▲写真 岩岡宿舎東側に建設中の被災者仮設住宅
余震の続いた夜が明ける。O君が出てきた。実家
に泊まっていたが、危機一髪助け出されるも家は全焼
とのこと。喜んでいいのか、複雑な心境。お母さん
はとりあえず寮に避難。ゲストルームにも避難者を
受け入れられるよう準備、何人出勤してもいいよう
に、食堂は炊き出し体制。各室の被害状況、宿舎の
被害をまとめる。行方の分からなかったSTAフェロ
ーのTさん、大阪の友人宅から連絡、無事とのこと。
本所との専用回線の復旧、また中断、すいている
給水場所、近くの銭湯、と皆の耳に入れたい情報が
集まるが、通常の連絡では追いつかない、同報FAX
を使用しての「じしんニュース」を思いつく。19日
から7日間で16号まで発行。大阪から80kmを自転車
で帰還したT。被災地でのボランティア活動、全国
からのお見舞い。地震直後の興奮が収まり、住居や
交通網が完全に回復するのはいつのことになるのか
不安は尽きぬが、復興に向けた活動が開始されてい
る。
(関西支所 管理課長)
▲写真 被災者支援に動く関西支所職員
朝5時半、電話のやりとりで目が覚める。どうやら
大型トラック3台に積まれたミネラルウォータが到着
するらしい。自衛隊の人と倉庫への搬入を手伝って
いたが、そのうちフォークリフトの出動があり、全
てを自衛隊に任せ、待機所にすごすごと戻る。
救援物資の中からおにぎり、弁当をお裾分けして
もらい、朝食を頂いた。おにぎりのご飯は固かった
が、労働の後でしかも全国から寄せられた善意の食
べ物を項いていると思うと、コンビ二のものとは一
味も二味も違うように感じられた。7時を過ぎると昼
間のボランティアの人たちも集まってきたので、彼
らとバトンタッチをし、センターを後にした。
(関西支所 知覚機構研究室)