通信総合研究所平成4年度研究調査計画


企画調査部

 当所は、電波及び電気通信/情報通信に関する唯 一の国立研究所として通信、情報、大気及び地球惑 星環境科学、電磁波物性、周波数及び電波標準など に関する幅広い研究を行っている。特に、電気通信/ 情報通信についてはNTTの民営化にともなって当 所の役割と責任が著しく増大した。これらの状況を 受けて、昭和63年には電波研究所から通信総合研究 所へと名称を改め、次の5つの重要研究分野を設定 して基礎から応用まで幅広く研究を進めている。

@高機能知的通信の研究

A人間・生体情報の研究

B有人宇宙時代通信の研究

C地球惑星系環境の研究

D電磁波物性・材料の研究

特に、21世紀を目指した基礎的先端的研究開発を強 化するために、電気通信フロンティア研究開発計画 を開始し、その中核として平成元年度に関西支所を 設立した。その後研究内容の拡大、充実をはかると ともに、平成3年度からは8研究室体制として研究 を推進している。また平成3年度には、宇宙通信、 宇宙・地球環境に関する研究開発を実施している関 東支所に1課1室を新設し、2課6室体制とした。 一方、定常業務としての電離層観測、周波数標準の 供給業務、無線機器の型式検定業務について、効率 化と省力化を図っている。

 本年度の研究調査実施計画においては、5つの重 要研究分野における既定の研究課題を引き続き推進 するとともに、周波数資源に関する研究開発、宇宙 通信技術開発、地球惑星系環境計測技術開発におい て、それぞれ新規課題の研究を開始する。また、科 学技術振興調整費、地球環境研究総合推進費等によ る研究計画も積極的に推進する。

 研究交流においては、国内外の関係機関との人材 交流を含めて、引き続き積極的に推進するとともに、 科学技術庁のフェローシップ、特別研究員制度等に よる優秀な研究者の確保につとめる。さらに、研究 指導力の強化を目指して客員研究官の充実を図ると ともに、新たに顧問制度を設けて外部有識者の忌憚 のない意見を研究プロジェクトの推進や研究所の運 営に反映させる。なお、平成4年度の重点の一つと して、研究成果の向上を図るために研究室長の指導 性を改善していく。

 5つの研究分野における研究調査計画の特徴は以 下のとおりである。また、当所の研究調査計画の全 容を一覧表に示す。

高機能知的通信の研究

 電気通信フロンティア研究計画の高機能ネットワ ーク技術研究の一環として、超多元可塑的ネットワ ークおよびネットワークヒューマンインターフェー スの研究を実施するとともに、準マイクロ波帯にお ける陸上移動通信、ミリ波伝搬、成層圏無線中継シ ステム、電磁環境の研究等も継続する。また、周波 数資源開発の一環として、閉空間における伝搬特性 を主としたミリ波構内通信技術の研究開発を開始す る。

人間・生体情報の研究

 電気通信フロンティア研究計画のバイオ・知的通 信技術研究の一環として、超高能率符号化技術、高 次知的機能および生体機能に関する研究開発を実施 する。また、神経回路網の並列分散処理機能の解明、 生体ナノ機構の解明のための基盤技術の開発研究も 継続する。

有人宇宙時代通信の研究

 移動体衛星通信、衛星間通信、宇宙ステーション における大型アンテナ組立技術、光宇宙通信、高度 衛星通信放送技術および小型衛星通信技術の研究を 継続するとともに、新規に衛星通信・放送の信頼性 向上を目的とした分散衛星システムによる宇宙通信 の研究を開始する。

地球惑星系環境の研究
 21世紀の宇宙における基盤技術としての宇宙天気 予報の研究をはじめ、地球環境計測技術としての降 雨観測二周波ドップラーレーダー、短波長ミリ波ラ ジオメーター、光領域アクティブセンサーの開発研 究を進め、超高層大気、プレート連動、地球回転な どの地球惑星系環境計測技術に関する研究を継続す る。また、太陽から地球へいたるエネルギーと物質 の流れを研究する国際共同研究STEP計画に参加 し、関連観測と研究を強化する。

電磁波物性・材料の研究
 電気通信フロンティア研究計画の超高速通信技術 研究の一環として、高温超伝導体を用いた通信技術 および未開拓電磁波技術の研究開発を実施する。ま た、周波数資源の研究開発の一環として、光領域周 波数の研究を継続し、超高分解レーザ分光技術に関 する研究等も継続する。

