1.はじめに
ある自然現象を説明する物理法則が提唱され,立
証されたとき,そもそもの法則が成立つ時間的空間
的な範囲がどのくらいの広がりを持つかは別問題
である。古典的なニュートン力学は極微の世界では
その支配力を量子力学にとってかわられ,また地球
のマントルは短い時間スケールで見ると(地震波の
伝搬等)まさしく弾性体として振る舞うのに何百万
年という地質学的な時間スケールで見ると流体とし
て対流するといった具合である。従ってある自然現
象を説明する物理法則が見いだされたとき,その成
り立つ範囲を確かめようというのは自然な研究の流
れであろう。
さて地球科学は最近の30年間に大変な発展をとげ
たが,なかでも固体地球に関してはプレート・テク
トニクスという地球の表層における造構作用(地球
上における地質構造を造り出す作用,テクトニクス)
を統一的に説明する新しい概念が成立した。この理
論は,地球の表面が厚させいぜい百キロ程度の数枚
の大きな板(プレート)にわかれており,個々の板
は内部変形することなく独自の運動をしているとい
うものである。地表でみられる多くの地学現象はこ
れら板の相対的な運動を鍵として総合的に理解でき
るというわけである。二枚の板が収束する(ぶつか
る)境界線ではどちらかの板がもう一方の下に沈み
込み(海洋プレートと大陸プレートなら前者が後者
の下に沈み込む),その結果日本に見られるような深
発地震や島弧型の火山活動等が起こり,沈み込み口
では日本海溝のような細長い溝ができる。二枚の板
が発散する(離れてゆく)境界では湧き出した物質
が新しい板を造り,そこでは大西洋中央海嶺のよう
な長大な海底山脈ができる。二枚の板がすれちがう
境界では有名なカリフォルニアのサンアンドレアス
断層のような巨大な横ずれ断層ができる。大陸プレ
ート同志がぶつかれば,うまく沈み込みが行えずに
その勢いでヒマラヤ山脈のような大山脈ができたり
する。たかだか年間数センチに過ぎないプレート同
志の相対運動が生み出す現象はこのようにバラエテ
ィーに富んでいる。
2.プレート運動の時間分解能
さてここで最初の議論にもどると,プレート・テ
クトニクスは空間的には全地球表面で行われている
と考えられているが,時間的にはいったいどれくら
い短い時間スケールで成り立つものなのであろうか。
プレート運動も地質現象の例に漏れず極めてゆっく
りした動きであり,人間が何らかの方法で感知し得
る程度の変動量が積算されるのには文字どおり百万
年千万年,という地質学的な時間が必要である。たと
えばユーラシアプレートに乗ったヨーロッパと北米
プレートに乗ったアメリカは大西洋の拡大によって
百万年間に何キロメートルずつ離れつつあるという
ことはわかっても,我々に身近な単位の一年間や一
か月に何センチあるいは何ミリ離れたかというのは
今までわからなかった。
従来プレート運動の百万年単位の時間分解能を与
えてきたのは古地磁気や海洋底の磁気異常などの岩
石磁気学の応用分野である。それに対してそれとは
違った新しい技術の応用でこの時間分解能を上げて
例えば一年毎のプレート運動を測定しようとしてい
るのが超長基線電波干渉計(VLBI)である。長い
目でプレート運動を測る古地磁気/海洋磁気異常と
一瞬を測るVLBIという対照的な二つの方法につ
いて詳しく見てみよう。
プレート・テクトニクスにおける収束境界(海溝)と発散境界(海嶺)。
プレートの速度を求めるには海底の磁気異常の縦模様を読む方法とVLBI
を用いる方法とがある。
3.古地磁気と海洋磁気異常
