「東京脱出」か「東京を守る」か
−首都圏直下型地震予知への宇宙測地技術の活用−

高橋 冨士信

はじめに
 地震・雷・火事・親父の4つは江戸の昔からこ わいものの代表であったが、20世紀も終わり近く なった今、かなり様変わりしている。雷は正体が 解明され、雷注意報も出せるようになったし、親 父の権威となると戦後著しく低下して、この2つ はランク落ちしたと言えよう。しかし依然として 地震とそれに伴う大火災の恐ろしさは昔と変わっ ていないどころか、無防備巨大都市化した東京を 中心とする首都圏についていえば、江戸の昔より 幾百倍もその危険度は高まってきている。

奇跡の10年間
 1923年の関東大震災は、大恐慌後の深刻な不況 にあえぐ社会にいっそう大きな打撃を与えたとい う。このマグニチュードM7.9という巨大地震は、 直接の激震被害とそれを幾十借も上回る火災被害 をもたらした。情報不安の中の流言飛語が被害を いっそう深刻かつ悲惨なものとした。
 この大震災は、南関東地域の地殻の歪みを相当 部分一気に解消したと考えられ、この貴い犠牲の 上に立って、首都圏はそれ以降70年間にわたり小 規模の地震しか発生していない。首都圏は奇跡の 70年間を過ごしてきたと言えよう。この間、東京 は戦災によりもう一度廃虚と化したが、戦後の経 済発展により、今や世界最大のメガロポリスとし て甦ってきた。一方、70年前に解消されたはず の地殻の歪みは、再び休むことなく蓄積されてき ており、地震学者は直下地震の警告を発しはじめ ている。折りからの日本経済の不調は、70年前の アナロジーを思わせる不気味さである。

革新技術の発展
 20年前、筆者が電波研究所(現CRLの前身) に入所した頃、VLBI(超長基線電波干渉計) などの宇宙測地技術の実現が熱っぽく論じられて いた。筆者は半信半疑でこの議論に加わった記憶 があるが、今や20年前には夢のようであった大陸 移動、プレート運動の宇宙測地技術による実測が 実際に成功を納めている。そして地球上の各点の 位置を地球的規模でcmの精度で決定できるところ まで来た。地球的規模の測地技術に革命が起きた といえる。
 この分野でCRLは先駆的成果を挙げ、国内外 で大きな役割を果たすまでに成長した。CRLは 10年前から独自のVLBIシステムを駆使して、 世界各国を相手に観測につぐ観測を行い、地殻力 学の証明に大いに貢献するとともに、ついには南 極における世界初のVLBI実験を成功させ、欧 米の研究者の注目を浴びた。CRLはまた自前で 西大平洋地域のプレート運動の実測をしたり、世 界最大級のSLR(衛星レーザ測距システム)に よる位置決定およびVLBI/SLR複合研究な どを開始できるところまで来た。スケールと精度 を狙う研究開発としては、ほぼ初期の目標を達成 していると言えよう。
 このCRLの宇宙測地技術を、国民的関心の強 い足元の首都圏直下地震予知へ活用しようという わけである。

東京直下は地震の巣
 図1を見ると、首都圏は4つの巨大プレートが 攻めぎ合う世界でも稀な地帯にあることがわかる, ワシントンもモスクワも北京もヨーロッパの主た る首都もこれ程プレートが攻めぎ合う場所にある ところは無い。


▲図1 日本周辺における地殻プレートの
      分析とその中での首都圏の位置

 首都圏は北米プレート上の端に位置しているが. 3次元的に見るとそう簡単ではない。図2に示す ように、3つのプレートが三重に重なりあって首 都圏を支えていることがわかってきた。地学の教 科書にも、地震はプレートの境界面で発生しやす いと書かれているが、実は首都圏はそのプレート の境界が自身の真下に二重構造となっているので ある。従って地震学者は、直下型地震の発生を危 機感を待って心配している。関東大震災のような M8級はまず起きないが、M6やM7の直下型は. 南関東でいつ起きても不思議ではないと警告して いる。M6やM7でも直下で起きれば、超過密メ ガロポリスに大きな被害を与えることは明かであ ろう。
 もう少し詳しく地殻の動きを見よう。(図2) 北米プレート上の首都圏の下には伊豆半島方面か らフィリピン海プレートが北上している。フィリ ピン海プレートは富士・箱根・伊豆といった火山 地帯を作り上げている張本人であるが、これが首 都圏を南から攻め込んで来ている。さらにその下 に東から太平洋プレートか押し込んで来ている。


