![]() 本年4月、関西支所に新たに脳機能研究棟がスタートした。ここには、人間の脳に直接触れることなく脳活動を計測できる、国内でも有数の非侵襲計測装置が設置されている。 これらは、機能的磁気共鳴画像装置(fMRI:functional Magnetic Resonance Imaging)と脳磁界計測装置(MEG:Magnetoencepha-lography)である。脳の神経細胞が活動するとその部位の血流が増加する。fMRIはこの現象を利用して、血流量の変化を磁場計測により捉え、人間が思考や認識をしているときの脳の活動部位をミリメートル単位で正確に調べる装置である。また、神経細胞の活動には微弱な磁界の変化が伴っている。MEGは脳活動に伴う磁界の変化をミリ秒の高い時間分解能で検出する装置である。これら2つの装置を同時に利用できる体制になっている研究室は世界でもほとんどない。 |
フリーマントルでの最後の晩餐を終えた我々38次隊は南極大陸に向け出港した。出港してまもなく南極海の洗礼を受け、船酔に苦しんだ。体が衰弱しているときに追い討ちを掛けるように船内で風邪が流行した。数名の隊員が運悪く風邪にかかり幾日も高熱に苦しめられた。この風邪を船内に持ち込んだ人間を恨んだのは私だけではないはずである。そうです、私はこの運の悪い隊員のなかの一人だったのです。
12月8日フリーマントルを出港して以来初めて氷山を視認した。この頃から次第に海氷が目立ち始め12月中旬には厚い海氷に阻まれるようになり『しらせ』はチャージングに入った。昭和基地付近までおよそ3,500回のチャージングを行った。12月20日我々はヘリコプターに乗り込み昭和基地に向かった。およそ20分のフライトで昭和基地に到着した。基地では前次隊による趣向を凝らした熱烈な歓迎を受けた。見る人見る人みんな髭、頭髪伸び放題、顔も雪焼けして真っ黒である。さすがは越冬隊員と思いつつも内心は「1年越冬するとこんなに汚なくなるものか」と思った次第である。
7時起床、8時よりラジオ体操それから各建設現場等へと散っていく。まさしく飯場生活である。この生活は2月上旬まで続いた。昭和基地到着後は皆、使命感に燃え意気揚々としていたが1ヶ月も慣れない仕事をしたり夜間まで仕事を続けていたため精神的・肉体的に参ってしまった。この間、休んだのは元旦のわずか1日だけである。正直言って越冬を断念して日本に帰ろうかと真剣に思ったほどである。
夏作業も何とか目処がつき、前次隊との引き継ぎも終わりいよいよ越冬交代の日が来た。
トイレはウォシュレット付き、お風呂は毎日入れるし洗濯だって毎日できる。夏作業の時に暮らしていた夏宿舎と比べたら雲泥の差である。食事はシェフご自慢の料理がならびそれも豪華版である。おまけにお酒は自由に飲めて種類も豊富、全く文句を付けようがない。最高である。
越冬生活が始まるといよいよ本格的な観測が始まるが電離層部門は前次から引き継ぎ電離層定常業務に加え、新たに持ち込んだ観測機の立ち上げが上手く行かないこともあり文字通り不眠不休の日々が続いた。また、ブリザードの強風でアンテナが多数倒れる等観測については平穏無事には済まなかった。宙空部門では、HFレーダによる電離層電場観測、オーロラ観測衛星の受信、オーロラ光学観測、超高層モニタリング観測、地磁気観測などの観測を行った。ブリザードによるアンテナの倒壊やシステムのトラブルに見舞われたHFレーダ観測以外は概ね順調にデータを取得できた。
極夜を迎える10日前後から太陽が東から昇り水平線すれすれに北を通り西に沈んで行く。いわゆる「ころがる太陽」を見ることができた。そして6月中旬から太陽が全く姿を見せない暗黒の極夜を迎えることとなる。 南極で越冬する隊員にとって極夜の唯一の楽しみといえばミッドウィンター(真冬祭)と呼ばれる南極最大の祝日である。この期間は南極大陸に点在する各国の基地からお祝いのメッセージが届けられる。今年はアメリカのクリントン大統領からメッセージが届いた。昭和基地では6月19日の前夜祭を皮切りに6月23日までスポーツ大会、ゲーム大会、演劇、映画の上映会等々盛大に真冬のお祭りが開催された。期間中、屋外に露天風呂が設置され満天の星空を見ながらお酒を飲んだ。南極昭和基地ならではの贅沢である。欲をいえばオーロラが出てくれれば最高の贅沢であったはず。夕食は、調理担当隊員が腕を振るってくれたフランス料理のフルコース、懐石料理の数々を堪能させて貰った。実に贅沢である。この期間だけで数キロ、太った隊員もいたようだ。 昭和基地から南西へ雪上車で3時間(平均時速15km)ラングホブデまで2泊3日の研修旅行に出掛けた。ラングホブデは、大陸の氷床が海に滑り落ちている氷瀑(ハムナ氷瀑)や昭和基地周辺で一番高い山(長頭山)があり景色の素晴らしいところである。11月中旬には海氷の状態が悪くなり雪上車でこの地を訪れることができないため、越冬最後の思い出にこの素晴らしい景色をカメラに収めた。更に、外気温−15度の中、氷山を利用して「そうめん流し」を楽しんだ。 12月上旬、昭和基地に向かう『しらせ』が通過する航路沿いある弁天島に出掛けた。この島は、周囲200mほどの小さい島であるが、赤ちゃんを連れた親子のウエッデル・アザラシ数十頭が島沿いの海氷上で子育てをしていた。アザラシは遠くから見るとまるでナメクジのようであるが近くで観察すると目が大きくて仕草がとても可愛い動物であった。 12月16日『しらせ』が昭和基地沖に接岸し、その2日後39次隊がヘリコプタで昭和基地に到着した。第1便のヘリコプターで家族からの便りや新鮮な生野菜・生卵・ビールが届けられた。久ぶりに味わう歯ごたえのある野菜や新鮮な生卵に舌鼓を打った。 クリスマスイブは仮装・女装ありの華やかなクリスマスパーティーを開いた。パーティーには39次隊も加わり南極で迎える最後のクリスマスを楽しく過ごすことができた。 「もう一年越冬してもいいなあ」、「もう越冬は懲り懲りだ早く日本に帰ろうよ」一年の越冬生活を終えた隊員の感想である。 |
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