「内にも外にも開かれた研究所を目指して」


吉村和幸


明けましておめでとうございます。今年もよろし くお願いします。
 昨年は、当所にとってお陰で実り多い年であっ た。先ず、5年度の多額の補正予算により、一般 予算では到底不可能な多くの研究施設、環境/厚 生施設の整備を行うことができた。また、関西支 所が設立5周年を、関東支所鹿島宇宙通信センタ ーが30周年をそれぞれ迎え、記念行事を実施した。 特に、前者については5周年にふさわしい組織、 施設、研究成果をもって行事に臨むことができた。 さらに、前年度より始まった科学技術庁のセンタ ー・オブ・エクセレンス(COE)育成制度におい て、当所は「先端的光通信・計測の研究」領域で 今年度のCOE化対象機関に選定された。

関西支所の最近の成果
 関西支所では、物性、情報、バイオの研究分野 において、最近、相次いで国際レベルの研究成果 が上がっている。このことは、わが国の国研の基 礎研究の取り組み方に一つの明確な示唆を与えて いる。基礎研究は人材に大 きく依存する。したがって、 研究指導者も含め世の中に 広く人材を求めていく努力、 研究者が研究を進めるに必 要な十分な予算、研究施設、 環境施設の確保、そして独創的な発想が許される ような開かれたマネージメントの努力をすれば、 わが国においても基礎研究の分野で然るべき国際 貢献ができうるということである。その点で、当 所の状況がまだまだ不十分なことは言うまでもな いが、現状の下でできるだけの努力をしてきたこ とが、よい結果に結びついてきたということであ る。我々の益々の努カと、国としての一層の投資 が必要である。また、このような基礎研究を全面 的にバックアップしている郵政省に対する評価は 高く、技術開発行政の推進全体に良い影響をもた らすものと思われる。

ETS-Vlトラブルのもつ意味
 昨年は、当所にとってもう一つ大きなできごと があった。それは、技術試験衛星ETS-VIの打ち 上げである。ETS-VIは残念ながら静止化に失敗 し楕円軌道を回っているが、バス機器、搭載機器 はほとんど全て順調であり、所期の開発成果が得 られたことが確認されている。当初は、Sバンド、 ミリ波、光による衛星間通信実験(模擬実験)を 12月より進めており、概ね順調に進行している。 衛星が楕円軌道のため寿命が計画より短縮される が、重要な基本実験は全て実施できる予定でいる。 特に、光による衛星との通信実験は世界で初めて のものであり、これまで初期実験に見事成功して いる。
 ここで、ETS-VIの静止化失敗のときにみられ た報道について、わが国が、今、国際貢献を強く 求められている先端的技術開発の在り方との関係 から言及したい。当時の報道では、大体、一様に 「宇宙のゴミ」、「数百億門が無駄に」という極めて 否定的なものであった。先ず、ETS-VIは技術試 験衛星であり、実用衛星ではない。バス機器を含 め新しい技術開発をいろいろ行って、宇宙で試験 をするものである。したがって、失敗のリスクを 最初から負っており、失敗も成功も含めてその結 果を次の計画に反映する役割をもつ。したがって、 いかなる意味においても「宇宙のゴミ」になるこ とはない。日本は、歴史的に欧米に学び、技術等 を導入することを基本姿勢としてきた。それによ って、安全で確実な道をとることが国民的カルチ ャーとしてしみこんで、いるため、失敗に対して非 常に厳しいところがある。
 宇宙開発はフロンテイア的技術開発である。欧 米は幾多の失敗を経験して、時には人命をも犠牲 にしながらこれを押し進め、決して止まることが なかった。国民全体がフロンテイアとしての誇り をもっているからである。わが国も、今や欧米と 同等の位置に立って、先端的技術開発の分野で国 際貢献することが強く求められている。フロンテ イアとしての誇りと、それに伴うリスク、失敗は 不可分のものである。わが国が、今後、宇宙開発 委員会の中長期方針に示された、月、惑星をも目 指した宇宙開発を積極的に進める場合、このよう なカルチャーを変えることが是非必要である。

