新しい時代へ向かって

畚野 信義

 平成5年度の当所の予算は70億円を越えることに なりました。平成4年度に比べ研究費全体で実質的 に約2倍、周波数資源の研究の一部では一桁以上大 きい規模のものになっています。研究者の増員も6 名(内特別会計からの振替1名を含む)が認められ ました。これに伴って小金井の本所の組織を全面的 に見直しました。今回の大幅な予算増の目玉である 地球環境、周波数資源を視野の中心に入れたものに なっています。新しい組織としては関西支所の研究 調整官、管理課、ナノ機構研究室(関西支所はこれ で情報、物性、バイオの3分野各3研究室)と本所 に環境システム研究室の新設が認められました。当 所の長年の懸案であった予算の格段の増加や関西支 所整備で残っていた難しい部分を一気に解決できた ものであります。景気の低迷による国の財政見通し を反映して、軒並み厳しい5年度予算事情の中で、 関係各方面の理解を得てこれだけの結果を得るのは 並大抵のことではありません。郵政省の予算、要員、 組織、各研究分野担当の人々の大変な努力を知るだ けに、そこにある研究所への期待の大きさをひしひ しと感じています。

 一寸歴史を振り返って見ると、昭和50年代始め当 所の予算は60億円ありました。通信・放送衛星、電 離層観測衛星など多くの計画を抱え予算が急増した 時期でしたが、現在も次々衛星計画がオーバーラッ プして続き、搭載機器の開発にもかなりの予算をつ ぎ込んでおり、状況はそれほど変わっていないと思 われます。その意味では、物価の上昇率を考えれば 70億円でもまだまだ当時のレベルに達していないと も言えます。しかしその後、国の財政状態の悪化に よって、当所の予算は急速に減少し昭和60年度には 人件費が50%を越え、62年度には約40億円となり、 研究費と施設整備費の和が10億円を大きく割り込み ました。この頃、毎年度の実行計画ヒアリングに基 づいて一般プロジェクトに配算できる予算総額が1 億円程度という年が続き、優れたアイディアの研究 の提案があっても殆ど採用する余裕さえない惨めな 有様で、研究者の士気にもかかわる状態と憂慮され ました。通信の自由化(NTTの民営化)があり、責 任が大きくなっても全く何もできない状態でした。 この頃、科学技術会議第13号答申作成の審議中「郵 政省は研究所を持つ資格がない」と書こうという議 論かあったと言われています。

 昭和60年代始めから、この実情を訴える努力を始 めました。昭和62年度の補正予算63億余円はカンフ ルとして大きな効果がありました。大型施設が出来、 新しい研究を始めることが出来た以上に、研究所の 空気かパット明るくなったことは何にも増して喜ば しいことでした。郵政省でも研究所の状況について の理解が深まり、昭和63年度から電気通信フロンテ ィア、宇宙天気予報等が開始でき、10年振りに予算 は増勢に転じ、平成元年には関西支所が発足、以後 毎年順調に回復して来ました。振り返って見ると、 これは私たちの努力もさることながら、幸運と言っ てよい状況の変化が大きかったと感じられます。地 球環境問題の重要性についての認識の広がり、移動 無線の爆発的な需要増による周波数の逼迫と電波利 用料への展開などがありますが、もっと大きく捉え ると、科学技術の分野で我が国が国力に相応しい貢 献をしていないという基礎研究ただ乗り論に象徴さ れる非難、導入型技術開発が許されなくなった現実 を前に、自前の科学技術研究の重要性と我か国の研 究環境の危機的状況についての認識の広がりといっ た背景があります。しかしムードだけでまだまだ実 質が伴っていないのが我が国の全般的な状態であり ます。その中で当所かいち早く離陸出来る態勢に入 ったと言うことができます。平成4年度の補正予算 の結果も大変特徴的でした。10兆円を越える補正予 算の目玉のひとつが老朽研究施設の更新でした。し かし、93ある国研か得た総額は僅か約260億円、その 中で当所は41億余円というダントツの配算を得るこ とかできました。文字通り老朽化施設などを一気に 更新し、足腰の強い研究所に生まれ変わることか出 来ました。またVLBI技術などを利用した大型計画 の首都圏直下型地震予知システムの整備が公共投資 としてスタートすることになりました。これらはい ずれも研究所の将来への郵政省の大きい期待と強い 支援があって実現したと言えます。私たちは研究所 の研究環境の厳しい状況について訴えてきました。 少なくとも予算については大きく改善されることに なりました。ボールはこちら側に投げられた、今度 は研究所が応える番、と感じています。研究所は吸 い込むばかりで何も出て来ないし何も見えないブラ ックホールの様だ、などと言われないようにしなけ ればならないと思っています。

