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研究者紹介
人工衛星との時刻比較から生み出す補正技術 世界的に測位システムの拡充計画が進む中で、高精度な時刻比較を追求し世界貢献を目指す 新世代ネットワーク研究センター 光・時空標準グループ 専攻研究員 中村 真帆

地球上の通信において大きな影響を及ぼす電離圏

「私が現在関わっているのは、地上にある原子時計と人工衛星に搭載された原子時計の時刻を比較するというプロジェクトです。2006年に打ち上げられた技術試験衛星Ⅷ型(ETS-Ⅷ)-「きく8号」には、NICTが開発したTCE(高精度時刻比較装置)が搭載されています。これと同じ装置が地上局にもあり、地上と人工衛星のTCE同士が通信し、各々が送受信した時刻を比較することで時刻のずれを観測するのです。ピコ(10−12)秒の精度で周波数比較することができます」

双方向に信号の送受信を行って地上と人工衛星それぞれで計測を行う、双方向時刻比較という手法で時刻のずれを観測していますが、1ナノ(10−9)秒で30cm、100ピコ秒でも3cmの測位誤差になるため、時刻比較の高精度化は測位の精度向上にとって重要な意味があります。

「時刻比較研究には、大きく2つの理由があります。1つは、時刻の補正精度を向上させることで、GPSなどの衛星測位の精度を向上させること。もう1つは、電離圏などの自然現象による影響も補正して、究極の精度へ挑戦することです」

人工衛星の運用や、人工衛星を利用した測位システムにおいて、時刻のずれは大きな問題になります。数ミリ秒の時刻のずれによって、人工衛星の制御がうまくできなくなる可能性もあります。私たちに身近な例を挙げると、GPSによる位置測定では、地上と人工衛星の時刻が同期していないと、正確な場所を把握できません。つまり、時刻比較の研究によって、正確な位置の測定ができるようになるのです。

●「きく8号」に搭載されたTCEの工学モデル。一辺が320㎜の立方体で、重さは約18.4kg。

電離圏の研究から、時刻比較の研究へ

「地上と人工衛星との通信は、何も障害がなければ光速でやりとりできますが、実際には電離圏や大気の影響を受けるため、時刻を補正しなければなりません。電波の到達時間に光速をかけた幾何学的遅延量(衛星と地上との距離)のうち、一番大きい誤差となっているのが時計自身で、次に装置内の遅延や電離圏、大気の影響があります。それぞれの要因について補正が必要となりますが、要因ごとに技術的にも物理的にも異なりますから、補正方法についても各々研究が必要になります。私は、主に電離圏による影響の補正を研究テーマにしています。電離圏はプラズマでできていますから、通信に対して電磁気的な影響を与えます。衛星双方向時刻比較では理想的には同じ周波数で時刻比較ができればよいのですが、受信と送信で同じ周波数を使う事ができません。受信と送信での周波数の違いのために電離圏遅延量がどうしても残ってしまうため、補正する必要があります」

●時刻比較の模式図。人工衛星に搭載された時計の時刻と地上局にある時計の時刻を比較し、その差分を算出する。

もともと大学では、素粒子物理や高エネルギー実験を専攻していた中村研究員。NICTと出会い、ニューラルネットを利用して電離圏の変動を予測する研究に携わってきました。ここで培われた経験を活かして、衛星による時刻比較の高精度化を研究するプロジェクトに参加しようと考えたのだそうです。

地球上の通信において大きな影響を及ぼす電離圏とは

地球を包む大気は、いくつかの層に分類されています。その中でも、上空およそ60kmから800kmの範囲は電離圏と呼ばれています。電離圏は太陽の影響を受けやすく、昼夜や季節、太陽活動などによって状態を変化させます。また、突発的に不安定になる(擾乱が起きる)こともありますが、まだ完全に予測する事ができません。電離圏に擾乱が発生すると、赤道付近や東南アジア、沖縄などの低緯度地域の通信に大きな影響を及ぼします。

NICTでは、その前身である電波研究所の時代から電離圏の観測を続けており、電離圏の乱れを予測する研究などをさまざまなアプローチで行っています。中村研究員は、研究所が長年蓄積してきたデータを活用して研究に役立てています。

全世界規模の協力関係のなかで、日本の果たすべき役割とは

アメリカは、電離圏観測用の人工衛星を打ち上げるほど、電離圏観測に積極的です。日本では、主に地上観測やGPSを利用した観測を行ってきました。「きく8号」は、日本で初めて原子時計を搭載した実験衛星で、ここから本格的な時刻比較の研究が始まり、電離圏が衛星測位にどのような影響を与えるかというデータも蓄積されています。また、「きく8号」に搭載されたTCEに続き、新たに作製されたTTS(時刻比較システム)が準天頂衛星初号機「みちびき」に搭載されています。「みちびき」が打ち上げられて無事に稼働すれば、中村研究員の所属するチームが時刻比較実験を開始する予定になっています。

「みちびきに搭載されるTTSは、「きく8号」に搭載されたTCEとは異なり、電離圏にあまり影響を受けない周波数帯を使用します。しかし、太陽活動の活発な時期には、沖縄などの磁気赤道付近では求める時刻比較精度に影響を与える恐れがあるので監視する必要があります。そのため、電離圏の数値モデルを作製し、補正に利用することになるでしょう。また、電離圏が擾乱状態になると、時刻比較にも影響してきますから、宇宙天気予報などの情報も参考にして研究する必要があると考えています」

現在、中村研究員は「みちびき」での時刻比較実験に備えて準備を進め忙しい毎日を送っています。「みちびき」からのデータは、時刻補正の精度をより高めるための基礎データとして役立つはずです。

「衛星測位システム(GNSS)は元々軍事用として開発されましたが、今日では日本を含め、世界各国が自国のGNSSを競って構築しています。これからは世界が協力しあってより便利に使うことができるようになっていくでしょう」

中村真帆
中村 真帆(なかむらまほ)
新世代ネットワーク研究センター 光・時空標準グループ 専攻研究員
博士号(工学)取得後、2008年NICT入所。衛星時刻比較および衛星通信への電離圏の影響に関する研究に従事。
独立行政法人
情報通信研究機構
総合企画部 広報室
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