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 NICT NEWS 2021 No. 2(通巻486)掲載記事
 
主担当:逵本 吉朗

 量子コンピュータなどの量子デバイスを量子的に接続し、物理原理が許す最大限の機能を実現することを目指した究極のネットワークを量子ネットワークと呼びます。量子ネットワークでは「量子もつれ」と呼ばれる量子力学特有の相関をリソースとして用いることで、古典物理学に基づく従来技術のみでは達成不可能なプロトコルが実現可能となります。本稿では、この量子的な相関を持つ量子もつれ光子対を高速に生成し、活用した最新の研究開発結果と、それを用いて初めて可能となった量子プロトコルの原理実証実験について紹介します。

量子ネットワークの実現に向けて

 インターネットは、人やモノをつなげることで、社会に新たな価値を生み出してきました。同様に、量子コンピュータや量子センサといった量子デバイスをつなぐネットワーク概念が「量子ネットワーク」です。これまでに、分散・秘匿量子コンピューティングや超高精度時刻同期など量子ネットワークを利用した様々なプロトコルが提案されており、今後も様々な利用方法が提案されていくと目されています。このように量子ネットワークの恩恵が期待される一方で、その実現には様々な技術開発が不可欠です。NICTでは、量子ネットワークの基本的なリソースとなる量子もつれ光子対の生成・制御技術の研究開発を推進しています。
 

量子もつれ

 量子もつれとは、古典物理学では説明できない量子的な相関を意味します。量子もつれの説明の前に、まずは古典的な相関について光子対の偏光を例に取って考えます。いま、縦偏光か横偏光かをランダムに選択し、選んだ偏光を持つ光子対が生成できる装置があるとします。生成された光子対に対して、それぞれの光子の偏光が縦偏光か横偏光かを偏光フィルタによって識別すれば、「一方の光子の偏光が縦(横)偏光の場合、もう一方の光子の偏光も縦(横)偏光である」という相関が測定されるでしょう。しかし、偏光フィルタを取り替えて、右回り円偏光と左回り円偏光を識別するような測定を行うと、何の相関も検出されません。このように、特定の偏光だけで得られる相関を古典的な相関といいます。一方で、量子もつれ状態にある光子対を用いると、縦横の偏光を識別する測定を行っても、円偏光を識別する測定を行っても、相関が検出されます。この振る舞いは、古典物理学に基づく考え方では説明することができません。量子ネットワークでは、このような量子的な相関を積極的に活用します。

超高速量子もつれ光子対源の開発

 量子ICT研究室では、これまでに自発的パラメトリック下方変換(Spontaneous Parametric Down-Conversion: SPDC)と呼ばれる非線形光学効果を用いた高輝度・高品質な量子もつれ光子対源の開発を行ってきました。SPDCでは、励起レーザ強度に比例した確率で光子対が生成されるため、励起レーザの強度を増強することで高輝度化が期待できます。しかし、この励起レーザ強度の増加に伴い、1パルスあたり2対以上の光子対が生成される、いわゆるエラーイベントの確率も増えるため、量子もつれの質が劣化してしまうという問題が知られています。このトレードオフを回避できる手法として、励起レーザの繰り返し周波数を上げる手法があります。これにより1パルスあたりのエネルギーを低く抑え、エラーイベントの確率を増やすことなく、もつれ光子の生成レートを上げることができます。今回我々は、周波数コム光源と高効率な導波路型非線形光学結晶を組み合わせた超高速量子もつれ光源を新規開発することに成功しました(図1(a)参照)。この周波数コム光源では繰り返し周波数を最大50 GHzまで可変に設定できます。図1(b)に示すように、量子もつれ光子対の検出レートは最大で1.6 MHzに達し、これは以前に当先端開発センターの実験において得られたレートの約100倍にあたります。また、図1(c)に示すように量子もつれの質を表すFidelity(忠実度)、 Purity(純粋度)、EoF(Entanglement of Formation、量子もつれの度合い)はいずれも高い水準に保たれていました。

図1(a), (b), (c)
図1 (a) 超高速量子もつれ光子対源の構成。電気光学変調(EOM)により高速光パルスを生成し、その二倍波を導波路型非線形光学結晶へ入射することで、量子もつれ光子対を生成する。(b) 量子もつれ光子対の検出レートと励起パワーの関係。(c) 量子もつれ光子対の質と励起パワーの関係。

量子プロトコルの実証実験

 このような量子もつれ光子対をリソースとして用いるプロトコルの1つに、装置無依存量子鍵配送(Device-Independent Quantum Key Distribution: DIQKD)があります。DIQKDは、量子もつれ光子対の量子的な相関の度合いを監視することで、QKD装置に関する知識が得られない場合であっても秘密鍵が得られる次世代のQKDプロトコルです。量子的な相関は、測定結果から得られる相関パラメータSによって評価可能で、Sが2を超えれば秘密鍵の安全性が保障されます。しかし、実際にSPDCで生成した量子もつれ光子対を使ってDIQKDを行う場合に、どの程度の平均光子数を選べばSを最大化できるかは、これまでよく分かっていませんでした。今回我々は、図2(a)に示す実験系を用いて、従来考えられていた平均光子数よりも非常に大きい領域でSが最大化されることを実験的に確かめることに成功しました(図2(b))。
 
図2(a)
図2(a) 実験系の概略図。量子もつれ光子対の相関パラメータSを測定する。
図2(b)
図2(b) 量子もつれ光子対の平均光子数とSの関係。
 さらに、量子もつれ交換と呼ばれる手法を適応することで、DIQKDの長距離化が可能となることを実験的に実証しました。図3(a)に示した実験系では、量子もつれ光子対を2組生成し、それらを連結することで長距離の量子もつれを形成します。本実験では、量子もつれ光子対に対して長さ50 kmの光ファイバに相当するロスを加えた後に、量子もつれ交換を適用し、実験結果から推定した終状態が S>2 となる状態であることを確認することに成功しました(図3(b))。

図3(a)
図3(a) 実験系の概略図
図3(b)
図3(b) 量子もつれ交換で得られた量子状態

今後の展望

 これまでの研究で、量子もつれ光子対の高速生成が可能となり、生成された光子を適切に制御・測定することで、DIQKDといった量子プロトコルの実証が可能となってきました。量子ネットワークを実現するためには、このような光量子制御技術の高度化に加えて、物質系量子メモリと量子もつれ光子対をリンクし、相互に量子情報をやりとりすることが不可欠です。そのためには、量子メモリや量子メディア変換器といった様々な要素技術の研究開発も重要となってきます。量子ICT先端開発センターでは、今後もこれら技術の研究開発を総合的に推進していきます。