 当所は93ある国研の中で上位一桁に入る規模であ リますが、電気通信分野唯一の国研としてカバーす るべき研究の分野は最も広いと思われます。予算の 規模から見る4大分野も、国しか出末ないリスクの 高いナショナルプロジェクトを行う「宇宙通信」、息 長く着実にやる電気通信フロンティアを中心とする 「基礎研究」、高い技術力をもって国際的な貢献など を果たす、宇宙科学も含めた「地球環境」、基礎から 応用まで幅広いスペクトルを持つ「周波数資源」と バラエティに富んでいます。特に周波数の逼迫は尻 に火の着いた状況であり、今回の予算の飛躍的な増 加によって、周液数資源の分野で、は産業界との協力 も含め、今までと違った次元でリスクの高い応用に も踏み込んだ進め方をして行くことになると思われ ます。これに関連して近い将来関東支所の南関東方 面への進出も検討されております。現在の当所の研 究分野をカバーするには約千人の研究者が必要と言 う試算のあるなかで、限られた要貝で益々広く薄く 成りがちな研究を効果的に進めるにはどうしてゆく べきかは今後)大きな課題であります。

 通産省は傘下の16の研究所を再編し「融合研」と 呼ばれる新しい組織を作り、基礎研究を中心とする 新しい国研の形のひとつの試みを始めました。科学 技術庁はセンターオブエクセレンス(COE)の育成 に向かって動き始めました。勿論将来の国研像はこ れだというものがすぐ固まる訳でもないし、COEが たちまちデッチ上げられるものではありませんが、 新しい時代における我が国の研究のあり方、それに 向かっての新しい国研のあり方についての模索の動 きがいよいよ顕在化してきたものと言えます。私た ちも目標を見定め、それに向かって努力を始める時 であると考えています。

 研究の3要素は「人」「金」「制度」であります。 研究は優れて人間的なものであります。研究は人が 行うものである限り人がカギであります。優秀な人 を集めるには優れた研究「環境」が不可欠です。優 れた環境は金と制度によって出来るものです。COE とは長年に渉って育てられた優れた研究環境とその 内から自然に沸き上がってくる研究者の自信に裏付 けされた意欲かあって出来上がるものであります。 そして、優れた研究者がそこに参加して研究したい と思うような優れた人と施設があり、自由で柔軟で 競争的な制度の環境があって始めて機能するもので あると言えます。一旦そのような環境が整えば自励 発振が起こり優れた成果か次々と生み出されるもの です。COEと言うのはひとつひとつは大きな組織で ある必要はなく、CRLにおいても上記したような研 究分野のそれぞれに1〜2の芽を積極的に育ててゆ く努力を始める時ではないかと考えております。そ してその幾つかが育ったときCRLはそのような分 野でCOESを持つCOE機関として評価が定まるで、 しょう。そのようなCOESを核にして周辺の幅広い 研究が回り始め、あるものは淘汰され、あるものは 育ってゆくことになるのではないかと期待されま す。CRLが我が国の電気通信分野における唯一の国 研であることから、このような将来像を掲げて努力 してゆくのが無理のない相応しいびとつの進み方で はないかと思われます。そして、その重要要素のひ とつである「金」の状況が格段に好転した今こそ、 その努力を始めるべき絶好のチャンスであると感じ ております。もうひとつの重要要素である「制度」 については、CRLはもちろん、郵政省でも解決出未 ないことが大部分を占めています。そしてその部分 が独創的で、優れた成果を生むための「環境」を整え るのに最大のネックとなっている現実があります。 制度を変えることは至難の業であり長い時間が必要 です。外の社会に向かって訴え、着実にたゆまぬ努 力をしてゆきたいと考えております。

