フレックスタイム制が導入されて


高橋鐐ニ

 フレックスタイム制は、「生活大国15か年計画」 で普及の必要性が指摘され、また科学技術会議に おいてもこの制度を推進するよう提言された。平 成4年8月には人事院が国立試験研究機関にフレ ックスタイム制を導入するよう勧告を行い、これ を受け制度改正が行われ、本年4月から実施が可 能となり、当所においても本年4月5日を起点に 4週間を一単位期間(以下「単位期間」という。) として研究職職員の勤務に本制度を導入し、5か 月が経過した。
 この制度は、下図のように、一日のうち午前1 0時から午後3時までの間を職員が必ず勤務しな ければならない時間帯(コアタイム)とし、あと は職員それぞれの業務の都合に応じて、始業時刻 を午前7時以降、終業時刻を午後10時以前の範 囲内で自由に設定すること(フレキシブルタイ ム)が可能となっている。


 ただし、4週間ごとの期間について、1週間当 たり40時間(4週間で160時間)の勤務時間 となるようにしなければならないことになってい る。
 全国の試験研究機関等における本制度の導入状 況は、7月31日現在で74%となっている。
 当所においては、研究職職員が本制度の対象で、 全体で266人(支所長・センター長・観測所長 を除く。)が適用され、その実施状況(8月22 日からの単位期間における申告・割振り状況から 集計)は、別表のとおりである。
 以下、具体的に見ると、単位期間のうち勤務日 の15日以上を通常の勤務時問(8:30〜17:00) と同様の勤務時間に設定している職員 は134人で、そうでない勤務時間を設定してい る職員は132人であり、ほぼ同比率である。
 また、単位期間め全ての日の勤務時間を8時間 として設定している職員は、全体(266人)の 約88%(235人)を占めている。
 始業時刻で見ると、夜型(始業時刻を9時、9 時30分、10時としている者)は全体の約3 5%(92人)、朝型(始業時刻を7時、7時30 分、8時としている者)は全体の約2%(6人) である。
 日によって始業時刻・就業時刻がまちまちな勤 務時間(いわゆる本来のフレックスタイム型と言 える勤務時間)を設定している職員は、全体の約 5%(14人:別図の「変動型」の「その他」欄 の人数)である。
 いわゆる本来のフレックスタイム型の勤務時間 を設定している職員が少ないのは、導入して間も ないこともあって、多くの職員がこの制度に慣れ ていないことによるものと、従来の勤務パターン とフレックスタイムによる勤務の有効性を比較考 量中ということのようである。
 先般、フレックスタイムを実施している部門に 対して実施状況について調査を行った事項につい て集約してみると、
1 現行のフレックスタイム制の改善すべき意見 等として
@ コアタイム、フレキシブルタイムの設定は 適切であるが、コアタイムの短時間化、フレ キシジブルタイムの拡大を行うべきである。
A 単位期間の設定を現行よりも長く設定して ほしい。
B 単位期間内で勤務時間を精算(4週間で1 60時間)しなければならないが、勤務時間 の多寡を次の単位期間で精算すべきである。
C 申告を経て割振りを行う方法については、 職員の申告をもって即、勤務時間の割振りと みなすべきである。
 また、規程では単位期間毎に申告すること となっているが、恒常的に同一の勤務時間を 申告する場合には、一回申告したら、変更中 告をしない限りその後は一定期間申告しない で済む方法等の簡略化をすべきである。
D 申請手続きを省略して、タイムレコーダ的な 管理システムを導入すべきである。
2 フレックスタイム制導入後の効果及びフレッ クスタイム制適用拡大の可能性について
@ 全体的な評価
・問題点よりも効果の方が大きい、又はやや 効果が大きいとの意見が8割近くを占めてい る。
A 導入後の効果
・「時間意識が高まり業務効率が向上した」、 「ゆとりができ心身の健康を維持できる」、 「職員の意識の変化に対応できている」及び 「通勤難が解消された」ことについては、や や効果があったとの意見が多くを占めている。 超過勤務時間の短縮については、あまり効果 がないとの回答である。
B 導入後の問題点
・「申請の続きが煩雑か」については、全く そうだ、又はややそうだとの意見が約9割を 占めている。
・「会議等の開催に支障をきたす」、「時間に けじめがなくなる」ことについては、あまり そうでないとの意見が大半を占めている。
・「空調、照明の経費が増大した」、「フレッ クスタイムを行っている部門との間で不公平 が生じる」ことについては、何とも言えない との意見が多くあった。
C 他の職員へのフレックスタイム制の適用拡 大
・研究支援部門、企画部門、支所長・観測所 長、事務部門への拡大が望ましいとの意見も 多く見受けられた反面、対外的・対内的窓口 部門への適用拡大は検討を要するべきとの意 見もあった。
以上のように、導入後5ヶ月あまりの期間にも かかわらず、色々と改善すべき問題点も出されて おり、総務部としてもフレックスタイム制実施要 領の見直し等を含め、制度の範囲内での更なる弾 力的な運用が可能かどうか見直しを図っていくこ とが必要であると考えている。


