NICT NEWS
繰り返し運動の上達には、“時々”目を使うのがコツ! -周期運動の誤差情報を処理する脳内メカニズムが明らかに- 未来ICT研究所 脳情報通信研究室 専門調査員 池上 剛

背景

私たちが、新しい運動技能を学習するとき、どのような練習を行えば、“より早く、より上手に” 学習できるようになるのでしょうか?これまでに、ボールを投げる動作のように、一回きりの運動(離散運動)を学習するとき、脳は実際の運動と目標の運動とのずれ(誤差)に基づいて次の運動指令を修正し、学習を促進することが分かっています。この考えのもとでは、誤差情報は運動学習にとって常に好ましいものであると考えられます。一方、バスケットのドリブルのようなリズミカルな繰り返し運動(周期運動)における脳内メカニズムに関しては、よく分かっていませんでした。脳が連続的に誤差情報を受け取り続ける周期運動の場合も、離散運動と同様に、脳の修正指令はうまく働くのでしょうか?

今回、我々は、この問題を明らかにするために実験を行い、周期運動では過剰な視覚的情報が学習を阻害することを発見し、時々目を閉じるなどして情報を受け取り過ぎない方が学習に効果的であるという、直感に反する結果を示しました。

運動学習過程の数理モデル化

我々は、「周期運動」を学習する場合に、脳が視覚的な誤差情報(実際の運動と目標の運動との“ずれ”)をどのように処理し、運動を修正・学習しているのかを、“システム同定” というデータ解析手法を用いて調べることにしました。システム同定を行うための実験では、被験者に、スクリーン上のカーソルが2つのターゲットの間を周期的に直線運動するようにロボットアームのハンドルを操作してもらいました(図1左)。その際、実際のハンドルの動きに対して、カーソルの動きが手前のターゲットを中心として、一往復(サイクル)ごとに左右どちらかにランダムな角度で傾くように、人為的な誤差を作りました(図1右)。そして、このような視覚的な誤差情報に基づいて、被験者が以後の運動指令を修正するプロセスを数学的にモデル化し、実際のデータに適合させてみました。その結果、あるサイクルで生じた運動誤差の情報は、その次のサイクルではその誤差を打ち消すように運動指令を修正していることが分かりました。この結果は、運動誤差情報が運動学習を適切な方向に導く、という離散運動の運動学習メカニズムに対して報告されている知見と合致するものでした。ところが、驚いたことに、運動誤差情報が影響を及ぼすのは、次のサイクルの運動指令だけでなく、2サイクル後以降の運動指令の修正にも影響を与えており、しかもその影響は学習を促進するどころか、かえって阻害するように働いていることが明らかになりました。

図1●ロボットアームを用いた視覚運動変換課題
図1●ロボットアームを用いた視覚運動変換課題
被験者には、ロボットアームのハンドルを右手で握って動かし(左図)、スクリーン上のカーソルの動きを操作してもらいました(右図)。2つのターゲットの間(TとTの間7cm)をカーソルが周期的に往復(1サイクル: 400ms)するように課題を行ってもらいました。実験中は、スクリーンがあるため、被験者は自分の手(ハンドル)の動きを直接見ることはできません。

運動の視覚的情報を与え過ぎないことで運動学習が促進する

一般に、バスケットのドリブルのような周期運動を学習して上達していくには、実際の運動と目標とする運動との違いを常にしっかりと見定めることが重要であると直感的には感じます。しかし、システム同定によって得られた結果は、そのような直観とは相容れない興味深い仮説を我々に与えてくれました。もし、運動誤差情報が2サイクル後以降の運動指令の修正に阻害的な影響を及ぼすのであれば、脳がそのような学習にとって害悪な誤差情報を受け取らないように、運動の視覚的情報を毎サイクルに連続的に与えるのではなく、数サイクルに1サイクルだけ間欠的に与えれば、運動学習の到達度は向上するはずです。この仮説を検証するために、我々は様々な視覚情報提示条件において、周期運動の学習成績を調べました。その結果、我々の予測どおり、運動の視覚的情報を4サイクルに1サイクル、あるいは5サイクルに1サイクルだけ与える方が、毎サイクル与えるよりも、運動課題に対する学習成績が向上することを見出しました(図2)。

本研究によって、周期運動の学習においては、運動の誤差情報が学習を促進するだけでなく、阻害するものにもなり得ることを、今回初めて示すことができました。過度な運動情報のフィードバックは、かえって学習を阻害するという結果は、スポーツの練習法やリハビリテーション手法に対して実践的な示唆を与えるものです。

図2●様々な視覚情報提示条件における運動学習の成績の変化
図2●様々な視覚情報提示条件における運動学習の成績の変化
各データは10サイクルごとの運動誤差の平均値です。運動サイクルが増すにつれて、目標からの誤差が小さくなっており、学習が進んでいることが分かります。その学習の到達度(うまさ)は、視覚情報の提示の頻度によって異なっています。このタスクにおいては、4サイクル、あるいは5サイクルに1回程度の視覚情報提示によるフィードバックが学習の到達度を向上させていることが分かります。

今後の展望

今回、脳が運動の視覚的な誤差情報をどのように処理しているかを明らかにしました。我々は、このように脳の情報処理の仕組みの理解を更に進めていくことが、より効率的な運動技能の獲得や再獲得法の開発につながると考えています。

なお、この成果は米国神経科学学会誌「The Journal of Neuroscience」2012年1月11日号に掲載されました。

用語解説

* システム同定
実験データに基づいてシステムに対する入出力の動的特性を決定する工学的手法。

池上 剛 池上 剛(いけがみ つよし)
未来ICT研究所 脳情報通信研究室 専門調査員

大学院修了後、国際電気通信基礎技術研究所研究員を経て、2010年、NICTに入所。ヒトの運動制御・学習メカニズムに関する研究に従事。
独立行政法人
情報通信研究機構
広報部 mail
Copyright(c)National Institute of Information and Communications Technology. All Rights Reserved.
NICT ホームページ 前のページ 次のページ 前のページ 次のページ