 これらと共に所内の身の回りでもいくつかの工夫 や努力を進めております。◆先ず平成5年度から CRLでは研究職のフレックスタイムを実施したい と準備中です。これは優秀な人材の確保に予期以上 の効果があると思われます。◆老朽化した本館(1、 2号館)の建て替えの努力を2年程前から始めまし た。実現の暁には地下1階地上8階のモダンでCRL のイメージを一新するものになると期待されます。 垢抜けた新庁舎は研究環境の改善ばかりか人材の確 保に抜群の効果を発揮するのは関西先端研究セン ターで実証済です。◆当所顧問の大越先生からお勧 め頂いた、電気通信分野の教科書や専門書を研究者 が執筆し、研究所が責任を持って出版することを始 める予定です。良いものを出すことで学生や若い研 究者にCRLのポピュラリティが上がることを期待 したいと思います。◆もうひとつ今年の最重点課題 として、今すぐ取りかかりたいことは事務の簡素化、 省力化であります。何年か前に管理業務の改善の検 討を行い実施しました。テーマは事務の簡素化、省 力化とサービスの向上でした。後者は格段に進みま したが肝心の前者はそれほど効果が現れていないよ うに思われます。今後予算が増え、研究の分野や進 め方のバラエティが拡がり、研究者の流動化が進む 一方、要員の削減が避けて通れない現状があります。 研究は前例の無いことをやらなければ成果になりま せん。研究所では総務部門といえど前例がないと言 わないでもらいたいと私はよく言っています。前例 に囚われず、やらなくても済むことがないか身の回 りを見直して欲しいと思います。数年前迄国際電話 やファックスをするのに20個位ものはんこを貰わね ばなりませんでした。当時を知らない人が今聞くと 不思議に思うのではないでしょうか。世の中はどん どん変わっています。総務部門の所員にも知識と視 野を拡げて貰うため、昨年度から外国出張の機会を 設けました。今後他の国研のやり方なども調査して、 何とか簡素化の効果を上げて欲しいと強く希望して います。

 所内で今進めようとしていることは全て「人」に 関わることです。我が国の若年人口は現在の18〜20 歳をピークに急速に減ります。優秀な人材の確保が、 研究、事務を問わず大変難しくなることは、私たち が新しい時代のCRLを考えるとき忘れることの出 来ない最も重要な問題であります。

(所長)


《外国出張報告》

西 方 見 聞 録

阿部 真

 中国科学院の招待により、日中共同VLBI研究等 の関連機関を訪問し、打ち合わせを行うために、所 長に同行し出張した。日程は、10月5日から20日ま での16日間、訪問地は北京、西安、ウルムチ、上海 で、最終訪問地の上海に滞在している時には、日中 共同VLBI観測の結果、鹿島〜上海間の基線長が縮 まっていることが記者発表され、両国間の物理的、 平和的接近を裏づけるものとなった。

 もとより短期間の滞在であり、群盲象を撫でる結 果になるかもしれないが、印象を記す。

▲建設中のウルムチVLBI基地

 

飛行機事情

 4訪問地への移動は飛行機を利用し、行程は中国 国内の航空路だけで約8000kmに達した。広大な国 土を擁する国であり、全国の主要都市間には航空路 がしかれ、飛行機の中も長距離バスの感があった。