 今後、本制度が職場に深く浸透するに従って、 さらに種々の問題も生じるものと考えられ、各職 場との意志疎通を図り、この制度の効果的な運用 を図っていくことが重要である。
 現時点では、本制度の導入後5ヶ月あまりと日 が浅く、フレックスタイム制のメリット等につい て、その全体を評価できるものではないが、本制 度の主旨に沿って一層の活用を図ることにより、 職業生活と個人生活の調和、心身の健康の維持、 ひいては研究成果の向上等に具体的な効果が現わ れることを期待するものである。

(総務部長・)




《連携大学院シリ−ズ@》

地域の研究機関との連携を特色の一つとする大学院への協カ
−電気通信大学・大学院・情報システム学研究科−

中津井 護

 本年度より当所の職員4名が副題の大学院研究科 の併任教官となり、指導教官として7名の博士前期 課程(いわゆる修士)の院生を当所に受け入れてい る。ここでは、この新しい制度の背景と経緯、現状、 今後の展望についてあらましを報告する。
1.[背景・経緯]
 地域の研究機関と連携を持たせた大学院は埼玉大 学で平成3年度に初めて開設された。同学の大学院 理工学研究科博士課程後期に理化学研究所から客員 教官を迎えたものである。翌平成4年度には筑波大 学(電子技術総合研究所等筑波地域の研究機関と連 携)と電気通信大学(以下、電通大と略、後述のよ うに当所やNTTの研究所等と連携)に開設された。
 これらの大学院に共通した開設の趣旨としては、 科学技術の高度化・多様化に十二分に対応した教 育・研究が、有能な人材を多く抱える学外機関の協 力によってはじめて可能になることと、人的交流に よる活性化がうたわれている。さらに、電通大の場 合には、ソフトウエア研究者・技術者、特に、シス テム全体を統括的にこなせる技術者の将来にわたる 絶対的な不足にも対処しようというものである。
 平成2年の夏、新研究科開設に向けて、当所に協 力依頼があり、当時の所長の積極姿勢を受けて、具 体的な協力体制について大学側との調整を開始した。 当時、当所の情報部門の主力は既に関西に移転して おり、人材面で苦しい事情にあった。しかし、カリ キュラムの文部省提出前に大学側と調整することで、 衛星通信、移動通信分野で対応が可能となった。


▲ゼミ風景

2.[現状]
 情報システム学研究科は既存の学部・大学院とは 別の独立研究科であり、表1のような専攻構成と学 生定員となっている。このうち第3専攻は平成6年 度に開設予定で概算要求中である。当所から併任教 官を出しているのは第2専攻であり、表2のような 講座構成と教官定員になっている。同表には協カ機 関も挙げたが、参考までに、第1専攻では、NTT とJR総研かそれぞれ2講座を担当している。当 所から参加の教官は、人事手続き上は併任であるか、 KDDやNHKなど国 以外の機関からも参加 があるので、電通大で は客員教官という名称 に統一している。客員 教官の責務は、
 ・授業の担当
 ・研究指導(指導教 官として)
 ・学位審査
 ・研究科委員会(教 授会)への出席
であり、専任 教官に準じた 責任と権限を 持っている。 当所に受け入 れた院生に対 しては、所属 研究室での個 人指導、ゼミのほか、全員を対象とした修論ゼミ(修士論文の進捗状況と最新の文献紹介)と自主ゼミ (教科書と専門文献の橋渡しとなる基本的文献の破読)が組織されている。また、1学年末には学会の大会 発表を、2学年末には学会誌への論文発表を目標としている。このようなインテンシブな指導は、当所の 若手研究者の指導にも参考となる点が多いはずである。


