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生体EMC特集/巻頭インタビュー
電波にさらされる人体の安全性を確保する生体EMC 現代生活に欠かせない “電波を発する機器”の安全基準を日本から 電磁波計測研究センター EMCグループ 研究マネージャー 渡辺 聡一

携帯電話をはじめ、パソコンや携帯ゲーム機の無線LANなど、現代の生活において、様々な場面で電波が利用されています。こうした状況の中、NICTでは電波の環境問題の1つとして、人体が電波にさらされたときの安全性について研究を進めています。

電波が人体に与える影響を“測る”技術を開発する

―生体EMC(Electro-Magnetic Compatibility)プロジェクトで取り組んでいる研究テーマは、どのようなものなのでしょうか?

渡辺現在、私たちは「電波防護指針に基づく適正かつ健全な電波利用環境の構築」という目標を掲げており、そのために大きく分けて3つの研究を進めています。
 一番大きいのが、「高精度な曝露(ばくろ)評価技術に関する研究」です。電波の安全性を調べるためには、電波にさらされた人体のどこにどれだけ電波エネルギーが吸収されたかを正確に調べること、つまり「曝露評価」が必要です。そのための技術を開発しています。
 代表的なのは、高精度な数値人体モデルの開発です。数値人体モデルとは、人体の組織や臓器の形状を微小な要素の集合体として表現したものです。実際に人体に電波を当てて実験をするわけにはいきませんので、電波が人体に吸収される様子を、コンピュータを使ってシミュレーションできるようにしたのです。
 この研究が始まった当時は、日本人の平均体型からはかけ離れた米国人男性のモデルしか利用できませんでした。そこで、2000年頃に、MRIの画像をベースに日本人の成人男女のモデルを作ったのです。特に女性モデルは、ミリメートルの空間分解能を有する全身数値人体モデルとしては、世界でも初めての開発でした。

―日本人にとって現実的なモデルができたわけですね。

渡辺その後、小児モデル、胎児まで作りこんだ妊娠女性モデルを開発し、現在、これらは非営利目的では無償、営利目的では有償で公開されています。
 他の2つの研究は、この曝露評価技術に関する研究をバックグラウンドとしたものです。1つは「電波防護指針値の適合性評価技術に関する研究」、もう1つは「医学・生物実験のための曝露装置の開発および曝露評価に関する研究」です。

―では、まず「電波防護指針値の適合性評価技術に関する研究」の概要について伺えますか。

渡辺現在、携帯電話をはじめとしていろいろな無線機が使われているのですが、無線機をメーカーが開発して商品として実際に市場に出すときには、法律で定められた電波の安全基準を満たしていることを確認しなければなりません。この時、どこで誰が測っても同じ結果が出るような評価方法でなければなりません。そのためには、評価方法がある程度簡便でなくてはならないし、再現性も良くなければならないのです。そういった条件を満たす評価方法を作るための研究ですね。また、評価方法が、国ごとに異なっていては困ります。つまり、国際標準化というのが非常に大切なのです。そのため、ITU(国際電気通信連合)やIEC(国際電気標準会議)といった国際標準化団体の標準化活動に寄与する研究となっています。

―具体的には、どのような技術開発をされているのでしょうか。

渡辺例えば携帯電話の端末における安全基準の指標は、人体各部に吸収される単位質量当たりの電力、すなわち比吸収率(SAR: Specific Absorption Rate)です。このSARの測定方法は2005年に国際標準化されているのですが、それは基本的には頭のそばで使う場合だけに適用されます。しかし最近ではポケットに入れたままBluetoothのヘッドセットで聞くこともあって、その時、携帯電話は胸ポケットや腰のポーチなどに入っています。また、PDAもありますし、ラップトップパソコンをひざの上に置いて使用することもあります。パソコンには無線LANが付いていますので、電波が出ている場所として想定する箇所が、頭の側だけではなくなってきているのです。
 そういう端末を私たちはBody worn(身体の側で着る)端末と呼んでいるのですが、身体の側のいたるところで使われる無線端末に対する測定方法の標準化も、今まさに最終段階に来ているところです。これへの対応も私たちがしなければならないことなのです。

