77周年を迎えた平磯宇宙環境センター


小川 忠彦

 当所の関東支所に所属する平磯宇宙環境センター は、大正4年(1915年)1月に逓信省電気試験所平 磯出張所(写真1)として発足し、今年で77年の歴 史を持つに至りました。この間の当センターの歩み は、我が国で初めてまたは世界に先がけての発明、 発見、開発など数多くの輝かしい業績に彩られてい ます。ちなみに、この間にセンターの名称は8回も 変わりました(表1)。


(写真1)逓信電気試験場平磯出張所の建物(現在は無線資料館)

大正4年1月逓信省電気試験所
平磯出張所
昭和32年8月逓信省電気通信研究所
平磯出張所
昭和24年6月電気通信省電気通信研究所
平磯電波観測所
昭和24年11月電波庁電波部対流圏課
平磯分室
昭和25年6月総理府電波監理委員会
中央電波観測所
平磯電波観測所
昭和27年8月郵政省電波研究所
平磯電波観測所
昭和41年4月同 平磯支所
昭和63年4月郵政省通信総合研究所
平磯支所
平成元年5月同 平磯宇宙環境センター
(表1)名称の変遷

 当センターの歩みは大きく次の三つに分けること ができます。すなわち、(1)無線通信の新しい装置 や方式を次々に生み出し、それらを実用化した時代、 (2)無線通信の運用に役立つ電波警報を発展・充実 させるため、電波伝搬や無線工学の研究に加えて、 電離圏や太陽地球環境の理学的研究に対象を広げて いった時代、そして、(3)21世紀には飛躍的に展開 されるであろう有人宇宙活動を支えるための「宇宙 天気予報システム」の開発研究を開始した時代であ ります。
 

無線通信の黎明期
 大正6年には、当センターで考案された真空管式 無線電話機の最初の通話試験が平磯〜磯浜(現在の 大洗)間で実施されました。また、大正13年には、 我が国で初めて米国放送電波 の受信に成功し(表紙写真)、 昭和7年には、我が国最初の 電離層観測を開始するなど、 日本の無線通信界に特筆され る業績を残しました。電離層 観測技術は、その後大いに発 展し、現在5か所の地方観測 所(椎内、秋田[平成4年末 には閉鎖予定]、国分寺、山川、 沖縄)で実施されている電離 層の定常垂直打上げ観測に受 け継がれています。
 

電波警報の研究と業務
 第2次世界大戦を経て、無 線通信技術は急速に発達し、 電波の利用も長波から短波、 超短波、極超短波へと広がり、 それに伴って研究内容も変 わってきました。短波通信は 戦後に全盛を迎え、“短波通 信が一国の経済を支配する” 時代へと突入しました。電離 層の反射を利用する遠距離短 波通信では、太陽活動(太陽 フレア)や地磁気活動(地磁 気嵐)による電離圏擾乱のた め、時として数時間から数日 にかけて通信不能の状態に陥 ることがあります。このような現象(特に、太陽フ レアによるデリンジャー現象)は短波通信が開始さ れた頃から知られていましたが、全盛時代を迎える に至り、通信擾乱を事前に予知し警報(“電波警報” と呼ぶ)を発する必要性が出てきました。通信運用 者は、電波警報や短波伝搬状態の現況を知ることに より、通信障害の原因が自然現象によるものか、無 線機器の故障によるものかの判断が下せるように なったわけです。
 昭和24、25年頃から電波警報を目的とした本格的 な研究活動が当センターで始められました。その後、 電波伝搬の状態を監視するため短波標準電波を受信 観測する一方、電波伝搬に影響を及ぼす太陽・地球 環境を監視するため太陽面の黒点観測及び地磁気観 測を定常的に実施してきました。太陽電波観測は、 昭和27年に200MHzで開始して以来、現在では五つ の固定周波数(100,200,500,9500,32000MHz) と70〜500MHzの掃引周波数(写真2)で行ってい ます。この間、昭和32〜33年に実施された国際地球 観測年(IGY)には、太陽地球間物理学の発展に貢 献するとともに、その成果は電波警報業務にも反映 され、「HIRAISO」の名を世界的に広めました。当 センターは「我が国の太陽地球間物理学発 祥の地」である、といっても過言ではあり ません。


