郵政省通信総合研究所長

古濱 洋治

21世紀に向けて

 明けましておめでとうございます。
 昨年は、金融機関の貸し渋りによる経済活動の停滞、失業者の増大、不良債権による長期信用銀行の破産等バルブのツケが様々な形で現れ、日本経済にとっては激動の年でした。また、これに対処するため、政府の大型財政出動が際立った年でもありました。

 昨年末、平成11年度予算政府原案が閣議決定されました。当所の予算は、総額230億4千7百万円で今年度比9.9%増でした。この予算総額は、昨・今年度に続いて、100近くある国立試験研究機関の中で最大の規模ではないかと考えます。言うまでもなく、国の財政赤字の中での景気回復・科学技術振興と言う政策的な増額ですから、これに応えて研究成果を挙げることが肝要と痛感する次第です。最大の予算項目は、電波利用料関係の63億円、次いで情報通信関係の総額43億円、第三番目が宇宙通信関係の41億円、第四番目が情報通信ブレークスルー基礎研究21関係の14億円です。要員については、4名増員が認められました。定員削減が3名ですから、差し引き1名の実質増員です。

 中央省庁再編の焦点となっている国立試験研究機関等の独立行政法人化については、避けがたいものとして、ここ一年間対処して参りました。当面独立行政法人通則法が今年4月に国会に上程され、一年後にこれに対応する個別法が国会に上程され、2001年1月1日から独立行政法人化されるという手順になっています。当所の独立行政法人化に対する基本的な考え方は、既に明らかにしており、これに沿って個別法の中身を固めていく所存です。

 「CRLビジョン21」を作成して、ほぼ1年経ちました。研究所の使命(ミッション)を明確に定義して、当所の存立基盤を固めたことは大変意義深いことです。独立行政法人化の中で、「CRLビジョン21」の示す方向で重点研究課題を遂行するには、私共の研究推進・運営スタイルをこれに合うように変えていくことが必要です。

 独立行政法人では、中期目標、中期計画を策定し、これに対して研究費(運用費)を頂くことになっています。中期計画は5ヶ年となっていますので、最初の5年間の研究活動成果が、次の5年間の研究費獲得に大きな影響を与えます。研究の性格、研究分野、研究費のサイズあるいは研究進捗のレベル等により、中期計画作成の難易・具体性に大きな差異が生じます。プロジェクト指向の研究開発では、比較的研究計画が立て易く、逆にプロジェクト指向でない探索型の研究では、具体的な研究計画を立て難いことがあります。前者の場合、研究計画がしっかりしていなければ、計画を100%達成しても大きなインパクトがない場合があり、このため研究計画の事前評価が大変重要です。また後者の場合、事前評価をすることがしばしば難しく、担当する研究者のポテンシャルに依拠して任せてしまい、研究結果によって判断(事後評価)することが大切と考えます。
 現在、当所で作成している研究調査計画書は、比較的長い期間を想定して研究概要や研究目的が掲げてあります。今後は、これを5年で区切って具体的に達成可能な目的・目標にする必要があります。これと合わせて研究者各個人が研究計画を持ち、また研究の進捗に合わせて研究計画を改定し、常に最新の研究計画を持っておくことが大切です。このようにすれば、前と比較して、計画の進展を外部に説明することも容易になります。
 平成8年度に続いて、平成11年度には2回目の外部評価を導入したいと考えます。独立行政法人化後の府省による評価に耐えるには、独自に研究計画の事前・事後評価を恒常的に実施できる体質にすることが大切です。研究評価はややもすると受身の感じを与えますが、次の飛躍を確実にする手段として、積極的に活用すべきです。前回の外部評価では研究分野ごとの大括りの評価を実施しましたが、中期計画では各研究計画が評価の対象となるはずですから、今回はプロジェクト毎の評価を実施することが必要です。また、必要に応じてピアレビューの導入を検討したいと考えています。
 研究組織の改変については、独立行政法人化を進める中で、当然俎上に登って来ます。研究推進体制を現在のような研究部・研究室からなるピラミッド型にするか、研究プロジェクトが横並びのフラット型にするか、あるいはこれらの中間形態にするか検討する必要があろうと考えます。
 これから進む独立行政法人は、これまでの国立試験研究機関と異なって、より企業の研究所に近いシステムです。このため、企業や大学との共同研究の推進において、これらの組織と異なった余分な制約や・運営上の齟齬・難しさが在ってはなりません。特に共同研究の推進において、研究計画・方針・結果についてのプライオリティが確保されるまでは、これらについて共同研究者の間で守秘義務が生じるのは当然のことであり、これを守らないと共同研究の相手として扱われなくなることを肝に銘じておくべきです。また、特許や研究情報などの知的所有権の尊重・保護も当然のマナーであり、権利の上に立った活用も大切な分野です。こうしたことを視野に入れた研究活動の推進・運営に習熟することが重要です。  