(企画課長 菊池 崇)

平成4年度研究調査計画一覧表





平成4年度通信総合研究所予算の概要


 平成4年度予算編成作業は、平成3年12月22日に 大蔵省原案が内示され、その後復活要求を経て12月 28日の閣議で政府原案が決定、国会に提出された。
 第123回(常会)国会での予算審議は、「共和」汚 職、「東京佐川急便」事件等の証人喚問問題をめぐっ て空転して遅れたため、年度内に成立できず11日間 の暫定予算を編成、4月9日に成立した。
 成立した当所の予算概要を次に述べる。
 当所の平成4年度予算は総額52億8,904万6千円 で前年度予算額に対して2億1,655万4千円(4.27 %)の増となっており、これを物件費と人件費に分 けてみると、人件費は27億1,202万2千円で前年度比 2億1,546万7千円(8.63%)の増、物件費は25億 3,123万7千円で前年度比48万2千円(0.02%)の増 となっている。事項別内訳を別表に示したが、その 概要は次のとおりである。

1 新規事項として以下の3項目か認められた。
@ミリ波構内通信技術の研究開発
 オフィスにおける情報機器間のデータ伝送や 画像情報の伝送などの構内規模での大容量無線 伝送に対する需要に対処するため、最も基礎的 情報となるオフィス等での電波伝搬特牲を研究 するための初年度経費495万円が新規に認めら れた。
ASTEP計画期間における関連観測の強化
 太陽地球系エネルギー国際共同研究計画 (STEP計画)の要請に応えるため、これまでに 開発されている観測機器にいくつかの機能の付 加を行うと共に、通常の観測の強化を行う初年 度経費473万2千円が新規に認められた。
B分散衛星システムによる宇宙通信の研究
複数の小〜中型規模の通信衛星を軌道上に近 接して配置し、集団として連携動作させる技術 を開発することにより、信頼性の高い宇宙通信 システムを実現するための研究を行う初年度経 費として359万8千円が新規に認められた。

2 組織・要員
 研究員4人の増員が認められた。

3 継続のプロジェクト
@ 宇宙電波による高精度時空計測技術の研究開 発では低雑音受信部、標準信号伝送基礎実験系、 国際地球回転事業の実験経費、衛星間通信技術 の研究開発ではミリ波疑似衛星局、光地上装置 のデータ解析装置、字宙ステーション関連のア ンテナ結合装置BBM及び波面測定装置、宇宙 からの降雨観測のための二周波ドップラレーダ の研究ではTRMM搭載降雨レーダのデータ 処理部等が認められた。
A 平成3年度に新規に認められた高度衛星通信 放送技術の研究開発では移動体地上実験設備、 主局実験設備の回線制御部及び同信号発生部、 小型衛星通信技術の研究では衛星間通信装置、 電気通信フロンティア技術の研究開発では、生 体機能に関する研究で生物用基礎実験装置、地 球環境計測技術の研究開発では光領域アクティ ブセンサーによる地球環境計測技術の研究開発 で近赤外固体レーザ、地球環境計測・情報ネッ トワークに関する研究開発で、ネットワーク接 続・伝送技術開発の費用が認められた。
B 成立予算の中には、高度衛星通信放送技術の 研究開発にかかわる国庫債務負担行為の歳出化 分として2億9,200万円が含まれている。

4 特定国有財産整備特別会計(関東支所平機宇宙 環境センター分)として平成4年度分2億5,136万8 千円(総額3億8,611万2千円)が認められた。
 以上、平成4年度予算の概要を述べたが、本年度 も平成3年度に引き続き関西支所の整備と新たに今 年度は平磯宇宙環境センター等の整備が必要である ことを考慮すると、執行段階でさらに厳しい状態に あることに変りはない。
 当所の研究等業務を円滑に推進するためには、今 後も引き続き経費の効率的使用を計ることが必要で ある。

(総務部 会計課)





