眼が動いてもなぜ外界は動いて見えないのか


青木 美奈

はじめに
 私たちは日常生活において周りのものを見るた めに、ほとんど無意識に眼を動かしている。私た ちの眼で視力の良い視野は意外に狭く、眼がじっ としていては周つの全てをはっきりと見ることが できないからだ。私たちが自発的に行うことので きる眼球運動には、サッカード(跳躍性眼球運 動)とスムーズパシュート〈滑動性追跡眼球運 動)の2種類がある。前者は読書をしているとき や、周りのものを観察しているときの眼球運動で 急な動きと静止の繰り返しの運動であり、後者は 空を飛ぶ飛行機を眼で追うときなどに行っている 滑らかでゆっくりした眼球運動である。今回ここ で注目しているのは、前者のサッカードである。
 サッカードは通常、1秒間に3回ほど行われて いる。その速度は非常に速く、毎秒700度にも及 ぶものである。我々の 眼はよくカメラに例え られるが、ビデオカメ ラをこのような速度で 動かすと、映る像はど うなるだろうか。恐ら く、像は濁り、ぐらぐ らと揺れて、何が映っ ているかわからないだ ろう。ところが、私た ちはそういう濁りも揺 れも感じないで生活している。ビデ オカメラと人間の眼の違いは何であ ろうか。人間の視覚情報処理過程で は、まず、網膜に像が映り、脳の中 の視覚野という部分で様々な処理を されて、最後に知覚に至る。つまり. 両者の違いは、この脳にあるのであ る。
 ここでは、サッカード中の濁りを 私たちが感じないという部分(サッ カード時の視覚抑制)と、サッカー ド前後で像の位置がずれて感じられ ることがないという部分(サッカー ド時の空間定位)に分けて考えてい く。


▲視覚心理実験の様子

サッカード時の視覚抑制
 サッカード中には、網膜上に非常に高速に動く 像が映っているはずである。しかし、私たちはそ のような動き像を知覚しない。このことに関して 従来から2つの説がある。1つは、サッカード中 には脳は網膜から入力される像の情報を取り込ま ない、という「サッカード抑制説」である。もう 1つは、サッカード中にも視覚は働いているが、 サッカード前後のはっきりした静止像に対してサ ッカード中の動き像が弱い刺激となり、マスク (心理学用語で、強い刺激と弱い刺激がほぼ同時 に入カされると強い刺激のみが知覚されるという 現象)されるという、「マスキング説」である。
 筆者らは、サッカードという高速で頻繁な眼球 運動に対し、脳が情報の取り込みをオン、オフす るというのは不自然ではないか、という観点で後 者のマスキング説が正しいのではないか、と考え、 独自の実験を行った。
 筆者らの実験では、被験者に水平に左から右へ サッカードを行わせ、それにあわせて図1に示す ような縞パターンを一瞬だけ被験者に見せる。被 験者はそのパターンが2つのうちどちらであった かを答える。また、被験者の眼球運動を同時に計 測する。すると、縞パターンを横にしたときには サッカード中であってもパターンの判別は完全に できるが、縞パターンを縦にするとサッカード中 には判別ができなくなっているという結果が得ら れた(図2)。このことから、サッカード中にも 視覚は働いているが、普段私たちがサッカード中 の濁り像を知覚しないのは、像の色や輪郭が濁っ てしまい、その前後のはっきりした像のみを知覚 してしまうためではないか、と考えられる。


▲図1 縞パターンの組 縞を構成する2色は互いに補色の関係で等輝度である。


▲図2 サッカード時の視覚制御の実験結果
    中央下部の帯はサッカード中を示す。

 しかし、筆者らの実験ではまた、縞パターンの 色差(色の判別のしやすさ)を小さくする、すな わち、刺激として弱いものを用いると、サッカー ド中に横縞パターンさえも判別できなくなってし まうという実験結果も得られた。このことから、 眼球運動に連動した何らかの抑制機溝もその働き はわずかではあるが存在しているかもしれないこ とが示唆される。ただし、日常生活では、一般に 輪郭のはっきりした、色の区別もつきやすい環境 で眼球運動を行っており、サッカード時の視覚抑 制の主要因は上述の濁りとマスキング効果ではな いかと考えられる。