 北京16:20−西安18:00中国では比較的短距離の移 動。しかし、チェックインし、待合室で待つが、Delay の表示。不安かよぎる。出発予定時刻を過ぎること 暫。待合室に中国民航の女性係員が現れ、中国語で 何かアナウンス。待合室の群衆は、一斉に荷物をま とめて移動する気配。遅れてはならじと、後に続く。 列は、空港の外ヘ、そしてぞろぞろとバスヘ。乗る べきか乗らざるべきか。米人観光客を引率していた 中国人女性ガイドに質問。What happen?回答が良 い。バスに乗り、ホテルに入り、TVを見ていろ、と のこと。日本人観先客を引率していたガイドが、一 緒に来いというので、中国民航の手配したホテルに 入ったが、情報は一切なし。その日飛行場まで送っ てくれた北京天文台の人の自宅に電話し、情報収集 と、西安への連絡を依頼。此の晩提供された公式夕 食は餃子のみだったか、九州から来ていたツアーの 人の好意に甘え、追加料理で一緒に食事。

 翌朝、中国民航は何事もなかったように西安に向 かった。飛行機内のアナウンスは中国語と、定型的 な内容の英話(らしい)のみ。西安で出迎えてくれ た人の話によると、昨夜22時迄待った挙げ句、情報 は今日は来ないということだけ、だったとか。

 ウルムチから上海に向かう時は、搭乗してから90 分、そのうちベルト着用のサインが消え、エンジン が止まる。中国語のアナウンス。乗客は一斉に立ち 上がり、荷物をまとめる。所長の何が起きたのかと いう問いに、機体の変更らしいと回答。滞在も10日 近くなると、中国語(というより雰囲気)が理解で きるようになった。先頭集団で飛行機を降り、構内 バスヘ。案の定、バスは別の飛行機に横付け。しか し、搭乗はできない。余分のタラップがないのでは との予想通り、バス2台分の乗客を降ろしてから、 タラップは新しい機体に横付け。しかし、まだ搭乗 できない。乗客を見送ったクルーは、忘れ物を点検 し、新しい機体の点検を行い、悠然と乗客を迎え入 れる。

 この2回の経験を通し、文句を言っている人は見 かけなかった。やはり、スケール(だけとは思えな いが)の違いであろうか。中国の飛行機で正確なの は、飛行時間だけとのことであった。

 

食事事情

 中国滞在中は、朝から3食、中華料理であった。 一見あたり前のようであるが、日本のことを考えて みよう。朝食は毎日ご飯にみそ汁という家庭でも、 夕食が連日和食ということはないだろう。最もこれ は日本の特殊事情かもしれない。

 連日、とにかく良く食べたが、中国人の食事にか ける熱意を感じた。北京天文台の邱さんの言による と、中国人のエンゲル係数は60〜70%だとか。3食 のうちdinnerは昼食。昼休みもたっぷり2時間、家 の近い人は帰宅しての食事。

 北京のホテルでの朝食メニューを紹介すると、粥 (米、コウリャン、小豆、等日替わり)、おかずとし て野菜の酢付け、焼豚、野菜炊め、等4品位。これ 以外に主食として包子(小型の肉マン)、万頭(肉マ ンの肉なし)、甘い蒸しパン、等3〜4品。このパタ ーンはどこでもほぼ同じ、ウルムチでは主食に揚げ パンかついてたり、一見すると牛乳だが豆腐の味が する大豆のスープ、といったローカル色のある料理 もあった。

 中国の一番西の奥、新彊ウィグル自治区は、昔は 「西域」といわれたシルクロードの世界である。今は、 名前のとおり「ウィグル族」が人口の過半数を越え ている。彼らは、宗教上の理由で豚肉を食べない。 中国全土で見かけた「回族」も文字通り回教徒で、 豚肉を食べない。彼らの外食には「清真飯店」と表 示された店がある。羊料理の代表はシシカバブー。 ウルムチのバザールは、ウィグル族やロシア系のカ ザフ族がほとんどで異国情緒が味わえる。路地に面 し、日本の焼き鳥屋宜しく、炭火の台を並べ煙を立 てながら、自分の店で作った羊肉の串を客に見せな がら、大声で客を引く。粗末なベンチに肩を並べ、 頬張ったシシカバブーは、カレーの風味がしておい しかった。