光領域におけるCOE化の取り組み
 冒頭に述べたように、当所は科学技術庁のCO E育成制度で対象機関に選定され、先端的光通 信・計測の研究領域において5年間でCOE化を 図ることとなった。対象となる研究分野は、光 源/伝搬/検出の各技術、レーザ・デバイス技術、 光通信および計測技術など、当所のほとんどの 部・センターが関係する横断的なものである。し たがって、本領域のCOE化を進めることは当所 全体のCOE化にもつながるものである。予算は 当所の独自の予算と科学技術庁からの振興調整費 からなるが、後者は年間約4億円で、主に「能動 的光制御の研究」に充てられる。
 推進体制は、COE化推進委員会(委員長:総 合研究官)を設け、その下に運営組織として先端 光枝術研究センターを置く。センター長には「研 究統括責任者」(有賀総括主任研)が成る。また、 評価委員会を設け、外国を含め権威ある大学教授 等に委員をお願いする予定でいる。本制度では、 外部から研究者をいろいろ招へいできるメリット がある。センターには独自の事務局を置き、計画、 予算執行、渉外などの実務に対処する。振興調整 費充当研究と外部研究者の受け入れを一元的に行 うため、新たに建物を建設する計画である。関係 各位のご支援、ご協力をお願いする次第です。

H7大蔵予算内示とマルチメディア
 来年度予算の内示が出された。一般予算は、厳 しい財政状況を反映して81億円の内示に終わり、 今年度比約1億5千万円(1.9%)減であった。内 容は、ETS-VI関連の大幅減、首都圏VLBI計画の 4局日の建設要求がゼロ査定、それ以外はほぼ要 求通り認められた。しかし、今回は一般予算とは 別に特別要望枠が設定され、郵政省についてはマ ルチメデイア時代に対処するべく全体で50億円の 枠が認められた。当所は、技術開発の項目で22億 円の要望枠のうち、建物を含め20億円の内示であ った。その結果、平成7年度予算の内示総額は 101億円となった。
 マルチメデイアに対する取組は、電気通信審議 会答中「21世紀の知的社会への変革に向けて」に みられるように、郵政省が現在最も力をいれてい るものである。今後、関連する予算が大幅にふく らむ可能性があり、当所も技術開発の面で大いに 貢献していく必要があると思われる。しかし、そ の場合注意すべきことは、これは新しい時代を担 う、新しい内容と規模のものであり、特別の枠組 みのもとで取り組む必要があるということである。
 当所は、郵政省で唯一の技術研究所であるため、 現在でも多くの研究プロジェクトをもち、限られ た要員のもとでかなり無理をしながらも、行政的、 社会的、国際的要請に積極的に対応し貢献してき ている。このことは、当所で遂行している本省と の多数の協力事項、外部機関との約200件の共同研 究を見ても明らかである。複数の研究所の下で推 進してもおかしくないものである。したがって、 今後、年々拡充していくであろうマルチメデイア 対応の技術開発に適確に対処するには、一つには 他省丁、地方自治体、民間などの外部研究機関と 要員の当所への受入れを含めた新たなスキームの 下での共同研究を推進することが必要となろう。 また、枝術開発の中核となる当所については、要 員の大幅な拡充を伴う思いきった省レベルでの組 織的対処が必要になると思われる。
 増員要求は、4名の要求のうち3名が認められ た。当初から指摘されていた厳しい状況にもかか わらず、最大限のご理解を示してくれた関係当局 に感謝したい。組織要求は、マルチメディア対応 として、超高速ネットワーク研究室、ユニバーサ ル端本研究室、高度映像情報研究室の3研究室を 要求し、全て認められた。今後、これに充てるべ き要員、人材に厳しい対処が迫られる。関係各位 の一層のご理解、ご協力をお願いしたい。

内にも外にも開かれた研究所を目指して
 当所は、将来的に当所全体をCOE化すること を目指しているが、そのためには研究者が持てる 能力と個性を十分発揮すること、また良い人材に 来てもらうことが必要である。最近、インセンテ イブのある研究環境作りということで取り組みを 行っているのもこのためである。このテーマは、 昨年12月に全国から93機関が参加して開かれた、 各省直轄研究所長連絡全(直研連)主催の共通間 題研究会でもとりあげられ、私もパネリストとし て参加した。インセンテイブのある環境とは、研 究者のやる気を自発的に引き出すような刺激のあ る環境ということである。
 パネリストとしての立場から、私は、そのため の基本的な方策として「内にも外にも開かれた研 究所」ということを挙げた。外との活発な交流に よって異なるカルチャーと接触することによる刺 激、内においてはオープンなマネージメントによ る自由でのびのびとした環境のもとでお互いが切 磋琢磨することによる刺激、というような考えか らである。重要なことは、このことによって各人 が真の意味で自立した能力、主体性を養うという ことである。基礎的、先端的研究は世の中の先を 行く研究であり、自分自身で道を切り開いていか ねばならないからである。このことは、わが国の カルチャーを考えるとき特に重要である。
 全く同じことが機関レベルにも当てはまる。直 研連の研究会における私の講演で、最も関心を集 めたのはこのことであった。新しい目標を目指し て機関が改革を進めるには独自の問題がいろいろ あり、したがって機関にそれ相当の主体性を発揮 する余地がなければならない。その点、当所は主 体性を発揮しながら諸問題に積極的に取り組んで いる方であり、比較的恵まれた状況にあることが 分かった。わが国において、今、様々な面で改革 の必要性が叫ばれているが、それには確固たる主 体性をそれぞれがどう発揮できるかが鍵になると 思われる。