古地磁気学というのは火成岩や堆積岩の持ってい る弱い残留磁化をもとに,その岩石の形成時の地球 磁場の様子を知ろうという学問である。火成岩が冷 えて固まり常温に近づく途中でその温度は岩石中の 磁性鉱物のキュリー温度を通過する。それらの磁性 鉱物はその自発磁化がよみがえる際に各磁性粒子の ポテンシャル、エネルギーが最小になるように当時 の地球磁場の方向に磁化し,岩石全体として当時の 地球磁場の方向に磁化する(熱残留磁化)。堆積岩も, 岩石の材料となる粒子が水中で積もっていく際にや はり磁性粒子が当時の地球磁場の方向に機械的に向 くために全体としてその方向に磁化する(堆積残留磁 化)。地球磁場はゆっくりと永年変化をしながらもあ る時間で平均すればその水平成分は地理的な極の方 向に一致し(地球磁場は反転を繰り返しているので 北極か南極のどちらかに一致する),また磁場方向が 水平面と成す角度(伏角)は極からの距離すなわち 緯度の関数になる。従ってある地質時代の岩石の残 留磁化方向からその時代の極の位置がわかる。極位 置は極自体の移動等でゆっくりと変化するので,求 められた極を時代順に並べていくと極移動曲線が得 られる。
1950年代にはいると無定位磁力計という高感度の 磁力計の普及に伴って種々な大陸の様々な時代の極 位置が求められた。もしここで極移動が極自体の移 動のみの結果なら,地球上のどこの大陸から見た極 移動曲線も一致しなければいけない。ところが測定 データが増えてゆくにつれて違った大陸から求め られた曲線が古い時代でお互いに一致しないことが わかってきた。又これらの一致しない極移動曲線は, ある操作を施せば,例えば北米の極移動曲線とヨー ロッパの極移動曲線は大西洋を閉じて両大陸をぴっ たりくっつけるときれいに重なることがわかった。 これは元来一つの大陸であった北米とヨーロッパが のちに分離して現在の状態になったことを意味し, 大陸は地質学的な時間スケールで見れば何千キロと いった距離を水平移動する証拠となった。大陸の大 規模な水平移動という事実の解明は垂直変動のみを 考えていた従来の固体地球科学の大革命につながる。 その後海洋底地球科学における発展を経て1960年代 に登場し,新しい地球観として成功したのがプレー ト・テクトニクスである。
新理論のきっかけをつくったのは古地磁気である
が,実際のプレート理論の成立発展には海洋におけ
る地球物理学的観測から得られたデータ(水深,地
磁気,重力,地震,熱流量)が重要な役割を果たし
てきた。なかでも海面上で測られた地磁気異常は,
その場所の海底の生成年代や過去のプレート運動な
どを解明するための最も基礎的なデータになった。地
球表面における磁場は地球の流体核がつくる主磁場
と地殻岩石の誘導磁化や残留磁化に起因する短波長
成分とから成るが,後者は前者に対する磁気異常と
呼ばれる。プレートの発散境界である海嶺ではプレー
ト間のすきまを埋めるために境界に沿って出てきた
マグマが冷えて新しいプレートとなり海嶺から遠ざ
かってゆく。これらの岩石は冷えて固まる時に1時
の磁場方向に熱残留磁化を獲得する。海洋底の岩石
を実際に海に潜って試料を採取するには一般に困難
だが,これらの岩石の残留磁化は海上における磁気
異常として比較的容易に検出できる。地球磁場は数
万年から数百万年の時間スケールで反転を繰り返し
ているので(69万年前から現在までは正磁極期,そ
れ以前の20万年間は逆磁極期という具合),新しいプ
レートとなる岩石の熱残留磁化はその噴出時の磁場
の極性に応じて北向きや南向きになったりする。そ
の結果海上において海嶺に平行な磁気異常の縞模様
ができる。地磁気逆転の歴史は陸上の岩石の古地磁
気調査とそれらの岩石の放射年代(岩石中に含まれ
るある種の元素の放射性壊変を用いた岩石の絶対年
代)の測定によってある程度わかっているので,こ
の縞模様のパターンを調べることによってあたかも
バーコードリーダーで読むように海底の年齢がわか
る。1960年代にはいると地磁気強度を手軽に測れる
プロトン磁力計が普及し,船や飛行機で盛んに磁気
測量が行われ海底の年齢が次々に明らかにされた。
海嶺からの距離を,その場所の海底の年齢で割れば
平均的な海洋底の拡大速度が求められ,これが年間
何センチというプレートの運動速度のデータとなる
わけである。
4.VLBI
海洋磁気異常はプレートの相対運動速度を見積も
るのに便利だが,もともと地磁気反転のパターンの