 情報通信に関する総合的な研究開発を中心的テーマとしている当所は、21世紀において飛躍的な発展を遂げるべく、国研としての役割を見直し、新しい体制を整える年であると考えます。
 最後に,皆様のご健康とご発展を祈念しまして、年頭の挨拶とします。


小山 泰弘

鹿島宇宙通信センターの3つのVLBI観測用アンテナ。
左から34mアンテナ、11mアンテナ、26mアンテナの順に見える

 VLBI(Very Long Baseline Interferometer)という用語が初めて使われてから約30年、いまでは、一般の辞典に登場するくらい市民権を得るまでになった。通信総合研究所におけるVLBIの研究開発の歴史は、1970年代にまでさかのぼることができる。まず最初の約10年間では、K-3型VLBIシステムの開発を通じて国際VLBI実験に参加し、プレート運動が数百万年という地質学的なタイムスケールとVLBIによって測定される数年というタイムスケールでほぼ一致するという成果が得られた。その後、鹿島の西北西への動きに見られるプレート内変形に起因する運動や、太平洋プレートの内部にあってプレート境界付近の変形の影響が少ないと考えられる南鳥島とクワジェリンがプレート運動モデルと合わない速度を持っていることが検出されるなど、プレートテクトニクスの研究に大きな貢献をした。また、VLBI観測データは地球の自転軸の方向や自転速度の変化を記述する地球回転パラメータの推定精度を向上させ、1988年に設立された国際地球回転事業(IERS=International Earth Rotation Service)でも重要な役割を果たしながら今日に至っている。通信総合研究所は、IERSのなかでVLBI技術開発センターとして指名を受けており、VLBI関連技術の開発を推進したり、関係機関に対する技術移転を行うといった国際的責務を負っている。

 首都圏広域地殻変動観測計画(Key Stone Project)で整備されたVLBIシステムは、通信総合研究所のVLBI関連技術の集大成であるとともに、従来のVLBI観測では実現できなかった高い精度と高頻度観測とを実現した。また、高速デジタル通信を初めてVLBI観測データの伝送に適用し、リアルタイムVLBIデータ処理を実現することで、VLBI技術の新しい可能性を示したと言うことができる。ここで得られたデータは、他の宇宙測地技術との比較を通じてそれぞれの誤差原因を調べたり、大気モデルの改良による精度向上を図る研究へとつながっている。また、リアルタイムVLBIシステムをさらに長い基線に適用することができれば、地球回転パラメータを準リアルタイムに精度よく求めることが可能となり、惑星探査、高時間分解能での地殻変動モニタリングへの寄与などの波及効果が考えられる。このため、高速衛星回線や国際高速デジタル回線を利用したリアルタイムVLBI実験を将来実施することの可能性を検討中である。また、装置開発では、観測データレートをさらに4倍に高速化したギガビットVLBIシステムの開発を進めており、飛躍的に観測システムを高感度化することを目指している。

 鹿島宇宙通信センターには、現在国土地理院によって運用されている26mアンテナを含めて3つのVLBIアンテナが稼動している。とくに26mアンテナの位置は、長期間にわたる国際VLBI実験を通じて正確に求められており、21世紀の国内測位網の基準となる測地成果2000の構築における基礎データとして利用されるなど重要な役割を果たしている。1999年には、国際的なVLBIの共同研究を推進することを目的として国際VLBI事業(IVS= International VLBI Service for Geodesy and Astrometry)を設立する準備が進められており、通信総合研究所の果たすべき役割は今後一層大きくなるものと思われる。

(鹿島宇宙通信センター 宇宙電波応用研究室)