≪研究室長大いに語るシリーズ≫

「研究推進において研究室長として心がけたこと」


笹岡 秀一

 通信方式研究室では、昭和57年にディジタル陸上 移動通信の研究に着手したが、当初はこの分野の研 究レベルが低く、顕著な成果もない時期が続いた。 当時、横山室長(現、総合通信部長)は、研究成果 が上がるように苦心されていた。その後、昭和62年 から私が研究室長となったが、最近、多少注目され る成果が上がり始めた。陸上移動通信用の16QAM 方式の開発とその周辺技術は、代表的な成果である。 研究室の研究成果の大小は、基本的に個人の研究能 力に依存するが、研究室運営や研究推進の方法にも 関係する。そこで、当所の通信分野では比較的成果 を上げている当研究室に何か秘訣があると思われた ことが、研究推進に当たっての苦心や工夫を書くよ う依頼された訳である。

 実を言うと、私は研究室運営に当たってほとんど 何の苦労もしなかった。前室長が工夫された系統的 な運営方法を継承するだけでほぼ十分であった。室 員の研究能力の向上のためには、輪講及び論文紹介 などの勉強会、並びに各自の研究内容に関する討論 会が用意されていた。室員の研究状況の把握と指導 は、研究状況の定期的な報告会及び研究報告書や論 文の査読を通して行われた。さらに、研究資料の管 理も系統的に行われていた。唯一、私が心がけたこ とは、細部まで適切な助言ができるように室員の研 究内容の理解に努めたこと、研究室長となっても研 究者であり続けること(論文を出すこと)で、これ が簡単なようで実は大変であった。

 一方、研究プロジェクトの推進に当たっては、昭 和62年当時に研究室の進むべきビジョンを示すこと に若干苦心した。研究室としての研究目的の明確化 と研究目標の設定、一般的な研究課題の抽出と具体 的に取り組む課題の明確化、研究実施手法の検討な ど、室員と議論しながら進めてきた。

 研究目的については、移動通信の研究を実施して いる研究機関(大学、NTT、製造業等)と当所との 相違を考慮した。そして、将来の陸上移動通信シス テムの実現に重要な(行政的にも)要素技術につい て、「基礎研究から開発の初期段階まで」取り組むこ ととした。また、研究目標については、「陸上移動通 信の高度化を目指して」をキャッチフレーズにして、 無線伝送の高速化、高品質化、高能率化に関する研 究を行うことにした。

 研究課題としては、高能率化のための高能率変調 技術(多値QAM)、高速伝送のための適応等化及び アダプティブアレー技術、高品質化のための誤り制 御技術に重点的に取り組んだ。一方、研究実施にお いては、新提案方式の特性評価を計算機シミュレー ションにより迅速に行い、成果の論文化に努力した。 また、試作による特性評価では、汎用DSPを活用し て開発期間の短縮を図った。さらに、研究開発の失 敗を恐れず(気遣う必要が少ない立場から)、「常識 に捕らわれない研究」にも心がけた。

 高能率変復調については、昭和62年当時、GMSK 等の定包絡線変調方式の研究が一段落して、π/4シ フトQPSK等の線形変調方式が一部で注目され始 めた時期であった。当時、後追いの研究をせず、技 術的に困難との常識に反して16QAM方式の研究に 着手した選択が、現在、対外的にも多少評価される 成果に結びつき、さらに16QAM方式の実用化に貢 献している。また、選択性フェージング対策につい ては、若干無謀な試みとして陸上移動通信用アダプ ティブアレー装置を開発(日立製作所との共同研究) したことも大きな成果と自負している。

 約5年間実施した研究が成果に現れている現在、 新たなビジョンで新規の研究に着手する必要を感じ ている。研究推進における先見性の良否が、今後の 研究室の成果を左右することになろう。

(通信技術部 通信方式研究室)




≪長期外国出張≫

バークレーに滞在して


浜 真一

 1990年11月1日から1年間、科学技術庁の長期在 外研究員としてアメリカのカリフォルニア大学バー クレー校に滞在した。バークレーはサンフランシス コ中心街からBART(地下鉄)で約30分のところに あり、外国人の(そして外国料理店も)多い街であ る。

 私は、ミリ秒パルサーの発見者であり、パルサー 研究の重鎮であるバッカー教授の元で、パルサーデ ータの解析についての研究を行った。また、プログ ラム郡のVAX(VMS)からSUN(UNIX)ヘの移 植・改良を行い、パルサー0447-12の解析を行った。