(通信総合研究所 所長)




大いなる中国を旅して


吉野 泰造

 平成6年10月8日から約2週間、中国関係機関を 訪問した。目的は大きく分けて2つ。第一は新しい VLBI局の開所式を兼ねて、ウルムチで開催され た第3回アジア太平洋電波望遠鏡(APT)会議へ の出席、第2は上海天文台及び長春SLR局調査の ための訪問である。
 成田を発った同日にウルムチヘ着こうと便を探し たが、接続が悪く、まずは北京に一泊を余儀なくさ れた。翌日、北京空港で受けた搭乗券にはゲート番 号が記載されておらず、だいぶ迷った。乗り込んだ 飛行機は初めてのイリューシンで、機内ではスチュ ワーデスがお茶を「やかん」に入れたままサービス していた。また、常温の缶ビールとストローが配ら れ、これでチューチューとビールを飲む初体験をし た。

第3回アジア太平洋電波望遠鏡会議(APT会議)
 ウルムチ空港から、ホテルに向かう道の周辺の景 色は素朴で、店の看板には、イスラムの文字が併記 されている。ウルムチの意味は「美萌的牧場」。蒙古 語に由来する。会議は環球大酒店と呼ばれるホテル 内で行われた。環球とは英語でグローバルに相当す る。辺境の地のホテルとはどんなものなのか想像も つかなかったが、その近代的な様相に驚いた。確か にウルムチは人口が100万を超す都会なのである。最 近、ウルムチの近くに石油が見つかり、これで町が 活況を呈しているらしい。会議は、ホテルに缶詰め で進行した。参加者数は80名程度。予想以上に欧米 の参加者か多かった。日本人は3名であった。開会 式で若い中国人が英語への通訳をしたが、つっかえ て、仲間達の笑いがもれた。まるで田舎の学校のセ レモニーのようだ。学会中には、同じホテルの中か らカラオケも流れてきた。中国は東西に幅広いが、 ウルムチでも北京時間である。夜10時まで会議を したが、地方時では8時である。
 中国の発表には派手な話が沢山あった。昆明のSLR局 、VLBI移勒局、65m大型アンテナ、大 型アレイアンテナ等、何でも話題に事欠かない。ま た、国連の傘下に作られたアジアでの宇宙測地協力 の枠組みとしてのAPSG(Asian Pacific Space Geodynamics)につき、前上海天文台長が多くの国 の協力を求めていた。会議では、セッションの議長 等で忙しかったが、後半から、エクスカーション等 が増えて、楽しめた。滞在中、1日だけ雪が降った が、昼には消えてしまった。朝は寒く、昼は汗が出 る典型的な内陸の気候である。


▲写真 完成したウルムチVLBI局

 APTの初回実験は来年の6月初句を想定してス ケジュール調整を始めることになった。日本からは もちろん、鹿島の34mアンテナが期待されている。 次回のAPT会議は1年後に豪州のシドニーまたは ホバートで開かれる。
 昼食の食堂探しに会場の付近を探索した。地元の 人が食べるところでは、たらふく食べて、ビールも 飲んで20元(約240円)だった。味は日本で言う中国 料理の味とはだいぶ違うと思った。有名なシシカバ ブーも、お勧めである。ただし、日本人には上海の 料理の方が口に合うのではないか。
 エクスカーションでトゥルファンに行った。強行 軍の日帰り旅行ということもあってマイクロバスの 運転手は、がたがた道を飛ばすので、上下に激しく 揺さぶられ、おちおち寝てもおれなかった。バスの 中で何度悲鳴を聞いたことか。果てしなく広がる大 平原を旅すると、自分でドライブしたくなるが、外 国人には危険すぎるとさとされた。事実、この辺で 起きる事故は大きく、大型トラックが横転している のをいくつも目の当たりにした。三蔵法師と孫悟空 で有名な火焔山に着くと、おみやげ売場には日本語 が並びクレジットカードが通用するとあって、日本 人観光客の行動範囲には恐れ入った。

