RESEARCH
生物の情報通信と生存戦略 生物情報システムの解明
平岡 泰(ひらおかやすし)氏
基礎先端部門 関西先端研究センター
生物情報グループ グループリーダー
専門は細胞生物学。9才で科学者を志し(鉄腕アトムの影響)、そのころ「りぼそーむはたんぱくしつのこうじょうです」と細胞の働きを描いた絵本に出会い、現在に至る。現在、生物情報グループリーダー、大阪大学大学院教授併任、44才。理学博士。

平岡 泰氏
 生物は、状況に応じて限られた資源を有効に再利用しながら、自律的にネットワークを組み直し、さまざまな局面に対応していく、経済的で柔軟でダイナミックな情報処理システムです。ヒトの遺伝情報は、塩基と呼ばれる4種類の化学物質が30億個、直線状に並んだDNA上の配列として、記録されています。これは、さながら0と1の数字列で記録されるコンピューターデータのようですが、一個の受精卵が持っている遺伝情報をコンピュータメモリーに換算すると、わずか1Gbyte弱の情報量にしかなりません。生物はこれだけの少ない情報量を用いて、細胞内または細胞間での高次なコミュニケーションを利用しながら、一個の細胞からついにはヒトを発生させたり、脳の様な優れた情報伝達・処理・判断能力を持つシステムを構築することができる経済性の高いコンパクトなシステムと言えます。それは、生物が、独自の情報処理アルゴリズムを用いているためと考えられます。そのような生物の制御アルゴリズムを、細胞レベルで理解したいというのが、私たちのグループが取り組んでいる「生物情報システムの解明」のプロジェクトです。

 ここでは、細胞が細胞外の環境の変化を感じ取って、増殖を続けるか停止して生殖過程に入るかを判断し、細胞核内の染色体配置を変化させる例について紹介したいと思います。通常の細胞分裂(体細胞分裂)では、元と全く同じ遺伝子構成を持った細胞が繰り返し作られます(図1)。細胞の正常な分裂を保証する機構は個体の生存に重要であり、体細胞分裂の異常はガンや胎児の奇形や様々な疾患を引き起こします。一方、卵や精子のような生殖細胞を作るための減数分裂と呼ばれる特殊な分裂では、父母それぞれに由来する2組の遺伝情報が組換わり、両親と似ているが少しずつ違う子供たちができます。このように生物は、遺伝子の変化を許さない仕組みと、変化を促す仕組みを持っていると言えます。このような2つの仕組みを使い分けるために、細胞はどのような情報処理をしているのか。私たちのグループは、単細胞微生物である分裂酵母を用いた研究から、体細胞分裂から減数分裂に移行すると、染色体の配置が、セントロメアが束ねられた構造からテロメアが束ねられた構造へと、核内で劇的に変化することを発見しました(図2)。その後、ヒトやトウモロコシなど高等動植物でも同様の染色体配置の変化が起こることが他の幾つかのグループによって発見され、このような現象が、ヒトを含めた多くの生物種に共通で、減数分裂過程の重要なプロセスであることが認識されてきました。このような染色体配置の変化を起こさせる仕組みについて、分裂酵母で解析を進めた結果、細胞が環境を感じ取って、細胞間で情報のやり取りをしながら、細胞核構造を変化させていくことがわかってきました(図3)。つまり、細胞の増殖に必要な栄養が枯渇してくると、その環境の変化を感じて細胞が増殖を停止し、信号の発信と受信のための装置が新たに作られ、他の細胞に通信を試みます。通信に成功した細胞どうしが融合し、生き残りを図ります。このような細胞間での信号を受け取った細胞でだけ染色体配置の変化が見られます。
図1 生きているヒト細胞の分裂
図1 生きているヒト細胞の分裂 − 染色体(赤)と分裂装置(緑)
私たちのグループでは、生きたままの細胞の中で起こる現象を画像として捉えるために、コンピュータ制御の蛍光顕微鏡システムを開発してきました。生きている細胞に蛍光標識したタンパク質を導入することによって、細胞内の特定のタンパク分子だけを選び出して染色できます。このように蛍光染色した細胞を、顕微鏡ステージ上で培養しながら画像化することにより、細胞内の分子の挙動を、動画像として捉えることできます。この技術を用いて、ヒト培養細胞や分裂酵母で、細胞情報システムの解析を進めています。動画像については、私たちのweb site を参考にしてください。


図2 分裂酵母の染色体配置
図2 分裂酵母の染色体配置 ー 体細胞分裂と減数分裂
分裂酵母は、環境に栄養が豊かな時は、細胞は増殖を繰り返します。そのような時には、染色体はセントロメアが束ねられた構造を取ります。一方、環境から栄養が枯渇すると、細胞は増殖を停止し、生殖過程に向かいますが、その時、染色体はテロメアで束ねられた構造に変わります。ちなみに、2001年のノーベル医学生理学賞は、細胞が増殖を繰り返す仕組みを分裂酵母を用いて解明したPaul Nurse博士に贈られました。
図3 分裂酵母の情報のやりとり
図3 分裂酵母の情報のやりとり
細胞間の通信設備は、栄養の枯渇を検知して新たに作られ、通信が完了したら解体されます。
 このような過程での情報処理アルゴリズムを理解するために、DNAマイクロアレイを作製して分裂酵母の約5,000個すべての遺伝子のオン・オフ状態をモニターする計画を進めています(図4)。分裂酵母では遺伝子の働きを人為的に破壊することができるので、特定の遺伝子を破壊した時にどのような影響が出るかを見ることで、遺伝子間の命令系統のネットワークが描けます。このような遺伝子のオン・オフ情報と、顕微鏡観察による染色体構造変化を対応させていくことで、細胞外の環境の変化に対応する細胞の制御アルゴリズムとそれを可能にする構造的な基盤を見極めたいと考えています。
図4 DNAマイクロアレイ 図4 DNAマイクロアレイ
DNAマイクロアレイの一部を拡大。それぞれのスポットには個別の遺伝子が固着させられており、赤いスポットは遺伝子がオンになっていることを、緑のスポットは遺伝子がオフであることを示しています。



Web 独立行政法人 通信総合研究所 ホームページ「生物情報グループ」
http://www-karc.crl.go.jp/bio/CellMagic/index.html

大阪大学大学院理学研究科生物科学専攻細胞機能構造学講座
http://www.sci.osaka-u.ac.jp/introduction/graduate/g-bioscience.html