 これらの攻めぎあいは首都圏の地殻に変動や歪 みを時々刻々与えているはずであるが、その大き さはcmレベルであろうと考えられている。1970年 頃、国土地理院によって房総周辺でこの変動を組 織的に調べた例がある。1〜2年のスケールで丁度 波が押しよせるようにcmレベルで地殻のうねりが 房総から南関東へ波及していく様が見える。しか しこの測定は大変な人海戦術を期間を区切って集 中して実現できたものであり、常時実施できるも のではない。
 しかし前節で述べたとおり、この10年間で宇 宙測地技術は劇的な発展を遂げ、人海戦術によ らなくても正確な地殻変動を測定できるように なった。この技術を首都圏に展開すれば、連続 的に長期にわたって正確な地殻のうねり具合を 測定できる。すなわち、首都圏に攻めぎ込んで くるプレートの圧力と息づかいが時々刻々と見 えてくるはずである。
 CRLが首都圏広域地殻変動観測施設を構築 しようとしているのは、この地殻の広域的かつ 正確な変動を連続測定することが、直下型地震 の前兆現象としての地殻変動を捕らえるのに役 立つと考えるからである。

最後に
 地震学者の中には、真剣に東京脱出を考えて いる人がいる。この過密都市が突然直下型地震 に襲われることを想像することは恐ろしい。し かし江戸の昔から庶民には逃げるところもなく、 逆にがんばって寛永、慶安、元禄、文化、安政 など何度も大地震を乗り越えて江戸の町を発展 させてきた。
 現代も事情は同じであろう。脱出先など持た ない庶民にできることは、科学技術と英知を集 結して、地震被害を最小限にくいとめることで あろう。
 筆者は各省庁の地震予知関係担当者会議に出 席する機会を得て、ここかしこから従来の地震 測地技術の限界を超えるものとして、宇宙測地 技術への期待が語られているのを聞いている。 その技術を総合的に有しているCRLへの期待 の強さをひしひしと感じる。
 グローバルに培ってきたCRLの宇宙測地技 術を、今度は足元の首都に住む人々と国土の保 全のために大いに活用しようではないか。

(標準計測部長〉




誰にでも使えるコンピュータを目指して
−対話型XMH利用支援システムの開発−

伊藤 昭

 気付かない間に私達の周りを計算機が取り囲み、 今までは手書きで良かった資科もワープロで作るよ うになり、様々なデータがオンライン化と称して、 計算機で管理されるようになってしまった。また、 乗車券、催し物の切符の問い合わせ/予約など、一 般の人が利用できるオンラインサービスも増えてき ており、このような便利なサービス/機能と引換え に、私達は日々計算機と対話させられることになる。
 計算機のハードウェアの進歩に支えられて、使い 勝手を改善するヒューマンインターフェースの研究 も進んでおり、インターフェースの視覚化、ユーザ カスタマイズ(インターフェースを個々の利用者に 合わせて変更する)などの技術は、計算機の普及に 大きく貢献している。しかしながら、このような進 歩にも関わらず、ますます使いにくいシステムが氾 濫してきている(様に感じられる)のは、ハードウ ェアの進歩が余りにも急速なため、技術的に提供可 能なサービスの内容にインターフェースがついて行 けないからである。
 計算機にとって、複雑な処理は最も得意とする所 であり、少しの付加コストで様々な機器を高機能/ 多機能化することが可能となる。AV機器、電話、 カメラなどはその良い例であるが、今後ネットワー クを通した各種オンラインサービスが普及すると、 ますますこの傾向は強まり、サービスが成功するか どうかはひとえにインターフェース設計の善し悪し にかかっているということにもなろう。