栗原 則幸、菅谷 明彦

 昨年11月25日から27日にかけて、1998年度VLBIシンポジウムを鹿島宇宙通信センタ−で開催しました。このシンポジウムは、VLBIおよび電波天文学に関わる研究者や大学院生から構成される“VLBI懇談会”が主催し、鹿島宇宙通信センタ−の協力を得て企画運営されました。開催母体となった“VLBI懇談会”は、1990年に設立された研究者組織で、日本の電波天文学の生みの親とも称される森本雅樹会長を含む約170名の会員がVLBI研究の発展を目指して各地で活動を続けています。また、組織の事務局長を筆者(菅谷)が担当しています。今回のシンポジウムでは、下記の6つのセッションを設定したところ、64件の講演申込みがありました。予想を超える応募件数であったことから、急遽ポスタ−セッション(12件)を新設して1件あたりの講演時間確保に努めました。参加登録延べ人数は191名を数え、日本滞在中の米国、中国、ドイツの研究者による講演も含め、白熱した議論が繰り広げられました。特に f.セッションでは、移動通信衛星や携帯電話基地局等から放射される送信波が電波天文観測に及ぼす影響に関して様々な立場からのコメントが出され、関心の高さを伺い知ることができました。
a. 国内研究機関および大学からの現状報告
b. 国立天文台の銀河系立体地図作成(VERA)計画
c. 日本VLBI観測網I(Jnet)の研究成果
d. 宇宙空間VLBI(VSOP)の研究成果
e. 技術開発を含むVLBIの研究成果
f. 電波天文観測に及ぼす電波干渉障害
写真1 
研究本館ロビ−でのポスタ−セッション

 次に、今度のVLBIシンポジウムでは、“森本おじさんの市民講演会”が大きな話題を集めました。鹿島宇宙通信センタ−は日本のVLBI創始期を築いた地であり、且つ、現在も活発な研究開発を展開する日本のVLBI中枢局(34mアンテナ)として国際的にも広く知られています。一方、鹿嶋市民からも“パラポ(ボ)ラ”の愛称で親しまれ、古くから地域住民との交流が続いてきました。 2002年ワールドカップ鹿嶋開催に向け、34mアンテナ主鏡面に描いた身長7mのアントン君の話題が今も市民の間で語られています。そうした中、地域に開かれた研究機関を実践しようというセンタ−内スタッフの機運が高まり、森本VLBI懇談会長による市民対象講演会の準備がスタ−トしました。シンポジウム開催2日目の26日夕方6時に鹿島宇宙通信センタ−研究本館に、小学生から高齢者までの幅広い約100名の聴講者が集まり、“宇宙と鹿嶋”の演題で講演が始まりました。電波研究所鹿島支所と呼ばれた時代の30mや26mパラボラアンテナを利用した電波天文学黎明期のエピソ−ド、VLBI研究の歩み、女性初の宇宙飛行士テレシコワさんとのツ−ショット写真、天体スライド紹介等、いつもながらのユ−モアあふれる語り口で市民に科学を伝える森本おじさんの話術に、我々スタッフまでもが引き込まれました。聴講者の多くは、「また来ますから次もぜひ企画して下さい」との期待と感謝の言葉を残して初冬の家路を急いでいました。
写真2 研究本館に集まった市民聴講者


(鹿島宇宙通信センター宇宙電波応用研究室、同センター管理課管理係)


