冷却イオンとcavity QED
cavity QEDの実験に最も理想的な実験系は、一
つの原子を一つの共振器の中に静止させた系である。
これは原子と共振器の場が相互作用する最も単純な
系であり、理論の予測と直接比較ができる実験系で
ある。しかし、この純粋な実験条件を作り出すこと
はまだ実現されておらず、通常は共振器の中心を通
る原子ビームで実験を行う。この場合、調べたい現
象は原子集団の速度のばらつきや、短い相互作用時
間などによる制約を受け、直接観測することが難し
い。そこで、それらの制約を考慮した解析を通して
実験結果を解釈するということが行われている。も
し、原子一つを長時間、共振器の中心に止めておく
ことができるならば、調べたい現象がそのまま観測
できるし、その現象を使った応用も考えることがで
きる。
原子を共振器の中心に静止させようとすると、実
験的には実に多くの困難が伴う。室温での原子は数
百メートル毎秒の速度を持つので、まず、レーザー
冷却という手法で減速する。「レーザー冷却」とい
う名称であるが、温度とはそもそも原子の不規則な
運動の激しさの尺度として定義されいるので、減速
させてこの運動を減少させることは温度を下げるこ
とに相当し、「冷却」と呼ばれているのである。減
速しただけでは原子がそのまま拡散してしまうので、
レーザー光と静磁場で出来る磁気光学トラップとい
うポテンシャル井戸の中に原子を蓄積する。しかし、
磁気光学トラップの作り出せるポテンシャル井戸の
深さは非常に浅いので、高真空中にわずかに残留し
たガスとの衝突により、短時間のうちに外に出てい
ってしまう。こういった難しい条件の中で、ただ一
つだけの原子を選んで空間に止めておくことは至難
の技である。一つの原子を冷却して観測した実験は、
つい最近になって一例が報告されたにすぎず、しか
も原子を静止させておいた時間は1秒に満たない。
しかし、イオンを一つだけ静止させるのはこれに
比べると簡単である。イオンと原子の違いはイオン
が電荷を持っているということであり、このために
電磁場を使って運動に強い制御を施すことができる。
rfトラップというイオントラップでは、イオンの質
量と電荷の値に応じた周波数と電圧の交流電場をか
けてやることによってイオンに周期的な運動をさせ、
電極間に長時間ためておくことができる。さらにレ
ーザー冷却を使って減速することにより、イオンは
トラップの中心で静止するようになる。温度で1mK
(絶対温度で1/1000度)以下まで冷却したイオンを
数μm四方の領域に静止させておくことが一般的に
は可能であると言われている。交流電場がイオンに
対して作るポテンシャル井戸の深さは、残留ガスと
の衝突にも十分耐えうる大きさなので、イオンを数
時間にわたって蓄積しておくことができる。したが
って、イオンを一つだけ生成して静止させておくこ
とは原子に比べれば比較的簡単であり、国内だけを
見回してもわれわれを含めて4グループほどが成功
している。なお、共振器の作る光の場との相互作用
を考えるとき、イオンは電荷を持っているという点
を除いては原子と同等であるので、理論的には原子
とまったく同等に扱うことができる。このように、
レーザー冷却したイオンを使えば理想的なCavity
QEDの実験系が実現できることは幾つかのイオン
トラップの研究グループから指摘されていたが、実
際に実験まで行った例は現在まで報告されていない。
イオンの自然放出を変化させる実験
われわれのグループでは、光領域での超挟線幅の
スペクトル線の観測を主な目的として、以前からカ
ルシウムイオンをrfトラップに蓄積し、レーザー冷
却する実験を行ってきた。今回、レーザー冷却した
イオンの自然放出を共焦点共振器を使って制御する
実験を行った。cavity QEDの実験に冷却されたイ
オンを使うのは初めての試みである。共振器を、そ
の球面鏡の曲率と球面鏡間の間隔が等しくなるよう
に配置すると、原子の発する光が共振器に共鳴する
周波数を持つ際には自然放出が増強され、非共鳴の
際には逆に抑圧されることが理論的に予測され、ま
た原子ビームを使った実験でも確かめられている。
