つと言われる立体図形処理の研究、開発である 「臨場感通信のための立体形状モデリング」そして1.5m 望遠鏡を用いたレーザ測距システムである「高精度衛星 レーザ測距システムの開発」、短波海洋レーダによる潮 流や黒潮の動きを解析した「短波海洋レーダによる海流 観測実験」についてそれぞれ発表した。

 所外から217名もの多くの方々が来聴され、発表につ いて活発なご意見ご批判を項いた。これら多くの貴重な ご意見を参考にして、今後も更に充実した研究発表会に していきたい。