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”キラリ”NICT STAFF 目指すはロンドンパラリンピック その先に見えるものを見極めたい 吉田信一

NICTの研究者を支える職員の方にスポットを当て、様々な分野でキラリと光るスタッフをご紹介するこのコーナー。今回ご紹介するのは総務部で電子決裁システムの管理や文書の審査などを担当されている吉田信一さんです。吉田さんは、障がい者卓球の国内外の大会で毎回上位成績を収めている第一人者。目下の目標は2012年のロンドンパラリンピックの出場権獲得だそう。そんな吉田さんに卓球に懸ける思いとNICTでのお仕事についてお話を伺いました。

卓球との運命の出会い

1995年、吉田さんの故郷、福島で福島国体が開催されました。その前年、当時福島在住だった吉田さんに、車椅子業者の方が「県が強化選手の募集をしているので吉田さんも何かスポーツをしたら?」と声をかけました。吉田さんはバスケや陸上など数ある種目の中から卓球を選びました。現在、世界レベルの選手となっている吉田さんがその時卓球を選んだ理由は意外にも「他の種目に比べて楽そうだったから」だと言います。

そんな軽い気持ちで始めた卓球でしたが、吉田さんにとって卓球は天命だったのかもしれません。吉田さんは卓球を始めた当時を振り返り、「健常者の人生と障がいを負ってからの二つの人生を経験しろと神が与えたこの運命、何かを残してやろうと思った」と言います。その時の福島国体では選手には選ばれなかったものの、その後はみるみるうちに頭角を現し、福島県内、東北地方を制覇していきました。

単身上京、仕事との両立に悩む日々

地元では負け知らずとなった吉田さんは、次に関東、全日本、そして世界を視野に入れるようになりました。東京で練習したい、そう思った吉田さんは上京を決意。車に荷物を積み込み、1週間で仕事が決まらなかったら帰って来いという家族を尻目に東京へ向いました。

上京してすぐにハローワークへ直行し、ある仕事に応募しましたが、年齢制限にひっかかってしまいました。しかし吉田さんは諦めませんでした。採用担当者に直談判して面接までこぎつけ、仕事を得ることに成功します。切羽詰った吉田さんのバイタリティが功を奏したようでした。

運よく掴んだ仕事でしたが、卓球との両立は簡単なものではなかったようです。その会社は、以前オリンピック選手を育てた実績もあるところでしたが、吉田さんが入社した頃にはそのような活動はなくなっていました。吉田さんは休暇等を活用しては国内の大会を中心に卓球を続けていましたが、このままでは世界への挑戦は難しいとわかっていました。長い間そのような生活が続きましたが、吉田さんの中では卓球を辞めるという選択肢はなく、とうとう会社を後にすることを決めました。夢を抱えて上京してからはや6年以上が経っていました。

NICT入所、そして念願の世界選手権へ

機構の電子決裁システムの運用・管理は吉田さんに一任されている
●機構の電子決裁システムの運用・管理は吉田さんに一任されている

前の会社を辞めた吉田さんは2006年、NICTに入所し、仕事と両立しながら練習に励み、国内外の試合を経験し2009年には7つの国際大会に参加しました。

その中でもオーストラリア(ダーウィン)で開催されたアラフラGAMES2009では、参加した全ての種目(オープン戦、個人戦、オープンダブルス戦、団体戦)で金メダル2個、銀と銅メダルをそれぞれ1個ずつ合計4個のメダルを獲得するという快挙を成し遂げ、センターポールに日の丸が掲げられ君が代が流れた感動は忘れられないそうです。

この年は8個のメダルを獲得し、翌2010年韓国(光州)で行われた、パラリンピックに次ぐ単独種目では最高峰の世界選手権に、日本人車椅子選手では最高の世界ランキング14位にて参加資格を獲得し、ベスト16の成績を収めました。