 近くには大きな電波望遠鏡はないので、パルサー 観測にはグリーンバンク観測所(ウェストバージニ ア州)とアレシボ(プエルトリコ)の大口径アンテ ナを利用している。'90年12月及び'91年4月にグリー ンバンクに行って42mφのパラボラアンテナを用い た実際のパルサー観測に同行した。その後('91年5、 7、10月)の観測では、コンピュータ・ネットワー クを利用してバークレーからリアルタイムでデータ のチェックをした。

 また、USNOと観測所間の時刻比較用のGPSデ ータを取得・解析するプログラムの開発GPSデー タの改良も行った。

 研究室はもう一人の天文学者と二人部屋だった が、英会話の面ではマイナスであった。アメリカ人 は5時になると帰ると言われるが、大学では夜遅く まで働く人もいてさまざまである。なお、ここでも 予算の削減が深刻な問題になっている。

 アメリカ生活で最も大きな印象は、体格・貧富の 差・ファッション・物の考え方、全てにわたって個 人差が非常に大きいことである。日本人はやはり均 質だと言うよりは、「周りと異なる人間は排斥され る」という事であろうか。

 アメリカは物騒だと良く言われるが、今までに自 転車を一台ぶん盗まれた以外は特に危険な事もな く、快適に過ごせた。ただ、バークレー及びその近 郊はホームレスの人が多く、大きな社会問題になっ ている。「学生街」というイメージとうらはらに、あ まり安全だとは見なされていない。

 公共の交通機関は発達していて、バス・BARTは 不安なく利用できる。その反面大学構内の駐車には 許可が必要なので、独身の私には、平日はあまりク ルマの有難みがなく、普段は自転車で通勤し、必要 なときのみレンタカーを利用した。なお、少なくと もバークレーでは「歩行者優先」が徹底していて、 歩行者が道を横断するとクルマの方が止まってくれ る(!)。

 なおアジア系の人間が非常に多いせいか、明白な 人種差別は感じなかった。バークレーやサンフラン シスコは、基本的に「よそ者」に対して非常に親切 な街だと言える。湾岸戦争時のお祭騒ぎの中でも、 戦争は決して正義のためでなく国益のために行われ ている事や、イラク人も同じ人間である事を訴える 人が多かった。

 最後に、貴重な経験の機会を与えて下さった関係 者各位に感謝致します。

(関東支所 宇宙電波応用研究室 主任研究官)


▲グリーンバンク観測所の42mφアンテナ




南極越冬記


小竹 昇

 第32次南極地域観測隊は、1990年11月14日晴海を 出港し、1年間の昭和基地越冬生活を終え今年3月 27日に無事帰国した。CRLから参加した野崎(越冬 2回目)は電離層、高橋は気水圏、小竹は宙空系の それぞれの部門で観測を行った。

 夏期間の主なオペレーションは、設営では管理棟 建設。観測では、上空の季節風を利用した南極周回 気球実験(PPB)だった。管理棟は、昭和基地の老 朽化した施設(食堂、通信棟、医療棟)を新しくす るため、現在の食堂の横に建造されている。32次隊 は基礎から2階の骨組みまで、33次隊で外装まで出 来上がり、あとは内装関係を残すのみとなり34次隊 から使用可能である。これは南極ではじめての4階 建ての建物である。晴天の中放球されたPPB1号 機は、南極大陸一周にはじめて成功した。バルーン は初め西方に向い1周半したところで風向きが反転 し逆戻りし消失した。飛翔期間は37日であった。

 越冬中の最大の楽しみは、なんといっても豪華な 食事である。本職の調理師二人によって作られる料 理は日本では味わえない程美味であった。越冬当初 “格調の32次”と呼びあっていたが、米不足が心配さ れたときから、“胃拡張の32次”に変更された。麺類 を多くして危機を乗り切った。また、世界の珍味や 昭和基地沖の海氷に穴をあけて釣ったショウワギス 等を食した。基地の農協では、水耕栽培でかいわれ 大根を、逆さ野莱栽培器ではサラダ莱を生産した。 電離層棟ではオーストラリアの花やキュウリを栽培 し食卓に花と緑を添え殺風景な食堂に潤いを与え た。

