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気象レーダで雨域内の風を見る 雨域内の風の分布をモニタする改良型バイスタティック(Bistatic)観測システム 電磁波計測研究センター 環境情報センシング・ネットワークグループ沖縄亜熱帯計測技術センター 主任研究員 川村 誠治

風観測の現状

 近年、突風や局地的大雨(通称ゲリラ豪雨)などの気象災害が大きな社会問題の1つとなっています。時間・空間スケールの小さなこれらの災害の予測は、昨今技術向上がめざましい気象予報モデル(数値モデル)でも未だ困難です。その原因の1つは、観測データの不足です。数値モデルの分解能がいくら向上しても、計算の初期値となる現在の状態(観測データ)が分からなければ正確な未来は予測できないのです。

 風はこのような気象災害に対する重要なパラメータの1つです。現時点で日本全土をカバーする風観測としては、気象庁によるアメダス(地上風観測)やウィンダス(風の高度分布観測)があります。それぞれ非常に重要な情報を提供していますが、アメダスは日本全土で約850地点(約21km間隔)、ウィンダスは31地点でしか観測がありません。これでは、空間スケールが数百mから数kmといわれる局地的災害に対応することは困難です。風を時間・空間的により細かく観測できれば、そのデータは気象予報モデルの入力値としてだけでなく、直接的に局地的災害に対する非常に有効な防災・減災情報となります。今、このような高い時間・空間分解能で、広いエリアをカバーする観測が望まれています。

図1●バイスタティック観測のイメージ

気象レーダによる雨域内の風観測

 このような要請に応え得る有望な観測手段の1つに、気象レーダがあります。気象レーダは空間分解能数百mで雨を測る装置で、すでに気象庁・国土交通省によって日本全土をカバーする観測網が展開・運用されています。基本的には雨の強度を測る装置ですが、雨で反射されて返ってくる電波のドップラーシフト*1を測ることで、レーダビーム方向の風速も測ることができます。近年気象庁現業レーダでもこのドップラーシフトによる風観測が可能になってきました。ただし、こうして得られる風速は真の風速ではなく、あくまでも風速のレーダビーム方向成分です。

 気象レーダで真の風速を観測する有効な方法の1つにバイスタティック観測があります。図1はバイスタティック観測のイメージ図です。バイスタティック観測では、既存の送信局の周辺に安価な受信専用局を付加するだけで真の風速を求めることができます。

バイスタティック観測の課題

 バイスタティック観測には、実用化へ向けていくつかの課題がありました。その中でも特に深刻だったのが疑似エコー問題です。

 図2は疑似エコー問題の模式図を示しています。バイスタティック観測では、送信局は非常に細いビームを送信し、受信局では幅の広いビームで側方散乱*2を受信します。この図では送信ビームは地点Aを向いているので、観測されるべきは地点Aの雨です。

 この時、送信局と受信局を焦点とする同一楕円上にあるもう1つの地点Bを考えます。ほとんどの電波は送信局⇒地点A⇒受信局と伝搬して受信されますが、目的と異なる方向にサイドローブ*3が存在するため、一部の電波は送信局⇒地点B⇒受信局と伝搬します。この時2つの経路長は全く同じなので、同一時刻に発射された電波は同一時刻に受信されることとなり、地点Aと地点Bの情報を区別することはできません。もし地点Aにほとんど雨が降っていなくても、地点Bに強い雨が降っていれば、その雨があたかも地点Aにあったかのように観測されてしまうのです。これが疑似エコー問題です。

図2 ●バイスタティック観測・疑似エコー問題の模式図

改良型バイスタティック観測システム

 今回我々が提案している改良型バイスタティック観測システムの模式図を図3に示します。改良型システムは次のような特徴を持ちます。(1)受信に複数の素子からなるアレイアンテナを用いる。(2)アレイの素子間隔を波長よりも長くすることで生じる多数の細いグレーティングローブ*4を利用する。(3)デジタルビームフォーミング(DBF)*5の信号処理を行う。細いグレーティングローブを用い、DBF処理を行うことで、疑似エコーを大きく低減することが可能になります。図3の(c)と(d)ではサイドローブの影響を色の濃淡であらわしています。改良型システムでは同一楕円上のほとんどの部分で従来型より色が薄くなっており、疑似エコーの発生がそれだけ抑えられることが期待できます。

