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情報の理解(分かり)が成立するときの脳内処理メカニズム解明へ向けて −ものの見方で変わる脳活動− 未来ICT研究所 脳情報通信研究室 専攻研究員 松林 淳子

はじめに

人がものを見た際に、目の網膜に投影された視覚情報は、さらに脳の様々な部分へと伝達され、最終的に複雑な形や動きなどの認識をもたらします。

しかし私たちは、目から入った情報そのものを認識するわけではありません。脳がどのように視覚情報を処理しているかを体験できる例として、錯視があります(図1)。図1(a)の例では、中央に設置された水色の四角(水色の四角)が、その背景色から影響を受けて、明るい色になったり、大きいサイズになったりしているように感じられると思います。さらに図1(b)の例では、その情報に意識を向けないと、なかなか読み取ることができません(正解はページの下にあります)。それを見ているのにそれと気づかない、という経験は日常でも思いあたるのではないでしょうか。このような「見るもの」と「見えたもの」の違いには、脳が関与しています。

図1●錯視の例
図1●錯視の例

私は2008年にNICTに入所し、両眼視野闘争という現象を用いて、人の視覚情報処理における知覚と脳活動の対応について研究しています。ここでの知覚とは、「見えたもの」を指します。両眼視野闘争とは、左右の眼で異なる画像を見たときに、画像は一定であっても、意識される知覚が左右の画像間で自発的に交替する現象です(図2)。あるときは左眼の画像、その数秒後には右眼の画像というように、知覚が何度も切り替わります。網膜に投影される画像の物理量は一定であるにも関わらず、知覚が切り替わることから、視覚的意識の研究題材として優れています。

図2●両眼視野闘争の例
図2●両眼視野闘争の例

視野闘争中の脳活動を調べる手法には、脳磁界計測法(MEG: Magnetoencephalography)を用いています。MEGは、脳内の脳神経細胞を流れる電流により発生する微弱な磁場を、頭の周りに設置された高感度な磁気センサである超伝導量子干渉素子で検出する計測法です。時々刻々と変化する脳活動を、ミリ秒単位で計測することができます。

脳磁図による視野闘争研究

入所から2年後、ようやく完成した画像呈示装置を用いて実験を開始したのですが、最初の発表ができるまで苦難の道のりでした。当初は「画像の色と方位(線分の傾き)を複合的に闘争させた場合に誘発される脳活動の同定」を目指していたのですが、事前に立てていた仮説を支持する結果はなかなか得られず、折りしもMEG装置に若干の不具合が発生していたため、実験も一時中断せざるを得ませんでした。改善策を試すことができず焦る気持ちを抑え、これまで得ていたデータを別の観点から解析しなおしていたところ、従来の報告にない脳活動が生じていることに気づきました。その後の詳細な解析により、左右の眼に呈示された視覚情報が統合され、両方の情報が混在した画像や、融合した画像(図2(3)(4))が知覚されやすくなっているときに、この脳活動が発生していることが分かりました。

両眼情報の統合に関連する脳活動

この脳活動の発見には、このとき用いていた周波数標識法と呼ばれる手法が寄与しています。周波数標識法は、計測したMEG信号がどちらの知覚を反映しているか識別するために、ある周波数で点滅した画像を見ているときに、その点滅周波数と同じ成分の脳活動が強まることを活用した手法です。例えば私の実験では5Hzと6Hzが標識周波数でしたので、他の周波数成分に比べて5Hzと6Hzの脳活動が特別に強められます(図3)。ここで従来の報告通りであれば、5Hzで点滅する画像が知覚されたときには5Hz(とその高調波)、6Hzで点滅する画像が知覚されたときには6Hz(とその高調波)の脳活動のパワーがより増加することになるわけですが、私の実験ではそのような傾向がなかなか得られませんでした。色の知覚を対象にしていたためかと思い、色を用いない再実験を検討していましたが、その前に行った解析で「標識されていない11Hzの脳活動」が出現することを発見しました。

図3●周波数標識法によって誘発されるMEG信号の概念図
図3●周波数標識法によって誘発されるMEG信号の概念図

しかもこの11Hzの脳活動の出現は、実験条件に依存しており、方位が同一で、融合した色を知覚しやすい場合に得られ、方位が直交し、通常の色の闘争が生じているときにはほとんど観測されないことが分かりました(図4)。融合した色の知覚は、両眼の画像を同時に認識していたことを意味します。一方、11Hzの脳活動を発生させるには、左右の画像の周波数(5Hzと6Hz)を共に用いることと、さらにそれらを線形ではなく、非線形的に処理する必要があります(例えば三角関数の積和の公式に基づけば、乗算する必要があります)。今回の結果は、「見るもの」が左右の眼で分離され、異なっていても、「見えたもの」がそれらを統合したような知覚である場合には、脳活動も左右で統合されていたことを示しています。

図4●実験結果
図4●実験結果

11Hzがまさに両眼が統合された知覚と関わっていると断定するには、実験にさらなる改良と工夫が必要です。現在、そのための準備を進めている段階です。

まとめと今後の課題

両眼に刺激を与えても、それだけでは両眼の情報を知覚できないように、どのような情報でも与えさえすれば、受け手に知覚してもらえる、ということはありません。このような観点から、私の所属する脳情報通信研究室では、情報通信の原点である「コミュニケーション」の質的な技術革新を目指して、人の脳を安全な方法で計測する技術を活用しながら、実際に情報を受け、理解し、発信する担い手である人の脳の働きについての研究開発を行っています。

さらに現在の脳研究は、人の脳に共通する特質に注目しています。しかし脳は、千差万別な人の行動様式を生み出す源です。そのため今後の課題として、その人個人が持つ自己感覚や意識と脳活動との関係についても解明していく必要があると考えています。


(今回の内容は、第26回日本生体磁気学会にてU35奨励賞を受賞しました。)


図1(b)の正解は「NICT」です。


松林 淳子 松林 淳子(まつばやし じゅんこ)
未来ICT研究所 脳情報通信研究室 専攻研究員

大学院修了後、東京大学医学部付属病院精神神経科 リサーチレジデント(財団法人 神経科学振興財団)を経て、2008年、NICTに入所。非侵襲的脳機能計測による視覚と意識の脳機能研究に従事。博士(工学)。
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