▲表1 情報システム学研究科の専攻構成と入学定員


▲表2 情報ネットワーク学専攻の講座構成・教官定員・協力機関
    ( )は既存の大学院からの協力教官

3.[将来展望]
 現在、平成6年度開設予定の第3専攻にさらに2名の併任教官を出す予定で準備を進めている。平成6年 度には現在の院生は2年に進級し、新たな1年生を迎えるので、これだけで受入数は基本的に倍増する。 さらに、平 成7年度に は博士後期 課程の院生 の受け入れ の可能性も 有り、数年 先には、当 所における 一大勢カと して、嬉し い悲鳴をあ げることに なろう。
 今後の課 題としては、 比較的要員 の回転の早 い当所で併任教官の後継者を育てることである。そのためには、学位取得や学会誌への論文投稿に積極的 にとりくむ必要がある。これは、単に大学院への協力を維持することにとどまらず、当所の人的ポテンシ ャルの向上にも不可欠であろう。

(総合研究官)




《新研究室紹介》

ナノ機構研究室


益子 信郎

 ナノ機構研究室は、電気通信フロンティア研究の 課題、「高度情報通信のための分子素子技術の研究 開発」を行うために、平成五年7月より発足した新 しい研究室です。現在のところ、室員は3名(アル バイトの女性1名を含む)ですが、本年10月から さらに2名の新人が研究に参加する予定です。
 ここ数年、「ナノ・テクノロジー」あるいは「ナ ノ・ストラクチャー」という言葉を目にします。現 在の素子の性能を上回る、より高密度化・高速化を 目指して、原子.分子レベルで構造を制御して素子 を構築しようとするものです。この研究分野は、単 なる素子開発以前に、ナノメートル領域で構造を制 御すると、今までの素子材料とは異なった量子現象 か発現するため、基礎科学の分野の研究者の興味を 引いて、学際的な発展をしつつあります。当研究室 の名前は、この研究分野から取ったものです。
 分子素子という概念は、F.カーターによって提 唱されたもので1個の有機分子に情報の記憶や論理 演算を担当させた素子を作るというものでした。こ うした分子素子の概念は非常に魅カ的なものでした が、解決しなければならない問題があまりにも多い ため紙上でのみ動作する素子と考えられていました。 しかし、近年有機MEB法やLB法といった膜成長 技術の進歩や走査プローブ顕微鏡をはじめとする有 機物の表面や構造を解析する技術の進歩により、改 めて注目されるようになってきました。
 当研究室で取り上げる研究テーマとしては、機能 性分子膜の作成技術、その評価・解析、そして素子 としての設計などがあります。平成6年度には、機 能性分子膜を作るために、有機MBE装置を完成さ せ、フタロシアニン系分子などの非線形光学感受率 の大きい分子や、ペリレンやプロマニルなどの電子 供与性・受容性の分子およびC60、C70などの分子 を材科として、膜作成にとりかかろうとしています。 また、有機分子を素子として設計し実用する際に、 良い手本となるのが生物が利用している機能性分子 の働き方です。しかし、生物の分子に対する現在の 理解の程度は極めて低く、今後「生体機能の研究」 と連携を取りながら、研究を進めていかなければな りません。先に述べた分子系を材科とする研究方向 が、半導体デバイス開発との類似性からくるのに対 し、生体を手本とした研究方向は、素子の考え方を 新しく作り出す方向にある研究と考えられます。


 現在、ナノ機構研究室の実験室としては、平成4 年に作ったクリーンルーム、分析室、ナノ実験室で すが、平成4年度には、有機膜表面計測のための、 走査プローブ顕微鏡(写真)と、非線形光学現象や 高速光応答を調べるためのTiサファイヤレーザー システムを導入しています。しかし、クリーンルー ムは、実験台もドラフトもない状態です。今後、数 年の間に、研究環境を整えながら、早急に先端の研 究データが得られるようにしていこうとしています。

(ナノ機構研究室長)




