RESEARCH
二枚貝の筋肉の張力維持状態(キャッチ状態)を試験管内で再構成 キャッチ状態の根幹に関わるタンパク質要素の絞り込みに世界ではじめて成功
主任研究員
山田 章(やまだあきら)氏
基礎先端部門 生体物性グループ
1992年入所。大学院修士課程以来15年にわたってムラサキイガイの筋肉と格闘してきた。キャッチ筋最大のなぞ(と本人は思っている)を解くことができて喜んでいます。


山田 章氏
 アサリやハマグリなどの二枚貝の貝殻は、2枚の貝殻をつなぐ蝶番の弾性によって、本来は開くようにできています。食べるために火を通すと貝殻が開くことは皆さんよくご存知のことと思いますが、これはこの蝶番の弾性によるものです。しかし、貝が生きているときには、貝殻はほぼ閉じた状態に保たれています。これは、貝柱が貝殻を閉じる筋肉(閉殻筋)であり、これが力(張力)を出し続けているためです。また、私たちが実験材料としているムラサキイガイ(ムール貝)などは、足糸という糸を出して岩などに張り付き、これを貝殻の内側から引っ張って岩に固着して生活しています(図1)。足糸を引っ張っているのは足糸牽引筋という筋肉(図2)で、やはり張力を出し続けています。これらの筋肉は、我々人間の手足を動かす筋肉とは異なり、エネルギーをほとんど消費せずに縮んだままで張力を保つこと(この状態をキャッチと呼んでいます)ができ、キャッチ筋と呼ばれています。我々人間が重い物を持ち続けていると筋肉がエネルギーを消費して疲れてしまいますが、キャッチ筋はそのようなことがないのです。
図1 岩に固着して生活する多数のムラサキイガイ(左)と、水槽の内壁に足糸を出して固着したムラサキイガイ(右) 図1 岩に固着して生活する多数のムラサキイガイ(左)と、水槽の内壁に足糸を出して固着したムラサキイガイ(右)
貝殻の中には、足糸を内側から引っ張っている筋肉(足糸牽引筋)がある。
図2 貝柱(閉殻筋)を切断して貝殻を開けたところ(左)と、さらにえらなどを取り除いて露出させた主な筋肉(右) 図2 貝柱(閉殻筋)を切断して貝殻を開けたところ(左)と、さらにえらなどを取り除いて露出させた主な筋肉(右)
閉殻筋と足糸牽引筋がキャッチ筋で、実験材料となる。特に、右図中の左の方にある細長い筋肉(前足糸牽引筋)は、古くから生理学的な研究が盛んに行なわれてきた。

 図3に、キャッチ筋の収縮と弛緩の概要を示しました。まず、筋肉細胞中のカルシウムイオン(Ca2+)濃度の上昇が筋肉を収縮させると同時に、脱リン酸化酵素(Pickup Word 参照)が働き、キャッチの状態になる準備をします。また、筋肉細胞中のcAMPという物質の濃度が上昇すると、リン酸化酵素(Pickup Word 参照)が働いてキャッチ状態が解除され、張力が速やかに低下します。しかし、キャッチ状態において張力を支えている実体が何であるのかについては諸説があり、決定的な証拠はありませんでした。
図3 キャッチ筋の収縮と弛緩の概略
図3 キャッチ筋の収縮と弛緩の概略
筋肉は収縮した後、高い張力を維持する。ムラサキイガイは、このキャッチ状態によって、貝殻を閉じ続けたり、岩などに固着し続けたりすることができる(裳華房 『生物の科学 遺伝』 9月号より転載)。

 筋肉細胞中には、主にミオシンというタンパク質分子からなる「太いフィラメント」という繊維状構造と、主にアクチンというタンパク質分子からなる「細いフィラメント」という別の繊維状構造がたくさんあります。これらは互いに入れ込むように配置していて、お互いに滑りあうことで筋肉が収縮します。キャッチ状態においても、この2種類のフィラメント間の相互作用によって張力が維持されるとする説がありました。その場合、2種類のフィラメントはキャッチ状態において固く結合するはずです。この結合を、筋肉から取り出したフィラメントを使って再現し、光学顕微鏡で直接観察してやろう、というのが私たちの研究の始まりでした。

 ムラサキイガイのキャッチ筋をすりつぶして得られる「太いフィラメント」は、暗視野顕微鏡で観察することができます(図4左上)。これに、ちょうど筋肉がキャッチ状態になるような環境を作ってやります。つまり、キャッチ状態の準備に関わっている脱リン酸化酵素(図3参照)を含む筋肉の抽出物とCa2+を作用させておくのです。ここに、筋肉から取り出した「細いフィラメント」を加えます。これには蛍光物質をあらかじめ結合させておきますので、蛍光顕微鏡で観察することができます。すると、「細いフィラメント」が「太いフィラメント」に結合するのが観察されました(図4左下)。ここに、ちょうど筋肉がキャッチ状態から弛緩するのと同じ環境を作ってやります。つまり、弛緩に関わっているリン酸化酵素(図3参照)を含む筋肉の抽出物とcAMPを作用させます。すると、「細いフィラメント」は「太いフィラメント」から離れました。さらに、ここで見られた結合の力が、筋肉のキャッチ状態での張力を説明するために十分なものであることが、当研究グループが持っている微小力測定技術によって示されました。これらのことから、ここで観察されたフィラメントの結合がキャッチ状態の本体であることが、世界ではじめて明確に示されました。
図4 キャッチ状態の再構成
図4 キャッチ状態の再構成
筋肉から取り出した太いフィラメント(ネイティブフィラメント)は、暗視野顕微鏡によって観察することができる(左上)。キャッチ状態において、蛍光標識した細いフィラメントがこれらに結合し、蛍光顕微鏡によって観察された(左下)。精製したミオシンとツイッチンからなる合成フィラメント(右上)にも、キャッチ状態において、蛍光標識したウサギアクチンフィラメントが結合した(右下)。スケールバーは20μm(裳華房 『生物の科学 遺伝』 9月号より転載)。

 「太いフィラメント」や「細いフィラメント」は、ミオシンやアクチン以外に何種類かのタンパク質(パラミオシン、ツイッチン、キャッチン、トロポミオシンなど)を含んでいます。このうちのどれがキャッチの結合に必要なのでしょうか。これまでの筋肉そのものを使った研究では、この疑問に対して明確な解答を与えることが困難でした。今回、私たちが開発した実験系では、この疑問に比較的簡単に解答を与えることができました。精製したタンパク質を使って「太いフィラメント」と「細いフィラメント」を再構成し、これらが先に述べたような条件において結合するかどうかを観察すればよいのです。その結果、ミオシン、ツイッチン、アクチンの3種類のタンパク質があればよいことがわかりました。図4右に、これらの精製したタンパク質を使って再現した「キャッチ状態」の写真を示します。

 筋肉において、低エネルギー消費で高い張力が維持される現象は、二枚貝だけに見られるものではありません。我々人間の血管壁にも筋肉があって高い張力を維持し、血流量を調節しています。この高張力状態は「ラッチ」と呼ばれていますが、その本体が何であるのかはまだはっきりしていません。今回、二枚貝のキャッチ筋で使ったような手法によって、血管壁の筋肉の「ラッチ」についても、その本体が解明されることが期待されます。



Web 米国科学アカデミー紀要に発表した研究論文
http://www.pnas.org/cgi/content/full/98/12/6635

独立行政法人 通信総合研究所ホームページ「生体物性グループ」
http://www2.crl.go.jp/ks/d331/index.html