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地球を越えたインターネットインフラをめざして

中内 清秀 (なかうち きよひで) - 情報通信部門 インターネットアーキテクチャグループ 研究員

2003年東京大学大学院工学系研究科了。同年、通信総合研究所(現、情報通信研究機構)入所。現在、次世代インターネット アーキテクチャ、高性能データトランスポート技術などの研究に従事。博士(工学)


はじめに

ADSLやFTTH(一般家庭に向けたデータ通信サービス)による家庭向けインターネットアクセス回線のブロードバンド化が 進展する中で、大容量データ配信、高品質ビデオストリーミング、そして学術・専門家向けのネットワークコラボレーション (広域ネットワークを介した遠隔協調作業)、グリッド・コンピューティング(広域ネットワークを介して分散コンピュータ 資源を利用する技術)などの100Mbit/sから1Gbit/s レベルの帯域(通信速度)を必要とする高性能ネットワーク アプリケーションへの期待が高まってきています。このようなアプリケーションの普及に先立ち、インターネットの バックボーン(基幹回線)ではすでに1〜10Gbit/sの高速リンクが世界中で一般的になりつつあります。 このような高速リンクが一般的になった時、これらのアプリケーションがインターネット上で高速リンクの帯域をフルに活用し、最 大限の性能を得ることが可能な高性能データトランスポート技術の開発が現在大きな課題の一つになっています。

基盤技術へのとりくみ

トランスポートプロトコルとは、インターネットにおける情報交換を支える通信技術の基本です。通信経路上で欠落した 情報を再送する「再送制御」、受信者の受信能力に合わせて送信タイミングを調整する「フロー制御」、通信経路上の 混雑状況をみて、混雑によるデータの欠落ができる限り少なくなるよう送信タイミングを調整する「輻輳制御」、一度に どれくらいの量のデータをまとめて送信するかを調整する「ウィンドウ制御」など、多くの重要な役割を担っています。

現在インターネットでは、20年以上も前にその原型が開発された TCP(送達確認を行い、信頼性を保証するデータ転送方式)や UDP(送達確認などを行わない無手順データ転送方式)などのトランスポートプロトコルが標準として利用されています。 しかし、将来のインターネットの姿が見えてくるにつれて、従来のトランスポートプロトコルでは対応しきれないことが わかってきました。例えば、帯域10Gbit/s、往復遅延100ms(日米間の距離に相当)という非常に高速な長距離リンク上では、 従来のTCPでは約40%程度の帯域しか使えず、帯域利用効率が非常に低くなります。将来的に地球を越えた惑星間通信のように 往復遅延が非常に大きい通信の必要性が生じてくれば、この問題はますます深刻になります。

インターネットアーキテクチャグループでは、高性能データトランスポートの基盤技術として、より高度で柔軟なデータ トランスポートをサポートする明示的ルータフィードバック方式SIRENS(Simple Internet Resource Estimation and Notification Scheme )を提案し、検証を進めています。SIRENSはインターネット内部の正確なネットワークリソースの 使用状況や状態(例えば、利用可能帯域、リンク帯域、バッファ(ルータ内にあるパケット格納用の一時的な記憶装置)の サイズ、パケットロス率など)に関する情報をリアルタイムで収集する技術です。従来のトランスポートプロトコルでは コンピュータ端末はネットワークの状況及びその変化を予測しながら送受信を行っていたのに対し、SIRENSを用いた トランスポートプロトコルではコンピュータ端末はネットワークの状況及びその変化をパス上の各ルータから明示的に通知され、 即時にかつ正確に把握します。通知結果を元に輻輳制御やウィンドウ制御の各パラメータを常に最適化できるため、 ネットワークリソースを最大限に有効利用することができるようになります。SIRENSの基本動作を図1に示します。

TCP通信開始時の性能向上

SIRENSの典型的な応用として、TCPのための最適化リミテッドスロースタート方式の検討を行っています。リミテッド スロースタート方式は、高速ネットワークにおけるTCP通信開始時のバースト的なパケットロスによる性能劣化を軽減する ために考案されました。しかし、ウィンドウ制御パラメータは固定的に設定されており、ネットワークリソースを有効に 利用できているとは言えません。