われわれの実験の目的は、冷却したイオンを使って
この現象を直接的に観測することと、増強された自
然放出光をイオンの高感度の検出に応用可能かを実
験的に調べることである。
実験は図1に示すセットアップで行なった。反射
率が90%で、曲率半径が50mmの球面鏡を2枚用意
して、トラップ電極の中心と共振器の中心が重なる
ように配置し、これらを超高真空のチャンバーの中
に設置した。数百個のイオンをトラップし、レーザ
ー光を照射してレーザー冷却した。その螢光のスペ
クトル分布から、少なくとも絶対温度で10K(摂氏
-263度)以下まで冷却されていることが確認できた。
また、イオンの像を高感度の撮像装置を使って撮影
したところ、図2に示すように数10μmの領域に静
止しているのか確かめられた。このあと、共振器の
鏡に付けてあるピエゾセラミック素子に電圧をかけ
ることで鏡の間隔を変えて、共振器の軸方向で螢光
強度の変化を測定した。その結果、図3に示すよう
にかけた電圧に応じて螢光強度が強くなったり、弱
くなったりするのが観測された。これは、共振器の
共振周波数に応じて、カルシウムイオンの自然放出
の確率が変化したためである。
▲図1 イオンの自然放出の変化を観測する実験装置
▲図2 空間に静止したCaイオンの像
▲図3 観測されたCaイオンの自然放出の変化
現時点では35%程度の強度変化しか観測されてい ないので、冷却イオンを用いたcavity QED実験の 利点を主張するには少々難があるが、今後、イオン の位置の微調整をしたり、球面鏡の収差の影響を除 くためのピンホールを挿入することで、4倍程度の 発光強度の増強と1/4への抑圧が観測されることが 期待され、理論との直接的な比較や応用が可能にな ってくると考えている。また、実験条件を最適化す れば一つのイオンを使った実験も可能であるが、そ うすれば最も理想的な実験系を実現できる。
おわりに
つい最近になって、一つの原子によるレーザー発
振を実現できたという驚くべき実験結果が米国の研
究グループによって報告された。この実験は、散乱
や吸収が極限的に少ないスーパーキャビティと呼ば
れる共振器を使うことによって初めて可能になった、
技術的に最先端の実験であるが、原子に関してはオ
ーブンで生成される原子ビームを用いており、直接
的にレーザー発振を確認することは出来なかった。
その速度分布を考慮した解析のプロセスを通してレ
ーザー発振がやっと確認されたのである。彼らは速
度の揃った原子を使えば更に詳細にこの現象を調べ
るられることを指摘しているが、冷却したイオンは
まさに速度0に揃えられた「原子」であり、これを
使えば理論と直接比較のできる観測が可能である。
この例に限らず、レーザー冷却したイオンをcavity
QEDの実験に使うことで、原子と電磁場の新しい
相互作用を明らかにすることや、これらの現象を応
用した新しいタイプのデバイスの開発などが可能に
なるだろうと考えられる。
(関西支所 電磁波分光研究室)
▲図1 きく6号の外観
当初、「きく6号」か静止衛星となることを想定
して各種通信実験を計画していましたが、衛星に搭
載した通信実験機器は楕円軌道上でもかなりの実験
が可能であることから、平成6年10月からの衛星搭
載実験機器の機能確認試験に引き続き、12月から宇
宙開発事業団の協カを得て各種通信実験を開始しま
した。
現在までの実験成果は次のとおりです。
Sパンド衛星間通信機器(SIC)による実験
SICは宇宙開発事業団と共同で開発した装置で、
Sバンド・マルチピーム・フェーズドアレー・アン
テナを搭載しています。これは、送信1ビームと受
信2ピームを独立に生成でき、同時に2つの衛星と
のデータ中継が可能な、世界でも最先端の高機能ア
ンテナです。
これまで、マルチピーム・フェーズドアレー・ア
ンテナのビーム制御プログラムの機能確認及ぴSIC
中継器の動作特性の試験を実施しており、目標衛星
を自動追尾できる機能を有するビーム制御プログラ
ムが、正常に動作すること及ぴSIC中継器の動作特
性が良好であることを確認しました。
また、当初の実験計画にはありませんでしたが、
