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携帯電話使用と脳腫瘍に関する疫学研究のためのばく露評価-頭部不均質構造が電波吸収に及ぼす影響- 電磁波計測研究センター EMCグループ 主任研究員 和氣 加奈子

携帯電話使用と脳腫瘍に関する疫学研究とは

携帯電話の普及に伴い、携帯電話による電波の生体安全性に対する関心が高まっています。その中で、世界保健機関(WHO; World Health Organization)の下部組織である国際がん研究機関(IARC; International Agency of Research on Cancer)の主導により携帯電話使用と脳腫瘍の関係を調べる国際的な疫学研究(INTERPHONE study; International Case Control Study of Tumors of the Brain and Salivary Glands)が世界13カ国共同で実施され、日本もその研究に参加しました。この疫学研究は症例対照研究と呼ばれるもので、脳腫瘍を罹患した方、それらの方々と年齢や性別など様々な条件が一致する健康な方に対して、携帯電話の使用特性を調査し比較します。

携帯電話使用と脳腫瘍の関係を調べる疫学研究を実施するには、携帯電話使用による人体頭部へのばく露を詳細に把握する必要があます。上記の疫学研究では、ばく露の指標として携帯電話の使用の有無や使用時間だけでなく、携帯電話からのばく露、すなわち比吸収率(SAR; Specific Absorption Rate[W/kg])が用いられています。特に、実際に脳腫瘍ができた特定の位置でのSARを推定する試みが行われています。このSAR推定には、携帯電話端末の適合性試験のため均質なファントム*を用いて実験的に取得されたSARが用いられています。そのため、人体頭部の不均質構造が与える影響を模擬していないという問題があります。

そこで本研究では、携帯電話端末を頭部近傍に配置した数値解析を行い、疫学研究で注目している脳のSARに人体頭部の不均質構造が及ぼす影響を検討しました。

端末使用時の頭部内SARの数値解析

図1●計算モデル

数値解析は、有限差分時間領域法(FDTD method; Finite Difference Time Domain Method)を用いて行いました。NICTで開発した日本人成人モデル(TARO)の頭部の近傍に金属筺体と1/4波長のモノポールアンテナからなる簡易な端末モデルを図1のように配置した解析を行いました。周波数は835MHz、アンテナの入力電力は1Wとしました。頭部モデルの電気定数は、不均質モデルには生体各組織の値を用い、均質モデルは比誘電率39.425、導電率0.855 S/mとしました。

不均質モデルと均質モデルの比較

まず脳でのSARを不均質モデルと均質モデルとで比較しました。疫学研究では脳腫瘍の同定を1cm程度の解像度で行うことを目標としているため、比較はモデルの解像度を1cmとして行いました。図2に不均質モデル(左)と均質モデル(右)の脳でのSAR分布を示します。両者の分布は良く似ていることがわかります。不均質モデルと均質モデルにおける脳内のSARの散布図を図3に示します。これより両者には正の相関があることがわかります。両者のSARの相関係数は0.93と計算され、不均質モデルでの脳のSARは概ね均質モデルのものと傾向が一致しました。

図2●不均質モデル(左)および均質モデル(右)脳のSAR分布図3●均質モデルと不均質モデルの脳SARの散布図

脳腫瘍は脳のある特定の位置で生じることが多いと言われています。そこで図4に示すように脳を主要な解剖学的位置、すなわち側頭部、頭頂部、前額部、後頭部、小脳、脳幹に分類し、各部位でのSARを不均質モデルと均質モデルとで比較しました。各部位での不均質モデルと均質モデルのSAR値の相関係数と回帰係数を表1に示します。この結果から、側頭部、頭頂部、前額部で比較的相関が高いことがわかります。脳腫瘍は一般的にこれらの部位で発生することが多いと言われており、端末使用時のSARは側頭部で比較的大きい傾向があることから、これらの部位で不均質モデルと均質モデルの結果が良く一致するという知見は疫学研究のばく露評価として重要と言えます。

図4●脳の解剖学的構造の模式図表1●脳の主要部位における不均質および均質モデルのSARの相関係数と回帰係数

SAR解析結果の疫学研究への適用とその後

本研究では、頭部内構造の不均質なモデルと均質なモデルとで端末からの電波にさらされた場合のSARを比較しました。その結果、脳のSARは不均質モデルと均質モデルとで相関があり、特に携帯電話使用と脳腫瘍の疫学研究で重要と思われる側頭部、頭頂部、前頭部などにおいては相関が高いことがわかりました。この結果から、不均質ファントムを用いた携帯電話端末の適合性試験で得られるSAR分布より、疫学研究のばく露評価に利用できることを示しました。これを受けて、日本で実施した疫学研究では世界で初めて脳の各部位でのSARを考慮した解析が行われました。さらに、2010年に国際共同研究の結果の一部が公表され、今後脳のSARを考慮した評価も行われる予定となっています。この報告では、全体として(10年以上の利用者に対しても)携帯電話の使用による神経膠腫や髄膜腫の発生リスクの増加は見らなかったものの、累積通話時間が1,640時間以上のサブグループ(1日あたり30分の通話に相当)についてリスク増加が見られましたが、様々な誤差要因を考慮すると、リスク増加があるとは断定できないと結論づけています。今後これらの結果を受けて、2011年にIARCにて高周波電磁界の潜在的発がん性について包括的なレビューが予定されており、2012年にはWHOにより発がんだけでなくその他の健康営業を含む包括的な高周波電磁界の健康リスク評価が行われ、その後国際ガイドラインの改定が実施される見込みとなっています。

用語解説

  • * ファントム
    生体と同様の電気的特性を有する材料で構成された代替モデルのこと。
和氣 加奈子
和氣 加奈子(わけ かなこ)
電磁波計測研究センター EMCグループ 主任研究員
東京都立大学大学院博士課程修了後、2000年に郵政省通信総合研究所(現 NICT)入所、生体電磁環境の研究に従事。博士(工学)。
独立行政法人
情報通信研究機構
総合企画部 広報室
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