―測定はどのように行うのでしょうか。

渡辺SARの測定は、ロボットアームの先に電界プローブというセンサーを付けて行います。このセンサーの較正(測定している電界とセンサーからの出力信号を正確に関係づけること)が、NICTの仕事です。日本でこの較正を行っているのはNICTのみなのです。つまり、NICTで較正したセンサーを使って、日本で実際に販売されている携帯電話の安全性評価が行われているというわけです。今度、新しい測定方法が標準化されると、測定する周波数が増えます。周波数が増えれば、それぞれの周波数に対応した較正システムの開発や整備をしていかなければなりません。

―次に、「医学・生物実験のための曝露装置の開発および曝露評価に関する研究」について伺えますか。

渡辺これまでお話した研究とは少し性質が異なる研究です。
 現在使われている電波の安全基準は、過去の研究成果に基づいて作られてきたものです。ところが、電波の利用形態は時代とともに変化していて、例えば、以前は使われていなかった周波数帯を使っていたり、安全基準が策定されたときには想定していない使われ方をされていたりします。そのように、電波の利用形態が変化しても、これまでの防護指針で問題なく防護できるのかを確認するために、動物実験や人を対象とした疫学調査などが必要とされています。それらの研究に対して、動物に電波を当てる装置を開発するなどの工学的な側面からのサポートを行っています。
 例えば、疫学調査では、がんになった人となっていない人とについて、過去にどれだけ携帯電話を使っていたかといったことの履歴を調べて、実際の電波の曝露量としてはどれくらいの差があるのかなどを調べなければなりません。私たちのグループは、そういった研究に参加しています。

―NICTでも実験を行ったそうですが、どのようなものだったのでしょうか。

渡辺過去には「ラット頭部への電波局所曝露実験」という実験を名古屋市立大学医学部と共同で行いました。これは脳腫瘍の発がん性について調べた実験です。脳腫瘍というのはなかなかできない病気なので、ねずみ500匹を使ってねずみの一生に相当する2年間にわたり電波を当て続け、当てた群と当てていない群とを比較するということをしました。結果は、電波の有無で発がん性に差は見られませんでした。
 今は「胎児期および新生児期のラットにおける電波全身曝露実験」という実験をしています。これは、母親ラットのおなかにいる時から電波を当てた子どもに、さらに生まれてからも電波を当てて、その子どもの発達・成長を確認する実験です。この実験でも電波を当てた群と当てていない群との間に差はなかったのですが、今はさらに孫まで電波を当て続けたらどうなるかというところまで行っています。

―国際疫学調査にも参加されたそうですね。

渡辺東京女子医科大学や慶應義塾大学と共同で脳腫瘍の患者さんが過去にどれだけ携帯電話を使っていたかということを調べました。脳腫瘍の患者さんというのはまれなため、患者さんのデータを世界中で集めればということで13ヵ国共同で調査をしたのです。携帯電話にもいろいろなタイプがあるので、そのタイプごとに頭の中にどのように電波が吸収されるのかをカテゴリ分けして、実際に脳腫瘍が発生した位置と、電波の吸収量との相関があるのかどうかというデータを提供したりしました。
 もう1つ、電磁波過敏症という問題がありまして、安全基準より十分に低いレベルであっても「携帯電話をそばで使われると頭が痛くなる」「パソコンモニターのそばで作業をしていると頭痛がする」という症状を訴える方がいらっしゃいます。福島県立医科大学、東京大学、国立保健医療科学院との共同研究では、そういう方にご協力いただいて、いつ電波が来ているかどうかわからないようにして、気分の変調などに差があるかどうか調べる実験をしています。

リスクを最小限に抑えるために続けられる研究

―ラットの実験などは、そこまで調べるのかと驚かされましたが、生体EMCの研究は、「電波が安全であるとは言い切れない」という事を前提にしているのですか?