▲写真 XMH利用支援 実験風景

 このような中で、必要に迫られて私たちは計算機 (人工システム)と対面することになるが、システ ムにこちらの意図を伝えられなく て困ることがよく生じる。実際、 日頃計算機を使って仕事をしてい る者でも、新しいシステム/サー ビスを使おうとすると戸惑うこと が多いのである。このような時、 一番良い環境というのは、近くに 良く知っている人がいて、困った 時に適切なアドバイスをしてくれ ることであろう。このような場合, 些細な誤解や思い込みが原因であ ることが多く、簡単なアドバイス が役にたったという経験を皆さん もお持ちのことと思う。私達はこ のような認識から、利用者が困っ た時には近くにいるアドバイザのように利用者の意 図を理解し、対話により状況に応じた支援を行なう システムの開発を行なっている。
 支援対象としては、パソコン通信などで良く知ら れている電子メールを処理するプログラムXMHを 取り上げてみた。電子メールはFAXと同しぐ、電 話線などのネットワークを通して即時に手紙を配送 するシステムであるが、内容が文字コードで送られ るため、受取側での編集/加工/再配布などが容易 であり、今後の発展か期待されるメディアである。 またXMHは、UNlX計算機上で電子メールを読 む/書く/送る/整理する等を行うためのプログラ ムである。
 図1は、私達が開発した対話型XMH利用支援シ ステムの操作画面である。XMHはボタンやメニュ ーをマウスで選択する形の視覚的インターフェース を持っており、利用者は通常はこれにより作業を行 う。途中で操作方法が分からなくなったりしたとき には、「ヘルプ」と書かれているボタンを押すと、 「Question」「Answer」と書かれている二つのウィ ンドウが開く。質間をQuestionウィンドウに入カ すると、回答がAnswerウィンドウに現れるととも に、音声でも回答が出カされる。写真では、ちょう どアドバイスが出カされ、利用者がそれに従って操 作をしているところである。


▲図1 対話型XMHの操作画面

 システムはその場の状況にあった適切な応答を行 うため、利用者の操作履歴を常に収集しており、今 までその人が何をしてきたか、どこで間違ったのか を記録しておく。質間があった時には、そのような 知識をもとにして、利用者のゴールを推測し、誤っ た点を指摘したり、ゴールを達成するための方法を 指示することができる。
 しかしながら、人は使い方が分からないとき、常 に適切な形で質間をできる訳ではない。むしろ、不 適切な表現、的外れな質間が普通であり、これらに 対しても適切なアドバイスができなければならない。 そこで私達は、(実際には人のアドバイザが回答す る)このプログラムを初心者の方に使ってもらい、 その中で生じた支援対話を解析することで、利用者 の振舞いやエキスパート(専門家)の支援戦略など を知識べース化し、これをシステムに組み込むこと を考えた。
 実験には計算機の初心者ということで文系の大学 1、2年生にお願いし、簡単な説明の後、電子メー ルを用いたお茶会連絡の課題を行ってもらった。図 2はそのときの実験風景である。ここで得られた知 見をもとに、私たちは支援戦略などの設計を行った 訳であるが、それ以外にもこの実験を通して、キー ボード対話と音声対話の違い、初めて計算機を使う 人にとって何が一番難しいか、どのような指示が相 手に分かってもらえるのかなど、机上で考えている だけでは分からない貴重な知見を得ることができた。


 現在のシステムでは、質間は文字で入力するよ うになっているが、実用的な観点からはやはり音声 入力が望ましい。そこで自然言語処理部でも、音声 入力を用いた利用支援実験の対話データをもとに、 話言葉に特有の言い回しや不完全な文にも強い、意 味主導型のパーザ/発話意図解析部の開発を行った。
 現在のシステムは、まだまだ不完全なものである が、システムの開発/評価の過程で多くの問題点や 改良すべき点などが分かってきた。例えば、視覚的 インターフェースでは、「これって何ですか」のよ うな画面上のものを指示/理解できることが重要で ある。そのため、利用者が発話と合わせてマウスな どで画面を指示することで、指示物を同定したり、 言語と視覚的情報を合わせて操作を指示できる手法 の開発を行っている。

(知識処理研究室長)