UAO開所式
 都市部から約70kmの奥地にあるウルムチ天文台 (UAO)の25mアンテナ完成を祝って公式の開所式 が開かれた。屋上で鳴らす中国の爆竹を初めて見た。 UAOは高度が2000mもあり、太陽がくっきりと、 まぶしく輝いていた。周囲は、のどかな風景で祝賀 会にロバに乗った地元の子どもがやってくるなどロ ーカル色いっぱいであった。アンテナに昇り、フィ ード部等を見た。既に、鹿島との間で試験的にVLBI 観測を開始しているが、VLBI観測の空白地 帯であったので今後の地殻の動きに興味が持たれる。 おみやげにTシャツが配られた。Tシャツには、VLBI で得られる角度分解能は、1つのパイを世界 中の人で分けたときの1ピース分の角度と同じと書 かれていた(世界人口は約50億)。

上海天文台
 上海に向かう中国東方航空のスチュワーデスがも のすごい美人でびっくりした。ウルムチのような辺 境の地から出て来て、上海の輝くような都会の美し さに目をうばわれた。何もかもが洗練されている。 タ食時の音楽も、ウルムチとは明らかに趣味か違う。 上海の発展ぶりはすごい。日本が東京オリンピック を契機に大発展した当時と似ているのではないか。
 郊外にある上海のVLBIアンテナを見た。日中 接近を実証したアンテナである。副鏡の上まで昇っ て周囲の農村風景も楽しんだ。次に、上海のSLR 局を訪問した。いずれも、中国各地の研究所で製作 した部品を集め国産技術で頑張っている。特に、望 遠鏡のミラーのコーティングを得意としていると聞 いた。リクエストに応え、CRLの活動につき講演 を行った。
 副台長の楊氏と夜景を見に行くと、港に面した建 物はライトアップしており、東京にあったら間違い なく、指折りのデートコースである。対岸には間も なくオープンする460mのタワーがそびえ、その先で は新しい上海空港が建設中である。古いと思った天 文台の建物も、もうすぐ高層ビルに建て替えるそう だ。

長春のSLR局
 天文台は市街から北東へ12kmに位置し、国立森 林公園の中の浄月湖に面する、なだらかな丘陵地帯 の上にあり立地条件は抜群である。しかも年間晴天 率は60%。ここ2〜3年で名前が上がってきたSLR局 であるが、これまで、非常に情報が少なかった。 私が3人目の日本人訪問者であった。今の所、厳寒 期を除く3月から11月にシステムを稼働している。 夜は観測の様子を見せてもらった。東京で見る衛星 の像に比べてS/Nがだいぶ良い。
 長春での宿泊には、観測所に近いものが確保され た。このホテル、外から見るとなかなかきれい。部 屋まで送ってもらい、明朝は零下まで冷え込むと言 われて分かれた後、バスルームに入りドアを閉めた。 ところが、このドアのノブがグラグラで、回しても 開かない。中には電話もない。ドアをたたいても外 には聞こえない。夜の9時頃のことである。明日の 朝、救出されるまで出られないのかという不安がよ ぎった。いろいろ考えたが、じっくりやることにし、 結局15分ぐらいでカチッと音がしてドアが開いた。 これが、今回の旅の最大の危機。翌日、ドアノブが 撤去された(直したのではない)。長春の食事は寒い せいか、スパイスが効いている。案外おいしかった のは、蚕のフライ。おおむね食事で困ったことはな かった。警戒していた腹下しは1度も経験せずに済 んだ。
 中国の沿岸部は大きく発展し始めている。大きな 人口を抱え、大変なエネルギーがある。一方、イン フラを整備するにはあまりにも広い国土がある。中 国はどこへ行くのだろう。以前から興味を持ってい た中国への旅が実現し、新しい中国、古い昔の面影 を残す中国、毎日を生き抜く人々を見ることが出来 た。人間の本来の感性がよみがえる感じがした。い ろいろ、大変なことはあるが中国の旅は、日本とは 別次元の大きな世界があることを教えてくれる。最 後にお世話になった、科学技術庁、中国科学院のワ ークショップ開催事務局及び関係各位に感謝いたし ます。