サッカード時の空間定位
 もう1つサッカードに関して興味深い現象があ る。それは、網膜に映る像はサッカードによって 移動するのに、外界が動いたと感じずに外界は静 止して知覚されるということである。これに関し ては、脳の中の眼球運動の司令信号と網膜に映っ た像の動きは向きが反対で大きさが等しいので、 この2つが相殺する結果、外界像は静止して見え るのだと説明する「相殺説」が知られている。し かし、最近の研究で、暗闇で一瞬だけ出る光点の 位置を答えさせる実験をするとサッカードを行う 直前から直後にかけて位置の知覚が正確でない、 という報告がある。暗闇では相殺されるべき網膜 上の像が光点以外にないので、この結果は脳内で の位置情報が正確でない、ということを示唆する。
 筆者らは、日常生活でサッカードを行うたびに 物を正しくない位置として感じることはないとい うことから、暗闇と明るい環境の両条件で位置の 知覚に関する実験を行った。その結果、両者に遠 いが見られた(図3)。すなわち、周囲が明るい ときには、サッカード開始前に位置の知覚がやや 不正確になっているものの、サッカード終了後に はほぼ正確に知覚している。これに対し、周囲が 暗いときには、サッカード開始前の傾向は明るい ときと同様であるが、サッカード終了後にサッカ ード方向と逆方向への知覚誤りがある。このこと から、確かに脳内ではサッカード中の位置情報は 不正確になっているが、明るいときには、サッカ ード中の像の動き情報を利用して眼の移動量を推 測し、サッカード後に正しく位置が知覚されてい るのだと考えられる。


▲図3 サッカード時の空間定位の実験結果
 (a)周囲が明るいとき (b)周囲が暗らい時
    中央の帯はサッカード中を示す。

おわりに
 以上、サッカード中の視覚情報処理における2 つの事柄に関して筆者らが行った実験について述 べてきた。我々は頻繁に眼を動かして外界の視覚 情報を取り入れているが、それに伴う像のぶれや 位置の変化を感じないように脳はうまく作られて いるのである。

(通信科学部 信号処理研究室 研究官)




国際標準化雑感


横田 光雄

国際標準化の必要性
 通信の目標として「いつでも、どこでも、だれと でも」という標語は、言い尽くされてきた。これを 実現するには、移動中でも通信が出来なければなら ず、無線を利用しなければ実現できない。テレパシ ーなどの超能力による通信もあるが、これは一部の 特殊な人達の専売特許で、一般には利用不可能であ る。人間の行動範囲は、昔は自分の住んでいる周囲 半径20〜30km以内に限られていた。現在は、世界を 飛び回ることもおかしくない。一台の携帯電話機を 背広の内ポケットに入れて世界を飛び回ることを想 定すると、国際規格の必要性が生してくる。又、電 波には国境がないので、離れた人と通信をするには 同一規格である必要がある。国際規格を決めるため には、国際電気通信連合(ITU)があり、その中 に有無線の標準化機関がある。統一規格は、貿易等 でのトラブルを避ける上からも好ましい。
 現在は、個性化の時代、或いは、先行きが見えな いカオスの時代、と言われる。国際情勢も国内情勢 も混沌としている。技術面でみると、パソコン、ワ ープロは半年毎に新機種を発売していて、技術革新 があまりにも早く「10年一昔」は「半年一昔」にな っている。キーポイントは、流動化していて確固と したものが確立しにくいという点である。このよう な情勢で、みんな統一化しようというのは時代の流 れに逆行するように思える。
 現在、将来の移動通信FPLMTS(Future Public Land Mobile Telecommunication Systems)の 国際規格作りが進行中である。技術革新が生じても、 それを受け入れる能力をもつ国際規格が誕生すれば、 好ましいことである。しかし、それぞれ国家間に思 惑があり、先行きは不透明である。日本はどう対処 したらよいか私見を述べてみたい。