▲シシカバブーの店先

▲会話よりも食事優先

 昼食はもう大変。客人ということもあり、歓迎の 意を込めて冷莱が3〜4品。おかずは豚、牛、羊、 鳥、魚、豆腐といった素材と、料理の方法(揚げも の、炊めもの、煮込み、等)と味のバリ工ーション を変えながらそれぞれ選び、最後に湯(スープ)で 仕上げ、これ以外に主食として炊飯がついたりする のである。食事には飲み物が欠かせないが、生水が 飲めないせいかビールやスプライトを頼むが、冷や してあれば最高なのだが大体が室温のまま。料理の 注文は真剣で、メニューを見ながら時間をかけて注 文し、ウェートレスも根気よくつき合っている。

 国内線の機内食もつぶれかけた紙の箱に入ってい たが、ボリュームはたっぷりある。上海に向かう際 のメニューは、まず飲み物として缶ジュース、トマ トジュース(何と甘みがした)、ミネラルウォーター のうちどれかひとつ。箱の中にはパン、ジャム、カ ステラ、クッキー、ソーセージ、骨付き肉。デザー トとして、チョコレートにドライフルーツが入って おり、更にりんごが一つずつ配られた。食事中には 熱いお茶のサービスが2回と、食後にも缶入りのジ ュース等が配られる。機内を見回すとほとんどの人 が甘いものを含め、全部をたいらげていた。こんな におかずがあるのだからと、持ち込んだ酒をちびり ちびりやっていたら、スチュワーデスに注意された。 どうも機内は禁酒、禁煙らしい。

 北京では北京ダック、西安では餃子、ウルムチで はシシカバブー、上海では蟹と手当たり次第に名物 を賞味。完全に人間ホワグラができ上がり、減量に いそしむ帰国後の日々である。

(企画調査部 企画課 課長補佐)


≪研究室長大いに語るシリーズ≫

Big BusinessとSmall Business

板部 敏和

 研究室は、明るくなければと思っています(こ れが私のモットー)。しかし、研究室が明るくあ るためには、研究室での各自の研究がどうある かが深く関わってきます。

 100年前と違って最近では、研究が組織された 体制の下で、大きな予算を使ってなされるBig Scienceと、個人べースで比較的小さな予算で 行われるSmall Scienceと2種類の研究に分け られます。勿論、この2種類の研究が隔絶して いるわけで、は無くて、この両者の間は連続的に 続いていると言わなければなりませんが、どち らかと言えば一応区別をつける事ができると思 われます。この表題で、は、Scienceと言わず Businessとしたのは、研究室の研究がScience とともに技術開発を含む研究をしているためで す。

 旧くは、研究と言われたものは総て、Smallで した。Smallの時は自分で研究の総てを見るこ とで済みましたが、しかし現代ではそうは行き ません。研究がBigになればなるほど予算も大 きくなり、その社会的な責任も大変大きくなっ てきて、研究所の責任も大きくなります。この ため、Bigな研究では研究所との関係を無視し ては話が出来なくなってきます。通信総研に限 らず、日本のあらゆる国立研究所は恐らくこの BigとSmallの両方の研究を抱えていますし、 また誰かがBigな、また誰かがSmallな研究を やらなければなりません。Bigな研究では、目標 を決める段階で、必ずしも担当する研究者の好き かってには決められないことが多いので、研究 者にとっては自分の気持ちとBig Businessの 目標との調和をとる工夫が必要になると思いま す。

 一方、Small Businessでは、自分の考えで何 をやるかを決めるので、その点ハッピーであり 研究室は“明るく”なりますが、与えられた目 的が無いことは、それはそれなりに大変なこと です。光計測研では、研究室の主流は(また光 計測研では、伝統的にもですが)Small Business です。このため「何を誰と研究するかは、 自分で決めてやる」「予算も自分で何とかする」 「予算も無ければ無いで、研究を工夫する」と言 うことになります。このため、研究室長も研究 室で飲む機会でもなければ(これは機会も量も かなり多いのですが)、特に研究室で“多いに語 る”必要はありません。特に、最近は出張と会 議が大変(異常に)多くなっていますので、な おさらそうなってきていますけれども。