 風呂は通常週2回、プールバー「69鳴肝(ロクメ イカン)」(肝臓が鳴く南緯69度の意味)も同時に開 店する。また、風呂日には野崎店長による床屋も繁 盛し、丸刈り、ヒトデカットが流行った。長髪、口 髭に挑戦した隊員もいる。映画館「テアトル32」は 毎次隊上映される伝説の“赤い鈴蘭”か好評だった が、16ミリフィルムは接ぎ剥ぎだらけである。週2 回の映画の日には、高橋社長経営のソフトクリーム 店「オングル乳業」が開店する。“甘党の32次”と別 称しているだけあって毎回長蛇の列ができた。毎月 最終日曜日には、コダッケ(小竹)フィルム社主催 のスライド大会が開催された。

 南半球の冬至に行われる南極最大のお祭り、“ミッ ドウィンター祭(副題:彼氏が羽毛服に着替えた ら)”では、オムニバスクイズ劇「昭和JARE32秘話」 の永田武第一次越冬隊長と仮装大会のタケチャンマ ンが大うけした。さらに、運動会、ゲーム大会、音 楽会で盛り上がった。それぞれの優勝者には1日越 冬隊長から賞状が手渡された。フィナーレは、打ち 上げ花火で飾り、ファイヤーストームを囲んで、太 陽が戻る期待のうちに幕を閉じた。

 野外行動では、、ドーム中間拠点建設があった。こ のドーム計画は、南極氷床で2番目に高い頂上(ド ーム)で2500mの深層氷コアを採取し、数十万年前 の環境を知る。初年度の32次隊では、ドームとみず ほ基地の中間に輸送中継基地を建設するため、旅行 隊長の下に前期後期4人づつ分けて、10月から約2 カ月間内陸旅行オペレーションが行なわれた。2 km間隔で立てられる目印の旗の位置設定や視程が 悪い地吹雪時には小型GPS受信機が大いに役立っ た。周囲360度真っ白な世界を走るオレンジ色の雪上 車41台とそり10台を引く黄色のブルドーザーのコン トラストには爽快感があった。昭和基地にVHF電 波が届かないのを良いことに、ボリュームを大きく して昔の流行歌をマイクに向かって歌う隊員には眠 気を覚まさせられたものだった。輸送した軽油等の 200リットルドラム缶の数は271本であった。現在、 MD(みずほドーム)ルート上の南緯74度東経43度に は10名の名前が刻まれた記念のトーテムポールが立 っている。

 大変貴重な経験をさせて頂いた関係各位に感謝し ます。

(第32次南極地域観測隊員 小竹 昇)



≪通信総合研究所滞在期≫

Living and working in Japan


Ferdinand Peper

On 31 March 1990 I arrived in Japan for the first time in my life.I was appointed as an STA Research Fellow at Kansai Advanced Research Center(XARC)of CRL for a period of 2 years. At that time KARC consisted of a small old building,surrounded by a grape garden and rice fields. The building counted four big rooms,one room for the director and the administration staff, a canteen serving delicious meals,and two rooms for the researchers.Sitting in one room with 10 other people,I learned that the average Japanese telephone conversation starts with"moshi,moshi,....deskedo,"a phrase I'll always remember for the rest of my life.

Living in Japan without knowing any Japanese language is possible,but awkward,reason for me to learn some basic Japanese conversation.Japanese language is interesting: it reflects some important characteristics of Japanese people.One characteristic is the ability to absorb elements of foreign cultnres and apply them in the Japanese way. This characteristic is perfectly illustrated by the many contractions in Japanese language of Japanese and foreign words,such as "haburashi"(tooth‐brush),"tanpan"(short pants), "denkipotto"(electric water pot),and"kenkyuusentaa"(research center).

In the beginning I didn't feel very comfortable in Japan.The crowdedness of Japan,the different language,the different way of thinking which often leaded to misunderstandings, attributed to this feeling. Gradually,this improved,and I started to enjoy my life. Though I didn't expect to be able to practice my hobbies when coming to Japan,the reality turned out to be different.After improving my swimming skills at the local swimming school,I attempted to sail a few times to Awaji,the island connecting Honshu and Shikoku,in a small boat with a Japanese friend. Failing more often than succeeding in this rather dangerous activity‐there were strong currents and lots of huge ocean‐going vessels aronnd Awaji-we decided to cease our adventurous trips.After staying one year in Japan I discovered an interesting running club,called the"Hash House Harriers."This club,represented in every country in the world,consists of strange and normal people from many countries,and uses to organize runs passing through strange places,such as pachinko-parlors,rice fields,sewers,shallow rivers,and swimming pools,though most runs appear to be normal.