渡辺「危険は絶対にない」という証明はできません。そうは言っても、新しい技術が出てきた時には、安全かどうか不安になったりしますよね。ですから、「ここまで調査して大丈夫なのだから、たとえ何かしらの影響があったとしても、リスクとしては無視できる範囲にとどまるだろう」というところまで追い込んでいこうとしています。
 1996年には、WHO(世界保健機関)が総合的な健康リスク評価をするプロジェクトを立ち上げ、世界各国に分担して研究を進めるように勧告しています。
 電波の安全性を確かめるために、どれくらい当てたら生命に危険が及ぶか、というような事も含めて、たくさんの実験を行っているのです。それに基づいて安全基準が決められていますが、その安全基準以下でも、何か影響が「出たかもしれない」という事例もあるのです。再現実験をすると影響は確認されないので、問題はないと考えられていますが、ただ、そういうデータを着実に積み上げていくことが大切なのです。

―「もしかして…?」というレベルのリスクについても調査が必要であるということでしょうか。

渡辺現在でも、「大変な健康被害が出るというような重篤な影響は多分ないでしょう」と言えるところまでは来ていると思います。とは言え、携帯電話というのは、今や世界中でかなりの人が使っていて、しかも子どもの頃から老人になるまで一生使い続けるものです。ですから、たとえ小さなリスクでも、社会的なリスクとしては無視できなくなる可能性がある。それが、WHOが他のリスク要因よりもしっかりと電波の影響の研究をしましょう、と言い続けている根拠の1つだと聞いています。ですからNICTでも、「もしかしたらあるかもしれない」ということを前提に研究をしているわけです。

―微弱でも長期にわたって電波を浴び続けるという事が、人類にとってどんな影響があるのか、調査・研究を続けなければならないということですね。

渡辺近いうちには、1つの大きな区切りが来る予定です。
 先程お話した、WHOのプロジェクトですが、その中に、私たちも参加した脳腫瘍の国際疫学調査もありました。各国ごとの調査は終わったのですが、全部のデータをプールしての評価の結果が、おそらく今年中に出るだろうと言われています。それが出てから、国際がん研究機関というWHOの研究機関が電波の発がん性に関する評価を出します。その評価を受けて、今度はWHOががん以外の健康影響を含めた総合的な健康リスク評価をする予定です。
 それが大体2012年頃になる見込みなのです。そこまででとりあえず携帯電話の健康リスクについては一定の結論が出ると言えるのではないかと考えています。

―その結論が出たら、NICTの活動にどのような影響があるのでしょうか。

渡辺今度はそれに合わせて安全基準を見直さなければなりませんし、安全基準が改定されたら安全基準の適合性を確認するための評価方法も変えていかなければなりません。そうこうしているうちに、今度は携帯電話に第四世代などが出てきますので、今度はそこで使われる周波数の影響はどうなのかという研究を続けていかなければならない。そのようなサイクルが続いていきます。
 とはいえ、ずっとわからない状態が続くというのではありません。1つ1つの電波の利用方法に対して「この範囲では安全です」という結論を出しながら、新しい電波システムについての研究を続けていくということになるのではないかと思います。

安全基準に関する国際標準化の現状

―世界の中では、日本で行われているこういった研究の位置づけというのは、どれくらいのところにあるのでしょうか。また、安全基準などは国際標準化が大切というお話がありましたが、現状はどうなっているのでしょう。

渡辺世界各国で電波の安全基準が策定されており、日本も含めて西欧諸国はほぼ同一の内容の基準となっています。一方で、東欧などの安全基準というのはかなり厳しくなっています。とはいえ、やはり国によって安全基準が違いすぎるのは問題だということで、WHOの取り組みの中でも安全基準の国際整合が1つの大きなテーマになっています。最近では各国の安全基準がだんだん刷り合わせられつつあります。