《連携大学院シリ一ズ(2)》

電気通信大学併任教授として


横山 光雄

1.はじめに
 私が何故、表題のような身分になったかについ ては、CRLニュース(No.210,pp.4〜5)を参照 されたい。教官の責務は幾つかあるが、当面は、 (1)講義と、(2)研究指導である。以下に、これまで 携わった講義と研究指導について紹介する。

2.講義
 講義の準備は大変である。幸い、教科書となる 著書を完成していたので、講義内容の準備はでき ていた。学生に生協を利用し、?割引で購入して 貰ったが、少し高いという苦情がでた。講義ノー トを作らないと、本当に準備ができたことになら ない。
 教授以外に、本業があり、更に本省・業界・ 他省庁・学会関連の仕事を持っていたので、教 育には1/5位のエネルギーしかさけない。多忙 は、心を亡ぼすと書く。しかし、それらを楽し みに変えれば活力の源泉になる。大学の講義は そのようになるよう心掛けた。
 学生は、様々な専門分野の出身者で構成され ていた。講義内容に対し、全くの素人から専門に 通暁している人までおり、共通基盤ができていな かった。しかし、学生は意欲的であった。
 講義の実を上げるため色々としかけをした。英 国のケンブリッジ大やオックスフォード大には、 それぞれSupervision SystemやTutorial Systemがある。講義を受けることで、知識を得るが、 学生は毎週小論文を提出し、内容について指導 教官と討論を行う。私には、それだけの余裕が無 いので、学生に講義内容を理解する為の問題を作 っ貰い、それに自ら解答を作成し、毎回レポー トとして提出することを義務づけた。学部学生は 与えられた問題が解けること、院生は学問に対し 能動的で自分で問題を作れることを要求した。
 講義の模様を少し紹介する。その1:伝搬路の モデル化で、「タップ付き遅延線」の話をした。 機械出身の学生は、機械でいう「タップをたて る」ことが何故伝搬路と関係有るのか悩んだそう である。その2:苦労してOHPを作成し、情熱 を込めて講義した。充実感は素晴らしいものであ った。しかし、後日CRLに来ている学生から 「この前の講義は、大部分の学生が分からなかっ たと言っています」−−「!!!(絶句)」。そ の3:「リトルの公式」を数式を使って説明(こ れは成功)後、具体例を示そうと思い、「歯医者 の待合室と患者」の関係を即席で取り上げた。う まく説明出来なかった(私の宿題にし、後日成 功)。このように、実際講義をするとなると、簡 単な事の十分な理解が欠けていることに唖然とさ せられる。大学の先生は、そういった修羅場を何 度も潜り抜け、知識を体系化して所持し、本質を 説明出来る能力を身につけている。「教える事は 学ぶこと」である。伊能忠敬は、師の高橋至時よ り、弟子をとることを勧められた。理由は、自分 の学んだ事を確固としたものにするためである。 このような理由で、CRLの研究官以上の者には、 研修生をとることを勧めている。

3.研究指導
 他大学の研修生は、派遣元の先生に責任があ る。研修生が頑張るどうかは、(ネジは巻くが) 本人任せである。しかし、CRLで研修を受けて いる電通大学生の学位審査は、CRL担当教官 が責任を持つ。そのため、学生指導には、細かな 気配りと、確実に研究成果を出せる指導が必要 になる。実際の指導は、研究室で行うが、ゼミの 指導は4教官が直接当たっている。
 ゼミには、万難を排して出席するようにして いる。学生は純真で、一生懸命学ぼうという気 迫があり、何とも爽やかである。若い時分にタ イムトラベルしたようで、心の清新さ、活力の 充実、若返りを感しる。ゼミと同日に外で会議 がある場合には代理出席をお願いし、責任履行 と信用確保に努めている。
 研修生は、人手不足の研究室にとって、貴重 な知的資源である。ただし、始めの立ち上げに は苦労する。一端完成すると、次年度の研修生 の立ち上げは先輩が代行してくれる。
 NASAエイムス研究所の所長ハンス・マー クは、所長ゼミナールをもっていた。自分の研 究テーマのブレーンとの討論の場である。それ と同じことをやろうとしたが、周辺事情が時間 の枠を許さず断念した。私の米国留学滞在先で の指導は、学部のHeadであった。彼は6時出 勤で仕事をこなし、10時から12時迄自室に籠も り、外界と遮断して勉強していた。その間の連 絡・作業は、秘書が処理した。やはり、アメリ カである。日本では出来ない。しかし、学生と のゼミは、それを別の形で実現している。