みに基づいているので原理的にその周期以下の運動
に対する時間分解能はない。つまり百万年の間にプ
レートが何キロメートル動いたかはわかってもそれ
以上細かい議論,例えばプレートは毎年着実に動く
のか数年あるいは数十年数百年分まとめて一度に動
くのかということまではわからなかった。そこで我
々の生活レベルである数年の単位でプレートの相対
運動を測る新世代の技術として登場したのが
VLBIである。VLBIの原理についてはここでは繰り
返さないが,星の電波を遠く離れた二点で同時に観
測することによって何千キロメートルと離れた二点
間の距離を数センチメートル以下の精度で測ること
ができる。従ってVLBIで大陸が一年の間に何セ
ンチメートル動いたかが実測できるわけである。こ
れによって今まで地質学的な時間単位でしか見るこ
とが出来なかったプレート運動を,100万倍の時間
分解能を持った目で眺められるわけであり,プレー
ト運動の原動力やプレート自体の物性等の解明のみ
ならず,地震の長期的予知などに強力な武器となる
であろう。VLBIは1980,1990年代の新しい大地
の動きを測る道具として世界中の地球科学者の期待
を担っている。プレート運動の測定を目的とした国
際VLBI実験は昨年度から始まったが,うまくゆ
くと本年度の実験のデータ解析が終わればこの一年
のプレート運動が検出されるはずである。
(鹿島支所 第三宇宙通信研究室 研究官)
今年は福沢諭吉の誕生150年である。前島密も同
じだそうだ。また一昨年は慶応義塾創立125年だっ
たとのことである。周知のように諭吉は幕末から維
新への転換期の中で,漢学から蘭学,英語へと欧米
の文化・思想をむさぼるように吸収するとともに,
塾を開き,多数の著書を書いて在野の啓蒙思想家と
して活動した。と
ころでその活動の
ばねとなったのは
少年時代の経験と
いわれる。諭吉は
中津藩士の子とし
て大阪に生まれる
が,少年時代を中
津で過ごした。
当時そこの封建的
空気が反面教師と
なって諭吉に志を
立てさせたようだ。
現在,中津には福
沢記念館があり,
20数年前に見る機
会があったが,大
変質素だったように思う。
漱石といえば「坊っちゃん」が最もポピュラーで あろう。その中にお金にからむ話がいくつか出てく る。主人公の家に奉公していた婆さん(お手伝い) から小遣いをもらうが,がま口ごとトイレに落とし てしまうこと。主人公が赴任した四国の中学で,同 僚の英語教師(うらなり)が月給のことで校長に陳 情したところ,転勤させられるはめにあい,主人公 がいたく同情し,かつ義憤を感ずることなど。「坊っ ちゃん」は漱石39歳(1906年)の作品で,その翌年 旧制一高と東大の教師をやめて朝日新聞社に入り, 小説に専念することとなる。そして49歳で早世する までの約10年間に数々の名作を出したのである。
新渡戸稲造(1862−1933)については,読みかけ
の「矢内原忠雄全集」を通じて初めて知った。札幌
農学校(今の北大)に入学し,クラークの残したキ
リスト教道徳に基
づく教育を受けた。
このことがその生
涯に決定的影響を
与え,“太平洋の橋
になりたい”との
志を抱かせ,実際
その志を貫いた。
農学校を卒業後, 更に欧米に学んだのち,母校や京大,東大等で教鞭 をとり,一高校長を務める。その間,英文「武士道」 を出版し海外から注目される。晩年には,国際連盟 事務次長としてジュネーブに滞在した。
新渡戸稲造は米国との関係が深い。米国への留学, 米国での「武士道」出版,夫人が米国人,日米交換 教授等である。特に満洲事変以後,対日感情が悪化 しつつあった米国に出かけ,日米関係改善のため努 力した。
以上,新札の三人に共通しているのは,自由な心,
国際感覚,変革への積極性,体制とのスタンス等で
あり,これらは今も新鮮であり続けていると思う。
(宇宙通信部長)
電離層観測は,電波研究所発足以前から行われて いる業務であり,連綿として継続している老舗の稼 業とでもいうべき仕事です。