実験・観測を生かす
広大なフィールド
   


山川電波観測所 貝沼 昭司
観測所職員(前列左が筆者)
 鹿児島県揖宿郡山川町は九州薩摩半島の南端部に位置し、豊かな温泉郷と景勝地に恵まれた観光地として全国に知られています。その中心となるのは九州一の深さと広さを持つ池田湖と薩摩富士で知られる開聞岳です。山川電波観測所はその山川町の端にあり、人工的な電波雑音の少ない田園の静かな所です。地方電波観測所のほとんどは市内から離れた場所にありますが、特に山川電波観測所は空港に出るまでの所要時間が約2.5時間もかかるのでいかにも市内から奥深く入り込んでいる感じですがそれだけ自然の多い場所でもあります。
 観測所は、敷地面積は広く有に一万坪をこえ、平屋鉄筋の奥まった一部2階建ての建物と3つの倉庫そして天を突くように電離層観測用の45mと35mのアンテナ、大型中波レーダ用アンテナ16本が目に付きます。草むらと雑木林の中にはタヌキ、イタチ、テン、野ウサギ、キジ等が住んでいます。見回りなどをしているとよく彼らと突然顔を会わすことがあって互いにびっくりすることがあります。しかしこのような可愛い動物だけなら大歓迎ですが、歓迎できないムカデや蛇など嫌な小動物も多く困ることも多くあります。
 観測所の歴史は古く、昭和21年7月に旧海軍航空隊山川送信所跡に文部省電波物理研究所山川観測所として発足、その後所属と名称は幾度か変遷しましたが、昭和27年8月に郵政省電波研究所山川電波観測所となり、昭和63年4月から現在の通信総合研究所山川電波観測所となりました。発足当時の研究業務は、日夜休むことのない電離層観測を柱にその時々の要請に応じた電離層の諸現象の観測そして電波の伝わり方等の実験を行って、得られた実験データは電波伝搬の基礎資料及び地球物理学に関する学術資料として利用されてきました。
 現在の研究観測は電離層観測、CS、BS等の衛星電波を使った対流圏乱流の観測、地磁気とTECの観測そして山川電波観測所で今一番ビッグで期待される観測装置は大型中波レーダによる高度60km〜100kmの超高層大気の風向風速と電子密度の観測です。地球環境は、地表から高度にそって対流圏、成層圏、超高層大気へとつながっている地球大気の組成・放射・運動の微妙なバランスの上に成り立っています。地球環境の全体像を理解するためには、各層の間の相互作用を理解する必要がありますが、これまで、高度60kmから100kmに位置する中層大気領域を連続的に観測する手段が少なく地球環境の中でも未知な領域とされてきました。今回、山川電波観測所に設置された大型中波レーダは、地上から電波を発射し、高度60〜100kmに存在するわずかな電子からはね返ってくる電波を受信することによってこれらの領域を観測できるレーダ装置であり、地球環境と密接な関係にある我が国上空の超高層大気の振る舞いを理解するのに重要な役割をはたすことが期待されています。
 このような画期的な観測のために山川電波観測所の広大な敷地が役立つことはすばらしいことです。CRL職員の中には山川電波観測所を知らない人が多いように思いますが、中低緯度のこの施設をCRL全体の貴重な財産として実験・観測に生かせるよう望みます。 最後に4人の所員を紹介します。毎日50kmの道を通勤し、観測所のことなら何でも分かる西牟田さん。総務関係と観測所の受付を担当する東田さん。観測データ整理と観測機の機嫌の善し悪しをいち早く見つける成沢さん。そして新米の貝沼です。
長崎鼻からみた開聞岳


―ミクロの世界に取り組んで―

田中 歌子さん

プロフィール
昭和40年12月1日生まれ。
平成5年京都大学大学院博士課程修了。
平成6年入所。昨年買い替えた愛車であちこちドライブするのが気分転換に。


 今回は『研究往来』始まって以来、初の女性研究員の登場です。明石海峡を間近にのぞむ神戸市西区のCRL関西先端研究センター。田中さんはそこで“原子”というミクロの世界の実験に携わっています。