Feeling more and more comfortable,I started to enjoy my research at KARC more and more,and feel it as a pity that my STA Research Fellowship will.soon finish. Nowadays KARC is accomodated in a new building,which is an excellent working environment.I'm indebted to my colleagues at KARC who made my stay so interesting and pleasurable. My departure will be difficult for me.I hope to visit Japan and KARC often in the future.

Ferdinand Peper 博士の紹介
ペパー博士は、オランダのデルフト(Delft)大学出 身で、コンピュータサイエンスが専門。平成2年3 月から4年3月まで科学技術庁フェローとして、関 西支所知党機構研究室においてニューラルネット、 特にARTモデルの研究を精力的に行った。



短 信



うるう秒調整


 このほど、国際地球回転事業(IERS)から1年半ぶり に「うるう秒」調整を行う旨の通知かあった。
 これを受けて、当所の標準電波で通報している日本標 準時(JST)も協定世界時(UTC)に同期して、来る7 月1日午前9時零分の直前に「うるう秒」調整を実施し、 時刻を1秒遅らせることになった。
 一般利用者への周知は、官報、郵政公報、新聞で行っ ているが、これとは別に、NHK、民間放送及びNTT等 の報時機関並びに今回情報提供の要請があった電気通信 事業者に対して文章により行った。
 世界で採用してきた標準時が天文時系から原子時系に 切り替えられ、1972年1月1日に「うるう秒」制度か発 足してから20年が経過し、今回で17回目の調整となるが、 当初は多少の戸惑いを与えた「うるう秒」も、秒単位で 動く国際情報化社会にすっかり定着した感じである。



鹿島でVLBIシンポジウム開催される


 2月27と28目の両日にわたって、国内VLBI研究者の 集まりであるVLBI懇談会(会長:森本雅樹国立天文台 研究主幹)主催の「VLBIネットワークシンポジウム」が 日本国内VLBI発祥の地鹿島宇宙通信センターに於い て開催された。
 同懇談会主催のシンポジウムは今年で2回目で、幹事 機関の一つである当所が会場の提供・準備を担当して開 催されたものである。当日は、国立天文台・国土地理院・ 宇宙研・極地研・地震研並びに大学関係者等の外部から の研究者約80名と当所のVLBIに携わる研究者を合わ せた総勢90数名か一同に会した。シンポジウムでは VLBI関連の最新の研究成果・機器開発状況・研究計画等 を中心に約50件の講演があり、天文学と地球科学の両面 から見た地球規模のVLBIネットワークの実現に向け、 熱気につつまれた討論か行われた。
 講演の合間には鹿島宇宙通信センターの34mアンテ ナ施設見学会やIERS/VLBI技術開発センター第2回 専門委員会も併せて行われ、過密なスケジュールではあ ったが、シンポジウムは盛会の内に終了した。


▲VLBIネットワークシンポジウム



平磯宇宙環境センター11周年式典開催


 去る3月5日、平磯宇宙環境センターの創立77周年記 念式典が、那珂湊市のホテルニュー白亜紀において開催 された。当日はあいにくの雨模様の中、内外の関係者約 100名が出席し、記念式典及び懇談会が盛大に行われた。 懇談会には大先輩の「いそ節」が飛び出すなど、和気あ いあいの雰囲気の中、参加者の平磯に対する気持ちがひ しひしと伝わる会合であった。
(平磯宇宙環境センター 宇宙環境研究室長 富田二三彦)


▲記念式典会場



パソコンネット「CRLプラザ」開局


 このほど、現職、出向者、OB及び当所の業務に関 係の深い方などのコミュニケーションの場として、 パソコンネット「CRLプラザ」を開局しました。
 自宅や職場で通信ソフト(一般市販のもの)が使 用できるパソコンやワープロをお持ちの方の参加を お待ちしております。
 なお「CRLプラザ」利用者には、専用のユザーID を持っていただく必要がありますので、情報管理部 電子計算機室(淡河)(0423-27-6853)又は親睦会事 務所(渕井)(0423-27-7427)まで御連絡下されば、 利用規約、通信パラメータなどとともに、申込用紙 をお送リいたします。