標準化と困難性
 先に示したITUでは世界を3つの地域に分けて いる。第1が欧州を含む地域で、第2が米国、そし て第3が日本を含むアジア地域である。欧州は科 学・文化史からも貴族的な雰囲気をもつ極めてエリ ート的な存在である。それに対し、米国は学問的な 基盤はどうであれ、エジソンに代表されるように日 常生活に直接役立つ製品やシステムを作り上げるの がうまい。一方、日本は一丁の鉄砲伝来から僅かの 間に質・量とも世界一の鉄砲製造技術を確立するよ うな能力を持つ。1600年の関ヶ原の合戦では約6万 丁の鉄砲動員があったという(当時、フランス王の 軍隊には1万丁しかなかった)。言ってみれば、欧州 は哲学的、米国は実利的、そして、日本は優れた技 術開発能力を持つ。欧州の人達は、このような米 国・日本の性格をバカにする風潮がある。うがった 見方で地域割りをみると、第1地域はエリート地域、 第2地域はエリートの直系、そして、第3地域は 「3等国」のイメージ(筆者の僻みかもしれない)が ある。
 歴史上の事実を調べてみると、次のような事例が ある。カラーTVの規格化で、米国はNTSCを提 案したが、ドイツはPAL方式、そしてフランスは SECAM方式を採用し、国際統一は出来なかった。 一方、日本はHDTV方式を提案し、すべての技術 上のノウハウの公開も厭わない覚悟であったが、成 功しなかった。理由として、日本の文化侵害になる 等の声も間こえてきた。第1地域は他地域の提案に 冷淡である。
 国際規格はOSI(Open System Interconnection) の7レイヤを尊重している。レイヤ1は物理層 で、周波数、変復調方式、多元接続などが関係する。 レイヤ2はデータリンク層で、隣接中継点を結ぶ hop‐to‐hopの規格である。レイヤ3はネットワーク 層で、中継を完成しユーザとユーザのend‐to‐endを 結ぶ規格である。レイヤ4(トランスポート層)以 上ではネットワークの遠いが吸収されユーザ同志の 話しになる。レイヤ2以上は、ソフトで対処でき、 いずれは国際的な合意がとれると思われる。しかし レイヤ1については、国家間の利害が絡み纏まらな いのではないかと危惧される。

特異な国−日本−
 日本は良いと思うととんでもない事でも平気でや る国である。節操が無いと言われればそれまでだが、 凡そ、外国とは全く違う発想をする。良いものは何 でもとり入れる−−−これは日本の伝統である。農 耕民族として一箇所に多くの人と定住する必要から 争いごとを避け、主義主張を越えて融合出来る、と いう特質を持つ。それが、欧米の主義主張を固執す る流儀と異なる。身近な例を掲げよう。日本の結婚 式は、世界の宗教のオンパレードである。結婚式の 日取りは大安・吉日を選ぶが、これは中国の道教に 由来する。神前で御祓いをしてもらう。これは神道 である。ウエディング・マーチ/ケーキカットの儀 式は、キリスト教である。新郎・新婦がお色直しを して、ローソクに火をつけて回る。これはギリシャ 正教の影響をうけている。宴たけなわとなって、両 親に花束贈呈を行い、贈る者も贈られる者も感涙に むせぶ。この儀式はイスラム教に由来する。人生の 最後は(すなわち死んだら)、仏教にお世話になる。 外国で、これほど多種多様にまぜこぜにして式を盛 り上げる所はない。これが日本が、日本たる所以で ある。何故このような「節操の無い国」になったか は、古事記にその記載が出ている。百済からの仏教 伝来は、欽明天皇の治世の時で、蘇我稲目に祀らせ た。仏教と一緒に先進技術が付随してきたので、蘇 我氏は勢カを得、天皇の神道を脅かすようになった。 崇峻天皇は崇仏派から神道に鞍替えのため馬子に殺 害された。その後に蘇我氏が操縦しやすいとみた女 帝推古天皇が即位する。その時の摂政が大天才聖徳 太子である。彼は、神道も仏教も大事で(良いもの はみんな取り入れ)儒教の教えに従って現実的繁栄 を達成するという「神仏儒習合」の思想を編み出し、 仏教と天皇制を両立させてしまった。これ以後、日 本人の遺伝子には1400年もの永きに渡りその思想が 受け継がれて来ている。昨日、今日の事では無いの である。