(写真2)70-500NHz太陽電波スペクトルアンテナ

 電波警報を発令するには、太陽・地球環 境を24時間監視する必要があります。その ためには、どうしても国際協力が必要であ るため、IGYを契機として世界的組織 (IUWDS;国際ウルシグラム世界日業 務)が設立されました。当センターは、そ れまでの実績が認められ、IUWDSの「西 太平洋地域警報センター」に指名されまし た(図1)。現在、

図1に示されている世 界各地域の警報センター間では、テレック スや計算機ネットワークを介して、太陽・ 地球環境のデータが日夜飛び交っています (図2)。当センターの職員は、毎朝この データ(ウルシグラムと呼ぶ)と平磯が独 自に観測しているデータを検討し、当日か ら翌日にかけての電波警報を発令します (写真3)。発令内容はIUWDS網を通し て世界に流されるとともに、国内の関係機 関にもファクシミリなどにより連絡されま す。また、一般ユーザーが必要な時に即時 に入手できるよう、テレホンサービスによ る「電波じょう乱情報」の提供を昭和61年 から開始しました。毎月の利用回数は、太 陽活動にも依存しますが、2000〜3500件に も達しています。


(図1)IGYを契機に設立されたIUWDSの本部と地域センターの配置


(図2)IUWDSデータ交換網


(写真3)毎朝10時に行われる予報会議

 

宇宙天気予報
 時代の変遷とともに、通信手段の主役は、 はるかに信頼度が高く、高速・大容量の通 信が可能な衛星や海底ケープルへと移り、 少なくとも日本では、短波通信はその重要 性を失いつつあります。従って、元来、短 波通信のために開始された電波警報(電波 擾乱予報)も同じ憂き目に合うことになり ます。当所は、10年以上前からこのような 時代の到来を予見し、電波擾乱予報の発展 方向(次なるターゲット)を模索してきま した。容易に気付くことは、国内外から日 夜収集される太陽・地球環境データは、擾乱予報に 役立つだけでなく、我々を取り巻く宇宙環境の様子 をも伝えていることです。

 宇宙利用の時代が始まっています。21世紀は有人 宇宙活動、宇宙利用、有人惑星探査がますます活発 となる時代でしょう。しかし、有人宇宙活動が行わ れたり人工衛星群が飛び交う空間は太陽などからの 危険な放射線が満ちみちた世界です。当センターは、 このような危険を未然に予報し、宇宙空間を住みよ くするための研究、すなわち、「宇宙天気予報シス テム」の研究開発を昭和63年から開始しました。21 世紀の初頭にはシステムを完成させたいと思ってい ます。宇宙天気予報は、当センターが長年にわたっ て実施してきた電波じょう乱予報を飛躍的に発展・ 向上させたもので、従来のノウハウを存分に活かせ る研究テーマです。

 的確な宇宙天気予報を発令するには、種々の観測 データを迅速に収集して分析することが必要です。 このため専用コンピュータを昭和63年に導入し、国 内外の関係機関との間でコンピュータ通信によるデ ータのやりとりを開始しました。今では、国内各観 測所のイオノグラム、犬吠観測所のVLFデータ、 気象衛星による太陽粒子線観測データ、米国で取得 している太陽画像などをほぼ実時間で平磯で見るこ とができます。近い将来 には、宇宙科学研究所の 太陽観測衛星「陽光」が 取得する太陽軟X線画像 も手にすることができる でしょう。また、太陽フ レアの機構を解明するた め、平成元年から太陽磁 場と太陽プラズマ動態観 測装置の整備に着手しま した。あと2年ほどで完 成する予定です。

 宇宙天気予報は新しい ユーザを開拓しつつあり ます。従来の無線通信運 用者やアマチュア無線家 に加えて、衛星運用者、衛星設計者、電力会社、海 底ケーブル運用者、学術研究者などです。当センタ ーの計算機に蓄積されている世界中の太陽・地球環 境データは、計算機ネットワークを介して、広く国 内外のユーザに開放されています。

 宇宙天気予報システムを完成させるには、新しい 観測施設の整備、太陽フレア発生機構の解明など、 まだまだ多くの難題がありますが、一歩いっぽ着実 に前進させたいと思います。4年度末に閉鎖される 秋田観測所の機能を平磯センターに移す計画が実施 されています。3〜4年度で、当センター内と大洗 分室には新庁舎が建設されるとともに、太陽電波観 測施設や電波観測施設などが増強されます。新しい 研究環境が新しい研究成果を生み出す場となること を期待しています。
 