(標準計測部 時空技術研究室)




≪研究部紹介シリーズ≫

「地球環境計測部」


岡本 謙一

 地球環境計測部は、平成5年7月の機構改革で発 足した。前身は、電波応用部、そのまた前身は衛星 計測部といい、個性豊かな所長や次長、はたまた社 長を輩出した由緒ある部である。地球環境計測部の 発足が、人類共通の重要な課題である、地球環境問 題を電波と光を用いて計測する技術を開発し、実験 を行い、人類の生存のために些かなりとも貢献せん とする崇高な理念に基づくことは、言うまでもない。 民間の研究機関が実施しない、電磁波を用いたリモ ートセンシング技術による地球環境計測技術の研究 を、数ある国立研究機関の中でも中心的な存在とし て、日夜たゆまず研究して、社会的・行政的要請に 応えると共に、学術の発展に寄与・せんとしているの が、地球環境計測部である。
 発足の由来からして、当部は宇宙からの地球観測 と密接な関係を有している。従って、当部は、宇宙 開発事業団の地球観測部門と密接に係わっている。 部長、室長合計5人の内、4人まで、が、宇宙開発事 業団の科学研究部門を支援するための地球環境観測 委員会の有力メンバーとなっている。また、科学技 術振興調整費や環境庁子算を伝統的に獲得する努力 をするというハングリーな精神が、部全体に浸透し ている点でも、ユニークである。従って、決して大 型プロジェクトやルーチン業務を抱えているわけで はないが、研究以外のパフォーマンスの点で、時間 の多くを取られているという辛い現状にあるが、こ のことは、意外に知られていない。
 地球環境という研究テーマ自体が、性格上、国際 協力の下での研究とならざるを得ない。当部の4研 究室とも、国際協力のテーマを抱えている。研究相 手も、アメリカ航空宇宙局、ジェット推進研究所、 アラスカ大学、欧州宇宙機関、タイ国モンクット王 工科大学、中国蘭州沙漠研究所、カナダ国大気環境 庁、カナダ国立研究機関(NRC),フランス国立電気 通信研究所(CNET),英国ラザフォード・アップル トン研究所等々と枚挙に暇がない。今年の7月まで は、アメリカ航空宇宙局に2名、ドイツ国アルフレ ート・ヴェーゲナー極地海洋研究所に1名と、それ ぞれ先方の要請で2年間づつ出張していたが、現在 はアメリカ航空宇宙局に1名滞在中である。
 当部は、部長、総括主任研究官2名、4研究室、 業務係で構成され職員の総勢は24名である。前置 きが長くなったが、以下、各研究室等の紹介に移る。
【電波計測研究室】室員6名、留学生1名、研修生2 名の構成である。電波を用いた大気(降雨、風)及 び地表面(雪氷、植生、海洋)のリモートセンシン グ技術、データ解析の研究を行っている。関東支所 地球観測技術研究室、沖縄電波観測所とは密接な関 係があり、共同して研究を実施している。熱帯降雨 観測衛星計画(TRMM)の推進、航空機搭載マルチパ ラメータ降雨レーダの開発と降雨観測実験、低層大 気観測用レーダの開発と風ベクトル観測実験、アイ スレーダによる南極、北極氷床内部の観測、衛星デ ータを用いた稲作成育状況の観測等の多くのテーマ に取り組んでいる。
【光計測研究室】室員4名、特別研究員1名の構成で ある。将来の衛星に搭載する眼に安全なレーザレー ダ(ライダ)の開発、アラスカ大学との共同研究で 用いる中層大気の温度・風の高度分布測定用ドップ ラライダの開発を行っている。さらに宇宙光通信セ ンターに於いて人工衛星の追尾や近赤外線カメラを 用いた天体観測を行っている。また、8件に及ぶ、 科学技術振興調整費、環境庁予算等により、カナダ 国北極圏ユーレカ、中国蘭州の沙漠等の人跡稀な地 帯での地球環境諸現象のライダ観測を実施している。 また、今年度から開始したCOE化育成のための光 伝搬技術研究分野の中核をも担っている。
【環境計測技術研究室】室員6名、研修生4名の構成 である。オゾン層破壊の原因となる中層大気微量成 分の高度分布を観測するための、SISミキサを用 いた短波長ミリ波・サブミリ波帯の分光放射計の開 発を行っている。地上システム、高高度飛翔体搭載 システムの開発を行うと共に、将来の衛星搭載シス テムのための基礎研究を行う。またアラスカ大学と の共同研究による北極城の微量大気成分観測のため の地上観測システムを開発中である。さらに、世界 の最高水準を行く、航空機搭載のトポグラフィック 観測機能、ポラリメトリック観測機能を兼ね備えた 三次元合成開口レーダを開発中であり、各種地球環 境観測への応用、災害監視・予測への応用が期待さ れる。
【環境システム研究室】室員4名の構成である。中層 大気に関するアラスカ大学との国際共同研究の中核 研究室として、アラスカ大学、所外の研究機関、所 内関連研究室の取りまとめをおこなっている。同研 究室では、中層大気中の電子密度の水平分布を測定 するためのイメージングリオメータの開発に着手し たが、引き続いて、高度中層大気の風・気温の水平 分布を測定するためのファブリペロー干渉計の開発、 ならびに中層大気中の電子密度及び風の垂直分布を 計測するための分反射レーダの開発を進め、アラス カ大学での共同観測実験を実施したいと考えている。
 この他に、部内共通のデータ解析センターを整備 し全所的に開放している。将来は宇宙開発事業団と ネットワークで接続し、地球観測衛星ADEOS, TRMM等のデータを収集処理し、地球環境情報ネ ットワークの一翼を担いたいと考えている。また、 光計測分野はCOE化育成が開始されたが、電波計 測分野についても、ジェット推進研究所のレーダ部 門等を目標にしてCOE化を実現していく自己努力 を続けて行きたいと考えている。いわゆる“地球環 境ブーム”に流されることなく一人一人の研究者が、 現在の研究を続ける中で、逞しく成長し、研究者と して、どんな環境でも生き残っていける実力を養う ことが求められよう。

