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震災対応特集
被災地におけるインターネット
無線LAN環境の構築 -NICTが開発した「コグニティブ無線ルータ」の利用-  ワイヤレスネットワーク研究所 スマートワイヤレス研究室 主任研究員 村上 誉

東日本大震災において被災された皆様に心からお見舞い申し上げますと共に、一日も早く復興されますことをお祈り申し上げます。

私たちスマートワイヤレス研究室では、少しでも復興の手助けになればと考え、岩手県内の避難所に32台、福島県内の避難所に21台の計53台(平成23年5月19日現在)のコグニティブ無線ルータを設置し、高速で安定したインターネットアクセス環境を提供しております。

震災直後より、続々と伝えられる被災地での辛く厳しい現実に直面されている方のことを想い、通信の研究を行う国の研究機関として、私たちのできることは何かを考えました。スマートワイヤレス研究室では、携帯電話や無線LAN等の異種の無線システムを統合的に取り扱い、電波の有効利用や効率的な情報通信ネットワークを実現するコグニティブ無線技術の研究を進めています。本技術を活用すれば、短時間でインターネット環境を構築すると共に携帯電話回線の効率的利用等が実現できます(図1)。

図1:コグニティブ無線システムの構成
図1:コグニティブ無線システムの構成

現在、湘南地区(神奈川県)に構築して大規模機能実証を行っている広域コグニティブ無線テストベッドのコグニティブ無線ルータがあります。本実証環境は、すでに多くのユーザの方に試験利用していただいた運用実績もあり、可搬性と耐障害性にも優れ、無線LANによるインターネット環境の構築が設置開始から5分程度で行えることから、その一部を回収し、被災地に提供することにしました。

震災後の3月15日には、機材の調達は完了していたのですが、そこで難問にぶつかりました。それは、どこに設置すればよいのか、誰に打診すればよいのか、手がかりがないということでした。方々探した結果、岩手県の被災地への支援を行っているBHNテレコム支援協議会経由で、岩手県遠野市の担当者と話すことができ、遠野市が、被災した太平洋沿岸の市町村の支援基地となっていることを伺いました。沿岸被災地域の支援要請を受け、実際に私たちが岩手県に入ったのは4月4日でした。

我々はこのような活動を本来の研究業務と切り離して考え、ただ皆様のお役に立てれば良いと考えていたために、当初は積極的に情報を外部発信しようとは思っていませんでした。しかし、有効性をより多くの方に知って頂く目的で広報部から報道発表をしたところ、福島県の担当者から、こちらにも設置してほしい、と具体的な避難所の情報まで含めた要請をいただくなど反響は大きく、改めて情報発信の重要性を痛感致しました。それから約1ヶ月を経て、最初に紹介したとおり、5月上旬現在で53台のコグニティブ無線ルータをご利用いただいております。

このコグニティブ無線システムは、当研究室が大きく関わって規格化したIEEE 1900.4というコグニティブ無線の制御方式に準拠して、機器の稼働状況や電波環境、トラフィック量等の情報が当研究室の管理装置に収集され、自動で情報分析を行ってコグニティブ無線ルータにフィードバックして制御を行い、安定で高速な通信環境が常に維持できるように運用されています。

被災地に設置したルータ(図2)は、様々な形で利用されています。最初に設置した岩手県大槌町立安渡小学校は海岸沿いの避難所になっていましたが、被災された方々は、ルータと同時に設置されたPCを使って津波被害状況を伝えるインターネット上のニュース映像や安否情報を確認されていました(図3、4)。その際、震災後20日以上経過しているにもかかわらず、映像を見ながら「こんなふうに津波が来ていたんだ!」と会話されていたのが印象的でした。また、救援物資等の情報を検索・閲覧したり、子どもたちが息抜きに動画を探して楽しんでいたりと、限られた情報の中で生活する際の心の安心を満たす手段としても利用されていることに気付きました。また、手持ちの小型携帯端末を無線LANでインターネットに接続し、情報を取得する姿も見られました。さらには、余震により一時的に通信手段を失った災害対策本部の連絡手段や、病院において医師が医療データベースにアクセスする手段として、また、被災地で活動されているボランティアの通信手段としても利用されております。

図2:インターネット接続に用いたコグニティブ無線ルータ
図2:インターネット接続に用いたコグニティブ無線ルータ

図3:避難所の小学校内に設置したコグニティブ無線ルータによるインターネット接続環境
図3:避難所の小学校内に設置したコグニティブ無線ルータによるインターネット接続環境

図4:端末を操作して様々な情報を求める被災された方々
図4:端末を操作して様々な情報を求める被災された方々

今回の被災においては、1995年に発生した阪神・淡路大震災で得られた教訓が活かされ、物資の備蓄や被災時の対処マニュアルは機能したと言われています。では通信環境はどうかというと、日進月歩の通信技術の世界では、被災地に求められる通信のあり方はかなり変わってきていると思います。まず、携帯電話の普及によって、個人が電話やメールを直接やりとりすることが可能となりました。私たちが被災地入りしたときには、すでに衛星回線を使った臨時電話回線が整備されている避難所が数多くあり、もちろんそれらも重宝されていたのですが、インターネット接続については可能な避難所であっても、スタッフ専用であったり時間制限があるなど、自由な通信が行えない状況でした。ブログやSNS、インターネット掲示板やTwitterなどのコミュニティサイトを介した通信が一般に可能となった現在、テレビや電話ではなかなか手に入らない口コミ情報や蓄積された情報の参照を可能にするインフラは、厳しい生活の中で少しでも安心を提供する手段になり得ると考えます。

今後、こういった通信手段の進化に合わせ、専門家の視点から災害時の通信のあり方についてどのような技術が求められるか、常に念頭において研究開発を進めて参ります。スマートワイヤレス研究室では特にここ数年、世界の最先端の通信技術の研究を進めながら、それをいかに実用化に結びつけるかを追求しています。標準化団体に対し提案して商品化のための仕様の共通化を行ったり、一部機能について民間企業と共同で商品化一歩手前の技術検証を行うなどしており、今回設置したコグニティブ無線ルータもそのような活動から生まれたものです。他にも多くの技術の研究開発を進めておりますので、被災時に限らず様々な形で皆様に使っていただけるよう努力致します。

避難所の統廃合や、有線インターネット回線の復旧等により、初期に設置した機器の一部は、そのまま新たな場所に移設されるケースも出てきています。建設・移転が始まった仮設住宅地区への設置の要望もいただくようになってきています。そのような情報からも、ここ横須賀では着実な復旧の歩みを感じることが増えてきました。まだ被災地の復興には長い道のりがありますが、本システムがその一助となりますことを、心より願っております。

村上 誉 村上 誉(むらかみ ほまれ)
ワイヤレスネットワーク研究所
スマートワイヤレス研究室 主任研究員

1999年大学院修士課程了。同年郵政省通信総合研究所(現NICT)に入所。2003-2005年デンマーク国オールボー大学客員研究員。
無線通信プロトコル、モバイルネットワーキング、コグニティブ無線技術に関する研究に従事。
独立行政法人
情報通信研究機構
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