おわりに
 平磯宇宙環境センターが77周年記念を迎えるにあ たり、設立当初から現在までの変遷の概略を紹介し ました。長い歴史をふりかえる時、諸先輩の大変な ご努力があったからこそ、現在の姿に達しえたのだ と、改めて思い知らされます。今後とも関係各位の ご支援・ご協力をお願いする次第です。

(平磯宇宙環境センター長)




ウルシグラム・コードの改訂について


川崎 和義

 平磯宇宙環境センターでは国際ウルシグラム世界 日業務(IUWDS)の地域警報センター(RWC)と して太陽・地磁気活動の予報業務(GEOALERT) とそれに必要な各種の観測を行っています。世界中 央警報本部(WWA)や世界6か所にある地域警報 センターの間では、この予報や各種観測データをウ ルシグラム・コードと呼ばれるもので互いに交換し ています。
 従来、この予報は「活動的」、「静穏」の2段階で したが、近年の各種観測技術及び予報技術の発達に より、もっと詳細な予報ができるようになりました。 またコンピュータ技術の発達によりウルシグラム・ コードの自動処理が行われるようになってきまし た。そこで予報の細分化とコンピュータ処理に適し たコードヘの変更及び新しく加わった観測データに 使用するコードの追加のため1992年4月1日にウル シグラム・コードが改訂されます。今回改訂される ウルシグラム・コードを

表1に示します。
 この改訂でもっとも大きく変わる部分は、フレア・ 地磁気活動予報の細分化とプロトン現象の予報が追加 されることです。これまでの2段階の予報が数段階の 予報となり、ユーザーにとって今まで以上に細やかな 情報となります。新しいコードの一例としてフレア予 報の場合を

表2に示します。今までの2段階の予報と 比べ細かくなっていることが分かります(UGEOA)。

コード内 容
UGEOAフレア、地磁気嵐、プロトン現象の予報
UGEOE大きな異常現象
UGEOI黒点相対数等の指数
UGEOR黒点群ごとのデータと予報
(表1)改訂されたウルシグラム・コード

予 報説 明
QUIET
(静隠)
ERUPTIVE
(Cクラスフレアの発生確率<50%)
ACTIVE
(Cクラスフレアの発生確率≧50%)
MAJOR FLARES EXPECTED
(Mクラスフレアの発生確率≧50%)
PROTON FLARES EXPECTED
(プロトンフレアの発生確率≧50%)
WARNING CONDITION
(活動的であるが数値予報はできない)
NIL
(警報期間の終了)
/予報なし

(表2)細分化されたフレア予報

 また、今回新たに加わる情報として、大きな異常 現象(UGEOE)と各黒点群毎の詳しい情報(UGEOR) があります。これによりフレアの大きさ(光学観測、 X線観測)やそれに伴った異常現象がすぐに分かる ようになり、各黒点群毎のフレアを起こす確率予報 や黒点磁場構造等の詳しい情報を知ることができる ようになります。黒点相対数等の指数の情報も新た に数項目増えます(UGEOI)。この改訂で、より正 確な予報(GEOALERT)の発令が可能になります。

 このように、今回のウルシグラム・コードの改訂 は私たちの進めている宇宙天気予報計画にも沿った ものであり、これによってデータ交換の効率や内容 が益々充実したものになります。

(平磯宇宙環境センター 宇宙天気予報課 予報係長)





≪通信総合研究所滞在期≫

My experience of Japan


V.Baryshev

 I arrived in Japan in August 1991 with an STA (Science and Technology Agency)fellowship to work in the Communications Research Laboratory of Ministry of Posts and Telecommunications on the international cooperation project "Study for High Resolution Laser Spectroscopy Technique". A subject of my investigation is a laser cooling of the cesium atomic beam with the aim of the creation of fountain type frequency standard.
 First of all I appreciated very much the admirable organization of the fellowship program : I found everything arranged and a very warm atmosphere created by Host Institute Leadership, by my host scientists and all the researchers of the Institute since the first day of my arrival, which assured a smooth transition and helped me overcome the communication problems. As concerns the equipment of my laboratory, undoubtedly, it is superior to that one in my country, making work very easy. However, I can not hope to see the final results of my work here because the period of my stay in Japan is not long enough. But I wish my contribution to the project would be useful for its further successful development.
 I am very happy that my stay here permitted me to establish some sincere friendships. Now six months have passed in a rush and nothing is as strange as it was in the first days, largely due to the kind support from my colleagues in everyday live. Of course, working in Japan is quite different from my country to the extent that one has to adapt himself in a quite different society.
 No doubt, living in Japan is a great experience. I am very happy I had the possibility to live and to work here.
 Thanks to the STA Fellowship award for a period of eight months provided by JRDC and to the helpful support by the many skilled and very kind people of my "Host Institute".
 Thanks to Japan.