《CRL滞在記》

ブレット・エンゲルケマイヤー


 昨年の10月からCRLで財団(国際コミュニケ ーション基金)の留学制度を利用して働くようにな って、もうすぐ1年が過ぎようとしています。長か ったようなに短かったような、でも新しい経験の連 続だったこの12ヶ月を少し振り返ってみたいと思 います。
 まず、びっくりしたのはラッシュアワーです。噂 には聞いていたけれど、本当に驚きました。ここで は人種の差別なく、日本人もアメリカ人もギューギ ュー押されてしまいます。僕のアパートは妻の実家 がある(豊島区)駒込で、日本のサラリーマンと同 様な片道1時間半の通勤をしていますが、ラッシュ アワーを避けるため、朝は6時半に家を出ることに しています。夜にもラッシュアワーがあって、この 時は酔っぱらいが多いので大変面白いです。僕は合 気道を習っているので酔っぱらいに絡まれても大丈 夫だと思うけれど今まで絡まれたことはありません。 もう1つびっくりしたのは研究所の人たちかみんな 夜遅くまで働くということです。アメリカ人も忙し いときは夜遅くまで働きますが、たいていは5時に なるとサッサと帰ります。普通の日本人より早く帰 っているつもりですが、帰りが遅いと妻によく文句 をいわれます。
 びっくりしたことも多いですが面白いと思うこと もたくさんあります。研究所に行く楽しみは(研究 の他に!)昼食後、食堂でやる囲碁です。あまり他 の研究室の人と話すチャンスのない僕ですが、囲碁 を通していろいろな人と知り合えたし、囲碁もちょ っと上手になった気がします。(毎日やっています から、見かけたら声をかけて下さい、一緒にやりま しょう。)
 ところでCRLに来てよかったと思えるのは、よ い研究員の人たちと一緒に働けるということです。 僕が働いているのは時空計測研究室で、みんな親切 にして下さるし、僕が話す(時々訳がわからなくな って理解に苦しむ)日本語も辛抱強く聞いて下さい ます。僕としては、もっと良い研究をして、もっと 日本語が上手に話せるようになるのが今の目標です。 まだまだ勉強不足の僕ですが、これからもがんばり ますのでよろしくお願い致します。


B.Engelkemier氏の紹介

 エンゲルケマイアー(Engelkemier)さんは衛星測地で 世界的に有名な米国テキサス大学のCSR(Center for Space Research〉から平成4年9月に時空計測研究室に 来られました。彼は、まじめで几帳面なところと、気さく で明るい性格の持ち主で研究室にとけ込んでいます。研 究室では彼のことをファーストネームでブレット(Bret) さんと呼んでいます。研究室ではVLBIに加え衛星レ ーザ測距(SLR)の技術開発を推進しているところで あり、米国でSLRによる衛星軌道決定の研究をされて きたブレットさんといつも議論に花が咲いています。
 ブレットさんは日本語がとても達者で、先日開かれた研 究報告会では発表を見事に日本語でこなされました。ま た、日本文化の素養が高く、合気道や囲碁を楽しみ、茶 道もこなされます。そして、米国で知り合った才色兼備の 大和撫子と、最近めでたく国際結婚され公私共に充実し た毎日を送っておられます。
 ブレットさんは当所での研究のため1年目は国際コミュ ニケーション基金から、そして2年目は通信・放送機構 からの援助を受ける事になりました。いま油が乗っている ブレットさんに、職場と家庭でのパートナーシップを深め、 相互理解により日米友好の架け橋とならんことを願って います。

(時空計測研究室長 吉野泰造)




URSI総会を終えて


丸橋 克英

 国際電波科学連合(URSI)の第24回総会が、 8月25日から9月2目までの9日間、国立京都国 際会館で開催された。準備の一端を手伝った者とし て、総会が無事に終ってほっとしているというのが 実感である。詳しい報告は電子情報通信学会誌に書 かれることになっているようだが、ここでは準備を 通してはじめて知ったURSIのあれこれや、感じ たことを書いてみたい。
  

URSlの位置づけ
 URSIは国連につながるICSU(国際学術連 合)の傘下にある20の学術団体の一つであり、現 在40か国を超える加盟国の分担金で運営されてい る。その活動範囲は、電波科学の基礎から応用まで、 あらゆる分野にわたっており、研究活動・研究連絡 はAからKまでの(Iを除く)10の分野に分類さ れる分科会と、1954年から3年毎に開催されて いる総会とで行われる。
 電波科学のいろいろな分野でもっと頻繁に国際学 会が行われている現在、URSI総会の魅力は何だ ろう。それは「広い分野の研究者が世界中から一堂 に会すること」と言えよう。URSIの分野の広さ と、国連につながる団体として加盟各国が代表を派 遣することに関係しているようだ。知らない人たち の中に、思いがけない懐かしい人をみつけることが ある。
 ついでに言えば、わがCRLはURSIの10の 研究分野それぞれに関連する専門の研究部門をもっ ている。諸先輩のURSIにおける活動を継承・発 展させていかねばならないだろう。
  