日本からの提言
 宇宙レベルでみると、地球の住民は宇宙社会に住 む、地球村の住民である。なんだかんだと各国が主 張しあったところで、コップの中の争いにすぎない。 こう考えてくると、日本の出番である。日本は先陣 を走り、思想を生み出し、リーダシップを取るのは 弱いが、農耕民族的性格から皆を仲良くさせること は得意である。
 大目標は何かというと、世界のどこでも「通信」 ができることである。芭蕉は「不易流行」という俳 句の極意を述べたが、それに当てはめれば「不易」 は通信を可能にするという絶対的要求で、「流行」は 各国のエゴ、時代によって変わる技術革新の変化に 対処する事である。
 ディジタル変復調技術は、信号処理とVLSI技 術の進歩によりソフトで対処できる時代に入った。 フィルタは信号処理で実現できるし、変調波はRO Mに記録してある波形を読み出して処理できる。復 詞も受信したRF信号を同相と直交化した局発信号 で検波すれば、すべての情報が獲得されるので、後 はべースバンド段での信号処理で対処できる。メモ リの集積度は3年で4倍という実績を示し、21世紀 初頭には1ギガ〜4ギガDRAMの実現が予想されて いる。
 このような情勢を踏まえれば、レイヤ1に相当す る部分もソフト対応で処理することを日本提案とし てはどうであろうか。各国への入国時に、その国に 対応したシステムに対処できるよう空港やホテルで、 自分の持ち歩く携帯電話機に安い費用でソフトのイ ンストールを行える。安いからコピーする気などお きないし、数が多いから、提供側は相当の利益にな る。技術革新やサービスの付加価値もソフト対応で 書き換えればよいから「流行」に対応できる。国際 規格は、ソフトの読み込みなどほんの基本的な事項 だけで良くなるのではないだろうか。「不易流行」を 目指すのも悪くはないと考えている。

(総合通信部長)



短 信




石川主任研究官、前島賞を受賞!


 総合通信部の石川嘉彦主任研究官は、平成6年3 月8日、メルパルク東京において、(財)逓信協会よ り栄えある前島賞を贈呈された。氏は、TVのチャ ンネル不足の解消を図るため、「テレビジョン同期放 送方式の研究開発」を推進し、その課題を達成した。 受賞は、その貢献が認められたもので、関係者一同 慶賀の喜びにたえない。氏は、誠実、温厚、きちょ うめんな性格で、皆に信頼され、その人柄が、研究 開発の成功の一因である。氏の今後の活躍の更なる 発展を期待したい。



佐川室長、田中館賞を受賞!


 佐川永一室長(宇宙科学部宇宙計測研究室)は、 本年3月に仙台で開催された地球電磁気・地球惑星 圏学会総会で、同学会賞として伝統ある「田中館賞」 を授与された。受賞の対象となった論文名は「衛星 観測データによる電離圏・磁気圏の熱的プラズマの 研究」であり、佐川室長のISS-b、DE-1、「あけぼの」 と続く一連の衛星観測による研究が高く評価された ものである。従来、田中館賞は若手を対象に授与さ れてきたが、10年前頃からは、同学会が一流と認め た研究者を表彰する賞という性格を強くしている。