 とは言っても、研究を進めていく上では常に、 “学んでいる”,こと“学べること”が必ず必要で す。どうして“学ぶ”か、これは「話のできる 人を見つけること」だと思います。勿論、書い たものを読むことも“学ぶ”上で大事なことで すが、眠らずに読めるように、また主観に陥ら ず客観的に読めるにはかなりの訓練を必要とし ます。話のできる人を、研究室や研究所内で先 ず見つけることは大切なことで、どれくらい研 究所内にそのような人を見つけられるかが、選 んだ研究テーマの対外的な所の研究レベルを示 していると言えます。話を本音でする場として、 研究室がいつでもそういう場であることは、有 意義なことです。このために“明るい”研究室 である必要があります。研究室の研究の主流が Small Businessでも、光計測という研究室の名 前程度には研究の方向は揃っています。各自が それぞれ独立して歩いていますので、特に誰か と話をする場としての研究室の在り方が特に必 要となります。

 話のできる人は、勿論研究所内に限る必要は ありませんし、話を聞くだけの意味でもありま せん。特に、研究を一緒にやってくれる、でき れは研究を継続して発展させる次世代の人を、 話のできる人に持つことは大変大事なことで す。次世代の話のできる人(所謂、弟子ですが) を持つことが難しいのが、研究所でのSmall Businessの研究をやっている辛いところです。 これは研究所の社会的な責任の面から、また予 算の面から考えても、当然Big Businessの研究 の方に研究体制の強化を図るべきだからです。 そのため、Small Businessでは、Bigに負けな いように「研究を一緒にやっくれる人も自力で 獲得する」ことが必要です。

 Small Businessは、研究としては研究担当者 の意志と能力に殆どよっていますので、その点 からも研究室長か“多いに語る”必要はありま せん。しかし、光計測も最近の地球環境問題が 社会的に大きくなってくるのに伴って、地球環 境の計測に役立つような研究の分野で、そう大 きくはないBig Businessを始めなければなら なくなってきています。新しい研究の芽は、多 くの場合Smallと呼ばれる研究からでてくる ことが多いことから考えてSmallも大事です し、また勿論Bigと呼ばれる研究は社会的にも 研究所にとっても大事なものです。私も今まで 幸いなことに考えなくて良かったBigと Smallの2つの研究の調和をどうとるのかを考 えなくてはならなくなってきました。国立の研 究機関としては、これら2種類の研究の一方だ けを行うのは、弊害を生むことになると思われ ますので、この比率をうまく配分することが大 変大事なことだと思います。

 Big Businessを行うことは社会的な要請に 応えるためのものが大きいとしても、結局は研 究者によってBig Businessも計画され実施さ れます。これは、Big Businessでも研究を計画 した研究者(達)はその研究のやりたいという 気持ちから研究の提案が行われることを意味し ています。また、BigとかSmallに関係なく現 在の研究テーマの募集はそうなっています。こ のため、研究を行っていくにあたっても研究計 画を考えた研究者(達)が基本的には研究リー ダーとなって行くべきで、研究体制のみが残っ て研究を考えたリーダーがいなければその研究 の推進はかなり困難なものになります。研究は、 この研究をやろうと言い出した人に8割程度の 責任があり、この時、研究所はその人が十分研 究の遂行の責任ができるように支援をする責任 があると思います。

 このように考えると、BigもSmall Business の研究も研究の進め方としては差は無いように 思われます。差がないようにしている“キー” は、各研究者が誰とどんな研究をやろうとする かなどについて基本的に保障されていることの ようです(研究者の基本的人権か)。通信総研で は、新規の予算要求のそのような研究提案の場 が設けられているので幸いだと思いますが、そ の後にどの提案を採用するかも、また大事な事 と思います。

 最後に、研究の進め方やどんな研究方針の立 て方など、滅多に公に述べることの無い事柄に ついて意見を述べる機会を与えて頂いた事に対 して大変感謝しています。

(電波応用部 光計測研究室長)