「卓球」という自分が出来ることを通じて役に立ちたい

卓球を通じて、様々な国の人に会うことが出来たことは吉田さんにとって何物にも代えがたい財産となりました。中でも、2011年5月のロッテルダムでの大会では、震災被害を受けた日本に対しオリンピック、パラリンピックで活躍しているそうそうたる選手の方々から日の丸に温かいメッセージを直筆でいただき、故郷の福島県肢体不自由者卓球協会に届けることが出来ました。吉田さんは、「自分が出来ることで人を励まし、喜んでもらえることが出来るようになったのが嬉しい」と言います。故郷、被災地福島の方々の力になりたいという思いが伝わってきました。

NICTのバックアップ

吉田さんの活動を入所当時から見守っていたNICTでは、2011年4月から国際大会等に出場する職員に対し、大会期間中の労働を免除する仕組みを取り入れました。これにより、休暇の他にも試合に出場するための時間を割くことが可能になりました。吉田さんの卓球を通じた活動をNICTが認め、できる限りのバックアップをしようという体制です。「とてもありがたいと思いますが、結果を残さなければというプレッシャーが強くなりました」と苦笑する吉田さん。大会の間、まったく仕事から離れられるのかといえばそうでもなく、職場を留守にするその間は、リモートアクセスサービスを利用しモバイルでのメールチェックや文書の審査等、出先で処理することで遠征後に取りかかる業務に支障の無いようにしているそうです。

「どうして卓球をやっているのか」を知るために卓球をやっています

吉田さんは、今まで卓球を続けるためにいろいろな事を犠牲にして来たと言います。それだけ卓球に懸ける気持ちは大きく、卓球は吉田さんの人生そのもの。「なぜ、そこまで卓球に入れ込むのか? 正直自分でもわからない。だから知りたいのかもしれません。卓球に限っての事ではないですが勝って得るものが少なく、負けた時の方が得るものが多く、練習、試合の繰り返しで『試し合い』で練習どおりの事ができた時は勝ち負けより嬉しい気持ちになります。しかし今は結果が全ての状況下にあります。パラリンピック出場権を獲得し(世界ランキング22位以内)パラリンピックでのメダル獲得を目標に頑張りたいと思います。勿論、仕事も頑張ります! 周りの方にご迷惑おかけして申し訳ありませんが…」と吉田さん。ぜひ、いっそうの頑張りで、念願のパラリンピックへの出場権を獲得していただきたいと思います。

世界の強豪を相手にメダルを競い合う
●世界の強豪を相手にメダルを競い合う
東日本大震災後の5月ロッテルダムの大会で各国の代表選手からいただいた日本への応援メッセージ
●東日本大震災後の5月ロッテルダムの大会で各国の代表選手からいただいた日本への応援メッセージ

上司からの一言

原嶋 利征

一芸に秀でた一流の人は、仕事も一流である。吉田君は、このNICTでそれを証明しているのではないか。困難な仕事でも諦めず、投げ出さない。仕事の目的や意義を理解して事に当たる。他人には大らかであれ。皆、頭では分かってもなかなか出来ないことを彼はやってのける。今日も一流のアスリートと一緒に仕事が出来ることが誇らしい。

原嶋 利征(はらしま としゆき)
総務部 総務室 総務グループ グループリーダー

吉田さんは今までの卓球の活動や、海外試合の渡航費などは自費で賄ってきました。世界レベルの選手にも係わらず、なかなかバックアップが付かないのが現状でした。そのような中、勤め先のNICTが、活動をバックアップする制度を取り入れたことは、吉田さんにとって励みになりました。練習や試合に時間を割くことが出来るようになり、今後パラリンピックなどの大会でメダルが取れれば、後継のため財団法人日本障害者スポーツ協会に対して助成金なども期待出来るようになります。吉田さんはご自身の活動が障がい者卓球の環境を整えるきっかけになればという思いと、NICTの存在を少しでも広められるような活動をし恩返ししていきたいと、日々頑張っているそうです。
(取材・文責 株式会社フルフィル 山形 利恵)

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