(地球環境計測部長)




≪CRL滞在記≫

「猪突猛進の二年間」


YU Ji(吉字)

 おかげさまで、私のCRLの滞在は終わろうとして います。1月18日にオーストラリアのシドニーに帰 りますので、この文章が読まれるとき、私はもう日 本にいません。私は1993年2月に科学技術庁フェロー としてCRLに入りました。それから2年間通信デバ イス研究室において、構内通信用マイクロ波/ミリ 波アンテナの研究、開発に従事しました。
 私は中国ハルビンの出身、1985年4月から5年間 留学生として静岡大学工学部に在籍しました。厳し い先生の下で、猛勉強の毎日は一生忘れません。東 京のある会社に1年間勤めた後、1991年10月オース トラリアに移住しました。半年前、オーストラリア 国旗とイギリス女王の写真を前に宣誓して、中国系 のオーストラリア人になりました。
 最初CRLに来たときに、広大な敷地、素晴らしい 電波暗室、特に卓球かできることに感心しました。 住んでいるアパートの周りに、昔の植木屋さんがま だ沢山残っていますので、たいへん空気がおいしく て、静かな所です。春爛漫の李節に、紫の栗畑を通 る散歩道は私と妻の大切な思い出の一つです。4ヶ 月前に私たちの初めての女の子が生まれました。名 前は南天(英語名はMegan)です。勿論、Made in Japanです。
 振り返って見ると、CRLの2年間は大変楽しく、 また、充実した2年間でした。アンテナの開発は理 論と実験の両方が要求されます。一つのアンテナは 開発から応用まで10年間かかると言われますが、こ の2年間、通信デバイス研究室の藤田室長をはじめ、 皆さんの強力なサポートのおかげで、二つの仕事を まとめることができました。その中の一つはCRLの プロジェクトに貢献できればと心の中で祈っていま す。仕事をするときに、日本語と英語を使って、皆 さんとディスカッションを行います。周りの方の対 応がうまいかもしれないですが、自分は外国人であ ることをあまり意識したことはありません。そのお かげで、CRLで素晴らしい研究経験が得られました。 いまは通信デバイス研の皆さんに対して、感謝の気 持ちで一杯です。
 僕は卓球が好きです。CRLに来て、すぐ卓球部に 入りました。試合で勝負するときの真剣さと集中す ることはたいへん好きです。また、卓球を通じて、 CRLの中に沢山の友達もできました。初めてCRLの 代表として、小平市市民卓球大会に出たときの感激 は一生忘れません。卓球部の皆さん、この2年間、 どうもありがとうございました。
 また、この2年間、日本のあちらこちらに旅行す ることができました。仙台松島の絶景、栃木日光の 紅葉、奈良の大仏、金沢の兼六園、一つ一つ見れば 見るほど味が出ます。京都の西本願寺に、私の座右 の銘になる言葉が見つかりました。「悩まされるのは 無自覚であり、悩むのは自覚である。」
 中国を離れてから10年間、その中の8年間は日本 で暮らしました。日本は私の青春の地です。自分の 中にどこか日本の魂が入っているような気がします。 日本の友人から「吉さんずっと日本に住めばいいじ ゃないの」と言われたときは、大変うれしいです。 これから、自分は地球人になるつもりで、西洋の文 化を勉強しながら、われわれ東洋の文化も大事にし ます。中国、日本、オーストラリア、それぞれの国 の良いところを取り入れて、それぞれの国に貢献し ながら、成長していきたいと思います。さようなら、 お世話になったCRLの皆さん、また、再会の日を楽 しみにしています。