―まだ完全に一致してはいないということですね。では、ある国の安全基準をクリアした携帯電話を作っても、どこの国でも売れるという状態にはなっていないのでしょうか。

渡辺携帯電話については、一部の国では安全基準が異なっています。国際非電離放射線防護委員会(ICNIRP)が作ったガイドラインがあって、EUと日本はそれを採用しています。米国にはIEEEのガイドラインをベースとした安全基準があります。これらの安全基準の違いは人体の健康に対する熱的な影響を考慮しているという意味では同じなのですが、その熱的な影響をどのような指標で表わすかという点で違いがあるためです。先日もFDA(米国食品医薬品局)でこの問題について検討するワークショップが開催されましたが、NICTは名古屋工業大学と共同で曝露評価のデータ提供を行い、安全基準の国際的な整合の推進に貢献しています。
 各国の安全基準について別の問題もあります。欧州の一部の国では「予防原則」という考え方が非常に強く出ています。狂牛病が問題になったとき、まだ原因がはっきりしていないうちから、とにかく狂牛病が発生した国からの牛肉の輸入をやめたという事例があります。これは予防原則に基づいてのことだったのですが、それと同じ考え方を電磁波にも適用すべきではないかと考えるのです。もしかしたら安全基準以下のレベルでも影響があるかもしれないという結果が一部の研究で報告されていて、その可能性をつぶしきれていない間は可能な限り電磁波の利用をやめるべき、という意見があります。

―予防原則に則れば、これまでの安全基準に従うのでは不十分だと考える国もあるということなのですね。

渡辺はい。その考えを採用しているところでは、子どものいる学校や病院の近くには基地局を建てられなくなっています。しかし、今あるものを移すのは大変だから新しく建てるのはやめようというような、悪く言えば場当たり的な対応だったりもするのですが、そういったことを予防原則の名の下に行っている国もあります。
 この件に関してはWHOも、科学的な根拠はないし、かえって混乱を助長するだけだから推奨できないと言っています。特に、携帯電話基地局からの電波の強さは、安全基準よりはるかに低い(数千分の一以下)ことから、基地局からの電波曝露によって健康への影響は生じることはないだろうというのがWHOの見解です。一方で、携帯電話端末からの電波曝露による影響については、更なる研究が必要との見解が示されています。実際、「この携帯電話は安全基準をクリアしていますよ」と言われても、やはり不安になる人がいる。それに対して絶対に安全とは科学的に言い切れないけれども、「おそらく大丈夫ですよ」ということを、説得力を持って言うためには、もっとしっかりとした研究データが必要なので、私たちも研究を続けているのです。

世界標準に貢献する研究をNICTから

―このレベルで研究・開発をしているのは、日本ではNICTだけなのでしょうか? 今後、そういった研究成果へのニーズの増加も見込まれますか。

渡辺シミュレーションを主体とした理論研究であれば大学でも結構しているところはあります。他には民間企業が、適合性評価試験ですとかIECとかITUへの寄与という形で積極的に行っていますね。
 最近の状況を言えば、新しい測定方法が決まったら、日本でも無線LANも規制対象になる可能性がでてくるので、携帯電話以外のメーカーなども注目しています。

―EMCグループとしての今後の目標がありましたらお聞かせください。

渡辺今まではNICTでは、適合性の評価方法や医学生物実験などといったものを、主に携帯電話を対象として行ってきました。ですが、今は携帯電話だけではなく無線LANやRFIDやミリ波などといった、新しい電波を使った身近な装置が出てきています。そういう新しいものに対する研究を続けていく必要があります。
 私たちは基本的には、今使っている電波防護指針というものが、本当に新しい電波利用状況に対応できているのかということをきちんと評価できるようなデータを、動物実験なり、人体モデルを使ったシミュレーションによって出さなければなりません。最終的には安全基準を見直して、その安全基準をきちんと評価するためにはどういう適合性評価方法があるのか。そういった研究を、携帯電話以外のものに対しても広げていきたいと考えています。
 公的な機関で、ここまで総合的な研究規模で行っているのは世界でもNICTだけです。他の国でも行われていますが、ある一分野だけだったりしますので、そういう部分でもNICTというのは世界的にもネームバリューがあります。
 最初にお話した数値人体モデルの開発もそうですが、世界でもトップレベルの検証が行える技術をしっかり持って、それが世界的にも評価されて、NICTで研究・開発したものであれば間違いないと言われるように、世界に対しても発信していくことができればと考えています。世界の基準をNICTが決めていくというぐらいになるのを目指したいですね。

―本日はありがとうございました。

近重 裕次
渡辺 聡一 (わたなべ そういち)
電磁波計測研究センター EMCグループ
研究マネージャー
東京都立大学大学院修了後、1996年郵政省通信総合研究所(現NICT)に入所。
生体電磁環境に関する研究に従事。博士(工学)。
独立行政法人
情報通信研究機構
総合企画部 広報室
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