三軸姿勢確立前の衛星のスピン状態を利用して、上
記アンテナの軌道上におけるビームパターンの測定
を実施することができました。実験の結果、軌道上
におけるビームパターンは、理論計算値と良く一致
し、当初計画にはない貴重なデータを得ることがで
きました(図2参照)。さらに、双方向の音声通話
実験やデータ伝送実験に成功しています。
▲図2 SIC受信ビームパターン
(実線:実測値、点線:理論値)
なお、米国では将来のデータ中継衛星システムに Sバンド・マルチピーム・フェーズドアレー・アン テナを導入する模様です。
ミリ波帯衛星通信機器(OCE)による実験
当所では、「さくら」,「きく2号」更にECSと
世界に先駆けて高い周波数帯の開発を進めてきまし
たが、これらに続く新周波数帯開発の一環として、
非軍事用としては世界で最も高い周波数の38GHz
/43GHz帯を使用するOCEを開発し、衛星に搭載し
ました。しかも最新のミリ波帯半導体素子を送信部
に使用した全固体回路化を実現しました。
実験では、「きく6号」に搭載されているミリ波
アンテナを、茨城県の当所鹿島宇宙通信センターヘ
正確に指向させ、ミリ波による双方向の通信リンク
を確立しました。その後、OCEへの入力信号電力
に対する出カ信号電カ等、中継器の基本特性の測定
実験を実施し、最新のミリ波帯半導体デバイスを出
力電力部に用いた全固体化中継器が正常に動作して
いることが確認されています。
光通信基礎実験装置(LCE)による実験
LCEは、世界初の光による宇宙通信実験を目指
すため、衛星搭載の光送信素子として半導体レーザ
を使用し、小型軽量化を実現した光通信装置です。
実験では、まず東京都小金井市にある当所構内の
光通信地上局から「きく6号」ヘ向けてアルゴンレ
ーザ光を送信し、衛星に搭載されているCCDセン
サ及びQDセンサ(QD:Quadrature Detectorの略。
4つの小型の光検出器を縦横に組み合わせたもので
レンズによりレーザビームを検出器上に結像し、
各々の検出器の光量の比から到来ビームの方向を検
出する)でレーザ光の検出に成功しました。CCD
及ぴQDセンサは、検出したレーザ光を自動追尾す
ることによって、衛星から地上ヘ送信するレーザ光
の方向決定を行う重要な機能を持ったコンポーネン
トです。
その後、光通信地上局からのレーザ光を自動追尾
しなから、LCEに搭載した半導体レーザ光を光通
信地上局へ向けて送信し、世界で初めて、そのレー
ザ光を地上で検出することに成功しました。
この世界初の光による地上と衛星間の双方向伝送
実験の成功は、有人宇宙時代の衛星間通信技術とし
て不可欠な、宇宙光通信技術による高速大容量の情
報伝送の実現に道を開くものです。
しかし、大気のゆらぎによって、地上から衛星へ
のレーザ光強度が大きく変動し、衛星上での地上か
らのレーザ光自動追尾が不安定なため、現在更に、
レーザ光に情報をのせて安定して伝送する光通信の
実現へ向けて実験を継続しています。
▲図3 地上望遠鏡で捉らえた衛星からのレーザ光
今後の予定
ETS-VIは、当初予定の静止軌道と異なる楕円軌
道を周回しているため、強い放射線環境による衛星
の寿命劣化が予想されていますが、できる限り多く
の実験項目を実施し、有益な結果をさらに得るべく
努カをしています。
今後、Sバンド実験では、マルチビーム・フェー
ズドアレー・アンテナの高度なビーム制御機能を活
かした通信実験を実施する予定です。ミリ波実験で
は、広大な未利用周波数帯であるミリ波帯の特長を
生かした大容量衛星間通信システム、そして、アン
テナが小型化できる特長を生かした、超小型地球局
によるミリ波パーソナル衛星通信システムの実現の
ための通信実験を実施する予定です。また、光実験
では、地上からのレーザ光出力を増強すること等に
より、春以降の昼間でも実験を行う予定です。
これまでの実験で、各搭載機器の基本性能の確認
やレーザ光の双方向伝送の成功等、有意義な成果が
得られました。衛星搭載実験機器の開発成果及び今
後の実験成果と併せて、将来の本格的衛星間通信技
術の確立へ向けて、成果を反映させていきたいと考