         Yu Ji(吉字)
電磁波技術部 通信デバイス研究室



新年の抱負




「西暦1995年に想う」        思藤 忠典


 今年は干支の亥(い)の年で、私は5周りの亥、 即ち還暦を迎えた。赤いベストでも着て、昔の人生 50年より10年長く生きたことを祝おう。私の研究公 務員生活も、60歳定年を迎えた。今更猪突猛進でも あるまい、ゆったりとした気持ちで、第二の人生を 歩んで行こう。亥は午後9時から2時間を、又北北 西の向きを指す。この時間は私のゴールデンアワー である。亥に因んで、初春にオーストラリアのエア ーズ・ロックに妻と登り、美しい日の出と日没を眺 め、北北西の日本を、ボトム・アップと行こう。又 今年は大東亜戦争終戦50周年である。暑い夏の昼下 がり、ラジオからの玉音放送を聞き、もう空襲も灯 火管制もないとホットすると共に、無条件降伏とい う不安が十歳の少年の胸をよぎった。そうだ今年は 紀元2655年だった。



「猪突猛進やるっきやない!」     岡沢 治夫


 私はこの正月でめでたく48才!。今年イノシシ年 の年男だ。髪に白いものがほんの少し混じってきた ようだが、まだまだハナタレ小僧だ。
 そこで今年何をするかだが、当然”ETS-VIの実 験をめいっぱい頑張り、ペーパーの1編も書くしか ない!”はずであったが、衛星は体調がいまいちだ と言う・・・。
 そうだ、今年はテニスのシングルスでCRLのラ ンキング・ナンバー1を目指そう。とりあえず体重 を標準体重まで20Kgばかりダイエットすればなんと かなる。猪突猛進やるっきやない!頑張れあとはウ デだけだ。



「普通のおとうさん」       前野 英生


「年賀状を作らねば!」と思っている最中に、こ の原稿の依頼があった。だから、1995年の干支がい のししであるのは、知っていた。早いもので、自分 自身が36才になろうとしている。沖縄に3年、南極 に2回越冬、おまけに昨年は北極にでかけた。「南北 制覇したので、残りは、工ベレストだけだ!」など といっていると、勝手に妻子を残して行ってしまっ たおとうさんは、そのうちに「亭主達者で……」と なってしまうのでしょう。ちょっと古かったかな? 「今年こそは、ゆっくりと(研究?)に没頭したいも のです。」とここでは言っておこう。しかし今年も 「家族旅行にでもゆっくり行きたいなあ!」と思って いるだけの普通のおとうさんで過ごすのだろう。



「長期計画」            松田佐和子


 12年前、「年女です」と嬉々として年賀状に書いた ことを憶えている。当時は次に年女を迎える頃はこ んな人間になっているとは夢にも思わなかった。成 長は微細な量の蓄積である。今までの所業、完全に 無駄だったわけではないけれどあまり進歩はなかっ たと思う。
 かつての理想は頭脳明晰、容姿端麗、何事にもセ ンスの光る「大人」の女性であったが、今度、年女 を迎える頃にはせめて「大人」部分だけでも+α程度 を目標に努力したい。欲張らず、身の程をわきまえ 目標を、一つに絞って地道にゆくのが私にとって最 短の近道だと自覚したからである。しかし、いつま でも子供でいたくはないので、少しは焦ろう。