第24回総会の特色
 今回の総会の何よりの特色は、ベルリンの壁の崩 壊に示されたように、電波が世界の共通の情報と知 識を共有する上で果たす役割を強く認識したもので あった、ということであろう。この認識は開会式に おいて大越孝敬総会組織委員長の歓迎挨拶でも述べ られ、総会をおおいに盛り上げた。
 総会準備のはじめからわれわれの念頭にあったこ とに、今回の京都総会が1963年の第14回総会 が東京で開かれてから30年ぶりの日本開催だとい うことがある。30年前といえば、東海道新幹線の 開通や東京オリンピックの頃である。国際学会とい えば、数人の大先生だけがようやく参加できた時代 である。URSI総会に出席したことが電波科学へ の道を選ぶきっかけになった若者もいたのではない か。そんな人たちが今回の総会では中心的な役割を 果たしているのかもしれない。
 この30年の日本の研究者の国際的な活躍の軌跡 も随所に見られた。3件の全体講演の一つは日本人 によるものであり、10の分科会の特別講演も二つ は日本人の講演であった。80の分科会シンポジウ ム、25の合同分科会シンポジウムのうちで、25 のシンポジウムは日本人がコンビーナーをつとめて ていた。これには、日本での開催ということが影響 しているだろうが、なによりも、日本人参加者が総 会で行われる講演会や各種の行事になじんでいたこ とも大きな理由であろう。CRLからは40人を超 える研究者が出席し、講演、討論その他に活躍した。
 そのほか今回の総会で特筆するべきこととして、 若手研究者への財政的補助がこれまでで最大の113 名に行われたこと、総会史上はじめての展示会が催 され、内外からの展示とともにハイビジョン・ミニ シアターでURSIの活動紹介などが行われたこと などがあげられよう。展示場は恰好な雑談・情報交 換の場としても重要な役割を果たした。
  

おわりに
 URSI総会という大きな国際会合の準備をする 者にとって、会場の準備や会議の運営についての腐 心もさることながら、発表論文と出席者の数が最大 の心配事ではないだろうか。参加登録が1234名 にのぼり、盛会で終ったことは幸いである。第25 回は1996年フランスのリールで行われることが 理事会で決定された。

(第二特別研究室長)



短 信




アンテナ伝搬研究会開催される


 去る9月16日、当所大会議室において、2年ぶ りに電子情報通信学会アンテナ伝搬研究会(AP 研)が開催された。今回は8月末に京都で開かれた 国際電波科学連合(URSI)総会やその後に札幌 で開かれた電子情報通信学会秋季全国大会の直後で あったためか通常より参加者は若干少なかったが、 それでも50名の専門家が出席し、移動通信関連の 電波伝搬、各種アンテナに関し9件の発表と質の高 い討論が行われた。このうち、移動伝搬(2)、T RMMアンテナの開発、ミリ波集積アンテナの4件 は当所からの発表であった。
 この後、IEEE AP−S T o k y o  C−h a p t e r主催の講演会が行われ、河野哲夫元当 所所長が「わが国の無線通信の黎明期」と題し、世 界で初めて無線電話の開発に成功(1911年)し た鳥潟右一(生存:1883〜1923年)の物語 を紹介された。日本にこのような偉大な電波のパイ オニアのいたことを初めて知って感銘を受けた人も 多かった。終了後河野元所長を囲み懇親会が開かれ、 AP関係者と当所職員との交流を深めた。


▲講演される元所長河野哲夫氏



松前郵政政務次官視察


 9月9日松前郵政政務次官が視察のため当所に来 所された。所幹部を引見した後、所長から当所の概 要について説明を受けられた。続いて、12カ所の 研究室を精力的に視察をされ、研究所に対する理解 を深められた。最後に色紙をお書きになられた。


▲松前政務次官が書かれた色紙