えます。
(宇宙通信部 衛星間通信研究室)
▲写真1 夏になると近隣の市、町、村で夏祭が開
かれ、レクレーション広場でバンド演奏、
ビール、ソーセージを楽しむ。子供用に
移動式のメリーゴーランドなどもある。
研究予算は潤沢とは言えないが、私を招聘してく
れたホスト氏によると8割方満足のいく予算を持っ
ているとのことであった。旅費も潤沢ではないが、
ゲストを含めて最低、年1回の国際研究集会参加は
可能とのことであった。私が日本へ帰国後に出席す
る予定であったインドネシアの赤道超高層シンポジ
ウム出席旅費についても航空運賃を支給してくれた。
研究集会での彼らの態度は実に積極的で、ほとんど
休みなくディスカッションを行い、自分が持ってい
ないデータを入手したり、今後の共同研究をも生み
出している。彼らが研究集会出席を重要な研究活動
と見ていることが分かる。
研究所長はこの分野で名が知れ渡った3名の学者
からなり、数年交代で、そのうちの1人がManaging
Directorとして責任を負う。毎週開催される運
営会議には、3名の所長、事務長のほかに研究者か
ら選挙で選ばれた3名の代表が参加する。研究者代
表はいずれも第一線で活躍している研究者であり、
このような制度のおかげか、プロジェクトリーダー
のような重要なポストの研究者も通常は研究に専念
し、着実に論文を発表している。所員への情報伝達
は毎週はじめに一人ひとりに配付される1枚〜数枚
のA4コピー情報紙と掲示板で行われる。情報紙の
内容は運営会議の抄録、計算センターや図書室から
のお知らせ、セミナー案内、そして車やステレオ装
置のリサイクル情報まで含んでいる。
▲写真2 Burgberg(城山)小学校の入学式。校長
が学校の沿革から子供に対する注意事項
まで説明する。ビデオ、カメラの列は日
本の入学式風景と同じだか、親も先生も
ネクタイ、スーツからシーンズまでバラ
エテイーに富んでいる。子供か手にして
いる円錐形のTueteにはお菓子など親か
らのプレゼントか一杯つまっている。授
業時間表ばどのクラスも共通だか、先生
の都合であるクラスだけ休みだったり、
始業時刻が遅くなったりする。
研究を支援する職種としてセクレタリーがある。
セクレタリーは物品購入、郵便物の授受、出張手続
きのほか、論文清書などの仕事を行う。特に、最近
の論文は原稿の段階で印刷可能なものを用意する場
合か多く、原稿を所定のフォーマットに仕上げる仕
事が重要となっている。私のホスト氏はセクレタリ
ーがいなかったら、自分の研究成果の半分はなかっ
ただろうと言っていた。事務員の数も研究所の規模
の割に著しく少ないように見える。恐らく、事務手
続きが単純なのとセクレタリーが事務的な仕事を分
担しているためであろう。私の赤道シンポジウム出
席旅費の決裁は、ホスト氏が所長に提出したメモの
余白に、所長がサインをしてそれを会計係にまわす
というものであった。
研究者の生活レベルがどうかということはよく分
からないが、ドイツ国民一般の生活はかなり豊かで
あるという印象を受けた。綱の目のように張りめぐ
らされている高速道路は無料で、そこを200キロの
スピードで走るベンツやBMWなどの車が研究所の
駐車場にもたくさん見られた。広々とした家に住み
退職後の年金は年収の75パーセントという。研究、
勉強、著述、またボランティアとして社会活動をす
る人も多いという。研究所のシステムは事務的な仕
事を簡略化し、研究者をいわゆる雑用から解放して
いるように見える。特に、40代、50代のエスタブリ
ッシュされた研究者が実質的な研究を行うことで名
実共に各研究分野のりーダーとしての役割を果たし
ているのが印象的であった。
最後に、招聘を受けるに当たって、快く承認して
いただいた所長、企画部長はしめ、出張事務でお世
話になった方々に深謝します。
▲写真3 St.Martin祭。貧者に自分のマントを分
け与えた騎士にちなんだお祭り。子供た
ちかLaterne(提灯)を下げ、家々の前で
敬をうたいお菓子やお小遣いをもらう。形
ば違うが日本の「いのこ」を,思い出させる。
(関西支所コヒーレンス技術研究室)