4.結び.
 講義を終えるにあたり、アンケートをとった。 幾つか紹介すると、@2コマ纏めた隔週ごとの 講義は、歓迎されない、AOHPの講義は、苦 労の割りには報われない、B質問をする時間を とったが、問題は、「何を質問してよいかどう かが、分かるか」を確認することが先であった。
 若い人材の育成に貢献できることは、無上の 喜びであり、私に合った仕事である。これから も頑張って寄与したい。

(総合通信部長)




≪長期外国出張≫

NASA/Goddard Space Flight Center
Greenbelt, MD 20771, USA     


佐竹 誠

 アメリカ航空宇宙局、NASAの9センター の一つで、地球および宇宙全般に関する研究を 主業務とするゴダード・スペース・フライト・ センター(GSFC)は、メリーランド州(M D)グリーンベルト市にある。20771はzip code(郵便番号)である。
 ところで、私がそこに滞在した1991年3月か ら1993年2月までの間、アメリカの小中学生の 間で人気があったテレビ番組に、”Beverly Hills 90210”という、カリフォルニアの高級住 宅地ビバリーヒルズの高校生たちを描いたドラ マがあった。90210がzip codeだということが わかったのは、それを見始めてだいぶ経ってか らであった。zip codeの区画(日本の「字」 に相当か)はその地域の土地柄を表わすのにち ょうどいい大きさのようである。日本でも、も うすぐ「田園調布145」というテレビドラマが 登場するかもしれない。
 このzip codeの例のように、私たちに最も身 近な外国アメリカでも、住んでみて初めてわか ることがいろいろとあった。また、日本を外国 として眺めることができたことも、貴重な経験 であった。

 わたしは、GSFCのSpace Data and Computing Divisionというデータセンタと計算機セ ンタを兼ねたような部の中にある、TRMM (Tropical Rainfall Measuring Mission)デー タシステムのグループに所属し、その開発に携わっ た。具体的には、私の滞在中は、ユーザの要求の調 査、システム設計、プロトタイプの開発などが行わ れた。TRMMデータシステムは、扱うデータの 量・種類がきわめて多いことから、これまでにない 厄介なシステムで、衛星打ち上げ(1997年予定) 1年前の稼働開始予定まで時間の余裕は全く無い そうである。
 実際のデータシステムの開発には”その道のプ ロ”があたるので、私は空いた時間に、Laboratory for AtmospheresやLaboratory for Hydro spheric Processesという大気科学・気 象の研究部門に出入りして、降雨レーダ(特にT RMMに関連した地上レーダと航空機搭載レー ダ)のデータ処理の勉強をした。この部門には数 年前から現在まで当所からの滞在者(中村健治、 古津年章、熊谷博、および井口俊夫の諸氏)がい ることもあって、快く協力してくれる研究者が多 く、たいへん助かった。

 NASAのなかで感じた“アメリカ”、2題。
 その1、セキュリティ・チェック。
 アメリカでは保安上の理由から、職員には顔写 真入りのID(身分証〉を常時携帯させるところ が多い。GSFCでは本物の銃を持った守衛が入 場者のIDをチェックする。湾岸戦争のような時に は特に厳重になる。私は(実はそのIDが欲しかっ たのだが)、外国人であるために、訪問者用のバッ ジ(期限付き入場許可証、写真なし、制約あり) しか与えられなかった。自動車で私の送り迎えをす る妻は、GSFCの構内に入ることもできず、不 便であった。アメリカ国民か、市民権をもつ人は、 その場でバッジがもらえるのだが、外国人の場合は 正当な理由と事前の申請が必要となる。これは不 公平じゃないかと、ある職員に言ったら、「保安上 の問題でやむをえない」とのこと。しかしながら、 ある朝、いつも使っていたプリンタとファックス機 が盗まれれ犯人は不明というようなこともあり、セ キュリティが万全とはいかないようである。
 その2、多民族国家。
 私が入った当時、TRMMデータシステム・グル ープのNASA職員は4人だった。マネージャとも う一人が韓国系アメリカ人、白人女性が一人。た だ一人の白人男性(アメリカではふつうは多数派) が、日本から私が加わった時に曰く、「わたしはこ こではマイノリティー(少数派)だ。」冗談であっ たが、ドキッとして、アメリカの複雑な民族構成の ことを考えさせられた。