≪長期外国出張≫

カリフオルニア州デービスの一年間

三瓶 政一

 私は、平成3年度科学技術庁長期在外研究員とし て、アメリカ、カリフォルニア州デービスにある、 カリフォルニア大学デービス校(UC Davis)に一年 間滞在する機会を得ることができました。

 デービスは、サクラメントの西、約15kmのところ に位置する、人口約4万人の小さな大学の町です。 デービスを含むサクラメント周辺は、5月から10月 は昼間の気温が摂氏30〜40度かをこえる真夏です が、日本と違って湿度は低いので、気温の割には暑 さが苦になりません。また、この期間はほとんど雨 が降らないうえ、周囲には、モントレー、レイクタ ホ、ヨセミテ国立公園など、日本では味わえない大 自然が多くあるため、レジャーには絶好な季節です。

 このような環境に囲まれたカリフォルニア大学デ ービス校は、ロスアンゼルス校(UCLA)、バーグレ ー校(UC Berkeley)など9つの分校から構成され ているカリフォルニア大学の中のひとつの分校であ り、キャンパスは、カリフォルニア大学の分校中で 最大規模です。

 デービス住民の約半分は学生です。また、デービ スは自転車で市内のどこへでもいけるくらい小さな 町なので、学生の通学手段は、自転車が主流で、な かには、スケートボードやローラースケートで通っ てくる人もいます。彼らは、学業に熱心であり、疑 問なことがあると、自分の専門分野以外でも、疑問 が解決できそうな教授、あるいはその研究室を訪ね てきて質問します。私も2、3度そのような学生か ら質問されたことがありますが、彼らは非常に熱心 で、自分の意見も率直に述べることに、感心させら れました。

 さて、私か属していた研究室は、工学部電子情報 工学科のDr.Kamilo Feher教授の研究室で、衛星 通信、移動通信などの変復調技術の研究を行ってお り、非常にアクティビティの高い研究室です。また、 UC Davisには、世界各国から学生や研究者が集ま っていますが、Feher教授の研究室は、その中でも国 際色豊かな研究室の一つであり、中国、インド、オ ーストラリア、レバノンなど、世界各国からの学生 や客員研究員15名が集まっています。

 研究室は実験室、工作室、及び居室を兼ねたひと 部屋しかなく、そこに皆が同居していたため、多少窮 屈な面もありましたが、その反面、このように、世 界各国から集まった学生たちとお互いに顔を合わせ る機会が多かったため、研究はもとより、各国の文 化・風習、世の中の出来事などについても、時には (?)アルコール付きで話をする機会にも恵まれ、貴 重な経験ができました。

 最後に、このような貴重な機会を与えて頂いた科 学技術庁振興局国際課、郵政省通信総合研究所の関 係各位に感謝致します。

(通信技術部 通信方式研究室)

▲US Davisキャンパスにおけるブラスバンド合戦の様子


新年の抱負

新年を迎えるにあたって

柳谷 登美雄

 原稿依頼で何度目かの年男になる事に気付いた次 第で驚いている。本人は年を経た感覚など更々ない し、時として我が家の子供とは体力的な競争すら演 じる気持ちだけは若い万年青年のツモリでいる。

 唯、研究所に入所以来、定年前に体調のすぐれな い人、退職後間も無く他界される方々の話を聞くに 付け、比較的健康で過ごせている日々に感謝してい るが、いつまでもより長く元気で、生きていられる 限りはいろんな物事を見聞きし、出来るかぎり学習 していこうと思っている。『君ねえ、ひとにはそれぞ れ寿命という、意志や気持ちではどうにもならない 事があるんだよ。』と言ってくれた先人がいました。 私の生き方を見ていて言って下さったのでしょうが 大変有難い事だと感謝している。

新年の抱負です!

