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佐々木 雅英(ささきまさひで)
基礎先端部門
量子情報技術グループ
グループリーダー
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量子情報技術グループ
2001年、独法化とともに発足。右より○武岡、◎藤原、○水野、佐々木、○三森、亀倉(秘書)、◎長谷川。
◎主任研究員、○専攻研究員。 |
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現在のパソコンやインターネットの中を駆け巡っている情報の実体は、電気や光のパルスの膨大な羅列です。これらは、0と1という記号の流れを表しています。この2つの数字による情報の抽象化が完成したのは20世紀の半ば頃ですが、この情報社会のごく初期の段階に作られた一つの枠組みが今日まで延々と使いつづけられて来ました。しかし、ITの加速度的発展の中で、この枠組みはいよいよ限界を迎えつつあります。
研究者や技術者たちは、すでに開発現場で長年、薄い絶縁膜をすり抜ける電子や、完全に遮蔽してもどこからともなく紛れ込んでくる光の粒に悩まされてきました。光ファイバの中を行き交う大量の光をどんどん弱くしてゆくと、光はあるときぽつぽつと雨だれのようにとぎれ始めます。この光のぽつぽつとした粒は、雨だれの水滴とは違ってそれ以上どうやっても分割できない究極の粒で、光子と呼ばれます。チップの小型化や光回線の大容量化を突き進めて行くと、後10年程で0と1を表す媒体が、光子や電子のレベルに到達し、これまでの集積化が原理的限界に突き当たることになります。
一方、光子や電子が登場する超微細な世界は、我々が見る日常の世界とはかなり違った法則、量子力学に基づいて動いています。この量子力学の世界から素直な心で眺めて見ると、これまでの0と1による抽象化が如何に不自然な抽象化であったかが分かってきます。究極の情報技術を担うのは、確固として曖昧さのかけらもない0、1のビットではなく、0でもあり1でもありうるような量子力学的なビット、いわゆるキュービット(quantum
bitの略)になります。1990年代半ばには、キュービットで構成されるコンピュータ、いわゆる量子コンピュータが、現在の暗号システムを数分で解読する能力を持つことが解明され、爆発的な研究のブームに火が付きました。量子力学と情報科学の境界領域で起こったQIT革命です(Qは量子、つまりQuantumの意味)。
通信総合研究所でも、この革命前夜の1990年代初頭より、光を光子のレベルで制御する究極の量子情報通信に関する研究が始まっています。現在の光通信では1ビット当たり10万個以上の光子を使っていますが、1ビット当たり1個に満たない光子でも、量子コンピュータの原理を利用した符号化(量子通信路符号化)を行うことで、信頼性の高い情報伝送が原理的に可能であることが分かってきました。
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| 図1 2ビット量子符号のための復号回路 |
光通信では、マイクロ波領域とは異なり、回路の熱雑音のエネルギーに比べ光子のエネルギーが大きいため、必然的に光子の量子効果が顕著に現れるようになってきます。それでも、まだ光子検出器の不完全性や光部品の結合損が大きく、依然、量子通信路符号化が意味を持つレベルには至っていません。しかし、こう言った不完全性はいずれ時間の問題で解消されてゆくでしょう。そういった理想的状況が実現したとしても、不確定性原理の結果として微弱な光信号を完全な精度で識別することはできません。量子通信路符号化は、そう言った状況でも信頼性の高い通信を実現するための技術です。最も端的な効果は、次のように言うことができます。通常、ある雑音特性の通信路が与えられたとき、通信資源を倍にすると送れる情報量は最大で2倍まで増やすことができます。実際、Shannon理論によると、帯域や信号パワーを2倍にすれば通信路容量は最大で2倍に増えます。しかし、不確定性原理が支配する通信路では通信資源を倍にすると伝送情報量は一般に倍以上に増えるということが理論的に予言されています。いわゆる、量子通信路容量の超加法性といわれる性質ですが、これは量子限界にさらされる通信システムにとって最も根本的な設計原理になります。しかし、世界でまだ誰もこの効果を実証して見せた人はいません。この効果を実証するために我々のグループが開発を進めている量子復号器の心臓部の写真を図1に示してあります。サイズは80cm四方で、光を完全に遮断した環境で、光子のキュービットに対する簡単な量子計算を実行する装置です。こういった原理実証が成功し、さらに量子通信路符号化技術の開発が本格化すれば、将来的には、深宇宙通信のような減衰の激しい通信路や、膨大な受信者へ限られた信号パワーを分配する必要のある大容量光ネットワークを支える技術へ応用されることになります。
さて、一方、量子コンピュータによってその安全性が冒されはじめた現代暗号に換って、究極の安全性を保障する新しい方式として期待されているのが量子暗号です。これは実用に最も近い量子情報技術と言われています。これに関しては、産学官共同の量子情報通信研究開発プロジェクトで総合的な研究を進めています。
また、いつの日か量子コンピュータが現実のものとなったとして、それを繋いだ量子ウェブを実現しようとすると、現在のインターネット技術とは質的に異なった新しい技術、量子テレポーテーションが必要になります。これは、量子もつれ状態といわれる特殊な光の状態を介して、量子コンピュータ内部の原子や分子の波動関数を、壊すことなく遠隔地の量子コンピュータ内に再生したり、遠隔地から自在に制御したりするための技術です。量子ウェブ上では、これまで原子スケールでしか存在しなかった波動関数が、数百キロにわたって広がったり、再び原子スケールに縮んだりする操作が繰り広げられることになります。このときに使われる量子もつれ状態の生成・制御の研究も進めています。図2はCW量子もつれ状態の対の一方を生成するための回路図です。
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| 図2 CW量子もつれ状態の対の一方を生成するための回路図 |
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| ただ、実際に個々の原子、電子、原子核、光子を使って計算や通信を始めてみると、これらはどれをとっても決して簡単ではありません。多くの未踏技術の開拓が必要であり、量子コンピュータの実現は50年以上は先であろうと予測する研究者もいます。しかし、日々膨大な研究成果がこの分野で生まれており、実際、光キュービットに対する効果的な量子コンピュータの実現法など、量子通信路符号化の実現を加速する成果も最近出されています。いずれにせよQITは現在知られているどんな方法よりも、はるかに多くの夢を与える鍵であることは間違いありません。これからの情報技術の進むべき道しるべになろうとしています。我々は今ちょうど、量子力学と情報科学の融合によって派生するQITの夢を一つでも多く見つけ出してゆこうと、取り掛かり始めたところです。 |
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| 図3 量子情報通信ネットワーク |
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