Baryshev氏の紹介

 ヴィヤチェスラフ・ニコライヴィチ・バリシェフ 氏は旧ソ連のVNIIFTRI研究所(物理技術と無線技 術の計測に関する科学と研究の国立研究所)より省 際基礎研究のフェローとして平成3年8月12日に来 日。平成4年3月31日まで滞在予定。VNIIFTRI研 究所では時間と周波数供給部門でセシウム周波数標 準器の研究に携わってこられ、我々の研究に直接結 びつく非常に有意義な協力関係を得ることができ た。来日後ソ連における政変等心配したこともあっ たが、2月中旬には奥さんも無事来日する事ができ た。残りの時間を有意義に過ごされることを願って いる。同氏の滞在に御協力いただいた関係各位に厚 くお礼申し上げます。

(標準測定部 原子標準研究室長 梅津 純)





≪外部機関近況≫

ATR光電波通信研究所とその周辺


中條 渉

 昭和61年4月26日に設立されたATR光電波通信 研究所は、10年間プロジェクトで約40名の研究員で 構成されています。ここでは、宇宙から個人までの ネットワーク化をキャッチフレーズに研究を進めて います。具体的には、将来の宇宙通信において重要 となる光を用いた衛星間通信の基礎技術、いつでも、 どこでも、だれとでも通話が可能となるような新し い移動通信システムのための基礎技術および小さく て軽く、しかも様々な働きを持った通信デバイスを 可能とする新しい通信用素子の研究を3研究室、1 企画課体制で進めています。

 この中で現在CRLから、無線通信第一研究室で 光衛星間通信のための基礎研究を行なっている有本 好徳、高機能アレーアンテナの基礎研究を行なって いる中條渉、無線通信第二研究室で移動通信システ ムのための基礎研究として信号処理技術の研究を行 なっている藤井智史の三名が出向してきています。 また、すでにCRLに戻られた荒木賢一さんや、真 鍋武嗣さんも当所で活躍されていました。そして旧 電波研究所出身者として忘れてならないのは、設立 当時からATR光電波通信研究所に身を投じて現在 の研究所を築きあげられた古濱洋治社長です。それ から、轄総ロ電気通信基礎技術研究所(通称ATRI) 所属の上田義矩部長も光電波通信研究所の監査役と して活躍されています。

 当所はちょうど30歳前後の働き盛り、遊び盛りの 研究員が多く、NTT、KDDなどの電気通信事業会 社やNHK、東西を問わず大手電気通信メーカからの 出向者と極少数のプロパー、それに外国からの客員 研究員で研究者が構成されています。もちろん、研 究テーマごとにグループがあり、系統立てて研究が 行なわれているわけですが、光電波通信研究所は一 面として道場的色彩を持ち、出向元で培ってきた各 自の研究流儀を交わらせることができる、研究者に とってはこのうえなく楽しい場になっています。こ れはまず、約40名の研究員全員がパーテションで区 切られた一つの大部屋にいるため、光や無線通信関 係の学際分野の研究者や、無線通信と言いながらも ファジィ、カオス、さらには有機化学にいたる幅広 い分野の専門家と即座に意見を交換できる環境の良 さと、研究者の年齢が30歳前後と油がのりつつあり、 しかも各出向元でそれなりの技?を身につけてきて おり、それがさらにほぼ3年ごとの周期で次々と交 代していく回転の良さに起因するものと筆者は考え ています。

 次に研究環境ですが、ATR光電波通信研究所は ATRIが建物スペースを貸与するR&D会社の一つ です。ATRIは114,000m^2の敷地と延面積24,000m^2 の建物スペース・研究施設を所有し、研究者の確保、 研究企画の支援などを行なっています。さらに、 ATRIは研究者のインフォーマルな交流やリフレッ シュのためにテニスコートや運動場(予定)、トレー ニングルームや自然環境豊かな談話コーナーを提供 し、研究者の知的創造性を刺激する快適な環境を提 供しています。また、勤務時間は現在、出社時間が 9時を中心として前後1時間を選べるシフト制と なっていますが、平成4年度からはコアタイムが非 常に短い時間に限られるフレックス制に移行するこ とが予定されています。