図3●バイスタティック観測システムの模式図

 具体的なシミュレーション結果を図4に示します。弱い雨の中に強い雨の領域を3つ配置した状態での受信信号時系列を計算したものです。送信ビームは図中(2)の雨だけを通っているのですが、従来システムでは(1)や(3)の雨の信号もはっきりと受信されてしまいます(疑似エコー)。改良型システム(DBF処理後)では(1)や(3)の信号が効果的に低減されており、疑似エコーの問題が大きく改善されていることが分かります。

図4●受信信号時系列のシミュレーション結果

 改良型システムには、擬似エコー問題の改善の他にも、複数素子のアレイアンテナを用いることにより受信アンテナの利得が補われ、より広いエリアの観測が可能となるという利点があります。図5は一様な雨の場合の受信強度のシミュレーション結果です。従来型システムに比べて改良型システム(DBF処理後)がより遠いところまで強い感度を持っていることが分かります。

図5●受信強度のシミュレーション結果

今後の展開

 現在、沖縄偏波降雨レーダ(COBRA)を使ってこの改良型バイスタティック観測システムの実証実験を行うための準備をしています。受信機には安価で汎用性の高いソフトウェア無線*6を用い、コンパクトな受信システムの開発を目指します。DBFを含めたほぼ全ての処理をソフトウェアで行うため、ソフトウェア開発も重要です。近い将来、局地的災害にも有効な観測システムの構築につながることが期待されています。

 今回紹介したシステムの要は、既存のレーダに付加するだけで機能する受信システムです。この考え方をさらに応用発展させると、自前では送信局を持たず、通信放送など他の目的で使われている電波を受信して大気の情報を得る「パッシブレーダ」につながります。周波数有効利用の点からも今注目されているパッシブレーダの技術開発も視野に、本技術の研究開発を進めています。

  • *1 ドップラーシフト:電波や音波などの波の周波数が、送信点・反射物・受信点などの動く速度によって変化すること。救急車が近づく時と遠ざかる時でサイレンの音が違って聞こえるのもこの効果による。気象レーダの場合、反射物である雨粒の動く速度によって反射される電波の周波数の変化量が異なるので、周波数の変化量から雨粒の動く速度(風速)を知ることができる。
  • *2 側方散乱:電波が雨粒に当たると後方以外にも様々な方向に反射される(散乱)。後方への散乱を後方散乱というのに対し、横方向への散乱を側方散乱という。バイスタティック観測では、後方散乱を送信局自身で受けると同時に、側方散乱を別の受信局で受けて、真の風速を求める。
  • *3 サイドローブ:電波を目的の方向へ飛ばすために形成されるビームをメインローブと呼ぶ。ほとんどの電波はメインローブの方向へ送信されるが、わずかに目的外の方向へ漏れ出してしまう電波も存在する。この目的外の方向へ漏れ出してしまうビームのことをサイドローブと呼ぶ。
  • *4 グレーティングローブ:サイドローブの一種ではあるが、メインローブに匹敵する大きさを持つ。アレイアンテナの素子間隔をある条件以上に大きくすると発生する。
  • *5 デジタルビームフォーミング:アレイアンテナにおいて、複数素子で受信した信号を別々にサンプリングし、位相を調整しながら合成することで、後処理で疑似的にアレイアンテナのビーム方向を変化させる技術。
  • *6 ソフトウェア無線:制御や信号処理の大部分をソフトウェアで行う無線通信技術。ハードウェアの変更無しに様々な無線通信方式に対応することができ、安価で汎用性が高いため近年注目されている。
川村 誠治
川村 誠治(かわむらせいじ)
電磁波計測研究センター 環境情報センシング・ネットワークグループ
沖縄亜熱帯計測技術センター 主任研究員
大学院博士課程修了後、日本学術振興会特別研究員(於通信総合研究所)を経て2006年NICT入所。大気物理、レーダシステムなどに関する研究に従事。博士(情報学)。
独立行政法人
情報通信研究機構
総合企画部 広報室
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