中村 浩二

 月日の経つのは早いもので、酉年を迎えるのも今 年で3度目になります。(私も、今年で24才)

 自分で言うのもなんですが、毎年、新年の抱負と いうものを抱いてみたところで、実際、そのとおり に行動できたことはほとんど無く、すべて無駄に終 わってしまいます。が、しかし、今年の抱負はCRL ニュースという誌面に掲載される都合上、無駄に終 わらせるわけにはいきません。かといって、あまり 見栄を張って大きな抱負を抱いてみたところで余計 無駄になってしまいそうな気がします。

 従って、今年の私の抱負は、月並みですが「健康 で公私共に充実した日々を送る」ということにした いと思います。

 CRLの皆様、今年もどうぞよろしくお願いします。

マイペース

鈴木 聡

 1993年は、酉年と言うことで年男の私がここに登 場しなければならない羽目になりました。

 新年を迎へここで「抱負」なるものを語らなけれ ばならないのでしょうが、私に抱負など全くありま せん。なぜならば、思うのは三日坊主じゃないけれ ど、正月の三が日で七草の頃には“ほにゃららら” になっているのが毎年の私。そうゆうことで、十数 年そうして来ました。これからも同じ、だと思いま す。

 年頭におもうはただ一つ「家族の健康」。

静かな生活を

小島 信男

 年男というと、例年テレビに写しだされる節分に 神社仏閣で豆蒔きをしているたくましい力士達の姿 を思い出す。今年定年を迎えるバイタリティに乏し い私達には縁遠い別世界の様に思われる。12年前私 は不覚にも大病に見舞われ、どうにか生き延びたが 以後健康についてはいつもおどおどしながら生活し ている様で、何とも情けない思いでいる。これまで 新年の抱負など考えてみたこともなかった。今年は 定年で新たな旅立ちをする人生の節目である。初心 に返ってすがすがしい気分で大いに頑張ろうと思う が、先づ頭に浮かぶのは安心して生活して行けるの だろうかと心配である。一昔前“人生は60から”な どの喜劇の映画が上映されていたのを見たような記 憶がある。時代が変わりせち辛い世の中、おもしろ おかしく過ごせなくても静かな生活をおくれたらと 抱負よりも切望している。


短 信

鹿島のソフトボール大会

 鹿島宇宙通信センターでは、毎年レクリェーショ ンの1つとしてソフトボールをやっています。今年 も、管理課チーム、支所長・環境研・制御研合同チ ーム、通信研チーム、そして応用研チームの4チー ムで総当たり戦をしました。

 今年は、通信研か出場する最初の3試合は全て雨 で中止となり、続く3試合(通信研以外の3チーム 総当たり戦)はすべてのチームが1勝1敗というみ つどもえの状態になりました。とういことで、延期 された通信研との試合に優勝が大きく左右される事 になった訳ですか、結局、通信研が接戦をものにし て3勝し(うち1回は引き分けでじゃんけんで勝負 を決めました)、昨年に引き続き通信研の優勝となり ました。

 人数がそろわずに“助っ人”を借りてきたり、雨 上がりでグランドがよく乾いてなくて1塁べースを 踏む前に転ぶ人が続出したりして大変でしたが、と てもいい汗を流せた大会だったと思います。

(関東支所 宇宙制御技術研究室 吉川 真)

所内文化展開催される

 去る12月10日及び11日の両日、2号館講堂におい て平成4年度文化展が開催されました。今回は職員 の家族による出品もあり、なごやかな雰囲気でした。 入賞作品は入場者の投票によって決められ、結果は つぎのようになりました。最後にたくさんの力作を 出品していただいた方々に感謝いたします。

≪実行委員会賞≫

  総合通信部 関沢信也 写真『共存』

  情報管理部 山西陽子 (山西光夫様の奥様)

   その他『アメリカンフラワー』家族作品

  標準測定部 市野芳明 絵『五日市の秋』

  関西支所  大西浩二 写真『清められた夜』

  電波部   野崎憲朗 写真『南極点描』

  電波応用部 水津 武 その他『箱ぐるい』

  標準測定部 鈴木美知子

          写真『研究所のカモたち』

(平成4年度 文化展実行委員長 平 和昌)

▲文化展入賞作品の一つ(関沢信也)

 「海底から見上げた様は大変幻想的です」

 (モルディブ共和国に於いて)