 アメリカ生活で一番の楽しみは、映画を観ること であった。2年間に映画館で観た映画は70本余り。 月に平均3本は、その間に公開された映画の半分 近くになると思う。アメリカの映画館は日本と比べ るといいことずくめ。数が多いので、すぐ近所にあ る、立ち見になるなんてことはない。入場料は3ド ルぐらい(時間帯、場所によって1〜6ドル)と非 常に安い。当然のことながら本場ハリウッドの映画 がいちはやく封切られる。おかげで、最近まで、日 本で上映されたアメリカ映画の多くは既に観ていた。 外国映画をやる映画館が少ないことが欠点(だが、 私が初めて黒沢明監督の古い映画、「野良犬」、「ど ん底」を観たのはアメリカのケーブルテレビ)。い ま、日本では金も時間もかかりすぎるので、なかな か映画を観に行けない。安い牛肉より、エアコン・ 給湯設備付のアパートより、それがいちばん惜しい。

(関東支所 地球観測技術研究室 主任研究官〉



短 信




当所をP-SATが取材


10月27日、郵政省の広報番組「旅・出会い・ゆ かいなトーク〜日本の中の郵政省」(仮称)の通信 総合研究所部分の収録が行われました。この番組は、 11月18日、P-SAT(通信衛星)により地方 会場に放送され、後日、この模様は、各地のCAT V局約160局より放送されました。
 ビデオ収録は、取材スタッフ6名、予め予定され たシナリオに沿って、作業が進められました。各研 究室への案内役として当所職員が当たり、俳優の水 島裕さんを相手に研究者が、繰り出される質問に答 えるという対話形式で進められ、日頃、照明のライ トとカメラの前で話すことに不慣れな研究者たちは 汗だくの一日でした。


▲収録風景(本所1号館前にて)



第5回気通信フロンティア研究
国際フォーラム開催される


 電気通信フロンティア研究の国際研究交流の推進 を目的に、郵政省とテレコム先端技術研究支援セン ターか主催する本フォーラムは、10月19・20日、東 京・品川において開催された。今回はネットワーク技 術の研究開発動向を取り上げ、世界的権威Hoare 教投(Oxford大)によるソフトウェア技術の課題に関 する特別講演、通信網・光交換・高速ネットワーキ ングの動向に関する基調講演3件、及び一般講演14件 の発表が行われ、全体で約400名が参加した。一般講 演は光交換・全光化ネットワーク・インテリジェント ネットワークとパーソナル通信の3セッションに各国 の研究者から興味深い内容の発表があった。全体と して、様々な角度から次世代ネットワークに迫るとと もに、国際的な研究交流を促す良い機会となった。 当所は企画・運営に参加する他、発表(1件)を行い、 その成功に協力した。次回は来年12月、超伝導・レ ーザ新技術に関し開催する計画である。

(∴表紙写真参照)



第35次南極観測隊出発


 11月14日の正午、第35次南極観測隊が観測船「し らせ」で東京港晴海埠頭から出発した。当所からは、 岩崎恭二が電離層定常部門、小原徳昭が宙空系部門 として参加し、越冬する。なお、岩崎は昭和基地郵 便局長も兼務する。
 出発当日は、早朝の雨模様にもかかわらず、小川 宇宙科学部長をはじめ、多数の人々が見送りに駆け つけた。幸い、正午近くには天気も回復し、見送り のテープが風になびく中、「しらせ」は出港した。
 今後、観測隊は船上観測を実施し、12月中旬には 昭和基地に到着の予定である。昭和基地では、当所 の2名は、電波による超高層大気の観測、人工衛星 受信等を行う。多くの成果が期待されている。


▲観測船「しらせ」甲板上の隊員たち