 「このセンターは、明日あさってに役立つというよりは、10年、20年といった長いスパンで、情報通信技術のベースとなる先端技術の基礎研究を行う目的で設立されたと聞いています」
 関西先端研究センターは1989年に設立され、今年で10周年を迎えます。田中さんの説明の通り、長期的な視野に立って情報通信の高度化を目ざす、最先端技術の研究を進めています。情報系、物性系、バイオ系の3分野を主な研究テーマとしていますが、田中さんの所属する電磁波分光研究室は物性系の研究室で、6名の研究員がいます。
 「レーザーを使って、原子レベルで物質を制御したり計測したりしようというのが私の研究です。原子のなかでも電荷をもった状態の原子をイオンといいますが、これをレーザーで冷却することによって、動きを制御し、精密な測定をしやすくします。原子を理想的な状態にすることができれば、将来は高性能デバイスの開発につながるかもしれません」
 一般には解りにくい研究の内容を、かみくだいて丁寧に説明してくれる田中さん。親しみやすい雰囲気とハキハキした話し方がとても印象的です。
 「高校時代に物理に興味をもってから、学生時代を通して、同じ分野の研究に関わり続けることができたのはとてもラッキーですね。物理をやっている者として、常に物質に接していたい、実験に携わっていたいという思いがありましたが、ここは設備も充実しているので、仕事をしながら『この手で原子を操作しているんだな、ミクロの世界と関わってるな』という実感をもつことができます」
手にしているのはイオントラップ電極の模型
 入所前にセンター内を見学したとき、館内の設備や実験機器を見て「こんなところで実験できたらいいな」と思ったといいます。希望がかない今は実験に明け暮れる毎日。自分自身、恵まれた研究環境にいるということは自覚している。しかし、だからといって「毎日が楽しい」とばかりは言えないという田中さん。
 「仕事の時間は自分でコントロールしやすいのですが、朝から実験の準備を始めてもうまくいかず、夜になって、やっと条件が整ってくるなんてこともよくあります。そういうときは夜遅くまで仕事を続けることもあります。実験というものは自然が相手だから、なかなか自分の思い通りにはいかないんです。むしろ、うまくいかないことの方が多いぐらいです。でも七転八倒し、試行錯誤しながら進めていくうちに、フッとうまくいく瞬間がある。それがあるから続けていられるのかもしれないですね(笑)」
 CRLのなかでもまだまだ少ない女性研究員。しかし、田中さんはそんな環境を嘆くこともありません。
 「大学から大学院と、上に進むごとにまわりに女性が少なくなっていくんです(笑)。“研究者”というのが、女性の職業の選択肢から自然に消えていくんでしょうね。でも、センターの一般公開のときに『こういうところに入るには、どうすればいいんですか?』なんて真剣に聞いてくる高校生ぐらいの女の子もいたりして…。がんばってほしいですよね」
 この研究センターに入ってから、田中さんのライフスタイルにもちょっとした変化が。
目下の気分転換はこの車で
 「子どもの頃から20数年習っていたピアノが趣味だったんですが、寮に入っているので、たまに部屋で電子ピアノを弾くぐらいになりました。ここに来てからはむしろ、アウトドアにめざめました。テニスを始めて合宿にも参加したり、明石の海に行って、1日浜辺で過ごしたり。最近、初めてバッティングセンターに行って、楽しい所だということも発見したし…」
 のんびりした田園風景の残るセンターの周辺。山に囲まれた京都育ちの田中さんには、海に面した明石という土地はすこぶる快適だそう。
 「海が近いのはいいですね。海のものはおいしいし、浜辺で遊べるし。気分転換にはとてもいいです」
 そんな田中さんが今、一番楽しいのは新車のハンドルを握っているとき。10年乗っていたクルマを昨年、思いきって買い替えました。
 「嬉しくてあちこち走り回っているんです。この前は気がついたら鳥取まで行ってしまって(笑)。オフのときは、研究とまったく違うことをやってみるのがいいみたいなんです。そういうときに研究のヒントが浮かんだりするので…」
 どこまでも研究熱心な田中さん。
 将来の目標は?
 「10年、20年経っても、同じように研究が続けていられたらいいな、と思いますね。研究テーマにしろ、実験にしろ1度離れてしまうと、とても敷居が高くなってしまう気がするんです。この研究センターのなかにも、お子さんを育てながら立派に研究と両立させておられる方がいます。そういった先輩をお手本にして頑張らなくっちゃ、と思います。」
 「科学とは同じ条件のもとで行ったら、誰がやっても同じ実験結果が得られるという客観的なものである必要があります。しかし、『実験が成功しました、だからここで終わります』ということではない。何かひとつ解れば、そのもっと先が知りたくなるし、もっといいものをつくりたいというのが研究の基本的な流れだと思うんです。ひとつの疑問が解明できれば、また新しい疑問が出てくる。実際、基礎研究ってすごく泥臭い部分もありますし…。ただいつも思うのですが、今の私達の生活を支えている科学技術って、もとをたどれば基礎研究によって得られた技術の積み重ねです。これまでに私達がこのセンターで上げてきた成果も、そういった“積み重ね”の一部なわけですね。ですから現在私が取り組んでいる研究も、将来実用化され、社会の役に立つことを見届けられたら、それはとても幸せなことですね。そのとき、『ずっと好きなことをやってきてよかったな』って思えるかもしれません」

(取材・文 中川 和子)




 第27回電波研親ぼく会が12月9日にOB・在職者合せて約100名が参加して開催されました。
 総会では古濱所長より最近の研究所紹介があり、中でも補正予算関連での建物建設計画には多くの方々から大きな期待と関心が寄せられました。また、総会終了後の懇親会では、昔の話から現況報告に至るまで様々な話題の中、高齢の方のために用意した椅子も座る方が殆ど見られないまま予定の2時間があっという間に過ぎ、来年の再会を約束して盛会のうちに終了することができました。