一方、SIRENSを利用した最適化リミテッドスロースタート方式では、利用可能帯域とバッファサイズという2つのフード バック情報を用いてパラメータを最適化します。これにより、TCPのスロースタートフェーズ及び輻輳回避フェーズの初期に おいて、通常のリミテッドスロースタート方式よりも短い収束時間、及びより高いスループット(一定時間内に転送できる データ量)を達成することができるようになります。

我々は、まずSIRENSを用いた高性能トランスポートプロトコルの、1Gbit/s の高速ネットワークにおける高精度評価及び 実証実験を行うことを目的として、プログラマブルな汎用ネットワークプロセッサIntel IXP2400を用いた高精度ネットワーク (NW)エミュレータを開発しました。高精度NWエミュレータの基本スペックを表1にまとめます。高精度NWエミュレータは、 FessBSD(UNIXに似たオープンソースOS)に標準インストールされる汎用ソフトウェアNWエミュレータDummynetと比較して、 1000倍の設定粒度(マイクロ秒単位)をもち、遅延ゆらぎ精度(約100ナノ秒)を有しています。性能評価のために構築した ローカル実験ネットワークを図2に示します。

上記の実験環境における、最適化リミテッドスロースタート方式を用いたTCPの性能測定結果を図3に示します。縦軸は スループットを、横軸は時間をそれぞれ示します。上限800Mbit/s のエミュレーション環境において、提案方式は通信開始時 に、パケットロスを発生させることなく通信できる最大送信レートの300Mbit/sまで短時間でスループットを上げています。 さらに、そのままのスループットを保ったまま輻輳回避フェーズに移行しており、最初に輻輳を検出するまで常に高い スループットを維持しています。

おわりに

SIRENSは、今後新たに開発されるであろう多様なトランスポートに応用することが可能であり、その発展性は大きいと 考えています。今後はSIRENSの他のトランスポートプロトコルにおける有効性の検証を引き続き行うことに加えて、 標準化を目指して国内外で積極的にプロモーションを行っていく予定です。


Q. ギガビット級の高速リンクは日本にもあるのですか。
A. NICTが平成16年4月から運用を行っている、全都道府県とアメリカにアクセスポイントを持つ研究開発用テストベット ネットワークのJGNII (Japan GigaNetwork)があります。東京と大阪、東京と金沢といった間は20Gbit/s で、大阪と福岡、 金沢と福岡、東京と仙台といった間は10Gbit/sという高速容量で結んでいるほか、全国に7か所のリサーチセンタがあります。 このJGNIIは、平成11年から平成15年度末まで使われた、研究開発用テストベットネット(JGN)を受け継いだものです。
Q. エミュレータとは何ですか。シミュレータではないのですか。
A. エミュレータ(Emulator) とシミュレータ(Simulator) とは違うものです。エミュレータとは、コンピュータの分野で、 汎用コンピュータ(パソコン)上の手順を疑似するために、標準端末と同様にホストコンピュータとの通信、または特定の 環境を、仮想的に再現するのに使うソフトウエアのことをいいます。一方シミュレータは、費用、空間、時間といった 制約上の理由から、実際の試行が困難な場合に、模擬実験を行う装置やプログラムのことをいいます。

インターネット社会の高速化で注目されるギガビット級基幹回線
音楽や映像などのダウンロードのサービスが始まるなど、インターネットの新しい利用が始まっています。そのような サービスには高速大容量のネットワークが望まれますが、その基幹回線(バックボーン)のネットワークには、本文でも 紹介したようにギガビットレベルの通信速度が必須となります。現在のところ、これらのネットワークは研究者や専門家向けと なっていますが、今後のインターネットサービスの普及にともないこれら大容量通信の世界が、私たちの暮しに結びつく のも時間の問題といえるでしょう。