人工衛星などが情報伝達手段として発達してきて いる現在,短波通信の占める相対的な重要性が低下 し,従って電離層情報を必要とする社会的なニーズ も比較的少なくなってはきています。しかし短波通 信は,信頼件に問題はあるものの,手軽で経済的で あるなどの理由で今でも広く利用されています。
我が宇宙船地球号は,母なる太陽の惑星として永 遠の航行を続けている。電離層の観測は,その大切 な環境の一部を常に監視していることであり,太陽 地球間の物理を主題とする一大ロマンを書きあげる 壮挙の1端を担うことでもあるので,国立研究機関 に課せられた大事な仕事と密かに自負しています。
そんな訳で,武蔵野の面影を残す雑木林に囲まれ た閑静な建物で、昼夜の別なく毎日15分間隔で電離 層の観測を行ってきています。観測は自動的に行わ れ,結果は35oのフィルムに記録されます。
このフィルムから電離層を代表する特性値を読取 り,Ionspheric Data in Japan(電離層月報)に まとめあげることも稼業の一部ですが,読取り作業 が可成り大変なので,電子計算機で自動的に読取ら せるシステムを完成させるための努力を,通信技術 部信号処理研究室と一緒になってすすめています。 これが目出度く完成しますと,国分寺はもちろん, 稚内,秋田,山川,沖縄のデータも電話回線で送ら れてきて自動処理されることになります。
電波研究所は,東南アジアで観測された電離層デ ータを集積し,学術研究に供する電離層世界資料セ ンターC2を設置していますが,この運用も当室の “なりわい”になっています。
さらに電波観測管理室は,これまでの電波予報研 究室の業務を引継いでいますので,3か月先の“電 波予報”を発行するための資料作成も毎月行ってい ますが,来年度には1冊で短波回線の電波予報のわ かる“新版電波予報”に切替える計画が策定された ので,そのための準備も行っています。
老舗の“のれん”を守る面々は,合歓垣(ただの
巨人ファン),小泉(昔は名?キャッチャー),吹留
(植木・焼物相談承り所),栗城(ダサイ奥多摩ハィ
カー),竹内(長持ち唄の真打),安藤(三段を窺う碁
キチ),永山(多趣味・特別釣キチ),野崎(南極の次
はスペースコロニー?),猪木(フランスワインなら
本場仕込み)の9人と作業契約会社の永井(習字・
民謡がおはこ)です。
(栗城 功)
前列左から竹内、吹留、栗崎、小泉、合歓垣
後列左から安藤、永山、野崎、猪木、永井
ICCC'84国際会議参加報告
(総合通信部 情報通信研究室 主任研究官 伊藤 昭)
IEC/TC12会議に出席して
(企画調査部 国際協力調査室 主任研究官 久保田 文人)
氷のリモートセンシング in CANADA
(電波応用部 電波計測研究室長 猪股 英行)
中国関係機関を訪問して
(標準測定部 周波数・時刻比較研究室長 吉村 和幸)
SIR-B実験初期成果報告会に出席
(電波応用部長 畚野 信義)
第39回年次周波数制御シンポ
ジウム(FCS)に出席して
(標準測定部 測定技術研究室 主任研究官 小宮山 牧兒)
1985年北米電波科学連合/国際IEEEア
ンテナ伝搬(AP)合同会議に出席して
(電波部 電波媒質研究室長 相京 和弘)
PTC'85(太平洋電気通信協議会)へ出席
(宇宙通信部 宇宙技術研究室長 飯山 尚志)
電気通信技術審議会の発足
と所内対策委員会の改組
電波研究所には,これまでCCIRへの寄与事項等に
ついて当所の方針を取りまとめるために「CCIR等対
策委員会」が設置されていて,重要な役割を果たしてき
たが,上記審議会の全諮問事項に対して「積極的に寄与し,
電気通信行政の展開に資するために,このほど所内対策
委員会の全面的な改組を行った。7月11日に新たに発足
した「電気通信技術審議会等対策委員会(委員長:上田
次長)」は,第1回会合を7月19日に開催し,小委員会の
設置等の審議体制や運営方法を決定した。多くの研究成
果が,この対策委員会で寄与文書や答申案として取りま
とめられ,審議会等に反映されることが期待されている。