 ATR光電波通信研究所が所有する主な研究施設 としては大型電波暗室、クリーンルームそして抜群 の計算機環境です。大型電波暗室は長さ25.5m、幅 14.5m、高さ12.0mの大きさを有し、関西では最大 規模、日本でも有数の大きさを誇ります。運用周波 数は500MHz〜40GHzで、直径4mの大きさのアン テナまで測定可能です。またこの電波暗室の特徴は ATR自身の研究活動に用いるのみならず、外部の 機関に有償で貸し出すことが可能になっており、す でに実績を上げています。それから、清浄度(クラ ス)1000、床面積327m^2のクリーンルームを有して います。ここでは分子線エピタキシャル(MBE) 装置を導入し、超高真空中で原子を蒸発させて交互 に積み重ね、人工格子と呼ばれる新しい半導体を 作っています。また、計算機環境はミニスーパーコ ンピュータやサーバマシン4台を核にして居室およ び実験室のワークステーション群とで構成されてい ます。計算能力としては200MFLOPSのミニスー パーコンピュータを有し、計算物理やニューラル ネット等の計算需要に対応しています。マルチウィ ンド化も進んでおり、2/3の研究員がワークステー ションやX端末を使用しています。また、LANが 居室や通常の実験室だけでなくクリーン ルーム・電波暗室等の特殊実験室まで引か れており、どこからでも接続可能になって います。ATR全体としては各R&Dをサブ ドメインとするネットワークを構成し、 WIDE/JUNETと接続されています。出向 中にこのようにハードウェア系の研究所と しては恵まれた計算機環境に慣れてしま い、各会社に戻ってから計算機環境整備を するはめになった方も多いと聞きます。


▲大型電波暗室

 次にATRの周辺について紹介いたしま す。ATRは京都の南端、どちらかと言え ば奈良に近い所に位置します。奈良と言え ば、京都とはまたひと味違ったしっとりと した古都です。しかし、その周辺も序々に 変貌しつつあります。ATRの所在地名も 精華町、乾谷・三平谷(いぬいだに・さん ぺいたに)という日本の古来からの伝統を 守る由緒ある地名でしたが、平成4年から 学研都市のイメージにふさわしい「光台」 という地名に変更されます。これは広辞苑 の「精華」の項に「光彩」との説明があり、 学研都市のイメージにふさわしい「光」を 使おうと、町議会が決定したものです。

 ATRが開所当時は道路でたぬきが車に はねられたり、駐車場でうさぎが飛び回る のどかな田舎でした。基本的には今もそれ は変わってはいませんが、次第に学研都市化?の波 が押し寄せてきています。学研都市と言いながら、 研究所はATRしかなかったところに、新しく島津 製作所のけいはんな研究所がATRから約600m西 に開所しました。これに続いて、住友金属、松下電 器産業などの研究所、さらにホテルやホール、貸ラ ボ等を備えた国際交流施設「けいはんな」がATR の真正面に建設中で平成5年の春には完成すると か。公園なども整備される予定ですが、付近には保 護鳥に指定されているオオタカの住む池があり、開 発に反対を唱える学者や市民グループもあります。 周辺道路も平成3年5月に天皇皇后両陛下の御視察 の機会に立派になりました。そして平成4年1月よ り住宅都市整備公団がATRの隣で百十二区画の第 一次宅地分譲を開始しました。最終的な計画人口は 二千八百戸、九千八百人と聞いております。この京 都と奈良の県境周辺は将来はリニア新幹線も通る可 能性もあるとかで、21世紀初頭にはここが日本の中 心になるやも知れません。

 ATR光電波通信研究所とその周辺について紹介 いたしました。ATRは出向者で成り立つからこそ、 特徴のあるおもしろい研究所だと思います。また、 ATRで培った色々な研究者との交流は、今後も一 生続く何事にもかえがたい財産です。ぜひ多くの方 が後に続かれることを望んでいます。

(ATR光電波通信研究所 無線通信第1研究所 主任研究員)


▲ATR正門前で左から藤井、古濱、中条、有本